Takuya Oikawa
違うって判断はどうしてできるんですかね。
Nobuhiro Seki
多分ね、ディレクションは全部英語で来るんですよ。
アメリカ人がいて、次はこういう気持ちでこういうの喋ってくださいって言われるんだけど、やっぱりパッとすぐにできないんですね。
いきなり言われて、かなり後悔してるような感じでむせびながら喋ってくださいとか言われてもパッとできないじゃないですか、なかなか。
Takuya Oikawa
それを訓練されてるのが役者ですからね。
Nobuhiro Seki
どういう感じで言った時に、例えば眉を少し上げる感じでとか、眉をしかめる感じでとか言われて、それで笑ってみてとか言われて、はははって笑うと、そうじゃなくてもう少し大げさにここを上げてみたいと普通の人に言われるんですけど。
やるとできるんですけど、だいたいすごい大げさにならないといけなくて。
Takuya Oikawa
やっぱりそうすると不自然なデータになると思うんで、それで得られた教師データは何に使うんでしょうね。
Nobuhiro Seki
ただね、きっかけにすごいなるんですよ。
笑ってくださいとか言われても、結構いきなり笑えないじゃないですか。
でも、こんな感じで喋ってみてって言われると、その人が言ってくれた通りにはやらないんだけど、それをきっかけに、こうじゃなくてこうだってわかるんで、何とか少しやって、ちょっと大げさにやってくださいって言われてやって、
やり始めた瞬間に、ちょっと違うけどこんな感じって言ったら、それそれって言われる。
防音の部屋じゃなくて、隣の部屋とかでいろんな国のやつがやってて、隣の人はスペイン語でやってたんですけど、だんだん近くなってきたり、大声で笑ってくださいとか泣いてくださいとかいろんなやつがあるから、
偶然、一回やって、次との間とかに向こうの方でスペイン語がすっごいバカ笑いしてるとか来るとこっちも笑っちゃうみたいなのもあったりとかして。
Takuya Oikawa
それはでももしかしたらあれかもしれないですね。本当の何の用とかって聞いてないのかもしれない。聞いてても言えない、NDAで言えないのかもしれないんですけれども、
想像するに、自然な人間の、もし僕だとしたら、自然な人間の教師データとして使うならば、やっぱりそういった指示においてある種恣意的に表情を作るものってのは必ずしも自然な状態じゃなく、
普段の人間のコミュニケーションのところの教師データとしては使えないと思うんですよ。ただ何に使えるかっていうと、やっぱりアニメだとか派手なアクションを求められるもの。
要は例えば今の理由ならば、いわゆる西洋人の方が東洋人に期待するリアクションを作るためのもの。
例えばやっぱりハリウッド的な日本映画、日本人をフィーチャーした映画って日本人からするとすごい違和感があったし、もしかして今でもあるかもしれないんだけども、でもそれがアメリカ人や西洋人が求めるものだとしたら、そういうふるまいをすることが役者に期待されるじゃないですか。
というような形で、例えばアバターだったりアニメーションだったりっていうところで、AIが自動的にあるキャラクターの表情を作るときの、それの元にされるっていう可能性があるんじゃないかと思いました。
Nobuhiro Seki
表情、要するに奥行きとかを考えないと、3Dじゃないと映像とかで作れるじゃないですか。
ただやっぱり撮ってるのが深度というか深みというか、そのところをすごい意識してたポイントで、やっぱりそれは角度を変えるときに必要になるじゃないですか。
だからやっぱりアバターとかメタバースみたいな話って、世の中的に言うとちょっと終わったみたいになってますけど、本当はそっちの話なんだろうかなとかね。
ちょっとあんまりこれ以上だんだん込み入って言えなくなってきますけど、ニューヨークという場所でやってることも含めて、さっきの舞台とかもアバターでやりましょうとかね、いろいろ考えられるじゃないですか。
今回やってたのはほとんど西洋系の言葉で唯一日本語だけだったんですよ、アジア系の言葉。
というのもなんかちょっと面白いなと思ったり、単にそれは日本人って結構アメリカに少ないんで、積極的に撮らなきゃいけないとかいう理由があるのかなとも思ったりはしたんですけど、
その辺が日本でこれ、結局読ませるスクリプトとかも全部日本語なんで、日本で丸投げしてやってもいいんじゃないのかなと思ったんですけど、やっぱりそういう、もしかしたらやる組織がないのかもしれないなと思いましたね。
