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2025-02-24 20:04

存在としての後援(1 はじめに)

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<p>[第188話] 現象メンバーシップ「存在としての後援」についてのご説明(1/5)</p><p> </p><p>・半生<br><a href="https://note.com/y_uemizu/n/n9cdee3b8b1bd">https://note.com/y_uemizu/n/n9cdee3b8b1bd</a></p><p><br>・現象のラジオへのご感想ご質問はこちら<br><a href="https://forms.gle/eXiRpVmKKvWrZJCR8">https://forms.gle/eXiRpVmKKvWrZJCR8</a><br><br>・現象メンバーシップ「存在としての後援」はこちら<br><a href="https://forms.gle/eXiRpVmKKvWrZJCR8">https://forms.gle/eXiRpVmKKvWrZJCR8</a><br><br>・公園活動の予定はこちら<br><a href="https://www.gensho.world/schedule">https://www.gensho.world/schedule</a><br><br>・上水優輝のXはこちら<br><a href="https://x.com/y_uemizu">https://x.com/y_uemizu</a><br><br><strong>現象とは:</strong><br>「存在としての公園」をコンセプトに、自らを“公園的なるもの”のシンボルと位置づけ、場づくりを中心としたさまざまな活動を行っています。そこではいったいどんな予想外の出会いがあり、どんな現象が起こるのか。ぜひ「現象の公園」に足をお運びいただき、あなた自身の感覚で体験してみてください。<br><a href="https://www.gensho.world/">https://www.gensho.world/</a></p>

サマリー

このエピソードでは、存在としての後援や現象メンバーシップの概要が説明され、リスナーにはサポートプログラムの開始が伝えられます。また、人とのつながりが人生に与える影響やキャリアの変遷についても語られます。ポッドキャストを通じて、人間関係やコミュニティの重要性を再認識し、存在そのものの価値について考えるきっかけが提供されます。新たに設立された株式会社現象では、固定化された序列関係を避けた理想的なコミュニティ形成を目指しています。

