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2020年4月23日、岡井久美子さんの不法を知ったのは、妻からの電話でした。
この今の状況で妻か、あるいは君は出かけてたのかと思われる方もいるかもしれませんが、
子供が病院に通っているので、やむなくタクシーで病院に行っていた時に、妻が子供を連れて行ってくれてるんですね。
普段はLINEとかで連絡が来るんですが、電話がかかってきたので、何事だろうと思ったら大変なニュースがあると。
岡井久美子さんが新型コロナウイルスで亡くなったらしいということで、大変衝撃的なニュースでした。
その後しばらくして、ポッドキャスト仲間の山間さんからもメッセンジャーで連絡がきまして、
ちょっと前に知りましたというような返事をしたんですが、
ほぼ同じタイミングで、一緒に今日の岡井久美子というサイトをやっていた伊藤みどりさんから連絡がきました。
ここで聞いている皆さんには初めて今日の岡井久美子というフレーズを聞いた人もいるかもしれないんですが、
TBSの花丸マーケットのオープニングトークでの岡井さんの面白い一言を文章とイラストで発表する今日の岡井久美子というサイトをやっていまして、
その関係で岡井久美子から私を連想してくれた人が連絡をくれたりとかしてました。
仕事の連絡をくれていた人がメッセージで大変なことになったけど大丈夫でしょうか。
そんな中、空気も読めず仕事のメールを送ってしまいました。
配慮が足りずすみませんと。
私より先輩の方なんですが、そんなメッセージを送ってくれた人もいて、私返事したつもりで返事忘れてたんですが、
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ありがたいというか、そこまで気を使わなくてもいいのになと思いました。
これは岡井さんの不法の翌日とかの話ですね。
岡井さんの不法を聞いたすぐ後に話が戻りますが、
妻から何かメッセージを出した方がいいんじゃないかと言われて、
ただ、お悔やみの言葉だけを出すのも何様だというか何者だという感じなので、
やはり今日の岡井くみ子に関連したものがいいだろうと思いました。
以前、花丸マーケットが終了するちょっと前に、これまでの今日の岡井くみ子からいくつかピックアップしたものを
番組のスタッフの人に頼まれて作ったものがあったんですね。
特にこれ番組で紹介されるもなく、そのまま世の中に発表することもしてなかったので、
これをノートに載せようと。ノートというサービスですね。
思って、もうまとめてあって、画像とかもエヴァノート上で貼ってあったので、
これをノートに移植するというか、いう作業をやって、
岡井くみ子さんありがとう花丸マーケットを振り返るというタイトルの一つの記事にしました。
冒頭の岡井くみ子さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
本当に寂しい悲しいです。の2行が私からのメッセージというか、追悼の言葉です。
ここで岡井さんの思い出話とかエピソードとか話せるといいんですが、
一方的にテレビで見てただけですし、考えてみれば岡井さんのこと何も知らないなと思い、
振り返ることはやっぱり今日の岡井くみ子しかないので、
今日の岡井くみ子を振り返ります。
2002年の4月25日に今日の岡井くみ子はスタートしています。
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日付的にも中途半端な日なんですが、やろうと決めて翌日にスタートしてるんで、
特に何月からとかそういうスタートじゃないんですね。
そもそも何かホームページやりたいよねという話を伊藤みどりさんと2人でしていて、
居酒屋かなんかで飲みながらなんですよね。
半分冗談みたいな感じの話だったと思うんですが、
毎日更新できるものがやっぱりいいよねということで、
毎日何かを生み出すと、自分から生み出すというのは難しいので、
何か、毎日やってるものからネタをもらえればという発想で、
毎日月金ですけど朝やってる花丸マーケット。
このオープニングトークの岡井さんが面白いというのは、前から私が目をつけていたので、
この岡井さんの面白い一言を拾って紹介するのはどうだろうという話をしたんですね。
で最初の、最初に考えたアイディアは一言を拾うと、面白い一言を拾うというのと、
岡井さんのファッションチェックだったんですね。
岡井さんのファッションを参考にしている同年代とかの人も多いと思うので、
なので、私イラストを担当ってことになって、
