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2024-02-19 43:02

#S2-24 藝大卒展と自己鑑賞対話(後編)

いろんな美術鑑賞を知ると、もっと鑑賞は面白い!

作品との距離、消費への違和感と能動的鑑賞、など、卒展鑑賞を通じて、感じたことを咀嚼・振り返ってみます。その後編です。


この番組は、西暦3000年の、未来を生きる人類に向けて、現代人が日々感じることや、ワクワクする未来への想いを発信し、今を生きる皆さんと一緒に、未来に音声を残そうとする番組です。


BGM素材:DOVA-SYNDOROME、効果音ラボ

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みなさんこんにちは。 今回はですね、前回に引き続きまして、
藝大卒展と自己鑑賞対話と題しまして、お話をしていこうと思っております。 簡単なおさらいになりますが、先日初めて東京芸術大学の卒業終了展を見に行ったんですが、
ものすごい数の展示で、とても面白かったんですね。 そういった経緯もありまして、なんと平日・休日の2度にわたって鑑賞をしてきました。
前回配信をしました前編では、その中で印象的だった5つの作品を紹介させていただきました。
こちらはですね、どれも素敵な作品でして、ノートの方で写真付きで記事を公開をしたんですけども、どれも素晴らしい作品でしたので、
気になる方はぜひ前編と合わせてノートの記事をご覧ください。 さて今回の後編なんですけども、卒展での鑑賞中に作品とは別で、
鑑賞中に僕自身が感じたことであったり、考えたことをメモしていたんですね。 それをもとにですね、2024年現在の自分自身がどういうふうに鑑賞をしていいのか、というところに少し目を向けてみようというふうに思っています。
聴いている皆さんも、新しい鑑賞の視点であったりヒントになればいいかなと思っておりますので、どうぞ今回はお付き合いください。
まずはそもそもなんですが、美術鑑賞って何なんでしょうね。 たくさんの人がわざわざ美術館に足を運んで、長打の列に並んで美術館に入場料を払って、
名画、名作と呼ばれる作品、もしくはいろんな出展をされた方々の素敵な作品を自分の目で見ること、というのが一般的な美術鑑賞と呼ばれることなのかなというふうに思うわけなんですけど、
あくまでも他の人から鑑賞をしている人、そのままいわゆる鑑賞をしている人たちがいるのを旗から見てみると、作品であったり壁に飾ってある絵というものを見ているという
外見的な様子についてはわかると思うんですけども、見ている時の頭の中までは覗くことができないわけですよね。
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そういった他の方々がどのように鑑賞をしているのか、頭の中身を直接聞くであったり、どういうふうに鑑賞をしているのか、作品じゃなくて鑑賞方法について直接話すことってあんまりないですよね。
まずはですね、一般人である僕自身、あっちゃんのこれまでの鑑賞の変歴について振り返りながら、鑑賞方法というものがどのように変わってきて、どのようにしているのかというところを少し振り返ってみたいと思っています。
僕自身は大学のあたりまで近くに美術館であったりとか博物館というのがあったわけではなかったので、年に1回程度美術館とか、いわゆる博物館のような文化的な資産があるようなところに行くというところだったんですけども、
その時は作品や絵画を見た時に、綺麗だなーとかかっこいいなーとか、おー迫力あるなーみたいな、これが有名な作家の本物かというふうに、どちらかというと視覚的な部分での抽象的な評価であったりとか、
あとは有名であるというふうな、権威づけされたものを生で見た時に、生で見てもやっぱ美しいなーみたいな、そういう名画であることを確認するって言ったらいいんですかね。
実物との突き詰め合わせをした時に、本当だったなという形のことを鑑賞中の脳内ではしていたような気がします。
そこからですね、約2年前ぐらいに漫画のブルーピリオドという作品に出会いまして、ちょくちょく美術館に足を運ぶことが増えたんですね。
それからはちょっとずつ鑑賞の方法であったり、作品を鑑賞する観点みたいなものが結構増えてきました。
例えばなんですけども、いわゆる構図の良さであったり、色使いの良さ、あとはこの絵とかこの作品、題材を描くに至るまでの作家の人生の変遷であったり、どういう影響を受けていたのかというところ。
