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こんにちは。3人の子育てをしながら会社経営をしているワーパパCTOといいます。よろしくお願いします。
今回は批評について考えてみたいと思います。
批評とか評論とかをできる人は、教養がありそうな感じがしますよね。
辞書では批評はこのように説明されています。
物事の是非・善悪を指摘して自分の評価を述べること。
チャットGPTではこのように説明してくれました。
作品・行為・現象・出来事などに対する評価や意見を述べること。
批評という言葉には、非という文字が含まれるので、否定や非難といった意味に捉えられるかもしれませんが、
この非という文字は、否定や非難の文字とは異なっていて、「てへんに比べる」という文字を書きます。
この非という文字自体には、「是非を決める」とか、「品定めをする」といった意味が含まれていて、否定や非難という意味とは異なります。
何かを表示で論じることは難しいことのように思いますが、
例えば、映画や音楽や文芸といった作品を批評するときに、いろいろな知識がないと語れないような気がしますよね。
例えば、「この時代はこうだったから。」といった歴史背景。
誰々の作品をオマージュしているといった他の作家の知識がないと語れないかもしれないと思ってしまいます。
しかし、どうやら批評というのは、そういったものだけではないようです。
ここで批評家であり、メディアの編集長でもある宇野恒博さんという方の言葉について引用したいと思います。
批評とは変化を語ることです。
変化において一番大事な要素は、その変化がどのように起きたかということを言語化することです。
この言葉から、批評の本質は知識量などではなく、変化をどのように捉えるかということだと言えます。
もちろん知識があった方が、より素晴らしい批評ができるのかもしれませんが、本質的には変化を捉えるということが重要だということです。
先日、会社のチームメンバーが映画のオッペンハイマーを見てきたのですが、その時の感想を聞きました。
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その感想はだいたいこのような感じだったんです。
今まで、戦争や原爆についてはメディアでは目にしていたけれども、どこか自分ごとではないという感じをしていました。
でも、戦争映画を見ている中で、なんでかわからないけれども、自分が今生きている社会とこの出来事はちゃんと繋がっているんだということを実感した。
そう思って、歴史をちゃんと知らないといけないなというふうに思って、例えば第二次大戦に対することを調べ始めたりしました。
このような感想を教えてくれました。
この感想は、自分の中での心情の変化や、自分が社会とどう向き合うかというところについての変化を語っていて、
変化について語るという意味で、とても素晴らしい批評だなというふうに思いました。
作品そのものについて語るだけではなくて、その作品が個人、自分自身にどのような影響を与えたかということを語っているんですよね。
この個人への影響が積み重なることによって、社会に影響を与えていくというふうになります。
そう考えると、個人の中で起きた変化を語るということが、その作品が社会にどのような影響を与えたか、つまり変化がどのように起きたかということを語ることにつながっていると言えます。
以前の配信で、教養は自分から離れたものについて学ぶことといった話をしました。
何かしら自分の中で心情の変化が起きるということは、自分から何か遠いものに触れたことによって起きることが多いと思います。
先ほどの感想の話でいうと、オッペンハイマーという映画は、今から考えると少し前の時代、自分が生きていない時代の話ですが、
そういったものの話に触れることによって、自分の中で変化が起きたということを語るということは、まさに教養が身についたことといいますか、教養が深まることだなというふうに言えると思います。
今回の話は以上です。また聞いていただけると嬉しいです。ありがとうございます。