自分の気持ちの変化
こんにちは、自由で楽しい毎日を。IKUKO Laboの金田イクコです。このポッドキャストは、私の音声日記です。
毎日の暮らしの中で気になったアレコレを気ままにおしゃべりしています。よかったら最後までお聞きください。
こんにちは、IKUKO Laboの金田イクコです。10月24日木曜日の、今日は午後の1時20分に収録をしています。
午後から撮るのってとても珍しいというか、だいたいは朝1時、朝、何か作業を始めようかなっていう前に撮ることが多いんですけど、
今日は何かこう他のことをゴソゴソしていて、あっという間に昼を過ぎちゃったという感じです。
まあここのところいろいろな出来事が立て続けに、出来事っていうよりもこの用事、用事がバタバタあって、何から喋ったらいいんだろうかという感じではあります。
前回配信したのいつなんだろう。とりあえず先週の土日、東京に行ってまいりまして、
その2週間前にも東京行ってたんですけど、それはダンスのイベントに出るためでした。
今回東京に行ったのは全く別のですね、とあるセミナーに出たっていうことと、その翌日はダンスに行ったは行ったんですけど、
イベントで発表するとかっていうんじゃなくて、サイファーっていう、輪になって踊るっていう意味らしいんですけど、サイファー会を知り合った人が主催していて、そこにリアルで参加するっていう。
通常東京でされてても私たち出れないじゃないですか。でもセミナーでどうしても東京に行かざるを得ないことになったので、
もしだったらということで、急遽無理くりに参加させてもらってやってきたっていうことです。
私のこの気持ちの盛り上がり的には、サイファーに行くことと、そこでまたいろんなワークショップのメンバーさんたちと会えたりするし、
そのリアルでサイファーって何みたいな、どういうことっていう、そういう好奇心とかもありつつ、それを楽しみに東京に出かけて行ったっていう感じですね。
ただのセミナーと、そのセミナーの後、懇親会というかパーティーがあったんですけど、パーティーとかもご招待で行かせてもらうので、
交通費だけ自腹でっていうところで、まあいいかと、付き合うかっていう感じで行ったんですけど、テンション上がらないっていうか、
最近じゃあもう気持ちがやっぱり、ダンス方面にものすごく自分の気持ちがいってるので、それ以外のお勉強みたいなこととかも全然興味がなかったりします。
ただお付き合いっていうこともあるし、頼まれたっていうこともあるし、基本やっぱり頼まれたことには最大限対応はしたいなと。
もちろん誰からでもっていうことではないですけど、今までのお付き合いの中で、付き合いの密な人に関しては、持ちつもたれつってとこあるじゃないですか。
一方的にこちらが全部してあげるばっかりだとそれはないですけど、逆もある、なんかしてもらうっていうこともいっぱいあるっていう、そういう関係性の中で、私がどうしても来てって言われたら、
どうしても他の用事が詰まっているとかでなければ最大限対応しようということで、今回セミナーに行かせていただいたわけですけれども、
何のしがらみも何の義務も何の恩義もなくて、勝手に行きたいっていうのがダンスですので、やっぱりダンスがなかったらもうなんか絶対行かないしっていうぐらいのことですよね。
体験の重要性
さりといて別にダンスで有名になろうとか、友達増やそうとか、自分が会を主催してどうこうしようとか、そういう野心がダンスに関しては本当に全くないので、ないどころか、
そういう余計なものを引き受けてしまうとまたそれが何か義務みたいになってしがらみとかができてきて、仕事でもないのに仕事みたいな負担になるって思っているのですよ。
仕事っていうのはそれ大変なことはありつつもうまくいった時の喜びっていうものがあるんですよね。
端的に言えば報酬が収入が売り上げがバーンときたとかっていう喜びがあり得るので、そのためにやるのがお仕事ですのでね。
それとこのかけた労力と天秤にかけて頑張ったからこその喜びみたいなところで、それがモチベーションとなって頑張れたりするんですけど、ちょっとダンスに関してはダンスでお金儲けとか本当に考えてないし、
私がこの実力の私がダンスでお金を稼がないと生きていけないとかなったらもう悲劇ですよ、それは本当に。どうしてもお金を稼がなきゃいけないのであれば、自分の持っている能力の中で最大に一番得意なこと、人より火入れているところ、そして楽にできること。
これで持って仕事していかないと辛いばっかりの人生になってしまうので、私で言えばやっぱりインターネットに関するツールが使えるっていうところが強みなので、そこのジャンルで勝負しなかったらもうやる前から負けが確定しているという状態ですのでね。
