2024-10-24 1:06:49

#29 女々しくて、辛いよ... 「嫉妬に耐性のある社会とその敵」について考える

嫉妬について考える。JEALOUS BEAST I'm in the mirror!


【今回の内容】

嫉妬を探索する/嫉妬をメタ認知する/“jealous” と “envy”/娘の彼氏に嫉妬する/嫉妬の重力場/シャーデンフロイデ/ルサンチマンとシャーデンフロイデの違い/陶片追放(オストラコン)/嫉妬を回避する4つの方法/SDGsやESGは嫉妬の回避手段?/CSRは古い/意図と無意識/構造主義者と実存主義者のすれ違い/自由意志はない/メリトクラシーと嫉妬/価値の評価軸を増やす/嫉妬に耐性のある社会を創る/単一の尺度で比較されると苦しい/モノをつくる/深井さんに嫉妬する/憧れと羨望/ポジティブな嫉妬/クソリプを送りまくる/共感と嫉妬は紙一重?/世の中の幸福の総量は決まっている?/有限な資源を奪い合う/パイが増える/どうやって評価軸を増やす?/自己完結満足/外部を知ると自己満足できない/同級生が株式上場して嫉妬する/生き別れた双子の世界線/嫉妬を肯定する/進化論を信じろ/ショーン、来日


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※このラジオは、個人の見解に基づくものであり、所属組織を代表するものではございません。


#白米FM #哲学 #嫉妬 #羨望 #メリトクラシー

サマリー

このエピソードでは、嫉妬という感情について深く考察しています。ジェラシーとエンヴィーの違いや、嫉妬を抱くことの根源的な理由について議論し、人間関係における複雑性を探っています。また、嫉妬の感情の複雑性とそれが社会に与える影響についても考察しており、特に陶片追放や若者の成功に対する嫉妬、現代企業に求められる倫理的行動について論じています。さらに、嫉妬に耐性のある社会とメリトクラシーの影響についても考察されており、意図や自由意志の捉え方、評価軸の多様化が嫉妬の軽減につながる可能性を探求しています。加えて、嫉妬の感情に焦点を当て、社会の中での評価基準や幸福の概念について深く掘り下げており、特に限られた幸福感を巡る競争の中で、共感や自己満足がどのような役割を果たすのかを考察しています。さらに、嫉妬は進化論的に見ても必要な感情であり、ポジティブな感情として捉えることができるという議論も展開されています。

嫉妬の基本概念
じゃあ今回、白米FM、始めたいと思うんですが、
今日のテーマは、嫉妬、ということで、
嫉妬、いいですね。
なんか前回、前回話した対立とか、その前に話した責任ともちょっといろいろ絡むかなとか、
もっと前に話したこととも絡めて、いろいろ話せそうだなと、繋がる点がありそうだなということで、
僕が読んでいた嫉妬論の本を、とよだくんに勧めて、なんか話そうよと言ったのが、3週間前ぐらいだよね、あれ。
結構空いたね、今回。
そうね。
そもそも嫉妬に対してちょっと興味があったのが、
これ結構人間だから、なかなか避けられないなっていうのが、
自分とか周りを見ていても、感じることとかあったり、あとは子供を見ていても、
子供が自分の友達に嫉妬して、なんかこう競ってたりとか、あとは親に対してね、
親に対してっていうのは、例えば他の男の子が、女の子が、僕に対してすごく仲良くしていると、
それに対して嫉妬して、パパを取られないようにしようとするとかね、
そういうのを結構身近にやっぱり見れるから、そういうのも含めて、
これはやっぱり人間の根本的な仕組みなんだろうなと思うんだけど、
理解を深めたいなっていうのがあったんだよね。
あともう一個あるのは、やっぱり自分が誰かに嫉妬されることとかを恐れているみたいな、
なんかちょっと攻撃と受け取ってしまうというか、
なるべくそういう目には会いたくないなって多分思っているとこがあって、
ある意味恐怖感というか、ちょっと恐れがあると。
でも恐れっていうのは、より理解を深めることによって、恐怖ではなくて、
こういう仕組みだからこうなっているのねみたいな、
なんかそういうふうに自分で捉え直せるといいなっていうのがあったんだよね。
はい。
なので、身近にいろいろ見ていると、自分自体ともに。
あとは、そういうふうに、なんかちょっと怖いものというか、
として捉えるんじゃなくて、なんか別の捉え方がないかなっていうのを探索したいみたいな、
そんなところかな、自分のモチベーションとしては。
嫉妬の種類と感情
うん。
なるほど。
これちなみにじゃあこの嫉妬論を読んでさ、
うん。
しおくんは何を思ったわけ?
そうね、まず嫉妬論を読んで、やっぱり人間のこう仕組みとしてあるもんだから、
無くすってことはできないなっていう。
そうだね。
うん。
それ俺も思った。
大前提だなと思った。
うん。
だから自分が嫉妬しててもしょうがないというか、それもあるだろうなとか。
まあね、そうだね。
うん。
なんかあれに似てるなと思った。
仏教思考の回でさ、反応したりとか、
何かこう、自分が反応してることに気づくみたいな話があったと思うんだよね、まずは。
うん。
だから仮に自分が、まあ反応、嫉妬という反応をしてて、
うん。
それにまず気づくとか、
あー。
それに、それが何でだろうって考えるみたいなステップが仏教思考にはあったと思うんだけど、
はいはいはい。
それかなって思った。
あー、そうだね。そうだね。
あとはその嫉妬論の中でも書いてあったと思うんだけどさ、
普通の人は、自分が嫉妬してることを人に知られたくない。
うーん。
はい。
ちょっと恥ずかしいことだとか、
はい。
まあ、すべきでない、持つべきでない感情だから、
まあその、気づかれまいとするみたいな表現があったと思うんだけど、
うん。
まあこれだから、ちょっと難しいトピックかなとは思ってて、
僕がとよだくんに聞いたり、とよだくんが僕に聞いて、
どんな嫉妬があったって言っても、なんか話しにくい、構造上そもそもなんか話しにくいのかなと思ったんだけど。
あー、いや別に俺はいいよ、オープンに話しても。
あ、そうだ。
あははは。
うん、なるほど。
なんかあのさっきの、あのー、まあ嫉妬は人に隠したいとか、
あー。
っていうのも、たぶんね、自分にも隠したいんじゃないかなって思いましたね。
あー。
なるほど。
うん。
気づいてない振りをしたいってこと?
