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2023-10-24 1:14:18

BC075『悪意の科学: 意地悪な行動はなぜ進化し社会を動かしているのか?』

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今回は、倉下とごりゅごさんが両方とも読んでいる本だったので、二人で語り合う形になりました。とりあげたのは、『悪意の科学』です。

書誌情報

* 著者

* サイモン・マッカーシー=ジョーンズ

* ダブリン大学トリニティ・カレッジの臨床心理学と神経心理学の准教授。

* 翻訳

* プレシ南日子

* アレックス・バーザ『狂気の科学者たち』

* サンドラ・アーモット&サム・ワン『最新脳科学で読み解く0歳からの子育て』など

* 出版社

* インターシフト

* 出版日

* 2023/1/24

* 目次

* はじめに・・人間は4つの顔をもつ

* 第1章・・たとえ損しても意地悪をしたくなる

* 第2章・・支配に抗する悪意

* 第3章・・他者を支配するための悪意

* 第4章・・悪意と罰が進化したわけ

* 第5章・・理性に逆らっても自由でありたい

* 第6章・・悪意は政治を動かす

* 第7章・・神聖な価値と悪意

* おわりに・・悪意をコントロールする

倉下は2023年2月に一旦読了し、この配信のために読書メモをつけながらもう一度読みました。簡単な読書メモは以下のページをどうぞ。

◇ブックカタリストBC075用メモ - 倉下忠憲の発想工房

以下では、本書のさわりをざっと確認します。

悪意について

狭義の「悪意」は、「悪意のある行動とは、他者を傷付け害を与え、かつその過程で自分にも害が及ぶ行動」(心理学者デヴィッド・マーカ)で、もう少し広く意味を取ると「自分の利益につながらないにもかかわらず、他者に害を与えるためにする行動」も含まれる。

これらの定義により、敵対的行動やサディスティックな行動とは区別される。また、人間の行動をコストと利益から考えると以下の四つの区分が可能。

* 協力行動

* 共に利益をもたらす

* 利己的行動

* 自分だけが利益を得るように

* 利他的行動

* 自分がコストを負担して他者に利益を与える

* 悪意のある行動

* 自己と他者の沿うほうに害を及ぼす行動

この4つめの行動に注目しようというのが本書のテーマ。

悪意の合理性

ではなぜ悪意に注目するのか。それは、人類は協力によって文明を前に進めてきたから。にもかかわらず悪意ある行動は、その協力関係を弱めてしまうように思われる。進化論的な観点で言えば、そのような生存に貢献しない性質は淘汰されていてもおかしくない。これをどう考えるのか。

もちろん、進化論的に考えれば、「そこには何かしらの合理性があったからだ」というのが仮説になる。その仮説的観点を、さまざまな角度から検討していくのが本書の大きな内容。悪意が生じる理由と共に、その「機能」についても注目していく。

各章で面白い話が多いが、全体を通して感じるのは、私たち人間は生物的に「悪意」の元となる感情の働きを持ってしまっている、ということ。そして、その働きは現代まで悪意が生き残っていたことが示すように、一定の(そして有用な)機能を持つ、ということ。

その意味で、悪意を完全に捨て去ることが最上である、という考え方はそのまま素直に信じないほうが良い。むしろ「いかに悪意とつき合うべきか」という問いの方が現実的かつ実際的であろう。

どのような状態や環境なら悪意が発露されやすく、またどんな悪影響が起こりうるのか。それを踏まえた上で、どう悪意を「使っていく」のか。そうした判断ができるようになれば、悪意に振り回されないようになるだろう。



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サマリー

第75回エピソードのポッドキャストでは、「悪意の科学、意地悪な行動はなぜ進化し社会を動かしているのか?」について話されています。このエピソードでは、悪意の行動の起源を進化の観点から探りながら、現代における悪意の影響について考察されています。具体的には、自己家畜化の流れや知覚的非人間化など、悪意の科学について考察されました。また、悪意の意地悪な行動が美徳となり、人間のモザイク的な性質や共感の影響も示唆されました。さらに、進化論的な視点から悪意と罰についても考えられています。進化論的な予測を通じて、悪意が社会を動かし、個体や集団にとって有利な要素であることが説明されます。また、人間の悪意は感情のばらつきがあり、その戦略的適用度が高いと示されることもあります。さらに、実存主義的な悪意や自由意志、神聖な価値と悪意の関係についても話されます。悪意をコントロールすることや、気難しいタイプの人間の特徴についても言及されています。このエピソードでは、人間の悪意や怒りのコントロール、インターネット上での悪意の発露などについて話されています。

