1. IKUKO Labo ワンダーランド
  2. 踊ってみたらどんどん欲が出て..
2022-05-08 27:58

踊ってみたらどんどん欲が出て、もはや踊らない世界には戻れない。

「踊ってみた」は象徴なのですが、つまりは、自分でつくった作品を世の中にリリースしたいという欲望。
小学生がやるような自由な遊び。

そこに一度はまってしまうと、もはや、他のことに時間を使うなど、想像もできないのです。

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こんにちは、IKUKO Laboです。
5月8日日曜日のお昼ちょっと前です。
ゴールデンウィークの最後の日ということで、どうでしょうね、皆さんどうお過ごしなんでしょうか。
私は、娘が明日から営業が始まるということで、調理関係なので仕込みのために出勤しまして、
帰ってくるのは早いと思うんですけど、とりあえず静かな時間を過ごしています。
昨日、2週間ぶりのジャズダンスのレッスンの日で、連休が挟まって1回抜けたんですけど、
レッスンの後に踊ってみた動画の練習と撮影をしました。
結構1時間半ぐらいやっていて、たまたまその場所が空いていたので、たっぷり時間をとってやることができて、
何だろうな、といろいろ思うことがありました。
踊ってみてかっこよく、それなりにね、とりあえずいいかなっていうぐらいのことができる感じが、自分の中にもすごい強くなってきて、
同時に昨日はたまたまインスタで撮影して下書き保存しておいたものが、何かのエラーが起きていて、
まず音が入ってない状態で下書き保存されたんですね。
これやばいと思ったんですけど、音を自分で後でつけようかと思って、ダウンロード。
これダウンロードができなくて、困り果ててですね、結局iPhone上で再生してそれをキャプチャー取って、
で、いつも使っているファイナルカットプロで編集するっていうのをやりまして、
それなりになんとかはなったんですけど、こうして大きな画面の、大きいって言ったってノートパソコンですけど、
ファイナルカットプロで開いてみると、画質の粗さが目につく目につく。
なんかいつもiPhoneって適当に撮って適当に上げるだけだったので、画質っていうことに全然意識が今まで向いてなかったんですけど、
昨日突然気がついて、どうやったら綺麗に撮れるんだろうって。
つまり画質も綺麗に撮りたいって思うように、昨日初めてなりまして、
それまでなんだったんだろうって、全然画質のことなんか考えてもない。
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自分がその振りを踊れるかどうか、でもいっぱいいっぱいで精いっぱいで、それしか見えてないっていう状態だったんですよね。
普通に考えて、インスタで撮影するのって画質悪いのかしらとか、
これっていうのは設定があるだとかないだとか、
それから私が使っているiPhoneが古いっていうこともないですけど、iPhone8なので、
最新の機種に比べたらすごいカメラ機能もね、それなりだと。
インスタ、TikTokぐらいはいいんですけど、今後もうちょっと長いのを撮るようになったら、
横長の位置の画角でYouTubeを意識して撮りたいなって思ったりしてるんですけれど、
さて、そんなYouTubeにあげるような動画をどうやって撮ったらいいんですかねと。
これも全部iPhoneすかねっていう感じで、
これっていうのはついに機材沼にはまると言いますか、
極めようと思ったら上限なしみたいな世界で、
何かな、今やってるYouTubeは朗読なんでいかんせん。
こだわるとしたら音質ぐらいにも限界があるので、そこそこでいいやっていう風になっていて、
マイク1本あればできちゃうっていう世界に対して、やっぱり映像がつくものっていうのは、
やっぱり荒い画像で撮ったものを後からくっきりクリアにさせるっていうことは原理的にも不可能なわけで、
最初高画質のやつを落とすっていうのは可能かもしれないんですけど、
逆はできないよねってなって、
さりとて別に専用のカメラを買うなど一切考えられないので、
だけどiPhone新しいの欲しいなーみたいな気持ちではありますね。
それとあと何でしょう。照明とかですかね。
