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突然ですけど、今日話す国風論、このアダム・スミスさんというのは、共感をするっていうことがすごく大事な彼の研究テーマなんですよ。
だからMikiさんはMikiさんで、あ、こいつ全然刺さってねえなって思ったかもしれないし、私も話をしててMikiさんにもうちょっと良さが伝えられたと思ったのかもしれないんですけど、そういう感情こそが、この国風論を書いたアダム・スミスの大事な研究テーマですね。
そうですね。
いや本当、ありがとうございます。今日の本のテーマでつなげていただいて、今日の本は国風論でした。
これは私がMikiさんにせっかくなので、Mikiさんがこうすごく慣れ親しんできた文芸作品を私に共有してもらうのと同じように、私も一応大学院までは経済学をしっかり勉強した人間なので、以前の金婚の本と同じようにせっかくなので。
経済学のど真ん中と同じように、経済学のど真ん中の本を一回、原著を読むと死んじゃうので、漫画でもいいから読もうっていうのがこの国風論ですね。
漫画になっててすごい助かりました。
で、漫画で読くは国風論。
漫画だからすごい助かったけど、1週4の時ちょっとまだわかんなくて、3週くらいしてやっとちょっとわかるみたいな感じでした。
3週してみた結果、国風論って結局何を書いてる本でした?
国風論はあれです。人々の生活を豊かにするっていう時に何がその豊かさをもたらしているのか、何が原因なのかっていうのを考察した本です。
何が豊かさをもたらすのかと。
を考察している国風論っていうの。
そうだなって思いました。
国風論正式名称は諸国民の富の性質と原因に関する研究と。
のが国風論正式名称でしたね。
昔政治経済の授業を高校の時にやった、プリントに穴埋めとかした時のことをめっちゃ思い出しました。
そういうキーワードがいっぱい出てきた。
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久しぶりに触れたキーワードで言うと、どんなのがありました?
重症主義、重症主義批判、デステフェール、
何だっけ、
そんぐらいかな、もう忘れちゃった。
みきさん、政治経済は得意でした?
得意だった。
そうだよね、そういうもんですよね。
工場政治工業とか家内政治工業とかやった気がするんですけど、それ国風論には出てこなかったなと。
確かに。
漫画の中には出てきますよね。
どんどん工場化されてっていうのが出てきますね。
デステフェールとか本当に15年ぶりぐらいに聞いた気がします。
私も15年ぶりぐらいに聞いた気がします、デステフェール。
経済学部に行くとこのアダム・スミス、別にアダム・スミスはやらないんですけど、
何というのか、
この富がどこから出てくるかっていう話のコンセプトみたいなやつは経済学の中にちょこちょこ入ってくるんですよね。
デステフェールもそうですし、アダム・スミスが何でデステフェール的なというか、
そういうものがいいと言ったのかってことを学部でやるわけですけど、
社会に出るとみんな、さっきの怒りの話じゃないですけど、みんなすっげーアダム・スミスに怒ってるんですよ。
そうなんですか?
みんな怒ってるんですよ。
アダム・スミスに?どうして?
正確に言うとアダム・スミスというよりか資本主義に対してめちゃくちゃ怒ってるっていう。
毎回すごい不思議な気持ちに私はなってですね。
だから私、大学院の時に付き合ってた彼女がちょっと思想強めの子だったんですけど、
資本主義経済っていうのは間違っていて、これからは価値主義経済になるべきだみたいなことを言ってたんですよ。
わかるかな?言わんとしてることは。
言わんとしてることはわかるんだけど、資本主義って価値主義ですよみたいな話をしたら彼女と大喧嘩になったことがあって。
でも価値をお金だけで測るなってことじゃないの?価値主義って言いたい気持ちとしては。
資本主義がお金で測るものというのは誰がどう定義したんでしょうかみたいな話を俺はめちゃくちゃしたわけですよ。
だってアダム・スミスの話の中にお金がどうこうみたいな話して1ミリも出てこないでしょうみたいな話をすごいしたんですよ。
泣いちゃうよ。
君が言ってる資本主義って何?みたいな。泣いちゃったんですけど。
結局そういう人がアダム・スミスが言っている連綿と続いてきた神の見えざる手が云々というのがおかしくてみたいな話をすごいするんですけど、
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そんなことアダム・スミスは言っていないし資本主義経済の君はそれは何を言っているんでしょう?みたいなことを資本主義に起こっている人を見るたびに毎度思うっていう。
確かに。
なるほどね。
1700年代でしたじゃないですかアダム・スミスって。
18世紀。
18世紀の人じゃないですか。まだ読まれてるのすごいなって思ったのと、
あと同時に今の時代からするとだいぶ素朴な、漫画だからかもしれないんですけど、すごい素朴な原則を言ってるような感じもして、
全体に対して目に見えるものの割合が多いっていうか、なんかそういう要素がすごいシンプルな中で言ってるような印象を受けました。それは漫画だからかもしれないですけど。
例えばどんなところで目に見えるものを大事に言っちゃうの?どんな感じ?
