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2024-06-01 17:07

2024_0601_論点や言葉の捉えかたのズレ

ものを捨てる方法

すごいのか?

喧嘩は論点のズレ

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はい、2024年6月1日。今日も日記を撮っていこうと思います。お願いします。
最近は終始論文の中間発表があって、それに向けてなんか頑張ったみたいなのが近況としてありまして、
それで打ち上げとかもあったんで、それ関連の話も喋っていきたいなと思います。
でね、一つ目は、なんか人間、人間というかあれだよね、喧嘩とかいさかいの何パーセントが論点がズレてるんだろうっていう話があって、
よくまあ人間関係の中とかさ、喧嘩をするとかさ、言い合いをするってまあそれはあり得ることだと思うんですけど、
なんかそれって、論点があって単純に意見の違いで喧嘩してるっていうのと、論点がそもそもズレてて議論になってないとき、
もうそっちの方が重いんじゃないかみたいな。だってさ、喧嘩をするっていうのがまあそんなに僕は
なんかあんまり考えられないというか。最近あったのは研究発表の文脈で、
理科教育系の研究の学科にいるんですけど、
あるケミストリーの科学ね。 科学の人が
シクロデキストリンっていう物質を使った放説現象っていうのを教育に落とし込んでいきますみたいな話をしてて、
ほう、みたいな。 内容自体は結構面白くて、要素溶液がさ、要素でんぷん反応して、
でんぷんと反応したときに紫色になるやつあるじゃん。あれがシクロデキストリンと、
螺旋状の
えっと、 澱粉に対して要素が入っていくよみたいな放説現象って出すんだよな。
で、それを用いて、あるいは実は平行反応になってるから、放説平行を実感させるような、
授業プログラムを開発していきたいですみたいなことを言ったわけよ。 それに対して質問者が、
その放説現象っていうのを扱う必要はあるんでしょうか? みたいな、わざわざね。
っていうのも、 実験を通してそれが放説してるかどうかっていうのを、
学習者は実感することができるのか、 という話になってきたんですよね。
いや、っていうのも、 その放説っていう、そもそも
教科書に載ってない新しい反応を伝えると。
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で、それって一旦抽象化すると、平行反応であると。 で、平行反応に関わる簡易な教材、
簡易な反応とか、安価な反応っていうのがたくさん開発されていて、
わざわざ資料デキストリーを使う必要性ってどこにあるんだろう? 特に、
実験を通して、あ、なんか物体が輪っかの中に入っていってるな、 みたいなことがわかるんであれば、
新しい反応として伝えることはできるんだけど、 その輪に入っていくっていうところを、
口頭でしか伝えれないんだったら、 それって学習者にとってはただの平行反応でしかないんよ。
じゃあ、以前まである物質で良くない? みたいな話だったんよ。
で、そこの質疑応答時間内に、 終わらなかったから、発表が終わった後にもなんかこう、
その2人がね、質問とかしてたんやけど、 だからか上手く説明できてないみたいな、
だからか質疑応答が終わってなくて、 10分ぐらい喋ってたんですよね。
で、なんか、僕はまあそれ自体は良いことやなーって思ったんだけど、
発表者の方に後々話を聞くと、 すっごい腹立ったみたいな。
なんであんな質問してくんねん? みたいなことを言ってたらしいんよね。
で、その理由はね、聞いてないんですけど、 あとその、発表者の担当教員の人にちょっと怒られたらしいんですよ。
何かっていうと、質疑応答中の回答中に、 僕としてはこうこうこういうふうな思いがあったんですっていうふうに発言した瞬間があって、
その教授は、科学っていうのにはすごい強い パッションを持ってるから、僕としてはみたいなことを言い始めたら、それは科学じゃないみたいな。
科学ってのは誰が見てもそうっていうのが科学であって、 僕が見ても、みたいな言い方をする時点で、お前は科学的なことは言えてないんだ、みたいなことを言ってお叱りを受けたんかな。
ただまあ最後に、まあ、何せああいうしょうもない質問にも回答できるように準備していけ、
冗談っぽく言って終わったらしいんですよ。 この話自体もね、僕、興味深いと思うけど、なぜこれが起きてしまったのかだと思ってて、