悪意の行動の起源
面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト、第75回の本日は
『悪意の科学、意地悪な行動はなぜ進化し社会を動かしているのか?』について語ります。
はい、よろしくお願いします。
はい、お願いします。
えーと、今回は2人独立パターンということで、両方がこの本について語るという感じなんですが、
簡単に趣旨情報をさらっておくと、出版が2023年の1月発売で、出版社がインターシフトさんです。
で、著者がサイモン・マッシー・ジョーンズという方。
心理学系の方でしたっけね。
ですね。
で、えーと、現代が確かにスパイトかな。
スパイト、もうなんか悪意っていう単語かな。
アンド、アンスパイトオブ何だらみたいな感じで、その、まあスパイトっていう単語が日本だと直感的にはちょっとわかりづらいですよね。
そうですね、悪意とか意地悪という言葉らしいんですが、あんまり普通の英会話とか。
あの、高校でね、インスパイトオブ何とかって何々に関わらずっていう、あの熟語がある。熟語って言っていいんでしたっけあれって。
うん、まあイディオム的なやつ。
っていうのでよく出てくる単語なんで、まあその、そういう意味ですね。インスパイトオブ何とかっていうのが悪意がないにも関わらずとかっていうようなニュアンスがあるような言葉なんでしょうね。
ちなみに僕脱線ですけど、あのマジック・ザ・ギャザリングの黒のカードにはこのスパイトっていう。
あー覚えてねーな、どんなやつでしたっけそれって。
複数あって、僕は結構聞き覚えがある、なじみのある言葉なんですけど。
悪意の行動の分析
本としてこの悪意、スパイトっていうものがどういう原理性で生まれたのかっていうことを語る本なんですが、一番大きなテーマというか視点で言うと、
進化論的に考えたときに、その悪意ってなぜあると言えるんだろうかというようなことが、まあ中心的な主題になっているかなと僕は読んでて感じました。
同じく、あの面白いと感じた一番の大きなところっていうのが、同じくそのなんでその本来であればっていうか合理的な考え方をすると悪いって生き残れなさそうなのになんで生き残ったんだろうっていう観点での発見が多かったですね。
そうですね。結構だからその点、進化論的な話が好きな人はまあ面白いと思いますね。
僕の読書メモで悪意の冷蔵に出ているとか言ってますけども、存在理由とは何かで、本書の中でいろんな形のその悪意の現象っていうのが紹介されるわけなんですけど、
結構ね僕からするとさっぱりな感じで、なんでこんなことをするんやろうなっていうその人の行動があって、僕はその悪意成分がまあ低いんでしょうけど。
ああ、さっぱりっていうのは、さっぱり理解ができないってことですね。その行動の理由が。
その、イラついてるのかなとかってそういう想像はできますけど、実感としてこういう悪意にほとんど触れたことがないし、自分自身の中にもないので、その意味で人の真理を語る本はいくつか読んできましたけど、
この領域はほとんど自分もこれまで触ってこなかったなということはずっと思いましたね。最初から最後まで。
まずこの本の最初にも書いてあったんですけど、こういうことを研究しているものがほとんどないって最初に書いてありましたよね。
それで言うと、協力行動、利他的行動、利己的行動っていう3つはよくあるしよく見られるんだけど、悪意ある行動というものをあんまりみんな研究していない。
まあやっぱり愚かしく思えるからでしょうね。きっと。
合理的ではないから、経済学で言う合理的存在はおそらく悪意ある行動をしないはずなんですよね。古典経済学の考えで言えば。
古典経済学の考え方では、そういうのはやるとしたらイレギュラーというかミスティックな感じであって、その主体が自発的に決断してるんであれば、それは生まれないということにはなってるはずですね。
そうですね。合理的決断としては存在しえないはず。
なのに現実の人間僕たちはやっているっていうこの祖語がある中で、その著者はそこに注目したというところで。
結構ね、本書が言う悪意って広いんですよね。
日本語の語感からするとそれ悪意なのかっていうものも結構含まれるんですが、
簡単に言うと、自分が得するわけではない。何しはちょっと損してしまうこともあることを理解した上で他人の邪魔をするような行動全般のことが悪意ある行動と言われていると。
最後通帳ゲームか。この本の中では最初から最後まで出てきますけど、これ心理学の実験で。
有名なやつですね。
金額を提示されてどんだけ分けるかを片方が決めると。
もう一人のプレイヤーがその提示された金額を納得したら両方ともお金を受け取るし、納得しなかったら両方とも受け取れないという形が一番ベーシックなんですけど。
合理的な人間であれば、例えば相手が99ドル取って僕が1ドルであっても絶対頷くはずだというのが合理的な考え方の決断なんですけど。
そうしない人、つまり自分が1ドルだったらいらないと拒否する、相手の99ドルを獲得を邪魔するという行動も本書の中では悪意ある行動と呼ばれるわけですけど。
あんまり悪意か、僕は感じないですけどね。
悪意っていうか、やっぱりそこがスパイと悪意っていう言葉の違いですよね。そもそもで言うところの。
オファーした人からすると意地悪されたという感じは多分受けると思うんで、提案側からしたら悪意ある行動をされたようにも見えますけど、でも逆にオファーされたからすると99対1なんていうのは悪意ある判断とも言えるわけで、これなかなか難しいところだなとちょっと思いますね。
小ネタなんですけど、最近ね、そういう英語のニュアンスがわからん時はね、AA辞典がやっぱね、すごい役に立って、例えばその悪意のスパイとっていうのをA話辞典で調べると、やっぱ悪意、意地悪とか恨みとかそういうニュアンスでしか教えてくんないんですよね。
AA辞典を引くと、例えばこれはCore Buildかな、だとA feeling of wanting to hurt or upset somebodyっていう。
おだしょー 誰かを傷つけたくなる気持ち?
小ネタなんですけど、そういう意味でAA辞典というやつは結構役に立つなというのを最近はよく思って、英語の本とか、特にタイトルってニュアンス難しいじゃないですか。
小ネタなんですけど、そういう意味でAA辞典というやつは結構役に立つなというのを最近はよく思って、英語の本とか、特にタイトルってニュアンス難しいじゃないですか。
おだしょー ちなみにこの日本語のタイトルの副題に、意地悪な行動はなぜ進化し社会を汚しているのかって言って、意地悪な行動って言うとなんかしっくりくるね。
小ネタ そうですね。そっちの方が感覚は違う。意地悪ともやっぱりちょっと違うっていう。やり返しですからね。
やり返しじゃない行為も含まれるから、もっと含意の広い言葉として悪意が多分チョイスされてるとは思うんやけど。
そういう悪意、広い意味での悪意っていうのを、どんな原因で生まれているのか、どういう要因で生まれているのかっていう観点を探りつつ、進化の歴史の中で一見すると合理的でない行動が自然到達によって到達されてこなかったのはなぜなのかということ。
もちろん進化論なんで、これが絶対正しいという話ではないですが、こういうことが考えられるんではないかということを本書を考える。
悪意の行動の影響
なぜ考えるかっていうと、現代において非常に悪意的な行動っていうのが影響を持ちやすくなっている。
特にインターネットとかSNSを見れば特に顕著なんですけど、それが悪意が行き過ぎると困るよねということで。
なぜ困るかっていうと、人間というのはむしろ協力行動によって反映してきたと。
これゴルゴさんの読書メモにもあったんですけど、Humankindを真っ先に思い出したんですが、これ読んで。
真逆のことを言っているようなんですね、Humankindと。
そういうふうに言えるかな、ホップズとルソーの現代版みたいな感じですよね。
人間とは協力関係、素では協力関係だけどもっていうところで、でもこっちの方では人間と悪意はあるよねっていう話で、反対のことを言っているようで。
後半あたりでは結構、ある種同一的なことを見ているかなというところが全体的な印象でした。
上の方から順番にっていうので、第1章が、たとえ損しても意地悪したくなる。
このさっきも言った、例えば99と1だったら断る人多いかもしれませんけど。
これ感情として、それだと理解できるんですよね、確かに。
70対30、これもあれかな、60対40のオファー断るか断らへんぐらいかみたいなことはちょっと人によってぶれると思うんですけど、
そういうような自分の取り分を決定っていうことは、チンパンジーはしないという話がまずありまして、これ結構面白かったんですけど。
1でももらえるなら、100ドルだとして100ドルを2人で分けて、チンパンジーは1ドルでももらえるならもらうという、
