会社組織の命令と共通性
簡単に言うと、けいたさんが悩みを打ち明け始めましたよ、登録して。 レコーディングをカメラの前でね。
でもそれすごいわかる。会社の中、会社ってさ、命令が聞くじゃない? だからオレンジパラダイムってやっぱ必要な時ってあるのよ。
そうですね。 命令してるわけでは全然ないんだけど、なんか共通の思いを持って共通の目標に向かって走ろうよってすごい前提が、なんかやっぱり会社組織の中にはあって。
だから自ずとこう問題をみんなで解決しようって起きやすい。
その中に変な指示、命令とか、人の気持ちをないがしにするコミュニケーションが行われてたら問題が勃発するんですけど、そういうのってもう解決はしやすい。問題がはっきりしてるんで解決しやすくて。
コミュニティってやっぱりちょっと会社組織と全然違うし、だいぶグラデーションだし関わり方とか。
そうなんだよね。
あと、金銭的なところもやっぱり会社組織より生まれにくいから、難しいポイントがもういっぱいありすぎて。
そうなんだよ。ほんとそう、それ。
こんなん自分一人でやったかんわってなってる感じですね。
サービスだというか、社会人になって初めてかもしれないな。
めっちゃいい経験。
めっちゃ難しいというか、そんな悪い気はしないですけど、難しいと思いながら日々生きてますけど。
難しいよね。
できればみんなに集まってほしいけど、でも強要するわけにもいかない。
そうそうそうそう。
で、なんか一人で汗やせしちゃってるけど、誰も見てくれないっていう感覚があるっていうか。
コミュニティの特徴
なんか自分だけが、別に自分だけがやってるわけじゃないんですけど、そんな感覚に陥るというか。
なんかあれ周り全然ついてきて、ついてくるっていうのも変なんですけど、一緒に踊れてないみたいな感じ?
それは分かる。
コミュニティってさ、誰かのやったことに対してもっかるってすげえ楽なんだけど、
誰かが先頭に立ったときの負担って、組織のそれとは比にならない。
そうそうそうそう。
違うものを測ってる感じ。組織の場合はさ、リスクをとりながら。
リスクっていうのはその金銭的なリスクとか、自分の立ち位置とかそういったリスクがあるんですか?
コミュニティにおけるものっていうのは違うんだよね。
そう、全然違うんですよ。なんか今まで会社組織でやってた組織作りのノウハウが一切いけない。
分かる。
全然いけなくて。
面白いけどむずいなっていう。
この中でさ、僕らはさ、生態系を作ろうとしてるじゃん。
経済を回しながら、それ以外のことを回しながら、
可能性はめっちゃ感じるし、世の中もこっちに触れていくんだろうけど、
問われる、自分自身のあり方っていうのは、そっちのスキルとかじゃない気がしますね。
MBAとかさ、マーケティングの理論とか、マネジメント方法とか、それこそ式学みたいなやつとか、
それは確立されてきてるからできたけど、
このコミュニティにおけるそれに近いものってまだないんだよね。
ない。ないない。
それができればいいけど、いわゆる西洋思想でできるならば、
マニュアルとかでいいのかもしれないけど、東洋のあり方なんで。
そうそう。そうなんですよね。
そういう確立的なノウハウとかではない世界なんだと思うんですよね。
発光とか、自然の森とか畑の生態系とか、そっちの方にヒントがあると思うんですよ。
本当それ。本当それ。
だからすごい共感できるところが、桂田さんが出してくれたエコシステム図があるじゃないですか。
エコシステムで今さ、あれが多分コミュニティの中に該当するじゃないですか。
桂田さんがラボの中で作ってくれた花ジャムの中で作ってくれた土壌の絵とかもあるじゃないですか。
そこにすごく自然の中とコミュニティの中での通じるものがあるんだと思うんですよね。
そうですよね。
しかも自然は結構空発的に作られてきているのかなと感じるから、
一対一じゃないというか。
そうそうそう。一対一じゃないんですよね。N対Nなんですよね、あれね。
そうなんです。水一つ取っても小川の水が流れてきて、その水を救いました。
で、自分が飲むじゃない。で、また戻ってくるはずなんです、その場所に。
いずれか時間が経つにしておいて。
じゃあそれがどうやって戻るのかっていうのがあまりにも多すぎるじゃない。