加えて、絵の中に散りばめられているその時代の文化とか生活みたいなものを表しているものとか、暗優されている表現から過去の世界でどういった営みが行われていたのだろうかというような面白さですね。
そういったところであったり、作家とお金の関係性、いわゆる昔番組でもご紹介しましたが、緑色の丸が1億円つくのは何でだろうというような形で、そういう商業作家という観点であったり、その作家がどういうふうに経緯づけされてその価値がついたのかみたいなところの面白さですね。
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とか、これはそのブルーピリオドの漫画の受け売りにはなっちゃいますが、部屋に飾るとしたらどんな絵がいいんだろうとか、展示されているものの中でもし自分が何か絵を描くなら、絵の参考にするならという観点、あとは作品を見た時に自分でタイトルをつけたら作者がつけたタイトルとどんな違いが出るんだろうかというような形でいろんな観点。
での作品の鑑賞方法ということを知るようになってから、この2年間くらいですね、この素人の僕であっても鑑賞に深みが出たというか、楽しみ方が増えたなというふうに思っています。
それらに加えて今回の鑑賞方法と言いますと、少し変わっていて、疑問を持ったところとか気づいたところをメモするということをやっていました。
これはどういうことかと言いますと、作品そのものというよりは作品や展示を一歩引いた目で見た時に、自分なりに気づかなかった美術そのものだったり、そういった美術分野のことをこれどうなってんだろうなっていうところを見つめてみるということになります。
そういった内容について今回少しお話をしていきたいなというふうに思っていますので、収録にあたって改めて芸大卒典に参加される芸大生であったり、芸大そのものってどういうものなんだろうっていうところを少しでも理解をしておいた方がいいかなと思ったので、
この収録前に改めてブルーピリオド全巻を読み返して、芸大についてというところであったりとか、あとは美術の考え方についてというところを振り返った上で少しお話をしていこうかなというふうに思っています。
当日会場で箇条書きで書いていたものをベースにお話はしますが、皆さんも自分だったらこの観点どういうふうに考えるかどういうふうに思うかなというところも含めてこの後のお話を聞いていただけると嬉しいなというふうに思っています。
まずはですね、最初の一つ目なんですが、保存と修復の伝承も立派な美術の修理の賜物、科学と美術の接合というふうにメモをしておりました。
これはどういった時に感じたことかと言いますと、出会った中で修復画を作っている演じがあったりとかしたんですね。
例えばなんですけども、日本の昔からあるような巻物の絵というものを、いわゆる長寿儀画とか皆さん知っているかなと思うんですけども、そういった昔の平安時代とか戦国時代とかの巻物の紙質も含めて再現をしているというような展示がありました。
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加えてですね、修復技術を学んで卒業論文とかという形にしている方もいてですね、本当にすごいなと思ったんですけども、この中でやっぱり作品とかを見て感じたのは、本当に作品作りそのものだけが美術ではないなということであったり、
しっかりと科学的な裏付きに基づいて、その美術の顔料とか成分分析とか保存方法とかも含めてですね、科学をうまく使いながら美術の知識を使ってそういった復元をしたりとか研究をされている点ですごく感動したんですね。
そういった意味では、やっぱり作品として展示がされているところに目が行きがちですが、華やかな展示作品、作成された展示物だけじゃなくて、そういったものを伝える方法、残す方法というのも立派な学問であり、本当は着目すべき部分なんだなというふうに会場では思いました。
もう少しわかりやすくお話をすると、ステージに立っているアイドルっていうのはもちろんいるんですけども、そのアイドルが輝き続けて記録として残るには、やっぱりそのアイドルが踊っていたり歌を歌っているときに必要な照明とか音響効果、振付とか衣装とか、歌の作詞作曲、アイドルを支えるマネージャーがいるように、