チンパンジーはお金じゃないけど、そういう研究結果が出てくるんですよね。
だから全ての動物的本能というわけではまずないだろうということが言えるのと、
あと民族ごとにオファーを断る度合いが異なるという話もたくさん出てきまして、
1ドルでももらえたらだいたいどんなオファーでも受け取るという人が多い民族もいるという話も結構面白かったですね。
なんか文化と同時に経済環境とかもかなり悪意に関係するっぽいですよね、これの書いてあった漢字で言うと。
だから例えば99ドル相手がもらって自分が1ドル断るなんて当たり前やろうという漢字があったとしても、
それは別にある種文化的、史的なものであって、当たり前というか、自分の背景にある文化が影響してるんだなって思うことは、
ちょっと自己理解の解像度を高める効果があるなっていうのと、
あと酔っ払いの方が断る率が上がるというのも結構面白い話で。
人間の本能は悪意を持ってるって言えるってことなんですよね、それを考えると。
だから悪意っていうか、仕返ししたくなる気持ちはある種、人間という生物の本能的に深い部分にはあって、
断らない人はその本能を抑える力があるのではないかという話もありましたね。
断らない人は、そうですね。
本能的に断りたくなるけど、もらっといていいじゃんって感情を上書きした行動が多分判断できるようになっている可能性がある。
これはちょっとわからないですけど、脳の中の話なので、そういう可能性があるみたいな話もありました。
中盤とか後半とかに出てくるんですけど、悪意というものを発露するにはやっぱりある程度のハードルがあって、
そのハードルを乗り越えないと、やっぱりなかなか悪意は出せないみたいですよね。
だから本能的であっても、そこに抑制の何かが僕らの文化とかに含まれてて、そこで案外長尻を合わせているというところが多分あるのでしょう。
さっき言った不公平なオファーを断る人を追跡的に調査してみると、2種類のタイプが集団があると。
1つは平等主義。つまり相手とこっちはこの結果は平等じゃないからというのを断るというタイプと、
あと支配のためって言って、相手が自分よりも上にいることが耐えがたいから断るっていうタイプの悪意。
ここで悪意って呼ぶのも難しいですけど、悪意があると。
前者の方が反支配的悪意、後半が支配的悪意っていうふうにベクトルが全く逆かどうかしらけど、
異なる2つの悪意の発論の仕方があるということが第1章の後半で確認されます。
面白いのがめっちゃ乱暴な言い方をすると、正義の心も悪の心も悪意になるって感じなんですよね。
そうですね。そういうことです。
自己家畜化による悪意
例えばオファーを断ってる人がいたとして、その人が正義方向を向いているのか悪方向を向いているのかはその段階ではちょっとわからないということですね。
戦う系の人ですよね。やっぱりその後の方にも出てくるけど、
アドレナリンじゃなくてテストステロンとかがいっぱいある傾向の人が悪意を持ちやすいとか、
男性性が強い人が悪意というものを持ちやすい性質があるっぽく、
一概に悪意という言葉を日本語での悪意にしてしまうと悪になってしまうんだけれども、
正義の行動もその悪意だっていうところが結構気をつけないといけないというか重要なところな感じがして。
それはそうだと思います。
これも後半話なんですけど、結局大元はもしかしたらただ単なる意地悪な反抗的なものをやったのが、
その中にあったものが美徳として芽生えてきたというような道筋があって、
根っこは一緒かもしれませんね、結局ね。根っこは一緒やけど、
周りの環境とかによってそれが正義的な機能を持つこともあるし、そうじゃないこともあるという場合もある。
人間って結局平等主義なのか権力思考なのかどっちやねんということはなくて、
どっちもなんですね。どっちも持っているし、あるパラメーターが強い人もいれば弱い人もいるし、
ちょうど中間ぐらいの人もいて、そういう人間のモザイク的な性質を抑えようというところは、
第2章でちょっとだけ触れられておりますね。
男女平等と共感の影響
まああれですね、進化論の話で言うと、人類というものが自己家畜化という言葉で、
基本的には牙を抜かれて育っていき、生物的にもあれですよね、男女の何て言うんだろう、
個体差とか、大きさの違いとか腕力の違いっていうのの違いが大きいほど、
オスが力を持っている傾向があって、
人類はどうやら自らそういうのをできるだけフラットにする方向に進化してきているっぽい感じで、
ゴリラとかはあれですよね、思いっきりオスメスの差がでかい、
霊長類全般ではないか、特にサル系統のやつは割とオスメスの差が大きい中で、
人類は多分おそらく一番差が少ないんじゃないかぐらいの意味で、
やっぱり牙を抜かれて育ってきているので、一般的には悪意というものは、
そうやって考えるとこれからも減っていくわけではないか、
でも人類にしかないものだからそういうわけではないのか。
難しいけど、自己家畜化の流れは相当長い期間で進んでいるから、
ここ数年数百年でどうということはなくて、逆にテクノロジーの進化が早いから、
生物的にこうというのと、僕らの日常がこうという方向性が反対を向いていることは多分あると思う。
長期的に見たらもっと自己家畜化が進みつつも、
短いタームでいうと非常に悪意が発露されやすい環境で生きていくっていう分離はあるんじゃないかな。
そういうことか、あとこれを読んで思い出したのが3体なんですけど、
3体のシリーズ3だったと思うんですけど、そこで未来が出てくるんですけど、
そこまでならネタバレじゃなく大丈夫ですよね。
たぶんね。
未来の人たちっていうのが、男性と女性の区別がつかんくなっていたっていう話が出てきてて、
すごく悪意の話とかと絡めて興味深いなと思って、
人類がますます男女の差がなくなり、攻撃的ではない生き物になっていくのが、
同時に見た目にも現れてきているっていう感覚と、
さらに俺たちの世代から見て若い人たちが、印象なんですけど、
中性的な格好とか見た目をしている人が増えている感覚があるんですよね。
確かに。
そういうところで、すでに3体はもう未来に行っているというか、
そういう世界が現れ始めているっていうのも、進化論と文化的に興味深いなと思っていて。
まあそうだね、確かに。
男性性をアピールする文化的必要性が下がってきているという小差で、
それはだから男性性を誇示しなくてもいい。
でも誇示したら逆に損という逆の合理性があるのかもしれないけど、
中性的であることのメリットがあるのかもしれないね、もしかしたら。
イジュアルの話とはちょっと話がずれてきて、
そのあたりは読んでてすごい思ったんですよね。
こういう悪意というか、男女が平等という言葉が一般的になってきて、
そこから人は悪意がなくなると性差みたいなものもどんどん減っていくんだなっていう。
さっきのように平等主義の方が強いという感じ。
反支配的、支配的悪意が少なくなってきているということかな。
ヒエラルヒを作らない方向、壊す方向に動いていく。
でもこれでも言われてるんですけど、
ヒエラルヒを作るということは暴力的攻撃的支配ではないけど、
社会的支配、つまりこの社会を維持しましょうという形の支配が生まれているということで、
そこからの逸脱が難しくなっていく。
それが良いことかどうかは別として、逸脱が難しくなっていく形の
フラットであれっていうことは一つの命令なわけですから、
それも一つの社会の方向性を作って、
そっちの方が理想とかではなくて、一つの方向を形付けているんだなという感じはします。
そっちの方に行くと、今度は風光な感じがする。
我々は監視社会に向かってきているっていうのが、
今になってこういう方向でも現れてきているんだなっていう感じがするし。
究極の自己価値化を完全に達成した姿がそれなわけで、
それでもいいということもあるでしょうし、
いやそれはということもあるでしょうから、
まだ価値判断が残っている話ですけど。
だから人間には2つの支配を求めるものと、
支配に反発する平等の方向があって、
ヒューマン・カインズは平等の方向をもっと重視しましょうという話で、
こっちは反対のものも人間の一つの真理としてあるよと述べているという感じで、
結局、反支配的行動、不平等は良くないっていうのはなぜかというと、
やっぱりそうした方が能的に快だからですね。
正義を守るのは気分がいいからだという表現がありますけど、
結局どっちにしろある種の本能的なものに駆動されている、
一見理性的に動いているように見えて、
でも実は道徳的感情心に動かされているということは、
多分その逆側の悪意とも結局変わりないなというところは指摘されてますね。
正義の行使はコカインと同じぐらいの快楽だというふうに本だと書かれていて、
それは恐ろしいよなって思うし、
やっぱりちょっとわかる部分はあるんですよね。
それはもうわかります。
なんかその悪そうな人がツイッターの、
