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2024-08-06 58:16

S4 ep6 染と織の原始と化学 ゲスト:アンファンテリブル・原田晶三(中編)

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テキスタイルディレクター、アンファンテリブルの原田晶三さんゲスト回第2回は、日本各地の産地を巡り、その土地に根付く技法や素材を現代のファッション業界に紹介し形にしてきた原田さんのキャリアの中から、奄美大島の泥染めや大島紬、柿渋、原始布の復刻などのお話を中心に聞いていきます。

原田晶三さんプロフィール
八王子を拠点とするアンファンテリブル(恐るべき子供達)の代表取締役。長年に渡りテキスタイルディレクターとして、ベネトンの企画コンセプトやイタリアンデニム加工大手のMartelli、ヒロコ・コシノや45r(pm)、聖林公司などのテキスタイル企画を手掛ける。現在も息子・原田謙一さんとともに、消えゆく伝統技法を再生し、新しい視点でハイブランドの生地や店舗のテキスタイル開発を手掛け続けている。

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【今回の話題の関連リンク】
enfant terrible|アンファンテリブル
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WWD JAPAN|グーグルと日本の小さな繊維会社が変える衣服の未来
https://www.wwdjapan.com/articles/4803
原始布・古代織参考館 出羽の織座米澤民藝館
https://gensifu.com/building/

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パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保

00:20
CRA出しRADIOは、様々な手法で物を生まれ変わらせるコレクティブ、コンクラのメンバーが、工芸を軸に物と人との関係、物を作ることについて、皆さんと一緒に考えていく番組です。
コンクラの岩田です。
海です。
塩です。
はい、そして今回もこの方をお招きしております。
カラダです。
はい、よろしくお願いします。
10年間お知り合いなのに、知らなかった話も出てきて、私は結構興奮している状態だし、やっぱり80年代って本当に面白い時代だったんだろうなって。
自分も生まれて80年代、子供の時に経験していて、親とか兄世代がすごい元気だったっていうのは、今とは東京とか日本の勢いが違うし、デザインとか洋服とかもやっぱり違う。
全然今と違う。消極的ではない。選択が割と逆なんですよね。もうこういうのないの?とか、新しいものに割と飛びつくっていうカルチャーがあったなぁなんて思い出しながらだったけど、その舞台裏にはキリオにサロンウォーク1日したいとか、そういう方々がいたんだってことも。
新しい領域を切り開いた人たちがいる。
お話聞いてて思ったのが、特に80年代とかってよりそういうイメージがあるんですけど、すごくやっぱり東京があらゆるカルチャーの発信地になっていたみたいな。
例えば音楽とかで言うと、博多とか京都とか大阪とか名古屋とか、それぞれのカルチャーがあって、それが全国区になるみたいなのがあるけど、ファッションってどうしても東京発信っていうイメージがある。
東京コレクションで名前からしてもつけちゃってる。
実際、ここから先原田さんのお話が、産地のお話とかで全国広がっていくことになると思うんですけど、ブランドとかデザインとかっていうことで言うと、やっぱりファッションの業界って東京を中心に。
そうですね。東京で、皆さん東京に集まってきている。うちの事務所、渋谷にあった事務所で言うと、実際そのテキスタイルを一緒に仕事したいって言ってくる人の大半が九州出身なんですよね。
03:18
なんで九州が多いんだろうって思うぐらい、九州の知り合い、うちにいた人間多かったですね。8割近くは九州だったみたいな。
8割?
