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2023-05-31 47:26

126 平安が失われたときは「私は過去を自分と見ている!」と言ってみる

今日は、前話の「答えをもたずに動く」と、前々話の「始点を忘れて過ごす」を組み合わせると、自分を苦しめる思考を止められるという話をしています。考えとは、過去によって作った自分を存続させる試みにほかなりません。番組でお知らせした執筆講座「描写力を磨いて伝わる文章を書く3時間レッスン」のお申し込みはこちら→ https://goodvibes20230610.peatix.com

原稿用紙を買うまでの経緯
グッドバイブス ミッドナイト楽座 by 倉園佳三
こんばんは、ただいま5月31日水曜日の午前2時44分です。
今日はですね、前回お話しした、手書き原稿のためのね、原稿用紙をついに買ってきましてね、ゲットしました。
これ、前回の番組で私、まんじゅやという風に発音したんですが、正しくはですね、ますやでしたね。
失礼いたしました。
昔からね、このウェブサイトを何度も見ながらね、これ欲しいなとかね、名前入りの原稿用紙作りたいなとかね、思っていたんですが、
その文字だけ見てね、みちるにことぶきのやなので、てきり私はまんじゅやという風にね、頭でこう認識していたんですが、
今日、ますやということを知りました。失礼いたしました。
で、これがね、あの、またこの買いに行く経緯というのかね、これがちょっと面白くて、
こういう流れになると、僕はなんとなくね、あ、これは来てるなっていう風に感じるんだけど、
昨日ね、買いに行こうと思ってたら、えっとちょっとね、急な予定が入って、わりとギリギリになったんですよね。
行けないこともなかったんだけども、というのも、その場所がですね、私が南大沢に住んでまして、
二つ先の駅、タマセンターというね、サンリオピュロランドで有名なタマセンターという駅に、
なんだっけな、コッコリアだっけな、ちょっと名前忘れたんですけど、ある商業施設があって、
その5階にマルゼンさんがあってね、そこに売ってるという情報をね、あの、ゲットしてたんですよ。
で、昨日もね、行ってなかったらちょっと残念なので、あらかじめ電話してみたんですよ。
で、その時もね、マンジュ屋の原稿表紙って言ってしまったんで、
担当のね、電話出てくださった方はそこをね、突っ込まずにね、
あ、マスティアならありますけど、みたいな嫌味も言われずに教えてくれたんだけども、
私が欲しいフォーマットっていうかな、200日目のクリームの用紙かな、
それがあるかと聞いたら、グレーのケーセンとセピアのケーセンっていうのがありまして、
セピアはよく小学校の時に使ってたあの色ですよ、原稿用紙のね、
練習帳と本を購入
その2種類で、ちょっとやっぱり僕は小学校の時に使ってた色は嫌で、
グレーが良かったんだけど、グレーが品切れでね、近日入荷と書いてありますという風に案内されたんですね。
もうどうしても欲しかったんで行こうと思ったんですけども、
なんとなくちょっとね、あんまり慌ただしいなと思ったんで、
今日に回したんですね。
で、今日はゆっくり行くことができて、行ってみたらですね、
なんと今日そのグレーが入荷してたんですよ。
ほんとからまずね、ここでもし私が行っていたら、
昨日ですよ、セピアを手にしてたと。
でもね、このじっと焦らずに、
今日は慌ただしいんでね、無理をするのは予想。
この無理をするのは予想が大事ですよね。
これをやったら、なんとね、そのご褒美というか、
この洗濯のね、おかげでグレーがまず手に入った。
そして昨日行ってたら、たぶん買ってすぐね、
とんぼ帰り、南大阪でね、ちょっと用事があったんで、
そこでとんぼ帰りだったんだけども、
この日は、今日はですね、時間があったんで、
練習帳も見てみようと思ったんですよね。
こちらも実は、私はAmazonでね、もう注文しようかなと思って、
このウィッシュリストかな、あれに入れておいたやつがあったんだけども、
これはいかんせん、そのウェブで見たんでね、
本の中を開いてないわけですよ。
それもあって、見たらちょっとね、僕がイメージしてたのと違ったんですよね。
ちょっと盛りたくさんすぎたというかね、分厚くて。
どうせそんな分厚いのはやらないんでね。
参考書とか問題集もそうですよね。
だからいやいや、これは重すぎるなと思って、
他のを見たらですね、NHKムックというところから出ている、
本当に薄いね、中戸字っていうのかな、
美文字手帳っていうね。
しかも550円という安いやつがあって、
これがね、すんごいよくできてたんですよね。
普通のこの手の練習帳は、
あぎうえおとかひらがなから入るんだけど、
この先生はですね、とめとかはねとかね、
そこからいくんですよね。
こっちのが面白そうだなと思って、それを買った。
これもね、やっぱついてたんですよね。
シナリオ作成に向けたアイディア
昨日行ってたら、たぶん私は原稿用紙買ってきて、
もうアマゾンで注文してましたからね、
そのもう一冊の本を。
なおかつ前から気になっていたね、
この本欲しいなと思ってた。
でもこれかなりマニアックな本でね。
アマゾンにはあったんだけど、
これも中々注文せずにいたやつをね、
検索機でね、お店の。
絶対ないだろうなと思って探してみたら、
もう一冊だけあったんですよね。
で、これも棚に行って取ってきて、
いろんなものが揃って、
