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2024-04-11 19:24

#593 どのコミュニティにも馴染めなかった人間の一つの解

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やっぱり、つくるしかない。

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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、どのコミュニティにも馴染めなかった人間の一つの解、というお話をしたいと思います。
本題に入る前に、告知というかご報告です。
何回か前にですね、案内してました、上水公園ですね。公園にレジャーシートを敷いてですね、いるという
イベントというのか、よくわからない活動を4月からやり始めたんですけども、それがね、第1回目、第2回目と終了しました。
天神中央公園というですね、福岡の天神のど真ん中にある公園でですね、
初回は日曜日、2回目は平日の朝という感じで、3時間ずつレジャーシートを敷いたんですけども、たまたまね天気もすごく良くて、気持ちの良い中、
日曜日はね、5名、6名かな、来ていただいて、平日の朝は、平日の朝だったんですけどもね、一緒にポッドキャスやっている
ユン君というね、あの討論カフェというポッドキャストを一緒にやっているユン君が遊びに来てくれました。
まあね、すごく良い時間でしたね。なんか特に目的を持って集まっているわけではない中で発生する
緩やかなコミュニケーションみたいなのがね、良かったですね。何か達成すべき目標もなく、
ただ心地よく過ごすという感じがすごく良かったですね。1回目もね、コーヒーを差し入れしていただいたり、
福岡のイチゴですね、天を大量に持ってきていただいて、イチゴを配ってね、みんながイチゴを食べるというような時間があったりとか、
あとね、赤ん坊を連れて来てくださった方もいて、癒されるというような、すごいね、
なんか、なんでしょうね、すごい良かったですね。これは毎週1回続けていきたいなと思っています。
当初ですね、晴れた日の暖かい時期だけにしようと思ったんですけど、雨はさすがに難しいんですが、これはね、
継続することに意味があるなと、やることに意味があるなというふうに感じてきた。早くもそのように感じてきたので、これ冬もね、
やっていきたいと思ってますね。誰も来ないと思うんですよ、冬に関しては。それでも年中、当初ですね、公園にレジャーシードを敷くという、
この継続することに意味があるということで、やっていきたいなと思ったっていうのは、この1,2回です。
まだ今はね、春で気候もいいんで、ぜひね、タイミングが合う方、遊びに来ていただけたらと思います。
概要欄の方にカレンダー、スケジュールを貼っておきますんで、僕がどこの公園にいついるのかっていうのをね、スケジュール公開してますんで、
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タイミングが合う方、ぜひお会いしましょう。というわけでですね、本題に入りたいんですけども、
どのコミュニティにも馴染めなかった人間の一つの回ということで、僕が記憶する限り、2019年の11月にですね、自分のノートでですね、書いたんですが、
コミュニティに馴染めないと。なので、自分でなんか心地の良いコミュニティというか、自分の居場所を自分で作っていかなければならないな、みたいなことを文章で書いた記憶があります。
ちょっと読み返してないんで、どんなこと書いたかって詳細は覚えてないんですけど、とにかくそのようなことを書いたと。
これまでの人生を振り返ってみてもですね、ほとんど何らかのコミュニティでしっくりきたことがないという感じですね。
唯一心地が良かったのは、自分で企画して、20代前半の頃にですね、自分で企画して、花見とかキャンプとか忘年会とかをですね、
もう季節行事みたいなのをずっと、なんかわかんないけど、やってる時期があって、1年半ぐらいの間。
その時に自然とできてきた30人ぐらいのコミュニティみたいなのはですね、とても心地が良かったですね。
やっぱりその自分で自分の心地良い距離感で人と関われるっていうのは、僕はやっぱり心地が良いので、
やっぱり誰かが作ったコミュニティには、その誰かが作ったコミュニティのその空気感とか、暗黙のしきたりみたいなものがあって、それがね、やっぱり自分とフィットしない。
まあ神経質なんでしょうね。だから自分で作らないとやっぱり納得いかないというのがあるんだなと思います。
遅延、血縁とか言ったりしますけどもね、そういうのって割と自分で選べない。
まあ血縁は選べないね。血が繋がっちゃってるからね。選べないですね。遅延も生まれながらね、その土地にみたいなのがあるんで選べないと。
僕で言うとね、家族はやっぱりね、苦労して自分を育てていただいたという意味で、当然感謝はあるし、特別な存在ではあるんですけども、
居心地がいいとかね、価値観が合うかというと別にそんなことはないので、なんというか、ほとんど実家にも帰ってないですね。
なんか祖母の葬式とか、四十九日とかで帰ったぐらいで、例えば正月に会いに行くとかね、そういうこともしてないので、もうかれこれ、そういう意味では何年も帰ってないっていう感じで、
普段から連絡取るわけでもないしって感じで、家族とは疎遠ですね。仲が悪いわけじゃないんですけども、疎遠であると。