いわゆるメインとなっている名画であったり、昔から残っている作品が美しいまま人前に出られるようになっているのは、こういった裏方で支えている方、もちろん裏方だけではないですけども、美しいままに保存されて、皆さんの前に展示できるようにしている絶え間ない努力であったり、研究をしている人がいるからということも忘れずにいなきゃいけないなというふうに思いました。
こういった意味では、この現代の時間軸で美術作品を美しいなと思って見ているのも大事なんですけども、この作品がどのように作られたか、これまで何百年と残ってきた作品がどのように修復されているのか、保存されているのかというところも、もしかしたら知れるとさらに楽しくなるのかなというふうに当時思ったということをメモをしておりました。
2つ目ですね。これはですね、目以外でも鑑賞するですね。やっぱり美術作品なので、目で見て綺麗だなとか、構図がいいなとか、色使いがいいなというふうに思うことももちろん大事ではあるんですが、作者の方がどういった経緯をたどってこの絵にしたのかなというところを、
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画風も含めて近づいたり遠くから見たりする以外にも、互換を使って感じ取るということは大事だなというふうに思いました。
もちろん僕自身がポッドキャストを始めたからというところもあるんですけども、やっぱり匂いであったり音というところもキーワードになっていたりするわけですよね。あとは展示されている空間、そういったものも含めて作品というふうに見るのは結構大事ですね。
当時作品を見たときに、とある海外の工事現場を作品としている方がいたんですけども、その方はずっと完成しない街という印象から、その展示会場に工場をしている瞬間の工具、いわゆる建築、ビルの建築とかしているときに足場を組むじゃないですか。
そういった足場であったりとか工具とかを展示をしているところに加えて、その工場をしている音というのを実際にフィールドワークをして収録をしてきて、会場に流していて、空間を作品に落とし込んでいるという形になっていました。
やはりそういうのを見ていると、目で見て工事現場というところだけではなくてですね、音であったりとか会場の設営の雰囲気もそうですし、視覚以外にもその人たちに感じてほしいものというのがあると思うので、目以外の観点でも鑑賞する重要性というところを今回改めて気づくことができました。
続いて3つ目のお話になるんですが、作品との距離ですね。どこまでをその作品から読み取って、どこまでを感じ取ることができればいいんだろうか。作品との距離をどのくらい近づければいいのかというところをすごく今回は気にしていました。
というのもですね、印象とか感じることというのは、どれだけ情報を入れるか、どれだけ作品のことを知るかによって変わると思っていて、作品そのものだけを見て自分自身が感じる印象と、作品のタイトルを踏まえて見て感じる印象、作者の方が作品の説明をつけていて、それを含めて見る印象、そしてその作品を作った作者の方自身のことですね。
これまでの作風であったり、どういった生き方をしてきたかというところも含めて作品を見る印象というのは多分違うと思うんですよね。
そういったところも含めて、作品と近づきすぎると作者がわかってしまうので、作品そのものを理解できるところはあるかもしれないんですけども、必要以上に感じ取ってしまわないか。
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一方で、作品だけを見たときに必要十分に受け取ることができてないんじゃないかというところを少し考えるようになりました。
ちょっと似ている話かもしれないんですが、またちょっと逆の考え方で、作品を見ただけではそれが何かよくわからないっていうような感覚もあったりするんですよね。
すごく脳外が処理が追いついていなくて、これが何だろうってすごく考え続けて頭が温かくなるような状態っていうのもあったりするんですよ。
でもそれはそれで結構大事にした方が良くてですね、ちゃんと自分の目で作品について考えてから、その作者が提示してくれているその他の情報ですね。
例えば今もタイトルであったりとか、説明であったりとか、作者の方がどんな人かっていう情報を受け取る。
受け取らなくても別にいいんですけど、きちんと自分から濃度的に作品を鑑賞する。
目で見るだけじゃなくて、どの程度距離を取って作品を鑑賞するかっていうのは少し大事にしていきたいなというふうに、今現在の自分としては思ったなというふうに思っています。