排泄物なのか、その体から水蒸気として。
確かに。
雲になり、で、雲の上はジェット気流があって流れていって、
で、海に落ちるものもあれば森に落ちる水もある。
水の前に水蒸気が水滴になって地表に落ちて水たまりになって、
で、地面に浸透し、で、地下にまた水が溜まる。
それがいずれ流れていって川に繋がるっていうのはあまりにも多い。
でもこれを1個、2個、3個、4個とかだんだん紐解いていくと、
コミュニティの中での活性化するための仕掛けが見えてくるんじゃないかなと。
そうですよね。
どこまでそれを根気強くできるかどうか。
そうなんですよね。
多分生態系ってそんな1夜、2夜でできるもんじゃないじゃないですか。
本当に時間がかかるし、やっぱりその過程の中で生態系が崩れて、
死んでいくものもあると思うし、生態系だから。
そう、だから難しい。
コミュニティと会社組織の違い
そう思う。だからさ、僕らの中のコミュニティを自然のエコシステムで照らし合わせるとして、
やっぱり日常生活、みんな何してるのっていうのにもうちょっとなかった。
ないんじゃないかなと僕は思ってる。
なるほどね。
それこそもう本当プライベートなことをこじ開けるぐらいまでしないと、
全部紐解けないと。
じゃあなぜ例えばサードプレイスに入ったのかとかで言うと、
表面的には楽しいからとか、あの人に紹介してもらった。
なんだけど、楽しいって何?って言ってた。
じゃあ楽しいを深掘りしていくと、その人の老いたちを探していくわけじゃないですか。
楽しいエピソードが過去になったから、共通する点がそのサードプレイスにあったっていう認識になったっていう。
それを行動するためにはどういう決断をするんですか?
何をしない行動をとったんですか?
じゃあそれはどういう理念探し?
もう人間の思考プロセスを徹底的に紐解いていくっていうのかなって思う。
しかもそれは観測した瞬間もう変わりゆくから。
そうですね。
再現性ないっていう。非常に深い。
いやー非常に深いねんな。非常に深い。これは非常に深い。
なんか非常に深い。
僕社会人1年目みたいな気分ですもん今。
ほんまに。
分からなさすぎてね。
分からなさすぎて。ほんとに。
だから役割がさ、ほんと違うと思う。
僕は勝手にモードが分からない。結構類似性を感じていて。
IMFPで同じところもあるし。
自分のやってることに自責の面が強いというところもすごく分かるし。
何か発言したらちゃんと形作りたいっていう気持ちもあるから。
でも僕らはカオス作れない。
これカオスカオスって言うと、まずは私がカオスクリエイターであんまり本人がいいと思ってないような発言する。
だからね、僕らは何をしたいかっていうと、
知らない空発性を生み出したいし、
その空発性に対してみんなが興味関心を持つような空気作りを本当はしたいんだけど、
だけど僕らはどっちかというと積み上げタイプなんで、
なんか筋が通っちゃう。
そうそう。
この筋の通らないところを作ることができないから、
そうそうそう。
新しい積み上げができないんです。
そうなんですよ。
だからやっぱマーちゃんとかサットさんとかの存在はやっぱね、
コミュニティにおいては多分僕は重要だと思ってて。
ほんとそう、ほんとそう。
気づいてないかもしれない。彼らは。彼女たちは。
その重要性をね。
うん。
結構だから、何つーのかな。
価値って言うとあれだけどさ、
逆転すんだよね。
その会社組織においてはできるだけアレーションを起こす中で。
あー確かに確かに。
だから評価値低いんだけど、コミュニティにおいては、
いやその発生状況も大事で。
経路なんですよね。
そうそう。
興味関心にエネルギーが湧いてくるから人が集まる。
だからすごく価値を感じるけど、
こっちのパラダイムでいくと価値低いよね。
だからその価値が僕らとしても感じていて、
組織の中でしっかりとやってきたんだけど、
コミュニティの中においてしっかりとやっちゃうと、
結局寒くなるんだよね。
そうそうそう。
しっかりやらない方がいいって言うのとも変なんですけど。
ほんとそうだよ。しっかりやらない方がいい。
しっかりやっちゃうんだよね。
しっかりやることもあるっていうのも分かってるよね。