それはこいつどうにかせんとあかんでしょうっていう感覚はめっちゃわかる気がするし。
やっぱりそういうの自分から見た時に、
間違ったとか謝ったツイートを見た時に、
ついそれに対してコメントしてRT、
いい人形をRTしたくなる気持ちが最初に浮かんでくるというのは確かにあって、
それは押し留めないとツイートされてしまうでしょうね、きっとそのまま。
そうですね、そういう意味でも、
多分それは同じインターシフトの意思力の話とかとも関わっていて、
悪意をずっと抑えるのはきっと大変なんですよね。
おそらくはね。
となると理性的にじゃないな、
平和に良い意思力を良いことに使うために生きていこうとすると、
SNSと距離を置くのがやはり賢い方法なんだなっていう。
目にしないっていうのが一番簡単ですよね。
それは間違いない。
それとは別に自分に起きた意思力をどう使うかのトレーニングもちゃんとしておいた方がいいなという、
無自覚に悪意と接しない時間が長くて、
急に悪意にさらされた時に、あるいは自分の悪意が湧き上がってきた時に、
どう対応していいのかわからないと結局感情に流されてしまうので、
訓練の場として使うというのはおかしいかもしれませんけど、
部分的にそういうことをやっておくのは良いかなという感じかな。
そうですね、現代人が無菌環境に置かれすぎてしまうみたいなのは、
同じく現代で生きていこうとすると結構気をつけないといけないことですからね。
急にそういうところに放り込まれてっていうことが起こり得るのでね。
あと本章、第2章で、
知覚的非人間化というちょっと小難しい言葉があって、
簡単に言うと、人とは思えなくなるということなんですけど、
これは要するに、軍隊とかで敵をエネミーと呼ぶような感じで、
人間と思わなければ、より感情が発露されやすくなるということはあって、
いかに相手のことを人間だと思うことが、
報復的行動を抑える一つの鍵にはなるんだろうなとは思います。
どうもあれですよね、
共感という感情が悪意と反対側を向くっていうのか、
共感できる相手に対しては悪意を持ちにくくなり、
逆にその共感が下がってしまうと、
その悪意を発露させやすくなる。
さらにその不公平な相手とか、
そういう人に対して人間はその共感が下がってしまうっていうものがあるし、
さらに悪意がある人はもともと共感性が低い傾向があるっていう風にも書かれているので、
ここもビッグファイブとかを見てみると面白いというか、
共感という方向からも悪意のことを結構考えることができるなと思っていて。
なるほど。
ここら辺が2章の話で、
他人を支配する悪意
第3章がさっき言った他人を支配するための悪意、
支配的悪意の話で、
ごく簡単に言うと悪い人のことなんですけども、
悪いと言うとあれですけど、
平等主義のためというよりは自分が相手よりも有利に立つ。
しかも相対的に有利になるために、
さっきの悪意のある意地悪な行動を取るという話があって、
たぶんこの章だったと思うんですけど、
あるゲームの話があって、
3つの選択肢からどれを選びますかというのがあって、
持っているポイントが一番大きい人が勝ちというゲームで、
あなたが520ポイントもらえてみたいな選択肢がいろいろあって、
1つは自分が一番大きいポイントをもらえる。
もう1つは相手と自分が同じポイントをもらえる。
最後は一番多くもらえるポイントよりは少ないけど、
相手がもらえるポイントがめっちゃ低くなるという3つの選択肢があって、
僕の考えからすると1個目と2個目は分かるんですよ。
1つはゲームは平等に進めようというのがいいと考える人は、
真ん中の選択肢よりも。
真ん中の半々を選ぶんですよね。
自分が圧倒的に勝つと言うなら、
自分が最大ポイントをもらえるのを選ぶはずですけど、
3番目ってものすごい中途半端なんですよね。
ゲームの戦略的に考えても。
大雑把に言うと1番が500と300で、
2番が400と100みたいなイメージですよね。
でもそれを選ぶ人が一定数いるという話が聞いて、
ここまで選択肢に対する考え方が違う人がいるんやなと思って。
これこそ自分が得しないけど選んでるわけじゃないですか。
そのゲームのルールを知ってた上でそれを選ぶとしたら、
勝つためじゃなくて相対的な有利感を得たいがために
その選択をする人がいるんだなというのが本当に驚きでしたね。
同じく自分もその感情が理解できないというか、
そういう感情はあんまりないというのが理解できると、
悪意の意味と進化
同時に資本主義って大雑把に言うと3番じゃないですか。
相対的な有利を取る。
相対的な有利にみんなが資本を注ぎ込もうとするというのかな。
エネルギーを注ぎ込もうとするというのかな。
自分が得られる絶対的な価値というよりは他人と比べて
どうかに注力してしまうという。
さらにそこを煽ることによってだいたい稼げる。
なるほど。
すごいね。ここはダーウィンエコノミーを思い出したんですよ。
思い出したね。
一番最初の人というのはある程度まで、
極論を言ったら、俺たち日本に生きていたら
コンビニバイトをしていれば、
食っていくことはできるんですよね。
いろいろ問題はあるけど、食っていくことはできるね。
いろいろ問題はあるけれども、
それをどこに置くかという問題があって、
3食お腹いっぱい食べられる以上のことを目指す必要はあるんじゃないかと言われたら、
生物の本能と遺伝子の乗り物的な意味で言えば、
ひとまずそこで目的は達成できているわけで。
ここで反論すると言うね。
そこが多分、繁殖に有利かというポイントがあるじゃないですか。きっと。
進化論的に。で、多分有利じゃないんですよね。
やっぱりそこで繁殖に有利なことを目指したがる人は、
やっぱり3番を選ぶってことですよね。それで言うとやはり。
だからあいつより俺の方がかっこよく見えるからっていうこと。
でもその勝負に勝つことも一つの性的アピールになるわけだから、
やっぱりゲームの捉え方じゃないかな、これは。
そもそもゲームというモデル化をしている時点で、
違うことはいっぱいあると思うんですよね。
基本主義がそういう傾向を持っているのは、
要するに競争心を煽りがちってことだよね、基本主義っていうのは。
競争心が煽られると、3番のような行動が誘発されやすいっていうのはあるかもしれない、要するに。
うん。
いやでもだから、そこ難しいところで、ある程度基本主義なところもあるけども、
でも文化的なところもあるのかな。
文化というよりはやっぱりその繁殖の心だと思うんですよね。
それを刺激されているというところはあるよね、きっと。
その感情が繁殖に有意に働いたので。
でもそうか、だからゲームを錯覚させてるっていうことかな、要するに。
わかった。
だってゲームを勝つのやったら最大ポイントもらった方がいいわけじゃないですか。
だから基本主義は。
でもゲームの勝ち負けをあれじゃないですかね、
オールオアナッシングで判断するとは限らないので。
特にその生存競争においては。
確かにね。
そのNFLだったら勝つと負けるでオールオアナッシングなんですけど、
例えばで言うと、こう作るで言えば100と1でも1獲得できる可能性はあるので。
もちろんね、総取りではないけど、だから総取りであるかのような錯覚も生んでるんじゃない、ということは。
総取りでないから、少しでも自分が多くなるようにするんじゃないですか。
そうかな、逆の気がしたけど、むしろ行われてるゲームがもっと短期的なものとして捉えられてるんじゃないかな。
だからこそ、その細かい際の方に注意が向くようになってるっていう。
子孫を残す人数で言うと、ゲームのポイントが生まれる子供の数だとするならば、
500対400で子供が増えるパターンと、400対100で子供が増えるパターン。
400の人がどんどん増えていくと思うんですよね。100をどんどん到達していく。
500対400を選ぶ人は相対的に増えにくいというのか。
となると、そういう悪意を持った行動というのは、長い目で見て数が増えるのは400対100を選ぶ人なんじゃないのか。
そうか、だからさっき言った、ゲームで一番勝ちそうに見える、一番多いポイントをもらえることを選ぶのは、実は理性的な判断なのか。
理性…
対局を見ている長期的なスパンで、その戦略を考えているわけやん、きっと。
結局分からんのが、1回で終わるゲームと考えるのか、何回も続くと考えるのかっていうところがあるんですよね。
だから1回で終わるゲーム的に僕らは処理するんじゃないかな、なんとなく。
500対400を選ぶ…分からんな。
ここ難しいな。
やっぱりゲームにしている時点で分からんことが増えるので。
とにかくそういうふうに、僕から見たら考えられない選択肢を取るある集団というかグループがいて、
割合的にこれもたぶん統計の取り方になって変わるんでしょうけど、5パーから10パーぐらいはいるという話で、
つまり100人いたら10人ぐらい、10人いたら1人ぐらいはそういう人たちが紛れ込むというか、入ってくる可能性があると。