今日行ってよかったなという、
そういうね、いい流れでした。
で、早速ね、タマセンターのスターバックスに寄って、
1枚抜いてですね、原稿用紙を。
で、昨日紹介した、
私の大切な友人からいただいた、
デルタの万年筆でね、書いてみたら、
もう本当に素晴らしい書き心地でね、
ほとんどクラゾンの形状、
クラゾンの形状でずっと書いてたんだけども、
早くね、これを実践でその、
第5話だね、
ザ・ギフトの第5話から、
これで書いてみたいなと思ってます。
そして、昨日第4話をあげて、
終わりのところで次はシナリオっていうね、
また、無謀な終わり方をしてね、
というのも、どんなシナリオを書くか、
全く頭に浮かんでなかったんで、
本当にできるのかなと思って、
ドキドキしてたんですけどね、
今日浮かびましてね、そのアイディアが、
なかなか面白いアイディアが浮かんで、
ちょっとね、取材が混ざるような感じなので、
実際にちょっとあるところに取材に、
取材に行ってこようかなとか思ったりしてね、
その時もこのメモは、
手書きのメモでね、
これはボールペンの方がいいかなと思ったんですけど、
やろうかなとかね、
手書き堂と美文字堂
いろいろその手書きの夢が今広がってる、
やってる最中ですね、
本当にこういうね、
ハマっていい流れって時はね、
もう信じて大丈夫だと思います、
僕がもともとギターにハマった時もそうだったんでね、
もうなんか欲しくて欲しくてたまらない、
そして買って、
そこからなんかすごくいい流れ、
確かね、ギター買った時はね、
隣にたまたまギター弾ける中学生のお兄ちゃんがいたんですよね、
その人のところにもう買ったその日から、
行ってね、チューニングもしてもらって、
禁じられた遊びだったんだけど、
禁じられた遊びの弾き方も教えてもらえてね、
なんかいい感じで流れていく、
こういう時はね、
これはやれっていうサインだなと、
私はいつも思ってますんで、
ちょっとこれも参考にしてみてください、
そんなわけで私はちょっと今、
手書き堂をね、
まっしぐら、
そして美文字堂を、
まっしぐらという感じです、
意識のあり方と平安
今日はですね、
前回と前々回でね、
実は答えを持たずに動いてみるっていうのと、
その前が視点を忘れて暮らすっていう、
この2つの話をしたんだけど、
これはですね、
くっつけると面白いんですよ、
この2つの別々の話、
これをね、
今日はくっつけてみようと思います、
そしてこれはなぜ、
そのくっつけるかというとね、
私がよくお話ししている、
このグッドバイブスのね、
メソッド、
これは基本的にはですね、
もう究極どこに行き着くかというとね、
考えないってとこなんですよ、
つまり考えるなということを、
僕はいつもいつも必死になって、
ここで喋ってるわけなんですね、
罪悪感にしても、
自分に恐れや不安をもたらす、
この心象を作る、
これをやめるためにもね、
全部思考から生まれてるってところが、
ポイントなんですよね、
だから一切何も考えなければ、
多分僕らはずっと平安でいられる、
でもそんなことができるんだったら、
苦労しない、
考えたくないと思っても、
考えてしまうってなりますよね、
ここにもとても役に立つんですね、
というのも、
その漠然と考えているの、
この考えているのをやめる、
みたいなことでは、
なかなかね、
自分が納得しきれないんですね、
だから考えてる、
これとこれはどういうことなんだ、
何の目的でやってるんだ、
みたいなことまで、
ちょっと本質を探って、
その正体を解き明かすとね、
もう少しやめやすくなるっていうかね、
考えをやめる意味が、
自分の中に入ってくるっていう、
そういう感じですかね、
多分そこに繋がると思うのでね、
ちょっと話してみようかなと思います、
対等性と特別扱いのジレンマ
まずですね、
私がいつもお話ししている、
この一つ意識とバラバラ意識、
これは私が有利なんですよ、
一つ意識が現実で、
バラバラ意識がイリュージョンなんですね、
心象なんですよ、
で、
こちらの一つ意識の世界では、
私とは何かっていうね、
この問いを問う必要がないんですね、
なぜならば、
ここは宇宙の死んだ場所と一つであるというね、
この事実がもうそのまま答えになっているからなんですね、
だから一つ意識というわけです、
宇宙の死んだ場所と一つであるんだ、
それが私だっていうことですからね、
これは具体的にどういうことかというと、
それはすなわちですね、
誰もが何もかも与えられて完成しているということですね、
それからもう一つは、
だから誰もがなのでね、
あらゆるものと対等であるということを意味するわけですね、
そしてだからこそここにだけ平安があるんですよ、
でもここにね、
僕らは異議を唱えたんですね、
不満を持ったんですよ、
誰もが何もかも与えられて完成しているっていうのは我慢ならないと、
対等であるのは不満だと、
なぜかというと、
おそらくこの対等という言葉がね、
言葉で認識するんじゃないんだけども、
この一つ意識のこの感覚、
僕らがもともと持っている一つであり対等であるというこの感覚がね、
なんとなく僕らにとって、
なんかね、
寮生活みたいなね、
もう衣食中から着るものから、
それから一日のスケジュールまで、
もう全部一日でこれをやりなさいと、
みんなと同じじゃなきゃダメですよ、
みたいなこの寮生活ってありますよね、
どっかの一つの宿泊施設に入れられて、
