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2021-02-19 1:01:39

BC006『闇の自己啓発』

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(音声ファイル抜きで配信してしまいましたので、再配信です)

今回は『闇の自己啓発』について。

*書籍のリンクはすべてAmazonアフィリエイトのリンクです。

以下倉下のメモ

闇の自己啓発会とは

以下の四人による読書会。

* 江永泉(えながいずみ)

* 木澤佐登志(きざわさとし)

* ひでシス

* 役所暁(やくしょあかつき)

本書はその読書会(闇の自己啓発会)の内容を書籍化したもの。

「闇の自己啓発会」はのれん分けを行っており、自分で立ち上げることも可能。以下の記事を参照のこと。

読書会【闇の自己啓発会】〈のれん分け〉キャンペーン|江永泉|note

共著者の一人、木澤佐登志は以下の本の執筆および序文の寄稿を行っている。

* 『ニック・ランドと新反動主義』

* 『ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち』

* 『暗黒の啓蒙書』(ニック・ランド)の序文

『ダークウェブ・アンダーグラウンド』は、本書の第1部でも取り上げられており、また「暗黒」/「闇」という部分でも本書に響き合う一冊。

目次

本書の目次とは、すなわち本書が取り上げる本のリストでもある。

* 第1部 闇の社会

* ダークウェブ―課題図書 

* 木澤佐登志『ダークウェブ・アンダーグラウンド―社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち』

* 中国―課題図書 梶谷懐/高口康太『幸福な監視国家・中国』

* 雑談1 『天気の子』と神新世

* 第2部 闇の科学

* AI・VR―課題図書 海猫沢めろん『明日、機械がヒトになる―ルポ最新科学』

* 宇宙開発―課題図書 稲葉振一郎『銀河帝国は必要か?―ロボットと人類の未来』

* 雑談2 『ジョーカー』のダンス

* 第3部 闇の思想

* 反出生主義―課題図書 『現代思想』2019月11月号 特集「反出生主義を考える」

* アンチソーシャル―課題図書 レオ・ベルサーニ/アダム・フィリップス『親密性』

* 雑談3 ゼロ年代から加速して―加速主義、百合、シンギュラリティ

* 補論 闇の自己啓発のために

どれも現在・現代の「当たり前」の感覚から遠く離れた地点から発せられ、ぐおんぐおんとそれを揺さぶるような内容の本である。

暗黒啓蒙(The Dark Enlightenment)と闇の自己啓発

近代の歩みとしての啓蒙主義に疑問を投げかけ、いっそそれを破壊しかねないベクトルを持つ思想。その思想の流れは、木澤佐登志の『ニック・ランドと新反動主義』が面白く読める。

近代〜現代がイノセントに前提にし、また称揚してきた考え方を揺さぶるという点では非常に力のある思想ではあるが、しかし、それが結局のところ「啓蒙」の形でしか足られないことに構造的限界を感じる。

一方「闇の自己啓発」は、暗黒啓蒙と同じ疑問を持つが、しかしその歩み方が違う。彼らは本を読み、それについて各々が語り合う。その人自身の形で。それがつまり、Dark Self-Enlightenmentである。

そんなビッグブラザーの支配する中で、自己を奪われないためには何をすればよいのか。私は読書会こそがその答えであると思う。ひとりで思考し、学び続けることが難しくても、ともに語り、学び、思考する共犯者がいることで、自己を失わずに、思考することが続けやすくなる。

その語り合いの中では、差し出される光=闇に自己を融和させる必要がない。むしろ語り合いの中でこそ、いっそお互いの輪郭線がはっきりし、また溶け合うというアンビバレントな状況が起こり得る。大衆になり切れず、かといって孤独に生きていくほどのタフさを持たない人間にとって、それこそが救いなのではないか。そんな風に倉下は感じた。

読書会の本

同じく読書会(的な)本として『人文的、あまりに人文的』がある。

哲学の劇場 - YouTube

こちらはもっと人文寄りのセレクトで、小気味よくたくさんの本を紹介してくれている。

人がいて、その人が本について語る。連鎖的・連想的にその他たくさんの本やコンテンツに言及する。特定の分野を読み深めるのではなく、いろいろな本の発見現場としては、そのような語られ方が一番楽しいと感じる。誤配がそこら中で起きるから。

その他言及した本

『ハーモニー』(伊藤計劃)

小説とアニメ映画がある。アニメ映画は沢城みゆきさんがとても良いが、それはそれとしてこの作品を生(き)で味わうなら小説の方が良いだろう。タグ付けされた小説は、それ自体にメッセージを有しているから。



