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こんにちは、IKUKO Laboです。
5月27日金曜日の午後3時ですかね。
それくらいの時間です。
今週は珍しく3本目ですかね。
この1週間でいっぱい録音をしています。
で、何かな、明日土曜日なんですけど、
だいたい同日月というのは、なんやかんやイベント事があったりとか、主にダンスのレッスンですね。
それがたまたまその曜日に重なっている感じで、
今日も夜に1つあって、明日は昼に1つあって、
あさっては別の用事で名古屋へ、
そして明けて月曜日の夜8時にヒップホップという風に続いていくし、
まあなんだかんだ週末ってバタバタするので、
平日の昼間というのが、時間をたっぷり自分の好きなことに使えるということで、
週末が過ぎるとホッとするっていう感じですかね。
まあ今日は金曜日なので、今日も夜から活動が始まるぞということなんですけれども、
今週はちょっとレッスンの合間の時間が短いので、
踊ってみた動画の撮影は行わない予定ですが、
次何を踊るかは決まっていて、
古いんですけど、ちょうどバブルの頃ですかね、もうちょっと後ですかね、
ブラックビスケッツのタイミングっていう曲がありまして、
これを踊ろうと言って今練習中です。
で面白いのが、練習動画をね私たちも探したんですけど、
マートナーのけいこさんの旦那さんがちょっとYouTubeで検索したら、
私たちが見つけられなかったような面白いレッスン解説動画を見つけてくれたりとか、
でこの旦那さんは、
同じタイミングの曲で、今風のね短い、
TikTokで流行っているらしい短い手振りのやつですね、
そういう振り付けがあるんですけど、
ご主人はそれを見て真似してマスターしたそうで、
すごくない?っていう話になっていて、
もちろん私はお会いしたことはないんですけれど、
退職して年金暮らしみたいな話をちらっと聞いたので、
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それなりのだいたい同年代ちょっと上ぐらいかなと想像していますけど、
よくけいこさんがレッスンの時に送ってきてくれたりとか、
近くの駅までっていうことをよく聞くので、
まめな旦那さん、もしかしてダンス興味ある?みたいな、
そんなこともあって、それで私の妄想が膨らんじゃったんですけど、
今ねけいこさんと私と2人なんですよねメンバーが、
だからどう頑張ったって2人横並び、
あるいは前後が入れ替わるとか、
その程度のフォーメーションしか2人だとありえなくてできないんですけど、
ここ3人いるとすごい変わるんですよね。
立ち位置がいろいろ収まりがいいっていうか、
真ん中に1人、両脇に2人っていう、
これがくるっと入れ替わってもいいし、
なんか絵面がいいっていうか収まりが良さそうだから、
3人欲しいなっていうのはずっと考えていて、
あるいは2人で撮るときに1人がカメラやってくれるとかね、
1人いるとムービングカメラできるんですよ。
カメラを動かすってやつね、今流行りの。
今2人なのでとりあえず三脚に固定のカメラで撮るしかないんですけど、
もう1人いてくれたらなっていうのが実は前々から私は思っていたので、
このけいこさんの旦那さんを巻き込んで一緒にできたら楽しいよねって。
ご夫婦関係が仲良さそうだからいいかなと思うんですけれど、
なんかこういうの最高に楽しくないですか?
