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2024-05-12 05:48

「嫌いな人の幸せを祈る、という謎行為について」

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[補足]

最後の方で唐突に出した「謙遜文化と自信過剰」の話は、①世の中には、同じ人間とは思えないぐらい(大げさ)違う考え方をした人がいる、ということと、②あまり極端になるのは問題だけど、ある程度みんな自分の考え方は自分で自由に決めていい(こうでなければならない、というギアス(呪縛)にとらわれなくていい)(少なくとも自分で自分の身(メンタル)を守るために必要となる程度のささやかな自由は当然あって然るべき)、ということが言いたかったのですが、言うのを忘れました。

 

[紹介した動画、Podcastなど]

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おはようございます。今回も、ぼいろぐやっていきたいと思います。今回のテーマは、「嫌いな人の幸せを祈る、という謎行為について」です。
皆さんはストレスを感じることはありますか?私は最近はコンビニの店員とのやりとりでストレスを結構感じることが多いです。
そういうストレスを感じた時にどうやって発散するかということについてなんですけども、いろいろ方法はあるのかなと思います。
個人的にお勧めしたいのは、「大きな声を出す」というのがあるんですけども、最近はあんまり大きな声を出せる場所も少なかったりとか、
あんまり集合住宅とかで大きな声を出したら、近所の方に迷惑になったりとかっていうこともあるので、カラオケ、私はカラオケが趣味ということもあるので、
カラオケで大きな声を出すということもお勧めではあります。何も問題は根本的には解決しなくても、大きな声を出すだけで、
いろいろストレスが発散できるということですね。ただ、根本的な問題は解決しなければ意味がないんじゃないかというふうに、
そういう考え方もあるかと思うんですけれども、すごいストレスが強くかかっている時っていうのは、だんだん冷静に考えられなくなったりとか、
動きが鈍くなってしまったりとか、頭の回転がちょっとスローになってしまったりとか、そういう副次的にどんどん追い詰められていって、何も考えられなくなるみたいなことがあるケースもあるのではないかなというふうに思うんですけれども、
そういった場合にそのスペースを空けて、自分の中にゆとりを持つ、余白を持つことによって、もしかすると問題解決がはかどったりに近づいたりすることもできるかもしれないとは思います。
ただ、確かに大きな声を出したからといって何も解決にはなっていないということはあるのかもしれないですね。
緊急避難的な応急措置という意味があるかもしれないし、そこで回復したエネルギーとか、そこで出てくるパワーとかを使って問題解決のほうにリソースを振り分けるということもできるかもしれないということで、いろんなテクニックがあると思うんですね。
あと、それぞれ各人ごとにストレスを感じ、ストレスと戦っている人、ストレスと付き合っている人はそれぞれ、それも多分人によって大きなストレスだったり、それほどでもなかったりとか、程度もいろいろだと思うんですけれども、それぞれの程度ごとにいろいろあの手この手でかわしたり塗りつぶしたり、いろんな方法があるのかなと思うんですけれども、
今日ですね、ちょっと紹介しようと思っているのが、「嫌いな人の幸せを祈る」という方法があるみたいなんですけど、これ皆さんご存知でしょうか。
基本的にはですね、自分をいたわるというか、自分に優しくする、というものです。自分で自分を傷つけてしまう人とか、いるのではないかと思いますけれども、
例えば自分なんてダメだとか、自分なんて何の取り柄もないとか、そういう「誰もお前を愛さない」的なやつですね。そういうんじゃなくて、自分をいたわって、自分は頑張ってるねとか、自分は健康でありますようにとか、そういうふうに自分のこと、幸せを祈るみたいなことですね。
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他の人とか家族とかを幸せを祈るのと同じように自分も祈るということなんですけれども、その祈る範囲がですね、どんどん広がって、その辺にいる人とかにも祈ったりとか、さらに広がって、自分が思い出したくもないような人とか、そういう人についても祈っちゃうみたいな、そういうアプローチがあります。
そういう嫌いな人の健康と幸せを祈るということで、「そんなことして何になるの?」っていうのが私の第一印象ではありましたけれども、結構面白いアプローチではないかなというふうに最近は思ったりしています。
これですね、YouTubeとかで検索するといくつか出てきますけれども、私が今回ご紹介しようかなと思っているのは野沢和香さんという方の動画になります。
いろいろあってですね、この辺り結構微妙なラインかもしれないというところを今感じながら喋っているところではあるんですけれども、この辺ってなんていうか、スピリチュアルであったりとか宗教とかそういうところに近づいていく部分の話ではあるので、ちょっとそういう警戒心が芽生えてしまう部分かもしれないんですけれども、
この動画の場合はかなりそういったところからは距離のある感じの動画になっているので、比較的お勧めしやすいかなということで概要欄の方に貼っております。
あとですね、もう一つ面白かった関係があるといえばあるけどそんな直接はない話として、今回のこのぼいろぐを撮るためにリッスンの方で検索をかけて関連するようなトピックを扱っているポッドキャストがあるかなというので調べたところですね。
英会話のトリセツというポッドキャストの中でちょっとそれに近い話があったなというのでちょっと聞いてたんですけれども、直接その話とは違うんですけれども、「謙遜文化と自信過剰」というトピックがあってですね、
日本人がかなり謙遜というか抑圧というか文化があることについて良し悪しがあるなっていうようなそういうトピックでしゃべられているのが非常に面白かったなと感じたのでちょっと紹介しようかなと思いました。
はい、では今回のぼいろぐは以上です。ではまた次回。
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コメント

正直、愛すことは難しい、とも思うのですが、 自分の敵は誰なのか(というか、自分が嫌いなのは誰なのか)という、あまり向き合いたくないかもしれない問いに向き合う辛さを緩和する効果もあるかな、と思います。

コーノ ちじゅ

大峰山の千日回峰行を成し遂げた塩沼大阿闍梨に、行を積んでも克服出来なかったのは人間関係、苦手な人を好きになる事と言われ、スッキリ諦める事が出来てますw (大阿闍梨はその後克服されてますが、普通の人では中々無理です)

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