気づかない振り?
たぶん無意識、無意識で気づかないようにしている節があるんじゃないかなと思ったし、
なるほどね。
なんか欲望の回でさ、他人を見てその欲望が湧くっていう風に、
あるよね。
話があったじゃん。
そこともかなりつながってるんだろうなと思った、嫉妬っていうのは。
あー、確かに確かに。
欲望と、他者を見ることによって欲望が湧き、それによって嫉妬が生まれるっていうのは、たぶん、
なんだろうね、必然なんだろうなって。
なるほどね、なるほど。
思ったね。
うんうんうんうん。
って感じかな?
うんうんうん。
あとね、俺が面白かったのが、その嫉妬にもいろいろあるよねっていう話で、
えっと、ジェラシーと、あとなんだっけ?
エンヴィー。
エンヴィーだっけ?は違うみたいな話。
で、ジェラシーは、えっとね、自分がすでに持っているものを他人に奪われそうなときに、
湧き起こってくる感情がジェラシーである。
で、エンヴィーの方は、自分が持ってないものを他人が持っているときに湧き起こる。
うらやましいとか、妬みとかかな?
うんうんうん。
があるっていう風に言ってて、
あ、そっか嫉妬っていう、日本語で嫉妬っていうとなんかね、一つなんだけど、
その中でもいろいろ複数分かれるんだなっていうところが結構面白かった。
うんうんうん。
そうだね、これは一個。
解像度が高まった。
うん、一段階分類があるんだなって感じだよね。
うん。
これはどっちが多いとか、なんかある?
これを、この構造を見て、あの一段階さ、深められてみて、
どっちが自分の、どっちを持つ傾向にあるんだろう?
嫉妬と社会の関係
あの、俺思ったのがね、ジェラシーを感じることってあんまりないなと思って、
自分の持っているものが、他人に奪われるみたいな感覚ってあんまり、
あんまり抱いたことないなっていう気がするんだよね。
これ、さっき僕が言った例でさ、子供が僕に抱いてる感情はジェラシーってことかね。
パパママが他の子に取られちゃうみたいな。
うーん、そうそうそうだね。
あー。
だから、自分が所有しているものなんかないっていう多分感覚があるから、
あんまりジェラシーの感情がわき起こらないのかもしれないなって思った俺は。
あー、なるほどね。
これでもさ、例えば、子供が自分のことをもう見なくなって、
誰かの方に取られるみたいな、なんだろう、
そういう、なんだろうね、感覚でもジェラシーみたいなのは生まれないのかな、別に。
うーん、そうかな。
それはもう子供の意思というか、俺にはコントロールできないことだから、
まあちょっと寂しいかもしれないけど、
でもジェラシーっていう感じではないかな。
そうだよね。
なんかクソーとか、俺の方を向かせてやるぜとかそういう気分にはならないよね。
そっか、大人になったなって。
これさ、例えば女の子を持ってる男の親が彼氏に対して、
ちょっとコラーみたいな娘に対して手を出すなとか許さんとか、それはジェラシーなのかな。
いやでもジェラシーかもしれないね、それは。
あんまりそういう認識なかったけど、そういうカテゴライズしてなかったんだけどさ。
あー、でもちょっとね、今それを想像すると、ちょっとジェラシー湧いてきたかもしれないね。
あの娘さんの方。
娘。
想像すると。
娘、うーん。
おいおいおいってなる?
ちょっと複雑な気分になるね。
そうだよね、やっぱそれがリアルに、しかも目の前で起こると。
ってなると、やっぱ相対化できないというか、俯瞰できないじゃないかなとか、
やっぱこれが嫉妬とか、まあ嫉妬っていうと2つを含めてだけど、避けられない理由なんじゃないかなって。
あの、やっぱ目の前で起きてる、すごい近いことって、どうしてもその影響力が強くて、強くなるじゃん。
何かが目の前で起きてることと、世界の反対側で起きてることだとさ、影響力が違って。
で、それを目にすると、やっぱその、その振動が大きすぎて、やっぱその、自分の心とかに影響する度合いをゼロにするのはやっぱ無理、難しいんじゃないかなって思うんだよね。
そうだね、ゼロにするのは無理だろうね。
ちょっと湧いちゃったりとか、あるよね。
まあでもその、湧くこと自体は悪いことじゃないんじゃないかなと思うけどね。
湧いたのに囚われてしまって、囚われてしまうのはあれだけど、
まあそれを湧いたことをちゃんとメタ認知して、うまくコントロールというか、できればいいのかなと。
まあでも認知が難しいってことなのかな、この前の仏教志向もそうだったけど。
気づくってこと?その自分の感情に。
うん、自分がね。
それはあるかもしれない。
あとは、メシウマ?みたいな話も書いてあったと思うんだけど。
シャーデンフロイデね。
シャーデンフロイデ。
はい。
これはどっちなんだろう。シャーデンフロイデ。なんかザマーミロみたいな。
シャーデンフロイデは多分エンヴィーの方にどちらかというと近くて、
自分が持ってないものを持ってる奴がいて、そいつがなんか悪い目に遭うというと、
なんか自分のラインに引き下がってきたみたいな感じがして嬉しいって話だよね。
だから持っている奴を見て、くそーって思うんだけど、
あ、持ってない側の方に自分とか戻ってきた、よしよし、それだったら許してやるみたいな。
そうそうそうそう。
感じ?
これがさ、前回話したフワちゃんなんじゃないかなって思ったんだよね。
あー、そうだね。そうだね。
ツイッターで炎上したのも、もともとやっぱり自分も持ちたいなと思っている人、エンヴィーを持っている人たちがいて、
これは見えなかったんだけど、見えなかったっていうのはその本にも気づいてないかもしれないよね、それに。
その妬みを持っていることに。
はい。
多分ミックスの感情でフワちゃん自体いいなって思うかもしれないし、
ちょっとでもネタましいなっていうところがあって、
で、そのフワちゃんがちょっと社会規範から外れたようなというか、
その人たちからすると良くないんじゃないってことをやっていると、
その妬みみたいなのがドライバーというか、ほら見たことかみたいな感じで人を借り立てるみたいな、
そういう一つの側面っていうのはあったりするのかなって思ったんだけど。
なんか俺はね、これフワちゃん事件はルサンチマンっていうふうにメモに書いてあって、
なるほど。
シャーデンフロイデとルサンチマンって何が違うんだろうなって思ったんだよな、今。
なるほど。なんだっけ、ルサンチマンっていうのは、
なんか自分が達成できなかったことを、なんかずっとくすぶってなんかこう、
ブツブツ言ってるみたいなイメージだったんだけど。
なんかどっちも似てると思うんだよね。
深い恨みや劣等感、未消化の怨恨、嫉妬を表す言葉。
嫉妬も入ってるね。
自分の欠点や劣位を他者に向ける強い感情。
ChatGPT先生に聞いてみるか。
最近また進化したからね。
ルサンチマンとシャーデンフロイデの違いは?
