ヒューマニアンスの紹介
真夜中、コンビニの駐車場で。このポッドキャストは、1つの場所を72時間にわたって定点観測する、某公共放送局のドキュメンタリーを大好きな2人が、番組についての感想や愛を語ります。
今回は、新春スペシャルとして、2024年にNHKで放送された番組の中から、これは面白いと思った番組を話した。題して、このNHKがすごい2024の中から教養部門をお届けします。それでは、どうぞ。
最後が、教養番組部門。NHKといえば、教養番組も結構、いいテレも含めて、多くあります。その中で、最初、自分から言っちゃいましょう。僕が選んだのは、【ヒューマニアンス】というシリーズの、グレートジャーニー、人らしさの進化の足跡。
僕はですね、世界サブカルチャーシー欲望の系譜のジャポニズムを書いてますね。これまでのドラマとしては、一切違う話をするんですけど、違うフレハマの大きい、そっちの進化の話からしましょうか。
そうですね。進化じゃないですけどね。これ、今、書いてみて、タイトル出してみて、全然タイトルと中身合ってないんじゃないかと思ったけど、これ【ヒューマニアンス】という番組があって、不定期でシリーズ化されてるんですけど、小田雄二がMCとなって、人に関わるものを、いろいろなね、例えば味覚とか嗅覚とか、そういうものを科学で究明していく番組なんですけれども、
それの、一応昨年度にあったんですかね、2020年の3月頃に放送された年度最後の一端シリーズとして終わる集大成として、この【Great Journey】というのが注目されたというところです。
で、【Great Journey】何かっていうと、結局その、大体もう皆さんもご存知の通り、このサピエンスというものがアフリカから始まりみたいな、300万年かけて日本も含めていろんなところに到達していきましたという、この即席のことを【Great Journey】と呼ぶんですけれども、この【Great Journey】、どうして人だけがそれに到達できたのかっていうところを使いだったんですけど、
あのね、なんて言うんだろう、これね、全然固い話じゃなくて、ずっと当たり前なんですよ、なぜなら僕らも分かってるから、人なんで、知ってます、みたいなことをずっと科学していくんです。
移動すればするほど幸せって話出てきますよね。 旅行好きだよねとか、冒険好きだよねとか、そういうのがすっごい多くて、要は人って、生物って何百万年とかの単位だと、生物学的に進化しないんですよ。
だから、どうやって人は進化したのかっていうと、それは道具の発明とかだったり、先読みの未来予測の力とか、そういうのを使ってうまく環境をコントロールしていったっていう話なので、実際生物学的進化ではなく、いかに知恵でいろいろなものを克服した結果、【Great Journey】を成し得てきたかということの話なんですけど、
なんて言うんだろうな、やっぱりさっき言った通り、基本的に当たり前のことを、それはそうだよなって、でもこれ結構大事で、それが分かってない人が多いというか、そういう当たり前のことを疑問に思わずに日々暮らしすぎてるんですよね。
言ってるのは、人類は基本的には同じ生物的基盤で、共通性の方が多いから、アフリカ系の人であったり、中央大陸の人であったり、我々アジアとか、そういう人を含めても、人種の肌の色の違いでとかっていう話すぐ出るけど、結局生物学的にはほぼ変わりません。
そして、人間として集団を使ってとか、社会的生活をしてとか、マルチタスクをしてとか、いろんなのが研究されてるんですけど、こういうものを使って日々をサバイブしていくのだ、みたいなところは人間全部一緒です。
当たり前なんだけど、あまりにもそれに気づけてない。だから、実は振り幅が大きいと言いながらちょっと繋がってるんですよ。行きづらさとかそういう話の中で、一回当たり前に立ち戻ってみませんか?っていうのをこんなに清々しくやってて、かつ、結構この番組実は軽いんですよ。