続いて4つ目の話なんですが、「消費をしているのでは?」という感覚というメモをしていたんですけども、やっぱりこういった大きなイベントとして認知がされるようになってから、
芸大の卒典というものがある種イベントや娯楽として消費されている、もしくは僕自身が消費しているんじゃないかなという後ろめたさを少し感じるようになってきたんですね。
それは面白いから行くとか楽しいから行くというのはもちろん大事なことではあるんですけど、作品が消費されているんじゃないかというふうにちょっと感じてしまったというのもあるんですよね。
例えばそのXとかでバズった作品があったりとか、ネットでバズったから見たいなみたいな、ちょっとそのいやらしい観点というか、消費に近づくような鑑賞の仕方になっているんじゃないかなというところが少し後ろめたさがあるというか、そこを少し感じていました。
じゃあ逆にどうやったらその作品鑑賞を消費じゃなくなるのかなというところになるんですけども、これまで2,3話した中で、やっぱりその能動的に作品からの受け取りをするというところも大事なんじゃないかなと思っていて、
これは具体的にどういうことかというと、見た瞬間の第一印象とかインパクトで感じるっていう部分もあるんですけども、それ以外にも多様な視点でその鑑賞対象の作品に触れるということも大事なんじゃないかなと思っています。
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例えば自分から問いを立ててみるっていうのもいいかもしれないですね。この作品が言いたいことは何なんだろうというか、この作品の素敵なところはどこだろうというふうに周りからの評価だけじゃなくて、自分自身が感じる印象とかっていうのを少しイメージしてみるっていうのも大事かなと思っています。
このメモはどちらかというと、自戒であったり反省の意味も込めてメモをしていたんだと思うんですけども、やっぱりその作者の思いであったりとか、そういうところも含めて表面的な鑑賞とか、そういうバズルとか面白いとか、
少しエンタメ要素として受け取りすぎてないかなと、少し立ち止まってみることも大事なんじゃないかなっていうのを少し感じたお話でした。
続いて5つ目なんですけども、映像作品の見方が未だにわからないというふうにメモをしておりまして、これはちょっと僕自身今までまだ感じ取れてないところなんですけども、
作品全体を通じて伝えたいことがあるし、受け取る印象であったり思いというのはあるんですけども、どうしても絵画のように静止している絵ではないので、作品を鑑賞している最中に映像が移り変わるというのもあるので、目移りしてしまうんですよね。
全体としてどうなのかというのもあるんですが、総理としてはどうなのか、どこの部分に着目すればよいのか、作者がこの1年の映像の中でどこを一番大事にしているのかというような、うまく全体と部分の鑑賞というところがまだまだできてないなというふうに思っているんですね。
会場で再生されていることは再生もストップもできないので、流れるままにしか鑑賞ができないですし、なかなか自分のペースで鑑賞できないというところに少しモヤモヤが残っているというような状況です。
逆に言えば、映像鑑賞をどのようにしたらいいのかなというのを少し時間が経ってから考えているんですけど、もしかしたら逆に考えすぎなのかもしれないですね。
もっとリラックスをして、世界観に先ほどは能動的に触れろというようなことを少し言ってましたけど、触れ方も結構大事かもしれなくて、映像というものは流れ行くということだから、かなり訴えかけてくるものが多いので、受けた印象というのをもう少し大事にしてみるというのも、もしかしたらいいのかもしれません。
何かを感じ取れたなら、それはそれでいいものなんだよというふうに思ってもいいのかなというのを、今2024年の自分にとっては思えている状況です。
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続いて6つ目の話になりますが、美術作品は生き物というメモを残していました。
これは前編でも少しお話をしたかもしれないんですけれども、作品の完成というのはどこに置かれているのかというのはわからないので、これが作品を完成させているという状況かというのは、少し立ち止まって考えてみる必要があると思います。