ファッションチェックとしてのイラストを書くっていう発想だったんですね、最初は。
でその話をした翌日、伊藤さんがその一言とそれに関連するテキストを書いて、
私に送ってきてくれたんですが、それがなければ多分始まってないですよね、
今日の岡井久美子は。で送ってきてくれたんで、これはやらなきゃと思って書いたんですが、
まぁ岡井さんの顔が難しい。美人は描きにくいんですよね、似顔絵を。
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顔は書くの難しいし、イラストは結構前、大学時代とかに結構書いて雑誌投稿とかしてたんですが、
ブランクもあるし、そもそもそんなに上手くなかったんで、全身書くのが難しいと。
でファッションチェックなんで全身書かなきゃいけないと。
でなんとか下手くそですけど書き上げて、
全身ただ棒立ちしている岡井さんとその今日の一言があってというような状態のものを作ったんですけど、
伊藤さんからこういう感じにした方がいいんじゃないという、
イラストの参考になるような何かの本に載ってたイラストを持ってきてくれて、
要は人が入ってて、吹き出しに文字が入ってて、複数人入っててもいいんじゃないかと。
薬君も入っててもいいんじゃないかみたいな、そういう一コマ漫画的なというかにしたらいいんじゃないと言われて、
あ、それそうだなと思い書き直して書いて、それが第一作目の今日の岡井久美子だったんですね。
なので一本目の今日の岡井久美子は岡井さんと薬君が入ってる状態ですね、になってます。
ちなみにその翌日は岡井さんが急に春休みになって松本明子さんが出てきてたんで、
代わりに松本明子さんと薬君を書いてるんですね、2回目にして。
岡井さんいないっていうそんなこともありました。
そして約7ヶ月後、2002年の11月21日に花丸マーケットのオープニングで岡井さん本人が
今日の岡井久美子っていうホームページがあると紹介してくれました。
当時は今よりもずっとずっとテレビの影響力が大きかったのか、
アクセスが殺到してサーバーが落ちるという体験をしました。
それでアクセスが増えたことは確かだと思うんですが、
それほどそこで何か反響があったかというとそうでもなかったです。
そして2003年の5月に岡井さんが初めてのレシピ集、チャチャットレシピというのを出すことになったんですね。
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花丸に関連した本なんですが、そこにイラストを書いてほしい。
イラストというか今日の岡井久美子のはみ出し版みたいなので、はみ出し今日の岡井久美子っていうのを
文章は伊藤さんが書いて、私がイラストを書いたんですが、
これを岡井さん自身がぜひ書いてほしいというふうに言ってくれたらしく、
出版社のワニブックスから連絡があって書きました。仕事として。
そして5月31日に2003年のその本の出版記念のサイン会が新宿であって、
そこに私と伊藤さんとお呼ばれして岡井さんと初対面しましたと。
すごく気さくな人でしたね。イメージ通り。
ちなみにTBSのサイトアナウンサーともお会いしたんですが、
それはたまたまというかお見かけしてこちらから声をかけたんですが、
サイトはものすごい腰の低い丁寧な良さそうな人でしたね。
ちなみにせっかく岡井さんに会うんで何か持っていこうと思って缶バッチを作りまして、
缶バッチ具という自分で缶バッチを作れるおもちゃというかがあって、
それを使って今日の岡井久美子のイラストをプリンターで出して缶バッチにして、
いくつか作って持っていったんですが、サイトアナにも差し上げました。
多分もう持ってないでしょうけども。
岡井さんの印象は気さくな人だなぁということ以外にはあまり覚えてなくて、
ちょっと緊張していたというのもあって、
私の記憶ではそんなにオーラというか威圧感みたいな感じのものは感じなかったと思うんですが、
多分その場に合わせてそういうこともコントロールできるような人なのかもしれないですね。
その時撮った写真があって、
Facebookで友達の間で見られる設定で載せたりとかしたんですが、
当時のデジカメがまだそんなに画素数も多くないですし、
なおかつ緊張していて、デジカメの解像度の設定を低い状態なままで撮ったんで、
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そこをもう少し良い方に、解像度高い方なのかな、
良い設定に変えとけばよかったなと後悔したことを覚えています。
その後2004年の11月からテレビジャパンというテレビガイドでおなじみの東京ニュース通信社の