そのくらいでした。
偏ってますね。多いレベルじゃなくて偏ってますね。
それは逆に、そういう仕事をしようと思った時に地元に受け皿がないんだ。
だと思います。
関西やったらある程度関西でもやる用があるけど。
関西はもともと繊維の中心地じゃないですか。京都、大阪っていうのは。京都は伝統工芸だし、そこは非常にレベルが高い仕事をされてたし。
東京はっていうと、そういうあんまりないんですよ、実は。東京は江戸古文とかそういう伝統工芸がありますけど、着物のレベルっていうとやはり京都がトップだったし。
だいたい今でもテキスタイルで本社だと大阪ですもんね。死者で東京とか、東京本社とかそういうふうにはあるけど、今でもやっぱり会社の形態的に見ても関西がテキスタイル中心というイメージは。
だから大阪の本町とかの辺ですかね。
大阪から輸出されてた。日本の戦後の日本の産業を支えたのが繊維だし、そういう意味では大阪中心に繊維が動いてた。
大阪の人はあんまり来なかった、東京に。なんで東京に行かなきゃいかん。
8割が九州っていうね、幕末化っていう感じの。九州のすごいモサ達が東京に集まってるという状況。
関西が中心になってた理由っていうのは、エンジン、織物を作るためのエンジンがトヨタだったりとか、そういうこととか関係あるんですか。
輸出産業としての日本を支えてた機関産業が繊維産業だったということで、だから戦後の東大とか出ると繊維産業に入るというのが一大目標になっているということで、
関西関係のその当時、今もありますよ、東レさんとか五線メーカーのトップっていうのはだいたい東大に出た方達が多くて、日本を支えてたってことだと思いますね。
06:04
その当時に東洋レイヨンの会社っていう意味で。東洋レイヨン。
宣伝からある会社ね。
東京でいろんな大変な仕事をデザイナーがギリギリまで、今もあんまりそれって変わらないのかなとちょっと思うんですけど。
そうですね。
たぶん寝てはいると思うんですけど。
寝ていらっしゃると思うんですけど、その中で日本のお仕事の中で、私の中でまだ原田さんの歴史で知らないのが、イタリアにも毎年は行ってたっていうところで、ペネトンとの出会いもあり、
それと同時に日本の伝統的な技法とか、いろんな日本に眠っている機械とかを知っていくっていう過程がまだよく、ちゃんと聞いたことないなと思ったので。
それはちょうどやはり、東京コレクションやってるような時に、オリジナルの生地を作る。たまたま一緒にやってたデザイナーも古い生地とかが好きで、原子の布とかっていうね、そういう本とかもあって。
それをその辺に誘発されていくんですけど、見た時に日本中の古い記事っていうか、そういうものが貼ってあった記事で、それの中からこれを復刻しようとかっていうね、そういう話になっていくんですけど。
それを集めた方っていうのが、山形の米沢にいるんですね。
で、デアの森座っていう布の博物館を今もやってるんですけど、このデアの森座の山村さんっていう方が、要は戦後、東北で皆さんも古いものから新しいものに切り替えようみたいな時代で、
何でもかんでも古いものをみんな燃やしちゃってたんですね。
で、その山村さんが基地外座っていうグループを作って、それでそういうことを捨てちゃう、燃やしちゃうみたいな人をやめさせて、自分で置いておく場所を作って、そういったものを全部集めて撮ってあったんですよ。
09:10
で、それが今の日本民芸館のベースになってるんですね。
マジですか。民芸リターンズの話が。
ちょうど原田さんとお話しする前に、民芸の話をちょっとしてたっていうのがあって。
で、そういうところに昔の記事があって、それをどうにか復刻できないかとか、ただ、昔のままで復刻しても洋服にはならないから、それに似た雰囲気のものをどうやって作っていこうかとかっていうことで、日本の記事、もしくは海外のものもそうですけど、手で作られた糸で手織りでみたいなやつをどうやって機械で復刻するのかとか、
そんなことをやってきたんですね。
その前にあった記事を、サンプルを復刻させたいっていうデザイナーさんたちの気持ちっていうか、どういうところから生まれてくるんですか。
機械で工業的に大量生産されちゃってるものに味がないっていうことは分かってるんですよね。
それでヨーロッパ行って、のみの石で古いヨーロッパの服を買ってくると、当時ヨーロッパでも全部手紡ぎで手織りでっていうものが作られてるし、そういったものがやっぱり素晴らしいんですよね。
そこでもう一つ日本的なものを作っていきたいっていう気持ちが日本のデザイナーもあるから、日本のものをベースにしてやろうっていう。
だからだんだん西洋からの、もともとあった日本にあったものに目を向けていくっていう形がきっかけが出てきた。
サンプルを見ても分かんないじゃないですか。どう作ってるかなんて。言ったら科学捜査班みたいな話ですよね。