それで食べるものも毎回みんなで同じものを食べる、
みたいなのはね、
いろんなケースであると思うんだけども、
そのような不自由さっていうのを感じたつまらなさかな、
なんでここでみんなと同じように、
たぶん平凡に生きなきゃいけないんだっていう、
こういう感じなんですよね、
これはその裏を返すとね、
自分だけ特別扱いしてほしいというかね、
そういう欲求なんじゃないかなと思うんですよ、
これに反してるんですね、
反してる感じがするんですね、
一つ意識というのはね、
要はこの一つ意識の中に、
この宇宙の神羅万象の中に太陽っていうのがありますよね、
この地球に住んでると、
まさにこの太陽は僕らに対等に降り注いでくれるんですよね、
倉園には、
なんていうんですかね、
ルクスとかいいんですかね、
わかんないですけど、
100ルクス、
ヤベセエコには80だ、
みたいなことはしないわけね、
ここに差をつけないんですよ、
僕は倉園くんが大好きなので、
一つ意識と対等の概念
倉園くんにはいっぱい光を降り注いであげる、
熱もあげると、
でもヤベセエコさんはね、
なんか最近ちょっと仕事が遅くてね、
なんか宿題をできない子供のようにね、
いつも追い詰められているので、
そのようなお前には光は半分しかあげない、
みたいなことはやらないわけですね、
みんな等しくこの太陽の光というのが降り注ぐわけです、
これをその僕らはね、
なんで僕だけに特別な行為を示してくれないんだ、
みたいな風に取ったんじゃないかなと、
私は見ているわけね、
つまり僕らはね、
こうして特別な存在になりたいっていうね、
この一つ意識の中の対等ではなくて、
特別な存在がいいんだっていう風に思って、
この平安な一つ意識を捨てて、
まさにこのバラバラ意識というね、
実際にはない心象の世界に飛び出したんじゃないか、
っていう風に私は見ているわけですね、
でもこれね、
よく考えてみると、
一人を選ぶっていうね、
クラゾノ君だけ一人特別っていう風にこう選ぶということは、
これはその一つのつながりから、
孤立させるってことになるんですよね、
だから僕らを生み出したこの宇宙にはそういう概念がない、
しかも対等というのは、
バラバラ意識の誕生
実は自由でかつ平安であるということなんですよ、
これはどこかでお話ししましたよね、
人間関係の話のとこかな、
常に僕らはどちらが上か下かを見ているとね、
この世界は全然自由ではないですよね、
上にならなければいけない、
下になってはいけないという縛りがありますから、
もうこの時点で相当不自由なんですよ、
だから本当はやりたくないようなことを、
人の顔色見ながらね、
日々やるわけですよね、
このような不自由さが実はこの上下の世界にはあり、
そしてここには平安はないんですね、
いつも自分が下にならないように、
下にならないようにという恐れや不安を抱かなければならない、
だからこれは完全に誤解だったんですね、
そしてこの対等というのはまさに良生活ではないんですよ、
心の底からやりたいと思うことは、
何でも実現できるこの自由な意思というのを、
僕らは持っているわけですね、
この意思をみんな対等に持っているということが、
この一つ意識の対等であるということで、
決して良生活ではなかったんですけどもね、
でも僕らはこれを誤解して、
飛び出してしまったわけですね、
太陽よ、なんで私だけ愛してくれないんだ、
みたいな感じですよね、
そしてそうなると、
さっき言ったようにこの一つ意識の中でね、
僕らが自分で出さずに済んだこの答え、
私とは何か、宇宙の神羅万象と一つであるという、
この答えを捨てたということなので、
それは嫌だということでね、
拒否したということですね、
これを僕らはこの一つ意識から、
バラバラ意識に飛び出しながら、
自分で作ろうとしたんですね、
こうしてね、こう話してみると、
まさに暴挙だなって感じがしますよね、
この宇宙の神羅万象という、
この後ろ盾を失いながら、
そこからまさに自分を切り離して、
これバラバラ意識だからね、
切り離して、
自分を自分で作るんだと、
だってそっちの世界はみんな同じだからつまんない、
みたいな感じでね、
まあ、暴挙なんじゃねえかなと、
僕は思うんだけど、
しかもこのね、
自分で作るこの答えというのは、
さっきの宇宙の神羅万象と一つと、
異なってないと意味がないので、
そうではないものを作る必要があったんですね、
そして面白いことに、
過去と個性の概念から自分を作る
この私たちが今生きている時間ね、
現実の時間というのは、
今ここしかないんですよ、
そして一つ意識という現実は、
今ここにいると、
どうしても僕らはそう認識せざるを得ないんですね、
今ここには一つ意識しかないんですよ、
だとすると、
飛び出した自分というのは、
まさにこの今ここから飛び出したと言ってもいい意味ですね、
そして今ここにいないようにして、
そして一つ意識のね、
宇宙の神羅万象と一つという答えとは違う自分を作ろうとした、
これは大変なハンデキャップというかね、
そこまで使わずにどうやってやるのというね、
大変なまさに傍聴なんですが、
まあ考え出したわけですね、
まあこれは本当に人類がもう何千年もかけてね、
考え出したことだと思うんだけど、
この偽りの自分、
まさにここから偽りの自分が始まるんだけどね、
最初にそうかと、
過去だという風に気づいたんですよ、
過去にやってきたこと、
そして過去に感じてきたこと、
これを積み上げる、