ちょっと山岸さん見て硬いかもって思ったかもしれないですけど、やっぱ小田優次がすごい爽やかな。あれ見やすい。見やすいし、演出もすごい分かりやすく作られてるんで、だから難題にならないですよ。
なるほどね。へーみたいなことを突き詰んでいくんで、結構入りやすい番組として、教養系の中ではおすすめです。大学の教授とか出てくるじゃないですか。他のね、例えば今やってるフロンティアっていうね、同じような科学番組とかで人類の最新研究を追うみたいな番組あるんですけど、毎回サイバーパンクな映像の裏で大学教授が会話するみたいな感じのかっこいい演出がする。
人類の進化と知識
かっこいい演出がすごい取られてるけど、このヒューマニアンスとかだとバンズのスニーカー入った教授がすり切れた靴とチノファンで歩いてきて、研究室で撮りましたみたいな内容で話してくれる。すごい軽い番組なので入りやすさがすごいある。という中で言えば、このヒューマニアンスの特にグレードジャイアンの会員はこっつきやすいですね。
これ、今回このNHKがすごい2024をやるにあたって、お互いの見ようってなって見たじゃないですか。僕も見たんですけど、僕は自分では見ないと思ったんですよ。別に言ってることもわかるし、今話したことも全部わかるし、わかるんですけど、自分では見ないなと思ったんですよ。
一方で動物奇想展開みたいなやつっていうか、動物ドキュメンタリーみたいなやつは僕は見たりするんですよ。その差分って何なんだろうなみたいなことをめっちゃ思いながら見てて、今話聞いてる、確かに見ないのって当たり前だと思うからだと思うんですよね。
そう、特に人類のことに関わらず、人って当事者性すごいから。 だから逆に聞きたいんですけど、どういう時それ見るんですか?そもそも当たり前だから見ないじゃないですか、僕は。どういう時に見るっていうか、それを見て何を得ようって言うとすごい強要主義みたいで嫌ですけど、どういう気持ちでそれ見るんですか?
これね、当たり前のことをわかってなさすぎる問題ってすごいあるんですよ。やっぱりすごい遠くのものを見て勉強しようとかそういうことって多いんですけど、実は一番身の回りが一番勉強になるんじゃないかっていうのは常々思っていて。
ヒューマニアスだけじゃなくてそういうシリーズが結構あるんですよ。人体に関するものとか、食の最前線とか、そういう系の番組がめっちゃあって、とりあえず結構全部見るんですよ。全部見て、知ってる知ってるとか、ごちゃごちゃしすぎて何言いたいのかわかんないなとか、やっぱフロンティアとかは最新を見せるっていうことに意識を抑えてるんで、最新研究がどんどんなされていって、だよねーみたいになっちゃうんですよ。
ヒューマニアスに関しては、やっぱりこれを人類は知っておかなきゃいけないっていうことが、この回だけじゃなくて、あるんですよ。味覚、人はなんで味覚で美味しいと思うかっていうことだったりとか、そもそも美味しいと思うこと自体が人間でしかありえないとか。
結局あるんですよ、ワンチャンもこれは食べるけど食べないとか、聞き合いとかあるけど、日本人は異常にグルメなんですよね。それはなぜかっていうことを当たり前を一個一個最新のカードで研究していくっていうことにこそ、無知の地の再出発みたいなものがあると思っていて、それで言えばGreat Journeyは本当にわかりやすい。
土台の確認っていうかね。
だから結構、この回でネタバレでもないんですけど、最後ら辺に話としてあるのは、人は移動すればすること幸せだみたいな暴論みたいな極論みたいなのがあるんですけど、結局じゃあ常に移動してた方がいいのかみたいな話になって、いやいや日常の変化見過ごしてませんかみたいな、そういうことを楽しんでいくのも脳にとっては、逃げるんじゃないというか。
じゃあ移動してくださいみたいな話じゃなくて、Great Journeyっていうのは日常生活の中にもあるんだよっていうところを話をしていて、まさにその通りで、それがわからずに生き暮らしさを感じている人も多いんじゃないかなっていうところで、だからこれは本当にこのNHKがすごいのをやるにあたって、僕の押し付けというか、これを見ましょうみたいな。