だから5人いても、
小学校のクラスで3人ぐらいいるってことですか?
ぐらいはおそらくいるし、おそらくうん、なんかそんな感じはするよねと。
あー、そっか。確かに言われてみるとそんなぐらいの感じはするな。
2、3人ぐらいちょっとそういう意地悪な人はいたよなという感じは。
意味のない意地悪を抱える人たちですよね。
ほんとそれ何の役にも立たんくねっていう。
自分が相手より優位に立つっていうその感情を保持するためにそういうことをしている。今考えたらそう分かるわけですけど。
でも逆に言うと、たとえば5人集まったら2回に1回ぐらいはそういう人が混じるってことですけど。
逆に言うと3人ぐらいだったらそういう人が全くいないグループが成立しやすいってことですねきっと。
そこは多分結構小人数が好まれる理由で、大人数になるとちょっと困ってくる一つの理由なんかなとはちょっと思いました。
これのちょうど後半に出てきた話ですけど、最後通帳ゲームを使って進化論でどういう生物が生き残っていくか的なやつ。
悪意がない人しか残っていないと集団が絶滅してしまうということですね。
そのために結局大きな集団3、40人いたらもう2、3人はいるんだとしても、そういう存在がきっと重要だったんですよね。
おそらく昔はそうやったと思います。
競争と悪意
多分今でもそうなんじゃないかと思うんですけど、脆弱性が高まってしまうという。
もちろんわかります。ある種のチームとして、継続的なチームで成果を上げるときに、そういう人がいることがそこで行われる行為の規範性を強めるということ。
多分この本書の後半で書かれてますけどはあったと思いますね。
でも逆に言うと、ある種の競争に勝つためのグループの作り方であって、
例えば人生を生きていく中で仲のいい友達を作るっていうことだったら、3人ぐらいのグループでいいんじゃないかなというふうには思うわけですね。
そうですね。同じような感覚で言うと、例えば自分が会社組織に所属しているとして、自分が10人のチームを作るんだとしたら、そういう悪意を持つ人は1人もいてほしくないけれども、
1000人の会社だったらやっぱ50人とかはそういう人がいないと困るなというのは理解できる。
そういう規模感で言うと確かにそういうことがある。
でもやっぱ社会で生きていくためにはそういう人をどこかで認めないといけないし、運が悪ければチームを組んでしまいますからね。
やっぱその啓蒙主義観点から言うと、そういう人たちって幼い扱いをされるわけですね。
他人に迷惑をかけるような人間は劣ってるとして扱われるわけですけど、
このシンカロン的考え方をとると、そういう人たちもちゃんと意義があるというか意味があるとして捉え直せるんで、
より民主的な考え方に至れるもんだなとは思うんですが。
そうか、こいつほんとクソだなって思うんじゃなくて。
そういう役割があるんだなと思い直せれば、逆に僕が相手に対して共感を持てるようになるんじゃないかなとは思うけど。
そうですね、俺はそこまで今話すまで考えてなかったかも。
この本の行為はシンカロン的に意地悪な行動を再評価するという意義があるかなと。
悪意の存在と意味
もう一個、ここから10%の人たちって、面白いんですけど、競争するかどうかの選択があった時は競争に参加しないけど、
一旦競争に参加したら、ものすごい努力をしてだいたい上位にいるという話もあって、
簡単に言うと負けず嫌いなんでしょうね、基本的には。
だから、負けるかもしれない競技には参加したくないけど、一旦参加したとなったら、それが人も勝つっていうタイプ。
暴走すると結構危ないタイプですけど、ある種の原動力というか、エンジンになるタイプの人でもあるんだろうなという話が第3章でした。
俺、この前のアフタートークで話した俺がめっちゃそんなタイプだったじゃないですか、そういえば。
だから、そういうとこやったんじゃん。で、どっかで変身かどうかしないけど、ちょっと変わったか、今でも内側にそういうのが根付いているのが。
そうですね。やるからには勝ちたいと思っていたし。
そうやな。で、変えたゲームやったら諦めるっていう感じ。
うん。
で、今は多分だから、そういう勝ち負けにこだわるのがだいぶ減ってきてる、なんかしてきてる。
減ったと自分で思うんですよね。
うん。
結果的に多分相手に対して悪意ある行動とか意地悪な行動を取らなくなってきたんじゃないかな。
ああ、ということも言えるのかもですね。
だから、そのようにやっぱり同じ一人の人間であっても、その絶対的な性質とか変わらない性格というものじゃないんだろうなというのは言えそうですね、ということは。
うん。言われてみると、その悪意っていうのはあんまりないかもしれないけど、なんかスパイトみたいな感情って言われると、結構自分はあるのかもなっていうふうに今話しながら思えてきましたね、そう考えると。
まあだからその、特に若い頃はその、前頭腰がうんぬんかんぬんで出やすいのかもしれないけど、こう、そういう行動が前に出やすいのかもしれないけど、まあ変化もしていくだろうというところですね。
第4章が、悪意と罰が進化したわけということで。
ここが面白かったですね。
いろいろな話があって、その悪意っていうものは、ここまでの途中では悪いことが多かったけども、実は結構いろいろな形が、機能があって、今の形になったんじゃないかという話が結構たくさん出てくるんですけど。
どれかな、メモは結構あるんですが、えーと、その、なんやろな。
ウィーラム・ハミリトンによる立派的行為の進化的な説明というのがあって、悪意を向ける相手を選んでるというか、例えばその血縁関係の距離によって悪意を向けるかどうかを決めているし、それが一つ重要な情報になってるみたいな話もあって、
これ、自分たちと違う見かけの人に悪意を向けやすい一つの理由だなと思うんですけど、例えば髪の毛の色とか肌の色が違うと、血縁関係である可能性はギュンって低くなるわけじゃないですか。
ということは、それは当然外国人に対して悪意を向きやすくなるよなというのはちょっと思いますね。
あれですね、あの大きく出てきたのが、その血縁関係とか自分に近い人に利益をもたらそうとするための、そのウィルソン的利益っていう書かれ方をしていたものと、競争相手の邪魔をしようとするハミリトン的悪意というものがあって、その悪意を持つ、悪意な行動というのは個人、個体として見るとデメリット、
進化論的な予測
デメリットだらけなんだけれども、悪意によって身内が得をすれば結果的にその自分たちの仲間が増えることになって、それによってその人類全体で悪意を持った人が今でも残っているんじゃないのかっていうその予測、進化論的な予測ですね。
ウィルソンとハミリトンは悪意じゃなくて、利他的行動。
つまり、例えば動物とか昆虫とかが自分の身を晒して自分の血猿者を助ける、あるいは女王鉢を助けるみたいなことが、その一番最初の進化論では十分に説明がつかなかったけど、
個体の生存が重要じゃなくて、自分のDNAを残すこと、自分が持っているDNAを残すことが生物種にとって重要だから、そういう行動も一つ進化論で説明できるよっていうその包括適用度という概念を持ち出して、非常にクリアな理論として進化論を整えたわけですけど、これを使えば悪意も説明できるだろうというような話が中心でしたかね。
うん。昆虫界だとね、生殖能力がない昆虫っていうのが、自分たちの身内のために戦うっていうことをよくやっていて、人類だとそこはちょっと違ってくるので難しいところですよね。
確かに。だからここが単純な昆虫と人間との違いではあるけど、でも悪意っていうものの進化論的に十分説明がつく。その全体的な包括適用度とか長期的な利益をもたらすことが悪意ってあるから、その短期的に見て合理的、非合理的な行動をしているように見えて、実はそうではないのだと言えるっていうような話が一つあるのと、
あと人間の悪意っていうのが、感情による反応のばらつきがあるという話も指摘されてて、だから常じゃないんですよね。アルゴリズムじゃない。
人間の差がですからね、そこは。
あるときは悪意を返すこともあるし、返さないこともあるっていうその反応のばらつきが、実はその戦略として見たときに、実は有効。常に悪意を返す人よりも、適度にランダムに返す、あるいはその状況に合わせて返したり返さなかったりする方が、実はその戦略的適用度が高いという話もあって、
これアルゴリズムと人間の違い、だからアルゴリズムで悪意を絶対に持つみたいなことになってしまうと、それはそれでまた良くない結果になるから、人間のそのばらつきの一つの、これも進化論的な価値っていう感じがしますな。
これで言うとあれですよね、最後通帳ゲームをやってみて、悪意ある行動を100%の確率で罰してしまったら、その一族はやはり全部いなくなってしまい、じゃあ悪意ある行動を100%の話にしてしまうと、今度は悪意によって全体の利益が下がりすぎて、全く社会として、結局その種族というのもうまく生き残れなくって、