照明って言っても、普段例えばズームするのに自分の顔を照らすぐらいの光量のライトしか持ってませんし、
こんなん2メーター3メーター離れたら全然意味がないんじゃないかなって思ったりしながら、
そこまでいくとついに私のキャパを超えるって感じですよね。
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そういうことを極めたいから始めたわけではないので、
さりとてせっかく踊ったら、
昨日のがそうだったんですけど、せっかく一生懸命頑張ったのにこの画質みたいな、すごいがっかりするっていう感じだったので、
そこを最低限の画質はやっぱり確保したいよねみたいなね。
そんな感じがしたりして、
でも何が言いたいかというと、
ついにそんなことに気が回るぐらい慣れてきたぞということが言いたいのかな。
でも自分が何を一体したいんだろうっていうのは時折思いますね。
一緒にやってるけいこさんも、最近じゃあ次に踊る時の衣装をどうしようとか、
振り付けより先に衣装が気になるって言ってて、
昨日もけいこさん提供のお揃いのTシャツでやったんですけど、
やっぱりお揃いのTシャツとか可愛くて、
なんかテンションも上がるし、いいなっていうふうで、
だんだん一作一作撮るごとにだんだん欲が出てきて、
よりクオリティの高いものを作りたくなるっていう現象ですね。
ハマってます。
多分それと反比例してだと思うんですけど、
以前はすごく興味があったことに、全然興味がなくなっちゃうっていうことも同時に起こってます。
昨日ですね、3年ぐらい前に一生懸命やっていた、
エリクソン催眠っていうのを習ったっていう話をよくしてますけど、
その習った後に地域ごとに東京と名古屋で自主練が行われていて、
私、名古屋にそういうみんなが集まれる拠点を借りていたので、
タダで使えるよって言ってそこを提供して何回か自主練をしたんです。
場所を持っているので、勢い私が漢字のような形になって声をかけて集めてっていうのをしたんですね。
そうするうちにコロナになったので、じゃあZoomでやりますかっていうことで、
なんとなく今までの流れで、私エリクソンに限らずその前から結構勉強会があれば、
世話係というか漢字というかそういうのを引き受けることが多かったので、
その流れで一時期私もZoomの有料アカウントだったので、
いいよいいよとか言って段取りしたりしたんですけど、
なんかね、今回またその関係でちょっと声がかかって、
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夜Zoomで参加しませんか的な呼びかけがあったんですけど、
全然なんか本当に何の話だったっけみたいになっていて、
今エリクソンの絵の字もないし、
むしろその無意識をどうこうして自分の人生を改善しよう、営業正式を上げようとかいうこととか、
それを教えてセミナー事業を起こそうとか、セミナーをやっていこうとか、
自分セミナー講師になろうとか、
なんならそれで本出してそういう人たちの仲間入りをして、
ビジネスパーソンとしてやっていこうみたいな、
セミナー講師やっていこうっていうようなことも、
実は前からそれはないなと思ってはいたんですけれど、
もう今やどっか本当に別の惑星の話のような他人事に聞こえてしまって、
私にはなんだ一切関係ないっていうふうに感じたんですね。
それぐらいもう意識が朗読YouTubeと踊ってみた動画、
なんかもう本当にいっぱいになっちゃって、
それが楽しくて、それ以外のことって何でしたっけ、みたいになっちゃってるんですよね。
すごいですよね、この何か作るっていうことの吸引力、
それが何になるとか関係ないんですよね。
なんか夢中になっちゃうっていうか、
それになんか引っ張り込まれて没頭するっていうか、
そういうモードになったんだなっていうのを、
昨日エリクソンの呼びかけがあったときに、
はっと本当に気がつきました。
逆に言うと3年よりちょっと前だと思いますけど、
自分でもこれからどうしていこうかみたいなのを模索している時間が結構長くて、
もちろんその前は筆文字学を販売するっていうネットショップのオーナー運営であったので、
その通販とかネットショップとか何を売っていくかみたいなことを一生懸命考えた時期が終わり、