だってあなたこれ見ないでしょみたいな。
番組の意義と視聴体験
啓蒙としてね。
啓蒙番組としてこれかなり選んだ部分は。
なるほどなー。いやー絶対普段見ないなー。
絶対普段見ない。
そういう教養系の番組って、例えば100分で名著とかね、今今年僕が見たやつで言うと、サンシャイン池崎がやった時間の正体発表するみたいなね。
NHKラーニングって定期的にやってるシリーズなんですけど、深夜3時間くらい使って時間の正体とか1個テーマがあって、それ池崎がやるって不思議な企画をたまに半年1年に1回ぐらいやってるんですけど、そういうのとか、いわゆるそういう最新研究となんかみたいなやつは見たりするんですよ、教養も含めて。
でも自然科学のやつだけ僕見ないですよ、なんか別に意識してるわけじゃないんですけど、今回こう自分が今年見たNHK出してみて、改めてそれはなんか思ったのは、自分じゃどうしようもないからかもしれないですね。
そうそうそう、今回もう冒険遺伝子みたいなの出てくるじゃないですか、グレートジャーニーの話で、それがある目高とない目高みたいな不思議な実験あるじゃないですか、迷路みたいなところを、冒険遺伝子がある目高は奥まで行くけど、ない目高は手前で止まるみたいな。
これね、グレートジャーニーの回に関して言えば、自然科学系でもあり歴史系でもあるんですよ。本当に人類って生物学的には全然進化してないから、僕らってかなり歴史を軽視したりとか、昔の時代の人の感覚とか価値観みたいなものを送れてるよなって思いがちなんですけど、
だいたいそうじゃなくて、そこから学ぶ系のことが結構多いんですよ。だから僕は歴史系の共有番組のほうが好きで、そっちに足掛かってるほうの回だなって思います。
確かにそうですね。
それを今の技術とか、今の社会でどう適応していくかっていうところをやっているので、それを遡っていくと完全にグレートジャーニーでマルチタスクが
未来予測。だからなんでみんな天気予報、天気の子みたいな話でなんであんなのが宗教的にも卑弥呼みたいなのがあんなにも崇められるのかなと思った時に、未来予測できることの価値。
サブカルチャーと歴史の結びつき
その一致、そのグレートジャーニーをサバイブしていくための価値がすごい高いっていうのがあって、だからそこから原始的な宗教に発展していって占いをできる魔女とか卑弥呼的な存在が力を持っていくんだなっていうのが繋がるんですよ。
これ結構歴史系に近いかもしれない。自然科学系という捉え方のちょっと違い。
歴史の話で言うと、結構自然科学に裏付けされた歴史って正しい歴史だと思うんですよ。
ある程度ファクトをもとにした歴史だと思っていて、僕が挙げた話に徐々に入っていくんですけど、戦後サブカルチャーシー欲望の系風ですよね。
これなんかまさしくファクトの歴史ものですよね。
いや、思うじゃないですか。これは違うんですよ。戦後サブカルチャーシーって結構シリーズで欲望の系風ってやっていて、
それ自体がオススメですよね。
シーズン4かなとかだと思うんですけど、今回はジャンル別にやってきますみたいな。アイドル編、ヒップホップ編とか、ポップス、ゴシック、ゲーム、アニメとかいろいろある中で、最後がこのジャポニズム編ってやつなんですよ。
これは総体制なんですね。この戦後サブカルチャーシーの今回のシリーズを見て思ったのは、やっぱりNHK志官なんですよ。戦後サブカルチャーシーっていうもの自体が。
テレビ的編集がね。
テレビ的編集でNHK志官で、さっきの本田さんのグレートジャーニーの方は割とファクトに基づいてるから、志官の感じは入ってないんだけど、これは明らかに志官なんですよね。その志官が世の中的な解釈も含めて、今で言うと通説これだよねっていうものになってるのもあれば、とはいえちょっと違うんじゃないみたいなのもあったりするっていうのが、
僕は逆にそれが正しい正しくないっていうことよりも、その中ずれが結構面白いなと思うわけなんですよ。
