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2023-05-02 05:34

異国で1番になる ということ|小田原靖さん(人材紹介会社経営/バンコク)

インタビュー全編はこちらから↓
https://bit.ly/cm_yasushiodahara-san

「Life Update CLUB」について
動画 https://youtu.be/P6EtEcDiwwI
HP https://bit.ly/Life_Update_CLUB

 ─インタビュー概要─
アメリカのカッコいいビジネスマンになりたかった。だが当時同国は不景気のどん底。それでもとにかく海外に渡りたかった。マレーシアを経由して、なんとなくタイへ。言葉が通じない。タイもタイ人も大嫌いだった。それでも帰ろうとは思わなかった。帰るのが、恥ずかしかった。

見よう見まねで会社を立ち上げて、365日働いた。気付けばタイ国内同業のなかでトップ企業となっていた。
在タイ歴は日本よりも長くなった。社員による横領、リーマンショック、ビジネスパートナーの……数多くの想定外に見舞われた。
だが、それでも続けている。

いつかタイも下り坂になるかも知れない。しかし「自分はこれからもここにいると思う」。
そう語る今回のUpdater、小田原靖さんの目は、20年先の未来を見据えていた。
(2015年10月バンコクで対談)

【プロフィール】おだはら・やすし/福岡県福岡市出身。1993年に来タイ。94年パーソネルコンサルタント社設立。タイに進出している日系企業約9000社へ正社員を供給。登録者総数11万人を越え、2015年の平均月間決定件数は約250人。08年から8年連続、タイ国労働省に登録してある約200社の人材紹介会社の中で最多の紹介人数を記録し最優秀功労賞の表彰。タイで頑張る日本人起業家を応援する組織、タイ王国和僑会副代表を13年まで勤めた。バンコクスリウォンロータリークラブ2014-15年度会長。
(プロフィールは2015年10月の取材当時)

─聞き手─
早川洋平(プロインタビュアー) はやかわ・ようへい/1980年横浜生まれ。新聞記者等を経て2008年キクタス株式会社設立。羽生結弦、コシノジュンコ、髙田賢三など世界で活躍する著名人、経営者、スポーツ選手等ジャンルを超えて対談。13年からは「世界を生きる人」に現地インタビューするオーディオマガジン『コスモポリタン』を創刊。 海外での取材を本格化するいっぽうで、戦争体験者の肉声を世界へ発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。 公共機関・企業・作家などのパーソナルメディアのプロデュースも手がけ、キクタス配信全番組のダウンロード数は毎月約200万回。累計は3億回を超える。『We are Netflix Podcast@Tokyo』『横浜美術館「ラジオ美術館」』『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』などプロデュース多数。近年はユニクロやネスレ、P&GなどのCMのインタビュアーとしても活躍。 外国人から見た日本を聞く番組『What does Japan mean to you?』で英語での発信もしている。

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#インタビュー #バンコク #タイ #海外起業

23年前のタイにやってくるまで
こんにちは、プロインタビュアーの早川洋平です。
コスモポリタン、今日はですね、バンコクにやってきました。
パーソナルコンサルタント、代表取締役、社長の小田原靖さんにお話をございます。
小田原さん、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いいたします。
さあ、バンコクということなんですけども、私事なんですが、実は14年前、ちょうど大学2年生か3年生ぐらいの時に来て以来なんですけど、小田原さんはその前からいらっしゃるんですよね。
そうですね。私は今23年目ですね。
ほぼ四半世紀。
そうですね。
この後、もちろんその中身について伺いたいんですけど、四半世紀いる感覚ってありますか?
いる感覚ってどうなんでしょうね。もちろんもう、はい、長くいるなっていうのは、もう日本よりも長くなっちゃいましたしね。
そうか。
ずっとバンコクなんですか?
ずっとバンコク。もうずっとバンコクで、なおかつずっとこのアスホクにも会社も、この22年間ここにあります。
最初からほぼここ?
最初からほぼここですね。
そうか。それについてもいろいろ伺っていきたいと思うんですけども、プロフィール的なものを読んじゃうと面白くないんで、その話も伺いたいんですけども、23年ということで、最初にタイにいらっしゃったのも23年目だと1992年?
93年ですね。
そこからだと思うんですけど、そこからこういう言われ方は嫌かもしれないですけど、一台でこの会社を作り上げたってことですよね?
そうですね。もちろん最初に始めた頃は日本人2人、タイ人2人、4人で始めたちっちゃな会社でしたので。
今あれですよね、企業の規模とか実績、タイでナンバー1って言っていいんですかね?
そうですね。この2007年からずっと今のところ一番決定数が多い会社、紹介数が多い会社ということで、タイの労働省から表彰されたりされております。
さらっと小田原さんおっしゃいましたけど、これすごいことですよね。つまりタイのそういう人材紹介会社も他にもあるわけですよね。
もちろんもちろん。今は300何十社、400社近くあるはずです。
細かいんですけど、その紹介人数のその表彰される定義っていうのは…
4人で始めた小さな会社
決定数、決まった人の数が年間で一番多いっていうことですね。
入る先が日経企業かどこの企業かとか関係なく。
まだ関係ないです。
全て関係なくですよね。
そうですね。ですので雇用促進にすごく役立ってる会社として表彰されてますよね。
すごいですね。最初始めた時ってそういう姿を描いてました?
いや、描いてなかったと思います。
2007年からこの時代にもそれをずっと続けるってのは本当にすごいかなと思うんですけど。
そもそも戻りますけども、そういう意味ではこのタイ採用亭って言っていいと思うんですけど、そういう決定数で人材紹介会社作るまでに至る経緯23年あるっておっしゃいましたけど、
やっぱりそもそもなぜバンコクなのかに来たのかっていうところから遡ってもらいたいんですけど。
なぜバンコクかっていうのはそんなに理由がないんですね。
大学アメリカ行ってまして、92年の末に終わって、今度アメリカじゃないところで日本で働きたくなかった、海外で働きたかったということで、
日本に戻りまして3ヶ月お金を貯めて、たまたまそこでマレーシア航空で働いてる知人がいまして、
マレーシアいいよと。マレーシア航空だったら安く行けるよみたいな感じで。
ですので、まず4月にマレーシアのクアラルンプールに仕事を探しに行きました。
若かった、甘かったんですけど、そんな数週間で仕事なんか見つかるわけもなく、でもマレーシアは僕は必要としてないんだなみたいな感じで。
で、そこで南に行ってたらシンガポールがあり、北に上がったらバンコクがあったみたいな感じで、そこは結構天気なんですけど、なんでそこで北に上がったかっていうのは覚えてないんですよ。
駅に行って、クアラルンプールにいる間にゲストハウスなんか泊まって、タイの話を聞いて行こうと思ったんでしょうね。
タイの労働省から表彰されるまでに
それもあまり覚えてないんですけど、まあ電車に乗って20何時間かけて。そんなかかりますかやっぱり。いや、かかりますよ。もうのんびりのんびり走ってくる電車、汽車に乗って。
で、バンコクに行きました。当時小澤原青年は大学卒業して。23歳ですね、なったばっかりでしたね。
これ何でしょう。なんか今当然もう代表取締役社長ですし、しっかり言ったら失礼ですけども、した格好をちゃんとされてますけど、なんかじゃあ当時は結構。
めちゃくちゃ適当です。行き当たりばったりで、何とかなると思ってましたし、自信過剰というか、絶対採用してくれる会社があるはずだと、すごい世間知らずですよね。
タイのことも知らないし、タイ語もできるわけじゃないし。
05:34

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