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Ryoheiです。 Ayakaです。
研エンの仲は、研究者のAyakaと、エンジニアのRyoheiが、その時々で話したいことを話すポッドキャストです。
概要欄にあるGoogleフォームで、質問・感想・リクエストを募集しています。
Twitterのハッシュタグ、研エンの仲でも、感想を待ちています。
てことでね、久しぶりにこのオープニングの提起文をやりました。
前回、前々回かな。これやろうぜって言って、完全に前回忘れてましたけど。
こういう提起文があった方が、話し始めやすいんじゃないかっていう実験を今してますね。
なるほど。
どうなることやら。
今日は何について話すかというと、
最近ね、美術館とか行ったり、結構アートっぽい体験をすることがありましたね。
最初に行ったのは、写真美術館?エビスの。
エビスにあるやつ。
あれ結構ね、僕は割と大学生の頃はよく行ってたんだけど、久しぶりに行って、面白かったですね、あれね。
結構行ってました?写真美術館は。
いや、そんなに行ってなかった。
2つ主に展示を見て、1つは野口理香さんっていう写真家の人の個展。
で、もう1つは日本の新進作家。写真家とは限らない感じですよね。結構インスタレーションとか。
そうですね。
で、1人1部屋、作家の人が自分の作品を展示してるっていうのを、5、6部屋ぐらいあったかな。
映像写真がメインなんだけど、それに限らずいろんな形のアートっていう感じかな。
いやー、なんか、野口さんの作品も良かったですし、その若い人4人の作品集みたいなのもどちらもすごい良かったんですけど、
なんか、より、なんていうんだろう、人の解説みたいな、キャリアの解説みたいなのが結構しっかりしているなっていう印象があって、
で、なんかこう、なんだろう、アーティストとか写真家、映像作家ってどうやってなるのか分かんない道の1つですよね。
特に普通の美大とかに行かなかった人からすると、なんかどういうルートでなればいいんだっていうのがイメージがつきにくい領域だと思うので、
なんかそれが、彼ら彼女らの経歴が説明されていることで、こういう感じでなってくんやみたいな。
確かに確かに。なんかこう、ね、現代アートとか西洋美術の美術館って作品作品作品みたいな感じ。
で、それをテーマに沿って並べましたみたいなこともありますけど、今回言ったのはたまたまですけど、
その人のいろんな作品を展示したり、時代も背景も昔撮ったやつ、最近撮ったやつとかあったり、その後に行ったその新作家のアンテンライカーも1人1部屋で、
1点じゃなくて、いろいろこう展示してあって、で、こういう興味がある人なんだなってことが分かるような繋がりが見えてくる。
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で、かつ、そこの人が書いた文章だとかも載っていたりするので、それをね、結構人を中心に見れたっていうのは結構面白いだけ。
そうですね。なんかそれが、なんだろう、結構身近に感じる出来事だったというか、なんかアーティストっていう生き方に対しての解像度がなんかちょっと上がった経験で、すごく良かったですね、それが。
それが結構、11月かな?に行ったやつで、で、その後、もう一回たまたまだけど、なんか予定の後に僕の中学の同級生が今そういうアーティストをやっていて、現代アートのインストレーションとかを作っているんですけど、
その個展、ダブル個展なんですけど、1部屋、作品を展示してるっていうのを聞いたので、それに行こうということで2人で行ってきましたね。
すごい楽しかったです。
なんかこう、それはどっちかというとね、美術館でっていうよりもっと小さいからの2部屋だったので、規模としてはもちろん小さいんですけど、その分、アーティスト本人が在牢をしていて、
僕もなんか久しぶりにつって、いろいろ話したのも楽しかったし、その中でやっぱ作品にどういう経緯でこの作品が生まれたのかとか。
直接ね、やっぱり。
直接聞けるっていうのはやっぱ。
作った人に話を聞けるっていうのはやっぱりいいですね。
それは全然やっぱ違う体験ですよね。
どうでしたか?その話を聞いて。
すごく面白かったですし、やっぱりなんか本人から話を聞くっていうことの価値というか、やっぱりなんかこう、面白いなっていうふうに感じました。
やっぱ画廊でどうやってまず古典ってやるんですかみたいなとこから聞けたから、なんかそれが個人的にはやっぱりなんか印象的だったというか、こういう感じなんだみたいな。
たまにね、例えば銀座のギャラリーとか行ったら、大きいギャラリー、有名なギャラリーもあるし、もっと個人でやってるようなギャラリーもあって、そこで展示してるけど、それがなぜそこに落ち着いたのかっていうことを知る機会とかってないわけですよね。
でも多分アーティストの人にとっては、なんかそういう機会がもらえるならやりたいしとか、あとはね、自分からこういうところはやりたい、こういうところには出したくないとかって、もしかしたらかもしれないし、なんかそういうこう裏側の部分で聞こうにも聞けない話だと思うんで。