そうするとこう歴史の書物が出来上がっていくように、
あるストーリーが出来上がっていきますよね、
そしてそれは私の後ろにみやきみやくと実際に存在していたものなので、
これを積み上げていくと、
まさに積み木のようにね、
もしくはそのドミノ倒しの列のようにね、
こう並べていくと、
唯一無二の私が完成すると、
なぜならばその過去にやってきたこと、
感じてきたことというのは、
私だけの経験なのでね、
ここを全部組み合わせれば、
他の誰でもない私が完成するという風に考えたわけですね、
しかも、
でもそのように考えたとしても、
時間はどんどん刻一刻とね、
流れていきますから、
下手すると今ここがやってきますから、
過去をずっと積み上げながら、
今ここに出会うとね、
一瞬でそれがスパッと壊れてしまうんで、
この今ここを何とかしなきゃいけなかったんですね、
そこでもう一つ考え出したんですよ、
過去を未来に持っていく
あ、そうかと、
この過去をそのまま未来に広げればいいんだっていうね、
そうすると過去と未来が継続しますよね、
なるほど、こうすれば僕はずっと存続できるなと、
この唯一無二の私というのがずっと続いていけるんだなという風に考えたわけね、
過去を未来に持っていくということですね、
こうやって生まれたのが、
計画、反省、そして教訓、
もう一つあんまりいい話じゃないけど、
リベンジですね、復習、
過去の積み上げてきたものをそのまま未来に伸ばしていくっていうかね、
広げていく、延長させるというそういう感覚ね、
こうするとまさに今々しいこの現在っていうのを
僕らの人生から追い出すことができるんですね、
そして過去と未来が現在を挟まずに直結させられますよね、
まずは過去が僕の一部なんだとみなすと、
そしてそこでいろんな判断、解釈をしてきたこと、経験してきたこと、
これが未来を予想するのに一番適した判断基準だってことでやるわけですから、
基本的に僕らがその計画を立てたりこういうことをしようと思ったその中身というのは
過去から持ってきているわけね、
そうすると過去、未来というのがほぼ一つに直結させられますよね、
そしてこの瞬間、現在がそこからいなくなり、
いまいましかった一つ意識というのも見事に消し去れるわけですね、
これがその僕らがこの一つ意識から飛び出して、
過去に背負うもの
バラバラ意識にバラバラ意識というその心象を作り出し、
ここで新しく自分というのを構築していったこういう流れ、
これが偽りの自分なんですよね、
なんとなくうまくいっている感じだし、
そして僕らの日々生きている感じを振り返ってみると、
まさにこのようにして自分を作っているし、未来を見ていますよね、
そこに計画、反省、教訓、そしてリベンジ、
これは非常に僕らにとって重要なものとして捉えられている、
なんとなく成功した感じがするんだけども、
これは基本的にはないものを組み合わせて作っているだけなので、
うまくはいかないんですね、過去も未来も実際には存在しない、
しょうがない、現実の一つ意識から飛び出して、
自分の心象の世界、自分の心象の自分を作り出してしまおうという、
その試みなので、その材料も基本的には心象を使わざるを得ないんですね、
ないものを使わざるを得ない、
だからうまくいったように見えるんだけども、
過去をまさに自分と見なした瞬間にね、
ここにはもちろん努力の跡とかね、栄光とか実績みたいなのもありますよね、
最初はこれを積み上げればいい自分ができると思ったんでしょう、
でもところがどっこい、ここにはですね、いいものだけじゃないんですよ、
まず怒りの種がありますね、
あるところで何かの怒りをその自分が抱く、
そしてそれがね、見事に解消するというかね、
この怒りが晴れるみたいなことはなかなかないので、
ずっとその怒りというのをね、心の奥底にずっとかすかに抱い続ける、
その種みたいなものは全部これ過去にありますからね、
そして罪悪感、僕らがね、一番厄介な罪悪感も、この原因も過去にある、
そして何かをするのが怖いなと思う、この恐れや不安、この記憶も過去にある、
これを背負っていくしかなくなっちゃったんですね、
過去を自分と見直した瞬間にね、これがついてくるわけです、
で、ここで僕はね、124話、これは前々話ですね、
この視点を忘れて暮らしましょうという提案をしたんですね、
これは何かというと、その過去を自分の一部にしないということなんですよ、
今お話ししたね、この僕らが一つ意識から飛び出して、
視点を忘れて暮らす
元々あったね、宇宙の神羅万象と一つであるという答えは嫌だと、
だから自分で作るんだ、自分をというふうに考えた時に、
最初に思いついたアイデア、この過去にやってきたことや感じてきたことを積み上げればね、
唯一無二の私が完成するという、これに過去を使わないということなんですね、
視点を忘れて暮らすというのはね、ここをね、ボッと壊そうとしているわけですね、
この前々話か124話の話というのはね、ここに手を入れているわけです、
そして前話の125話のね、答えを持たずに動いてみるというのは、
まさにこの過去の判断を未来を図る基準にしないということなんですね、
要は今日は一日これをやるのが正しいだろうというこの答えは、
僕らはさっき言ったように過去から持ってきているんですよ、
なぜならば、過去にこういうふうにしたらうまくいったから、
過去にこういうことがうまくいくという本を読んだからと、