すごい大量にワンフロアとか借り切って、ちっちゃい部屋に呼んでずっとやってましたからね、いろんな部屋で。
Mika Ueno
私ゲーム好きなんでよく見るんですけど、
龍が如くっていう最新作がこれから出るんですけど、あれのストーリートレイラーで人間の形を模したキャラクターがいっぱい動くんですけど、今までの作品も本物の俳優さんをキャプチャーしてモーションやってもらってっていうのでキャラクターもあるし、
想像上の、完全なCGっていうのもあるんですけど、両方ともそこそこリアルになっていくんですよね、見た目は
でも今最新作8で、今まで7だったんですけど、7まではものすごいディテールまで人間っぽいんですけど、表情の動きっていうのはやっぱりガチって固まってる感じはするんですよね。
表情系が動いてないっていうか、目の動きとかやっぱり人の表情っていろんな細部の動きをとってんだなってそれ見てすごい思うんですよね。ものすごくよくできてるんですけど。
8の最新作のトレーラー見たら、人物の表情が一気に人間っぽくなったんですよ。人間っぽい表情と動きと多分眉間の動きとか目のちょっとした動きとかあと頬とかいろんなところだと思うんですけど、なんかパッと最初見た初見ですごい人間っぽいと思ったんですよね。
それが、もちろんオリジナルのエンジンなのか分かれちゃったんですけど、新しいのを使っているんだろうなっていう感もあるし、口とか本当に細かい動きが人間の生きてる感を作ってるんだっていうのをそれを見て思ったのがちょうどあって、今関さんの話聞いてデプスとかね、いろんな表情とかっていうのをとっているのはそういうの裏にもあるんだろうなっていうのはちょっと思ったりしました。
で、その表情の人間っぽさ、声の人間っぽさは声優さんがやってるし、その人間っぽさっていうかその表情がいかにっていうのを感じましたね、すごくね。
その2時間でね、やったデータがどういうところに活かされるかっていうのは、ゲームとかアニメとかなんかシミュレーションとかそういうのありそうですよね。
Takuya Oikawa
これ撮影はどういう機材だったんですか。
Nobuhiro Seki
そこまでは言えないです。言えないかどうかわからないんだけど、たぶんさっきまで言ったところはわりと公開情報に近いとかはいいんですけど。
Mika Ueno
それは大丈夫ね。こういうのやったっていうのは大丈夫なのね、言って。
Takuya Oikawa
僕結構微妙かなと思って聞いてたけど、面白いからいいやと思って。
Nobuhiro Seki
たぶんこれ自身はそんなに大した、そういうことをやってること自身、ホスティングに出てるから。
だからどんな機械でどんなとこまで見ましたかっていうのはちょっと難しいと思います。
Takuya Oikawa
結構特殊なやつだったんですか。
Nobuhiro Seki
特殊ないですよ。
だから言っても、もしかしたら特定できないように言えば差し支えないかなって思うレベルの話ですね。
だから今のお話聞いて、どういう機材だったら取れそうかって考えたら、わりと今時だったら取れちゃうんじゃないですか、民生用のデザインボードっていうような。
Takuya Oikawa
普通のスマホにLiDARが載っかってる時代ですからね。
Nobuhiro Seki
ほとんど最近のスマホってそういういろんな機器として使えるじゃないですか、専門機器としてね。
Takuya Oikawa
大体わかりました。
Mika Ueno
なるほどね。実体験の面白いな。私もそういうの受けてみたい、やってみたい、協力してみたい。
Nobuhiro Seki
クソ忙しいのに、つい誘惑に耐えかねてしまいました。
Mika Ueno
そういうの大事ですよね。
Takuya Oikawa
僕も明らかに、ユーザーインタビューみたいなやつもそうだし、明らかに営業の電話とかメールとかってあるじゃないですか。
断るんですけど、この企業の話聞いてみたいなと思ったら聞いてみて、どんな感じだったかっていうのをすごい体験してみるっていうのはやることありますね。
Nobuhiro Seki
その回があったじゃないですか、昔。
確かにありましたね。すっかり忘れていた。
定期サブスクリプション解約する話と、あとはネットプロモータースコアの話は、もしかしたら同じ回だったかもしれないですね。
Mika Ueno
そうでしたっけ?