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面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト、第6回の本日は闇の自己啓発について語ります。
はい、よろしくお願いします。
宜しくお願いします。宣伝というか感想なんですが、先日iTunesのレビューに素晴らしいレビューをいただきまして、古典ラジオ以来の感動を求めていたポッドキャストを見つけたという感じです。
古典ラジオをきっかけにポッドキャストを聞き始め、自分の知識の幅を広げてくれるチャンネルを探し聞いていますが、ど真ん中ストライクです。今後も楽しみにしています。という感想をいただいてしまい、めっちゃやる気が上がっております。
やる気が上がりますね、確かに。
これはもうこれ以上ないぐらいの褒め言葉で、将来が明るいぞって感じのことをこれを読んで思えました。
古典ラジオ聞いたことがないんですけど、古典について語るラジオなんですか?
古典って言って歴史です。歴史ポッドキャスト系で、去年ポッドキャストアワードっていうのをテレビ局系のところがやっていて、そこで優勝して、もともとすごい人気あったんだけど、
多分今単純に日本で一番ラジオを元にしていない、あと英会話系ではないものとしては一番なんじゃないのかなっていう。
その有名人がやっているわけでもなくて、一個人で初めて一番うまくいっているポッドキャストではないかなと思うのと同じぐらいという評価をいただきました。
なるほど、ありがたいですね。
ありがとうございます。こういう褒め言葉はどんどんやる気が出るので、どんどんよろしくお願いします。
感想をねだるパーソナリティ。
ということで本編なんですが、今回は闇の自己啓発っていうタイトルからしてどういう本なのか全然わかんない本なんですけど。
今回は僕のターンなので紹介しますけども、2021年の1月21日に早川諸坊さんから発売されている単行本で、真っ黒な本ですね。
以前紹介した独学大全も黒い表紙だったんですけど、最近黒い表紙が流行ってるのかどうかは知りませんが、真っ黒い本で。
闇の自己啓発、英題がダーク・セルフ・エンライトメント・パーティーっていうタイトルなんですけど、どっちから行こうかな。
パーティーなんですね。
だから正確には闇の自己啓発会なんですね。会。会っていうのがついてるんですね。
4人の著者がおられて、江永泉さん、木澤さとしさん、秀支さん、役所赤月さんっていう4人の方が、実際にリアルで行われている読書会の内容がノートっていうプラットフォームサービスにアップされている文章を書籍化したものが、
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この闇の自己啓発っていう本なんですね。
なんていうか、ある意味あれですか、ブックカタリストを書籍化したみたいな感じってことですね。
僕らが後発なんで、その物言いは完全に傲慢なんですけど、まず闇の自己啓発会っていう名前の読書会があって、それが本になったのが闇の自己啓発という本なんですね。
で、ここでまず闇の自己啓発ってなんやねんっていう分岐と、この本の内容のツールートがあるんですけど、どちらからいきましょうか。
まず気になったのは、要するに本当に本について語っているっていう対話形式なのか何なのかですけど、本について語っていることが本になったもの。
ということですね。で、4人なんで対談、対談って基本的に2人でやるんですけど、対談というよりは雑談に近くて、一冊の本をそれぞれの人が自分はこんな風に読んだっていうのを開示していくっていう感じで、
その本を例えばこうある論点から論じるとか、この本はこうだ、評価はこうだっていうんじゃなくて、
僕はこの本をこんな風に読みましたよ、へえ、あなたはそんな風に読んでたんですかっていうことを交流し合うような読書会の内容ですね。
ブックカタリストの根底は基本的にお互いに順番に本を紹介なので、ちょっとフォーマットは違うって感じなんですね。
そうですね。だから一冊の本を全員が読んだ上で集合して語り合うんで、いわゆるちゃんとした読書会って感じですね。
まあ確かにそうですね。一般的にはきっと読書会ってそうですよね。
そういう本ですね。さっきの本の内容からいくと、その4人が語る本がいくつかのテーマに分けられてて、それが小分けになってるんですけど、
まず一部と二部と三部があるんですよ。一部が闇の社会、二部が闇の科学、三部が闇の思想って言っても、どれも怪しいにはしかしないんですけども。
紹介されている本がまずダークウェブアンダーグラウンドっていう本で、イースト・プレスさんが出てるのかな。
この辺は実は参加している一人、木澤さとしさんが書かれた本ですね。だから著者が参加している読書会になりますね。
著者の本の読書会。
で、2冊目が幸福な監視国家中国っていう本で、幸福な監視国家って非常にアンビバレントっていうか矛盾的なタイトルなんですけど、
中国でいろんなものが監視下に置かれてて、しかもそれが個人が生きる上で、実は幸福につながっているんではないかっていう非常に面白い、公理主義に関係する話なんですけど、話が展開されていると。
で、雑談として映画の天気の子っていうことについての論説と、で、あと3冊目の本が明日機械が人になるっていう人間と機械的な装置とのインタラクションというか、
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相互作用によって人の意識そのものが変わっていくっていうようなことが書かれている本。
で、4冊目が銀河帝国は必要かっていう新書なんです。これ面白いんですけど、有名なSF作品を取り上げて、それを現代の視点からこれってこういうことじゃないかって紹介していくような本ですね。
これを読むとね、SFが読みたくなります。
で、雑談のその2位として映画のジョーカー。ジョーカーって読みました?
俺ね、映画はね、ほとんど見てないんですよ。
あー、あとね、バットマンビギンズ、ダークナイト。
あらすじは知ってる。
それに出てくる敵役のジョーカーが主人公、主人公というか中心になった映画の論評。で、何冊目?1、2、3、4、5冊目が、えーとね、現代思想っていう雑誌があるんですよ。現代思想に関する雑誌が。
で、それの2019年11月号の反出生主義を考えるっていう特集があって、それについて、特集についての感想回。反出生主義っていうのがご存知です?
わかりません。
反対の反に生まれるの出で、生まれ出るっていう意味で出生と。で、主義はだから、生まれ出ることに対する反対、アンチっていうことなんですね。
つまり、公理主義的に言うとですよ。人間が一生を送る上で、得られる快と不快の量が仮に不快が多いとするじゃないですか。じゃあ生まれない方がいいっていうことになりますよね。公理主義に言うと。っていうような考え方が反出生主義ですね。
あー、なかなかダークですね。
そうそう。で、次がアンジソーシャルの課題にして、親密性っていう本があって、それについて論じてる。で、最後に雑談として、ゼロ年代っていう、カタカナのゼロっていう、ゼロ年代っていうのがあって、そこに加速主義、最近のSFって結構有利なんですけど、有利とかシンギュラリティ、機械知性がすごいところに行くと人間社会そのものが根本的に変わっちゃうよみたいな考え方がシンギュラリティですけど。
についての論評。で、最後に闇の自己啓発のためにという法論が付け加えられて、全体の構成になっております。
大きくテーマが3つ綺麗にちゃんとあるわけですね。その社会問題というか社会の話と科学の話と現代思想の話と。で、全部その闇っぽいというか重く暗くなりがちな話題ばっかり取り上げていますね。