この中庸がやっぱり重要なんだ。2分の1ぐらいにしておいたらだいたいうまいこと言った?
そうですね、だから戦略、ゲーム理論で言うと、その失平返し戦略というのが一番効果的だという話はあったんですけど、もっと単純にその感情によるばらつきっていうのが戦略を最適化しているんだっていう話は面白くて、でこれ間違えるのっていう話本も紹介しましたけども、
人間も結局そういう確率論的な振る舞いをしてきました。そういうのを持ってて、それに合わせた社会の構築がなされていると考えれば非常に調和的な結果だなと。
確率論だったのがうまくいったんですよね、たぶん結果で言うと。
それがたまたまうまくいくものができてしまったから、このパラメータをどちらかに寄せてブレないほうにすると、むしろ戦略的適応性が失われるだろうなという予想はこの本には書かれてないですけど、ちょっと読みながら思いましたね。
あともう一個近いところで思ったのが、さっき言った血縁を識別してハミルトン的悪意を持つ生き物っていうのがいるらしいんだけれども、生物界全体で見るとそういう存在って非常に稀なものでほとんどいない。そこが人間界で言えば5パーから10パーぐらいいるって言えるわけじゃないですか。
そこは人間という組織の特殊さというか、変わったところというか。
集団的生活、現代が特に集まって生活しすぎてるからかもしれないけどね、もしかしたら。
なんかひょっとしたら、集団というか密集度が高まったことによって、そっちが重要、より重要になってきた。
ということはあるかも。
可能性としてあるんじゃないのかなっていう。
結局、誰か悪いことを、逸脱したことを、逸脱する行為を誰かがして、それを誰かが罰することをしたら、その人たちの周りの人たちが自分の規範性を新たに強化することにつながるから、
長期的に見て、その集団の行動がより全社会にとって有用なものになっていくっていうことが起こり得るので、
その悪意っていうのが価値があるという説明で。
だから難しいところで、だから悪意を持ちましょうっていう話ではないんですけど。
悪意ある発言があったとしても、そこにはちゃんと適用的な理由があるし、
実際、原理的にそうでしょうね。
誰も何も言わない会社って働いててハッピーやけど、どんどん規範が多分崩れていくでしょうから、
嫌なことを言う役割を誰かが引き受けなければならないということは言えるでしょうね。
そうか。嫌われ役という言葉は、スパイとに近いようなニュアンスのポジションになるってことか。
こんなことを言ったら、こういうふうに雑な意見を言ったら、
あいつがめっちゃめんどくせーこと言ってくるから、どうにかせんとあかんなって先回りして準備することとか、
そういうのにも意味があるってことですもんね。
一応、それを積極的にするかどうかは別として、
一応そういうことを言う人がいても、ある種貢献してる部分はあるというふうには捉えられる。
大きな組織であればあるほど、ちょっと前まで大企業って非効率で本当こういうのってどうにかならんのかなって思ってたんですけど、
たぶん集団が大きくなればなるほど、やっぱ効率を100%にしたら、
脆弱性が高すぎるというか、冗長さがなくなる、柔軟さがなくなるので、
いろんな役割のそういう極労できない人とか嫌なやつとか悪いやつっていうのが大事なんだなっていうのはちょっとわかるようになってきたんですよね。
そうだね。ある種の生態系として捉えたほうがいいという話があって、
でもこの最後の方に人々は明らかに報復のために行動している場合でもそれに気づいていないというのがあって、
それはそうなんだろうけど、さっき言った意地悪なことを言う人、会社の中で、
意図的に引き受けている場合は別としてそうじゃない人って、自分は心の中ではみんなのためと思って言ってるかもしれないけど、
実際そうじゃなくて、ただ自分の嘘話をしていることが多いけど、結果的に会社の規範を向上させる役に立っているという、
その意図と結果のずれが起こり得るのがこの悪意の面白いところですね。
最後の方に、戦略として悪意をちゃんとうまいことコントロールしようって話が出てくるんだけど、
やっぱりわからずにやってしまうと、その人自身はあまり幸福ではなさそうな気がしますよね。
心理的悪意の使い方とコントロール
周りからどう扱われるかに違いがあるでしょうね。これちょっと面白い話が第4章でした。
あとね、その心理的悪意っていう言葉がなかなかいいよなと思って、
周りに、お前俺に攻撃してきたらどんな目見るのか分かったんだろうなっていう、
そういうのを見せつけておくことで、悪意がかかってこないようにすること?
そうやな、バリアーとしての悪意。
ヤクザが怖い格好をするのは多分そういうことだと思うし、
悪意っていうよりも、スパイトではないのか、
これ最後に出てきた悪意をちゃんと理性的にコントロールして、
重要な場面できちんと使えるようにしようっていうことを踏まえた上で、
この心理的悪意って大事だと思っていて。
これが難しいところで、いつでもこれを張ってればいいかっていうと、
そういうわけじゃなくて、例えば僕とゴリゴさんのこの間で
心理的悪意を発露されても困るわけじゃないですか。
だから言いたいこと言えなくなってしまうわけじゃないですか、その場合でいうと。
よくインターネットをフル株の人が、
Twitterとかでものすごい怖い感じでやり取りする人がいて、
でも実際会うとむっちゃ優しい人なんですよ。
話を聞くと、わざとやってると。
SNSでそういう態度を取ってると変な人に絡まれなくなるからという話を聞いて、
おお、なるほどと思って。
インターネットっていう悪意に集まりやすい場所やから、
その心理的悪意っていうのを発動させてんねんなと思って。
だからそれこそ使い分けですよね。
うまく悪意を使ってるという感じがしましたね。
コストが低いところでは悪意が発露しやすくなるので、
自分という個人に対する悪意を向いてきにくくするようにするために、
心理的悪意を見せつけて攻撃されないようにする。
そうじゃないリアルの場合では、むしろ面と向かっての場合、
さっき言った共感性が生まれやすいから、
人の悪意ってなかなか表に出てこないんで、
別に心理的悪意を使う必要もないっていう使い分けがなされているんで、
非常に合理的というか、うまいことやっておられるなというのは感じましたね。
この辺りをうまくコントロールできるようになるというのが、
この本の一番役に立つ度合いっていうか。
そうですよね。最後のところが実用的な側面ではありますね。
興味深さだけではなく、この辺りを理解しておけば、
うまく使えるっていうのかな、人間関係に。
ヤバいこと言ってくるやつは、のさばらせておいてはダメで、
自分に関係ないんだったらいいかもしれないけど、
お前、俺の方に攻撃してきたら絶対やり返すからなっていうのは
ヤバいやつに知らせておかないといけなくって。
どう使い分けるかっていうところですね。
道具としての悪意っていうことですね。
道具としての悪意の使い方をきちんと身につけておくことで、
特に大きい集団になればなるほど、活用できる場面は増えてくる感じはして、
学校の怖い先生とかも言ってみたらそういう感じですからね。
でもあれは多分ただ支配的な悪意だと思うけど、大半は。
ひょっとしたらあれなのかな、支配的悪意で勘違いしてしまうんかな。
そうやと思う、きっと。
心理的悪意を使いすぎてしまうと、心理的悪意に乗っ取られる。
人格がそっちに寄ってしまうということは多分普通にあると思う。
だからそれこそ道具として意図的に使うべきところを使ってっていう、
意識的な言い分けがないとそうなってしまうと思う、きっと。
難しいところですね。
だからやっぱり使わないと個体としても困ることはあるんだけれども、
使いすぎてしまうとやはりもっと困ることになる。
意識して使おうという話が一つの結論にはなるかなと思いますね。
第5章が理性に逆らっても自由でありたいという話で、
自己決定理論とかっていう話が出てくるんですが、
僕はこの章を非常に共感した章で、
要するに合理的なこととか。
そうですね、一番ラスターさんの悪意が発露しやすそうな理由ですよね。
何かこう言われたときに、合理性とかっていうのを決定付けたときに、
確かにそうかなと思っても反対してしまうというようなことをして、
自分が決めているという自己決定感が崩されるから、
実存主義的悪意という表現が出てきて、すごい名前だなと思ったんですけど、
僕はこれ結構持ってますね。結構多めに持ってます。
面白いのが、自由が脅かされたときに戦いを選ぶっていう、
ブレイブハート効果っていう名前をつけていたりだとか、
実存主義的悪意や自由意志
さっきの実存主義的悪意っていう名前をつけていたりとか、
結構この本、ネーミングが多いような気がして、
分かりやすくていいというか、感情とか行為に名前をつけておくというのは、