フランス語とドイツ語の違いですみたいな。
そんな?
まずですね、時間軸が違うと。
ルサンチマンは長期的な恨みであったり劣等感に基づいていて、時間をかけて積み重ねる。
シャーデンフロイデはその瞬間的に何か相手が良くないことがあった時にメシウマの感情を湧くことである。
確かに言われてみるとそんな時間っていう軸があるね。
ルサンチマンの方はどちらかというと成功者に対する怒りや憤りの感情であると。
シャーデンフロイデはそういう相手の失敗や不幸に対する快感なので、怒りと快感が違うと、まず感情が。
あとルサンチマンは自分の劣等感や無力さを隠すために生じる防衛的な感情であるが、シャーデンフロイデは他人の不幸を見て感じる浅い喜びであると。
シャーデンフロイデの方が軽い感じなのかなと思ったね。
短期的で瞬発的に怒る感じだね。
なるほどね。
だからフワちゃんは多分ルサンチマンだと思ったよな。
そうなんだ。
結構重いと思うよ、これは。
嫉妬の複雑さ
でもメシウマじゃないんだね。
どっちかというとツイッターみたいな方ってさ、パッて反応した短期的快感的な人も。
メシウマっていうとフワちゃんざまあみろみたいな感じだと思うんだけど、フワちゃん事件の反応はもっとね深刻な感じなんだよね、みんな叩いてるとか。
そうなんだ。
これはいかんみたいな、憤りで多分怒ってる感じがして。
だから多分シャーデンフロイデよりはもっと重い感じだと思う。
これは許せないみたいな、多分そういう感じだったと思うね、反応的に。
そうなんだね。
なるほど、ひとつまたわかったね。
そうね。
だから自分が持ってるかどうかっていうことと時間軸、重さみたいなのによって、
この嫉妬と一区にしてたものがいろんな小さな箱に実は分解できたと。
そうだね。おもしろい。
まずジェラシーとエンヴィーで別れ、エンヴィーの中にさらに多分ルサンチマンとシャーデンフロイデがあるんだろうな。
へー、おもしろい。
あともう一個その、陶片追放っていうワードが出てきてたと思う。
オストラコン。
うん、フォスターだっけ。ジョージ・フォスターに書いてあったのかな。
ジョージ・フォスター?オストラコンじゃない。
オストラコン。
陶片追放ってオストラコンじゃなかったっけ。
忘れちゃったけど。
まあなんかこの社会の構造上トップを落とす機能みたいな。
それ、あとは下剋上みたいな。下剋上っていうのかな。
なんかこれもフワちゃんと関係あんのかなと思ったんだけど、
なんかこう上に登り詰めていった人をボーンと落とすみたいな。
ちょっと間違ってることをやってる。トップはいらないみたいな。
なんかそういうふうにも捉えられるかなと思ったんだけど。
はい。
そうではないか。どうだろう。
トップを落とす?
トップを落とすとか、登っていったる人はなんかこう倫理的に正しくあるべきだ。
で、そうじゃないんだったら引きずり下ろせみたいな。
なんかそういう陶片追放っていう動きもあったのかな。
そういう側面もあったのかなって思った。
そうだね。
成敗とか、ジャッジじゃなくて、何て言ったっけこの前の。
原罰を下すみたいな話したような気がする。
誰がそのジャッジをしてるのかみたいな。その話なんだっけ。
断罪?
断罪だ。そうそうそう、断罪。
そう、断罪の話って、まあ陶片追放っぽいなと思ったんだよな。
あー、そうね。
なんか、やっぱりそういうみんなから賞賛とか、指示を受けてる人間っていうのは、
何だろうな、倫理的であるべきとか、
それをみんなに還元するべきみたいな多分、
規範があるのかなと思っていて、
フワちゃんはそれをやっていないというところで、
みんなの嫉妬というか、
社会的な動きの影響
を受けたのかなって思った。
そうね。それ、本の後半でも、
どう振る舞うべきかみたいな話で書いてあった気がするんだよね。
はい。
トップが上手く還元してれば、
その嫉妬とかをうまくコントロールというか、抑えながら、
うまくやっていけるみたいな。
そうだね。えっとね、俺がメモってるのが、
嫉妬を回避する方法があると。
それは4つあって、まず隠蔽すると。
嫉妬されるような事態があったら、それを隠すと。
金持ちが、自分が金持ちだよってことを人に言わないみたいな。
いうこととか、あとは否認する。
自分は金持ちではないと、
いうふうに否認する。あとは賄賂を送る。
自分を嫉妬している相手に何かしらの利益を与えることによって、その嫉妬を回避する。
最後の4つ目が共有する。
これがちょっと賄賂と似てるかもしれないけど、
多分自分が成功したおこぼれを周りの人間に与えると、その嫉妬を回避できるってことだと思うんだよね。
そうだね。
俺これで思ったのがさ、
私を取り戻す哲学で、
昨今はその善への意志が高まってきているみたいな話があったじゃない。
そのSDGsとかさ、ESGとかさ、
そういうのがこう最近盛り上がってきて、みんなそれに飛びついてると。
それって、これ嫉妬を回避するためにやってるんじゃないのかなって思ったんだよね。
そういうのが盛り上がってるの最近。
確かに。
社会的な平等っていうのかな。
あまりにも資本主義の格差とかが上がりすぎているのを、
自分たちが嫉妬されることを回避するための防衛反応として出てるんじゃないかなって思ったんだよね。
本当そうだね。確かにそれ捉えられるなと思って。
すごく大金持ちになった人が寄付したりとか、
社会に良い財団を作って、
社会とかより、例えば子どもたちとかね、
助けが必要な人たちに対して助けるようなムーブをするみたいなのも似てるかなと思ったね。
そういう意味ではその枠組みで。
そうだね。
なんかこれさ、聞いて思ったのは、別に意図があるかどうかとか、どっちが原因でこうなったかっていうのはちょっと、
企業がそういう意図を持ってやったかどうかは分かんないなと思ったのね。
っていうのは、いろんな企業がESGみたいなコンセプトを掲げて、
ESGでもいいし、ESB、ESC、ESDみたいないろんなのを例えばやってたとして、
たまたまその受け入れられやすいもの、
民衆とか、民衆っていうか周りの人たちに受け入れやすいもの、
もしくはそういうのをやってみたら、残ったものっていうのがESGみたいな動きだったりとか、
っていう可能性もあるかなと思ったのね。
だから上手く調和する、周りも、
あ、それだったらすごい儲けててもESGやってるしいいよねって。
必ずしも嫉妬を回避しようという意図があってやったわけじゃないとは思うけど、
たまたまそれがワークしたというふうにも捉えられるかなと思った。
ワークしてんのかな。
してないかもしれない。今途中かもしれない。