映像の正規って呼ばれてるけど、果たして映像はファクトなのかどうかっていうね。
結局だって映画とかだってそうじゃないですか、どういう映像を繋ぎ合わせにするかによって印象ってすごく変わるし、今回の話の中で、今回のJ・ジャポニズム界っていろんな日本的なものってなんだろうみたいな話をずっと遡って、かなり戦前の話からいってね、ずっといくんですけど、途中に出てくるJホラーの話がすごく面白くて、
日本のホラー作品ってリングとか呪文とか海外でも受けてみたいな言われるじゃないですか、最初にそのリングとかをハリウッドで作ろうって、もう一回リメイクしようってなった時に、日本と同じ演出をしたらわからないって言われたんですって。
なんでかっていうと、急に後ろを向くとお化けがいるっていうのは奇跡がわからないから、シーンとして理解ができないっていうふうに向こうでは言われたんですって、演出手法として。ロジカルではないというか。
シャイニングみたいにこう徐々に来ないと。
いけないとか、その奇跡何かがないと理解できないっていうのが基本的にその当時のハリウッドでは演出手法の当然としてあったんです。ロジカルであることっていうのは当然であったんですよ。
でもそれをすごい監督がんばって交渉をした結果、ほぼそのままの形でリメイクもできて放送できたんですね。そしたら観客にめっちゃ受け入れられたんですよ。
それも思い込みの一つでもあって、そういうロジカルでなければ人は理解できないっていうことが結局このジャポニズム界って何が面白いかって、日本的なるものっていうものが日本だけのものではなく実は世界共通であったっていうことを世界共通の感覚としてあったっていうことをすごいいろんな素材を使ってわかりやすく解説してるんですよね。
今のホラーの話もそうだし、アニメの話とかあとゲームの話とかもいろいろ出てくるんですけど、結局日本がガラパゴスだと思っていたこと、自分だけが思っているみたいに思っていたことが世界で受けていく。
それを日本人的にはすごくクールジャパンだっていうふうに言って、日本であることっていうのをアイデンティティに据えるんだけど、でも実はグローバルで見るとそうではなくて、世界中にあるジャポニズム的日本的な感性がただそれによって金銭に触れて引っかかっただけであり、必ずしも日本がそれに特化した国ではないっていうか、それを強く打ち出していくっていうのが今後の戦略として本当に正しいのだろうかみたいな。
クルッと回ったら日本批判じゃないけど、クールジャパン批判じゃないけど、そういうのにすごく積み上げていろんなものを歴史的に積み上げていった結果、わかるっていうのがこのジャポニズム界はすごくいいなと思ったところなんですよね。
クールジャパンの批判
これがそれをしかもNHK主観として出すことがすごく重要で、それこそクールジャパンは日本政府が言っていることの日本政府的な主観なわけですよ。これまでアニメっていうのは海外に向けられたと、めっちゃヒットしてると、いろんなところに置いてあると、だから日本はすごいんだみたいな。
でもそうじゃないでしょっていうのを過去の映像たちを使って説明してるっていう意味で、すごいNHK主観としても価値があるし、言ってることも確かにそうだし、これからの時代を表してるなって思うんですよね。っていうところがこのジャポニズム界のまずすごいところっていうか、いいところですかね。
あれなんか結構作家性ありますよね。
あります。めっちゃあります。めちゃくちゃある。
あれってなんか結構、実際サブカルチャーシーンみたいに言ってるんで、ドラマとか映画とかアニメ漫画含めて引用していくんですけど、基本的に関係作の引用の羅列なのかなって思って見てたら、結構意図的にこれを紹介し、これは紹介し、これはそうなのだろうかっていうナレーションが毎回入る。
最初はいつもシリーズの冒頭で、今人類の欲望はどの座標軸にあるのかが始まるんですけど、欲望に対してどういう切り口で見ていくかっていうところを毎回。