これも論点の違いだと思うんですよ。 だって質問者としては、
法説っていうのを口頭で、口頭の定義しか伝えられない、口頭でしか説明できないんだったら、法説現象っていう命名をする必要はないんじゃないかっていう意味があったよね。
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で、回答者としては、自分がね、作ってきた、そのシクロデキスリンを使った法説並行を考えさせる学習プログラムを考えて、
それが、なんでそんなことするの?みたいなことを一周されたように感じた。 ないしは、シクロデキストリンっていうのを使う意味がないんじゃないか?みたいなことを感じたはずだね。
この違いわかるか? 法説現象っていうのを取り上げる必要があるのかっていうのと、シクロデキストリンを用いた法説現象を取り扱う必要があるのかっていうので、ちょっと論点がずれてるんよね。
でもやっぱ回答者としては一方的に、それ意味ないでしょ?って言われただけに感じて、嫌な気持ちになったと。
それ見た時に、どっちもさ、正直僕は頭良い人2人だと思ってんね。 実際にね、学年の中でトップの成績の人と、2、3校上のドクターでやってるすごい優秀な人だから、
なんか、論点のずれとかって普通理解できるはずだろって思ったんやけど、全然そうじゃなくて、ずっとずれたことを言ってて、喧嘩とかじゃないけど、言い合いをしてると。
なんかそれって、よくあるんかもしれないなと思ったし、どうやってそれって解決していくんだろうっていうふうに、なんか思いました。
それに繋がったんですけど、他人が誤解してる時に、その誤解を解く必要があるのかっていう話で、
僕としてはそれ論点が違くて、別にどっちが間違ってるとかじゃないなっていうふうにずっと思ってたんですけど、
その回答者は同期なんで、一緒に話を聞いてると、なんかあいつマジでしょうもない質問してくるやんみたいな、もうめっちゃ嫌いになったわみたいなことを言ってて、
うーん、嫌いになる要素はないなーみたいな、思ったんやけど。
なんかそれでわざわざ、いやあれは論点が違くて、向こうはこうこうこういうことを言ってたんだよねーみたいな、っていうある種助けるというか、誤解を解くっていうのを、
どれぐらいする必要があるんかなーみたいな思って。 なんか特に自分に関する誤解だったら、あれってこうこうこういう意味で本当に申し訳ないけど、
多分違う捉え方をさせてしまったんよねーとか言ったらわかんないけど、
まあ言うて他人のことをさ、わざわざ訂正するのはどうなんだろうって思ったんじゃなくて、これは答えは出てないけど、アンケート取りたいなって思ったぐらい、
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人の、なんていうんだろう、誤解について考える
ことが多い 日でしたね。
他には、 それはすごいのかっていう話なんですけど、なんかすごいっていう言葉
があって、これを どういうふうに捉えて喋ってるんだろうっていうのが感じるきっかけがあって、
僕とある研究室に所属してて、 Slack っていうコミュニケーションツールサービスを使ってるよね。
簡単に言うと、その組織内だけのライングループみたいなイメージ。
で、そこにOBの人が残ってるんよね。 残っててもいいんじゃんけど、その実際の今の運営の話をする
場所にも入ってるよね。 で、それをたまに見てるらしい。
もう正直3年とか4年前ぐらいに卒業された方なんやけど。
で、そういう話が出て盛り上がってきて、 いやーなんか最近この資料とか、この資料とかもなんか見てるらしくて、
すごいなって思いましたねーみたいな。 で、周りもなんかすごーいみたいな言ってて、すごいんかーってなりまして。
いや、僕のもうすごいっていうのは、評価に値することなんよ。
例えば、わからんけど賞を取りました、すごいとか、 っていう意味を使ってるんだけど、
そういう観点で言うと、別に評価に値することは全くないねん。 その人が好きで見たりとか、その人が好きでチャンネルに残ってるだけで。
なんか、その、何もすごいことはしてないなって思ったんやけど、 本当に6人ぐらいが、まあえっとね、何人ぐらいだったら6人ぐらいが、すごいすごいすごいって言ってて。
これはね、これまた論点の違いなんよ。 論点というか、まあ言葉の定義やな、ここで言うと。