基本的には。で、1、2、3、4、5、6冊の本しか取り上げてないんですけど、ページが400ページ超えてるんですよね。だから実は1冊あたり結構な分量で語ってるんですよ。
ある意味、読みたくなるかもしれないし、読まなくてもある程度内容がわかるかもしれないしぐらいな勢いですよね。
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この400字ってまず4人がそれぞれ語っているのと、脱線というよりはむしろ連想かな。この話ってあの本に出てきたあれだよねみたいなことがワンサが出てくるんですよ。
なので、その本についての関連本の話題も多いんで結構なボリュームになっていて、その実はそのそれぞれの本の内容がわかるというよりは、むしろこの今頃式に読みたい本が増えてしまう。結構危ない本なんですね。この本は。
あれですね。ラシタさんが言っていた入門書はブックガイドが付いているものは良いものだ。
まさにこれも見方によっては本の話をしつつ、他の本を紹介していて、他の本が読みたくなるメタなポジションにある本。
で、いわゆるその分野ごと、例えば公理主義入門のブックガイドの場合って、基本的に公理主義に関係する本ばっかりになりますよね。でもこういう読書界の本って、ある種の一本のテーマあるにしろ、枝がめのすごい広いんですよね。
ジャンルがないというか、非ジャンル的というか。だから非常に雑多に書店に行ったらいろんなコーナーを歩かなければ、籠に入れられないという広さを持っているのが、やっぱりこういう読書界の本を読む面白さだなというのは一つ感じますね。
なんか良いですね。良い本を探すのを、Amazonだと多分見つけられないものを紹介してくれるっていうか。
一応そういう本であるということを踏まえた上で、闇の自己啓発に戻るんですけども。闇の自己啓発ってそもそも何やねんっていうのがまず疑問に思いますよね。闇のライフハックっていうのも出てくるんですけど。
読書界がそういうタイトルなんですよね。そういう名前の。
そうです。闇の自己啓発界という名前ですね。そもそも闇の自己啓発って何かって。このタイトル、Aタイトルになるダークセルフエンライトメントかな。啓発っていう言葉なんですけど。
これ実は元ネタというか、さっき名前が書かれたダークウェブアンダーグラウンドを書かれた木澤さとしさんが新書を書かれていて、ニックランドと新反動主義っていう本があるんですよね。
これは正解した新書が出てて、これも真っ黒な本なんですよ。この真っ黒な本何がすごいかって、ページの隅も真っ黒なんですよ。
その余白を真っ黒に塗るっていう。
非常に斬新な本作りなんですけど。
紙の本じゃないとできないやつですね。
そうですね。この本、実は正解した新書の石川さんっていう編集者さんが担当されている本なんですけど、これ実は僕の正解した新書のやるおわの本を担当してくれた方の本なんですね。
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ちょっと繋がりがあるんですけど。
ここの中に暗黒啓蒙っていう章が出てくるんですよ。
暗黒啓蒙。
これも非常に悪い感じがするんですけど、ニックランドっていう方がおられるんですね。
ニックランドという方が、その方が暗黒啓蒙っていう考え方を提示されていて、そこに多少啓発されて闇の自己啓発っていうタイトルがつけられてるんですよね。
で、この暗黒啓蒙っていうのが非常に難しいというか、説明しづらいんですけど、自由と民主主義っていう概念があるじゃないですか。自由と民主主義。
現代の基本。
基本ですね。これは基本的に両立できないという基本コンセプトがそこの暗黒啓蒙にあるんですね。
自由を追求していくと民主主義は成り立たないし、民主主義を追求すると自由がどこかで損なわれてしまうっていう。だからもう根本的にこの自由民主主義っていう考え方は語尾であると。
これは打発されなければいけないっていう考え方なんですよね。
これはその哲学って言っていいことなんですかね。
哲学ないしは思想でしょうね、これは。
で、近代までの歩みっていうのを考えてみたときに、フランス革命以降っていうのが個人っていうのが重視される。個人とか個人の自由、個人の所有権を大切にする。国家とか神とか王とかを主眼にするんじゃなくて、ここに来てる人を大切にしましょうっていうのが、ここまでの歴史の歩みの主眼だったわけですよね。
特にフランス革命以降っていうと。その中で個々人が理性を持とうと。みんなが理性を持って行動すれば、例えば民主主義ってうまくいくよっていう考え方なわけですよね。
ジョン・スミスの話だったり、その辺のあたりですよね。うまく任せればうまくいく。
基本的にそういう方向性、個人の理性を大切にしようっていうのは、これまで疑われてこなかったというか、ほぼ前提みたいな感じになっていったわけなんですけど、そこで理性を獲得するっていうことは、ある種の光なんですね。
プラトンという方が、哲学者がおられてです。彼はイデアっていうものを非常に重視されてたんですよ。イデアっていうのは理想かな、完璧なものなんですね。私たちの頭にある完璧なもの。
僕たちは人間っていうのは、それを直接知覚することではなくて、イデアの光が射している洞窟の中に住んでいるというメタファーを使われるわけです。だから僕たちが直接見れるのは、洞窟の壁に映る影でしかない。
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イデアっていう光が射してきたときに、例えば物があったらそこに影が映るじゃないですか。それしか見てない。私たちが理性を獲得するっていうのは、その洞窟から外に出てイデアの光をたっぷり浴びることだというようなことをプラトンが言われてるわけですね。だから理性っていうものと光を当てる光っていう概念が強く結びつくんですよ。それに対するアンチテージなんで、闇なんですね。ダーク。
理性ではない方のことを強調するというか、主張するということですかね。
そうですね。理性主義でこのまま頑張っていけば、どんどん良いことになっていくぜっていう考え方そのもの、人を理性化していく試みがいわゆる啓蒙活動というんですけども、それは無理じゃないかということを啓蒙するのが暗黒啓蒙なんですね。
これまでのブックカタリストで話してきた話でも、ちょっと前までは市場に全部任せとけばうまくいくとか、人は賢いから、論理的にちゃんと最大の利益を得られるように行動するって言われていたけど、1960年70年ぐらいからですかね、行動経済学みたいなのが現れて、
意外とそうじゃないっぽいぞっていうのがわかってきたっていうのと方向としては同じ感じですかね。
民主主義が大切だって言ったときに、個人の自由が損なわれてしまう。ないしは自由を獲得したときに民主主義が損なわれるってことは、そのたてつけに嘘がある以上、そこに向かって進んでいくんじゃなくて、それを壊して新しい構造が必要であると。
ないしは構造がない状態がいいと。どんな構造もない状態がいいみたいな考え方に突き進むのが暗黒啓蒙なんですよね。これは非常にラディカルであり、アナーキな考え方ですよね。
一般的には受け入れられにくそうな話ですよね。聞いている限りで。
そこにもう一個、加速主義っていう別の新たな考え方があって、資本主義をちょっと改良して良くするとかじゃなくて、資本主義的なものをどんどん加速させていって、蒸気機関車に石炭入れすぎると爆発するみたいな感じで、
その速度を強めることによっても、その構造そのものが自快していくように進めるべきだっていう形の思想が加速主義っていうものがあって、その暗黒啓蒙と加速主義っていうのが繋がってるよっていうようなことを解説した本なんですね。
これがここまでが前振りなんですけども、っていう暗黒啓蒙をしようっていう本ではないんですね。