これは皆さんに励ましてもらえたらそういうことじゃないんですよ。いっこさんがんばればできるよとかそういう問題じゃないんです。
それは失敗じゃないです。人にはそれぞれ向き不向きっていうもの、それから好き嫌い、得意不得意、やりたいやりたくないあるんですね。それを個性と呼ぶと思うんですけど、この自分の個性に合った道が絶対あって、その方角に進んでいくのが私にとっても幸せだし、周りの人にとっても自然なことで最大にメリットが得られる方法なので、
やみくもに他の人がそれをやって成功しているからといって、いくこさんもそれをやったら成功できるわよなんてことはないんですよ。だからこそ私がワクビズをやる意味があって、世の中にこれをやればうまくいくっていう方法が5万とある。
本屋とか行ってみたらもうそれだけで1コーナーできるぐらいあるわけじゃないですか。ノウハウは揃っている。なのになぜかうまくいかない。絶対に自分がどの方角に向かっている人なのかがわかってないから、とんちんかんな、見当外れなところで努力をするから、そういうミスマッチが起きてくるんだと。
もう私は本当にそういうふうに思っているので、そのミスマッチを防ぐというか、自分的にはこっちだよなと思っているところに本当にちゃんと向かっていく。それがたとえ周りの人々と違う方向だったとしても、自分を信じてそっちに一歩ずつ向かっていく。そのことでしか人って幸せにならないと思うんです。
今現在が100%幸せだという人もいるでしょうけど、残念ながら人生には120%幸せとか200%幸せとか上には上がありますので、今100%幸せな人も1年後も100%が維持できているとは限らないわけですね。
いつも言う話ですけど、自分自身が劣化していくからですよ。年を取り、能力が下がり、そして時代が変わり、その時代についていけなくなりというふうに、どうしたって放置したら今持っている価値は低下するわけですから。
劣化する自分を120%、140%、160%というふうに盛り上げて、自分にとって一番良い道に自分を連れていく。これは個人に与えられた責任だと思うんです。他の人はどうこうしようとか私は思わないですよ。
だけど自分が自分を幸せにしてあげる義務は絶対的にあると思う。そうでなければ神様がこの世に私たちを授けてくれた意味がない。それは多くの人を導きたいという人も中にはいて、そういう人は勝手に頑張ればいいじゃないですか。
でも私にはそんな義務はないですから、生まれた時から。だけど誰か他の人がやってきて私を幸せにしてくれないかなみたいな、そんな受け身な、受導的な。うまくいかない時は誰それが助けてくれなかったせいだとかいう、そういう生き方をしたら罰が当たると思っています。
少なくとも自分がやりたいなって思ったことは、自分がやれなかったとしてもそっちの方角を向く。そういうことがやりたいなって思っておく。それぐらいだったら誰にだってできるじゃない。
希望の水槽
だけどそれすらやろうとしないのが、まあまあ今の一般的な、そんな大それったことを考えちゃいけないよとか、身の程を知るって大事だよとか、そういうのはすごい人ができることで私たち庶民はそんなことを考えちゃダメだよとか、平気で言うじゃないですか。
私は言われてきましたよ、ちっちゃい時から。周りの人中みんなそんなこと言ってたもん。親も親戚も、学校の先生も、友達たちも、だいたいそう言ってた。そんな夢みたいなことを考えるんじゃないよって、目の前のことをちゃんとやんなさいって言われて育ってきてるんです。
60になったのに、なんか違うよなって思ってるのに、いまだに周りってそんな人が多いんですよ。どうするっていう話で、もうそういう周りの人をいちいち説得してもらうのも時間切れなんで、悪いけど私だけ先に行くねってなってます。ちょっと前から。
その結果は東京でダンス踊ってたりとか、サイファーやってたりとかっていう現象となって現れてるんですけど、もともとは私が心の中だけで、自分そっちの方が興味あるなってちょっと思ったと。
思った自分を否定せずに、そんなの無理だよとか思わないように努力した。それだけは確かです。それ以外に努力してないぐらいなんですけど、実は。
でもこういうのがあるよっていうお誘いがあった時には、勇気を持って乗るようには努力した。何もかも自分でお膳立てしててできるわけがないんですけど、よく注意してみてるといろんなお誘いとか声がかかったりとかアドバイスもらったりとかしてるんですよ。それに関して。
だけど自分が無理って思っちゃってると、そういうものに乗ろうともしない。考えも見当もしない。そうすると来たチャンスも消えていくね、一瞬で。
だからこそ自分が自分のやりたいな、なりたいな、興味があるなと思ったものに対してポジティブに自分自身だけは少なくともそれを認めてあげて、心の中にそれを持っとく。