これ何が言いたいかと言いますと、絵画であったら、制作が完了した、つまり絵を描き終わったというところが、その美術作品の完成という状況なのか、展示場に設置をされて完成なのか、人に見られて完成なのか、そこから時間が経っていくことが完成なのか、
それともその作品がこれから先色あせて朽ちてなくなっていくところまでを含めて完成というふうにしているのかというところは、少し引いた目で鑑賞してみてもいいかなと思いました。
僕らが今、平安時代とか戦国時代の作品であり、絵というものを見ることもあるわけなんですけれども、その作品が出来上がった当初の絵の色合いとか様子とは違っているわけですよね。
ということはですよ、その作品は色合いを時間の中で熟成させたりとかですね、変えていくわけですから、たまたま今この瞬間静止しているように見えるけれども、これ2024年じゃなくて2010年とか2005年とか1960年とかですね、
そういった色んな点を組み合わせていくと作品は変化をしているので、これはもう実作品も生き物としていいんじゃないかなと思ったわけですね。
そういった意味では、今この2024年現在として見ているけれども、それはあくまでも一瞬静止している瞬間でしかなくて、これから先もう一回見てみると、もしかしたら微妙に絵というものの、
参加具合もそうですよね。そういった変化も含めて変わっているかもしれないので、理屈作品の完成というものを今このピンポイントの点としておかなくて、長い目で見てみると生き物としても捉えられるんじゃないかなというふうに思ったというお話でした。
続いて7つ目なんですけども、作品は誰のために、そして何のために作るのかなというところ、加えてその商業展示との違いって何だろうなっていうのを少し感じました。
やっぱりそれは時代それぞれとか作者とか、人によって考え方は違うけれど、昔絵というものは進行対象であったりとか、旧邸画家がいたりとか、商業作家という、ピカソとかもそうですよね。そういったものがあったりしたわけなんですけれども、今回の展示についてはお金を取っているわけでもないし、何かその対価を得るために作った作品ではないと思うんですよね。
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もちろんその卒業制作という点で、もしかしたら単位にはなっているかもしれないんですけども、課題として作っているというものはもちろんあるかもしれないんですが、その卒業制作に出した生徒それぞれがこの卒業制作において答えを出した作品というわけなんですよね。
今、この時間、この瞬間に自分が作りたいものでかつ、自分のスキルで作れるものでかつ、この卒業展示という場で作るべきものという観点で作ってきたわけなんですけれども、ここに出てきているものたちはどういった観点でどういった理由で出しているのかなというところを少し感じながら鑑賞したいなと思ったんですよ。
人によってはやっぱり人に見てもらいたいものでっていう観点で作った人もいれば、自分自身がこれを作らなければっていう何かその情熱であったりとか、使命感に駆られて作った人もいるし、その作品の向き先が自分なのか他人なのかとかそういうところも含めてですね、作っているものの紹介であったりとか、そういったものを見るのも結構大事かなと思いました。
一方でですよ、その商業展示とかっていうのはお金をもらうために必要なものを作るっていう観点もあるわけなので、自分自身の内在する思いだけじゃない時もあると思うんですよね。
そういった意味で作られた作品と、その作者がお金をもらいたいから作ったわけじゃないものの作品って多分両方あると思うんですよね。
そういった両方の作品を照らし合わせながら、そのいわゆる画家さんとかアーティストの方が作った作品っていうのを少し見比べてみて、この人の持ってるスキルの観点であったり、思いっていう観点で少し作品の見方を変えてみてみると、作品というものの鑑賞というふうに深みであったり、新しい観点が得られるのかなというふうに思ったというようなお話でした。
ここまでが1週目の大きなお話のメモだったんですけども、ここからもう一度2週目ということで、別日に行った日に撮ったメモの話をもう少ししたいと思います。
一つ目なんですけど、作者だけではなく、鑑賞者の記憶装置として作品も変化するというようなお話ですね。
印象的だった作品というものは、その作品そのものの良さだけではなくて、その当時鑑賞をしていた自分自身の記憶もひも付くという点で、当時面白いなというふうに感じたことをメモしています。