例えば誰かが言っていたから、それをもとに答えを持っているわけね、
で、今日はこのように動こうという答えというのは、これは未来を図る基準ですよね、
未来はこのように動けばうまくいくんだという答えを作り出しているということ、
この答えが過去から生まれている、つまり過去の判断を未来を図る基準にしているということですね、
これをやめましょうというのが125話なんですよ、
つまりこれはもう一つの自分というのを過去にやってきたことの積み上げで私が完成し、
この私を存続させるためにはこの過去を使って未来を予想する、
未来の指針を決めるというこの第二段階というのかな、
これでもずっと私は自分が作り出した自分でいられるんだというこの2番目に手を当てているわけですね、
視点を忘れて暮らすは過去、そして125の答えを持たずに動いてみるというのはそれを未来に適用するという、
この2点に手を当ててこれをやめましょうというような提案でもあるわけですね、
始まり、視点というのは過去ですよね、
そこから未来に何をするかの答えが生み出されるということですね、
これが答えということ、これが僕らにとって未来に何をするかの指針になるということ、
つまりこれをやると結果として過去がプロジェクションラッピングと言いましたよね、
過去からの視点と答え
投影と言われてるやつなんですけどね、そういう方がわかりやすいのかなやっぱりな、
過去が投影された未来に居続けることになるということです、結果としてね、
そうですよね、過去を基準にして未来を判断している視点、そして答えというね、
この2つの組み合わせというのは過去が投影された未来に居続けることになる、
これを僕らにもたらしてしまうわけね、だから視点を忘れない限り答えも変わらないんですよ、
そしてこの視点を忘れた時に現れてくるのがね、
つまり過去を忘れた時に現れてくるのがまさに僕らが逃げ出した今ここ、現在なんですね、
ここが僕らの答えを書いてくれるんですよ、
この過去から導き出した答え、これがAと決まっていたら、
この過去をポンと忘れた瞬間にその他にも一番通りあるよっていうのを教えてくれるのが現在ってことなんですね、
でもこの視点と答えを連続させている限り、過去と未来を連続させている限り、
現在は無視されてしまうんですね、だからずっとこの視点、そして答えというのが変わらないってことですね、
視点っていうのは前回カップラーメンのタイマーの視点みたいな話をしたんだけど、
これは一つの例えであってね、これは感情、僕らの感情、そして罪悪感、それから恐れや不安の起点にもなっているってことなんですね、
そういう起点もあるということ、これはさっき言った通りなんだけどもね、
例えば視点とは罪悪感が生まれた場所っていうふうに捉えてみるわけです、
何か僕が非常にヤバいことをやらかした時があった、17ぐらいの時に、
思い出すとパッともう3つぐらい浮かんできますけどね、17ぐらいの罪悪感、この視点、
これを僕らは持ち続けているわけね、なぜならば豪華厄介なんだけども、
これを忘れてしまうとさっき言ったね、自分で作り出したい自分、ここの部品として欠かせないんですよ、これをね、
いいものだけ残して悪いものは排除できるとか便利なことがうまくいけばいいんですけどもね、
そうならないんですね、そんなに器用に記憶を僕らは操作できないんで、
過去が自分と見成した瞬間に、過去が自分の一部、過去が自分を積み上げている大事な部品、
パーツっていうふうに見た瞬間に全部ついてくるわけ、ここには罪悪感が生まれた場所という視点がありますね、
そしてここから導き出される答えというのは、この罪によって僕はどんな罰を受けるんだろうという恐れや不安なんですよ、
これはもう本当にその罰はね、実際には与えられないので、ずっとその予感を持ち続けることになるわけね、
あの時サボった、あのツケがいつか回ってくるんだろうな、みたいな形で、
まさにこれは処罰を恐れる心として僕らの中に根付きね、これは視点から生まれた個体なんですね、未来ですよ、処罰を恐れる心が未来に向けられていく、
だからこれはまさに牢獄のようなものですよね、なんとなく僕は過去に犯した罪のせいで、自分が罪と思っているその良くないことのせいで、
ずっと処罰を恐れる、牢獄もしくは逃亡者ですよね、逃げ回ってる、
逃亡者というのはおそらく相当活動範囲は狭くなるはずなので、ものすごく不自由な状態、ある種の狭い空間の中に閉じ込められる、
これはその視点、罪悪感が生まれた視点始まり、ここの過去を忘れない限りここから解放されることはないんですね、
これは自分にも他人にも当然向けられます、許せない私、そして許せない他人というね、この罪悪感、
これはもう過去を忘れるというかね、過去を忘れるというのはね、僕らの頭の中の働きを説明しているだけであって、
実際にはそうじゃないんですね、過去はすでに存在しないという事実を受け入れるってことなんですよ、
これがまあ受け入れがたいのは今言ったように、この偽りの自分、もう一人の自分はそれが自分自身の重要なパーツだと思ってるんでね、
なんとなくこれでわかると思うんですよね、なぜ許せないのか、なぜこの悔しさ、なぜこの怒りを手放せないのか、
罪悪感、恐れ、不安、怒りの起源
これは過去を大事にとっておいているからなんですよ、それはなぜか、自分の一部だと思っているからなんですね、
本当にそれが僕らの一部なんでしょうかというね、まさにそういう問いかけでもあるんですね、この話はね、
