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こんにちは、英語指導メンタリストのはじめ先生です。
このチャンネルでは、思考を変えることによって英語力と人生を劇的に好転させる秘訣についてお伝えしています。
今日のテーマは、「ゆとり教育とは何だったのか?」というお話です。
ゆとり教育、これを聞いていらっしゃる方の中にも、
私、ゆとり世代だ、とか言う方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。
会社の中でも、あの世代はゆとりだ、とか言われるみたいなことを話にも聞いたことがあるんですけれども、
実際に当事者だった方もいらっしゃって、その方たち少なからず被害者みたいな意識もあるのかもしれないですよね。
このゆとり教育、そもそも一体何だったのかというところですよね。
これは、ゆとり教育が提案された時には、本当に結構みんな、もう本当にそっちがいいよねっていう感じだったんですよね。
これがどうして出てきたのかということなんですけど、
1980年代ぐらいに非常に問題になっていたことに、校内暴力というのがありました。
学校の中で生徒が先生を殴っちゃうとか、いわゆるヤンキーたちが大暴れするみたいな状況があってですね。
で、そのアレル中学生とかいう、そんなフレーズが飛び交っていて。
僕ら、ドンピシャでその世代なんですよね。校内暴力世代なんですよ。
で、それ一体何なのかというふうになった時に、詰め込み教育みたいなことが非常に言われて、
特に第二次ベビーブーム世代で、僕らの時というのはすごく子どもの数が多かったんですよね。
なので、そこで受験もものすごく熾烈になるということで、ガリガリガリガリ教育を詰め込まれたというところがあったりして、その反動もあって。
例えば当時のドラマの三年美軍金髪先生なんかでは、本当に人間教育が大事なんだみたいなメッセージをやっぱり金髪先生がするわけですよね。
それに多くの人は共感をするような時代があったわけですよ。
で、そこで教育の、受験詰め込み教育ではない、もっともっと心にゆとりのある人間的な教育をしようじゃないかみたいなことで、
社会全体の気運みたいなのがあったんですよ。
それでゆとり教育というものが出てくるきっかけになったんですけれども、
結果的にゆとり教育が形で出てきたら、学習内容がおよそ3割削減されて、内容もめちゃめちゃ簡単になりましたよね。
非常に象徴的なのが、演習率が3.14だったのが3になったっていうところもあって、だいぶスッキリしたねみたいな感じだったんだけど。
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で、何が起きたかって言った時に、やっぱりそれで基礎学力がないねとかっていう風になって学力低下しましたと。
いろんなテストなどの数値を見ると明らかに落ちてたわけですよね。
それでこれでダメじゃないかという話になって、ほどなくしてそれが引っ込められたというか、ゆとり教育に対してちょっと揺り戻しが起きて、
今、教科書はゆとり教育前よりも分厚くなり、結構負担が増えているという状態なんですよね。
そのゆとりの時代の教育思想っていったら何か根拠があったのかっていうと、これがおそらくフィンランドの教育をモデルにしたんだと思うんですよね。
教育大国と言われたりするフィンランドなんですけれども、フィンランドだけでなくて北欧の教育全般にそうなんですが、
非常に学習時間が少ない。そして宿題もない。何ならテストすらない。
日本人の常識からすると、何それ?それで何になるの?みたいな感じがあると思うんですけど、
結局日本人の考える学力観と全然違ったものを持っているんですよね。
それを導入して新しい学力観という言葉が学習指導要領なんかにも盛り込まれるようになったんですけど、
でもね、多分ね、抽象度が高いというかわかりにくかったんだと思うんですよね。
単純に子どもの負担を減らすそのためのゆとりだというふうな捉え方をおそらくされてしまったんだと思うんですよね。
その根底にある教育思想の根幹の部分が理解されないまま、学習内容を減らしました。ゆとりができました。
結局子どもは勉強しなくなりましたね。やっぱりダメでしたねというような評価になっちゃったんだと思うんですけど、