あんまりワークしてる感じないな。
それが最後に残ったとしたら、
そういう民衆、周りに対してお金儲けすぎてても、
ちゃんとESGに貢献してるからとか、
何々貢献してるから共有してるよねと、その儲けた分。
還元してるよねってなったら、
より生き残りやすくなってるかもしれないね。
陶片追放みたいな、下に引きずりを恐れる動きを受けずに、
いられると。
それはちょっと10年20年くらい古い考え方で、
CSRの時期は、今しおくんが言ってくれたやつだったと思うんだよね。
儲けすぎてて、それを社会貢献とかに還元しますと。
儲けたお金の一部を寄付しますとか、森の植えるのにやりますとか。
CSRって呼ばれてた時期は、多分それなんじゃないかなと思う。
今はもうちょっと広がってるというか、
ESGとかを蔑ろにしたら、
そもそも企業体として認められないみたいな雰囲気になってるんだよね。
フワちゃんがめちゃめちゃ人気者でお金儲けしてるんだけど、
徳のある人間であらねばならないみたいな。
それと近いものを求められてる感じがしていて、
企業っていうのはお金儲けだけじゃなくて、
社会にとっての、社会を良くするために存在するものでしょ、そもそもみたいな。
そこがベースに今なってきていて、
CSRよりもうちょっと切迫度が高まってる感じするんだよね。
だから何が言いたいのかよくわかんなくなってきたんだが。
でもさっき言った、そういう善への意思とか、
今、社会課題を解決するんだとか、社会起業家だとか、
そういうのってある程度恵まれてる立場の人間じゃないと、
そんな言葉は吐かないんじゃないかなと思ってて。
恵まれてる側の立場が自分たちの恵まれてる立場の嫉妬を回避するために、
そういったことをやろうっていう欲求というか、
欲望が湧いてくるんじゃないかなって俺は思ったんだよね。
でもさっきも言ったように、意図があるかどうか関係ないような気がしたんだよね。
ないかもしれないと思って。
そこがちょっとよくわかんなくて、意図がある意図がないってどういう意味だろう。
だから、社会起業家をやってる人が、
これだったら嫉妬を回避できるぜってやってるかどうかは、
関係ないというか独立してる。
多分それ無意識だと思うよ、無意識。
それはそうね。
俺が自分が恵まれすぎていて、
ギフトではなくてなんだっけ、ギフトか。
ギフトをもらうとバーデンになるっていうやつも、
同じ感覚だなと思ったんだよな。
だからそのバーデンをいかに返すのかっていうところが。
それを共有して、負担を減らす動き。
それに僕はドライブされてるんじゃないのかなと思ったけどね、
社会起業家的な動きをする人っていうのは。
いやわかんないよ。
僕は勝手にそう思ってるだけね。
中にはそういう人もいるかもしれないけど、
結果残ってる人、社会起業家として。
だから100人社会起業家になってみたいなと思って、
残った人が、
ここはもう全部憶測でしかないから、
なんていうか、根拠は別にないけどさ、
別に意図がなくても残る可能性はあって、
残る理由としては、
上手く社会にバーデンみたいなのを還元してるムーブだったから残った。
って言えるかなって思ったんだよね。
企業の倫理と未来
その意図があるとかないとかあんまりよく俺わかってなくて、
意図がない人間は起業なんかしないと思うんだよね。
意図がないっていうのはどういう意味なんだろうか。
ダーウィンの自然淘汰みたいな感じ?
だから進化したいと思ってるから進化してるわけじゃないってやつよね。
だからみんな有象無象にいろいろ考えて、
こうした方がいいって言うんだけど、
たまたまそういう風に残っていったものが、
例えば社会起業家で、今はこの時代にあってマッチして、
そうすると社会にも受け入れやすかったり、応援する人がついたり、
確かにそれだったらバーデンがうまく分散できるから、
やってる本人もうまく車輪を回し続けられるしっていう、
歯車がいろいろ合ったという構造的に、
そういうのが残りやすかったのかなっていう風に捉えられるかなと思ったんだよね。
それはあれかな、最初はめっちゃもう金儲けのことしか考えてなくて、
自分がいかに儲けられるかっていうことだけを考えてビジネスを始めたんだが、
それが全く意図せずに世の中の流れに合致して、
社会課題みたいなのを解決してしまっていたみたいなことを言ってるってこと?
それがみんなから。
ちょっと違うか。
この10年とか20年とかの幅でいっぱい会社があって、
どれが残るかみたいな、そういうマクロの面で見ると、
どういう会社が、最初は例えばすごい利益を上げる、
利益だけを追求している会社がちやほやされてて、
だんだん今でもそれだけじゃないよねってなって残っていったっていうのには、
そういう環境的な要因というか、構造的な要因があって、
今はそういう社会企業家みたいな人が残ったというか、
ひとつの形としてあり得てるんじゃないかなって。
残ってないと思うんだよな、それは。
今はまだ過程かもしれないよ。これから30年経ったらまた違う。
振り返ってみればね、この時代から残ったものは社会企業家じゃないかもしれない。
たとえばダーウィンの進化論みたいなやつって、環境の変化に合わせて、
自分が持ってた特性がうまく合致をして有利に働くみたいな。
有利に働いた結果、うまく生き残りましたみたいな話になるのかなと思うんだけど、
社会企業家とかそういうSDGsとかESGとかってやってるのって、
足枷を増やしてる感じがするんだよね。自分で自分に。
それは環境の変化に有利には働かないと思うんだよな。
でもさ、そういうふうに言うとさ、やっぱりメリットがあるわけじゃん、会社にとっても。
たとえば投資家からお金がそれでもらえるとか、会社の印象が良くなるとか、
旗振りをしてる人たちがそれだともうちょっと心地よく、何の理由かわかんないけど。
それによって残りやすくなってるかもしれない。
意図と自由意志の探求
でもそれは意図があるじゃん。自分のメリットを勘案して、
そういうふうに言ったほうが周りからの評判が良くなるっていうメリットを勘案して、
意図を持ってそれをやってるじゃない。
意図を持ってそれをやらなかったときって、メリットにならないと思うんだよな、それ。
ちょっと今ね、何どこから違いが来てるかわかった気がする。
多分、意図は、あのほら、とよだくんは多分当事者だから自分たちが意図を持ってやってるっていうスタンスだと思うんだよね。
で、意図が、自分たちが意思があるのかみたいな話で、僕は多分当事者じゃないから、
その人たちの意図も含めて、なんか環境要因みたいな感じで見ちゃってるのかもしれない。
ということ?