残念ながらジャポニズム界見れてないですけど、オンデマンドに収録されないですよ。
反権がありすぎる。戦後サブカルチャーシーはいろんな映像を使って、今回のジャポニズム編も、例えばアトムとかも使ってるし、グレンタイザーとか、花火とか、戦場のメリークリスマスとか、いろんな作品を使ってるからこそ、多分もうできないです、収録。
配信のものに載せれないというかね。すごい急な番組になっちゃって、なかなか見れないようになるんですよ。定期的に再放送はしてるんですけどね。
これはさっきの作家制でいうと、松岡誠吾の編集工学のおじいさんがいるんですけど、その人は今年亡くなったんですよ。これが最後のメディアに正式に出た遺作って言われてて、ジャポニズム界が。
本当に今回のジャポニズム界、松岡誠吾主観に基づいているNHK主観も構成されてて、松岡誠吾が言うのは、A is Bっていう時代だったと。AはBであるみたいな。
例えばアメリカはアメリカとかなんとかなんとかみたいな。でも日本的なもの、ジャポニズム的なものって何かっていうと、A as Bだって言うんですよ。
それはAをBとして見るっていうことが見立てですよね、いわゆる。っていうことがすごく日本的だし、むしろこれからの世界に求められるジャポニズム性だっていうことを最後言って終わるんですよね、この3回目って。
それってすべてのジャポニズムの本質を表していて、見立てることもそうだし、あとはAをBとして見るっていうことは子供が、例えば子供を大人として見るっていうのが、大人を子供として見るとか名探偵とか妄想とか、妄想ずれ5人みたいなことも含めて、
すべてのことを多分このA is BからA as Bって言い表していて、そこの看護元にやってるのが、ちゃんとその言葉自体もNHKが持つ膨大なアーカイブによって裏付けされることによって、すごく立体的になるんですよ、その話が。
だから今年亡くなったのは本当にたまたまというかあれですけど、そういうのも含めて彼の遺作としてもすごくいい回だと思うし、今後の日本が目指すべき座標みたいなものが、結構ダイジェストなんで荒いところももちろんあるんですけど、とはいえ大枠で言っていることは正しいなと思うんですよね。
僕らいつもドキュメント72時間出版してるんで、ドキュメント72時間の時もこういう話してましたけど、だいぶ世界が魂レベルで同一化してきてると思うから、それはインターネットの影響が多分あると思うんですけど、そういうのでものすごいスピードでいろいろな感情とか魂の思いみたいなのが共有されていく世界になってきて、
あんまり日本らしさとかね、もちろんいくつかの細かいコンテクストは多分残ると思うんですけど、基本的なところで同時代性がどんどん自由になっていく。
それもすごい今回のジャポニズム編で言われてて、なるほどなと思ったのは、黒沢明のラショウモンがすごく海外で最初に出てくるじゃないですか。それはなぜ受けたかっていうと、やっぱりエキゾチックさっていうか、すごくあれって日本っぽいっていうか、日本のアジアっぽいっていうか、それへの好奇心によって売り出されたんだと。
だからそれ以降も映画会社っていうのは基本的にああいうちょっと日本の大画だったり歴史物みたいなのを積極的に輸出するようになってくるんですよね。でもそれによって弊害を受けたのは今回のこの話でいうと、オズヤスジロウだっていう話を言うわけですよ。
オズ作品ってそういうのじゃないじゃないですか。エキゾチックではなくて単なる東京の家庭の話だったりとかっていうのを描いていて、だからそこはドメスティックにすごく人気があったと。でも実は蓋を開けてみると、それは単なるセルフオリエンタリズムってこんなことは言うんですけど、自己のオリエンタリズムを出していただけで、実は長い目で残っているのとか、本当に影響を与えていたのってオズヤスジロウとかなんじゃないのっていうのを、今回の会ではすごい冒頭の方に投げかけとしてくるんですよね。