そうそうそう。
多分ね、これ両方多分言って、
やっぱり01みたいなところをカオスで一旦混沌とするとかも、
楽しさも含めていろいろあったらいいと思ってて。
ただそれを形にしていく過程の中で、
多少しっかりやるところも多分必要で。
両方あったらいいと思うんですよね。
多分組織における重要性が、
ティムさん言うように、
普通の会社組織においては、
多分しっかりやる方が重要だと思うんですよね。
でも新規事業とかを考えたら、
やっぱりカオスみたいな瞬間も多分いるから、
両方大事なんですけど。
そうなんだよね。
そうそうそう。
でも多分日常生活においては、
しっかりやる方が多分大事で、会社は。
そう。
コミュニティはそれが逆転するんだよね、完全に。
逆転、そうなの逆転するんだよね。
だからさ、
両方いるのは変わんないけど。
コンフォートゾーンを抜けることになる。
コミュニティにいると必然的に。
組織の中ってやっぱりきっちりやるから、
コンフォートゾーン、組織体としても抜けづらい。
新規事業を立ち上げるとか、
例えばCVCやるとかやったとしても、
結局今の延長戦だからそんなに飛び抜けない。
トップの人が一生懸命やろうとしてるけども、
やっぱり現場はそこまで行きづらいっていうのは、
まだ未だに理解できるかもしれないよね。
でもコミュニティにおいては、
変化がこそすべてっていうのを感じやすい。
そうそう。
しすぎない変化だもんね。
しすぎない変化。
そうそうそう。
いや、そうなんですよね。
だからやっぱり抵抗があっていいんだよね。
違和感がいいんだよね、コミュニティにおいては。
自分がやりたかったことと違うものが動き出して、
ちょっと違和感を感じてソワソワをするっていうのが、
コンフォートゾーン、微妙に抜けた範囲。
混乱してる状態なんだよね。
で、それがあって、
コンフォートゾーンの幅が広まっていく、
コミュニティにおいて。
これが広まっていけば、
受け入れられる人がもっと増えていくと思うんだよね。
コミュニティが目指す人を増やしたいっていうのが、
多分そういうことだと思う。
許容する範囲。
コミュニティを増やしていくっていう。
いや、ほんとそうだな。
そうそうそう。
会社組織は面接を経て、
それをやろうとするから、
アプロケーションだけど、
コミュニティのアームと自然
空発的に人が増えていく。
これどうやって、
過去の人はどうやってたのかみたいな感じだよね。
そういうことをさ、
ポピドークの人たちはさ、
公益に来まして、
新しい人が入ってきまして、
移民の人たちが入ってきたときに、
どうやってそれを受け入れていくのかって。
受け入れないって方法もあるし、
この人は守るべき人なのか、
それとも敵対する相手として、
今の自分たちの家族を守るために、
少し距離を置いた方がいいかどうかっていうのが、
何でかかってたのかっていう。
いや、わかんないですね、全然。
それも、
さっきの自然みたいな話でいくと、
例えば、
森の中に、
ちょっと異質な種が入ってきたときに、
自然になくなっていったり、
もしかするとそれが大きくなったりする。
でもそれも含めて生態系じゃないですか。
森とか自然って。
だから、
そういうもんなんじゃないかなっていう。
だからさ、やっぱり木とかもさ、
木とかも、
例えばさ、
今まで生えてきましたで、
日向に葉っぱを当たるようにしてました。
だけどある日、
突然横に生えてた木がぐっと伸びて、
木陰になってしまった。
そうね。
木陰になってしまった自分を、
わざわざ森の管理人とか神様がケアしてるわけじゃないじゃん。
自分の力を持って、
葉っぱの位置をずらしたり、
こっちに答えて枯らして、
当たる部分により幹を伸ばすっていう。
それができるはずなんだよ。
コミュニティとかコミュニティみたいに。
そうね。
けど、やっぱりさ、
悲しく見えちゃうんだよね。
綺麗に咲いてたこの木の横に、
でかい木が咲いてたから、
木陰になってどんどんと枯れていく姿を、
人間が見たときに見たくないと感じちゃうから、
横の木は最終的に出てしまう。
ね。
いや、そうだな。
確かに。
どう観測するか、
長い目で見て。
そうだな。
長い目で見る必要があるんだよな。