多分、他の人はすごいっていう言葉を、 自分ではできないみたいな意味で捉えてるんかな。
そうなると、ついすま側もね、自分はOBになって、 卒業したところのチャンネルに出入りしたりして、内容をチェックしたりする。
ことはしない。だから、すごいんだって話があって。 ここで言いたいのは、こんな日常用語であっても全然捉え方が違うんよね、人によって。
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じゃあ、それが結果とか起こるくない?みたいな。 そもそも価値観が違うのはさ、絶対にそうなんやけどさ、言葉の定義すら違ったらさ、言ったら言葉の変数が多いわけよね。
価値観が違うで、1個の変数がね、ずれたとしても、 定義、言葉の定義が違うって、1つの言葉の定義が違ったら、
同じ論点で違う価値観を喋るのもしんどいのに、 違う論点で違う価値観を語り合うって、もうさ、無理ゲーじゃない?みたいな。
思ったっていうのが、最近の研究周辺の話ですね。 あと1個ぐらい言っとくかな。
わかるようでわからないっていう言葉、使うことありますか?と話して。 うちの研究室の教授がよく使う言葉なんよ。
その発表とかその説明、わかるようでわからないなぁ、みたいなことを言うと。
教授がね、対応するってことは、その研究室のメンバーである僕たちもよく使うんですよ。 わかるようでわからないって。
ただ、これって使い方大事やと思ってて、
あの、わかるようでわからないって聞き手がわざわざ出てくないんよ。 まあそうよね。何か説明を受けて、なんか
初めの方はわかったけど、後半なんかこう、ちょっと上を無駄にされたな、これでわからないな、みたいなこと言うと思うんやけど、
これ話してが言うと、すんごいことが起きてしまって。
あの、話してが言う文脈って例えばどういうことかって言うと、自分が説明するやん。
そしたら、聞き手がうまくわかってないような雰囲気が出るとするじゃん。 そしたら、わかるようでわかってない説明でごめんね、みたいな言ってて。
これちゃんちゃらおかしくて。 その、聞き手がポカーンってしたりとか、えーっということをっていう顔した時点で、
わかるようでわからないんじゃなくて、わかる説明じゃないんよね。 なんでさも自分がある種わかる説明をしたっていうふうに、なんか
認めてあげてる側が理解できなくて。 なんか最近ね、統計に関する勉強会があって、
それの中で、その説明者側が、
教師側っていうのかな、教える側が何回も言ってたセリフで、俺はもうなんか、なーにを自分を課題評価してんだよ、みたいな。
その、わかるようでわからない説明しちゃったね、みたいな。 いやいやいや、わからない説明やん、それって。
なっちゃいましたね。 いやー、これどうなんかな、僕が感覚おかしいんかな。
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ほんまになんか、舐めんなよって思ってさ。
はい、思いました。
はい、じゃあ、物を捨てるために踏切をつける方法みたいな感じで、僕ね、最近断捨離をしたんですけど、
やっぱ物を捨てれんことが多くて、どうすれば捨てれるかっていうのを考えたんですけど、
あのー、とりあえず1年間使ったかどうかっていうのを基準に置くのをやりまして、
その中でも、いやこれ思い出深いな、でも絶対使わない場所取るな、みたいな時にやったのが、
えっとね、悔いをすることですね。 記憶に残してあげることなんですけど、
ビデオカメラでね、撮影するんですよ。 はい、今日はこれを捨てたいと思いますと。
で、これは僕がいついつの時に買ったもので、こういう時に思い出があって、すごい楽しい人生してくれましたと。
なので、ここでお別れを言いたいと思います、みたいな感じのことで記録を残すと。
これをすることによって捨てれるんじゃないかってことで僕は気づいたわけです。
これかなり有用だと思ってまして、やっぱ捨てれないっていうのは思い出があるってことで、それは全然悪いことじゃない。
だからこそ、その思い出っていうのをちゃんと具現化してあげる。 ちゃんと気持ちを伝えるって、残してあげるってことをすれば、
物が残ってなくても、なんかデータ化して残したことになるんじゃないかなというふうに思いました。
はい、そんな感じでもう16分喋っちゃったよ。
はい、終わりたいと思います。 えっと、ありがとうございました。
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