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おはようございます。英語の歴史を研究しています。 慶應義塾大学の堀田隆一です。
このチャンネルでは、英語の先生もネイティブピーカーも辞書も答えてくれなかった 英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしています。
毎朝6時更新です。ぜひフォローして、新しい英語の見方を養っていただければと思います。 今回取り上げる話題は、
sad のもともとの意味は、「満足しきった」ということです。
最近ですね、この単語のもともとの意味から、今の意味ですね、現代の意味になったのなぜかというような語源、意味の変遷ということを扱うことが多くなっているんですが、
この sad というのも一つの典型なんですね。 いくつかこの悲しいという意味での例文を挙げてみたいと思うんですね。
I'm sad that Julia's marriage is on the verge of splitting up. みたいな言い方もありますね。
I'm sad about my toys getting burned in the fire. なんていうのもありますね。それから、
Judy said sadly he has abandoned me. みたいな、sadly ということですが、他にはですね、名詞形の sadness の例文を挙げますと、
It is with a mixture of sadness and joy that I say farewell. みたいな、sad、sadly、sadness という単語の例文を挙げましたけれども、
すべて悲しいという意味ですよね。 ネガティブな意味ということかと思います。
ところがですね、この単語、この語源を遡ってみますと、 これ決してネガティブな悲しいという意味ではなかったんですね。
もともとは小英語の sad まったく同じ発音です。 1000年前も同じ sad だったんですが、この時の意味はですね、
むしろポジティブで満足した、十分なという意味です。 つまり satisfied に近いんですね。
満足して十分で、ちょっと飽きてしまっているというような、 ちょっとネガティブな意味もですね、芽生えていたんですけれども、
基本的にはすっかり充足されたというようなことだったんですね。 ゲルマン語からの遺産ですから、対応する語は
ゲルマン語にいっぱいありまして、ドイツ語の zat なんて、そうですね。 ラテン語で対応するのはこれは satis って形なんですね。
satis っていうのは enough ぐらいの意味です。 つまり十分なとか満たされたって意味ですね。
ですからこれ satis, satisfaction, satisfy っていうのが、 後にフランス語から英語に入ってきましたけれども、 これはあの満たされているという、満足したっていうような
意味になって、プラスの意味で今でもですね、使われているわけだと思う。 この厳義である満たされた、十分なという意味での、今ではこの satisfy とか satisfaction に残っている
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語義なんですけれども、これが本来は sad にもちゃんと備わっていたんですね。 実際それはですね、小英語だけではなくて、中英語にもこの意味が続いていました。
つまり満足したって意味ですね。 これが小英語で普通の意味だったんですが、これは中英語にも続いていた。
ところが中英語ぐらいでですね、その満足したっていう厳義だけではなく、 別の発生した意味を発生させたんですね。
それがどういう意味かというと、どうやらですね、この 括弧たるとか真面目なって意味が出てくるんですね。
これ14世紀ぐらいです。 この満たされた、満足されたからですね、真面目であるとか、プラスの意味に転じる、その規格が何だったのかっていうことは、確かなことはよくわかっていないんですが、
一つはですね、満たされたっていう、これが厳義なわけですね。 いわゆる satisfied とか sated って意味ですが、これがですね、
十分に満たされると何が起こるかというとですね、人間飽きちゃうんですね。 あまりに満たされると。飽きてしまう。
飽きて物悲しくなるっていうことですね。 これで sad これ悲しいって意味に転落したんではないかと、ネガティブな意味になったんじゃないかっていうのが一つの説なんですね。
他にはですね、満たされている、例えば食べ過ぎてお腹が満たされているっていう状態ですね。 こうするとですね、今度は人間は動きたくなるんですね。
だけど実際には動けないんですよ。食べ過ぎちゃってるんで。そして居座っちゃう。 そうすると安定する、安定的って意味が出るんですね。
安定的で、ある意味真剣真面目っていうことで落ち着いた。 腰を据えたっていう風にプラスの意味になっていくと、これあの
満足した結果に最終的に非常に真剣な形で落ち着いたっていうようなプラスのイメージが出てくるっていうことなんですね。
落ち着くのはいいんですけれども、これ落ち着きすぎると、つまり真面目すぎるとこれ重々しくなって真剣すぎてちょっと疲れてきちゃうんですね。
悲しいぐらいに悲壮なぐらいに真面目になってきてしまうっていうことで悲しい。 こういう道筋ですね。意味の道筋っていうのが考えられています。
ただ、これはあまりにもともとの満たされたという意味から遠いので、この悲しいという今の意味ですね。 これどういう風に道筋を辿って意味の変化が現代まで辿ってきたのかっていうことは、いまいちよくわからないという意味ではわからないですね。
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中世と近代あたりは、このマイナスの意味とプラスの意味ですね。いろんな意味が一緒くたになったこのサードっていうことなんで、例えばHe's sadとかIt's sadとか言ったときに、これどっちなんだろうと。
いい意味で言っているのか悪い意味で言っているのか、いまいちわからないっていうぐらい非常に解釈が難しい形容詞になっていくんですね。
それが結果的には振り切れて、現代はマイナスイメージのつまり悲しいっていう意味で落ち着いたからわかりやすいんですけれども、中世とか近代は良議的などっちに読めばいいのかわからないっていうような時代が比較的長く続いたので、こういう単語って意外と難しいんですね。
これ形容詞に多いんです。要するに評価を表す単語で、見方を変えればプラス、変えればマイナスというような微妙なことがあるんですね。日本語のヤバイなんていうのも典型的ですけれども、これは悪いのかいいのか、そのコンテクストのイントネーションなんかがあると分かったりですね、文脈があったり分かったりするんですが、
ただそれを言われてもですね、実はプラスなのかマイナスなのかっていうのが微妙であるっていうような意味論的というより語用論的な複雑なニュアンスを含む単語ってのがありますよね。形容詞に多いと思うんですね。このSATっていうのもある意味一つの典型だと思います。
もともとはどっちかというと良い意味だったということです。満足した十分なということです。これがあまりに満足しすぎて飽き飽きとしたというかね。悲しいほどに飽き飽きとした。そこから悲しいって意味にマイナスに転じたっていうことが、この単語については意味変化として言われています。
これまでの放送でもですね、例えばSillyっていうのは本来は祝福されたという良い意味だった。それがおバカなっていうマイナス意味になってきたっていうような例もあげました。それからNiceのように、Niceっていうのはもともと物を知らないっていうことで、要するにおバカなという意味だったのが、今では非常に繊細なであるとか、とても良いというねプラスの意味に用いられるようになった例もあった。
そして今回は使ったですね、Sadっていうのも、もともとは満足したっていうふうに、どちらかというとプラスの意味だった。それが悲しいという意味にマイナスの方向に転じた。このように形容詞はですね、もともと評価を表すっていう語ですので、評価を表すことを目的とする、そういう意味を持つものが非常に多いので、
プラスかマイナスかの間で、時代によって揺れ動くっていうことがあるんですね。Sadの場合は、良い意味から悪い意味になっていったっていうことなんですけれども、こんなようなですね、意味変化は一応さはんということになります。それではまた。