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長い前振りでしたね。
ここは非常に大切なことなんで。闇の自己啓発っていうタイトルは、暗黒啓蒙を知ってる人は、暗黒啓蒙的なことを述べている本だろうって思ってしまうかもしれないんですけど、実は違うんですよね。そうではない。
もちろん重なってるところはあるんですけど、そういう破滅的破壊的な方向ではないんですね。
じゃあ何かっていうと、これはブログで書評記事も書いたんですけど、この社会があって、この社会が規定している人間とか良いっていうものにうまくなじめない人がいたときに、そういうあり方であってもいいよって肯定すること。
社会を否定するわけでもなく、その俺たちが本当の正義だって言うわけでもなく、その闇にいててもいいよっていうような感じで肯定していく。
そのために既存の社会の今まさっき言った理性を当てること、あるいは人のために生きることが良いっていう前提を一回疑っていこうっていうのが、闇の自己啓発の一つのこの選書で上がっている本たちの意味なんですよね。
なんか優しい感じがする、そういう話になると。
内容自体は結構過激なんですけども、結局のところ例えば、先程言ったように反出生主義って言ったときに、公理主義にとったときに生まれてこない方が実はいいんじゃないかって言われると結構ドキッとしますよね。
それは結構当たり前を考え直す手段になるんですよね。
それと同じことが、例えば、がんを戦国させて、あとはもう痛みしかない人生のときに安楽死することが、例えば是か非かっていうのが、命が大切だっていう考え方ではこれは非しかないんですけど、でもさっきの反出生主義の考え方だと、ちょっと是もあるかなみたいな考え方になるわけですよね。
幸福な監視国家っていう中国の本で言うとね、いろいろすごい話が出てくるんですけど、人間の行動が全部監視されてしまうっていう社会って思想統制なわけですけど、さっき言った啓蒙的な考え方で言うと、もう妥協される考え方なんですよね。
そういうのって個人の自由を剥がしてるわけですから。でもさっき言った話で言うと、個人が合理的な考え方ができない、つまり自分の行動が自分の幸福を最大化できない主体であれば、実はその上からの統治が実は全体を幸福にすることがあり得てしまうわけですよね。
あれですね。パターナリズムという言葉で説明される。
そのパターナリズムも、例えば一個人の首相が決めるパターナリズムって、結局その個人も合理的な主体者じゃないから無理なわけじゃないですか。そこに語尾は絶対ありますよね。でも、例えばアルゴリズムとかAIであったらどうだっていうふうに言えちゃうわけですよね。SFを読んでいると。
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1984の世界が。
そうそうですそうです。伊藤圭角っていう日本のSF作家がおられて、そのハーモニーっていうすごい面白い小説を書かれてるんですよ。
読みました、確かハーモニーは。
最終的に人間の意識っていらないんじゃないかっていう話になるんですよね。人間の意識っていらないんじゃないかっていうのはさっきの理性主義の全く反対なんですよ。
ここの理性を判断するんじゃなくて、全体を統治する何か超理性的なものがあれば、人間の理性っていらないし、理性とか意識が消えると言ったら、悩みとか妬みとか怒りも消えるわけで、合理主義的にも多分いいことになっちゃいますよね。
あれかも、エヴァンゲリオンだったりRPGのエンディングだったりで、よくそういう概念は出てくる感じがする。
よく度々出てくるんですけど、そういう考え方もありだよなと。つまり、理性を高めて自己意識をちゃんと持ってることだけが果たして正しいって言うと難しいですけど、その人にとって良いって言い切れるかどうかって言うと別にそうでもないなって考えられるんですよね。
もちろんそうとは限らないけど、俺の場合は少しそこにはやはり反発を覚えてしまうっていうのは思うんですけどね。
だからそれぐらいに、絶対良いと絶対悪いのどこかにその人のそれぞれポイントを置けると思うんですよね。
やっぱりその程度の問題というか、何も疑わない人は絶対良いって言って、他の選択肢がない状態なんですよね。
これはそこにぴったりはまる人は行きやすいんですけど、そうじゃない人って逃げ場がないんですよね。
だから、そうじゃないかもねって思えること、全体としては違うけど、でもちょっとそうじゃないかねって思えるだけで、ちょっと逃げ場が生まれるっていう。
そういうふうに、社会が今当たり前に全肯定している価値観から対比する考え方を持つ人たちの集まりが闇の自己啓発界だと僕は見てるんですよ。
みんな言ったらそういう人たちだってことなんですかね。
おそらくそういうことだと思います。
この本の序文の中に役所さんが書かれてるのかな。
そんなビッグブラザーが支配する中で、自己を奪われない度に何をすればよいか、私は読書界こそがその答えであると思う。
一人で思考し、学び続けることが難しくても、共に語り、学び、思考する。
共犯者がいることで自己を失わず、思考することが続きやすくなる。って書かれてるんですよ。
これ非常に僕は共感できるんですけど。
例えば、僕、このポッドキャスト以外にいくつかポッドキャストをやってるんですけど。
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以前、しごたのの大橋えつおさんとお話ししたんですよね。
大橋さんの画面を共有してもらったら、
Chromeが開いてて、タブが30以上開いてたんですよ。
ドーンって。
いますよね。いっぱいタブ開く人。
なんとなくライフファッカー界隈って、タブはあんまり開きすぎない方がいいみたいなコンセンサーがあるじゃないですか。
メモリー無駄に苦しいみたいな。
そうなのかな。傾向として、閉じたがる人がその界隈に多い気はするかも。
デスクトップにファイル散らかしてるのもみっともないみたいなのもあるんですけど。
善と悪とまでは言わなくても、こうしておいたほうがいいぞみたいなのがあるんですよね。
共同幻想的に。
でも、案外別にタブ開いてるのを他の人がちゃんと開いてるのを見ると、
別にこれでもいいんやって思えるんですよ。
しゃべってると案外出てくるんですよね。
あなたもそう思ってましたっていうのがあって。
例えば、ゴルゴさんとかベックさんとかとしゃべってると、
今のインターネット世界に出てくるビジネス的なものに対する言い訳みたいな。
ビジネス的って言うとあれやな。
ひどく詐欺的なビジネスに対する否定感みたいなのを持っててもあんまり言わないんですよね。
表ではやっぱり人の悪いことは言わないようにしようっていう。
しゃべってるとあれって変だよねって思うじゃないですか。
思って一口に出して、そこである種の共犯関係が結ばれるんですよね。
同じことを思っている人がそこにいるって思えるだけで、ある種救われるところがあるんですよ。
そういうのはわかります。
特に今の時代で人と会わないと余計そうなる気がする。
この救われるという感覚が非常に独特で、
社会に対してマスに肯定されてるわけではなく、
社会に同じことを思っている人がそこにいるっていうだけなんですけど、
それで、自分だけじゃなかったんやって思えるようなところがあって、
それがやっぱり、さっき言われたように現代では非常に失われてるというか、
パブリックな場で発言することを気にするあまりに、
世間的に正しいことしか言えない。
自分の心の中にある、世間からちょっと外れたことに口に出せないし、
共犯者が見つからないっていうことが起こり得てて、
それが行きづらさの大元になっているというか、
