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おはようございます。英語の歴史を研究しています。慶應義塾大学の堀田隆一です。
このチャンネルでは、英語の先生もネイティブスピーカーも辞書も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。
毎朝6時更新です。ぜひフォローして、新しい英語の見方を養っていただければと思います。
今回取り上げる話題は、lie と lay の活用は教養をはかるリトマス試験紙、というびっくりマークとクエスチョンマークがついたような話題です。
これ、一昔前までは、受験英語の定番といいますか、学校文法で必ず覚えていなければいけない重要事項の一つとして、大体指定されている類の問題だと思うんですね。
これ、決して日本だけではなくて、現代の英語ネイティブ国でも、この区別はしっかりとつけておかなければいけないというような言説が、今でも聞かれたりするわけなんですが、もともとややこしいですよね。
lie っていうのは l i e ですが、横たわる、横になるってことですね。自動詞です。
一方 lay というのは、横たえる、横にするっていうことですね。あるものを横にするっていうことで、これ多動詞っていうことです。
そして lie の活用は lie lay lain というふうに、不規則な活用ですよね。
それに対して lay っていうのは、綴り字こそちょっと不規則。
laid になりますが、基本的には d をつけて、過去形、過去文字をつけるって意味では、規則活用に準ずるんですけれども、lay laid lain となるわけです。
この自動詞 lie の過去形が lay って形なんですね、たまたま。
ですので、この多動詞の原形の lay と重なってしまうので、覚える際に混乱するっていうことですね。
これは我々だけではなく、ネイティブも一緒ですね。
この2つの動詞ですね、語源的には完全に関連する、意味的にも当然関連する単語なだけにですね、非常に混乱を引き起こすということになっています。
ただですね、この知識が、私も受験以外でどれだけ生きてきたかというとですね、これまでの英語人生の中で、よくわからないところはあったりはします。
聞いたり文章を読んだりする限りでは文脈がありますので、どちらかを混乱するというか、意味的に混乱することはないですし、
発する場合には多少必要となるかもしれませんが、別の言い方で切り抜けることもできたりするので、
一生懸命覚えたものがどれだけ役に立っているかというのは、いまいちわからないというのも本当のところなんですけれども、
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ただ英語教育上はですね、あるいは標準英語、規範英語の観点からは、この2つははっきりと区別しましょうということになっているわけですね。
さて、これはですね、覚えなければいけないということになっているわけなんですが、先ほども少し話したようにですね、少し理不尽なポイントもあるんですね。
実際、他動詞と自動詞というのは確かに役割がだいぶ違います。自分から横になるのと、あるものを横にするというのでは、だいぶ使い方が違うということなんですが、
英語でもですね、この自動詞と他動詞の違いが、特に語形上分かれていない、動詞として分かれていないものだっていくらでもあるわけですよ。
例えば、オープンなんて考えてみますと、これは開くという意味でもありますし、開けるという意味でもありますよね。
つまり、The door openedのように自動詞としても使えますし、I opened the doorのように他動詞としても使われます。
他にはですね、例えばBurn、燃える、燃やす、両方意味しますよね、自動詞、他動詞。
例えば、The city burned in the warのようにも使えますし、They burned the city in the warのようにも使えるわけです。
この際、語形上の区別はないわけですよね。
そういうものもかなり多いわけなんですが、この横たわる、横たえるっていう、この意味に関してはですね、自動詞と他動詞とで一応形が分かれるということになっているということですね。
それもしっかりきっちり分けなければダメですよということになっているので、
なんでOpenとBurnは一緒でいいのに、DieとReだけ一緒じゃないんだというようなツッコミをしたくなるというのも最もだと思うんですね。
これはですね、歴史的に見ますと、実は我々英語を学習する日本語母語話者のみならずですね、英語ネイティブもやはり厄介だと思っている問題で、
区別がですね、混乱するという人も少なくないんです。
これ今もそうですし、昔からそうなんです。
逆によく間違えられるからこそ、この2つしっかり区別しましょうねというような言い方がずっと続いてきたということなんですね。
むしろ間違えにくくない形だったら、こんなに言われないはずなんですよ。
ということは、やはりネイティブもですね、ずっと間違い続けた、混乱してですね、ずっと悩まされ続けてきているというこの2つの動詞なわけですよね。
実際この2つの混乱の歴史というのは、たくさん証拠を挙げることができます。
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英語圏でもですね。
ですが、18世紀あたりにですね、規範文法というのがうるさくなってきます。
このあたりにですね、この2つのライレイレインとレイレイドレイン、これははっきりと分けなければいけないよというような、いわば規制と言いますかね。
絶対に分けなければいけないよという風潮が強くなってくるんですね。
これが18世紀なんです。
たくさんの文法書が出まして、その中でライとレイ、これしっかり分けましょうねということになっています。
この時代になぜですね、こういう急にうるさくなったかということですね。
語法に対する意識というのが、イギリス内部でですね、非常に強くなってくるんですね。
これは正しく使いなさいというような、例えば教育者の側もそうですし、それを受ける学習者の側と言いますかね、一般庶民の側も同じように考えていたんですね。
つまり言葉遣いというのはちゃんとしなければいけない。
ちゃんとするとある意味では教養があるという風にプラスのレッテルを貼ってもらえる。
逆にこれができないと無教養だよというレッテルを貼られる。
教養の有無というか学歴の有無みたいなものがいろいろと言葉遣いの上で反映されると言いますか、ここで操作するというような社会になってくるんですね。
ある意味ギスギスしたような社会になってくるわけなんですが、その教養があるかないか、教育があるかないかということを図るですね。
リトマス試験士としてある意味間違いやすいものが選ばれるわけですよ。
これ意識的に覚えないと習得できないので、ここをちゃんとしっかりとマスターしたかどうかということで、いわばリトマス試験士の働きをしてるんですね。
いくつかピックアップされたんですが、その中のある意味一つがこのライト・レイという極めて混同しやすい、誰にとっても混乱をきたしやすいこの二組の活用が候補として選ばれた。
これだけではなくいくつかありますし、いろいろとリトマス試験士が用意されて、全体として教養の有無を図るみたいな、
そんな現代の感覚からするとあまり好ましくないと言いますかね。
そんな時代風潮というのがあったわけですね。
その一つとして、ライ・レイというのもどうも槍玉に挙げられた。
これを間違えたら無教養だよっていうレッテルを張られるというような一つのマーカーとして機能したということです。
これが定着してしまったと。
18世紀の時代風潮は終わったはずなのに、19世紀、20世紀、そして21世紀、場合によっては今までこれが続いているということなんですね。
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中央堂でも述べたように、自動詞か他動詞というのは文脈で分かります。
統合的にも、後ろに目的語がくればこれは他動詞の使い方に決まっているんです。
それが来なかったら自動詞の使い方に決まっているんです。
ということで自動的に判明できる、動詞の形がなくても判明できるというのが統合上の特徴なわけなんですけれども、
だけどこれはしっかり活用として覚えていないと、語形として覚えていないとダメですよという伝統がどうも250年ぐらいはざっと続いているということになると思うんですね。
混乱したからといって何か誤解することはないというのが現実です。
それではまた。