それって世界の気につかじゃないけど、好奇心として面白がっているものじゃなくて本質的に意味があるものの方が残っていくっていうのが、すごい長い歴史の積み重ねで全てのいろんなジャンルにおいて言われていくっていうのが、かなり納得するし感覚としても確かにそうだなと思うわけですよ。
NHKの再放送の重要性
オズヤスジロウの構図とかの方が残っているし、そういうのにすごく影響を受けて、いまだに若い監督だっているしっていうののところがすごい魅力というか、そういう映画作品も途中に出てくるウォークマンが出てくるんですけど、ウォークマンも不思議な話なんですけど、あれも単なるメカを可愛がるみたいなことっていうのが、
そもそも機械にああいう愛情を持つとか可愛さを持つっていうのが、テクノアニミズムって出てくるんですけど、いいものというか、日本っぽい、そもそもウォークマンを作ったのはすごく日本っぽいみたいな話が出てきて、技術を可愛がるみたいな気持ちが、技術って基本的に戦争後はやっぱり戦争の武器のものであり、社会を発展させるものであるから、可愛がる対象では絶対にないものっていうのがグローバルスタンダードの考え方としてはある中で、
よくあるのはロボットの対象として、海外だと冷賊的なものだけど、日本だとドラえもんみたいな友人的なものとして立ち現れるみたいな。
だからそれはロボットアニメがフランスで広がっていったみたいな話にも出てきて、それもフランスの親とかは絶対嫌なの見るなと、平気者だって言って、平気者でもないんですよ、マジンガーZみたいな話だから。
そういうところも含めて、全体的に統括してるというか、これまでの回の日本らしさっていうのはわかってるんで、この回は全部で3回かな、3回でそれぞれ30分ずつだと思うんですけど、これは結構どっか再放送したタイミングで見ていただければなっていう。
まあね、必ず再放送されるんでしょうし、やっぱり今、主にネットを中心にめちゃめちゃフローで流れてるんですよね、情報が。
すごい流れて、TikTokとかを中心に、いかに早く、新しく、昨日やった方が古いです、みたいな価値観が多分今その極限状態ぐらいにある時代なんですけど、
今やっぱりNHKとして立ち返って、本当にこの世界サブカルチャー市はわかりやすいんですけど、過去のレジェンドとかであったりとか、そういうものをいかにもう一回見つめ直して、どういうふうに自分で受け取っていくかっていうことを、地に足をつけていくじゃないですけど、そういうのをやるべきだなと思って。
今年ね、NHKの中で時をかけるテレビ、今こそ見たい、この一本。それから大人のいいテレタイムマシンというね、総合と教育でそれぞれ、過去にやった作品をもう一度再放送して取り上げて、ただし、ただ再放送するだけではなく、これがなぜこの時こういうふうに作られたかだったり、今この現代の私たちから見て、この一本をこういう見え方しますよね、という差分を味わっていくという番組になってるんです。
これこそやるべきだよなと。NHKでしかできない。本当にこのアーカイブを扱える巨大な権力と言いますか、そこの力を持っているかなと。
その再編集によって価値をどう生み出すかみたいな話ですよね。それがまとめ方の問題もあって、そのまま別に流すことがもちろん価値のあるものもあるけど、映像の正規しかりサブカルチャーシしかり、どうまとめてどういう順番で出していくのかみたいなのが、逆に今後求められることだし、むしろそれをうまく活用していくっていうことが、本当にNHKとしてやるべきことというか、っていうのは思いますかね。
ヤマグチが選んだのが、戦後サブカルチャーシ欲望の傾向のジャポニズム界ですね。
ということで、ドキュメンタリー、ドラマ、共用番組部門というのはそれぞれ、これはと選んできたんですけど、それ以外にも話したいことがいっぱいあるんですけど、ここからはこの2024年の年間流数…
ということで、共用部門いかがだったでしょうか。ドキュメンタリー部門、ドラマ部門は別のエピソードで配信していますので、ぜひそちらもお聞きください。