全く本当に純粋な遊びを一生懸命やるみたいなのが楽しくて、
それがどうこうっていうんじゃなくて、
このノリですよね。
引退した人たちが集まってなんかわちゃわちゃやってるっていうのが楽しい。
そういうチームっていうかそういうチャンネルが作れたらいいなっていう感じです。
で踊ってみた動画もやっぱりシニアのものは大抵自分たちの年齢をすごい前面に出していくんですよね。
66、68、71歳の私たちが頑張っていますとかそういう感じで。
私思うんですけど、年齢は大体見たらわかるっていうか、わかるじゃないですか。
それをあえて前に出す必要があるのかなって。
どっかにプロフィールの辺に書いておくのはいいんですけど、
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いちいち動画の中に書き込んでまでアピールするほどの大切なことかなっていう。
その気持ちは何かって言ったら、こんなに年寄りなのに頑張ってるとか、
年の割に上手だねとかそういう感じっていうことは、
そもそも60とかシニアの人っていうのはダンスが踊れないのが当然と。
年をとってヨボヨボしてるのが当然っていう前提があって、
それなのにこんなに踊れている私たちとか、こんなに頑張っている私たちっていう、
そういう論理の構造なんですよね。
私は思うんですけど、いつも言うように何が現実に影響を及ぼすかっていうと、その前提の方ですね。
みんな当然、常識っていうかお互いそう思ってるでしょ、だからこうなのよっていう、
お互いそう思ってるでしょの中身の方が有効で、すごく無意識に作用してそういうのが。
だから年寄りだから踊れないとか、下手で当然とかいうとこが、
多分潜在意識に入っちゃうと思うんです。
言ってる人たちも入ると思うし、それをそうだねって思った人にも入ると思うんですよね。
それっていうのは悪いけど、年齢が例えば40代でダンスを始めた先生っていうのは、
私は40からでも頑張れたのよって、40歳っていうのをかなり年がいっているっていうふうに捉えて、
それでもできる私みたいに打っていくし、
この間見たのは50歳、50何歳でもこんなに踊れますっていう動画も見たんですけど、
50代はもう踊られていいで当然なのに、こうであるとか。
よく化粧品でもそうですね、50でも60でもシワがないとかさ、そんな感じ。
実際そういう人が多いことは認めるんですけれど、
あえてそこを強調してまで言い立てる必要があるのかなっていう。
私たちの動画を見て若いピチピチのギャルが踊っていると思う人なんか一人もいませんよ。
チラッと見ればわかること。
これが何歳であっても私たちが楽しんでいる、その楽しみには関係ないわけですよ。
60だから楽しいんじゃなくて、たまたま今これがハマって楽しいのっていう。
そこに年齢は関係ないっていうことじゃないですかね。
私はこれをシニアなのにっていうふうに切り取られたくないっていう感じですかね。
なんでみんなそうやって年代によって20代はこうあるべき、30代はこうであるべき、
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40代50代はこうで60になったら孫の世はみたいに。
すごくなんか形式的っていうか、固定的な考え方を全体に共有してますよね。
でもその60でっていう区切りは何かって言ったらやっぱり企業の定年がずっと60歳だったって、
今は伸びてますけどとはいえ60になったらもうなんかその役手って言って、
役職外れてって子会社に出向なったりとかっていうふうですよね。
役員でもない限りやっぱり60か65ぐらいで切られていくと思うんですけど、
そういう企業の都合の定年っていうところにものすごい影響されて、
60過ぎたら定年した後はもう寄せっていうふうに現役じゃない人みたいにスパッと切りすぎじゃないかなって。
そこにすごく違和感を感じてます。
私なんかは自営業ですから、パートナーも自営業ですから、
どこからも定年もなければ退職金も入ってこないので、
縛りがないっていうか、恩恵もない代わりにそういった縛りもないので、
59歳だった時と60歳だった時と何が違いますかって一切何も違わないんですね。
とはいえ大きな流れ的にやっぱり60歳を過ぎていくと、
いろんなそれまで自分自身も縛られていたそういうもの、年代によって若いのがいいんだみたいな。
若くて女らしいのがいいんだみたいなやつとか、
年を取ることに抵抗感があるとか、そういう気持ちは自分ももちろん経験してきて、
その年なりに若く見せようみたいなことを、今だってほら髪染めてますから、
髪の色で10歳ぐらいに受ける印象が変わるんでねやっぱり。
別に染めればいいものをなぜ染めないのかが私はわからないので、
なぜそこでシルバーヘアっていうかね、それが自然だからっていう、
思う人はそうすればいいですけど、
特に何も考えずずっと染めてるんですけど、
それっていうのはとにかく何歳になったからこういうふうに振る舞わなきゃいけないとか、
何歳を超えたからこういう服装をしなければいけないとか、
してはいけないとか、何かよくわかんないけど、そういう縛り全体に何の根拠があるんですかっていうことを最近は感じるので、
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よくマーケティングとかで差別化って言って、他の人にはない自分たちの売りは何でしょうっていうのをね、
昔も一生懸命そういうのをやったことがあって、そういう視点で考えていくと、
例えば今チームを組んで踊ってみた動画をやってます。ほぼほぼ10代20代の人たちが体制を占めて、
30代でも40代もいると思うけど、60を過ぎてる人は少ないよね。
だったらその年代だっていうことをアピールして差別化していこうっていう、そういう匂いを感じるんですよね。
やっぱり見る人のそういう常識、縛られている常識に沿って、その逆を行くっていうマーケティングみたいなやつですよね。
ただ、1年後にはもう一個年を取りますし、
自分の記念にね、何歳の時はこういうことしていたなって思い出すのはそれはありですけど、
それって果たして魅力なのかなって、ちょっと私よく理解できないです。
っていうことをちょっと感じたので、何に文句を言ってるかというと、そういう擦り込まれている常識みたいなやつですよね。
こうなったらこうしなきゃいけない。結婚したら早く家に帰らなきゃいけないとか、
子供の世話が大事でとかわかんないけど、なんとなくみんなが思ってる、こう振る舞うべきみたいなのってあるじゃないですか。
自分もそういうのに縛られて結構やってきた結果、なんかそのような成果が手に入ったわけじゃないので、
最終的に何が手に入っていきますかって言ったら、ほら60歳超えましたよって、官力でしょって。
で、孫からお祝いもらって、そこから先は孫の顔を見るのが楽しみで、
それで孫の写真とかを眺めて生きている。そういう人もいるよもちろん、同年代でも。
孫めちゃくちゃ可愛らしいから、その方が孫の写真だらけって人ももちろんいるんですけど、
いやいやそれだけを楽しみに生きている。そんな老人今時います?