だし素人のイメージで言うと80年代って何だろう。ともするとモードの世界とかだと伝統とかそういう古っぽいものがダサいっていう向きとかもありそうな感じもしなくもなかったね。
でも現場は今お伺いするとそうでもない。
片通りでしたね。だからすごく新しいものに目を向けて、光線繊維の方に目を向けている人もいるし、そうじゃなくて非常にラスティックなものですよね。
そういったものに向かってたっていうのもありますね。
12:00
キリュウで荒井純司さんっていう布っていうアントロジーって言われてた方がものすごく、方向は違うんですけど、アフリカの生地的な生地をキリュウで作るっていうようなことをやり始めて、
初期コミュニケーションの核ブレイさんが気に入って取り上げたり、三宅一世さんと一緒に仕事をやってきたりとか、そういうところでもちょっと味のある岸っていうかね、を作ってたんですけど、それはあくまでも機械で折って作るというやり方だった。
僕はどっちかというと、もう少し手折りでいくとか、手作りのものとか、そっちを目指したいなと思って、今になってるんですけどね。
その辺をもうちょっと詳しくお伺いしたいんですけど、手折り、もう作れないものが多分大量にあるんじゃないかと思うんですけど、例えば機械がないからっていうよりは、まず機械の使い方わからないどころかもう存在さえ知らないっていう、記憶が消されてしまったやつを再現するとなると、
相当な、どこからスタートするんだろうっていうのがいつも不思議。
意外と日本っていう特殊性ってさっきの話、特殊性の話なんですけど、やっぱり日本だけが持っているものっていうのがあって、和の文化、要は僕らの仕事でいうと着物を作っていく文化と洋服を作っていく文化っていうのが2つ、
日本レールでずっと走ってきてるんですね。他のものもそうだと思うんですけど、ヨーロッパと日本、ヨーロッパ、アメリカと日本、日本とどこが違うのかというと、日本は和の文化と洋の文化っていうのは、いつも並んで走ってるんですよね。
でもヨーロッパの場合は、ヨーロッパの昔の文化はどんどん捨てられていって、新しいものだけ一本残っていくんですよ。そうすると日本だけが和の文化を持って、ここも新しくなる、ヨーロッパから入ってきた文化も新しくしていくっていう。
そこが一緒になって一個になるのかって、一個にならないんですよ。時々僕らが一個にするっていう、一つの方向にするっていうところが、日本のオリジナリティというか、そこに日本の強みがあるんだろうなと思ってるんで。
15:00
実際そういうことを目指したいなって思い始めて、特にベルトンの仕事、イタリアの仕事をやり始めた時にいろんなことを感じて、これはやっぱり日本だからこそできるし、我々だからこういう仕事できるんだと。
デニムの仕事とかをイタリアの会社と始めた時も、日本の柿渋だったり泥染めだったり、そういったものをイタリアでやるっていう。
イタリアのやっぱりすごいパワーもあるんで、日本から毎年数トン柿渋を送って、イタリアでデニムの加工をする人工対応みたいなシェアを当ててやるんだとかって言って、コースを作っちゃうんですよ。
伝承劇みたいな。
柿渋自体イタリアでは作れなかったんですか?
作ってないです。日本で京都で亀岡だっけ、柿渋作っているところがあって、そこで3トンって発注したらそんなにないって。
そうですし、何のためにって思われますよね、急に連絡来て3トンって。
柿渋のおさらいですけど、生地に晒して紫外線に当てると状態が変化するんですか?
柿渋の青い柿を潰して発酵させて取るやつなんですけどね。
それ昔から日本では木の上に塗ったり板傘に塗ったりとかいろんな形で使ってきている伝統的な材料ですけど、
それを布の上に塗って火に当てると真っ黒になってくるんですよね。
それが面白いというので、ディーゼルというブランドでやろうという話になって。
ただ、日本のデニムメーカーとイタリアは世界相手にしてやるので、生産枚数が全然違うんですよね。
ものすごい数やらなきゃいけなくなってくる。
日本の伝統工芸的なものも向こうでやると一挙に量がスプロカシーになっちゃう。
泥染めなんかもそうですけど、自分たちの工場の中に大きなプールをいっぱい作って、
18:07
アマミオーシムみたいな形の泥をつけるようなことをやってしまうという。
先にイタリアで始めた感じ?
泥染めは違うんですよ。やっぱり日本でやってて、日本の泥染めが面白いということで、
日本に加工を持ってくるのかというと運送が大変になっちゃう。
運送が大変になっちゃうんで、イタリアで似たような性質の泥のあるところを探して、
ダンプカーで持ってきて、かなり広大な大きなプールを何個も作って、
その中にデニムをつけてやるという。
そんな似た泥なんてすぐ見つかるものなんですか?