そういう問題に対して、もっとラディカルに考えたら、
実は違う逃げ場所もあるよっていうことを、
その本、紹介する本で開示しつつ、
みんながそれを共感し合ってる構図、対話されてる内容で、
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この人たちはこうやって認め合ってるのかっていうことが分かるっていう二重の構造で、
逃げ場が示されてるなというふうに感じるんですよ。
だから、本について語り合うっていうことそのものもまず面白いですし、
この本について面白いと思い合える人がそこにいるっていう感覚もやっぱりいいんですよね。
面白いというよりも、さっき言った救いとか安心感とかに繋がってくると。
あるかもな。例えば俺、公理主義入門を読んでも、やっぱ話せる人なかなか見つかんないですからね。
売れてる本ならあるけどね。
だから、こうやって語り合うと手ずかくとかしそうな話をするじゃないですか。
たまに妻が横で聞いてたりするんですけど、何言ってるかわからんみたいな顔するんですよね、妻は。
もちろんそれは僕らが偏ったことを喋ってるから仕方がないしろ、仕方がないと思うしろちょっと寂しさがあるわけですよ。
でもこうやって普通に喋ってるときはすごく楽しいわけですよね。
こういう世の中が定義する成功とか正しいことから外れても良いと思えることないし、それ自身を楽しめることっていう場を
インターネットなり何なりが作り出してくれてるっていうことそのものがやっぱりいいなというふうに個人的には思いますね。
救いですよね。正直ね、当時ほぼ人生ずっとそうだけど、同じことを話せる人っていうのはリアルの場では並大抵のことでは見つけられず、
インターネットのおかげで自分が面白いと思えるものを語れる相手が見つけられるようになったっていうのかな。
だからそこはやっぱり大きいなと思う。
今僕ら読書会っていうのをしてますけど、別に本だけに限らずに、世間一般のジェネラルに喋れるようなことではなく、
ちょっと喋り相手を選ばなければならないような秘めたことみたいについて語り合う場っていうのが、
インターネットってそういうことを可能にしたツールだと思うんですよね。
それは間違いないですね。
新聞的なマスメディア的な情報を広く安く広めるためにももちろん使えるんですけど、
むしろニッチでマスなメディアでは成立しないようなことが初めてメディアの場に凝らせられるようになったツールという意味で、
やっぱり再評価というか、もう一度そこは再評価されてもいいかなと。
確かにそこは時代的には結構そういう流れは来ているのかなっていうのはあって、
単純に自分が生きていこうとする世界でもアドセンスで稼ごうではなくて、
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そのメールマガジン、有料のメールマガジンというところでニッチなところにアクセスして、
ニッチな人たちから厚い支援をもらえれば十分に生きていける社会ができつつある。
できたらいいな、あれ。そこは今ちょっと分岐点ぐらいにあると思いますけど。
そこで結局、ユーチューバーみたいなもてはやされ方をしてしまうと、また資本主義に壊されてしまうみたいなのはあるんだけど。
あれはまさしくアドセンスから始まるユーチューバーって、だから数の論理、資本主義の論理にがっちり組み込まれている。
がっちり組み込まれているから彼らは儲かるわけですけど、それとは違うオルタナティブということですね。
資本主義に対するオルタナティブを見つけ出す。
闇の自己啓発は資本主義に加えて、いわゆる人道主義とか教養主義に対するオルタナティブでもあるんですけど、
ありとあらゆるものに対するオルタナティブを見出していくことで、ニッチで生活していけることの何がいいかっていうと、
マスに染まらなくていいっていうことなんですけど、さっき言ったように肯定感があるんですよ。
うん、わかります。自己肯定感とそれに伴う幸福感っていうか、幸福って言葉をあいに使ってしまうとどうしても宗教な感じになってしまうんだけど、
もうちょっとあれかな、公理主義でいう幸福みたいな話なんだけど。
そこを肯定できるんですよね、ニッチのあり方って。
だから単純に例えばマス向けでやって、売り上げが4分の1やけど、テマも4分の1やしいいなとかそういう話じゃなくて、
マス向けに自分をアレンジしなくても良いんだっていうことなんですよね。
それ良い言葉ですね。多分人が生きていくためには、何らかの形でマス向けにアレンジしないといけないとは思うんですよね。
ただ、例えばYouTuberで生きていこうとすると、大きくマス向けにアレンジしないと生きていけなく、
それが例えばブックカタリストで生きていくんだとしたら、ほんのわずかマス向けにアレンジするだけで生きていけるようになる。
そこがさっきの引用で言った事故を失わないっていうことに多分関係してて、
社会に適応しようとすれば適応の中で事故が失われていく。
この事故もなんやねんっていう話は哲学では当然よく出てくるんですけど、
そこで感覚として、自分がやりたいことではないけどもやらざるを得ないみたいなことを正しいと思ってしまう感覚が多分、事故が失われるということだと思うんですけど、
それをなくてもできるっていうこと。
そうして自分が自分をまず肯定して、そういう面白がってくれる人がいるっていう、
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本当に思うんですけど、ブログとか自分好き勝手に書いて、それを面白がってくれる人がいるっていうのが奇跡としか思えないんですよね。
これはあれですよね、人間がたくさんいることのメリットですよね。
確かにそうですよね。
日本人が100万人しかいなかったら、多分いないから。
だからそういうニッチなものと出会いの場っていうのがインターネットの夢だったはずなのに、いつの間にかSEO競争になってて、
そこはGoogleが資本主義に負けたところやなと僕は思うんですけども。
株式会社なのでGoogleも資本主義に勝てないというか、どうしようもないですよね、そこは。
彼らは検索事業以外にいろんなところで投資してテクノロジーを発展させていくことも多分してるでしょうから、
別に彼らが従前悪いとは言いませんけど、
検索って言ったらアクセスの中で一番重要なところがSEOにハックされる余地を残してしまっているという、
あるいは意図的にそうしているのかもしれない、それは分からないですけど。
そこの失敗とまでは言わないけど、手が足りてないなと思いますよね。
そこの話で思うのは、現段階で天才が何百人いても何千万人の多くの人たちの力の方がまだ強かった。
グーグルの中のすごい天才な人たちがどれだけアルゴリズムを工夫しても、何百万何千万の人たちの方がまだ力を持っていて、
結果論というか現段階の話で言うと、Googleのやろうとしていることはまだうまくいっていない。
これいつかうまくいくかって言うと多分。
ちょっと俺も疑問に思う。10年前ならうまくいくと思うって言ってたけど、今は可能性は薄くなってきたなって思いますね。
だからSEOをする方も最初は個人のちょっとしたテクニックやったんですけど、もう最近ではそれがいわゆるビジネスになってますもんね。
ビジネスになるのは宿命ではあるけど、それにしても誠実なビジネスなのかというとどうなんだろうって思う部分が多いんですよ。
上位に上がってくるコンテンツがほぼ役に立たないか、役に立つにしても非常に薄い。文字数あたりに対する猶予度が薄いのがあって、それはでも判別して省けるものなのかな。