それがある、その罪悪感を背負って、その怒りを背負って、その処罰を恐れる心、処罰したいというこの欲求、
これを持ちながらまさに牢獄もしくは逃亡者のように生きることが僕らにとって本当にふさわしいのかっていうね、そういう問いでもあるわけですね、
だから許すというのは、実は過去が存在しないという事実を受け入れるとたったそれだけのことでしかないんですね、
これもその視点と答えというね、視点という罪悪感が生まれた場所、そして答えはそれに対して処罰を恐れる心みたいなものをね、
この過去がすでに存在しないという事を受け入れられればここから逃れられるというね、どこにもそのデメリットはない感じがするんですけどもね、
そしてこのように見ていくと怒りにも当然視点がありますよね、
僕らがある種の怒りを感じたその始まりはどこだったんだろうというね、ここに怒りの種みたいなものがあるわけですね、
これを僕らはその過去を忘れないという事によって心の中にずっと持ち続けているわけですね、
そしてこれはどんな働きをするかというと、私の一部としてね、この種はずっと心の中にいますから、
過去の出来事なんだけども、それに似たような出来事、そしてそれをやったのに似ているような人、似ている言動みたいな事をパッとこの目にした瞬間に、
もう急激にこの種からね、ブワッとこの目が出て、この種から目が出るというのは、
私の頭の中にある映像を思い浮かばせて、それを相手にプロジェクションラッピングするという事、投影するという事ですね、
このようなものを僕らの視点としていっぱい持っているという事です、恐れや不安も同じですね、
僕がその、よく言うジャングルジムから落ちて高所恐怖症になったってやつも、ずっとこの恐れや不安の視点をそこに持ち続けていて、
投影された視点
高い所に登る度にそれがね、投影されていたわけですね、要はね、ジャングルジムじゃない所でもね、
そして落ちるというその体験、それが蘇ってきているわけですよ、まさにプロジェクションラッピング、
それからここに忌み付けの視点もありますよね、忌み付けの始まりですね、
要はこれもさっきの怒りの視点とかね、恐れや不安の視点と同じように、何か僕らがある体験をして、ある判断をしたわけですね、
過去にもう忌み付けをし終わっているわけですよ、こういうものは良くない、こういうものは危ない、
こういうものは近寄らない方がいい、みたいな忌み付けを過去にし終わっている、
その始まりの点があるということね、これを持つとね、今出会う人たちね、まさに過去ではなくて、
今出会う様々な人たち、この人たちにまさにこの過去の忌み付けに基づいて反応しなさいという風に命じてしまうんですね、
さっき言ったプロジェクションラッピングと同じようなことなんだけどもね、
要はこのようなね、僕はこれは夢だと思うんですよ、この夢のようなものね、
だってないものを使って、ありもしない自分を作ろうとしている、
そしてそれと同時にこの平安をね、自分で拒否して、様々な怒り、罪悪感、恐れや不安、そういうものと一緒にね、
ともどもそれを背負いながら生きていくというかな、これは夢ですよね、
これが僕らの平安を妨げているということを忘れないようにする、これが重要なんじゃないかなと思うわけね、
だからまずこのね、どこまで戻るかというと、自分で自分を定義するなんてことをやめるということですよね、
そんなことしなくても、そんな過去などなくてもね、今ここに私はいますからね、
この私は何でできているか、過去でできているわけじゃなくて、今ここにあるだけなんですよ、
この現実を受け入れればいいということね、これよく考えてみてほしいんだけど、
過去と現在の比較
今ここに私がある、何もその条件付きではなくてね、条件がなくても私はここにいるんですよ、存在しているんですよ、
これを受け入れることとね、もうすでに終わっていて存在していない過去を積み上げながら、
それが私なんだと思うことと、本当はどちらが難しいかってね、これをちょっと考えてみてほしいんですね、
どう考えても後者の方が相当高度なテクニックというかね、技術なのかよくわからないけどスキルも必要だし、
それから僕はものすごい意思が必要な気がしますね、ここを信じるっていうね、過去はないですからね、
今目に見えない、僕の頭の中にしかない、しかもボンヤリドしかない、これが私を作っているんだって信じるっていうのは、やっぱね、
これ相当すごいことをやっていると思います、高度なこと、大変なこと、難しいことをやっているはず、
しかもですよ、そこにね、さっき言った罪悪感、怒り、そして恐れや不安の種みたいなものもね、
しっかりその拒否せずに受け入れながらね、それは仕方ないんだよって言って、そこも背負っているっていうのはね、
もうこれは相当頑張っているというかね、ある意味素晴らしい努力の賜物によってこの自分というのは作られているんだろうなと思います。
まさにこれがね、僕らの本当は想像力のすごさなんですよね。
でもこれに比べたらですね、今そんなものがなくても過去全部なくても今ここに私はあるよねっていうこの単純な現実は、
ものすごくシンプルに受け入れられるはずなんですよね。
これさえできてしまえば、過去とか未来ね、これを自分が何であるかを証明するのに使う必要はなくなるわけですよ。
そうするとそこがふわっと消えて、まさにこの現在の時間、現実の時間、今ここに戻ってこられて何度でもここで再生できるようになるんですよ。
考え方の変化