Takuya Oikawa
僕も何話したか忘れてました。
Mika Ueno
そっかそっか。私と関さんあれ見るからね。復習というか。
Nobuhiro Seki
ここまで出してみたっけ、考えますからね。
見出し、一応ね、そういう企業名は見出しにこだわるようにとは一応考えてますけどね。
Mika Ueno
出していいやつはタイトルにあるとね。おって思うのもあるけど、出さない方がいいものもありますね。
タイトル付けっていうのはね、すごく大変。めちゃくちゃ重要ですけど、すごい時間かかりますよね。
関さんはサクッとやるけど。あれめちゃめちゃすごいと思う。
記事にしても、YouTubeにしても、いろんなものってやっぱり最初の初見で人のアテンションを引くっていうのあるじゃないですか。
サムネイルだったら画像とかだし、そこに入っているテロップというか文字で
パッと引きがないとっていうのもあるしね。
いろんなコンテンツとかプラットフォームが変わったとしてもそうですよね。
このPodcastだって音は目に見えないわけだから、タイトルとかディスクリプションで聞いてみようかなとかっていうのってあると思うし。
Nobuhiro Seki
タイトルって付けるときはそのときにほとんど時間かかんないですけど、
1日経ったりすると、なんでこんなの付けたんだっけって思うときも結構あります。
割と一過性なものですね、そのときの。
頭のモードによります。
全然思いつかないときとかはもうやるのやめます。
Mika Ueno
一晩寝かすっていうのはそこそこ意味があるんですね。
Nobuhiro Seki
やり方もだから、最初の頃は実は積み上げ式でやったんですよ。
積み上げ式ってどういう風にやるかって言うと、最初概要みたいに長く書いて、ちょっとずつ削っていくんですね。
もうちょっと制限があるじゃないですか。
これを言い換えたらもっと短くまでやっていって、削っていって、
本当にこれがエッセンスですみたいな感じに短くしていくタイトルの付け方と、
どっちかっていうと全体見てザクッと頭の中に浮かんだキーワード3つみたいなやつで作るみたいなパターンだって。
初期の頃は短くしてたんですけど、
最近は短くしていくのをやってるときってAIで作れないかって僕はちょっとやったじゃないですか、一時期。
過去のやつを学ばせて。
それはもしかしたら短くしていくみたいなアプローチの究極はAIとかにあったほうがうまくできるんじゃないかと思ったんですけど、
あまりできないうちに自分のやり方もだんだん短くしていくんじゃなくて、
僕のあの時に話したことってなんだっけっていうのをスクリプト見せてもらって、
そっからキーワード3つ4つくらい思い浮かべて、それを散りばめてちょこちょこと直すのかな。
その後にディスクリプション作って整合性が取れてるかどうかチェックするみたいな感じに変わったんで、
最初はディスクリプションから作ってタイトル作ってたのに、今はタイトル作ってからディスクリプション作ってます。
製造方法変わりました。
Mika Ueno
へー面白い。
そういうプロセスがあったんだ。
私も聞いてなかったからそれは面白い。
確かにその、私が前タイトルとかディスクリプションを考えた時も、
でっかいもうめちゃめちゃ書き出すんですよ。
書き出した中でそこからこう取ってて削いでいくっていうのは同じなんですけど、
まずソーシャルメディアに出す時にどういう紹介するかっていうとこから書くんで、
私ディスクリプションみたいなとこだったんですよね。
200とか140文字とかその以内の中で書けるもの。
ずっと編集してるから聞いてるから、
ここでどういうところが伝えたいかなっていうすごく個人偏重のものになりますけど、
それを書いて、それをタイトルに凝縮するなっていうやり方をしてたんで、
めちゃくちゃ時間かかったんですけど、
人によってやり方違いますね。
Nobuhiro Seki
たぶん僕最初の頃って引き継ぐ時に、
その上野美香的出しをつけるのにすごいこだわったじゃないですか、最初の頃。
Mika Ueno
そうですね、上野が言うんだったら何て言うかみたいなね。
Nobuhiro Seki
たぶんそれがプロセスに反映されされて、
だんだんエッセンスにしていくみたいなやつ。
たぶん僕自身のやり方はどっちかというと逆で、
最初タイトルを決めてから書くみたいな感じが多いんで、
たぶんそっちに切り替わったっていうか、
切り替えちゃったっていう感じですね。
Mika Ueno
素晴らしい。
どっから関さんに切り替わったかはたぶんわかんないと思うんですけど、