存在としての後援の紹介
皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
2025年3月1日から、存在としての後援、現象の後援活動をご支援していただくためのサポートプログラムとして、
現象メンバーシップ、存在としての後援を開始します。
今回は、そのメンバーシップについてですね、詳しくご説明させていただけたらと思います。
改めて簡単に自己紹介すると、僕はですね、福岡県田川郡川崎町で幼少期から育ち、高校時代からですね、バンド活動に没頭していました。
高校卒業後もバンド活動を続けて、22歳の時に福岡市に移り住んで、一層バンド活動に情熱を注いであるんですけれども、25歳で挫折。
その後ですね、27歳の頃に作業療法士の資格を取るために専門学校に通い始めたんですけれども、
その専門学校も業界が合わないなということで辞めて、そこからですね、教育系のベンチャーに移って新規事業の立ち上げだったりとか、ビジネスパーソンみたいな日々を送って、
30代後半ではですね、スタートアップ企業との掛け持ちをして、ベンチャー2社で勤めながらバリバリ働いていたんですけれども、
2023年春に1社退職してですね、株式会社原商を設立しました。
2024年からですね、今につながる存在としての公演というミッションと、多元的な価値を認めることができる世界へというビジョンを掲げてですね、公演活動に従事しています。
詳しくはですね、繁盛を幼少期から時系列で語ったエピソードというのが原商のラジオでございますので、気になった方はですね、概要欄のリンクからぜひお聞きいただけたらと思います。
そして、3月1日からですね、いよいよ原商は公演活動を維持、発展させていくためのですね、サポートプログラムとして原商メンバーシップ存在としての公演を開始することにしました。
このメンバーシップの目的についてですね、率直に申し上げますと、原商のですね、公演活動を継続するため、そして発展させていくためのサブスクリプションによる経済的な支援をお願いするものになっています。
人との繋がりの力
お金をご支援いただいた方に何か直接ね、サービスを提供するというようなものではないんですね。
得点等はですね、もちろんございますけども、あくまで支援のお礼として、おまけとして受け取っていただけたらというようなささやかなものになっています。
このようなですね、寄付モデルっていうのは、一部のコミュニティではそんなに新しい考えでもないかなと思うんですけど、一般的にはですね、まだまだ意味不明だと思いますので、責任をもってですね、詳しく説明する必要があるかなと思って今回のエピソードをですね、撮っています。
具体的にはですね、なぜ講演活動なのかという問い、そしてなぜこの寄付モデルなのかという問いに答えられるような内容にしていきたいと思っています。
少しね、長くなるかもしれませんけれども、ぜひ最後までお付き合いください。
なぜ講演活動なのかっていうお話をする前にですね、講演活動を始めたその背景、バックグラウンドみたいなところですね、そこから話していかないといけないかなというふうに思っています。
ポイントは大きく2点。
一つは人が持つ力、人との繋がりから生まれるきっかけみたいなもの。
そしてもう一つは現象を設立し、そして僕が中年であるということですね。
詳しく説明していきます。
まず一つ目、人との繋がりが持つ力ですね。
僕自身幼少期から様々な経験を通じて、結局人との繋がりが一番大事だったなというふうに思っています。
人との関わりの中できっかけをもらって、そのきっかけをつかむ形で人生がですね、階段上ではなくて、全然別のステージにジャンプするような感じで、別世界にどんどんどんどんジャンプしてきたような、そんな人生だったかなというふうに思っています。
すごいざっくりな振り返りになりますけれども、例えば小学校のときにいわゆる陰キャと陽キャみたいなのがありますけれども、完全なる陰キャだった自分が3年生のときにクラス1の陽キャみたいな人に気に入られたことによって、突然陽キャの仲間入りをすると。
こういう一瞬にしてですね、スクールカーストを移動するみたいなことが起こったり、これもまさにその一人の友人の力で別世界に移ると、それが良い悪いはさておきですけれども、別世界に移動するという経験をした現体験かなと思っています。
悪い例で言うと、中学校のときにサッカー部に入部したら、その顧問の先生というのがものすごいパワハラというか過剰な指導だったので、虐待と言っても過言ではないレベルだったんですけれども、たった一人の顧問の力によって主体性がそがれ、
意思の力がなくなっていくというような経験もしました。ある意味ではそれも人の力によって、たった一人の人の力によって、僕や同じサッカー部のメンバーの生活が変わったと思います。
その後も福岡市に出てきて、出てきたらいいもののバイトと家の往復という感じでふぬけていたわけですけれども、万能市に福岡に来たのにバイトしかしてないという状況に対し、マンションの管理人さんがカツを入れてくれて、
それによって僕はライブハウスにその足で向かって、そこからライブハウスで働き出したりとか、そこでまた人と繋がって、ライブハウスから引き抜かれて、そこから玉付きのように、どんどんどんどん福岡での人間関係というか、それを含め生活というのが前に進んでいったということがあったんですね。
その後、専門学校に通い始めた時には、クラスメイトとはもちろん仲良くしてたんですけれども、誰にも頼れないと、信じられるのは自分だけだということで、一匹おかみでやってきたんですけれども、やっぱり味気ない。
それはそれで社会生活を送れるんだと思うんですけど、人生としては味気ないなというふうに思ったんですね。
医療業界も自分には合ってないなと。事前に調べるという感じなんですけれども、医療業界も自分には合ってないなということで、専門学校を辞めようと思ったときに、非常勤講師。
その学校の非常勤講師で来ていた教育系ベンチャーのとある社長さんが、僕を誘ってくれました。
何の実績もスキルもない中、事業立ち上げから何から何までいろいろ任せてくれて、すごく経験になったし、それが自信になりました。
お酒真っ暗だなというところに、また別のキャリアというか別の場所をきっかけとして用意してくれたと。
それをつかんで、そこでまた活動できたというのは、本当に人とのつながり、人の力だなというふうに思っています。
さらにコロナ中だったかな、クラブハウスというアプリが始まったときには結構みんなでしゃべっていたんですけれども、