これはどういうことかというと、僕らが仮にですよ、怒りの視点とか恐れや不安の始まり、そして罪悪感の始まりを持ったとしますよね。
あ、いかんいかんと、私の中に怒りの種が今できてしまった。私の中に許せないものが今できてしまった。
うんだとしても、まあこれは過去を背負ってるってことなんだけども、ここにぶわんと今ここに戻ってきて、
あ、これはなくてもこの過去、終わったことは私の背中に背負わなくても、私はここにちゃんと存在していられるんだっていうね、この感覚が持てたら、
その種を全部、この始まりの点、視点を全部捨てることができますよね。つまり生き返るということですよね。生まれ変わるということですよね。
そんなものがない自分として再生するっていうことじゃないですか。この方が多分僕はですね、自分にとって優しい選択なんだろうなと思います。
その反対はね、さっき言ったように本当はものすごく大変なことをやってるはずなんですよ。
よく自分でもね、これができているなと思うぐらい高度なね、ものすごいテクニックを使っているんだろうなと思います。
そして、つまりですね、ここで出てくるんですよ、考えというのがね。
じゃあ過去ってなんだって言ったら、これはその僕らがね、バラバラ意識に飛び出してきた一つ意識は嫌だと言ってね、
その時身につけた一つのある種の想像のまたなんていうのかな、このアシュみたいなものなんですよ。
クリエイションのアシュということですね。
この考えることによって自分の現実が作れるということに僕らは気づいた。
過去はすべてこれによって生まれてますよね。存続されてますね。
つまり僕らがこの過去について考えなくなれば、過去というのは一瞬にして消えてしまうんですね。
だからさっき言った、過去が自分を作り上げている、そしてこれを未来にまで広げていけばずっと私は継続するという、
これはそのように考え続ければという条件がついているわけね。
だからものすごく儚い。だから夢なんですよ。
僕らの考えの中にしかその自分はいないということね。
一方の現実の本来の自分はこの一つ意識の中で、僕らが何も考えなくても今、
クラゾノ君、今あなたはこの繋がりの中で宇宙の神羅万象と一つのあなたはそこにいますよということをもう証明されてしまっているので、
僕が何も考える必要はないんですね。
ここが大きな違いなんですよ。
じゃあなぜこの考えを手放したくないと思ってしまうのか。
これは今日お話しした流れで言うとですね、この偽りの自分が作り出した、
過去に縛られる自分からの解放
まさにこの夢の自分、仮想の自分を手放したくないという抵抗に決まってますよね。
ここに気づいてしまうとどうしても考えてしまうというふうにもう言わなくて済むんですよ。
そうじゃなくて、どうしても自分で自分を作るのをやめたくないっていうふうに捉えることができるんですね。
これが本質なんですよ。
平安を捨ててまで、僕は無理矢理でもこの頭の中で過去を積み上げながら、
もともと私がそうだった自分ではなく、宇宙と神羅万象の一つというこの平安な自分ではなく、
唯一無二のね、私だけという私を作りたいんだという、このために考えているんだということに気づくことができるんですよ。
でもここで、なるほど、でもそれをやるとさっき言った様々な視点が私を苦しめるんだよねというね、
この代償にも気づくことができますよね。
そしてこの考えを一瞬でも止めれば、僕らはいつでもですよ、何の苦労もなく、努力もなく、精進もなく、
まさに幸せである僕らにふさわしい平安な今ここに帰ってくることができるんですね。
これが考えが止まらないという時に認識する方がいい流れということなんじゃないかなと思います。
要は簡単にまとめておくとね、僕らは特別になりたいという思いを抱きながら欲求を抱いてしまったために、
本当は一番ハッピーで、最も自由で、そしてやりたいことが何でもできるはずだったこの現実の一つ意識から飛び出してしまったんですね。
まさにこの家出みたいなものですよ。
そして僕らの家は実はこの現実の一つ意識しかないのでね、実際の家は外っていうのがあるんだけども、現実の外はないんですよ。
だからしょうがなく自分の頭で作り出すしかなかった。
それは私自身を自分の頭の中で作り出すしかなかったということです。
その材料は何だった?それは過去しかなかったんですよ。
そしてそこにはね、なんとなく最初はね、ここに僕の栄光とか努力の跡とかそういうものがあるから、これが私を形作ってくれると思っていたんだけども、
実は残念ながらそれだけではなくて、そこに罪悪感、怒り、恐れや不安、様々な負の意味付けみたいなことがね、一緒についてきてしまった。
これが僕らの平安を乱しているということ。
そしてこの世界を作るためには僕らは考え続けてなければいけないんですよ。
過去は考えに過ぎませんからね。
ということは僕らが考えたい、考えるのをやめられないと思っているということは、この夢の自分、仮想の自分を作り続けたいと望んでいるんだっていうね、ここに気づけばいいんですね。
そしてそれは絶対に平安は得られない。
もし平安を望むのであれば、その考えを止めるだけでいいんですよ。
何にもしなくていい他に、過去に嫌なこととかね、未来の心配なこととか、過去から来た過去のデータに基づいた未来の不安、そんなものを考えなければいいだけなんです。
これはできなくはないんですね。
本当にこの仕組みに気づき、この考えを止めるというのが何なんだってこの本質に気づくことができれば、この考えを手放す意志を発揮するのは十分そのモチベーションを持ってできるはずです。