やっぱり解像度を上げるために良いことだと思うので、
上手いなって思うんですよね。
だから、以降多分僕が似たような感覚を覚えたら、
これは実存主義的悪意やっていうふうに再解釈できるので、
そういうネーミングは重要かなと。
あと第5章で、自由意志があると信じるかどうかによって、
その人の規範的な行為の量が、度合いが変わってくるという話があって、
これ結構切実な問題なんですが、
僕は自由意志があると思っている派ですけど、
ゴリゴさん、どっち派ですかね。
自由意志が、人がってことですか。
そうですね、人間が。あるいは自分がでもいいですよ。
そこはね、疑いなくあると思っている系ですね、自分は。
でも一応、脳科学系の本を読んでいると、
自己決定というのは錯覚であるみたいなことを論じている本も多いわけですが、
それでも送れないですか。
うーんとね、今のところ自分が勉強した範囲では、
やっぱり全然負に落ちないというのかな。
それはそれで面白い意見だと思うけれども、
自由意志という言葉の、あんまりそういう感覚ではないんですけど、
自分で考えて決めているという感覚というのは、
どう理性的に考えても消せない?
そうだね。
実感としてあるのは消せないというのはもちろん確かで、
僕はそれは断言で言いづらかったですけど、
この本からすると、
その感覚を持っていることそのものが、
実際の行動とか決断に影響を与えているというところで、
僕は援軍になるかなと。
これはよく論じられている話なんですけど、
自由意志があると思っていることで、
ある種の規範性が保たれる。
その規範性がいらないと言うんだったら、
もちろん自由意志もいらないと言ってもいいと思うんですけど、
社会性をある程度持ちたいのであれば、
他人に対してある程度失礼のない行為をしたいのであれば、
自分がその行為を選んでいるという感覚を
持っておくことが大切だなというところでしょうかね。
プラグマティズム的な話で言うと、
そうなってくるよねってやつですよね。
あとはやっぱり面白かったのが、
そこに出てきた我々の理性というものが、
そもそも間違えていることって、
すげえいっぱいあるから、
その理性的でない行動の方が結果として
理性的なこともあって、
さらに反発心というものが、
クリエイティブな心を刺激するので、
実存主義的悪意に関しては、
結構全般的に褒めているというか、
推奨とは言わないんだけど、
意義があることだっていう感じの言い方をしているのが
面白いなと思って。
神聖な価値と悪意
あんまり否定的なことは書かれてなかった気がするね。
勝ち目がない状況だとして、
合理的判断で言えば、
諦めるんですよね。
これも悪意という言い方をしているんだけど、
多分スパイトだと思うんですけど、
そういうスパイトという感情があると、
新しい解決策も見出せるかもしれないし、
そんなことは不可能だって言われると、
かえって無機になってやって実はできてしまうとか、
すごく機能している気がするし。
もちろん何くそでやったことが失敗することも
大半あるわけですが、
クリエイティブって10回やって1回成功とか、
100回やって1回成功のカテゴリーなので、
こういう心を持てないとクリエイティブには至れない
ということは言えるでしょうね。
人間が空飛んだのとか、絶対こういう感情なんだろうなって思って、
そりゃそうだね。
そんなできるわけねえって言われて、
絶対この気持ちがあったと思うんですよね。
おめえそんなこと言うんなら見とけよっていう感じで。
そういうある種の見返しを、
だから相手に攻撃するんじゃなくて、
別のベクトルに向けて行動したら、
うまいこといくっていう感じなので、
これも力の使い方の問題でしょうね、きっと。
人間とは理性的な存在ではなく、
機械であることを拒否しようとする、
機械のようなものだっていう言い方もしていて、
これもまた面白いなと思いましたね。
だから人間は自分のことを機械と思っていない機械というのが、
ねじれた感じで面白くて、
でも実際その通りでしょうね。
ある種僕らは圧倒的に機械的反応的なわけですが、
そう信じていないことが多分意味があるんでしょう、きっと。
そこがっていう話ですよね。
第5章が、第6章か、
悪意は政治を動かすの話で、
これアメリカの政治の話というかほぼ、
なんでトランプが勝っちゃったか分析ですよね。
ここはもとましまして、第7章が、
神聖な価値と悪意ということで、
宗教的な観点と悪意の話で、
ここも結構いろいろあったんですよ。
ここはね、重かったというか、
重かったですね。
特にある種の神聖な価値を怪我された人が、
自爆テロに至るというようなことが、
中盤あたりかな、かなり語られていて、
今現在でも戦争って行われているわけですけど、
平和なここで生きている僕らにはちょっと距離のある話で、
でもどうか日本人はあんまりここまでの神聖さっていうのを
心の中に抱くことは少ないかなと思いましたね。
そう、なんか、
これは宗教の悪い側面のような気がしてしまって、
日本という国が宗教的に薄いことで、
そういうのって起こりにくいんじゃないのかなと
やはり思ってしまうんですよね。
うーん、もちろん神聖なものを信じることによって
救われる心もあるから、
恋の裏表ではあるけど、
まあ、どう言ったらいいかな。
すごく悪いところは、
すごい救いのあることは、
逆のことも起こしてしまうということはあるでしょうし、
もちろん本書にも書かれていますけど、
宗教にただしている人が、
神を信じる人がいきなり自爆するわけはなくて、
置かれている環境の悪辣さとか、
この世界のありように対する不公平さがあって、
その感情を刺激するような何かとか、
あるいは宗教団体からの教えとか、
あるいはそこで築かれるカルチャーとかっていうのが、
どんどん後押ししていく。
それを強要するのが、もちろん神聖さを怪我された時に
悪意のコントロールと社会的問題
起こり出る怒りなんですけど、
自爆テロと宗教が即イコールになるわけではないという点は、
確認しておきたいところかなというところですかね。
テロとか一般的に貧乏でもなくて、
高学歴で、いわゆる賢い人たちがやってるっていうふうに
言われているんですけど、
日本のオウムとかもそうでしたからね。
おそらく何かこの社会が、
そういう人たちに対して提供できているもの。
特にさっきの話では共感性が薄いかな。
共感的な物語がそこの層には薄く、
不平等、
理性的に行動していたら不平等とかって目につくわけですから。
よく。
これが怒りを刺激していくということを、
どうなんやろな、
例えばずっと家に行くか、
家と会社の往復して、
家帰ったらずっとアニメだけ見てると、
なかなか自爆テロを起こしにくいような気はしますが、
それがいいのか悪いのか。
でもこれに出てきたので、
社会的な疎外というのが、
あらゆるものを神聖な価値にしてしまうとか、
アイデンティティの融合によって、
神聖な価値が生まれるっていう言い方。
仲間のためなら、
まさに悪意の、
ここまで出てきた話の全部のまとめに、
みたいな感じになるんですけど、
仲間がより良い生き残り生活をできるようにするために、
自らを犠牲にするということができてしまう。
それってアイデンティティの融合、
仲間を作ることで、
社会的に疎外されることで、
アイデンティティの融合を上手いこと活用して、
苦難を共にして一体感を得て、
暴力に神聖な価値を生んでしまうことで、
テロリズムが生まれてくる。
なんか簡単なもんじゃねえよなっていうのを
すごく思い知らされて。
かなり重層的に仕立てられるというと、
作り上げられていくというか、
育まれていくような、
育まれた悪意というような感じがするね。
一般的に大手メディアが報じるストーリーっていうのが
もっと簡単じゃないですか。
なぜテロをするのかって
アメリカに起こっているんだ。
イスラムの貧乏な人たちが
アメリカに反抗しているんだって言ってるけど、
少なくともそんな簡単なものではないっていうのが
何度考えても
簡単な方向に自分は
行こうとしてしまうんですよね。
分かりやすいからね。
そこがやっぱり難しいところだよなって思い知らされて
そこを悪意っていう観点からも
考えることができるようになる?
そうだね。だから悪意というものが
特にある種道徳的とか前的な
心の発路として生まれているものとして捉えたら
ちょっと風景も違ってくるような気はします。
というので、ここは重くて
非常に非常に難しかったですね。
一番社会的な話がここは含まれていた気がします。
そこまでが本章で最後終わりにっていうので
何回も出てきてますけど、悪意をコントロールするというのが
語られていて
悪意っていうのは別に完全に無駄なものでもないし
そもそも進化論的適用なのだから
怒るべき時に怒れというような話だと思うんですけど
怒り方の一つの手段として
悪意っていうものをどう使っていくか