そのゆとり教育の根底にあるフィンランドとかの教育というのは何を大事にしているかというと、
正解を必ずしも出すことではなくて、自分で考えて何か問題を解決するとかですね、
思考力とか判断力とか主体性とか、そういった人間力みたいなものを育てることにすごく力を入れているんですよね。
なので、自ら学ぶ力みたいなものを教えることによって主体的にどんどん自分で学んでいく子どもたちが増えていく。
結果的に教育の成果が上がっていく。
学び方を教えるというのかな、学ぶ心構えと学ぶ態度と学び方を教えるみたいなことをフィンランドをはじめとする北欧の学校ではめちゃめちゃやるわけですよ。
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フィンランドだけではなくて、例えばデンマークとかスウェーデンとかも非常に教育の成果が高い国として知られていると思うんですけど、
ベースにある考え方がそういうところなんですよね。
だからどれだけ多くのことを覚えさせたか、どれだけ多くのことを覚えたか、どれだけ正確に答えられるかっていう考え方とは全く違うわけですよ。
となると、じゃあ何が問題だったのかというと、結局そのゆとり教育の思想のなんとなく片鱗みたいなものですかね。
それを取り入れたものの、結局抜本的な教育計画改革になっていなかったってことなんでしょうね。
それは具体的にどういうことかというと、大学入試の制度は全くと言っていいほど変わらなかったわけです。
やっぱりそのペーパーテストがあって、それで点数が何点で、みたいな知識中心的なテストがそこに君臨している限り、
結局そのために準備するとなったら、高校はそのための準備をするしかないですよね。ゆとりなんて言ってられないわけですよ。
なので、ゆとり教育が失敗した理由というのは、システムの全体を変えるということをしなくて、
部分的なゆとり教育の雰囲気みたいなものだけを取り入れたことによって、あまりうまくいかなかったというところがあると思うんですよ。
でも、ゆとり教育が本当にダメだったのかといったときに、それってまだ明確な評価って出てないと思うんですよね。
しかも現行の学習指導要領は、カリキュラマは増えてますけど、書かれている内容は極めてゆとり教育の根幹にあるような人間的な力、
学ぶ態度であるとか、主体性とか判断力とか思考力とか、そういったものですね。そこはしっかり残っているんですよ、エッセンスとして。
それは、如実にカリキュラムにも現れてきていて、学校の教え方とかも変わってきているんですよね。
この10年くらいで、やっぱり子どもたちは確実に変わってきているところがあると、僕は体感をしているんですよね。
おそらく、また今の現行の学習指導要領を受けている子どもたちも、またその上の世代とは違った感じになってくるんだと思うんですよね。
ただ、やっぱり日本の学校が抱えている制度的な難しさというのが大きすぎて、形にするのが非常に難しいというところで、もがき苦しんでいる段階だと思うんですけれども、
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でも、改めてゆとり教育って何だったのかというのを、もう一回考えてみるといいんじゃないかなと、僕は思っているんですよね。
やっぱりどこかで日本人って常に百点主義というか、正解主義というかですね。
自分の中にあるものよりも外の基準にいかに自分を合わせていくかみたいなところがあって、それで心の居場所を失っていく人とか、息苦しさを感じている人というのが多くて、
それが今の日本の中に漂っている何ともいえない閉塞感みたいなものに繋がっているような気がして、僕はならないなと思っていて。
なので、今こそまたもう一度、ゆとり教育が目指していたものは何だったのかということを再評価するタイミングになっているんじゃないかなというふうに思ったりしたわけです。
ということで、今日専門的なお話でしたけれども、また機会があれば掘り下げてお話をしたいと思っています。
ということで、今日も聞いていただいてありがとうございました。また今日の放送を聞いてよかったよという方はコメントやいいねなどお願いします。
OK. Thank you for listening and have a great day.