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おはようございます。英語の歴史を研究しています、慶尧義塾大学の堀田隆一です。
このチャンネルでは、英語の先生もネイティブスピーカーも辞書も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。
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今回取り上げる話題は、silly のもともとの意味は「幸福な」という意味変化の話題ですね。
silly これは、おバカな、まぬけなという日常用語ですね。
おバカな、まぬけなという意味が、現代の意味なんですけれども、小英語に遡ると、これは幸福な、幸せな、幸運なという意味なんですね。
これが、どうしておバカなという、ある意味がひっくり返ってしまった、良い意味から悪い意味になってしまったということですね。
この点の意味の悪化というふうにくくられる意味変化なんですけれども、これは形容詞に多いですね。
形容詞というのは評価を表すものが結構多いので、goodとbadもそうですけれども、この評価が良かったものが悪かったり、悪かったものが良かったりという意味変化は、わりと頻繁に起こっているんですね。
その中の一つ代表例だと思うんですけれども、今日は silly の意味変化に焦点を当てたいと思います。
まず小英語ではですね、発音は少し異なっていて、silly というような発音と形式だったんですけれども、意味はですね、fortuitous, happy, prosperous というふうに、幸運な、幸せなという意味、非常に良い意味ですよね、だったわけです。
ここからですね、いろいろ語彙が展開していくんですけれども、まず幸せというのはどういう人かというとですね、だいたいですね、神の恵みを受けた、つまり祝福された人なんですね。
なので、現代では blessed なんていう形容詞がありますが、このキリスト教的な色彩を帯びたこの意味ですね、祝福された、だから幸せなんだという意味で、祝福された、神の恵みを受けたというような意味が出てきますね。
ここから中英語記になるとですね、要するに神の恵みを受けられる人というのはどういう人かというと、信心深い人ですよね、敬虔なということです。したがって、pious ぐらいの形容詞で、今だったら表されるような、そういう意味を帯びたんですね、信心深い、敬虔なということです。
信仰の厚い人というのはどういう人かというと、当然ですね、非常に素朴で純朴で無邪気、一途だと、一心に神のことをですね、信仰しているということで、innocent ぐらいですね、素朴で純朴で無邪気。
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この辺りまでは、基本的にプラスの意味、良い方の意味ですよね。ところが、この辺りから少しですね、同じ状態を見てもですね、人によってプラスに見るかマイナスに見るかという分かる目があったりするので、今のこの innocent ぐらいの意味ですね、無邪気というのは、裏を返せば、つまり悪く言えば、世間知らずということですよね。
可哀そうなくらいに、無邪気だという、世間知らずだということになって、結局ですね、可哀そうという意味が出てくるんですね。
そうすると、愚かという意味にもなってきますね。これがまさに現在の silly で、他の形容詞だと foolish とか stupid というような意味ですね。つまり、愚かなまでに世間知らずということです。
そうすると、無学なという、unlearned のような、無学というような意味合いも出てきますね。そうすると、全体的に弱くて、癒やしくてというような、こういった悪い方の意味ですね。マイナスイメージの語というのが出てきます。
これがだいたい、中英語期から近代語にかけて、この意味がですね、どんどん現れてくるということです。なので、もうこの段階でですね、意味がひっくり返ってしまったと言っていいと思うんですが、最初は happy という意味だったのが、キリスト教の信仰と結びついて、無邪気だとなったんですね。
これは旗から見ると、ただですね、これは世間知らずで、おバカで、かわいそうな人だということにもなってしまって、同じ状態をですね、プラスの方向で見るかマイナスの方向で見るかということで、評価が逆転してしまうということなんですね。
形容詞にこの類の意味の良化、悪化が多いというのは、そういうことなんです。同じ状態をプラスにもマイナスにも見られるという接点があるんですね。ある点が。ここで評価がガラッと変わってしまって、重心がですね、変わっていくっていうのが、なかなか多いんですね。
でも、だいたい近代英語記になると、こんな感じでですね、悪い意味、そして現代の silly、おバカな、まぬけな、子供じみた、まさに無邪気って意味が残っている感じがしますよね。こんな意味になったっていうことです。
この辺はですね、日本語でもおめでたい人だ。おめでたいっていうのは基本的にハッピーで素晴らしいことなんだけれども、いつもハッピーでいるような人はですね、ちょっと頭が弱いんじゃないかと思われますよね。なので、おめでたいやつだというマイナスの意味で使われるっていうのと非常に似ています。
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これは日本語でもそうだということなんですが、例えばフランス語なんかでも似たような変化があるんですね。
クレタンっていう意味があります。これはバカなということなんですが、これはもともとはクリスチャン、クレタンですが、クリスチャンなんですね。
つまりキリスト教徒ということで、先ほどの信仰の無邪気さということと世間知らずということは、フランス語でも起こっている。
同じくフランス語のベネっていうのがあります。これマヌケノという意味ですが、これラテン語のベネディクトゥス、祝福されたに遡るんですね。
なので意味変化の経路という点では、今挙げたですね、このシーリーの例も日本語のおめでたいの例も、それからフランス語のクレタンとかベネっていうのも、とてもよく似ているっていうことですね。
結果として真現代ではですね、このおバカなという意味が普通に使われるわけなんですけれども、類義語の、例えばフーリッシュなんかと比べて、ちょっとニュアンスが違うんですね。
フーリッシュっていうと突き放すような感じですね。
ところがシーリーっていうのは、もともと今辿ってきたようなですね、意味変化の歴史があるので、ニュアンスとしてこの憐れみとか同情とか、言ってしまえば愛ですね、みたいなものも感じられるおバカさんという感じなわけですよね。
例えば、silly old manって言ったり、you silly thingみたいに言ったりするときにはですね、ちょっとした本当にバカ者と非難しているというわけではなくてですね、皮肉もあるかもしれませんが、憐憫、同情というような雰囲気を込めたバカなということになるわけですね。
日本語のバカとアホ、どっちに愛情があるかみたいな問題ともつながってくるかもしれませんが、こういった歴史を踏まえるとですね、今持っている語の語義、ニュアンスも含めてよくわかるようになるということもありますね。
ちなみにですね、sallyという語彙語が、音の変化によってsillyの音になって、sillyとなりましたが、実は古風ですがseelyという単語もですね、古風ですが大きい辞書を聞くと載っています。
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これはですね、幸せなとか無邪気なという、比較的良い方の意味もきっちり保存されています。
方言なんかではまだ生きて使われていたりするわけですけれども、この辺もなかなか面白い。
このsillyという単語の辿ってきた歴史を考えるとですね、なかなか面白い25、sillyとseelyですが、25の例ということになります。
それではまた。