だから、意図というのが含めて、ちょっとなんか失礼に聞こえちゃうかもしれないけど、
僕はその意図の部分をあんまり深く見てないというか、何て説明すればいいんだろうな。
でもね、自由意志はないと僕は思ってるタイプだから。
意図がないみたいなスタンスなんだよね、多分。
だから、別にずれてないと思うよ。
俺も自由意志ないと思ってて、
その社会企業家的な人たちは、そうせざるを得ないからしてるんだと僕は思ってるんだよね。
その、と僕は思っている。
何だろうな。
そこに意図、意図っていう言葉とか意思っていう言葉の使い方の定義がなんかちょっともしかしたらずれてるのかもしれない。
ずれてるかもしれない、確かに。
本人は、あ、まあいいや、ちょっとなんか難しいなこれ。
メリトクラシーと嫉妬
せざるを得ないと思ってないけど、何だろうな。
なんか、そうね、多分そこだよね。
自由意志をどういうふうに捉えてるかが多分違うんだろうな。
なんかうまく言語ができないな、でも。
まあこれは、まあ多分今後対話を重ねていくうちにまた出てくるでしょう。
そうね。
それでまたおぼろげながら多分出てくるんじゃないか。
そうね。
対処法の話をしてたんだね。
はいはいはい。
で、聞いてみたかったのがさ、その後半にさ、メリトクラシーの話が出てたと思うんだよね。
で、アメリカってメリトクラシー社会だと思うんだけど。
そうだね。
それは、しおくんの立場から見てさ、どうなんだろう。
しおくんはさ、どちらかというとメリトクラシーのさ、上位層というかさ、側にいるんじゃないかなと僕は思ってるんだけど。
いやいやいや。
で、こう否定をすると。
そこ否定する?
いや、さっきの嫉妬の回避の方向でさ。
ああ、よくある。
なるほど。
そっかそっかそっか。
否認ね。
否認をしてさ。
嫉妬の回避の方向で。
そう。
それは何なの?やっぱ嫉妬?嫉妬を感じることとかってあんのかな。
いやだからさ、これ難しいのがさ、メリトクラシーである一つの尺度を持って比べて、その上下によって人が嫉妬するってわかってるんだったら、
まあ、そういうのを感じざるを得ないんじゃない。それがもうかなり明らかだとすると。
でも、最近はそれが明らかじゃなくなってきたとか、
おお。
例えばその、まあちょっと数十年前までは、
例えば年収があったほうがいいとか、車があったほうがいい、高級なほうがいい、高級なブランド物持ってるほうがいいみたいな、
はい。
まあ、何だろう、観念みたいなのがすごく強固にあって共有されたとすると、
もっと明らかに人の嫉妬とかを感じて、もっとあからさまに競ってたんじゃないかなと思うんだけど、
はいはいはいはい。
それが少し柔らいで、いろんな軸あるよねとか、それだけじゃないよねっていう風になってるかなとは思うけどね、アメリカでも多少は。
ああ。
なんかさ、この白米FMをやった初期の頃にさ、評価軸を増やすとかさ、
うんうんうん。
なんだっけな、何かを増やすとか多様化するとか。
そうだね。
何か言ってたよね。
価値基準とか。
価値基準とかだっけ。
うん。
そうそうそう。
で、ここに書いてあったのが、そういった評価軸が、一つの評価軸で勝ち負けとか上下が決まっちゃうと、
その嫉妬っていうところにすごい耐性がない社会になってしまうのだが、そういう序列的序列感じゃなくて、
その評価軸を多様化して、この軸で見ればこの人がいいし、でも別の軸で見たら別の人の方がいいよねみたいないろんな軸がある方が、
その社会的な序列が曖昧になると。
そうだね。
で、そういう方が嫉妬の耐性がある社会が作れるっていう話をしていて、
うんうんうん。
ポジティブな嫉妬の活用
まさに我々はこれをやりたいんだろうなと。
そうね。嫉妬に対する耐性のある社会を作りたいと思ってるのか。
そうそうそうそう。
しおくんが、一つの尺度で見られるとしんどいみたいなことを言っていたのも、やっぱりそこから来てるのかなと思って。
だからこういう哲学とかさ、これ白米FMでやってるようなことに価値を見出してるのかなと。
そうだね。あとは自分自身も心の動きっていうのかな、嫉妬みたいなムーブをしているなみたいなのを感じたとしたら、
それを柔らげるというか、2つ3ついろんな軸を持つことによって、自分も嫉妬に対する耐性をつけられるんじゃないかなと。
なんかそういう風に、そういう風にもとられるよね。
そうだね、そうだね。
自分がその一次元に巻き取られないように。メリトクラシーとか。
周りがみんなそうやって決めつけて比較してきても、自分はそうじゃないよと跳ねつけられるというか。
そういう動きだね。
だから嫉妬に耐性のある社会をつくるっていうパーパスで、我々は活動してるんだなと。
そういうことだね。
すごい。確かにそういう風にもとられるね。
すごくない?これ。
そうだね。
やっぱね、我々が興味関心を持つところってね、なんかやっぱ繋がってるんだろうね。
そうだね。根底は一緒みたいな。
無意識でやってるけど根底は繋がってるんだよ、全部。
どうなんだろう。とよだくんも嫉妬みたいなのをずっと感じるというか、周りが感じてるのを感じてるとか、
なんかしたら嫉妬にアンテナが立ってたってことなのかな。
自分が嫉妬されてるというよりは、
一つの軸で見られると苦しいというか。
どちらかというとしおくんはある一つの尺度で見て、わりと高い方にいることが多かったんじゃないのかなと思ってて。
逆に多くの人から嫉妬の対象にされることの方が多かったんじゃないのかなと思ってて。
僕はどちらかというと一つの尺度でとったときに下側っていうか、
下側っていうのになることが多かったような気がするんだよな。
でもその一つの尺度で俺を見ないでくれよっていう風に。
僕も見ないでくれよって思うよ。
そうか。立場によって、どこをどう見るかによってそこが変わってくるな。