80くらいの人の気持ちはよくわからないです、私も。
ただ60歳っていうあたりで行くと、ちょっと待てみたいな。
孫ができたら可愛いでもっていう人の方が多いんじゃないかなって思うんですけど、どうですかね。
っていうことが一つ。年齢で人を区切ってこうあるべき、こうあるのが当たり前みたいな考え方ちょっと無理なんじゃないの?
っていうことを言いたいのが一つ。
もう一つは、やっぱりそういう無意識に入っているものっていうことに人間はすごく影響されているし、
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気をつけないと、自分の中にそういう無意識の入っている価値観みたいなやつが本当かどうかっていうのは一切検証することなく、
たまたま生まれた家で両親がそういうふうに思ってたとか、
たまたま周りの親戚含め、学校含めがそういうふうにみんなが言ってたっていうことがそのままその人の常識になるんですけど、
ところ変わればとか環境変われば、お医者さんの一族だったとか、そういうところに生まれた子供っていうのはやっぱり別のものを信じて大きくなるわけで、
そうすると、みんなで共通して本当に信じている常識っていうののどれほどが本物なんだろうっていうことをちょっと考えたほうがいいんじゃないかなって思ったりしますね。
とはいえ、とはいえですよ、私は最近気がつくことが多いんですけど、
いつも考えていることや判断する基準というか根拠になっているような常識のほぼほぼすべては他人からあるいは社会からインプットされたものなので、しかもちっちゃい時、生まれてからこの方ずっと途切れなくインプットされ続けているので、
表現を変えると、催眠に入れられていると同じなんです、メカニズム的には一緒なんですよ。
悪意はないわけですけどもちろん周りには、ただメカニズム的にはそういうふうに当たり前でしょっていう形でどんどんどんどん入れ込んで、入れ込まれてきたものなので、
果たしてそれが自分の成功や自分の幸せや自分の満足、自分の人生時間を有意義に充実して送るために本当に必要なものですかねっていうところをちょっとやっぱり気にしたほうがいいんじゃないかと思ってます。
4年前、3年前になりますか、そういった無意識について、こういう無意識をこっちは意識的にコントロールできたら、相手の人をうまいこと営業とかでね、何かものを買わせたり、自分の意思を押し通すことに役立つんじゃないかと思って、
エリクソン催眠というののセミナーに出て、何度も何度も実習に参加して、その中で、そうか、催眠のメカニズムってこういうことかと、催眠術今からかけますって言われた時点ですでに入ってるんですよ。
この人は催眠術がかけれる人だとか、あるいはそれを始める前の会話の中にキーワードを織り込んでおいて、あるいは環境ですね、お部屋とかそういうのを工夫することでかなり誘導が効くんですよね。
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そういう前提って言うんですけど、前提に仕込みをしておかないと、いきなり何もないところで、では催眠かけますって言ってかけるのはすごく難しいというか、パフォーマンスで催眠術やる、ショーでやる人たち、あれぐらいの力がないと無理だし、かかんない人は全然かかんないんですよね。
ではなくて、かなりの人がかかると言われているエリクソン催眠の真髄は実は催眠術を始めますっていう前にあったっていうことを知って、その時に本当に天地がひっくり返るような、びっくり、目から鱗っていうんですかね。
あ、そこで入れるの?みたいなのを体感して以来、世の中のすべての出来事にそういった練り込まれた前提みたいなやつを感じ取れるようになって、そうすると人と人が関わるっていうことはすべてある種の催眠だなと、催眠の掛け合いだなっていう風に思えるようになった時に、
本物って何だろうってなった時、やっぱり人からこう誘われてとか、人からいいよいいよって言われてとか、人からあるいはプレッシャーをかけられてとか、追い込まれてとか、何でもいいんですけど、外部の刺激に反応して自分の中からやる気が出ているようなことっていうのは、本当じゃない可能性が大きい。
外部から何の要請も受けてないのに、何か勝手にやりたくなってやっていることっていうことが一番純粋に自分の本当にやりたいことに近い。ということ、まあ結論に至りましたね。この3年ぐらいずっと周りを観察した結果。
ということで前提には本当に気をつけないといけない。相手は本当に信じ込んでいるのでそれが正しいと、あなたもそう思っているでしょうぐらいの感じで挑んでくるんですけど、物の販売なんか思い出していただければ。