見つけてくるんですよね。どこから見つけてくるんだか。
ちなみにリスナーの方は、泥染めって何っていうところがあると思うんで、
泥染めの特徴について。
泥染めは奄美大島の大島紬っていう着物の染めに使われてきた技術なんですけど、
この泥染めっていうのは多分世界で最古の染めみたいな染めで、
アフリカでも世界中でやっているものなんですね。
木のタンニン、木の樹液で染めて、それを鉄分の多い田んぼとか水溜りに入れると、
鉄とタンニンが反応して真っ黒になると。
なるほど。樹液が反応して染まっているんですね。
僕泥で染めていると思っていました。
見た目は泥なんですよ。
見た目は泥なんですよ。
泥というか泥の中につけるんで泥染めって言っているんだけど、
鉄分で染めているという、泥の中に入っている鉄分です。
それをやっている、あんまり今だと泥染めって、
ほら、聞く人は聞くかもしれないけど。
よっぽど興味ある人がいると思う。
ぐらいですよね、多分ね。
だから、もともと突然奄美大島の泥染めをイタリアに持っていくというところに
何かお話があったはずだと思うんですけど。
そうですね。逆にイタリアの加工をやっているマルテリという会社の
上野市とか、非常にそういうことに興味があった。
21:01
それで日本で一緒に奄美に行こうと言われて、一緒に行って、
そこを見たらインスピレーションでそういう、
うちのところでもやるんだって思ったんだと思うんですけど。
そんな形ですね。
デニムだから加工という、ダメージ加工的な、
ビンテージ加工的な雰囲気を作りたいっていうので、
泥染めが採用された。
そういうことですね。
だからその当時やっぱり、マルテリでも天然染色とかをやり始めていて、
日本とは全然違うやり方なんですけどね。
インドからいろいろ薬草的なものを輸入して、
それで染めるというようなことをやっていたんですね。
で、やっぱり僕らが天然染色をやっているのを見て、
真似していくというか、そういう形でしたね。
当時はインディゴが自然のものではなくなっちゃっていた時だったということですか。
そうですね。
イタリアのデニム加工、染色工場とか、
ジーンズを作っているところではインディゴを使いますけど、
普通の染色をやっているところで、天然染料を使って染めているところってほとんどないんですよ。
それで藍染めもやりたい。
インドにはインド藍っていう天然藍があるので、
それをインドから入れて染めようと思ったんですけど、
イタリアの染色工場では染め方がわからないということで、
日本に来て、日本の藍染め工場とかで、
どうやって染めるのかということを教えてもらって、
イタリアでも天然藍で染めるということを始めたんです。
インディゴっていうのはどういう藍染めと違うんですね。
そうですね。元は一緒。
元というか、化学藍なんですよ。
1800年代の後半くらいなのかな、
ドイツでインディゴ、
もともとインド藍とかの分子構造を解明できるようになったので、
それと同じ構造のものを化学的に作ったと。
構造的には全く同じもので。
安い?
安い。育てなきゃ。
藍を育てるからスタートしなくてもいいし、
持ちもいいですよね。
生きている、結局、
24:01
菌と一緒に藍を混ぜて、
発酵しているという考えでいいんですけど、
発酵している、生きている状態をずっとキープさせなきゃいけないので、
温度管理、かき混ぜて空気も入れてあげなきゃいけないし、
何かのきっかけでダメになっちゃうかもしれない。
とにかく大量生産にそんなに向いていないと思われがちなんですが、
インディゴは化学染料だから、
管理が簡単。
そこにロープ染色という、
もっとめちゃくちゃ簡単な手法が、
これはアメリカですかね?
そこら辺は詳しくないんですけど、
日本だと岡山とか広島とか、
そういうところでロープ染色という手法、
もともとリバイスとかアメリカのデニム関係のところが、
そういう手法を編み出して、
そこで染める。
デニムの縦糸ですよね。
糸をロープ状にして、
一回つけて空気にさらすと空気に反応して、
もともと緑色なんですけど、
時間経つと濃い青色に。
あれはどういう反応がされているんですか?
液の中は還元状態で酸素が入らない状態の中で、
インジゴの染料は溶け出すんです。
それが空気に触れると酸化されて、
溶けた状態から固体になるということで、
還元と酸化を利用した染色方法なんですよ。
pH値をコントロールしていくということですね。
空気にさらさなきゃいけないということは、
面積が必要というか、
つけてさらしておくために高く吊るすとか、
しなきゃいけないんですけど、
日本のやり方は、
絞り入れつけるというよりは、
絞って繊維の奥の奥までアイを入れ込む。
ロープ染色をバチャってつけて、空気にさらしていくから、
糸を切ると外側がアイで、
インジゴで染まっていて真ん中は白い。
それで折ると、デニムを擦るところが白くなるじゃないですか。
それは真ん中の糸が出てきているから。
ある意味、染まりきっていないところが白く出ている。
それを見た日本人が、
かっけえってなったって話を聞いたことがあるんですけど。
27:03
デニムの色落ちが?
逆に手間かかっているのをギューってやって、
奥まで、繊維の奥まで染めたのが手間かかっているはずなのに、
アメリカのかいはらデニムの工場に行くと資料館があって、
そこにアメリカで撮ってきた写真が、
ボチョンとやっている写真が結構大きく貼ってあるんですよ。
真四角なんですよ、昔の写真が。
それを見て、かいはらデニム、
もともとずっと藍染めの、何代目だろう?