しかもさっき言ったように僕らはもっと難しいことをやってますから、ないものを頭で考え続けながらそれを現実を見ているというね、もっと高度なことをやってるんで、これを止めるということができないはずがないんですよ。
できないとすれば繰り返ししつこく言いますけども、自分で自分を作るのを止めたくないというたったこれだけなんですね。
ここに気づけばおそらく、そっかもうこんなの考えても仕方ないんだなっていうふうにおそらく思えるんじゃないかと思います。
でもこれはもう長年の習慣になっているので何度も失敗するでしょう。
でも失敗を繰り返しながらもここに気づいてここに向かうんだと、そうかそうか、俺はもう頭の中でありもしない、そして苦しみを伴う自分を作り出すのをやめるんだというね、ほんの少し意志を発揮すれば、
いつか必ずここにこのね、なんていうのかな、夢から目覚めることができるんじゃないかなと思います。
だから一言ね、これはまあメソッドというかワークというかね、ああいう言葉なんですが、
今考えてダメだなと、また嫌な気持ちになってるなと思ったらね、今私が平安でないとしたらね、私は過去を見ているに違いないっていうふうに自分に言い聞かせてください。
今もし平安でないとしたら、私は過去を見ているに違いない。見ているというのは過去について考えているに違いないということです。
そんな感じでね、前々話の視点を忘れて過ごすかな、それから前話の答えを持たずに動くというのを組み合わせてみてください。
そして私が平安でなければね、私は過去を見ているに違いないと言い聞かせながら、これを作る唯一の材料、考えですね、ここを止めるトライをしてみてください。
これによってね、僕らは随分と多分平安になれると思います。
うん、今日はそんな感じですね。
新しい執筆講座の紹介
で、前回もお伝えしましたが、6月10日にですね、私の新しい執筆講座をスタートします。
これは書き上げ塾のライト板みたいな位置付けで、タイトルがね、描写力を磨いて伝わる文章を書く3時間レッスン。
ちょっと長いんですけどもね。
要は僕らはとにかく普通に文章を書くとね、どうしても説明をするか、もしくは感想を述べるかっていうね、この文章になりがちなんですね。
これはまあ僕らがね、多分作文とかね、小論文とか書かされてきたその習慣もあるんですね。
まあ仕事もどちらかというと感想はないんですけどね、どちらかと言うとこの説明文によってしまう。
で、実はこの説明感想文というのはね、なかなかその伝わりにくい文章でもあるんですね。
まあ共感されにくいというかね。
で、これを描写する文章に変えるために、えっと私はその2つのことをね、お伝えしたいと思っています。
1つはもう自動的にそのように変わる型というのがあるんですよ。
これはもうこの4年間描き上げ塾をやってきた中でね、私は最初は型のような認識はしてなかったんだけど、実は自分の中にたくさんそういう型があるというのに気づいてね、
これをまあ8期の間、まず4年間の間にまとめて、えっとすごくこの自動的にそうなるというね、
この文章をね、やっぱりセンスみたいな話でこう説明してもね、伝わらないんですね。
だからこれをやれば必ずこうなるっていうね、この型があれば、えっとあまりこの才能とかね、そういうものとは関係なく自然に描写する文章に変わっていく。
それからえっとこれは7期あたりから始めたんですが、描き上げ塾のね、短い文章を書くこのライティングワークというのがあるんですよ。
これはあるお題に沿って、そしてあるそのルールに従って書くとね、その書いた文章が、えっとこれも自然と描写になってしまう。
説明と感想ができないっていうね、説明文と感想文は書けないっていう、あのある種のね、このお題とルールっていうのがあるんですよ。
これを使ってその場で短い文章をね、いくつか書いていただきます。
これに僕がそのレビューを加えていくと、これでおそらく3時間ぴったり。
これをやるだけでね、本当に大きく変わると思います。
そしてこのライティングワークはですね、えっと偶然なんですけど、なんとなくその普通にTwitterとかね、投稿できるようなフォーマットになってんですよ。
もうそのライティングワークを毎日投稿するだけでね、いわゆるこのTwitterの普通の投稿にもなるし、
その投稿をやりながらものすごく描写力が磨かれていくというね、えっとこれは偶然なんですけどもね、そういうものを3時間、もうほんとわずか3時間でお伝えできる。
だから原稿も書いていただかなくていいし、めんどくさいことは一切ないというね。
だからこの手っ取り早く文章力、執筆力を上げたいという方にね、本当におすすめなので、よかったらご参加ください。
抜け出すための考え方
じゃあ今日はですね、僕らが自分を苦しめるような考えをなかなか自分の意思で止められないのは、もう一つの意思が働いているから。
それはこの本来の自分ではない、もう一人の自分を自分自身で作りたい。
これを過去を使って作りたいというこの意思が働いているということを見抜いてですね、
そうか、私が考えなければこの世界から抜けられるんだなっていう風に捉えながら、一瞬でもいいから考えを止めて今ここに戻ってみてください。
そのようにしていい一日をお過ごしください。ありがとうございます。
47:26

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