新しくできた月刊のテレビ雑誌で連載がスタートするんですね。
創刊と同時に私のイラストの連載です。
とは言っても別に私のコーナーというわけではなくて、
一つのテレジャパ表記会というコーナーのイラスト担当という形での毎月書く連載ですね。
これもそもそもは今日の岡井くみ子があって、
それだけではなくもう少しホームページの中にいろんなコンテンツを入れていこうということで、
いろいろテレビについてイラスト似顔絵を書いたりしていたのが、
そのテレビジャパンの編集の方の目に留まってイラストを書きませんかと言ってもらったんですね。
そしてそのテレビジャパンで花丸マーケットが10周年記念の時に特集があって、
その時に岡井くみ子ウォッチャーということで、
私の書いた文章と今日の岡井くみ子の中からイラストがいくつか載りました。
今日の岡井くみ子は月曜から金曜までしか更新できないわけなんですが、
毎日更新となると土曜と日曜も何かしらネタが必要だということで、
最初の頃は土曜日は今日の神沼絵美子と言って、
朝8時半からやっていたいつでもえみおんという神沼さんの番組のオープニングトークから
神沼絵美子さんの気になる一言をテキストとイラストで、
要するに今日の岡井くみ子と同じフォーマットでやってたんですね。
で2005年の2月に出た大阪のおばさん学という本の表紙と中のイラストに、
今日の神沼絵美子で描いた絵がほとんどそのまま使われるということがありました。
これはこの大阪のおばさん学の編集の人が大阪おばさんイラストとかで検索したら、
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今日の神沼絵美子のイラストがネットで引っかかったそうで、
それで私のところに連絡があってイラストを使わせてほしいというような話で、
ほぼ今日の神沼絵美子のイラストのままで若干変えて掲載されました。
当時のネット用に書いてるイラストなので解像度もすごく荒かったんで、
印刷したらギザギザになりますよと言ったんですが、
いやそれでいいから、それも味になるからというふうに言われ、結構ギザギザな感じで印刷されていました。
見るからに神沼絵美子さんの似顔絵なのでそのまま使って大丈夫かというところで、
その出版社の編集の方が神沼絵美子さんの事務所に断りを入れて、
もちろん神沼絵美子とか名前は出ないんですが、
絵としては神沼さんの似顔絵っぽい絵でOKが取れたということで使われました。
なお2010年の4月にこの大阪のおばさん学が文庫化されることになって、
それで表紙のイラストは変わっちゃったんですが、
中で使われているイラストはそのまま使われたので、
またお金が入ってきて、これはすごいありがたいなというか、
労せずしてというか何も新しいことしてないのに文庫化されることによって、
またお金が入ってくるのはラッキーだなというそういう思いでもあります。
岡井さんからちょっと話が逸れてしまいましたね。
そして2007年に今日の岡井組子の書籍化の話が出版社から来たんですが、
これは結論から言うと実現はしませんでした。
出版社としては岡井組子さんが協力してくれる、
写真を使わせてくれるとか何かコメントくれるとかそういうことなんですが、
それが前提でその許可を私に取ってほしいと言われたんですね。
やっぱり出版社からではなくて、
今日の岡井組子をやってる人間から許可を取った方がいいんじゃないかと言われ、
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そういうのすごい苦手なんですが、何とかFAXとかでやり取りをして、
結局事務所の方針で岡井さんのマネージャーの人から協力はできないというふうに言われまして、
こんなどこの馬の骨かわからないような私からのそういうお願いに対してご丁寧に返事をいただきまして、
で、分かりましたじゃあ書籍課の話はなしにしますみたいにFAXで返事をしたんですが、
そしたら電話がかかってきて岡井さんのマネージャーの方から、
本は出していただいて結構なんで協力はできないけど本は出してくださいみたいな感じに言っていただいたんですが、
出版社との話ではやっぱりそうやって宣伝するPRする上で岡井さんがやっぱり必要だということだったので、
まあ結果としては本はなしにしましょうということになりました。
これ話していいのかどうかちょっとわからないんですが、
まあポッドキャストの中でだと聞いてる人も少ないんで大丈夫かなと思うんですが、
後に岡井さんの事務所の社長さんと会って話をする機会があって、
その時にその岡井さんの事務所の社長さんは、