例えば最後の方とかで人が改革を行うのであれば、そのための人々の感情も配慮しないといけないし、人間ってそういう正義感を持っていると思いますみたいなことを言うと思うんですけど、
やっぱり想像すべき自分の周りの人々っていうのが、家族と自分の工場で働く労働者と取引先の人とぐらい、結構それでもカバーできてるよなと思って、今の時代ってそれだけ想像したら全然違うところから、
いやあなたはこういう立場で人が傷つくのわかってませんみたいなことをさされる時代じゃないですか。だからそういう意味で、なんか素朴な感じがしたっていうか、その目に見えるものの割合が全体に対して多いっていうか、そんな風な印象を受けました。
なるほどね。確かにね。
だからそういう時の18世紀にいってるものの価値の決め方と、今のものの価値の決まり方は要素全然違うよねとかは思った。思ったなという。
国富論の中である種触れられている富がどこから生まれるかみたいな話。結局その富っていうのは、その労働の常用価値から生まれますみたいな話漫画の中にも出てきたと思うんですよ。
人が働くことによってものに対して価値が付加されて、それがもう巡り巡っていく高さですみたいな話があると思うんですけど、それもすごくある種古典的な考え方で、
例えば今我々がやっているFacebookだとかTwitterXとかああいうものの価値というのは本当に労働の常用価値の合計なんでしょうかとか言うと、本当にそうでしょうかみたいな気持ちにも確かになるしね。
シンプルな経済を現想定した時の価値の考え方っていうのはそうかもしれないね。
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いやそうなんだよな。このアダム・スミスさんっていう人のあそこ有名な言葉は神の見えざる手っていう。多分政治経済の教科書とかにも出てくるやつが。
うん、習いました。勝手にこうやって需要と供給がこういったバランスがあって結果ここでピタッと止まりますよね。まるで神様が手を置いたかのようにっていう習い方しました。
なるほど。何で神の見えざる手に頼るのがいいんだと思います?
全体最適が一番とれるやり方だから。
それは何でだと思います?
世界の全体を見渡せとかいわゆる神視点を持った人間なんてこの世に存在しないから、だったら神視点はないっていう前提のもと、自ら自分の視界だけで頑張るっていう方がバランスが取れるっていうのは、それよりいい案が思いつかないからいいかなと思いました。
うん、みーさん本当にその通りの理解だと思っていて、私もアダム・スミスさん、アダム・スミスさんってこの人は別に経済学の教授でもなんでもないんですよ。
当時彼が経済学の師匠と言われるように経済学部っていう学部はなくて、彼は哲学家、正確に言うと道徳哲学家かなんかの教授なんですけど、
人間って多様すぎてわかんないよねっていうところから出発してるはずなんですよ。
だからすごい人間が謹実で、例えば同じような物事に共感をして、同じような物事を同じように判断をしてっていう人であったら、
例えばこれを物を出したらどんなふうに反応するかみたいなやつって読めるじゃないですか。
なんですけどそんなことをできないぐらい人間は複雑で多様であると。
だとしたら神の視点を持った人なんていないはずだから、そんなことをその人がさも持っているかのように、神の視点を持っているかのように振る舞うのは非効率的であると。
誰のためにもなりませんと。
だったら一定の共感とかお互いに対する配慮みたいなものを持った上で自由に活動をするのがいいんじゃないかと。
結局活動すると神の見えざる手が動いているかのように最終的には全体として調和が取れるんですよっていう話になるんですよ。
私すごく真っ当なことを言うなアダム・スミスと思ってたんですけど、さっきの話に一瞬戻っちゃいますけど、
みんな資本主義の話になると、お金のことばっかり大事にしてみたいな。
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あれ?そういう話?あれ?みたいな。
どこに行ってしまったんだろうアダム・スミスはみたいな話に毎回なると、とても不思議な気持ちになる。