そのときに出会った方と今一緒に活動をしていたりとか、また仕事を紹介されることになると、一緒に働きませんかということでお誘いをいただいて、
そこからアベンチャー2社で働き始めるというようなことが起こったりと。
これはいわゆる社会のレールというか、簡単に言うと高校行って大学行って就職してみたいな、
そういうきれいな流れに乗っている人にはなかなか想像がつかないキャリアだと思うんですけれども、
普通キャリアというときには今までの経験を生かして次に行くと。
今持っているスキルであるとか実績をもとにそれで戦えるものという感じで、階段上で次のステップに行くと思うんですが、
僕の人生を今すごくざっくりお伝えしただけでも、とんでもない方向転換を何度もしていると。
それはその時々に出会った人たちからのオファーみたいなものに乗っかってみたというやつですね。
きっかけをもらって、そのきっかけをつかんでみたら別のステージで活動することになり、
そのステージで活動しているとまた誰かと出会って、そこで何かきっかけをいただくという、
そういった感じでまさに人が持つ力ですね。
その人との縁の中できっかけをもらって、そのきっかけが人生を変える原動力になった。
原動力というか人生を変える直接のきっかけになったというところですね。
さらに良かったのは、なっしくずし的に変えられたとかではなくて、
飛び込むか飛び込まないかは自分の意思に委ねられてきたと、
自己の意思と行動
あくまでお誘いだったと、やりませんかと、良かったらどうですかというオファーだったと。
これは自分の意思でですね、納得して飛び込んでいるというところも、
すごくポイントとして大事なところかなと思っていますね。
させられたではなくて、いろんなきっかけをいただいて、
そのきっかけに自分でジャンプしたというところがすごく良かったなと思っています。
これが一つ目ですね。
人の持つ力、人との繋がりによってもたらせるきっかけの力というところです。
二つ目、中年になったことと現象を設立したことについてなんですけれども、
現象を設立したのは、結構偶然の部分というのも大きかったかなというふうに思っています。
ベンチャー2社を掛け持ちしながらですね、バリバリ働いていた、2022年ですね、頃ですが、バリバリ働いていました。
もっと言うとベンチャー2社プラスですね、個人事業主としてもコンサル業をやったりとかしてですね、
ある種3つの活動をやっていたわけなんですが、
2023年の初旬に、その2社目のベンチャーが、ここから5年間ぐらいは、ものすごい理不尽なことが起こっても、ものすごい変化が起こっても、
知恵度をはきながら頑張って耐えしのぐ、みたいなコミットメントが求められるような局面にあったんですね。
考えた末に、どうせ苦労をするんだったら、なし崩し的にそこに巻き込まれる形ではなくて、
自分の会社でそうありたいなというところで、全職を辞めることを決意しました。
2023年の春に退職し、それとほぼ同時に株式会社現象を設立しました。
この時はまだ何をするかというのは具体的には決まっていなくて、組織化せずに一人会社としてやっていくということのみを決めていました。
固定化された序列関係みたいなものがすごく僕は苦手、好きではないので、組織化したくないと。
固定化した序列関係を作りたくないと。組織なんて序列の塊ですから、そういったものをやりたくないというところで、
とりあえずは個人事業主の延長としてコンサル業で設計を立てるというような状態からスタートしました。
ただ、わざわざ株式会社現象を設立していますから、何をする会社なのかということは活動をしながら考えていくという、
それが2023年だったかなと思っています。
2023年には試行錯誤でポッドキャストをたくさんやりました。いろんな番組を立ち上げてやりました。
そうすると、人隣みたいなところに興味を持っていただいて、リスナーさんからですね。
それは僕の実績とかスキルに興味を持ってもらっているわけではなくて、
どんな人なのかという、人間に興味を持ってもらったというところがすごく良かったなと思っています。
いわゆる機能、何ができるかじゃなくて、存在ですよね。どうあるかとしての価値みたいなことが認められたと言っても、
過言ではないというか、存在として価値って出せるのかもしれないというふうに思えたのはポッドキャストのおかげかなと思っています。
またポッドキャスト関連でですね、新たにリスナーさんと出会う機会というのがたくさんあって、
ポッドキャストを事前に聞いてくださっているので、初対面のときの会話みたいなものがすごく深まるんですね。
社交事例とか探り合いとかが必要ない、僕がどういう価値観でというのもあらかじめ知ってくださっているので、
相手もどれくらい突っ込んでいいのかとか、自己開示どれくらいしていいのかということも調節しやすいようで、
関係が一気に深まると、初対面でも結構深い話ができるというような経験をたくさんしました。
これでですね、ポッドキャストと人間関係というかコミュニティみたいなものの相性の良さというのを、
理想のコミュニティ形成
改めて実体験として持つことができました。
これでですね、機能に依存しないコミュニティというのが、いわゆる存在と存在でつながれるようなコミュニティ形成というのができるかもしれないとぼんやり思ったりしました。
そして、そんな時にですね、僕はもう現在39歳ですけれども、30代後半ということで中年ですね、
そろそろなんか星を据えてですね、社会との関わりを持つような人生をかけた何かに打ち込みたいなという気持ちも生まれてきていたんですね。
そこで何をしようかなっていろいろ考えた結果、コミュニティだと。
そしてそれは、僕がですね、固定化された序列関係みたいなものをとても苦手としているので、
固定化された序列関係ってすごく閉鎖的だし、それがいつの間にかがっちり構造化されて、不公平、不平等な感じになりやすいなと思って。
そういうコミュニティは僕はすごく言い心地が悪いなと思うので、自分が思う理想のコミュニティ、序列関係が固定されて、
序列関係が固定化されないような流動性のあるコミュニティ。けれども、人がいつかないような流動性ではなくて、ゆるやかにつながっていられる。
この絶妙なバランスのコミュニティを作れたなと思って考えたのが、存在としての公演ですね。
これを踏まえて、なぜ公演活動なのかという話をいよいよしていきたいなと思っています。
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