これちょっとできないなって、
詳細が詳細であれだし、
自分とあまりにも興味とかがあってないので、
他のものを仕入れて売るかとかも全然よう考えなかったし、考えれなかったし、
じゃあどうしようっていう時に一瞬そういう教育事業というか何かの先生をする、
オンラインサロンのような形で教えていくとか、
それがワードプレスであってもいいし、他の何かであってもいいし、
自分が得意としていることとか、あるいは知識があることとかで何かできないかなと、
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というかそれでやるしかないんじゃないかなって思って、
模索していた時期が何年間かあったんだと思います。
その一環としてそういったセミナー事業をやりたい人とかの関係、
だから人脈というか人とのご縁なんかも自分から出て行って繋がなかったら何にもないと、
誰も助けてくれないっていう何かそういう思い込みが40代の時にあったので、
それがすぐやりたいやりたくない、ちょっと置いといてでも、
何しろ人が集まるところに出かけて知り合いを増やすのは必要なんだ、
みたいな風でずっといたんですけど、
もうすでに3,4年前の世話がかりをしている感じをしている時から、
しんどいなと、何がしんどいって言って、
新しく入ってくる人の顔と名前が覚わらなくなっていたんですね。
何で覚わらないかというと、それぞれの人の個性がよくわからない。
例えばワードプレスといえば、新しい人が来ましたという時に、
その人がプラグインを作っている人なのか、テーマを作っている人なのか、
あるいは全然何も作っちゃいないけどすごいヘビーユーザーなのかとか、
その何かこの属性がいくつかの種類に分けられて自分の中で、
その中でその人の人柄とかっていうので分類ができて、
だいたい何々さんはこんな感じの人っていうのが分かって、
なおかつみんなフェイスブックとか、
情報提供的なことはやっている人が多いので、
そうやってつながっておくとその人となりが分かってきたり。
ところがエリクソン・サイミン関係のセミナーで知り合った人っていうのは、
本当に属性がわからなくて私から見て、
職業は分かりますよね。営業系なのか事務系なのかとかは分かる。
顔が分かる。以上終わりだとちょっと私にとっては情報が少なすぎて、
で誰なの?みたいに理解ができないというか。
特にエリクソンは後から入ってくる人が後になればなるほど、
キャラが弱いっていうのかな?キャラが薄い?
すごい個性があんまり分からない人が多くて、
本当に分からなかったですね最後。
この人誰だか分からないっていう人たちに呼びかけて、
集める?会をするっていうこともストレスだし、
その中でチーム分けをしなきゃいけないっていう場面があって、
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その時も結構無理だしって思ったし。
そういうことの経験が昔からあるのでできるんですけど、
興味が、その人たちに対する興味が私自身が薄らいでしまっていたのか、
かなり辛かったと。
その後コロナも来たけど、コロナの2年目に私は腰痛自粛で半年ぐらい自粛したと。
何もしなかったっていうところから、
そういった私にとってのインパクトのない印象の薄い、
誰だかよく分かんないっていう人たちと何とかつながりを保とうっていう、
そういう努力もできなくなってしまって、
それまで結構名簿みたいに名前書いたりとかしてたんですよね。
でもそれももう無理だってなって。
で、昨日、
本当にもうこれ誰か誰だか全然分かんないって思って、
なんかフェードアウトかなっていうふうに思いました。
でも本当にね、しょうがないですよ。
もうここに至って、今の、今日の私の感覚からすると、
それはね、エリクソン式の現代催眠っていうのはとてもユニークな方法を使うし、
本人に直接そのことを言わなくても、
課題が解決したりとかっていう不思議なことが起こる手法であって、
それをなんかその無意識を操作すると、
無意識に介入するというふうに説明がされているわけなんですけど、
確かにそうなんですけど、私自身がもはや、
そうやって他人の無意識に、
何だろう、介入する?意図的に介入する?