必要な時には悪意を発動させることが
むしろ長期的に良いことにもなるというような
話が最後にしらっと語られてましたかね。
ここも面白かったのが多くて
まず前にらしたさんがどっかで言ってた
システム3が大事なんじゃないっていう
その認知のレベル
認知反射というものが
上達するっていうのかなと
怒りというものがコントロールしやすくなるので
バイアスというのはある程度理性で
どうにかできる部分があるっていう話だったり
あともう1個面白かったのが
気難しいタイプの人間っていうのが
傾向として悪意が大きくて
同時に創造性も高い傾向がある
そしてこれは一般に学問の世界では
還元されない性格である
特に現代ではね
そうだとすると非常に社会的問題だなと思うし
そうだな
これももちろん解決答えとか
うんうんっていうものではないんだけれども
やなやつだからどうのこうのという
簡単なことを考えたらいかんし
いわゆる最近のキャンセルカルチャー
悪意を持つ人々のエピソード
って言われてるのはほぼそれやけどね
人間性が伴わないと
芸術をしてはいけないみたいな
感じはあると思う
最近のコテンラジオなんかでも
よくそういう話とかをしてたりしたんですけど
いい悪いなんてそんな単純なもんじゃねえんだよ
っていうのを思い知らされるんですよね
ルソーとかってめっちゃ変態だったって言ってるし
ヒモでニートで変態ですよね
いろんなことニーチャモンつけて回る人やった
というような伝承があるね
シンドラとかって最初は
シンドラも人間的にダメな人だったみたいなのに
最終的にイスラエルの人々
ユダヤ人を多く救った
ということになっていたりだとか
それは悪意の話とかとはちょっと違うんですけど
社会的に見たときに良くないと
特に現代社会的に見たときに
良くないとされる特徴も実はあるメリットと
セットになってるというか
そのコインの裏でしかなくて
片方を削ってしまうともう片方も削れてしまうということは
ごく普通にあるでしょうか
特に数学者科学者は変わった人ないしは意地悪な人が多いというのは
多いというか
そういうエピソードをよく聞くっていうのはありますね
エピソードの一人歩きみたいなのももちろんあるでしょうからね
そこは難しいところでロックスターなんて
そういうエピソードを作らないと当時はスターになれんかったらしい
でもアインシュタインのエピソードの一つだけど
自分は人類っていうものを愛せるけど
人間を愛せない人間を愛せないっていうことで
共感性のレベルの違いの話だと思うんやけど
そういうところはあるんだろうねやっぱり
完璧な人間なんているわけないし
というか完璧という概念が人間に当てはまりようがないというのか
人間が一番理想とするものを完璧と呼んでるわけやから
理想である以上現実ではないわけで
常にイデアの中にしかないっていうのが完璧さってことやからね
さらに優しい人は優柔不断な人になるし
強い人は怖い人になるし
もう相性だったりしますからね
だからタイプで言うと
おそらくあらゆる人間の中に悪意の根っていうのがあって
出やすい人と出にくい人がいるから
まず自分の中にそういう悪意があることをまず確認した上で
どう使うのかっていうのが個人における悪意の戦略やし
集団で見たときにそういう悪意を持つ人が一定数いるのは避けがたいから
あとはそういう人たちを排斥するんじゃなくて
どうやってうまくやっていこうかと考えるっていうことが
多分社会的な意味での戦略になってくるのかなっていう
そうですね個人の戦略と社会的な戦略と
あとはどう分けていくのかっていうところを考える
非常に僕悪意ウブやったんで
だいぶいろいろ知らない話がありましたねこの本は
そうですね感情的にはちょっと理解しがたい悪意みたいなものは
やはり結構ある気はして
例えばATMで後ろ並んでる人を困らせるために
いつもよりゆっくり操作するみたいな話があって
だいぶ理解しちゃったんやけど
でもそういうことする人がいるっていうことだからね
多分電話のクレーマーみたいな人とかもそれに近いタイプですよね
確かに
でもそれを歪んでいる歪んでいる間違っていると
言い切れないんだなって分かっただけの収穫なのかな
何年か前までの自分は明らかにそれを劣っている人だと思ってた傾向があったから
感情としてはやっぱり劣っていると思ってしまいますよね
感情のコントロールが効かない人やんなっていうふうにずっと見てたけど
そういう簡単な切り分けをするのは
こっちがむしろ起こさないんだなっていうのはちょっと思いましたね
勉強してみて分かったのは
人にちょっと優しくなれるようになったことだなっていうのはすげえ思っていて
優劣でもないし善悪でもないし
そんなことで起こっていてはアホくさいって思うようになったっていうのも同時にあるのかもしれない
確かに
自分の中で最後の結論としてメモってあるのが
理性的に悪意を使うために怒りをコントロールすること
怒りのコントロールは怒りを消すことではないって言ってるんですよね
適切に理性的に悪意を使うために怒りをコントロールしておけっていう
コントロールしやすくするためにはやっぱり例えばATMでわざと遅くする人に対して
怒っていてはコントロールしにくくなってしまうので
合理的な選択としてもそんな人に対して怒ったりとか
余計な感情を持たない方が結局幸福に生きられるんだなっていう
そういう人に怒ったところで何が変わるかって言うと別に何も変わらないわけだからな
その人につっかかっていってもあんま大抵の場合は得しないですよね
だから何かを見逃すことで集団の規範が劣化するような場合
自分の身近な人に害が及ぶような場合はもちろんちゃんと言うべきやし
それはおかしいですって言うべきやし
それは相手から見たら悪意の発落感に見えるかもしれないけども
それは必要な行動ではあるでしょうね
難しいですねやっぱりいかに悪意をコントロールしていくのか
怒りとか悪意をどう扱うのか
仏教にもその怒りというか悪意が出てくる慈悲の怒りという話があって
仏教というものですらそういうものが出てくることを考えれば
一つの人間の持っている感情の一種なわけですからね
全部捨てるということはやっぱり違うでしょうねきっと
捨てるではないというのはすごくわかりますね
あと多分生物であるというか人類で生まれたらなくせないものではあると思うので
やっぱりどうやって付き合っていけるのか
悪意が起こりやすい環境には注意すべきかな
悪意と共存する戦略
環境次第で出てくるというところは多分絶対あるので
やっぱり一対一とか顔を合わせるときは
この本ではコストが高くなるからやらへんという話もありますが
インターネットは特にそのコストが安いので
ああいう場で自分がどう振る舞うのかとか
あるいはその悪意が発露されやすいからこういうことが起きてるんだなっていう風に
誰かの責任として見るよりも
その場の力学として見た方がより適切かなという気がします
そうですね我々がインターネットでの人間関係が
俺とかラシタさんの生き方だと非常に当たり前になっているんだけれども
別にそうじゃない人もいっぱいいるし
そうじゃなくても普通に生きていけますからね
インターネットでの悪意の発露
やっぱり漫画とかでも読んだことあるけど
ツイートとかで悪口書いても悪いことをしてる感じがないらしいですね
存在してないからですよね先に人間が
人間がいてないからねその共感性が働かない
そういうだから僕ら変な話ある種リアルとつながってる部分が
インターネットにはあるから
リアルのコードの行動規範が適用されるけど
そうじゃない人にとったらやっぱりそうじゃないんだなっていうのは思いますね
逆に言えばやっぱりオフ会をやろうということになりますからね
たまにオフ会やって相手の顔を共感性とともに刻んでおこうというのはあるかもしれない
ポッドキャスト撮るときとかでもこの人たちが聞いてくれてるんだなって分かるとやる気にもなるし
だからオンラインとオフラインとの接合というかある種の使い分けっていうところは一つの鍵かもしれないね
消しきれないですからね人間性をインターネットだからといって分けることもできないし
俺たち普通にネットで検索すればもう顔とかもバレるしね
その通りだ
そこに本気の悪意を持って攻撃されたらもうどうしようもなくなってはしまうんですが
でも自分からその種をまく必要はないですね
なるべくそういうふうに悪意が少ない
必要でない限り悪意が出ないように場を作りをしていくっていうことは
ある種の生存戦略ではあるかもしれないですね
ですね
ということでBook Catalystは番組を支援していただけるサポーターも募集しておりますので
気になる方は概要欄などチェックしていただけたら幸いです
それでは今回もお聞きいただきありがとうございました
ありがとうございます
01:14:18

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