例えば俺が思うので言うと、食料品会社が自社のために自分のところの商品使ってレシピとかを出してるやつとかって、あれすごい質が高くて、さらに会社の宣伝にもなるし、探している人にも役に立つ素晴らしいものだと思うんですよね。
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きっこうまんとかQPとかのサイトは非常に役に立ちます。
対して特に今筆頭なのがプログラミングなんですけど、あれを調べると、あれのせいでむしろ勉強がうまくいかなくなってしまうというものにたどり着けてしまうので、やっぱりテクノロジーと結びついてる業界はGoogle外れ率が高いのかなっていうのは思いますね。
おだしょー 不思議なことに。不思議じゃないんかな。逆にそうか。
大平 多分そっちの人たちのほうがやっぱりまだ傾向としてGoogle対策が得意なんだろうっていう。
おだしょー その力を良いコンテンツ作れる。この前、Pythonの調べ物をしてって、書いてあるコードをコピペしても通らないんですよ。
大平 コピペしたらダメなんですよ。それはダメですよ。そもそも。
おだしょー 単純なコードなのになんで通らへんかなと思ったら、僕が使ってるPythonが3で、それが2のコードだったっていうごとく単純なことだったんですけど。それも書いてないですからね、そういうサイトに。
大平 でも、Python2の時代に書かれたコードなら仕方がない。
おだしょー 仕方がない。
大平 Pythonは2と3で問題って変わりすぎているっていうのはありますからね。
おだしょー そこをちゃんと適宜コンテンツを管理してたら、記事の内容をバージョンアップしてくれたらいいじゃないですか。でも、そこも個人サイトじゃないですよ。いわゆる名前を挙げにくいな。コード系のサイトですよ。
おだしょー 多分ね、全部浮かぶと思う。
大平 そういうのが上位に来て、上位に来るからクリックされて、リンクもされて、またそのページランクが上位になってしまって、クソ悪循環がもう変えられない状況になってるんで。
おだしょー でも、例えばの話で言うと、プログラミングの業界で言ったら、書籍に価値が上がったと思うんですよね。
おだしょー だから、結局やっぱり本を読もうっていう話になるんですよね。
おだしょー この10年で俺の中では書籍の価値はすごい大きくなって、ウェブよりもやっぱりトータルコストが安い。
前まではウェブの方がトータルで安いと感じられていたけれども、効果不効果、Googleがうまくいかなくなりつつあるおかげで、本を書くということがまだ職業として価値が高いものになってきた。
おだしょー ウェブ記事でもいうようなものはお金をとっても払う価値があると思ってもらいやすいことには逆になってますよね。
おだしょー だって、闇の自己啓発も言ってみたらなんですけど、ウェブ記事なんですよね。
おだしょー もともともね。
おだしょー それをちゃんと価値があるものを作っていれば、その紙にもなりうるし、可能性っていうといろんな良い巧妙はあるのかなっていう。
おだしょー だから、コンテンツが無料になってGoogleで検索がフニャララしているときに、改めて本っていうものの価値が再発見、再評価されようとしているというのは喜ばしいことですね。
39:11
おだしょー だから、僕ら10年は何かを見失ってたんでしょうね。やっぱりね。ウェブだ、無料だ、ハッピーだっていうのは、なんかやっぱりどっか無理があったんでしょうね、きっと。
おだしょー 多分ね、あと10年したらバブルだったって言われるんじゃないかなって思いますね。
おだしょー だから、やっぱり本はいいよっていう話。僕もPythonが始めたときに久しぶりに本買いましたもん、プログラミングの技術書。
おだしょー Python入門みたいなやつ。
おだしょー そう、Pythonのコードをノートにこういうの書いてますって書いたら、入門やったらこの本がいいですよって、すでにPythonを書ける方からこの本がいいですよって教えてもらって、即座に買いましたからね。
おだしょー やっぱり非常に効率がいいですね。体系だって説明されるんで。
おだしょー 需要があって、手を出して、その上で体系だって覚えようとすると、習得は早いですからね。いきなり体系だって覚えようとしても、やっぱりあんまり面白くないんだけど。
おだしょー 確かにね。だから本っていうコンテンツと、人が本を教えてくれるっていうこのポイント、この2つの中で一番のポイントだと思うんですよ。
おだしょー っていうと、もう1回あれじゃないですか。ウェブじゃなくて誰が言ってるかの価値が上がってくるっていう、これも多分何回も言ってるんだけど。
おだしょー その誰がっていうのがある種の権威性じゃなくて、つまり賢い人とか成功してる人やからということじゃなくて、自分と興味のアンテナが合う人やからっていう意味でのこの人性って言うんであれば確かにそうでしょうね、きっと。
おだしょー そうですね。自分の感覚としても、やっぱり偉い人が勧めたやつより友達が勧めたやつのほうが信頼できるというか、文脈を多分わかってくれているというところもあるだろうし、こっちの。そういう人ならこれはきっと面白いと思うとか。
おだしょー あれですよね。ブックカタリストをいっぱい聞いてもらって、これが面白いと思うよって言ってもらえれば伝わりやすい。
おだしょー おそらくはね。だからインターネットの力を全活用しつつ、しかし本と人っていうアナログなものを再フォーカスしていくっていう。前に進んでいるのか後ろに戻っているのかわからないんですけど。
おだしょー そうか。後ろに戻ったっていう言い方もできるんですよね。そうだよな。
おだしょー だって本を読むっていうのはもう、ある時代からしたらもうそんな新聞とか本とかなんていうのは時代遅れだっていう論調が一時期はありましたからね。
おだしょー 本の価値を果たしてっていうか難しいのが、本を担保しているのは所詮出版社じゃないですか。出版社が悪に染まってしまえば、悪に染まったんじゃないかと思われるような出版社も実際あるし。
42:02
おだしょー そこはじゃあやっぱ難しいのが今度は本がそうならないようにしないといけないってことですよね。
おだしょー そうですね。だからそうならないようにするためにやっぱり良い本を買うということなんですよ。
おだしょー 買うのと買ってくれるようにみんなに勧める。
おだしょー そういう、こういう活動ってなんかある種地味であるし、しかもなんかちょっと組織的な誘導にすら感じれるんですけど、やっぱ必要なんですよね。
おだしょー 特にその宣伝されにくいような本っていうのを、いや面白いよって言うっていうことは、それを長生きさせるために必要不可欠と言ってもいいんではないかな。
おだしょー 特に現代ではこのコンテンツの生き残りが以前より難しくなっている以上、応援の声も大きくしないとバランスが悪いと思うんですよ。
おだしょー まさに観客を増えていくということですよね。ちゃんと繋がる感じの。
おだしょー この本って闇の自己啓発会っていう読書会なんですけど、実は最近発売された別の本もありまして、ちょっと関連していくと。
おだしょー 人文的、あまりに人文的っていう本がありまして、この本も読書会というか本を紹介する本なんですよ。
おだしょー こっちは結構本がいっぱいあるんですよ。300ページほどで40冊か本が。
おだしょー だから1冊あたりは結構軽い紹介なんですけど、それでもその本をどう言ったらいいかな。
おだしょー 褒めるというよりは、この本を言いたいことをうまく簡略的に表現して、かつさっき言ったようにその関連する本をちゃんと。
おだしょー 書写がこれってあれに関連するなって思いついた本をちゃんとピックアップしてくれるんで、この本も非常に読み方が増える本なんですけど。