そうして初めて、そういうお誘いとかちょっとしたメッセージを聞いた時にパッと掴むことができるんです。
大体、皆さんスーパー神王館でって言って映像が浮かぶでしょうか。どっかの山の中の奥の方の地下のとこに大きな水槽が作ってあって、めちゃくちゃ純度の高い水が張ってあるんですね。
不純物が混ざってない純粋な水っていうのがあって、その周辺に高性能のカメラがびっしりと敷き詰められていて、そうしてずっと観測していくと時々ごく小さな光がチカッと光るんだそうですよ。
この地下って何ですか。地下ですから光もないし光るはずがないところでチカッと光る。それはUFOではなくてニュートリの素粒子。
なんでそのところ素粒子来るよって言ったら来てるんですっていっぱい山ほどなんですけど小さすぎて目に見えないので、うちらの体の中も素通りして放射線よりもっとちっちゃいのでなんか組織に臓器に傷すらつけずに
臓器を作っている細胞の中の一個一個の細胞を作っている粒子の隙間をすいすいと通り抜けるほど小さいんですってそのニュートリのとかって。だからあるんだろうと物理学者は思ってるけど誰も見たことがないと。
観測しようってことでスーパーカミオカンデが作られて見つかったっていう話がだいぶ前にありましたね。私が思うにそういうことだと思うんです。興味がある関心があるそういう風になれたらいいな憧れてるみたいなものがその巨大な水槽で
時々それをその水槽を大事に自分の中に持っておくとチャンスっていうちっちゃいちっちゃいちっちゃい光が結構頻繁に飛び込んできている。だけど自分がその水槽の水を汚すんですよね。そんなの無理だわとか私は下手だから無理だわとかあの人は上手いからできるけど私はできないからそんなこと思っちゃダメだわとか
やったことがないからそんなのやったら怖いしやらずにいれば私は今のまま安全なのにそんなことやってみたら失敗するかもしれない。失敗したらもう命が取られるっていうほど恥ずかしい。失敗した私なんてもう生きていけないとかよくわけのわからないこといろいろですね。失敗したこともないのに取り越し苦労で先の先まで心配して
せっかくの自分の中に満ちている純粋な水がどんどんどんどん淀んじゃうんですね。濁っちゃうんですよ。濁っちゃうとそこにどんなチャンスが来ても黒いものとしか認識されないのでいや怪しい人が来て私を誘ったわみたいになるわけ。本当にそうなんですよ。
そうするとお誘いがなかったら新しいことってまずまず始まらないじゃない。でも誘われることが黒い黒いことだと思ったら誘われ誘いに乗らないですね。
その誘いが黒いのかそれとも透明な光なのかはその人の胸の中に溜まっている水の色次第。私はそういうふうに思います。
心構えと行動
どんなにどんなことでも逆側から見たら別のものが見えるのでそれが怪しいのかそれともチャンスなのか危険なのかそれとも喜びになるのかっていうのは見る方向次第なんですね。
その人がどう思ってそれに取り組むかこれは怪しいことだと思って参加したら怪しいものに実際になるしではなくてこれはチャレンジする価値のある素晴らしいことなんだと思ってチャレンジしたら素晴らしいことが起こるんです。
やる前の自分の心持ち次第でまんまそれとそれがそのまんま結果になるっていう思っていることがそのまま現実になる以上終わり。
自販機に100円入れて水のボタンを押したから水が出るのであって水を押したけど缶コーヒー出るってことはまあまあないわけですよね。
通常であれば。缶コーヒーが欲しいんだったら缶コーヒーを押すわけですね。水を出した人が偉くて缶コーヒーの人は悪いっていうそういう全然なくない。
何を望もうとその人の勝手ですよ。ただ自分が思っているもの欲しいと思っているもののボタンを押さなきゃダメでしょっていう話。
私に例えるとダンスがやりたいのかやりたくないのかと。どんなものがやりたいのかとフリースタイルがやりたいってできないのにやりたいかもって何年か前に思ったんですね。
言えるところではちっちゃい声で言ったりもしたんです。すぐやるってことじゃないよ。
そんなさできるわけないだろうって言われる言われそうな人とかそんなこと思うんだったらすぐ自分でやれよって詰めてくるような人の前では言わない。
話聞いてくれそうな人の前でちっちゃい声でポロッと言ったりしていたそのフリースタイルで踊るっていうことをが先週の日曜日に東京で現実にあったわけです。
私の人生に起きたわけですよ。自分が開いた会でもないのになぜかそこに行く成り行きが起きたんですね。
私はいつでも降りることができた。いやいけませんとか私ちょっと無理ですって言って断ることはできた。