やっぱりその見方って、この本にも書いてあったと思うんだけど、そうした瞬間に上には上がいるじゃん。
結局自分も下になるわけね。見る範囲を変えると。
だから結局永遠とこの連鎖から逃れられないからさ。
そうだな。
僕も今言ったようにとよだくんの言ったスキームで言うと、僕も下側にいるわけよ。
その見方によっては。とある見方によっては。
それってきついじゃん。
あー、そっかそっかそっか。そうだね。それが嫌なんだね、お互い。
そうそうそうそう。
お互いそれが嫌なんだよ。
だから価値観、評価軸を多様化したいんだ。
うん、そういうことね。
あとね、俺が面白いなと思ったのが、後半の方に、終わりの方かな、個人が嫉妬から逃れるためには、
三木清ですかね。三木清ってこれは哲学者かな。が、物を作れと。
物を作ることによって、そうすると自分の輪郭っていうのがはっきりしてくると。
そうすると人と比較しなくて済むようになるっていうふうに言ってて、だから物を作れっていうふうに言ってると。
俺が物を作りたいっていう欲求を持ってるのも、そこから来てるのかなって思ったんだよな。
それをやってる間は、そういう比較対象から逃れられるみたいな。自分のサンクチュアリーを作れるみたいな。
あー、そうね。そうそうそうそう。
で、あと俺がこの白米FMを始めたのも、コテンの深井さんに微妙に抱いてる嫉妬心を昇華するために始めた可能性もあるなと思って。
あー、なるほど。
そことは違う軸っていうのを、自分でどうにかしてこうひねり出そうとして、この白米FMを始めたんじゃないかなって思ったんだよね。
やっぱね、似てるなーって思ってて。似てると嫉妬心が湧く?
そうだよね。似てると比べられちゃうっていうやつだね。あまりにも違うと比較対象にならないけど。
そうね、似てるなーって常々思っていて。で、彼は今は、今やなんていうの?有名人っていうかなんて言うんだろうな。
なんて言えばいいか分かんないけど。英雄視されてるわけよね。
それと自分を比較して、やっぱ多少なりと嫉妬心みたいなのが抱いているなーっていうのを感じるときは多少あるんだよね。
だからコテンクルーにも入らないとか、多分そういう変な反抗心みたいなのがあるんだよね、俺の中に。
で、その思いを消化するために白米FMを始めたんだろうなって思ったんだよね、これ見て。
なるほどね。違う解釈だね。なんかある回でなぜ我々は白米FMをやってるのかみたいな会話とか。
違う側面のなぜ。
そうだね、そのときは超相対性理論に憧れてみたいな感じだったじゃん。
そうだね。
憧れの気持ちもあるんだよ。憧れの気持ちが70%80%くらい。
でもやっぱり10%20%はあるんだよね、そういうマイナス的な感情みたいなのが。
でもさ、今マイナスって言って思ったのがさ、この嫉妬にもポジティブな嫉妬とネガティブな嫉妬があるみたいな話してたよね。
言ってたね、言ってた言ってた。
で、今のはポジティブなんじゃないかなって思ったんだけどある意味。違うか。
そうかもしれない。
感情的には痛いっていう意味ではネガティブかもしれないんだよね、ちょっと苦しいみたいな。
なんだけど、ムーブとしては最終的には次アウトプットにつながってて、相手をこき下ろす方に行ってないっていう意味ではポジティブな嫉妬っていう風に捉えてるじゃなかったっけ、この本では。
はいはいはい。
で、逆にネガティブな嫉妬っていうのはもう恨みとなってしまって、いかに相手を下ろすかみたいな狭い視点になっちゃって、なんかひたすらクソリプを送りまくるみたいなムーブになってる。
あいつの言ってることはダメだみたいな感じで、ひたすらこき下ろす動きしかしないみたいな。
そういう意味ではいいポジティブな嫉妬なんじゃないのって思った。
あーなるほどね。
いや、そうかなと思って。なんか深井さんのツイッターとか見てると、すごいクソリプが来るみたいなんだよね。
言ってたね。
それに対してすごいなんかね、なんかうんざりしてるっぽいツイートをよく見るんだけど、でも相当来るんだろうね。
そうだろうね。
そういうネガティブな嫉妬心に晒されてるんだろうな。
そうだろうね。
その中で僕はクソリプはしないから。
送ってないよね。
送ってない。僕はその自分の創作の方にその感情を持っていけてるんだから、ポジティブな嫉妬心の活用方法ってことだね。
そうなんだよね。ここにもちょっとメモに書いたんだけど、共感と嫉妬っていうのは表裏一体なんじゃないかなって思ったんだよね。
そうなの?
自分が同じように共感するから、同じように感じてるから、それを持ってる人間に対して嫉妬してしまうのではないかなと思っていて。
共感できない人間には嫉妬っていう気持ちは発生しないんじゃないのかなと思ったんだよな。
共感中か、同じものを見ているというか。
今のはあんまりピンとこなかった?
いやなんか、とよだくんの例だったらそうなのかなと思ったんだけど、
嫉妬は感情とも完全に切り離されて発生し得るかなと思ってて、
とある人が昇進したとか、とある人がすごく社会的に上場して成功したとか、
なんかわかんないけど、ステータスだけポッて上がったみたいな。
さっきのメリット暮らしの中で上になったっていうのだけ見ても、生まれるような気がするわけよ、その嫉妬自体は。
嫉妬と共感の探求
別にその人がさ、同じような感情を持っているかどうかは、
持ってるかもしれないし、そうじゃないかもしれないし、独立なことな気がしたんだよね。
それは、俺も金持ちになりたいとか、俺も上場したいとかっていう気持ちを持ってるんじゃないの?
その嫉妬してる人たちを。
それを共感って言ってるってことか。
それを共感と言ってるね、俺は。
なるほどね。
共感っていうと、しおくんのイメージしている共感はどういう?