おだしょー 実はこれは人文的、あまりに人文的って、YouTubeでこの2人が哲学の劇場っていうチャンネルを持たれてて、そこで番組で2人で喋られてるんですよ。
おだしょー これも結局、このブックカタリストと結構似てるんですよね。
おだしょー すげー、メタブックカタリストがいっぱいあって。
おだしょー いっぱいあるっていう、僕らも後々、かなり後なんですけど。
おだしょー 違いといえば、有識者が本を紹介してるというよりは、今からちゃんと本を読んでいきましょうのスタンスっていうところが多分違いではあるんですけど。
おだしょー 学問のために本を読むとか、ビジネスパーソンで差をつけるために本を読むとかじゃなくて、読書って面白いよねっていうスタンスが、やっぱりこの人文的、あまりに人文的と似てるかなと。
おだしょー 別に学問が目的ではない、まさに教養っていう言い方なのかな。でも教養っていうと、なんかおこがましいというか、なんかそうでもないんだよなっていう。
45:07
おだしょー だから楽しみとしての読書っていう言い方でも別に、趣味としての読書でもいいんですけど。ただ、SFをただ小説を読んで面白いで終わるんじゃなくて、そこに書かれてることを調べたりとか、関連する本をいもづるし的にたどっていくような本の読み方って面白いよねっていう、僕の中でそれがデフォルトの本の読み方なんですけど、を単純に肯定してくれるような本ですね。
この人文的、あまりに人文的。この本も面白いんで、ぜひ読んでほしいんですけど、多分Kindle版が出ないので、おそらくは。
おだしょー それね、電子出ないと買えないんですよね。
おだしょー そこはちょっと人によっては選ぶ、選ばない。この本もね、一応人文書っていう区切りはあるんですけど、だいぶ幅広いですね。
おだしょー なんていうの?哲学から歴史から社会学からみたいな。
おだしょー 文庫本から新書から古典から最近出た本から、そこは区別なくちょそらがこれ面白いよってピックアップした本が並べられてるんで、だから書店に行ってなんかコーナーに特別コーナーっていろんなジャンルの本並んでるじゃないですか。
おだしょー ああいうのを見た感じですね。
おだしょー まああれですよね、本もやっぱその本を紹介する本として本が成立しているっていうぐらい、やっぱもはや何を選ぶかは難しい。
おだしょー 何を選ぶか難しいときに選択の基準として、これまではいわゆるランキングが選択の大きな指標になってきたんですけど、ランキングってある種のこの均一性というか画一性の評価軸だったのに対して、
今は人性、俗人性、あの人が面白いと言ってるから読む。自分が面白いと思ってるのと同じ感性を同じくする人が面白いと言ってるから読むっていうような、どう言ったらいいの、興味の鏡。
難しいな。的に本を選ぶ方が実は良い本と出会える確率が高いっていうようなことですよね。これは多分だから昔から本を読みする人は多分ある程度意識的にやってきたことなんでしょうけど、さっき言ったその本同士で集まれる場って非常にレアなんですよ。
本好き同士で集まれるのって多分ね、大学時代にこういう関係を持っとかないとね、社会人になってからはね、なかなか得られないと思うんですよ。
俺いないし、いなかったしね、確かに言うと大学の時は音楽の話が通じる人がいっぱいいた。でもその時期以降はやっぱりいない。
そういうのは同行の知って集めにくい。普段だから本を読んでる人でも、まず隣に本を読んで本について語られる人もいないし、本について語っていることを聞く場もないっていうことだったんですけど、やっぱりインターネットによってそれがノートとかポッドキャストとかYouTubeとかによってその本好き同士が喋っているのを聞ける場っていうのが生まれつつあるし、
48:12
それによって本当に書店では見つからないとか見つけにくい本が発掘できるようになっているなと。とても素晴らしいことです。個人的に思いますね。
いいですね。こういうのがもっと増えて、俺も面白いと思える本が一番見つかるようになると嬉しいし。
そう、だからやっぱりね、こういうとこでしか見つからないんですよ。大抵。
そう、やっぱね、世間話で話すとね、今話題のこの本がっていう、その説答字がないとやっぱり出てこなくて。
本屋さん、確か2、3年前だと思うんですけど、近所のイオンモールにある本屋さんに行ってですね、結構残念な気分を味わったというか、なんか表に置いてある本がAmazonの1ページ目と一緒なんですよね、言ってみたら。
ああ、まあそうなっちゃうよね、でもそれは。
むしろ俺はこれは本離れが進むなと思ってしまって、それを見て。
まあ確かにね。
だってそれだったら俺Amazon行くからねっていう、当たり前の話じゃないですか。だって歩いて行かなくっていいんだもん。
だから本屋に行くことでAmazonでは出会えなかった本と出会える体験を提供することがリアル書店の現代的な役割ではありますね。
たぶんね、もはやそのキュレーションという言い方なのかな、古いんだけど、っていうことができなかったら本屋の価値というものは単純にやっぱなくなってしまうような感じはしていて。
だからAmazonを使えない人だけが買う本の場所みたいになってしまうんですね。だからマーケットは小さくなりますね、単純に。
一般的に都市が上な人が多いので、その人たちがいなくなったらそのままでは潰れてしまう。
それはありますね。
だからそのキュレーションというか、例えば店員さんが自分で書いたポップを貼り付けてるだけでやっぱり価値があるんですよね、その本屋って。
たぶんいい本屋はいっぱいあるんですけど、うちみたいな田舎になるともうショッピングモール以外、本当に選択肢がなくなってしまって。
同じくですけども。
街に出ればたぶんまだきっと救われるんですよね。
同じショッピング内のモールでも、うちの近所はミライア書店という書店さんなんですけど、ショッピングモール内の書店にしては思想と人文書が分厚いんですよ。
そういういいところというか、相性がいい場所だったんですね。
店長さんがそういう本好きなのか、担当者がいるのかわからないですけど、普通の本やったらそういう思想書とかってもう棚1個で終わりみたいなとこ多いですけど、
51:00
1面、だから4列ぐらいか、全部それに使われてるんで非常に嬉しいですね。
その書店がオープンした時はね、オライリー本がほぼありましたからね。
オライリー揃ってるのは信頼できるかもしれない。
岩波新書とか岩波文庫が置いてあるお店は、人文的な信頼度が高いと思ってもらっていいんですよ。
なぜかというと岩波新書って返品効かないんで。
初手の仕組みを知っているからわかるってことですね。
転本精度がない。
岩波は効かないんで、あれは買い切りの強い心文字がないと仕入れられないし、
岩波文庫とかって売れ行きがいいわけじゃないじゃないですか。
売れる本ではない。
でもそれをちゃんと品揃してってことは、
ちゃんと読みたい時にこういう本を届けようっていう強い意思を持ってあるなという意味で、
信頼していいっていうそういう選び方があります。
だから本屋もいろいろ顔があるんですよね、実はね。
たぶん現代失われつつあることなんですけども、
もともと本屋はちゃんと書店ごとにここはこういう本が揃っているとか、
そういうのはあったんですよね。
だからある種の僕らのやってることって書店的な活動と言い直してもいいかなと。
別にダイレクトに本を小売りしているわけじゃないですけど、
言ったら本を知らせるという役割では一緒なんですね。
やろうとしていることはそういうことだというふうにも言えるのか、そうですね。
だから実演販売ってあるじゃないですか。
そのものとそれをどう使うかをセットにして売るっていうことですけど、
だから僕らは本とその本がどう面白かったかをセットにして
本を売っているというかアピールしているっていうことですよね。