ミキさんが途中で呼ぶと言っていたアダム・スミスのお母さんの飯を作ってましたみたいなやつ。
夕飯を作ったら誰かみたいな。
そうなんですよ。
女性が大事ですって主張するのは全然構わないんですけど、アダム・スミスの名前を出さないでほしいなみたいな話に毎回なる。
それでみんなが自分の身の回りのことだけ気にしてやったらうまくいくじゃん。
今となっては、300年たった今となってはほころびを見えるのかなとは思ってて、
それこそ環境という要因があるじゃないですか。環境。環境破壊めちゃ進んじゃいました、今みたいなこととかもあるし、
FNSとかインターネットとかって、ちょっと言ったことがバーってスプレッドしちゃったりとかもするし、
単純に見える人が全ての立場じゃないってことをもう私たちは知ってしまっているので、あらゆる立場の人を想像しようと思ったら感じがらめになって何もできなくなっちゃうし、みたいなことはありますよね。
そうね。
だからすごいシンプルな素朴な原則みたいには感じました。
アダム・スミスが言っていたのは、さっきの言っていた神の見えざる手みたいなやつが勝手に調整してくれると言っているが、
それってそもそも人間の道徳感情ってものが正しく作動してないとそうはなりませんよねっていうのが、彼とど真ん中の主張ですと。
なんでいうように近くのことばっかり気にしててもうまくいきませんよねっていうのは、まさにその通りで、
この市場の失敗っていう経済学部1年生で必ずやるやつ。
だから人間が好き勝手やっていても自然とダメになっちゃうものがありますとかいう話が絶対に出てくるんだけど、
アダム・スミスさんは一番最初の人なので、彼としては人間が道徳感情ってのを正しく扱えるようになると、
そういうものもうまくできるんじゃないかっていうことを言っていたと。
彼が言っている、どちらかというと彼は道徳哲学科の先生だから、もちろんそっちの方が彼はメインなんだけど、
4つ大事にする道徳感情の要素があるらしいんですけど、
1個は信領、慎み深くおもんばかるっていう信領ね、
信領、正義、博愛、自制、自分が自らを抑えるのを自制ね、
4つが主要な美徳で、そういう美徳を備えた人を社会の中で称賛をするっていうのがとても大事なことであると、
ということをその道徳感情論というもう1個の学の方ではいろんなロジックを用いて言っていると。
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もしかしたら彼が言っているこの4つをマックスにやっていると環境問題もなんとかなるとかもしれないね。
それになったら何か問題が起きたときに解決しちゃうみたいなエネルギーを感じないっていうか、その4つだけしかなかったら。
それでイノベーションを発揮するかみたいな気持ちもちょっとしたんですけど。
もっと豊かになりたいという気持ちはどうしたらいいんですか、普通に。あるじゃないか、人間として。
ある。
それはどこに持てばいい?
その4つを守った上で豊かになってくださいと言っている。
その4つを守った上で豊かになろうっていう。
その4つを守った上で多分人間っていくつかの側面があると。
それはまずは何かを消費するっていう主体ね、消費者としての一人と。
あとその労働者っていう側面と、労働者兼物を作るっていう供給者としての視点っていうのがありにあったときに、
その4つを守った上で全部やってくださいねっていうのが彼の主張。
豊かになるなんて全然構いませんけど、
信頼と正義と博愛と時政は損なわないようにしてくださいって言っているっていう。
でもまあ無理だよね、それはね。
そう、なんかむずい。
だからまあ。
むずいなと思った。
そうなんですよ、彼は実務家ではないので、部長としてはそういうことっていうことですね。
とっても哲学家っぽいな、どうぞどうぞ。
バランスが大事っていうのは、漫画ですら難しくてチャットGPT先生にだいぶサポートしてもらいながら読んだんですけど、
読んでるときに見えないものが少ないな、見えてるものが全体の割合を占めてるなっていう感じがしたから、
チャットGPT先生にGPT、私はこう聞いたんですよ。
このアダム・スミスの時代には転売屋とかいなかったんですか?もしくは陰謀論ってなかったんですか?