なんかもうちょっと、感情が嬉しいとか、悲しい、喜怒哀楽の方向性が似てるとか、何に対してそれを感じるかみたいなのが近いかどうかって意味だと思ってたから。
そうだね。
まあでも。
共感っていうといろんな方向があるよね。
俺はただ一方向のとこしか見てないので、確かに共感っていう言葉とはちょっとずれがあるかもしれないなと思った。
だけど共通の価値基準を採用してるみたいな言い方をすれば、ああそうかもって思った。
ああそうだね、それだそれだ。
共通の価値基準を。
そういうことを良いとするっていうふうに思ってる点で一緒だよねってことだよね。
なるほど、なるほど。
そうだね。
あとね、思ったのがね、人を引きずり下ろしたくなる気持ちっていうのは、世の中にある幸福の総量っていうのがもう決まっていて、
他者がそれを幸福に享受してると自分の取り分が少なくなるっていう感覚があるんじゃないかなと思っていて、多くの人に。
それって何でなんだろうって思ったんだよね。
その幸福の総量ってさ、多分100とかって決まってるわけじゃなくて、多分無限大なはずなんだが本来。
でもなぜか100みたいな総量が決まっていて、それを誰かが50とか取ってたら、残りの50をみんなで分け合わなきゃいけなくなるじゃんかみたいな。
多分感覚になる人が多いんじゃないかなと思ってて。
それって何でなんだろうってすごい疑問に思ってるんだよね。
でも今それ聞いて思ったのは、やっぱりその人たちの幸せの定義が、さっきのメリトクラシーで比較に使ってるものとイコールだからなんじゃないかな。
それは一つの尺度で測ってるからってこと?
一つか二つか分かんないけど、その人の幸せと、例えば年収とかさ、例えば社会的な位、ステータスが幸せとイコールだとすると、確かに世の中にある幸せの総量は定量というか上限があるように見えるなって思ったんだよね。
世の中に回ってるお金が、例えば自分の幸せとリンクしてるっていう価値観だとするじゃん。
だから100万持ってて200万だったらより幸せだって価値観があるとすると、そのある人が数億ボンって持ってって世界の97%を牛耳ってると思ったら、自分の世界の97%の幸せはその人が牛耳ってるように見える。
で、自分の取り分が減ったみたいな感覚になる。
だからそれもさ、さっきの評価軸を複数多様化すれば、そこが避けられるってことなのかね。
そうかなーって今思ったね。幸せとか、自分がいいとするものっていうのが、世の中に有限なものじゃない。他の人と取り合う関係にないもので定義できてれば、そういう感覚になりにくい。
なるほどねー。
俺はさ、自分で何かを作るとか、創作するっていうことをすれば、別に多分、そんなことないか。自分で創作をすればそれで僕は幸せを感じれるんですって思ったんだけど、
でも作ったものを人から認めてもらうとか、評価してもらうみたいな気持ちがないわけではないなと思って。そうなるとやっぱり人の評価できる数っていうのは総量が決まっていて。
そうだね。人のアテンションの量は有限。
そうだよね。だからコテンラジオがあまりにも独り勝ちしすぎると、俺のところに来るアテンションが少なくなるから、嫉妬しちゃうんだよね。
そういうことか。アテンションを取り合っているとそうなるね。
アテンションね。だからどうやったらじゃあアテンション以外の別の評価軸を作れるんだろうなーと思った。
でも今言って思ったけど、コテンラジオにアテンション奪われてるっていうか、コテンラジオのおかげでこっちにアテンションが来てるっていう方が正しいと思うけどね、実際はね。
完全におこぼれをいただいてる側だと思うんですけどね。
いやそうだよね。だから捉え方でもあって、その市場ができるとかさ、そこに人がより、そのフィールドに入ってくるアテンションが増える可能性もあるわけじゃん。その一つ。
あーそうだね。
それから、何だろうね。視野を広く持てるかどうかなんだよね。地球全体のアテンションは確かに人の数で決まってるかもしれないけど、
ポッドキャスト界にあるアテンションに狭めてしまうと、実は今はそれが100万かもしれないと。でもコテンラジオが超有名になることによってそれが200万になってて、実は総量が、倍が増えてるかもしれない。
だからシェアが1%だったとしても勝手に2倍になってるみたいなことが起きるんだよね。
いやでも実際そうだよね。実際そうですよね。感謝しておりますよ。
でもさ、そういったときに、なんかその別の軸を作って、この軸だったら俺たち、てか俺か。
俺は勝ってるよねって思える軸がやっぱり欲しいわけじゃん。みんなそれぞれ。それってどうやって作ったらいいんだろうなと思ったのよ。
どうやって評価軸をさ、増やせばいいんだろうか。
どうやってね。
1個思ったのは、やっぱり自己満足っていうのを大事にするっていうのは1つあるのかなと思ったけどね。
さっきの自分が作ったものを誰かに見てもらったり評価してもらうっていうところじゃなくて、もう作ることで作ってものができて完成したっていうところにも喜びを感じるみたいな。
それであれば他人は関係ないわけで、自己満足で、自己満足という価値尺度の中で、自分を納得させられるというか、かなと思った。
今の聞いて思ったのがさ、その自己満足、自分が何で満足するかって簡単に結構わかるものなのかな。
そうかな。俺はわかるかなと思ってるんだけど、わかんない。
そこが難しい人もいれば難しくない人もいるとか、自分が本当は気づいてないけどこうしたら満足するのにみたいな。
そういう辺があるのかな。
あるかもね。あるかもね。
自分が何に満足してないか。
でも今思ったのはさ、自己満足すればいいって言ってたけど、やっぱりその価値基準をメリトクラシーで使ってるようなものにしてしまうと、結構不可能、自己満足することが不可能になる可能性もあるよね。
自分は例えばお金、資産で満足を、自己満足するかどうか決めてしまうと、そのお金を稼げないと一生満足できないことになるじゃん。
そのしかも設定がさ、1兆円手に入れることで満足するんだって決めちゃったとすると、結構きついじゃん。
それが実現できない社会、自分の実力と社会を見て、それは無理だよねってなるかもしれないじゃん。
だから自分の中で。
自己満足。
自己満足っていうか自己完結満足。
自己完結満足。
外部をいらない。
外部を必要としない。
幸福の定義と競争
必要としないで満足できる方法を見つける。
それならどうだろうか。
そうね。
いやでもわかんねえな。
自己完結。
難しいのが、やっぱその外部からの影響をゼロにはできないってとこじゃない?
