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2023-04-25 03:25

大病を超える創作と情熱の力|清水哲郎さん(画家/ミラノ)

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動画 https://youtu.be/P6EtEcDiwwI
HP https://bit.ly/Life_Update_CLUB

 ─インタビュー概要─
29歳!?イタリアに降り立った年齢を彼から聞いたとき、僕はとても驚き、そして同時に勇気づけられたことを今でも覚えている。5浪の末、美大を諦め専門学校へ、その後2年間助手をしたうえでの渡伊。しかしそこで待っていたのは、厳しい現実。そしてガンまでも乗り越えて、国立大学で教鞭を振るいながら創作を続ける現在。これほどドラマティックな人生を歩んできた方を僕は他に知らない。ほとばしる彼の情熱が自分にも伝染する、そんなインタビューだった。
(2013年10月ミラノで対談)

【プロフィール】しみず・てつろう/1958年東京で生まれ。87年に絵画の勉強でイタリアに移住、以来現在まで画家としてミラノに。85年東京の創形美術学校研究科修了後、ミラノの国立ブレラ美術学校で学び、92年に主席で卒業。多数の個展とグループ展を行い2001年からは国立ブレラ美術学校で絵画を教える。
(プロフィールは2013年10月の取材当時)

─聞き手─
早川洋平(プロインタビュアー) はやかわ・ようへい/1980年横浜生まれ。新聞記者等を経て2008年キクタス株式会社設立。羽生結弦、コシノジュンコ、髙田賢三など世界で活躍する著名人、経営者、スポーツ選手等ジャンルを超えて対談。13年からは「世界を生きる人」に現地インタビューするオーディオマガジン『コスモポリタン』を創刊。 海外での取材を本格化するいっぽうで、戦争体験者の肉声を世界へ発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。 公共機関・企業・作家などのパーソナルメディアのプロデュースも手がけ、キクタス配信全番組のダウンロード数は毎月約200万回。累計は3億回を超える。『We are Netflix Podcast@Tokyo』『横浜美術館「ラジオ美術館」』『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』などプロデュース多数。近年はユニクロやネスレ、P&GなどのCMのインタビュアーとしても活躍。 外国人から見た日本を聞く番組『What does Japan mean to you?』で英語での発信もしている。

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#インタビュー #ミラノ #イタリア #画家

清水哲郎さんの人生と経歴
イタリアに行ったのが今から20?
26年前です。
四半世紀経ったということですね。
そうですね。
当時、本当に何歳?
僕は29歳。
じゃあイメージより22、23とかで来てるわけじゃないわけですね。
ええ。5年間浪人してますから。
そうか。そこで…
5年間浪人して、専門学校4年間やって、その後女子として2年間働いて、一応資金を作って、それから来たんです。
でもなんか、これ聞いてる方いろんな年齢層の方いますけど、僕なんかも22、23で結構一回病気になって、一回終わったなみたいな思いましたけど、全然まだまだ…
歩みが僕の場合はすごく遅かったんで、自分自身を自覚するのが遅かったから、それぞれ目覚めるときってのは人それぞれあるし、人とのペースに合わなきゃいけないっていう考えは全くなかったし。
でも年齢のことが一つ取っても、すごい多分聞いてる人は勇気づけられたと思うんですけど、今少し話が現代に戻りますが、
清水さんはご自身が習われてた、通ってたミラノの国立ブレーダー美術学校で、今は教員も取られてるってことですよね。
はい。
画家としての活動と経済的苦労
そうすると今は画家で制作活動をされながら教授もやってる?
そうですね。でもほとんどが作家活動ですね。だから中に2回一応3時間だけ。
それであとここで金曜日は個人レッスンをして、それ以外はほとんど制作なんで、作家の活動だけでは食っていけない部分があって、そういう形をとってますけど、内容的には自分の中でずっとつながってて、
自分のやってることを指導して、そのことによって自分も教わって実験していけるという一つつながりで考えてます。
美術学校に5年、5年というか4年で、今いらっしゃって26年で、最初の5年とかそういう感じだったと思うんですけど、そこからまさに20年あって、お金とかだって。
美術学校時代はまだ良くて、美術学校出てから本当にもうどん底でしたね。
そこからここに至るまでって一言じゃなくて、もちろん決して言い表せないと思いますけど、経済的なことも含めてですけど、
画家として、つまりプロとしてやってこられて今があるわけじゃないですか、その辺ってどういう感じだったのかな?
学校出てすぐに画廊とか回って、自分の作品を見せようと。
画廊と契約を取って、作品を売っていきたいという意思は満々にあったんですね。
だけどいざ画廊に持っていくと、当然こういう作品持ってて持っていけないですから、写真に撮って持って、プレゼンテーションして持って行きますね。
そうすると画廊は一切見てくれないんですね。
見てくれない。
見てくれなかったです。
文全、ほとんどが文全払いで。
03:25

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