なぜなら利己主義がいきすぎると転売屋を生むし、
道徳を、協関を重視しすぎると陰謀論とかを信じちゃう人がいっぱい生まれるっていう感じになるんですけど、どうですかって言ったら、
チャットGPTの威悪、やっぱりアダム・スミスの時代にも転売屋とか陰謀論はあった。
だからそれは協関がいきすぎたら良くない例だし、利己主義がいきすぎたら良くない例です。
だからアダム・スミスの人はそうじゃなくて、バランスはどういうことを言ってたって返ってきて、やっとちょっと理解できたっていう。
どっちもバランスが取れる。
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そりゃそうだよな、絶対いるよな、転売屋。
そう、私、例えばアダム・スミスはメルカリとかどう思ってるんだろうね、こういうビジネスモデル。
アダム・スミスがどう思うかはちょっとあれだけど、経済学者の人からするとメルカリみたいなものは素晴らしいものだと思うよ、基本は。
でも作り手に還元されないじゃん。
還元されない。
そうそうそう、だからそういうこととかってどう思ってるんだろうって。
関係ないと思う。
何を言っているかというと、まず経済学者の人の、もちろん全体を代表してるわけじゃないけど、経済学の基本思想って誰が得するかっていう公平性の観点は基本的に扱わないのね。
なるほど。
ではなくて社会全体としての公正ウェルフェアっていう言い方をするんだけど、公正ってのは公正年金とかの公正ね。
それが増えれば増えるほどいいのよ。
だから例えば消費者が100、作り手が0っていう利益を手にしてるとするじゃない。
お互いに40、40になるより100、0の方がいいでしょっていうのが基本的な経済学の思想。
トータル80より100の方がいいでしょってこと?
そう。
だから例えばメルカリっていうものをどう評価するかっていう時に、作り手に還元されるかどうかは知らんと。
急遽言うとね、唯一の論点は社会的に公正が増えるかどうかであると。
それで売りたい人がいて、買いたい人がいて、トータルでプラスになってるんだったらいいんじゃないですかっていうこと。
で何と比較するかというとじゃない状態は、物がゴミになって捨てられてますよねと。
だったら売れる方がいいんじゃないですかっていうのが多分自然なロジックだね。
作り手が何かなんですか、でもその人多分メルカリで買えばいいんじゃないですか。
なんかああいう方で満足したらいいんじゃないですかって原理主義の人は言うだろうね。
だからアダム・スミスがどう言うかっていうのは、現代の経済学とはすごくギャップがあるから難しい。
さっきのは別に経済学一般の中でもその公正を全く気にしないとか平等気にしないって頭おかしいでしょって思ってる人ももちろんいるわけ。
だからまあスタンスの問題なんだけど、貧困の本の時にも話をしたかもしれないけど、経済学の中のもう同自由法人派っていう人もいるんですよ。
もう政府なんかない方がいいみたいな。
アダム・スミスの一段階で言うと国家って国防と司法と公共事業っていう3つはやった方がいいっていうのがアダム・スミスの基本的な国家の役割。
だからそれに一応言ってるんだけど、すごい過激な一般の人たちはもう政府なんか基本的にない方がいいと。
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究極言うと医師免許なんかなくてもいいとか運転免許もない方がいいって言ったりするのよ。
なんでかっていうとその医師免許は別になくても例えばめっちゃ上手い人がいるとするじゃない。
いいお医者さんには高い価格がつくはずだと。
こっちが受けるときに高い価格がつくと。
ダメなやつは価格がもっと安くなる。
値段がつかなくなると。
需要がゼロになるから。
だから価格が全部教えてくれると。
免許なんていうものは、みんなが嫌いな言葉で言うと既得権の政府の衆議院になるばかりでロスを負うばかりだから。
過激だ。
でしょっていう人もいるのよ。
価格が全部教えてくれるわけないじゃんって思っちゃいますね。
経験上そんなことはなかった。
そう思うじゃない。
でもやってないからじゃないとかってその人たちは言うわけですよ。
だからそういう完全自由法人主義じゃないからそういう変なことが起きちゃうんですと。
ご覧なさいよ。価格が全部教えてくれるからってこと?
