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焼き餃子文化への愛を語る番組、聴く餃子です。 一般社団法人、焼き餃子協会の小野寺力です。
餃子を意味する英語は、もともとダンプリン。 焼き餃子が知られるようになってくると、クリスピーポトムスとも呼ばれるようになりましたが、最近は餃子としても知られるようになってきました。
ダンプリングというのは、餃子だけを指すものではなく、小麦粉を練って餡を包んだもの全般を指すので、団子や中華まん、小籠包や春山菊もダンプリングですし、
ベトナムのバインパオやイタリア料理のニョッキ、ラビオリ、そしてロシアのペリミニ、 ラテン圏のエンパナーダ、インド料理のさもさもダンプリングです。
これらは餃子の兄弟と言っても良いかもしれません。 祖先をたどると、メソポタミア文明の遺跡からも小麦粉の皮に餡を包んだ食べ物が発見されているそうです。
そこから北緯40路線の小麦の生産地に沿って、その後シルクロードに乗ってダンプリングが広がっていったのだろうなと思います。
日本で最初に餃子を食べた人として知られているのは、ミトコウモンで知られる徳川三国と言われています。
ミンから亡命してきた朱春水を三国が招聘して、中国文化を教えてもらう中に餃子があったということです。
おそらく水餃子だったと思います。 その後の日本では明治や大正時代のレシピ本で、ヘンシーと呼ばれる水餃子が紹介されていたそうです。
今の焼き餃子が普及したのは、第二次世界大戦後、中国東北部の満州から引き上げてきた人たち、またはシベリア緑流から引き上げてきた人たちが、日本各地で餃子を作って売り始めたと言われています。
神保町にあったスイートポーズは、昭和11年頃に満州で餃子店を開業したと言います。
現存する日本最古の餃子専門店と呼ばれているのは、光沢みさおさんが満州で教わったゴーラウを昭和22年から別府の古月で提供している、こちらが日本最古の餃子専門店と呼ばれています。
その後も渋谷にあったミンミン養老館が昭和23年に、横浜の野毛でバンリが昭和24年に、浜松の石松が昭和28年に、宮崎県の米岡の黒部が昭和30年に、宇都宮ミンミンが昭和33年に、全国で続々と餃子店が創業しています。
こうした餃子専門店は、高度成長期でハードに働く人たちの胃袋をつかみ、人気となっていきました。
こうした餃子人気を背景に昭和42年に、京都の市城大宮で餃子の王将が創業しました。
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昭和46年には、味の素冷凍食品が冷凍餃子を販売し、安くて手軽な餃子が老若男女に愛される料理として知られていきました。
平成に入ってからは、クール宅急便が普及し、全国の新鮮な食材が全国に流通するようになり、季節を問わずにキャベツを仕入れて安定して美味しい餃子が作れるようになり、平成20年の中国独餃子事件以降は、さらにどこでも、国産食材で安全な餃子というのが一般的になりました。
2017年、成田空港の10億人目の旅客となったアメリカ人のスンザンヌ・サネイさんが、餃子とラーメンが好きとおっしゃっていた。
そして、2021年東京オリンピック、日本の餃子が注目されました。
選手村で提供されていた味の素冷凍食品さんの餃子が話題になりました。
こうして、今、日本の餃子は世界から注目をされています。
世界から餃子を食べに日本にやってくる時代が始まろうとしています。
私としては、日本人には餃子を通じて地理や歴史などを義務教育で学ぶことができるんじゃないかと思っています。
そしてそういったことを学んだ日本人が、世界に日本の餃子を発信していってほしいなと思っています。
あなたの近くにある餃子、意外と歴史があるかもしれません。
何か発見したらぜひ教えてください。
それではごきげんよう。おのたらちからでした。