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こんにちは、今ここ探究チャンネルのしーきゆうすけです。
今回は、私が行っている、今ここに留まるカウンセリングというのの内容を、ちょっと皆さんにお伝えできればいいかなと思っています。
私が行っているカウンセリングでは、無自覚な自分に気づいたり、
今までの既存の枠組みではどうしてもうまくいかなかったことの解決、解消法として既存の枠組みから出るというようなカウンセリングになっています。
でも正直、今ここに留まるカウンセリングと言われても、パッと浮かんでこないと思うので、その内容について話していけたらいいなと思っています。
まずですね、率直に言って、今ここに留まるのに対して大事なことは、人間の五感を研ぎ澄ましていくことですね。
思考じゃなくて、体で感じる感覚にシフトしていくことが非常に大事なんですけども、
今回ちょっとわかりやすい例で言うと、スポーツだったり運動の分野で説明したいと思います。
例えば身体感覚に関することなんですけど、皆さん自転車だったり坂上がりだったり、例えば逆立ちをしたことのある人は、
そのことができるようになった時のことを思い出してほしいんですけど、
初めて自転車に乗れて、おじょりんなちで乗れるようになった、本当その時ってあんまり考えてないじゃないですか。
感覚でバランスをとって、できたっていう感じでなってないですかね。
坂立ちで言うと、今ちょっと自分が坂立ちできるようになりたいと思って練習をしてるんですけど、
なかなか坂立ちで止まるってことができないんですけど、ちょっとずつ止まる感覚をつかんできて、
そういう時って理屈じゃなくてうまく、うまい感覚を得られる時って理屈じゃなくて、
なんかこの辺だったら、この感覚だったら止まれそうかなみたいなのを試行錯誤しながらやってるんですよね。
で、大概うまくいく時っていうのはあんまり深く考えてない時ですよね。
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逆になんかあんまりうまくいかないなーっていう時は、ちょっと考えすぎて蹴りすぎちゃったり、蹴らなすぎちゃったりして上がんなかったり、
っていうことがなんとなくわかっていただけるんじゃないかなと思うんですけど、
自転車も坂立ちも練習してればだんだんうまくなってきて、意識しないでも乗れるようになってきて、
特に自転車なんか乗れるようになったら、逆にどうやってバランスをとっているのかを説明するのが難しくなるっていうレベルぐらいに当たり前になってくると思うんですけど、
普段の生活もそういうことが多くて、ちょっといきなり後戻ってきたんですけど、
当たり前すぎて忘れてしまっていることってたくさんあって、それに対して五感を凍結させて、視覚だったり聴覚だったり、
さっきの身体感覚だったり、体で感じる感覚にシフトしていくっていうのがカウンセリングの内容になります。
やっぱりこれは一人ではなかなかセルフでは気づけないことになるんで、
まず一対一でお話を聞いて、今ここで起きていることに私が一緒に続けていく。
そうすると自分の無自覚だった部分だったり、自分が隠してきた、見ないようにしてきた自分だったり、
過去のことを思い出したり、直感でやりたいって思うことが浮かんだりっていうようなカウンセリングをしています。
過去のことを思い出すってことは、なかなかいい思い出だけじゃなくて、
あんまりいい思い出じゃないなっていうことも思い出したりするんですけど、
今ここが変わってくると、実は過去も変わってくるっていうような経験を私はしているんで、
次回以降でそういった話もしていけたらいいなと思っています。
今日のお話は、今ここに留まるカウンセリングの内容をちょっと皆さんにご紹介させていただきました。
興味のある方はTwitterなどでDMいただければお話をしっくりお聞きしますので、
ぜひ連絡をいただければと思います。
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話す内容に関しては、今関心のあることだったり困っていることっていうようなシンプルなお題で構いません。
ここまで話を聞くと、今ここに留まるって固い感じに聞こえちゃうんですけど、
リラックスして話していただければと思うので、ぜひ興味のある方はよろしくお願いします。
今日の今ここ探究チャンネルはここまでです。
お聞きくださってありがとうございました。またよろしくお願いします。さよならー。
こんにちは。今ここ探究チャンネルの四木ゆうすけです。
今日はですね、以前今ここに留まるカウンセリングということで、私のやっているカウンセリングの内容をほんのちょっと紹介した配信があったんですけども、
その中で過去が変わるよっていう話をしたんですけど、今日はそれについて過去が変わるってどういうことっていうことを話していきたいと思っています。