具体的には、例えば本当に素敵な作品があったときに、その作品自体が本当に印象的だったなという記憶だけではなく、その作品を見ていた自分の人生の一コマといいますか、当時どういうふうに過ごしていたとか、
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その作品を見るに至った経緯とか含めてですね、自分自身の記憶を呼び覚ます装置として作品が機能しているなというところを当時改めて思い出したんですよ。
もちろんこれは美術作品だけではなくて、普段自分が身の回りで持っているものに対しても記憶装置としてひも付く場合もあるんですけども、
こういった美術館の作品であっても、人それぞれ見た感傷の印象だけではなくて、その作品と触れた時の自分自身の記憶を記録している装置に変化するというところに、なんか面白いなというところを感じたというお話でした。
続いてなんですけども、文化格差というメモですね。
これはですね、ほんとちょっとメタ的なお話になるんですが、なんか日本もそうだけど文化格差ってあるよなって思ったんですよね。
仕方がないことではあるんですけど、僕自身は地方出身で冒頭紹介したように年に1回程度美術館であったりとか博物館であったりというようなところに上京するまではいたわけなんですけども、
大人になってこういうふうに美術に触れることができるようになってすごく感じてるんですけども、
やっぱり自分の生活圏内、移動圏内にこういった文化に触れる場所がある、そういった文化に触れるきっかけがあるっていうところがないと、
やっぱりなかなか地方格差といいますか、文化的な素養を得る部分で都会と地方に格差があるなというのを参照中にも思っていました。
やっぱり今の機会、僕自身も恵まれてるなというふうに感じるんですけど、やっぱりこの格差をなくしていったり触れる機会を増やすっていうのは、
もちろんそれが必要じゃない人いるかもしれないけれど、機会を奪うっていうのはやっぱり良くないなと思っていて、そこは今後教育としてもより課題になっていくのかなと思っています。
例えばですけども、入試に関して最近推薦枠の方が増えるという話があったりしますが、そういったところではやっぱり自分自身がこれまで経験したこと、やったこと、体験したことというところに注目されがちですけども、
それを得られるのは文化的な圏内にいる人ばかりになってしまうので、地方に住んでいる人であったりとか、いわゆる勉強で頑張っていた人がかなり不利な状況になるわけですけども、こういった意味で本当に今なお文化的な部分での格差っていうのは結構あるわけですよね。
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もしかしたらそういう文化的なものに触れていた人っていうのは、例えば芸大っていうものがあることを知っていたりとか、作品に触れて自分の人生を変えるきっかけに早く出会えていたりとか、あとは美術予備校なんてものがあるっていうことも多分地方にいる人はなかなか知らないだろうし、
そういうのを美術の先生が知っているかどうかっていうところ、仲良いかどうかっていうところもあったりとかですね、そういったところもあるので、やっぱり文化的な格差っていうのを今でも感じる部分はあるなと思っています。
僕自身がこうやって文化的な格差を感じているから何もしないというわけではなくてですね、例えばこういったポッドキャストという別の媒体でこういったものがあるよっていうのを伝えるだけでも、もしかしたら今まで触れてこなかった人が気づけるチャンスにはなるかもしれないので、こういったことも少し発信をしていきたいなというふうに思ったというようなメモでした。
続いては、作品は瞬間を所有することということで、すごく最近変わったなと思ったことがいっぱいあるんですけども、この10年とか15年で変わったことというのが、やっぱり皆さん美術館であったり、いわゆるコンサート会場もそうですけども、よく写真や動画を撮るなというふうに思ったんですよね。
今回の卒典でも写真撮影は大きなところがあったんですけども、本当にたくさんの方が写真や動画を撮っていました。
でもこれって本当に疑問でして、今目の前にあるものを自分の目で見ているのに加えてですよ、写真を撮ったりとかするのは、一体何のためにやるのかなっていうのをちょっと考えないといけないと思うんですよね。