3代目の人か4代目の方が、
岡山と広島の真ん中の方なんですけど、
このやり方なんじゃないかってなって、見た目だけを真似したんですよ。
実際見てないらしいんですよ。
写真を見て再現した機械とかで、
表面だけ染めているデニムを作ったという偽りが、
これが初なのかどうか知らないけど、
そういうふうに資料館には書いてあった。
研究熱心だからね、日本の人たちは。
そうですね。
ちょうどはらさんとも行ったんですよ、そこのかいはらデニムとか。
広島のあたりの方々の機械の改造しまくり度がすごいから、
バラエティーに富んでいて、
資料性としてはここにしかないみたいな機械になっちゃってるんですよね。
原型があるものとほぼないみたいな。
機械をカスタムしすぎて、もう唯一無二の機械になっちゃってるってことですよね。
そういう面白い風土があるなと思ったりして。
ただやっぱり本物の愛とインディゴは全然違う。
物質としては一緒かも。
化学式では一緒かもしれないけど、
やっぱりインドの愛とかって色が違うなって。
もっと真っ青に、軽い青。
植物自体が違うんで、
日本のタテアイっていうタテ科の植物から取る徳島の愛と、
インドアイはマメ科の植物。
全然違うんですね。
インドアイはアイのインディガンっていう染まる染料成分が、
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日本の愛と比べたら比較にならないほど多いんですね。
ヨーロッパでもウォードっていうヨーロッパ独特の愛があったんですけど、
それもインディガンの紛有率が低いんで、
インドアイに全部石鹸されていくんですね。
日本も江戸時代にもすでにインドアイとかは入ってきてて、
そういうよく染まる愛なんですね。
だから現在も天然愛としては僕らもよく使ってますし、
発酵立てするのはなかなか大変なんで、管理も大変だし、
常時管理してなきゃいけない。
1日に2回かき混ぜなきゃいけないとかね、
そういう問題があったりするんで、
押すのとかなかなかできない。
色の違いはよくわからないですよね。
日本のタカガイの場合はスクモっていうのを作っていくときに、
植物が発酵したものがそのまま入ってくるんで、
植物の成分も愛の中に入ってしまって、
ちょっと茶色っぽくなるんですよ。
それがなかなか悪的なものが染めた後も抜けないんですね。
抜けないんで、染め上がったときに少し落ち着いた渋めの愛に染まるんですよ。
それは綺麗なんですけどね。
インドアイの方がよりピュアなんで、染め上げたときにすごく綺麗なんですよね。
爽やかなブルーっていう。
爽やかなブルーですね。
ちょっとさっきのマルテリの方と雨見に泥染めを見に行ってみたいなお話の手前で、
原田さんはどの時点で泥染めの話に戻ったんですけど、
泥染めのことは昔からご存知だったんですか?
いや、そうではないんですね。
泥染めは、ベルトンと仕事を始めたのが僕が2000年くらいかな。
2000年ちょっと前ですよね。1900年の後半くらいで。
その頃からはずっと、
たまたま大手の広告大展のプランナーをやってた方が、
大島の再開発を手掛けているんだということで、
その中で大島つぶぎっていうのが、
大島つぶぎというのは、
大島つぶぎというのは、
大島つぶぎというのは、
33:00
大島つぶぎというのは、
その中で大島つぶぎというのが、
青島の産業の中で一番大きな産業で、
それが今後衰退していくだろうということで、
鹿児島県の方もこれ衰退していくと、
従事している方も多いんで困るので、
何とか別の方向に変えられないかっていう話が来て、
相談されたんですけども、
着物のことは分からないんで、
泥染めだったら何とかやれると思うから、
やらせてくださいということで、
奄美の住む場の方と、
広告大展のプランナーの方とか、
チームを作って、泥染めの新しい方向を見つけよう、
というのが始まったのが最初なんですよ。
その時に、やはり大展のプランナーの方なんで、
どうやって白染めるかみたいな技法は非常に持っていて、
鹿児島県からもお金をもらって、
2県住め場を選んで、
ここはいいだろうという2県を選んで始めて、
展示会を東京でやったりして、
デザイナーの人たちも使ってもらいたいから、
当時たまたま一緒にやってたファッションブランドの
コウホーの女性にも入ってもらって、
その人がいろんなメディアに売り込んでいったりしてくれて、
そしたら一挙に皆さん泥染め面白いみたいな形で広がっていったんですよ。
うちはずっとそこから今もやっているという状態で進めている。
20年以上でしたね。
そうですね。20年以上。
7、8年ですね。30年近く。
ちょっとお話が前後しちゃうんですけど、
その亡くなるかもしれないという大島紬というのはどういう技法だったんですか。
大島紬はかすり織りの技法なんですね。
そこの染めに使われているのが泥染めで、
浜見大島は非常に鉄分を多く含んだ水が出るところなんで、
それとほとんど山の森林の島なんで、
そこに生えているシャリンバイというタンニン成分をたくさん含んだ木がある。
36:02
この2つに目の回られているんですよ。
沖縄もそういう島、久米島とかそういうところでも同じような技法で染めているんですけど、
それを浜見の産業にしてきた経緯があるんですね。
軽くて高級品ということで、島から持ち出す時に非常に軽いじゃないですか。
背負って行って帰ってくる時は大金を持って帰る。
そういうことができる。なかなか浜見の人たちは賢いですね。
そういうものを作ってきた織物ですね。
非常に手の込んだ。時間のかかる。
世界的にも珍しい縦糸で横糸を締めるという。
縦糸で横糸を締める?