コミュニティにおいてもそうなんだ。
コミュニティのアームがやっぱり、
長い周期で考えてくる。
うん、でも確かにそうかも。
僕はさっき、
エヴォグのあれでお悩み相談みたいなので
投げたときにも書いたんですけど、
コミュニティの自然体
僕はたぶん、
自立分散あった組織とかはやっぱり好きで、
Dicksonも含めて世の中に広がったらいいなと思ってて、
それがなくなるのがちょっとたぶん僕の中で怖いんですね。
で、怖いっていうのはたぶん1年後ぐらいは想像してるんですよ、僕はたぶん。
要はこのままの感じで、
スラックとか、
あまり昔ほどコミュニケーションが活性しない感じで行くと、
1年後ぐらいにもう継続する人いなくなっちゃうんじゃないかっていう。
でも、でもなんかもしかしたら、
それはそれで別にたぶん良くて、
もし仮に10人ぐらいになったとしたら、
また10人ぐらいになって、
生まれる何かもあるだろうし。
だから、それを僕が恐れる必要はたぶんないんやろうな。
ないと思うんだよね。
自然濃厚というかさ、
耕さないことによって逆に耕されていくというかさ。
そうですね、たぶんそうだな。
荒れ地にする必要まではない。
別にね、自ら進んで荒れ地にする必要ないけど、
身を任せたらいいんですよね、たぶん。
僕は僕でとか、ティモさんもそうだし、
自然に関われる範囲で関わって、
その結果生まれるものは何かわからんっていう世界ですよね。
まあそういうことだよ。
だからやっぱり自分のその機器をどう育てるかっていうのに
集中しておくことが人間的活動においてすごく大事だと思う。
自分が強くなっちゃうし、
自分が強くなっちゃうし、
自己中心的なふうに捉えてしまうかもしれないけれども、
それがあえて良いんじゃないかなと。
例えばすごく極端な例でさ、
ラボが今度の更新のタイミングで100人から20人ぐらいになったとしたら、
その20人はかなり強い20人だから、
自然体ができる、自然な生態系ができる。
なるほど、確かにそうだ。
それはコントロールできないから、それを手放しておくっていう。
だからそうだな。
そこは僕多分想像して動いてるんですよ。
積み上げてやるか。
何となく自分が描いてる理想なんだって今話で気づきましたけど、
理想の1年後の姿があって、それに向けて多分自分は動いてて、
その理想も別に掲げなくてよくて、
今この瞬間に自分が心地よく関われることを心地よく関わり続けたらいいんだな。
それ以上でもそれ以下でもないんですね。
なるほどな。
コミュニティのノウハウ
もし僕らがこのコミュニティを濃厚として捉えるのがあれば、
大丈夫よ、朝早いからね。
大丈夫よ。
ちょっとキャッチアップすると、
けいたんさん最近悩み事を発信するようになって、
コミュニティにおけるその進め方ってどうなの?みたいな話で、
いや、管理しておくというよりもそのまま起きるとバウンファイアー自然体としていいんじゃないかなって。
自然っていうのは本当の意味で自然だし、
自分たちが楽っていう意味でも自然体っていう意味で。
これ、ティムさんが良かったらなんですけど、ちょっとラボのラジオとかで流したらいいんですけどいいですか?
今日の話ね、このレコーディングね。
そうそう、やっぱりコミュニティを濃厚として捉えることを心地よく関わり続けたらいいんじゃないかなって。
やっぱりコミュニティを濃厚として捉えることを心地よく関わり続けたらいいんじゃないかなって。
ちょっともしよかったら共有してみたいですね。
エヴォーグの方にも投げてみたいな。
全然いいと思う。
いいですか?やった。
佐藤さんの話もしたいよっていうのを先に。
また私の話かよっていう風に思うかもしれませんが、
私の話かよっていう風に思うかもしれませんが、
そうですね。
さっき話にかけたのも、もし僕らのコミュニティ活動を
本当に自由にしていただけたらいいなと思ったら、
自分で有権者になっていただいて、
自分で有権者になっていただいて、
自分で有権者になっていただいて
で、さっき話にかけたのもいうと、もし僕らのコミュニティ活動を
濃厚として捉えるのであれば、やっぱりノウハウは持っていてもいいと思う。
やっぱり当てずっぽうでみんなやるよりも、
なんていうの?