今日の岡井くみ子を本にしたかったんだけどTBSがok出さなかったんだよねといった話をしていました。
そしてまた時系列の話に戻るといきなり2014年に飛ぶんですが、
2014年に花丸マーケットが終了を迎えるということになって、
今日の岡井くみ子を復活させようとちょっとやめてしまってたんですが、
伊藤さんと話してまた二人体制で復活させることになりまして、
で今二人体制でと言ったのは、
多分2004年の5月ぐらいから私一人で今日の岡井くみ子をやってたんですね。
文章もイラストも一人でやってましたそれからは。
でともかく復活させて二人でまた今日の岡井くみ子を始めて、
2014年の3月3日に花丸マーケットのオープニングで、
今日の岡井くみ子復活したものが取り上げられて放送されるということになって、
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私と伊藤さんはそれぞれVTRで出演しました。
これ話もらって最初は絵を描いているところを自分で動画に撮って、
それを送って番組で紹介されるという話だったんですが、
やっぱり収録しに私の自宅にカメラを持っていきたいというふうに言われたのが、
前日の夜でそれからなんとかテレビに映っても大丈夫なくらいに部屋のお片付けを、
大掃除をしてほとんど寝てない状態で番組の方をお招きしたということがありました。
人から見られながら絵を描くというのはかなり緊張するので、
以前も仲間うちの勉強会みたいなので、
タブレットを使ってこういうふうに絵を描くんですよという説明をしようとしたんですが、
やっぱり緊張で手が震えてなかなか思い通りに描けなかったという経験があって、
これテレビ来たら描けないんじゃないかって震えちゃうんじゃないかと心配したんですが、
まぁシチュエーション的に自宅だったから良かったのか、
寝ずに片付けをして、なんかそういう神経が麻痺してたのか、
その来ていただいた方の雰囲気が良かったのか、色々要素はあると思うんですが、
それほど緊張せずに描いたり、インタビュー的な感じで話をしたんですが、
そこまで緊張せずにいけました。
そしてそれが収録したのが前日ですかね。
で、3月3日のオープニングで取り上げられて、
今日もこの今日の岡井くみ子やってるんで、
今日の岡井くみ子イラスト出来上がったら番組の最後で紹介しますという風に言われて、
番組中に描いてたんですけど、その時もかなり緊張して、
結構イラスト描き上がるのギリギリになって、番組のスタッフの方から、
まだですかみたいに携帯に電話かかってくるみたいな、そういう状況だったんですが、
なんとかギリギリで仕上げて、番組のエンディングでその日描いたのを紹介してもらったということもありました。
で、番組の最終回、2014年3月28日、
はなまるマーケットの最終回で番組の中で使うイラストを頼まれまして、
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何点か仕事としてイラストを描きました。
あずみあなが私のイラストを持って話をしたりとかしてるのがかなり嬉しかったですね。
なお、我が家にはなまるのスタッフの方が撮影に来た時に聞いた話なんですが、
一時期は今日の岡井くみ子の1週間分をはなまるの会議の時にみんなに配って見てたりしてたらしいです。
その話も嬉しかったですね。
別に公認とかいうわけでもなく、TBS岡井くみ子さんなどとは全く関係なくやっていますと、
今日の岡井くみ子のサイトにも書いていたんですが、
まあ認めてもらっていたというか、黙認していただいていたことによって続けていくことができたんですね。
TBSのスタッフの皆さんと、そしてたぶん温かく見守ってくれていたであろう岡井くみ子さんに本当に感謝ですね。
ありがとうございました。
この先もはなまるマーケット特別編とか、一日限りの復活とかそういうことがあったかもしれないと思っていたのが、
もしあったとしてもその時の岡井さんの姿が見られないと考えると非常に残念ですね。
この先私に何ができるかはわからないですが、
岡井さんがはなまるマーケットの最終回でこの番組があったことを忘れないでくださいと言っていたので、
はなまるマーケットという番組があった証、岡井くみ子さんがいて、岡井さんがオープニングで面白いこと、
ちょっとためになることとかいろいろ喋ってきたことがまとまっている今日の岡井くみ子を、
何かしらの形で今ネット上に残ってるわけなんですが、残し続けたいなというふうに今は思っています。
まとまりのない話でしたが、最後まで聞いていただきありがとうございました。