横糸を普通、かすりというのは糸を染める糸を糸でぐるぐる巻いて、
巻いた部分が染まらなくなる。染まった部分と染まらなくなる部分というのができるんですけど、
そういうものを作るんですね。
これが浜見大島ではムシロって呼んでいるんですけど、
それはまさに今のバーコードなんですよ。染まったものが。
縦方向のバーコードと横方向のバーコードを組み合わせることで柄ができるんですよ。
染める部分と染めない部分の縞模様を合わせて十字みたいな模様ができる。
ドットのつまり、薄い模様ができる。
縦糸を用意するときに染まっている糸と染まっていない糸を掛けてということ、計算してやっていくんですか?
そうですね。柄を書いて、縦糸用と横糸用の柄を書いたら、
横の一本、縦の一本と全部分析して柄にするんですよ。
だから、全部ドットです。
それを画像の中でやるんだよな。
そういう手法なんですよ。非常に高度な折り紋など。
それが今は作れなくなってしまって。
39:00
作れないんですか?
細々と年間、わずか作っています。
まだそれを作っているんですか?
いますよ。
あと日本で言うと結木つむぎというのがありますけど、
結木の細かい柄だと、結んでいく絞りだけで1年から1年半くらい毎日やってかかる。
そうなんですね。
1年か。全然僕らが持っている姿勢感と違う感じ。
先ほどの広告代理店からのお話があって、何か形になった時に、
つむぎは難しいけど泥染めならってなったのはそういうところも、
この手間のかかり方とかっていう。
もうちょっと着物が社用化するだろうなっていうのは見えていたことだったんです。
まだその当時は天実の産業としては大きな産業で、
着物を扱っている方たちがたくさんいたんですよ。
僕らがいたのは27,7,8年前って。
もう本当に見ているうちにどんどんどんどん亡くなって、
今やもう風前の灯火みたいな形。
そうですね。お茶やっているとかお花やっているとか、
着物が好きとかじゃないと着る機会って観光総裁が。
着物の出番ですか?
そうですね。前もちょっと別の時に話していたんですけど、
なんでもう中古の素晴らしい日清織の帯が
アホみたいな値段でねじり写しているのかとか、
もう需要がないっていう。
そうですね。
そうなんですよ。
素材代にもならないよねっていう。
そんな話を前僕らもしていましたけど。
確かに泥止めだったら洋服でも他のものでもその用はある?
そのプールを用意して、ある程度まとまった、
言っても手間はかかるでしょうけど。
マルテリの社長がプールを作っちゃったわけですよね。
イタリアでもね。
イタリアで現地で環境を作っちゃったやつは、
泥染めとか、さっきの柿渋だな、柿渋とかっていう言い方で発信されてるんですか?
そうですね。発信しましたね。
日本の染めの方法でしたみたいなこともセットで発信されてる?
そこまで書いてたかどうかわからないけど、
柿渋だったり泥で染めてるっていうことが書いててやってましたね。
ちなみに今でもアマミの泥染めの方々とはご関係とかずっと続いているっていうことですよね。
そうですね。
物によって染まり方とかって違うんですか?