タイトルの付け方とかね。
私は見てて、こういうふうに関さんに使われるんだ、
こうやって表現するんだとか、こういうふうに書くんだっていうのが、
もちろんアップデートしていくので、
それがすごく面白いし、自分の勉強にもなるし、
こうやって言葉を取り出すのか、
こうやって表現するんだっていうのはね、毎回ほーっと思いますね。
言葉の表現として今思い出したのがあって、
英語と日本語っていうか、言語の違いのやつで、
これも去年末のテレビ番組、
私が大好きな関ジャム完全燃SHOWっていうのがあって、
あそこで見たやつなんですよ。
いろんなアーティストが、
自分の今年のネタみたいなのを話してるダイジェストだったんですけど、
その中でDreams Come True、
ドリカムの中村さんと吉田美和さんがインタビューを受けてるやつで、
彼らの英語で歌詞を作ってる作品いっぱいあるんですけど、
英語で歌詞を作るときはどうやって作ってるんですかっていう話だったんですよ。
その時は最初から英語で作るらしいんですね。
日本語で作ったものを英語に書き換えてっていうんじゃなくて、
最初から英語の発想で作るっていうふうに言ってたんですけど、
でもかといって別にサラサラとできるわけではなくて、
Mika Ueno
そうですね。言葉って新しく生まれていくのってそうですもんね。
こういう表現する?みたいな、例えばぬるっとしたとか映像に使ったりするんですけど、
ちょっと昔の人からしたら、え?って思うかもしれないけど、
そういう表現ってどんどん新しいところが生まれてきますよね。
Takuya Oikawa
だって英語でクールっていうのだって、
普通にいいこと、かっこいいことをクールっていうのを、
そのまま寒いとか冷たいとかっていうふうに言われた時に、
日本語ではそう言わないよって言うけれども、
でも英語ではクールっていうのはそういう意味なんだってなって、
僕らカタカナでそのままクールって言っちゃうけれども、
でももしかしたら冷たいっていうのも面白いかもっていうふうに判断するかもしれないし。
Nobuhiro Seki
まあね、形容詞はね、フィーリングの説明だからそうなりがちってね、
翻訳しづらいってなりますけど、さっきの違和感っていう意味で言うと、
よく挨拶の時にLong time no seeって言うじゃないですか、英語で。
これってもう英語じゃないですよね、みたいな。
もう完全に中国語じゃんっていう感じなんですけど、
やっぱりこれって中国系の人のオリジナルですよね。
まさに4つに分かれるというか、
これ絶対中国語の四文字だろうなっていうふうに思うみたいな感じのところがあるんですけど、
多分今ってすごい普通のアメリカ人とか普通に使ってるんですけど、
多分すごい英語話者からちょっと違和感があると思うんですよ、ロングタイムノーシーって。
英語っぽくないですよね、全然ね。
すごい片言の中国人の人が喋ってるっぽいような、
それをわざとかっこいいと思って使ってるっていう、
まさに他人の話と近いのかなって思ったりしました。
Mika Ueno
そんな違和感あるって言った方も音楽業界の人だし、
多分作詞家とかそういう人だと思うんですけど、
それでもあるんだろうな。
一方、及川さんが言うみたいに、
芸術的表現とかいろんな新しい革新的な表現っていうのは
どんどんそういうとこから生まれてくると思うし、
自分が母語の言語で考えてみても、
こういう新しい言い方ってないかなとか、
自分がこう感じてることをどうやったら伝えられるだろうっていうのって
どんどん変わっていくんだろうな。
Nobuhiro Seki
それってやっぱり日本語とか英語とかって
そういう柔軟性がすごい高いですよね。
新しい信語とか新しい表現とかがすごい生まれやすい。
逆に言うとすごい勢いで沈黙化するみたいなところがあって、
他の国の言葉をすごい平気で取り入れちゃうっていうのは
多分日本語も英語も極めてそういう傾向があるんだと思いますよね。
Takuya Oikawa
ビルの谷間、
なぜそういうふうに表現するようになったかっていうのも
面白いと思いますよね。
視点がどこにあるんだろうとかね、例えば。
多分視点は上にあるし、
かつ谷間っていうからには少なくとも
2つの高い大きいビルがあるというところなので
ビルの谷間っていうふうに言い出したのは
例えば日本発ならば
日本のどこを見てそういったのかっていう話であったり
Nobuhiro Seki
そもそもがね。あんまりその表現に何かこう
こういうのが浮かびますかっていうときにビルの谷間