よくですね、過去は変えられない。でも未来は変えられる。だからいい未来に向かって歩んでいったり考えていこうっていう話はよく聞くと思うんですけど、
実は過去は変わるよっていう話をしていきます。
これには一つ条件があって、過去が変わるには今ここが変わらないと過去は変わりません。
では実際にどんなことかっていうと、ちょっとまず歴史の話からを例えにちょっと話をしてみようと思います。
皆さん、織田信長は歴史の日本史の授業とかで必ず習っていると思うんですけど、
僕35にもうちょっとになるんですけど、僕らが授業で学んだ織田信長の像と、今中学生だったり高校生だったり小学生が学んでいる織田信長の人間像ってだいぶ違うと思うんですよね。
明智光秀にしてもそうなんですけど、以前は織田信長はカリスマで人が思いつかないことをどんどん導入して革命家であったみたいな教えられ方をしてたんですけど、
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どうやら洛一落座だったり鉄砲というのを導入していた大名というのは織田信長以外にもいて、何だったら織田信長が一番最初にやったわけじゃないという教え方をされていたり、
明智光秀にしても神経質で信長にいじめられて、その個人的な縁コンで本能寺の辺に至ったというような教えられ方を私たちは割としてたんですけど、
どうもそうじゃなくて出生は不明なんですけど、かなりの実力者であって、織田家の家中で秀吉と並ぶぐらいの存在であって、
中国地方に明智光秀が出陣を要請されたときに、信長と着難の信田がかなり無防備な状態で本能寺にいたと。
この二人を打ち取れば一気に天下が狙えるというところで、自分は大群を持っていて簡単に信長と信田の首を取れるという状況になったと。
戦国時代というのは裏切りというのは当たり前のデフォルトの世界なんで、そういう状況にあったら秀吉光秀ほどの実力があればその選択は必ずするよねっていう教え方に割となってきているということなんですよね。
なぜこういうことが起きるかというと、もちろん新資料の発見というのは非常に大きいと思うんですけど、例えば同じ資料でも解釈が変わるというのが一つにあります。
歴史の場合、研究が進んで、その同じ方じゃないかもしれないけど研究を引き継いだ方が資料の解釈を変えて、それによって実際に教えられる歴史が変わっていくということが起こっています。
このようなことが一人一人の中でも起こすことができます。
こういったすごい悠久の歴史の中でだけではなくて、一人一人の人生の中で積み重ねた過去の捉え方を変えることができます。
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ただ、これなかなか個人で難しいのは、例えば歴史の研究であれば新資料の発見だったり、研究者が変わったりということはあると思うんですけど、
基本的に個人の歴史の捉え方って個人の主観の中で起こってくるので、誰かに書き換えてもらうというのはできないので、そこが簡単にはいかないところかなと思います。
人って今の状態を正当化するために過去を利用するというのは非常にあるんですね。
例えば強烈な成功体験だったり失敗体験だったり、そういったことが多いんですけど、今の自分が幸せもしくは不幸せな状態であるのは、
あの時にこういうことが起こってこういうことをしてしまったからだというのが深く残るっていうのが結構あったりするんですけども、
自分で起こったことを例に具体的に話すと、私は両親、とりわけ母親との関係があまりよろしくなくて、
小さい頃かなり厳しく育てられたっていうのがあったりとか、褒められた記憶が全然なくて、怒られてばっかりだったっていうのもあるし、
高校卒業するまで一緒に暮らしたんですけど、自分の中では本当に耐えて耐えて耐え抜いて、ようやく大学で一人暮らしで家を出ることになって本当に嬉しかったし、
そこは親にお金を出していただいて大学進学させてもらって一人暮らししてるんですけど、それも今までの耐えてきたご褒美だぐらい自分では思ってましたし、
親には直接言わないものの、ただ感謝も上辺だけというか、そういう状態で社会人になりました。
離れて暮らすと衝突も減るし、表だってギスギスした関係ってのがなくなったんですけど、結婚するにあたってちょっと手紙を書こうってプランラーさんに提案してもらって書くことになったんですけど、
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本音を書こうって言われたときに、そんな手紙にありがとうなんて書けるわけないですよね。
全然書く気ゼロだったんで、本音で書くとなるとぶっちゃけあのとき恨みつらみみたいなのを書くことになりますけど、いいですかっていう話をプランラーさんにして手紙を実際書きました。
手紙を書くにあたってもちろんその内容をプランラーさんだったり、自分の妻に見てもらったり話を聞いてもらったりっていうのを何回か繰り返したんですけど、