遅延という意味では、田川という町で僕生まれ育ったんですけども、最近のですね、コテンラジオというポッドキャストで田川のですね、田川尖ってるみたいな回があったんですけども、
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まさに僕自身、田川という土地のDNAみたいなものをかなり受け継いでですね、ヤンキーではないんですけども、尖ってはいるというふうな自覚はあるんですよね。
あんまり一般的なことをやらないがちというか、変なことしがちなんで、結果として別に意図せず尖ってしまうみたいな、パッと理解できるようなことをやらないがちなんですよね。
なんかね、自然と尖ってしまうっていうのが、そういうDNAを引き継いでしまってると思うんですけども、だからといって田川に特別親近感があるかっていうと、親近感はあるけど、貴族意識はあんまり強くないんですよね。
田川というふるさとが活性化したりとか、田川の人が活躍するっていうことに関して、とても嬉しいなという気持ちはあったりするんですけども、
だからといって自分がその一員であるという感覚はあまり持てないですね。
なんかこれも、尖ってるみたいな意味でのDNAは引き継いでるけども、ノリが合うかっていうと、ちょっとノリが違うなって感じるというか、やっぱりしっくりこないんですよね。
遅延でも欠延でもないっていう意味で言うと、人の縁みたいなものもありますよね。
人の縁はちょっと広いので、人の影響で間接的に知り合うこともあれば、直接紹介されるみたいなやつもあると思うんですけども、紹介みたいな直接の人の縁っていうのは重いですね。
嫌ですね。紹介されるとしがらみがあるんで、めんどくさいっていう感じです。
その後はですね、バンドシーンみたいな感じで、僕が20代前半の頃ですね、福岡のバンドシーンに所属してた、ライブハウスに勤務しててですね、そこがやっぱり一つの界隈としてコミュニティというかですね、あったんですけども、
そこでもですね、しっくりこないと。
すごくね、尊敬する人たちがたくさんいたし、面白いなと思う人たちもいっぱいいたんだけども、自分の居場所だなというふうには感じなかったんで、
さっきも言ったとおり、自分で作ったといえばね、語弊があるんですけども、自分が企画して、いろいろイベントやっていくうちに自然とできてきた人間関係みたいな、そういう集団ぐらいですかね、今まで心地よかったと思えるのは。
そのコミュニティもね、過去話しましたけども、当時お付き合いしてた人と別れたことで亀裂が入ってですね、コミュニティから排除されるというようなことが起こりましたけども、そんなこんなで38歳、もうすぐ39歳、気づいたらですね、自然とコミュニティ難民になっているという感じでございます。
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最近、全然関係ない文脈で小説、詳しく説明の小説ね、小説政治経済緊急第2版山川出版っていうね、政治経済の教科書をですね、開いたんですけども、
その時にですね、第1部第1章第1節にですね、国家と社会集団っていう説があって、そこに書いてあったことが、なんか、おお、と思ったんですけども、読み上げますと、
ロックやルソーらの社会契約論者が主張するように、人間は生活向上を目指し、集団社会を形成してきた。そのため、これまで多くの社会集団が生まれ、一般的に、現代では人間は複数の社会集団に同時に所属している。
人間が所属する集団は、1、自然発生的に成立した集団で、血縁集団や遅延集団など、人格形成に重要な役割を果たす基礎的社会集団。
2、派生的、人為的に成立した集団で、経済集団、政治集団、文化集団など、一定の目的、組織を持っている機能的社会集団に分類される。
なお、現代社会は機能集団の比重が増大しており、また、人間活動の多様化で機能集団も分化しているため、集団への帰属意識が希薄化している。
ということで、これを読んだときに、自分は基礎的社会集団、遅延とか血縁の集団に対してとても距離を置いていて、機能集団、機能的社会集団に所属することで、何とか自分の居場所を確保してきたと。
何なら、友人関係もプロジェクト化するという傾向があり、これを言うとちょっと惹かれるんですけど、何でもかんでもプロジェクト化しがちだと。
例えば、ポッドキャスト番組にすると。21世紀の食いしん坊というグルメ番組をポッドキャストでやってるんですけども、それは小学校の幼馴染とやってますと。
別に何もなくても幼馴染と月に1回食事に行ったりとか電話したりとかすればいいんだけども、しないんですよね、僕はね。
だからポッドキャストという活動を通じて定期的に関わっていくみたいなこと。機能的社会集団にすることによって、そういう関係にすることによって継続的な関係を結ぶという、ちょっといびつな感じで何とか人間関係を維持しているというところがあります。
機能的な集団にすることによってベタベタしすぎない感じがして、僕はちょうどいいなと思うんですよね。
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でも一方で、機能的社会集団、機能で分けてしまうというか、機能に限定して、限定というか機能を軸にして集まると、それその薄っぺらさというか、時には窮屈さみたいなものを感じるんですよね。
21世紀の食いしん坊みたいなのは、あんまり窮屈にならないようにしているので、そこの友人性みたいなものを十分に担保しながらやっていっているので、そこの薄っぺらさとか窮屈さみたいなのを感じないようにしつつも、形状機能的な社会集団にしているみたいな複雑なんですけども。