画面を通して後で見返すことができたとしても、画面を通して見る作品であったり映像というものは、作者がその場で伝えたいものの再現のおそらく1%も切り取れていないと思うんですよね。
たぶん以前のエピソードでもお話したことあるかもしれないんですけども、やっぱり自分自身がその場にいて経験することというところをすごい大事にするのが、本来鑑賞としていいんですけど、そういった映像であったり写真として残す人が増えてきているなというふうに思っています。
そこで、じゃあなんで写真とかそういったものを皆さん撮っているのかなというふうに考えたんですけど、おそらく一種の所有というものになるからなんじゃないかなと思っていて、これはメモにも書きましたが、写真を撮って鑑賞をした瞬間というものがあったというふうに自分自身で所有すること、自分が作った何かを所有するというところで写真であったり、
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映像に自分だけの価値が生まれるというところもあるから残すのかなと思っていて、僕自身これまであんまり写真とか動画を撮るというところはどちらかというときちんとしたアウトプットがあるから、ノートの記事もそうですしこういったポッドキャストもそうですけども、事実確認として残すという意味もあったんですけども、
自分自身で手に入れたものを所有したいというものはものだけではなくて、映像や写真にもあるんじゃないかなというところに今回気づくことができたというところでメモをしていました。
そして続いてなんですけども、コロナ禍の影響というところをメモしていました。
もちろん皆さんも感じていたところではありますが、この2,3年間というのはいろんな制限がある中で機械損失をしたことがたくさんあったわけですけども、芸大生の方々もそれに漏れず、かなりいろんな制限を受けていたんじゃないかなというふうに思っています。
芸大では昔、みんなでおみこちを作って、上のあったかそのあたりを練り歩くような行事があったらしいんですけども、そういったものもなくなってしまったりとか、コロナ禍になったので学校で集まって授業ができてなかったりとか、いろんな作品に触れる機会というのをかなり削ってしまったと思うんですよね。
学校に行かないということは、やっぱり内向的な時間も多かったと思うので、かなり作品制作には影響を与えたと思うんですよ。
そういった中で作品を作り続けて出したものは、やっぱりそのコロナ禍の影響というのは少なからず作品の中に生まれていると思っていて、本当にかわいそうだなと思いつつ、自分に向き合うことが好きな人にとってはある種、いろんな余計な情報がない中での作品制作になったので、いい分もあったのかなと思っています。
だがしかし、やっぱりコロナ禍があったせいで生まれた作品、生まれなかった作品というのもあったと思うので、コロナ禍だった世界線でこの作者の方が出した答えというのがここに展示されている作品なんだなというふうに見てみると、やっぱりその作品の見方も変わると思うし、そこまで苦しい状況の中で作り上げたことへのすごさがあるなというふうに感じたなと思っています。
次が最後になりますが、作品の評価は絶対ではないというところですね。今回いろんな観点で僕自身が感じたこととか思ったことっていうのをお話はしていますが、この展示されたものというのはいろんな人の目を通じて今後も評価がされていくかなと思います。
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もしかしたら、この卒典の中で展示された作品であったりとか、そこをベースとして作り上げられていく作者の作品というものが今後の美術史の中に残るかもしれないし、一方で二度と見れない作品もあるかもしれません。
ただ、ここで言えることは、現代のこの段階ではこれまでの歴史を踏まえてどのように作られたか、どのような牽引付けがされて評価がされたかみたいなところがあるんですけれども、これはあくまでも2024年、現代の時点での評価に過ぎないという観点は持っておく必要があるかなと思っています。
ですので、すごく僕は大事にしたいなと思うのは、今、世間的に評価がされていなくても、自分自身がこの作品いいなと思ったものがあると思うんですけれども、その考えはすごく大事にしてほしいなと思っていて、
別に今この時代だから評価されていないだけかもしれないし、未来の美術館の中では評価がされているかもしれないので、自分自身がいいなと思った作品はすごく大事にしてほしいなと思っていますし、僕自身も大事にしたいなと思っています。