ただ全てを断らずにイエスイエスイエスって言ってもなるべくその流れから降りないようにその努力はした。
別にダンスを必死に練習はしてない。分かるかな。
自分の心構えだけは自分が整えないと他の誰にも助けられないっていうことなんですよね。
そこだけはだけどお金もかかんない時間もかかんない努力もいらないので心がけるだけなんでそこだけは自分で自分を立志して
ダメなんじゃないかとか暗い方向に自分が考え始めた時におっとっとっとって言ってまたこれ考えてるって。
そんな考えることはやめて流れに任せようって何度も何度も思いましたよ。
本当に先々週のダンスのイベントも参加する前から迷ったし参加決めてからも行くって言わなきゃよかったって何回も思ったけど
その度にいやいやいやだけどやってみようよって自分を励まして行ったわけですけど
結局そういうこと何が言いたいかというと自分の中にある願いを自分で消しているんだよみんなっていうこと
他の人が来て消してるんじゃなくて自分が自分のせっかく進み切ったその思いを自分で濁している
だからそういう濁すような人が現れてくるわけなので全ては自分次第だなって
ここまで喋って気がついたんですけど私昨日行ったとある社長さんの講演会でこの話聞いた
その社長が同じ話し喋った怖いですね私今自分の言葉と思ってずっと喋ってたんですけど
待ってよと昨日社長同じこと言ってたなって思ってすごいですね
だけど真実は常に一つなんで本当にこの世を形作らせているそのメカニズムって本当にそういうことだと思うんで
誰の口から出ようが死がない私の口から出ようが社長の口から出ようがはたまたもっと偉い人の口から出ようが
同じなんですよ真実はいつも一つですよ
リアルならばもうやるべきことは一つで夢を持ったらそれを濁さずに今はできてないけど必ずそうなるって希望を持ってあげること
自己成長の必要性
自分に対して希望をプレゼントすることそれができる人とこれから私は出会っていきたい
ジャンルを問わずワクビズでは出会うけど他では出会わないじゃなくてワクビズでも出会い楽筆でも出会いその辺歩いてでも出会い
ダンスでも出会いっていう風に夢を育てられる力がある人と出会いたい
そうでないと世話をすることになっちゃうんですよね
私がその人の代わりにやってあげるみたいなことをずっと私してきてると思うんですけどそれだとお互いが幸せになれない
私も私のやりたいことを一旦置いてその人の仕事を代わりにやることになるしその人も本来自分がやる力があるのに私に頼むことで
自分ができなくなっちゃう自分の力がついていかない損をしているという状態になるんですよ
どんなことでも自分がやらなきゃいけない必要だと思うことでできますから
具体的に言うとツトムも本当にパソコンも全然ダメそういう機械音痴のツトムでも今自分で動画撮ってインスタに上げてるんですよね
できるんですよやればただできないと思い込んでるから自分でそれで他の人を頼るんですけど本当はできるやったことがないだけ
やったことがないことって初めは下手だったり失敗したりするんですけどそれはみんなそうじゃん赤ちゃんの時に1回も転ばずに歩けるようになった人っています原理的にありえなくないですか
はいはいして捕まり立ちして歩こうとするから歩けるようになるのでずっと寝たきりでいたら歩けるようになりませんってやっぱりそういう筋肉とかつくついてこないとダメだから歩けるようになるために練習して転んで立ち上がってをやるわけじゃん
それなのに大人になると転んじゃダメだみたいな1回でも失敗したら死ぬぐらいの勢いで最初から大成功しようとするんですよねそうするとできないに決まってるからやらずに終わるって本当に寝たきりで立ち上がらない赤ん坊みたいな立ち上がろうとしない赤ん坊みたいなそういう姿ですよ私たちの大人っていうのは
でもどんな大人も絶対赤ちゃんの時代があって今になってるってことは本能の中には自分で立ち上がって成長していきたいっていうものはあるはず封印されてるかもなんか枯渇しちゃったかもしれないけど本能的には昔は少なくともあったはずだからそれをただやればいいだけじゃないっていうそういう感じですね
自分に対してもそうだし特に本当に周りの人年を取れば取るほど周りがそういうふうに枯渇している人たちが増えていく感じが大変するんで60になったから70になったからもう80だからとか言ってないで今からでも自分のことは自分でやってくださいよって声を台にして言いたいです
本日は以上です
こんにちは自由で楽しい毎日を
イクコラボの金田イクコです
このポッドキャストは私の音声日記です
毎日の暮らしの中で気になったあれこれを気ままにおしゃべりしています
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