そう違うんです。
42:01
当時、まず自分が泥染めの現場に入った時に、
ショックを受けたんですよ。
天然染色は知ってたんです。知ってまして、自分も興味はあったんですけど、
アマミの泥染めを見た時に、これは全く別世界で見たこともない染め方だったんですね。
その植物、シャリンバイという木から出して抽出した染料液を発酵させるんですよ。
ここでまだ発酵が出てくるんですけど、発酵させて低温で染めるんですね。水の状態で。
大体天然染色、僕らが、要は草木染めというのは、高温で80度ぐらいまで上げて、
それをまた冷ましていく時に染まっていくとかいう形で染めるんですけど、
これはどちらかというと化学染料の染め方と近いんですよね。
でもアマミの泥染めの場合は熱をかけない、抽出する時だけは大抵抽出しますけど、
その後発酵したものを保存していくという形で、たまたまアマミに実生している菌というか、
そういうものが作用して発酵するんですね。
それを使っているんですよ。
発酵させることが多分良い効果を生むんだと思うんですけど、
それで何十回とか100回ぐらいつけて染める。
そんなに?
やるんですよ。
車輪灰の液につけて何回か、3、4回つけて染めたら、一回石灰の液につけるんですね。
これは珊瑚礁の島なんで、珊瑚がいっぱいあるわけですよ。
昔はその珊瑚を焼いて、粉にしてその石灰を使ってた。
それでまた何回も車輪灰の液につけて染めて、また石灰につけてということを何度も繰り返すんですね。
で、やっと黒くなってくる。
4回ぐらいやったら田んぼに持っていって、手すぐに晒して黒くして、また染めるんですね。
すごく時間かかるんですよ。
全然思ってたのと違った。
ただ泥に詰めとけば。
45:00
泥染めってないね。
むしろ泥染めじゃない部分が少ないじゃん。
時間的には。
これがですよ、もう某ハイブランドからなかなかのお値段で売られてます。
それはかかるわ。
そうですね、油高くなる。
僕らは手間が非常にかかる染めだし、大変なんでね。
結局高価なものですよね。
ところがそれを売りこなせるブランドっていうのがなかなかないんですね。
高くなっちゃうんで。
これはこういうものだからって言われても、納得で買われる方はなんでこんな高いのって話になるし。
それでどういうところだったらできるのかなってことを探して。
ましてTシャツとかスウェットとかそういった非常にカジュアルなものを染めていくんで。
そういうもので高額なものを売れるようなブランドじゃないとちょっと扱えないんですよね。
今やファストファッションの時代だからね。
全然逆行してるといい。
二極化してるじゃない。
そうですね。
あんまり経済効率から言ったら今の手間って選択されない方法でしょうね。
そうなんですよね。
ちなみに染まった感じっていうのは見たことあります?
ないです。
ちなみにここにサンプルってあったりするんですか?
ありますね。
表面にタンニンと泥の鉄分がくっついて蓄積されていくんですよ。
どんどんどんどん上に重なっていくんですね。
大島紡衣の糸も最初はシルクの糸で軽いんですよ。
染めていくうちにどんどん重くなっていくんですよ。
それが重さがいいんですね。
奄美ではシルクしか染めたことがなかったので
僕らがこれを持ち込んだ時に染められないんですよ、最初奄美では。
それで染めのコットンが染まるようにする工程とかも指導してやってきたという。
これはコットン100%の生地。
ほとんどのもの染まるんです。天然染料。
48:03
ちゃんと綺麗に染まってるっていうのもあるんだけど
遠目から見てすごい立体感を感じるっていうか
繊維の一個一個の染まり方が細かく違うから
ムラがあるということではないけど
ムラじゃないんだけど、ベルベットでもないんだけど
そういう不思議な立体感。
深く染まっていると白っぽい表面みたいな。
ふわっとした感じがするよね。
そういう感じなんだ。
素材によって色々な染まり方がするんで面白いですね。
染まり方が違うんですね。
これは今お付き合いされているブランドさんとかは
どっちが先って言ったら野暮な話なんですけど
春田さんがやられてるってことを嗅ぎつけて来られたか?
えっと
ごめんなさい、言える範囲で。
そうですね。うちでやっててこういうものがありますよっていう風に
うちの方から話を持ちかけて
今もずっと続けているという状態です。
これ洗うとやっぱりこうだんだん変わっていく感じ?