っていうことが本当に必要かなって思って。
で、それっていうのは例えば、
YouTubeの朗読チャンネルの登録してくれる人が増やしたいんですけど、
そもそもどこの誰か分かんないじゃないですか。
出会いさえしないじゃないですか。
それでも一個登録してくれるだけで私はすごく嬉しいんですね。
本当に嬉しいんですね。
それっていうのは、
他人の無意識に介入する手法とか使ってないですよねっていうところ、
それは無意識を大きく捉えて集合意識だとか言ってしまえば、
それは全て私の無意識へのアプローチなんですけど、
そんなこと言ったら何もかもがそうだし、
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だったら逆にそんな手法をあれこれ勉強するまでもない。
私がそう思えばそうなるんだ。
願えば叶う。
意識がそのまま現実になるのだとしたら、
それこそそんな勉強必要ないし、
それを教えるシェミナーとかも必要ないわけじゃないですか。
極端ですけど。
だから私にとってすごく嬉しい。
ものすごく現実的にありがたいっていう、
そういうインターネットを介して偶然性で出会っていくみたいな、
そんなネットを介さなくてもいいんですけど、
現実の出会いでもいいんですけど、
本当に偶然たまたま何かの公園でつながっていくみたいなこと、
それが全てだし、それでいいと思ったし、
そんな人の意識をどうのこうのして、
あれこれっていう暇があったら1個でも自分のコンテンツを、
自分の作品を1個でも多く作った方が良くないですか?
っていうところに来ちゃったわけ。
踊ってみた動画の質がどうであろうか、
朗読がどんなであろうが関係ないんです。
私にとってはそれが今私の作りたいもの、
今の力で作れるベストであって、
これが究極の完成形とは思わないけれども、
でも今のベストであって、
それでも1つ何かを作り出したことには変わりがなくって、
だって昨日までそれは存在しなかったコンテンツじゃないですか。
動画。
動画コンテンツ。
それを1個作ってこの世に公開できたっていうことで、
私はポイントゲットだな。
一点ゲットみたいに思ってるわけ。
この世に生まれて、
いろんな経験をしてきて、
小さい頃から本ばっかり読んでとか、
いろいろな体験とかを積み重ねてきた中で、
自分にとって何が価値っていったときに、
やっぱりそういう、
自分のコンテンツ、作品をこの世にリリースするっていうのが、
唯一私にしかできないことだし、私がしたいことだし、
そのことに対する評価は知らないと。
だって自分ではコントロールできないじゃないですか、評価なんて。
だし今がベストっていうことでもない。
ここが究極だ、ゴールだ、到達点だとは全然思わないどころか、
ここが出発なんですけど、
出発しないことにはゴールにもたどり着けないわけで、
とにかくどんどん自分のコンテンツを作り続けようと、
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作り続けたい。
ダンスがダメなら、朗読がダメなら、
また何年か後には別の何かをしているかもしれない。
それは今の時点では分かんないけど、
ずっとコンテンツを作る人でありたい。
作ることが楽しい。
作ることしか楽しくない。
そういうふうに変わってきたっていうことですね。
なのでそれ以前の人脈作りのためにとか言ってた、
そういう一切がもはや意味を持たないというかね、私にとって。
そこにもちろん身を置いて参加して、
時間を共に過ごすことはできるんですけど、
そうして過ごす時間に何の意味があろうやと思ってしまう。
本当にその時間があったら一つでも動画を編集した方がいいし、
まだ私もYouTubeチャレンジャーで始めたばっかりで、
全然何にもなってないわけだから、
一生懸命やり続けることが必要な時期だし、
ずっとそういう時期なのかもしれないけど、分かりませんけど。
本当に二兎を覆うものは一兎もえずじゃないですけど、
あっちにもこっちにもいい顔して全部、全方位、
何かあるといけないから全部やっとくとか言ってて、