例えば会社とかになってくると、より機能に特化して、あんまり結果とかどうでもいいからとはならないというか、結果もすごく重要になってくるし、プロセスさえも重要になってくるし、かなり窮屈になりがちですよね、機能の集団というのは。
という感じで、そうだね、21世紀の食いしん坊を例題に出したことによってちょっとわかりづらくなっているけども、機能的な集団というのは、結構機能をしないと関わりにくくなるよねっていうことなんですよね。機能できる人としか関わらなくなるよねっていうことなんですよね。
意外と人間って僕が思う人間っていうのは、そんなに機能的じゃないよなって思うんですよ。だから、機能的に機能しない人と関われないということになってしまい、機能的な社会集団だけではやっぱりどうしてもスッペラくなってしまうというか、人間関係が限定されるよなって思っていると。
そういう物足りなさみたいなものを最近は感じるというか、物足りないわけでもないけども、より物足りないのか、よりいろんな人と関わっていきたいという気持ちが出てきていると。欲深いですけども、僕は人間に興味があるんだろうなということですね。
ここまでをバラバラ話しちゃったので整理すると、遅延や欠延、特に人の縁で言えば直接の障害など、遅延、欠延、障害などはしがらみが多くて、離脱しづらいとか断りづらいとかって面倒くさいっていうのがある。
一方で、機能的な集団だと機能しないと関わっていけないということで、ここからこぼれ落ちる人たち、こぼれ落ちるというのは僕の中で視野に入ってこない人たちっていうのが出てきて、もったいないなと、もっといろんな人たちと関わりたいなと思ったときに、しがらみが少なくて、別に機能しなくても関わっていける関係性のコミュニティがあればいいのになと思うわけですね。
それで思い出したのが、20代前半の頃にやっていたいろんな企画をして、そこでいろんな人たちが集まって、繰り返し集まる中で、結果、コミュニティっぽくなると。
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でも別に、なんとかコミュニティだよねとかって名前がついてるわけでもないし、会員化、非会員化があるわけでもなく、来たり来なかったりもするし、いろんな目的を持ってくる人がいるしっていう感じで、とてもある価値観というか世界観みたいなものは共有していたと思うんですけども、逆に言うとそれ以外のものは共有していない、多様な人たちが集まっている、すごい面白い空間だったなと思ってるんですよね。
それをもう少し持続可能な形でやれないかなと思ってるのが、株式会社現象の活動であると。
去年の株式会社現象はそんなことなかったんですけども、今年からその辺をかなりイメージして、存在としての講演というミッションを掲げて活動し始めたという感じです。
なので事実上、さっき言った遅延とか欠延とか直接の人の縁みたいなしがらみの多さでもなく、かといって機能しないといけないみたいな責任感というか能力とかいろんなものが限定されるものもなく、関わっていけるコミュニティを作ると。
そんなことができるのかと言われるとできないかもしれないけども、それに挑戦するということをしていきたいなと思ってるんですね。
ある意味、僕が思う理想のコミュニティ、小さな社会みたいなものを形成していきたいという気持ちが最近強くなってきているという感じですね。
そこで重要になってくるコンセプトというのは、さっきも言いましたけども、講演であると。
世界観と治安が保てれば、目的も各自の属性や能力みたいなものもバラバラでいいんだと。
いつでも参加できて、いつでも離脱できて、またいつでも参加できるという気楽さ。
硬着していかないような、風通しの良い、軽やかさのあるそういった関係性を築けたらいいなと。
それは人と人というよりは、僕自身が場となり、そのような場であるという場を作るんだという感じでやっていきたいなと思っているんですね。
ここ最近ずっと言ってますけども、いろんな場作りをしていく、いろんな活動をしていくということで。
その中の一つが、冒頭にも言いましたように浄水講演という企画で、まさにこれは最もミッションと強く紐づいているというか。
ミッションがぶれないためにも、自分への今しめとしてやるような側面もある。
修行としてやるような側面もあるんですが、講演にレジャーシートを敷いているということで、
講演という場の中に場を作ることで、講演の一部になるということで、自分の中にその講演性みたいなものを取り入れていく。
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そしてその活動自体を発信していくことで、存在としての講演というコンセプトが映像としても、実績としても積み上がっていくということで、
その講演性みたいなものを積み上げていくための大切な活動ですので、
一見、講演にレジャーシートを敷きますと言うと、バカげていると思われるかもしれないんですが、
とても意味のある活動だなと思って取り組んでいます。
というわけで、今年は毎週1回ペースで講演にレジャーシートを敷いています。
お近くをたまたま通られるという方は、フラッと寄っていただけると嬉しいです。
長居していただく必要もないですし、ちょっと挨拶するだけでもいいですから。
もちろん長居していただいてもいいですし、必ずしもコーヒーを差し入れしなくても手ぶらで来ていただいて大丈夫ですから、
よかったらお会いできると嬉しいです。
本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。
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