車屋さんに行って、車ないと暮らせないようなところなんで、一番大きな買い物っていうとね、やっぱり自動車の販売になるんですけど、もう一旦もちろん車は買いますよねぐらいの感じで、まずそこをスタート地点として買いは始めるじゃないですか。
当然私もその販売店に足を運んでいるわけですから、何らかの興味があって行っているわけだから当たり前なんですけど、でもすでにそこに至るまでにいろんなところでコマーシャルであったり、あるいは生活の中で、あるいは周りの人がみんな車に乗っているとか、車がないとどっかに行けないとか、いろんな生活の中ですでに車は必要だ買うんだみたいなことが入ってからの販売店に行くので、
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販売店さんはよその競合他社との差別化さえすればよくて、車がなぜ必要かみたいなことはすでに社会の中で洗脳が済んだ状態なんですよね。
だからそこから話が始まるわけで、あまりにも当たり前なんでこういうことが、誰も前提には気づいてないんですけど、車を必要としていない地域の人たち、電車とかがいっぱいあって、からするとどうしてそんなに車が欲しいのって思うでしょう。
それぐらいやっぱりその地域とかコミュニティとか家庭とかそういう身近な人間関係の中から、その中での常識みたいなやつがとってもとってもすり込まれているなっていうことを感じます。
今私、車を手放してですね。だって一家三人で二人が車を持ってるんで、乗りたいときだけ私使うねって言って貸してもらってるっていう状況で、何にも困らないわけで。別に自分のステータスをね、車は表現してないしそもそも。
車で私のステータスを判断するような人たちっていうのは意味がわかんなくないですか。
で、だってもう手放してしまうとその意味がよくわかんなくなるんですけれど、移動手段としてあればいいんじゃねーのぐらいに。
でも、車っていうのは私が住んでいる県の中においてはですね、ただの移動手段ではない何らかのステータスを、何らかの自分のアイデンティティみたいなのを反映する道具となっているようであります。
はい、というようなことで今日は何の話かと言いますと、無意識にすり込まれている常識あるいは前提には要注意ですねみたいなことです。
そして自分の年齢を年をとっているって自分60歳っていうのを年をとっているというふうに捉えてそれで売っていこうっていうような、そういうセンスあるって思いますね。
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うん、だって本当に別にダンスすることに年齢の制限なんかないじゃないですか、本当のところ何歳の人が踊ったっていいわけで、でそれをですよ、ああ年寄りがこんなことやっちゃってと思ったりとか、あれは下手だねとか、全然体動いてないじゃんとか、いろいろ批判する人がいたとしたらそれはその人の踊ることへの見方が狭いせいです。
自分はもっとすごいスキルがあったりとか、あるいはこう鑑賞する人たちでね、あの宝塚のファンの人とかそういう人たちみたいに、こう批評家みたいな目で人を見ている人たちっていうのもそういうふうにこんなに恥ずかしくもなくよくやるよねとか思うかもしれないんですけど、だから何ですよね。
私たち別に、すでにやろうと思った企画の段階から実際に練習したり、撮影したりしている時点ですでにおいしい、こうウニの中身みたいなところも味わっちゃっているので、それを見た人がどうのこうの言うのもタイムラグもありますし、そもそもそういう人たちから意見を私は求めていないので耳にも入らないし、
言ったら修学旅行の写真。修学旅行で楽しかったって言って、その写真を人に見せたら、その写真は修学旅行ですかっていうような感じ。本当の生の体験っていうのは行った人にしかわからない。行った人がその日その場で感じたことだけ。
で、そこに意味とか価値とかそんなにないんですけど、それでもやっぱり体験することには価値があるというか、そういうわーって思うような体験がたくさんある人生の方が豊かな人生だろうと思うので、それでもうそういう活動をとにかく続けていきたいし、そういうことをこんなややこしく言葉で言わなくても、
何これ面白そうとかって言って、ノリで入ってきてくれる人たちとつながっていきたいなって思って、そしてみんなで豊かな人生時間を過ごしてたらいいなと思ってます。以上です。
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