濃厚として捉えるとしたら、ノウハウは持っていていいと思います。
ノウハウね。
で、どっちかというと失敗事例の方が汎用性が効くと思うから、
成功事例というよりも、その汎用性の高い失敗事例を集めておくと、
他の人にも役に立つ気がしているんですよ。
で、例えばこれ実際の農業の中で取り入れてみると、失敗事例でいうとさ、
あの、えっと、
例えば化学肥料を入れました。
で、それによって農業はより効率的にやりやすくなったけれども、
結果として、そのアレルギー反応が出やすくなりましたとか、
人による影響が出てきましたっていうことが、一つの失敗事例として取り入れられると思うんですね。
コミュニティにおいて、じゃあ具体例で言うと、
じゃあコミュニティの中で、
なんだろう、こう、
マニュアルを活用したマネジメントを徹底的に取り入れました。
でも結果、それに対する人のアレルギー反応が出ました。
つまりコミュニティがつまらなくなりました。
なんかきっと多分失敗事例の一つだと思う。
それを何か集めてみた。
そう、どう、何とかやった結果こうなった。
まあポジティブなものも集めてみると、
経験値としては。
それが、その、
CAとなりHとなりWisdomとなって、
その他のコミュニティにも受け継がれていく。
で、気がついたらお祭りみたいな感じで、
お祭りの本当の理由はわからないけど、
春になったらお花見をして、
みんなで食事をしようっていうのがこう、
他のコミュニティの中でも広がっていったら、
なんかでオーブでもココでもやってた活動でも、
なんかすごく生きてくるんじゃないかなって。
自分たちのノウハウを集めれば、いい加減やめたいよ。
いい加減やめたいよ、いい加減やめたい。
自分たちだけのノウハウを集めればいい加減やめたいよ。
プラットフォームを作りたい。
日本語との違い、どうするのとはあるけど、
瞬間をコミュニティづくりにも作りたいな。
ああ、これどういう意味だろう。
ノウハウを集められれば。
確かに、これはね、
ノウハウを集められれば。
確かに、これはどういうことだろう。
声出せそうな気がする。
声出せそうな気がする。
ごめん、ごめん、ごめん。
もうちょっと寝起きで、
どうにもこうにもいかない状況だから。
これってミュート解除になってる?
うん、なってるよ。
なんかその、
わからん。
え、これって10巻の話してるんだよ。
今10巻の話してるんだよ。
まあ全体的に、
エヴォーグとの違いがよくわからなくなって、
自分でもなくなっているんだけど、
その、やっぱりエヴォーグは組織のことだけど、
循環はコミュニティとか社会とかそういう
文脈のテーマなんだろうと思っていて、
なんかその、今の話ってその、
自分たちの中でいろんな事例を蓄積していって、
それを発信していくっていうのが、
私たちが実践してやっていくことの限界とかっていうのもあるし、
それを一定レベル必要なこともあるかもしれないけど、
なんかそれって、そこを実感できるかどうかっていうのが、
自分たちの中でいろんな事例を蓄積していって、
それを発信していくっていうような話なのかなと思ったんだけど、
そこを軸にしてしまうと、すごい限界があるっていうか、
限界があるっていうかなんだろうな、何が嫌なんだろう。
ちなみにあれですよ、
なんかノウハウを自分たちでため込もうみたいな話はしてはなくて、
さっき言ってたのは、いろいろ失敗事例も含めて、
今のコミュニティ作りもそうですけど失敗事例も含めて、
成功も含めていろいろあって、
それをちゃんとためる必要があるみたいな話をしてたんでしたっけ?
僕は何を話してたかというと、
日本の文化、風習の話とコミュニティを重ね合わせて話をした。
コミュニティはあたかも自然を扱うようなものだと僕は捉えています。
古くから日本人の自然との共同っていうのを大切にしていたと思う。
何が今残ってるかっていうと、文化とか風習が残ってると思う。
その文化風習はこれまで長い歴史を経て、
ご先祖様たちが作ってきた知識、ノウハウの結果だと思う。
コミュニティにおいても、その文化風習っていうものが、
東洋と西洋の融合
自然に受け継がれていったらいいんじゃないかなっていうのが僕は話した。
自然に受け継がれていくってこと?
そう、例えば大礼流と予祝をしてみましょうとかね。
予祝の一つはお花見なんで、日本の文化風習で、
秋の豊臣収穫に向けた早いお祭りが春のお花見だったりするんだけど、
コミュニティにおいても予祝会をするとか、例えばあれば結果的に良かった。
じゃあ自分たちのコミュニティでも予祝みたいなやつを自分たちのオリジナルでやってみよう。
っていう風に自然に広まっていくんじゃないかなと思います。
これがノウハウの伝承になるのかなと。
僕はちょっと抽象的すぎたかしら。
うん、なんかちゃんと聞けてなかった。わかった。
だまります。
大丈夫?