そのときにここはダメだよとか、もっとこういう言い方のほうがいいんじゃないとか、そういうこと一切なしに、ああそうなんだ、そうなんだねっていう、
いい悪いの評価を抜きで、こういうことが起きて僕はつらかったんだよ、悲しかったんだよっていうのをとにかく聞いてもらったんですね。
ただただ横に寄り添ってもらって聞いてもらったんです。
そうするとですね、なんか不思議なことに、なんか多分聞いてもらって自分のエゴというか、自分の中の悲しさの代表選手みたいなやつがおそらく満足したと思うんですよね。
かなり満足して、なんか気が緩んだんですかね、なんか他の代表の話もちょっと聞いてみようかなみたいな、ちょっと話していいよみたいな感じになったんじゃないかなって推測するんですけど、
なんか嬉しさ代表、楽しさ代表みたいなやつが、こんなことあったよね、あんなことあったよねっていうのを言ってきたみたいなイメージなんですけど、なんかふっと思い出したことがあったんですよね。
それは自分、滝、水が流れ落ちる滝が好きなんですけど、滝が好きで滝に連れてってくれってよく旅行の時に言ってて、確かにすげえ滝に昔連れてってもらってたなとか、
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あとふと僕外食があんまり好きじゃなくて、できれば家で食べたいみたいな、お母さんのご飯が美味しいからみたいな話をしてたんですけど、
うち両親とも働きだったんで、母としてはもう外食もうちょっと増やしたいなみたいなことを相談されたこと、結構あったんですけど、でも外のご飯まずいんだよねみたいなことを母に言っていて、
母はすごいそれを気にしてくれていて、働いてからさらに感じてることなんですけど、働いた後にご飯を作る、しかも自分のじゃなくて子供の栄養を考えてご飯を作るって、
しかも毎日こんだけ考えて買い物に行って、総剤にも当時頼ってなかったんで、それでご飯を作るってなかなかめちゃくちゃ大変なことだと思うんですよね。
そんなことも結局忘れていったというか、すごいんですけど思い出してなかったわけですよね。
それを思い出した瞬間に、俺なんか感謝してないこと?言ってないこと?感謝し忘れてることあるじゃんって思って、ありがとうって今からでも言えることってあるじゃんって気づいて、
そうすると悲しさ代表の言ってたことって本当にどうでもよくなったというか、確かにそうなんだけど別にいいよねみたいな、最初は本当に悲しさしかないと思って、
俺にあるのはこれだけだ、伝えたいことはもう悲しさだけだって思い込んでたんですけど、実はそれ以外にもあるしなんだったら別にいいかなみたいな、むしろありがとうって言ってなかったことの方が良くなかったなって思って、
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もちろん結婚式にふさわしいっていうのももちろんあるんですけど、実際に言えてなかったありがとうっていうのを伝えることにしました。
それを実際伝えたらですね、自分自身もやっぱり母との距離感っていうのが変わったなっていうのは感じました。
特に今はもう子供もできて実家に帰ることもあるんですけど、もし昔の悲しさ代表しか見えてない自分だったら義務のように実家に帰り一応子供と遊ばせてあげるか、孫と遊ばせてあげるかみたいな感じで接していたかもしれませんし、
自分だけじゃなくて妻やプランナーさんの見る目からも明らかに母と私が会話している時の顔つきが違うっていうのを言ってもらえて、なんかもうすごいことが起きたんだなと実感した出来事でした。
今回のようなことが起きた大きな要因っていうのは、自分が思っていること、感じていることをありのままに受け止めてもらえたっていうことが非常に大きいと自分では思っていて、
こういった過去のことを振り返る時に自分一人で考えているとどうしてもどうしても思考的になっていってしまうんですね。
過去こうだったからああだったから、じゃあ未来こうしよう、じゃあこうしよう、あの時こうだったからこうしようみたいな感じで思考的に考えてしまうんですけど、思考で考えるとやっぱり今ここっていうのは変わりません。
今ここを変えるには、ただただ寄り添ってもらって側にいてもらって、いいも悪いも肯定も否定もなく、ただただその話を受け入れてもらうっていう状態が必要になってきます。
やっぱり一人ではなかなか難しいので、カウンセリングの中で、ただただ純粋に寄り添って話を聞くことによって過去を、今を変えて過去も変わるということをカウンセリングの中で追求していっています。
ちょっとすいません、少し長くなりましたが、今回は今が変われば過去も変わるよということをお伝えしました。
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ちょっとまたね、詳しくはブログだったりそういったところで内容を書いていければなと思っておりますので、興味のある方は読んでいただければと思います。
はい、じゃあ今日の配信はここまでです。聞いていただきありがとうございました。さよなら。