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カレーがうますぎてブチ切れそうになった理由は?
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脳がもう溶けそうなぐらいに
うまかったと
で、それに対して僕がムカついたっていう話なんですけども
このムカつきの感情って何かっていうとですね
なんでこんな世の中にうまいものがあるんやっていう感情なんですよ
で、もっと言うと
もうちょっと正確に言うと
なんでこんなうまいものは日常的にあるのに
ガンガン食ってはいけないような状況になってるのかっていうことなんですよ
つまり
人間って
特に現代社会ですよね
日本の現代において
普通に生活をしているだけだったら
ブクブク太っていくんですよ
これもちろん体質にもよりますよ
ただ
どうですか結構
太らないなーって言って悩んでる人と
なかなか痩せないなーって悩んでる人の割合ってどっちが多いですか皆さん
体感的に自分も含めてですよ
まあそのもちろん病気の方は一旦置いておきますよ
病気の方に関しては本当に何もちょっと言うことはないので
一旦置いておきますけど
普通に健康に生きてて
痩せなくて悩んでる人の方が多いじゃないですか
これって
世の中の一般的な
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裕福さの水準だったり
一般的な給料というか
生活水準において摂取しているカロリーの量と
体質がもうすでにマッチングしてないということなんですよ
僕はこれに対して結構苛立ちを覚えてるんですけどね
まあこれ
誰が良いとか悪いとかではないです
この状況に対してですよね
だって
吉牛毎日食っても美味いんですよ
しかも安いんですよ
多分平均年収以下の
年収をしかなくても吉牛は毎日食えるんですよ多分
で
美味いじゃないですか
で不健康になるじゃないですか
これ何なんでしょうねっていう
もっと昔ってそうじゃなかったはずなんですよね
って言うんですかね
普通に生きてて
太るという要は栄養型じゃないですか
僕は生きてないので分からないですけども
戦時中の話とかを見てると
栄養が足りなくて困ってるじゃないですか
栄養が足りすぎて困ってるって
端的に言うと人間の欲望がぶっ壊れてるということだと思うんですね
それに対してみんな普通に凶児をしてるじゃないですか
その状況を
人間の欲望がぶっ壊れてることが当たり前ということになってるじゃないですか
要はダイエット
軽いダイエットがデフォルトになってるじゃないですか
夜中に
食い物食っちゃいけないなってなってるじゃないですか
でも夜中に食いたいっていうことはそれが人間の本能なんですよ
おそらく寝る前に食った方がカロリーとかが
効率よく
体内に蓄積できるんですよ
そしてカロリーって貴重だったから
昔おそらく修了しかやってない時代とかってカロリーが貴重だったから
蓄積するのが正義だったはずなんです
だから
食ったら眠くなるんですよ
なんですよね
そこに対して
まず人間の体質そのものについて
苛立ちを覚えますよね
なんですよ
であとはこれはしょうがないんですけども
幸福度って何かっていう話は僕はよくここでもやったと思うんですけども
ハードルの調整だと思ってるんですね
つまり幸せであればあるほど
なんていうんですか
自分の幸福度の基準値が上がっていくんですよ
上手くて当たり前の状態にどんどんなっていくっていうことですよね
でまずいものが食えなくなっていくっていう
うん
じゃないですか
つまりこれ皮肉ですけども
世の中の料理人の方とか
メニュー人の方とか
そういう人たちが
自分の幸福度の基準値が上がっていくんですよ
だから
うまいものを食えば食うほど
自分の中の要は下の利手らしが上がっていくという感じ
自分の方とか世の中のお母さんもそうですよね
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家庭の
安いコストでうまいものを食わせたいと思って
みんな努力をしてくれてるわけです
僕の周りの人だったり
料理を作る方々はお店だったりお母さんだったり
っていうのは
でもそれによって
どんどんどんどん幸福の基準が上がっていってるんですよ
安くてうまいもの
簡単に手に入るうまいものっていうのが
周りにあふれかえればかえるほど
うまいものに対する感謝の気持ちって
相対的に薄れていくんですよ
これがものすごく皮肉だなと思ってるんですよね
だって幸せを与えたいと思ってるわけですよ
作る側は
そして僕も作る側になったらそれをしますよ
これって多分食い物だけじゃなくて
全てのことに言えますよね
なんかとにかく
僕は誰かに幸せになってほしいと思って
活動してるんですけども
幸せを与えれば与えれるほど
その人の幸せ基準値ってどんどん上がっていくんですよね
で僕ふと思う時があるんですよ
これ俺は何のために
幸せを与える活動してるんだろうと思う時があって
相手の幸せ基準値をただただ
いたずらに上げているだけで
じゃあ僕は一生その人の幸せを担保できるのかっていうと
ずっとその人の幸せ基準値を
僕が責任を持って上げ続けるっていうことは
もちろんですけどできないわけですよ
例えば社員でもそうですし
弟子でもそうですよね
当たり前ですけど子供だってそうですよ
子供だってそうなんですよ
一生僕は責任を持って上げ続けることはできますよね
おそらくほとんどの場合
僕の方が先に死ぬわけですよ子供なんて
だから無責任に幸せレベルを上げるだけ上げて
僕はいなくなるっていう状況にほとんどの場合になるんですよ
なんかこれとか考えた時に
もちろん良いか悪いかの判断はできないです
良いか悪いかの判断はできないのですけど
究極的に言うと僕のわがままだなって思うんですね
相手に幸せを与えるっていうことって
僕が今相手に幸せを
ちょっとこれ言い方わからないですね
相手に幸せを与えているという実感を
僕が得て僕が幸せになりたいと思っているだけなんですよ
つまり俺今相手に幸せ与えてるなーって
自分が思いたいがためだけに
相手に幸せを与えてるんですよね
思った時にね
僕がやってる活動すべてがある意味で
無意味に見えてくるというか
だったりするんですよね
これ言うと
じゃあ逆に幸せを与えない方がいいんじゃないか
という論法にもなるんですよ
幸せ基準値を下げる活動をしてやると
普段の何気ないことが幸せに思えるみたいな
戦争がある国に行くと
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平和だけで幸せに思えるみたいなことですよね
でもそれもそれでその瞬間その瞬間は
相手が不幸になっているわけじゃないですか
僕が相手に不幸を与えるということは
人生って刹那の中で生きてるので
意図的に相手に不幸を与えるって
その人にとって幸せかどうかって
僕には決めれないなって思ってるんですね
とかいうとこまで
僕多分一瞬で考えて
ココイチのカレーをバグって食った瞬間に
いろんな気持ちが爆発して
なんか苛立ちみたいなものになった
ということなんですけども
だからなんか
無茶苦茶な言い方をすると
麻薬と一緒なんですよ
うまいものを食って
麻薬を摂取しているのと同じなんですけども
それが良いか悪いか分からないですよね
ただまぁ
全てが認識次第だと思います
与える側も与えられる方も