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  2. heldio #206. 疑いの「2」
2025-02-11 10:00

heldio #206. 疑いの「2」

#英語史 #英語学習 #英語教育 #数詞 #ラテン語 #フランス語 #グリムの法則
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おはようございます。英語の歴史を研究しています。 慶應義塾大学の堀田隆一です。
このチャンネルでは、英語の先生もネイティブスピーカーも、 受証も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に、
英語史の観点からお答えしてきます。 毎朝6時更新です。ぜひフォローして、新しい英語の見方を養っていただければと思います。
今回の話題は、疑いの2、という話題です。
これは何のことかと言いますと、 英語では2を表す数字の2です。
これと疑いという意味、ダウトの意味ですね。 これがシンクロする、非常に近い関係にあるということなんですね。
日本語では、この疑いということと2という数字、 これが関連付けられるということは、あまり機会は多くないかなと思うんですね。
ただですね、未信ある、2つの心ですね。 この表現は不忠であると、つまり忠実でない。
つまり疑いの心がある、疑心があるということで、 未信あるいは不忠と読ませてですね。
どっちにつこうか迷っているというような、中途半端な、 ある意味で疑い、疑惑あるいは不定というような意味を表す表現は確かにありますね。
ところがですね、英語、もっと言うとゲルマン語か、 もしかすると引用語かもしれませんが、この2ということとこの疑い、
つまり2つの選択肢の中で揺れているということですね。 これによってどっちつかずである、であるとか、ある1つのところに決めかねている。
ここから疑いとか疑念とか疑惑というような意味が発生するわけですね。 この2を意味するこの2とですね、ダウトを意味する疑い、
この関係が非常に強いのが引用語であり、ゲルマン語であり、 そして英語にもその要因が見られるというような語源の話なんですね。
まず英語で最もこの日本語の二心やるとか二心あるっていうのに近いものとしてですね、
be in two minds とか be of two minds という言い方があります。
2つの心であるっていうことで、2つの心の間で揺れているぐらいのところで、 その後にabout something みたいな表現が続くんですけれども、例えばですね、
I was in two minds about the book.
というと、その本に関しては2つの心があったというような、直訳するとそういうことなんですけれども、 要するにその本に関する評価は私としてはちょっと2つ、
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良いか悪いかで悩んでいるところだったねというような、 どっちかわからなかったというようなそういう表現なんですね。
つまり良いのか悪いのかちょっと微妙だよねというような表現になるわけです。
まさにその本の価値を疑っていると言いますかね、 どっちつかずで悩んでいるというような意味にもなります。
悩みとか心配事っていうことになりますと、これ恐れるっていうことになるので、 実はこれ恐れるという意味合いね、怖がるというようなものとも非常に関連が深いんです。
ではですね、この今挙げた英語のbe in two minds あるいはbe of two minds という言い方はあるということを確認できたんですが、
じゃあ他にtoに関することで疑いとかですね、疑念、疑惑というような意味で使われるものがあるかというと、
いろいろ探しても実はそんなにあるわけではないんです。 じゃあなんでこの話題を取り上げたかと言いますと、
実は古英語の段階では非常に深くこのにという意味と疑うという意味が関わりが深かったんですね。
つまりtoに関係する単語が全てですね、そういう意味を持っていたということなんですね。
ところがその後、中英語移行になってですね、このtoに関わるいくつかの語があったわけなんですが、
これがまあ死語になってしまって、にと疑いという関係が英語ではあんまり感じられなくなったっていうことがあるんですね。
では古英語にじゃあどういう表現があったかと言いますと、 にを表す数詞ですね、これはtoainとかtoareというような形だったんですが、
ここから派生した単語がたくさんあります。 例えばtoaを、これは名詞なんですがまさに疑い、
doubtの意味です。 だったんですね。それからtoaを現でと言うと、これは疑っているという現在文詞、現代語で言えばダウティングぐらいの意味ですね。
それからtoaを現でと言うと、これもまあdoubtful、疑い深いという意味もあります。
それからいわゆるtoにですね、形容詞語尾をつけて、今ではto beと言っているようなもんですが、
これで疑わしい、量儀的であるというような曖昧であるっていう意味になるんですね。
それから動詞もできています。toa on、つまりtoをそのまま動詞で使ったものが疑うってまさにその意味なんですね。
疑うとか躊躇する、二つの間で迷うって意味ですね。
それからtoaをにゃんっていう動詞もありました。これもまあ疑うとか、定かでないであるとか、まあ躊躇するっていうことですね。
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それからtoaをにえんで、これもやはりですね、疑い深いって意味になります。
それからtoaをのう、これもやはり疑い深いですね。
toe and reachなんて言って、これで疑いながらという副詞になったりとか、とにかくですね、toから派生した動詞であるとか形容詞、副詞っていうのがたくさんあったんです。
そしてすべて疑いという意味に関わっている。これぐらいにと疑いっていうのが深く関わっていたっていうのが公英語なんですね。
ところがこれが軒並みですね、中英語。そしてある程度中英語に残ったとしてもですね、その後近代動機までには消えてしまって、
toと疑い、にと疑いという関係はかなり弱まってしまって、事実上忘れ去られてしまったっていうことなんですね。
このように公英語でですね、ある2つのものが結びつくにという数字と疑い、今回の場合はこの2つなんですが、これが結びついているというような状況でたくさんの語彙が発生していたんですが、
一旦この関係性が何らかのきっかけで失われてしまうと、中英語機構にこの関連が解かれてしまうと、関連していた周囲の語彙全体が死語になるっていう。
これ実はよくあることなんです。1つの世界観なわけですよね。にと疑い。
これが非常に密接に結びついて様々な語彙を形成していたわけですが、一旦この関係が解かれてしまうと、全ての語彙、関連する語彙がですね、諸とも死語になっていくっていうことは割とよくあるんですね。
特に小英語から中英語にかけてガクッと色々なことが変わった時代に、ある意味語音の大量絶滅と言っていいと思うんですが、こういうことが起こるんですね。
同じことが他の言語、関連する言語でも起こったかというと、そうでもなくてですね。
例えば同じゲルマン系のドイツ語ではですね、にの言葉はツバイって言いますね。アインスツバイダイ、ワンツースリーのことですが、ツバイって言います。
ここからツバイフェルというと、これはですね、疑い、いわゆるダウトの意味ですね。
ここからツバイフェルンというようにNをつけると、これは疑うという動詞になります。
つまりこれ現役で、ドイツ語ではちゃんとにと疑いの関係が残っているっていうことなんですね。
最後なんですけれども、疑いという意味で、今回もですね、ずっとダウトという単語を使ってきました。
これはラテン語に由来する、そしてフランス語を経由して入ってきた単語なんですけれども、このダウトっていうのがそもそもトゥの関連語です。
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ラテン語ではDUOですね、2のこと。フランス語でもDEって言います。Dで始まっています。
これグリムの法則という法則によってですね、英語でTで始まるもの、トゥですね。
これはフランス語とかラテン語のようなイタリック系の言語ではDなんですね。T対Dの関係で、つまりトゥとダウトのダウっていう部分は全く一緒ってことです。
ダブルのダブル、Dですね。このDでもあります。
そうするとですね、やはりイタリック系でも2ということと疑いっていうのはかなり近い関係にありまして、たくさんの単語が疑いに関係します。
例えばDoubt、Doubtable, Doubtful, Doubtingly, Dubiety, Dubious, Dubitate, Dubitation, Dubitative, Indubitablyのごとくです。
それではまた。
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