全然だまなくて大丈夫ですよ。
今コミュニティ作りとかで悩んでるというかやってて、
でもちょっとこうやったらうまくいくのかみたいなのが少し見えてくると思うんですよね、いつか。
そういうのは僕もいろんなコミュニティでシェアしてあって、
世の中に良いコミュニティがどんどん増えていったらいいなと思ってて。
これは東洋のやり方で伝えた方が良いと思う。西洋のやり方じゃない。
なるほどね。
なんとかセミナーとかノウハウセミナーじゃないんだよね。
いいね。
世界の中でコミュニティ運用についてお困りなあなたみたいなのじゃない。
なんかもうちょっと違うというか、寺小屋というか。
なるほどね。
神社の中で神主さんとお話をするとか、
そこから後で気づくみたいな。
アドバイスもらえないと。全然アドバイスされなくて帰ってきて。
でもそれでいいみたいな。
なるほどね。なんかちょっと分かるな。
確かにそうですね。
確かに。
確かにコミュニティ運用はちょっと東洋と例えたときに、東洋で学んだことを西洋で伝えても、
西洋スタイルで伝えても、ちょっとちぐはぐですもんね。
そうそうそう。
それを織り混ぜようとして、リトリーとかネクダストラの企画をしてるような感じなんだけど。
東洋の人が西洋の言い方をやってきた、僕らの言い方と、今のね、現代社会の日本のね。
でも逆にその西洋の方々が東洋の思想を持ってアレンジしてみる。
この融合がこれからもっともっと大事になってくるんじゃないかなって思うんだよね。
どっちかだけだとアンバランスなのかな。
例えて財産整理を作りたいわけでもない。
エヴォーグの重力と知的好奇心
だからそういう意味だとエヴォーグの存在って結構大事ですよね。
エヴォーグはそういう意味だと別に分かりやすいノウハウを広めたいわけでもないし、
でもやっぱりその対話の中から、それぞれがこう感じて、それぞれで持ち帰って、それぞれがこう行動したり、自分たちも行動するみたいな感じなので、
このエヴォーグのやり方みたいなのがやっぱりいいですね。
東洋的でもあるというか。
そうだね、そこは。
僕はエヴォーグの中で何が重力になっているかって思うと、やっぱり知的好奇心が強いんじゃないかなと思っているんですね。
探究していくこと柄。
知的好奇心って人間がすごく好むものの一つだし、
知的好奇心を満たすことによって成長を感じられたりとか、自分自身の存在を感じられたりとかするから、
そこに僕はエヴォーグの重力が発生していると思ったんです。
偏ってないし、みんなそれぞれ自由にできる。
そしたら、循環のコミュニティは何によって重力が発生するかなって考えるときに、
やっぱり共同競争とかオーディションとかが一つキーワードになってくるんじゃないかなと思います。
ある意味、しすぎない範囲でコミュニティに依存するっていうスタイルなのかな。
これをすごく気軽に捉えていいかなと思っていて、
例えば、夕飯を作るときに、
聖教とかフォークとかヨシケルとかそういう、
Oasisとかでテイキビンがあるじゃないですか。
あれに頼ってみるみたいな、そんな位置づけでさ。
この部分は、循環のコミュニティの中にちょっと依存してみようかなと。
これだけ頼りにしたい。
あとは、自分のそれぞれのライフスタイルが、
ある程度の余白を持った上に関わっていくスタイルが、
循環の中に出てくるといいのかなと。
すると、この辺りみんなの意見は聞いてみたいところで。
っていうのが一番僕の意見ではある。
けいおさんとか日立さんとか吉井さんとか、
何が循環の引力になるのか。
僕はあれなんですよね。
やっぱコモンズなんですよね。
いろんなものをコモンズにしてみたいっていう。
それは、もともとTATさんとかが作ってくれたみたいな。
もちろん私有財産と共有財産を分けた上で、
ある程度の部分を共有財産にしてみた時に何が起こるかっていうのを、
やってみたいっていう感覚はあるんですよね。
だから、例えばキムさんとか、
あと僕もお互い有無を送り合ったりしてるやつあるじゃないですか。
ああいうのをやっぱり矢印を一回コモンズ側に向けてみて、
一旦コモンズにいっぱいお金が貯まったみたいな状態を。
それは何で貯まったかというと、
それぞれそのコモンズに関係する人の営みによって、
誰がいくら、どんな働きをしたかわからないけど、
コモンズにお金が貯まり、
そのコモンズのお金をみんなで使ったり、
一定期間で共通分配するとかっていうのがなった時に、
何が生まれるのやろうっていうのはちょっとやっぱ、
これは知的好奇心みたいなのもあるんですけど。
実験はしてみたいよね。
そうなんですよ。
それを小人数でも小額でもいいからやってみて。
今まだ試行実験っていう感じだから、
試行実験の方に持ってきたいなっていう。
そうなんですよね。
試行実験だからそうなんですよ。
これを僕はやってみたいっていう意思がありますね。
うん。