そう。で仮にあなたが困っていたとしても関係ありませんと。
あなたはもうちょっと困るかもしれないけど、例えばその免許を管理するためのコストにかかっているお金とか。
医師の人たちが本当の医学じゃなくて医学の医師免許を取るための試験に使われている無駄な時間とか削減されたら全体としては良くなるでしょみたいなことを言うわけですよ。
繰り返しになくてこれはアダム・スミスが言ったことじゃないよ。
言ったことじゃないよ。
原理主義の人はそういうことも言ったりはするっていうのがあったりはすると。
みたいな人もいるから資本主義などとはっていう人が出てきて。
なぜかあまり関係ないアダム・スミスまでの流れ玉を喰らうっていうのが毎回の何かですね。
でも一方でずいぶん素朴な原理だなとは思いつつ、まだ私はこの世界、このアダム・スミスの言ってる原則の世界に生きてるなとは思って、
なんか300年とかじゃ変わらないんだな世界はとは思いました。
基本的にはこのベースじゃんっていうか、消費者と需要と供給があって、みたいなその差分でお金稼いで、
必要な3つ、国防と司法と公共事業も必要だよねって思うし、やってるなと思うし、世界中が。
そうだね。
アダム・スミスが批判をしていた重症主義っていうやつあるじゃない。
多分これ、今この重症主義やられたら我々めちゃくちゃ生きづらいと思いますよ。
重症主義ってなんだっけ。
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重症主義ってめっちゃ簡単に言うと、まず国が超頑張って、自分の国の中に富をため込みまくりましょうと。
なのでめっちゃ簡単に言うと、重症主義における国の豊かさっていうのは、金をどれくらい持ってるかっていうことです。
そうだそうだ。
だから簡単に言うと、たくさん品物を海外に売りまくって売りつけて、あんまり海外から物を買わないっていうのが一番いい豊かさでしょっていうことを言っていたのが重症主義なんだけど、
もし仮にこれに従った経済体制がまだ続いていたとするじゃない。
だとしたら三木さんも今スラックとかズームに課金するのは国族ぐらいの勢いですよ。
お金がアメリカに輸出するでしょと。
日本の富をため込まなければいけないでしょと。
とにかく日本にお金をため込みましょうっていう経済になっているはずだからね。
渡辺清水は批判した人ですよねそれを。
渡辺清水はそんなアホなことあるかいと。
あるかい交換してけってこと。
国として政府が金をため込んでるから豊かなそんなアホな話はないと。
それよりもその豊かさっていうのは別にお金をいくら持ってる金をいくら保有しているかっていうことではなくて、
労働価値みたいなことをどれぐらい作れるかっていうことに依存してますよねと。
つまりたくさんものを生産をしてたくさん交換をするっていう生産と交換ってものから富が生まれるんだから、
お金をどれぐらい持ってるかなんて知らねえよっていうことですね。
まだその世界に生きてますね。渡辺清水がそれを言ってくれてよかったってことですね。
そうだね。
でも超難しいのはさ、経済学やるとかなり序盤にやるんですけど、
お金そのものに価値なんかありませんっていうのもやるんですよ。
はい、習いました。学校で。
一万冊は紙切れじゃないですかって言うじゃないですか。
で、それはすごくアダム・スミス的なんですよ。
なんですけどみんなお金貯めるの好きですよね。
うん好き。
で、なんか円安になるとみんなすごいなんかこの世の終わりみたいな。
そうじゃないですか。
この世の終わり感ありますよね。
なんでなんでしょうね。別に日本にあるものは減ってもないし増えてもいないし。
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毎回すごい不思議だなって思うんですけど、
多分直感的にはみんなお金が大事っていうことなんでしょうね。
なんでなんだろう。価値が減ってるから。お金の面。
でもお金に価値はないはずじゃないですか。
ないのに増えてるとか減ってるとかなんでそれでこう。
確かに。
みたいなのを見てると難しいよねっていう。
経済むずいな。
人類難しいねみたいな。そう経済はとっても難しい。
そうなんですよ。