勝手に目に入ってきちゃうみたいな。
だから前、だいぶ前の回で言ったブータンの話じゃないけど、外のメディア情報がなければ幸せだったのに、
まあ外の世界を知った途端に、途端に自分の持ってるものがこう、満足できないものになってしまうみたいな。
結構ぐるぐる同じとこ行ってるかもしれないけど我々。
今何の話だったっけ。
どうやったら自己満足できるか。
どうやったら自己満足できるか。
で、今しおくん何て言ってくれたんだっけ。
僕は自己満足って、自分だけで完結本当にできるんだったら可能かもしれないんだけど、
外からも情報が入ってきちゃうから、その満足の基準が途中で変わっちゃう可能性というか影響を受けちゃうんじゃないかなみたいな。
あるね。あるね。
だからそのなんか普遍的な価値みたいな、いくら外部から情報があって帰ってきても、
かなり頑丈な基盤というか価値基準基盤みたいなのを持てるっていうのはやっぱり理想的なことかもしれないね。
そうだね。そうだね。
さっき言った自分でものを作って、8割ぐらいもう結構それで満足できると。
2割ぐらい外部からちょっと評価があるとよりいいみたいな、
なんかそういういいバランスの活動が見つかると割と盤石で、
外から多少の荒波が来てもそこはぶれずに自分というエンジンを回し続けられるみたいな。
なんかね、自分自身は割とそういう感じになってるかなと思うんだけど、
しおくんはそういう感じはどうなんだろうか。
どうなんだろうな。80%自分か、もうちょっと低いかもしれないけどね。
とよだくんほど盤石じゃない気もするけど、多少は50%ぐらいの何かはあるような気がする。
ちなみにしおくんが嫉妬を感じる時ってどういう時に感じるの。
僕?僕が感じて、自分が嫉妬してるのかなこれって思ったのは、
自分の知り合いというか中高生の友達で、
例えばどっかの企業で上場しましたみたいなの見るとすごいなって思うとかね。
そういうのを見て、自分がすごいな彼がって思ってるのは嫉妬なのかな、何なのかなって思うことはある。
別になんか敵とか、じゃあ必死こいてなんかしなきゃって思ってるかというと、
どこまで強いのかあまり他の人と比べたことないけど、
自分の中では何か多少ピクピクって反応してるような気もするなとか。
そんな感じ。
で、それを見て、じゃあ自分は会社を起こして上場したいのかとか思うとどうなんだろうとかね、
なんかそういうのはあるけど、どうなんだろう。
でもさ、その人が同じ学校の同級生とかじゃなかったら、別に何も思わないよね。
全然知らない人が。
いっぱいいるもんね、だって世の中にそういう人。
だから自分の似てたっていうのかな、その学校で隣に座ってた彼がみたいな、
なんかそういうところで自分で似てると思ってるとまず、きっとある意味共通項があるみたいな。
似てるとは思わないけど。
で、その人が、だからあの、これもちょっとなんだっけな、カタリストの回でやってた時にさ、
どっかで行き分かれた双子がこうなってて、自分もこうなり得たのかみたいな話があったじゃん。
あれとあの例えが結構似ていて、その中高の時に一緒だった、
あの時にはあの場所で一緒にいたっていう物理的にね。
で、それがこう分かれて、で、いろんな世界線をたどっていって、向こうの世界がこうなってるみたいなのを見ると、
おお、みたいな。
なるほど。
自己満足の重要性
いや、なんか誰かを自分と同じだって思ったらいけないんじゃないかなって思った。
でもね、同じとは思ってないと思うんだよね。
例えばその人と自分って持ってる物とか能力とかも全然違うし、
育ってきた環境とか、環境ってのはその家族とか、
何だろうね、その間にさ、何十年も経ってるから、
何だろうね、同じだと思ってるのかな。
同じっていうか何だろうね。
何だろう、何て言えばいいんだろうね。
共通項を見つけてるだけなつもりだと思うけど、それをトリガーに同じだと思う。
そうね。
むずいな、これは。
うーん。
でもさ、その欲望の回だっけ、何かの回で分かんないけど、
僕が言ってたさ、経営者やってみたいって思ってるから、
多分それにピンとフラグに引っかかるっていうのがあるよね。
だから自分がやってみたいなーとか、
自分のどっかイメージしてた価値基準上にあるから、
そういう情報を見たときに引っかかったみたいな、そういうとこはあるかもしれない。
どうしたらいいんだろうなー、そういうとき。
でもなんかそれもとよだくんの場合と一緒で、
本当にそれが自分の欲望だったりして、
ポジティブなある意味嫉妬というかものとして、
使えればいいんじゃないかなと思ってて、
じゃあそういうのを見て、よしじゃあ自分も頑張ろうみたいな感じになるんだったら、
いいんじゃないっていう感じだよね。
なるほど、なるほど。
相手をそれでこき下ろしてやろうってなるとネガティブだけど。
そうだね。
だから最初に言ったように、
何かそうやって自分の心がピクピクって動くのは消せないと思って諦めると、まずは。
そうなってたとしたらね。
で、それがポジティブに働いてるんだったらよしとするみたいな。
そっか、じゃあそれでいいのか。
それしかないな。
それしかないよね。
嫉妬のポジティブな側面
でもね、この本を読んで嫉妬っていうのは悪いことではないと。
そうだね。
さっき言ったみたいなポジティブな方向の自分を持っていくパワー、
動力源になるっていうことが分かっただけでもかなり収穫があったなと思って。
嫉妬は全然悪いものではないと。
そうだね。
嫉妬が悪いものだったら多分、進化論的に淘汰されてるはずなんだよな。
そういうことね、確かに。
なんか必要で、なんか有利に働くからこそ多分残ってるんだろうな。
いやそうだと思うよ。やっぱりそれで真似して競ってみたいな、人間のこういう行動原理になってるよね、嫉妬が。
そう、だから嫉妬を肯定したという感じですからね、実は。
そうだね、ポジティブに捉えようと。
いい嫉妬ね。
そうね。
こんな感じか?
うん、そうだね。
次回の予定
じゃあ、次回は特に、あれ?次回はなんだ?
次回がそれだよ、オンサイトで。
それ?
うん。
あーそうかそうか、しおくんが次に日本に来るってやつね。
そうそうそう、はい。
はいはいはい、あーそうでした、はい。
じゃあまた、じゃあ次は直接会いましょう。
楽しみに、会えるの楽しみにしてます。
はーい。
はい。
じゃあ今日はここまでにしときましょうか。
はい。
はい。
失礼します。
はーい、お疲れ様でした。
はい、お疲れ様でした。
はい、お疲れ様でした。
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