世間の目で見た時に名画、絵画と呼ばれるものだけの評価が絶対ではないなというふうに思っていてほしいです。
ということでちょっと長くお話をしましたが、今回その自己対話というか、自分が思ったことを改めて再考してみるというところにあったんですけれども、この中で出てきた自分の評価の仕方であったり、鑑賞の仕方であったり、思ったことというのは、
2024年現在の自分自身であることで、これは今の僕の考え方なんですよね。これっていうのはもちろん鑑賞する側も変化をしていく、いろんな人生を歩んで見ていく観点が変わっていくというところにあると思うので、今現在のものは今現在のもので大事にしたいし、これから先頭を柔らかくしながら新しい見方で見ていきたいなというふうに思っています。
ただ一方で何でもかんでもいろんな観点で見ればいいというわけでもなく、シンプルに好きかどうかなという観点もやっぱり大事にしたいなと思っていて、僕はこの2年間で美術に対して面白いなとかいろいろ見てみたいなというふうに見ていったわけですけれども、
作品を見るためのいろんな道具を得てしまったがゆえに、作品に対して解像度が上がってしまったわけなんですよね。
これっていうのは本来、自分が感じ取る必要以上のものを持ってしまった可能性もあるので、作品を見たときにぱっと見の印象でいいなとか、なんかわかんないけどこれいいなっていう観点から、
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これまでこの2年間自分が知ったこと学んだことで、マークシートみたいな形で作品を評価をしてしまうんじゃないかなという、若干危なさもあってですね、ちょっとそこはバランスを問いながらやるべきだと思うんですけど、やっぱりそのこの作品好きだな、何でだろうっていう、先にまずこの好きだなという感情が湧くかどうかというところも大事にしたいなと思っていて、
この観点ではいいな、この観点ではいいなというのは後ろ、後の方がいいかなと思っているところですね。
僕は別に絵画の評論家でも、画賞とかでもなんでもないですし、単なる現代人、一般人ですから、やっぱり自分自身の内在する思いというところで、シンプルに楽しい、面白い、いい作品だなというふうに評価をしつつ、他の観点で見たらこういうこともあるよねとか、
これってこういうことなのかなとか、濃度的に作品を鑑賞しつつも、深く考えすぎず鑑賞もしたいなというのが、今この2024年の僕自身かなと思っています。
僕自身がこの感じたことということが、もちろん皆さん聞いている方と同じかもしれないし、違うかもしれませんが、これがさらに西暦3000年になった時に、この鑑賞方法が古典的だったのか、斬新だったのかというところがまた変わってくると思うので、そのあたりも少し楽しみにしておきたいなというふうに思っています。
ということで少し長くなってしまいましたが、皆さんはどういうふうに鑑賞されているでしょうか。
こういった形で、この2024年の現在の僕自身の鑑賞方法というところを少しまとめることができましたので、改めてまた2025年であったり、今年の後半、作品を見て変わったこと、そして新しく知ったことがあれば、また皆さんにお話できたらいいなというふうに思っています。
ということで、2024年2月の現代人でした。
ということでエンディングです。
今回は芸大卒典と自己対話後編ということで、作品鑑賞を通じて感じたこと、考えたことを改めて振り返ってみました。
2024年の自分にとって鑑賞とは何かということを振り返ることができましたし、今後どういうふうに僕自身が作品に触れて感じていくのか、少し楽しみになってきました。
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お気に参が共感できた鑑賞方法であったり、皆さんの鑑賞方法についてもぜひ教えてください。
番組の方での鑑賞としてお待ちしています。
鑑賞はXのハッシュタグエコー3000、またはPodcastの各種プラットフォームの鑑賞を書けるところからコメント等々お待ちしておりますのでよろしくお願いいたします。
では今回はここまでです。
現代人の皆さんも未来人の皆さんもまた次回お会いしましょう。
じゃあね。
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