そうですね。
今まだあんまりやらないんですけど
これ洗っていって洗った感じもすごく綺麗なんですよ。
洗ってた時も。
化学染料とかで染めたものってどんどん劣化していっちゃうんですけど
泥染めとか藍染めでやったものって
時間が経つごとにそれなりの味が出てくるんですよね。
それはそれでいいと。
もうここまで来たからいいやということで
もう一回雨見に戻して染めると
また新品みたいに綺麗になっちゃうんですよね。
それはそれで面白いんですね。
確かにデニムとの相性とかそういう意味ではいいですよね。
そうですね。
あとはなんで原田さんに僕そういう下世話の質問をしたかというと
こういうものを化学添加するときに
なんていうんですかね
その優位性を持ってこの価値とかを説明できるかどうかということだったりとか
あとは日本特有のおっしゃっていただいたような
経年変化みたいなことに対する勝ちづけみたいなことを
どう言ったらこう
僕らもそうですけど
ヨーロッパとかの価値観にすごく影響を受けてしまっている人とかが
こういうなんか一回染めました
でもそんなに劣化せずにいい感じに味が落ちますよとか
でまた染めたら結構また戻ったりとか
これってめちゃめちゃいいものですよねっていうことを
51:04
お金に換算して会話するってすごく難しいことだなって
確かにそうですよね
だからこれやってもらってるブランドなんかも
たびたび雨見に取材に行って
雑誌にどういう染め方やってるとか
雑誌にこと細かく説明をしたりとか
あとは自分たちのホームページ上で色々映像を流したりとか
ネットがあるからこそ何か売れる商品でもあるのかなという気がしますね
物語性で
あと雑誌だけだと
やっぱり動画の方が
さっきの工程の大変さはやっぱり動画の方が伝わりやすい
そうですね
これも染めてる工場なんですけど
そこのシチュエーションものすごくいいんですよ
シチュエーションが
雨見の雰囲気がすごい綺麗で
雨見大島の中でも一番綺麗な染め方だと思うんですけど
そういうもうすごくいいです
自然の中で染めてるんで
こういうお話しなかったらもしかしたら無くなっちゃってたかもしれない
そんなに手間かかるからやっぱり
ブランドを選ぶしってお話もあったしね
だからやっぱりオーダー
どう考えてもファストファッションで泥染めとか
登場するわけないわけが
下手したらオートメーションとかしだすかもしれないけど
泥染めの工場で
いやいきなり
発想としては何かありそうですよね
できるかどうか別にして
多分これからの
いろいろ皆さん自然の中で何かしたいとか
仕事も今別に推進しなくてもいいとか
そういう話になってくると
こういうところで
しばらく滞在していろんなことできるような場所としては
雨見はいいのかな
雨見大島って
沖縄に近いですけど
沖縄とは違ったら開発されてない
っていうところがあるんで
ただ山の中はハブがいるんで
入りきれなかったり
それがまた守ってるのかなって気がします
自然を豊かで
海もいいし
米軍基地がないのって結構デカいなって
下世話にもまた思ったんですよね
沖縄本島と似たような面積がありますけど
残ってる感じとかね
54:00
いいですねすごくね
今回泥染めのお話中心でしたけど
それ以外にも何か失われかけてる技法を
他のこういうアパレルのものに転用したりみたいなこと
そうですね
この泥染めに触れる前の段階で
原始の布とか
そういうので知り合った方たちとか
そういうところで
草から糸を作るとか
草から縄を作るとか
そういうものをファッションの現場で使っていくとか
ということで
新潟・長野から東北関係とかの
そういう本当に伝統工芸というか民芸ですよね
やってるところとの付き合いがどんどん増えていって
日本の麻っていうか
日本の麻でのれんを作りたいとか
日本の木の皮の繊維でのれんを作りたいとか
そういう話も出てきてね
そういうものを手織りで織ってもらって
藍染めしたり泥染めしたりすることで
のれんを作っていくようなこともやったり
服の方でもそういう生地を使ったりとか
そういうことは随分やってきてるんですよ
古い生地とか古い技法とか
そういったものが新しいっていう風に考える
建築をやられている方たちとかも
だいぶ出てきてるんで
そういう人たちはやっぱり興味を持ってくれる
日本の麻って
日本だからこそできる
着物の文化 麻の文化が
ちゃんと守ってきたから
今まだできること
それは世界にないことだし
これからもそこを大切にいくことで
日本の独特な新しい文化が生まれるんじゃないかなと
僕は思ってるんですけどね
それで福島県の奥合図っていうところの
昭和村っていうのがあるんですけど
そこでカラムシっていう
イラクサなんですけど
この辺の山にもいっぱい生えてて
縄文時代の方たちは
それをカラセインにとって
57:01
着てたんですよ 大体
身近にあるんでね
それが洗練されて
着物の頂点になっていくんですけど
それがジョウフって言われる
エチゴジョウフとか
全然知らないですけどね
ちょっと時間切っちゃったんです
もうちょっと深掘りしたい
その辺の方にも続けて
深掘りしたいですね
次のエピソードで今のお話も
伺えたらと
次週楽しみにしていてください
毎週火曜日に配信しておりますので
来週も原田さんゲストにお話をお聞きしていきます
感想など
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で絡んでもらえると嬉しいです
フォーマーもあります
ぜひともご意見ください
ということで
また来週もよろしくお願いします
58:16

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