一個も物にならないっていうことかなって最近思って。
何を切り捨てますかって言った時に、
他人の評価軸で切り捨てると、
もちろんこのダンス動画とか切り捨て対象ですよね。
だって一文の得にもなってないし、
YouTubeだってこんなのやったってダメだとか言われてるし、
なんですけど、それ他人の目線から見た評価軸であって、
自分が時間をそれに投入して過ごしていて、
その反応とかをもらった時の、
この何とも言えない喜び、
ちょっと魂が震えるじゃないんですけど、
そくそくそくっとするような、
コメント一つもらうだけでそくそくそくっと嬉しいっていう。
いやー今までやっていてよかったって。
一つのコメントで毎回そう思うみたいなね。
そういう体験ができる活動というのは、
今の私にとっては踊ってみた動画か、
朗読YouTubeしかないかな。
そうですね、それだけですね。
なので、もちろんそれをもう生活のすべてにしてしまいたいなというところ。
大きく人生の舵が切られたんだなっていうのを感じました。
いつの間にかこの3月4月ぐらいで大きく変わったような気がします。
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まあこれでその後どうなるかわかりませんけど、
やっぱりこの進む方向がすごいそうだな、
90度ぐらい変わったっていう感じかな。
明らかに全然、もう90度まっすぐ進んでいこうという人たちと、
とても全然一緒にいられないみたいな感じの違和感があるので、
私の方がただ方向転換をしただけだと思うんですけど、
でもそうやって自分の人生の方向を自分で選んでいくということができるのが、
まず幸せなことだなと思うし、
長く学生生活とか社会人になるとかっていうレールの上に走っていたときに、
全然自分で思うような方向に舵が切れなかった、切らせてもらえなかった、
親やら誰かがなんやかんや干渉してきて、
子供ができたから結婚しなきゃとか、
とにかくそういうしがらみじゃないんですけど、
どうしても思うように、思う方向に行きたいときに行けない、ずっとそういう感じだったのが、
ここに来てようやく、腰痛自粛でいろんなものを自粛したおかげもあるんですけど、
ようやくいろんなものから離脱できて、
今やっと私の個人的なパーソナルな活動の方に舵が切れて、ようやく始めれたって感じなわけですよ。
だから私たぶん今小学生ぐらいの感じ、
誰も私を制約しなかったら、小学生中学生ぐらいからなんか活動をし始めて、
そのままやりたいことをやったとしましょうよ。
そうしたら今何になってますかっていうようなことを考えたときに、
62歳になりますけど、この秋で、その年にようやくスタートが切れたんだとしたら、
今小学生っていう感じで、この小学生の自分に向かってクオリティーがなんとかとかね、
そんなものやったってとかいろいろ言う人がいたとしたら、
それは私は大人の私としては、小学生の自分をスタートしたばっかりの自分を守ってあげないといけない。
そういう外野の心ない批判から。
っていうことだと思いますよ。
それは理想的には誰か周りにいる人が守ってくれて、傘になってくれて、
大丈夫だよあなたには才能があるとか言い耳元でずっとささやいてくれたならば。
って思いますけど、現実はそういう人がいなかったんで、
じゃあもう自分でその役もやる。
なおかつその花開いていく小学生みたいな、自由な自分みたいな自分を思う存分楽しむ。
っていうことかなと思って、今しゃべっているようなことが本当に生きるっていうことの中でものすごく大事だというか、
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これが本質だと思うんですけど、
こういうことを一言で言う言葉はないですね。
なのでくどくどしゃべりますけど、
本日も27分しゃべってしまいました。
お聞きいただいてありがとうございます。
では本日はここまでにしておきます。
お聞きいただきありがとうございました。
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