やっぱりビルを上から見るっていう視点があんまりなくて
ビルって見上げる視点なんですよ。自分の中で言うと。
だからその谷間って言うとビルが遠くにあって
そこに結構空いてる場所があるのかしらっていう感じですよね。
でも冷静に谷間って言われるとこのビルの谷間って
屋上から見せたらそこが谷だよねって思うじゃないですか。
隣のビルの間が谷ですよ。
Mika Ueno
及川さん的な視点ですよね。
Nobuhiro Seki
でもその視点は言われるまで。
ビルの谷間って何ですか?客観的に説明してくださいって言われたら
多分そうなると思うんですよ。
でもあくまでもその時でも視点は地上にいる視点なんですよね。
地上にいてこういう谷が見えてますっていう。
だから谷の形状のことを谷と思っていて
いわゆる溝みたいなもの。谷って溝みたいなもんじゃないですか。
谷を溝とは思ってないですね。
というのが分かりました。
Mika Ueno
地上にいて見上げてるってのは似てる感覚ですね。
Nobuhiro Seki
特にビルに引っ張られてるとは多少は思いますけど。
Mika Ueno
やっぱりその現体験とか印象的な体験とかね。
そういうものが人の感覚を作ってるんだなっていう。
今なんか分かった気がする。面白いな。
Nobuhiro Seki
英語とか特に極端なドイツ語ですけど
前置詞があるじゃないですか。いっぱい。
前置詞って全部位置関係を表してるんですよね。
上にあるとか隣にあるとかくっついてるとか離れてるとか。
だからポジショニングはすごい重視してる感じがするんですよね。
英語とか。
ドイツ語ってテーブルの上に載ってるだけで七つ表現があるみたいなことを誰か言ってましたけど
要は真ん中に載ってるものと端っこに載ってるものとなんとかみたいなのが全部違うんです。
だからそういうのを厳密に捉えるから
異常に厳密にいろんな物事をきっちり説明しないと気になる、気に入らないみたいな。
そういうところがあるんですよみたいなことを昔言われたことがあって
僕はドイツ語やってないから知らないんですけど
そんな話をしていて、確かに英語でもやっぱり
なんでここはonなんですかとかinなんですかとかっていうのは
一部を除いてやっぱり意味がすごいあるわけですね。
図示するとこういう位置だから絶対これはinにはならないんですよとか
なんかそういうのってやっぱりポジションで結構考えてるっぽくて
実際前置詞って英語で言うとプレポジションと言うんじゃないでしたっけ。
だからまさにポジションを表す言葉なんですよね。
相対的な位置を表す言葉だから。
その時にやっぱり物がどこに置いてあるんですか。
それは上に向かってるんですか下に向かってるんですか横に向かってるんですかっていうのは
結構厳密に英語はその頭の中では意識があって
それがずれてると気持ち悪いっていうのは多分あると思うんですね。
Mika Ueno
大変面白いですね。
いろんな国の人に聞いてみたいですねこのビルの谷間表現とかね。
ドリガムのどの歌なのかわからないけど例に出して。
Nobuhiro Seki
全部日本語のバイリンガルの人に聞かないとなかなか翻訳の時点でわからなくなっちゃう。
説明する時にさっきの話なんですけど
ノンネイティブの感覚で説明して
それに合わせたフェイスエクスプレッションは使えないですねって話と一緒で
バイリンガルの人はどう思うかっていうのはちょっとある気がしますね。
英語系のやつと東アジア系って主体客体の見方も結構違うじゃないですか。
住所の表記とか年号の表記とかも英語とか西洋の方が
割とオブジェクトから始まってだんだん引いていくみたいな感じ。
東アジア系のやつってまず全体像からいってそれをだんだん狭めていくみたいな。
そういうこと一つとってもそういう表現によった形での婚約ができないなみたいなことって結構あったりするよねって感じで。
この話をしていいのかわからないけど
うちの子供はよく言葉の音楽でYouTubeのビデオとかで音楽が流れてるんですけど
その中でだんだんだんだん海のボートにキャプテンが乗ってます。
その人が水中を見たら何かが見えました。
海中の中に木がありました。
木の中に枝がありました。
枝のところに何かがついてましたみたいな。
だんだんちっちゃくしていくんですけど
それ英語の歌詞によって言うと最初に物を言ってだんだん引いていくわけですね。
だからそこにのみがいました。
のみは木に登っていました。
その木は海の中にありました。
その海は何とかですって感じでだんだん引いていくっていう歌詞でしゃべるんですけど