確かにね。
そうですね。
それは長年、多分読書好きの方はみんなどうやって次の本を探すか問題は常に抱えられていて、
一時期はやっぱりAmazonアルゴリズムに憧れというか期待はあったんですけど、
結果は惨敗というのがここ5年くらいの結果なので。
結局ランキングのセルフカスタマイズランキングにしかならないんですよね、今のところのアルゴリズムだと。
あとだからAさんがこれを買ったからそれと同じものを買っているBさんもこれが好きだろうというのは当てはまらないんですね。
例えば僕とゴルゴさんが似ている本を読んだとしても、その他の選手って異なるじゃないですか。
2人の人間が同じ本をずっと読み続けることはまずありえなくて、
それぞれの関心ごとに枝葉が分かれるじゃないですか。
だからそういう関係ないんですよね。
まあどうなんだろう。そこはね、ちょっとね、
ディープラーニング方面からの技術のアプローチというのも期待はしているんですけど。
54:05
でもAmazonはそこまでしないでしょ。
Amazonはしない。
だからああいう方式では多分本の選びの参考にはならなくて、
最終的にはやっぱり一途手に本を知るっていうことしかないなっていうのが僕の今の結論ですね。
まあ確かにね、現段階で一番信用できるのは誰かが面白いって言っていたっていうか、
誰かっていうのがそのある程度人格を認識している人が言っていたっていうことですね。
だからみんなが本を読んでいるみんなが、僕が買ったリストをやればいいと思いませんけども。
でもね、ちょっとそれなりに自分本読んでいるよ、
でもこれまでずっと一人で読んできたよっていう人は、
誰かを見つけてこういうことをすると非常に自分にとっても新しい発見が多いと思うんですよ。
俺はね、これによってね、話すために学んだことによって学ぶことが面白くなったっていう、
卵が先か鶏が先か現象みたいな、
どっちが目的かわかんないけどすごい面白くなったっていうのは間違いないので。
取り上げ、ここで紹介するためにはやっぱり自分でもう一回再読絶対しますし、
今回も暗黒啓蒙について一応ちゃんと喋れなあかんなと思って下調べもしたんで、
こういう下調べって心の中ではやったほうがいいなってずっと思ってるんですけど、
やるきっかけがないんで永遠にやらないんですよね。
そうそうそう、確かにね、そういうのもね、結局ね、
でも一冊の本をしっかり読む方がたくさん読むよりも学べることは多かったですね。
それはそうでしょうね、きっと。
で、まあ何個か見て選んだらそれをすごいたくさん読んでまとめるっていうのは結果的に、
結果的になんかたくさん、もっとたくさん読めるような気もするし。
それはそうですよね。
でも例えば今だったらゴルフさんは公理主義について何か少し書けるはずですよ、もう。
多分ね、少し書けると思うし、そういうことをやっぱり重ねていくことで何でも書けるようになる。
結構ね、自分の話で言うとね、最近万能感と言うと言い過ぎなんですけど、
そういう感覚が出てきて、中二病的俺最強っていうか、
俺あと10年したら俺結構すごい人になれるかもしれないぞって今思えるようになってきて。
それがいわゆる知的生産活動ですよね、要するに。
なんかそれに関して言うと年齢で遅いなんてことは全くないなって思ったし。
それは大切なことですね。
これから10年ぐらいがすごい楽しみでね、これを繰り返したら、
自分が想像もしていなかったレベルの自分が理想じゃないな、自分がすごいと思う人になれる気がするっていう。
想像力を超越するわけですね。
っていう可能性を感じているというか、できるんじゃないかって思えてきたっていうんですかね。
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そういう感覚をもし読書によって得られるとしたら、それは最大の効果でしょうね、きっと。
最近だってもうスマホゲームをみじんもやらずに、隙があれば暗記を開き、本を読み。
それがやっぱり娯楽になっているので、全く問題ないなと思って。
それを義務感でやったら潰れると思うんですよね。
そこが多分最大のポイントなんでしょうね、きっと。
すごいのになれそうな期待が楽しくてやれているって感覚ですかね、今で言うと。
どっちかって言うと、自分を主人公にしたロールフレームでレベル上げしてる感じ?
そうかも。レベル上げがめっちゃ楽しくなってきた感じ。
なるほど。
ずっとカジノをやってればいいのかもしれないんだけど、レベル上げの方がいいねっていう。
ずっとカジノやってたらいつかはハグレメタルの剣が手に入るかもしれないが、みたいなね。
こういう感覚は読書に限らないですけど、学びというか何かを学んでいくことでしか得られないんでしょうね、きっと。
やっぱり書くことでしたね。読むんじゃなくて、読むのと書くのがあるから良かった。話すもあるのかな。読むだけではダメだった。読書と言うけど。
読み書きですからね、よく考えたら読書って。
両方セットになってないと物足りないというか、血肉になる感はちょっと薄いかな。
この2冊、闇の自己啓発も、この社会が善としているもの、良いとしているものに対して、おかしいなと思っている人は一読されると良いと思います。
逆に、自己啓発的なノリが大好きで、そういう系のセミナーとかサロンに参加している人は読まなくてもいいと思います。
人文的、あまりにも人文的な方は普通に読書が好きで、この界隈で喋っているような本に興味を持つ人であれば間違いなく面白いので、こっちは広くお勧めできますね。
今日は一応、闇の自己啓発と言いつつも2冊本を挙げさせていただきました。
本を読む本というものが、特に自分でも実感しているのが、入門としてこの本が紹介されている本というのは、ランキングじゃない本を探すために良いですよね。
たぶん、自分の好きな本の刊末に出てくる参考文献とか、こういう本とかで、いもずる式に行かないと書店に行って、いちかばちかで本を選ぶと勝率がすごく悪いんで。
そういうリンク、スクラップボックスでいうとこのリンクを辿って本を読むっていうのが一番ハズレが少ないですね。
その本を面白いと思った人が面白いと思ったってことですからね。
1:00:03
そういうことです。
きっと大丈夫だろうっていう。
そういう感じですかね。
闇の自己啓発。結局タイトルからしたら全然違うという言い方は違うのか。
そうですね。別に人を悪に洗脳しようとかいう本ではないということです。
ということですよね。
個人的には中二病っぽいノリな感じがして、ちょっといいタイトルだなと思いますね。
確かに。あと、これは関係ないですけど、書店でこの本は自己啓発書のところに置かれるはずなんで、読書会員の本で読書のコーナーに置かれますけど、闇の自己啓発ってタイトルがついてるんで、自己啓発書のところに置かれて、まさにさっき言ったその自己啓発に対して疑問を感じている人が、あれ、こんな本もあるやんって手を伸ばすっていう作戦やと思います。
良いですね。いろんなところで喋ってるの聞いたけど、出版の編集者がいいプレイをしたっていう感じですね。
そういうのは見習いたいところですね。そうじゃない人に届くタイトルをつける。
大切なことだと思います。
ということで、今回のBook Catalyst第6回、闇の自己啓発について語りました。
感想や質問などがあれば、TwitterのハッシュタグでカタカナBook Catalystをつけてつぶやいていただけると大変ありがたいです。
お褒めの言葉などいただければすごいやる気が出るので、ぜひともよろしくお願いいたします。
それでは今回もお聞きいただきありがとうございました。
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