あとやっぱりいくつか、そのなんだろう、いろいろ並行して準備しているわけですよね。ある古典の準備をしながら、なんかそうじゃなくてショーに出すやつを準備するとか。
研究者と似てるかもしれないですね。
そうそう、なんか多分生活サイクルというか、が結構似てるなっていうのはちょっと思ったりして。
確かに、なんかね、講演とかそういうね、司会とか頼まれて、でも自分の今やってる最新の研究じゃないテーマについて話を聞かれることも、研究ではあるわけですね。
アーティストの人もね、結構そういうのあるのかなって。
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ありそうでしたよね、やっぱりね。
なんか今、今ここにこれを展示してるけど、その今現在進行形作ってる作品は別の古典に出すものを用意しててみたいな感じだったりとかするんで。
一応、ちょっとこれは回帰終わっちゃってるんで、一応どういう展覧会に行ったか紹介だけするんですけども、
京橋アスクというギャラリーでやっていた岡智美さんっていう方の、黄昏時の部屋という古典に参加してきましたという感じですね。
もう一つの展示もすごい面白かったんですけど。
カイコの。
カイコの、黄昏時の部屋のインスタレーションの方は水の境界線をテーマとした展示ということで、水を使った、水とストロボライトとかを使ったインスタレーションで。
なんかすごい体験として面白い神秘的っていうのもあるし、なんかそれを生まれた経緯とかもいけて、より面白かったですね。
で、そのダブル古典はもう一つの方も結構、あっちの方はなんかどっちかというとなんだろうな、ウェットのインパクトは結構大きかったかな。
その驚きっていうよりなんかすごい存在感みたいな感じで。
おばあさん、作家の方のおばあさんのおばあさん、高祖母っていうのが、昔、昔、おばあちゃんから聞いた話で、昔カイコの眉を口に含んで糸を出していたみたいな話をうっすら覚えてたみたいな話を聞いて、
それってどんな感覚、どういうことってなって実際にやってみたっていう映像を展示してたやつですね。
もう2人とも材料していらっしゃって、話を聞けたので、どっちも僕は結構印象に残って。
そうですね。
確かに。
生活の中でカイコと共に生活するっていうのがどういうことなのかみたいなことに関して、なんかすごく考察した内容であったり、それをインスタレーションという形で表現していて、
まあなんかどちらもすごく面白かったですし、なんかやっぱり結構ね、同世代ぐらいの人でアーティストしてる人の話を聞きたいっていうのはなかなかなかったんで、すごいそれがまず楽しかったです。
全然違う生活というかをしてるのだろうけど、なんかでも実はね、興味とか話題とかあったりして、それも結構面白いですよね。
確かに。
お母さん作品の楽層、楽自体が結構凝ってて、小さくて可愛くて綺麗でしたね。
なんかすごい楽に興味を示してたよね。
そうだね、なんかどうやって作ってるんだろうなみたいな。
なんかそういうの自分で作ったりするのとか、りょうさん好きですもんね。
リアウォーとか机を作ったりとか。
そうだね、最近机を拡張して推進したんですけど、なんか元々120センチぐらいの板を買ってきて、
で、スタンディングデスクに、なんか何でもスタンディングデスクにできるキットみたいなのがあって、足だけ買ってきて、それで作ったっていうやつを作って。
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なんかその、なんだろう、そういうDIY、日常的なDIYだけじゃなくて、なんか前普通にそのなんだろう、工学部だと、こう研究の一環としてそういうアート的なものを作ったりすることって結構あるじゃないですか。
学科、大学院なんで研究科なんですけど、そこで製作展っていうのを毎年やっていて、で、メディアートを芸大の有志の人、学生さんとコラボレーションで一緒にメディアートを作るっていう、ワークショップみたいな授業みたいなのがあって、それで作ったりもしてましたね。
それでなんか音声芸能などの演じとかやってましたよね。
そうですね。2作品出したんだけど、その一番メインというか大きいやつは音声ガイド、美術館の音声ガイドが面白いなって思って。
それをテーマに、その時かつ、それこそチャットGPTじゃないですけど、自動で機械学習で何かを生成する、例えば絵とか音声の合成だとかっていうのがだんだん本当にできるんじゃないかみたいな自然なことができるんじゃないかっていうことが分かってきた時代時期だったので、6、7年前くらいかな。
それを使った作品を作りました。具体的な音声ガイドで、ヘッドホンタイプのやつをつけて作品を4つ見てもらうんですけど、その作品4つっていうのは普通に楽奏されていて、株に貼ってあるような普通のいわゆる絵画みたいな作品をイメージして作ったんですけど、最初は人が描いたもの。
もう一つ機械が描いたものをベースに人が作ったもの。で、逆に人が描いたものを機械が加工して作ったもの。
で、最後は、その当時ちょっとディープドリームみたいなのがあったのかな。そういう生成モデルを使った、絵画の生成をしてくれるようなモデルがあったので、それを使って完全に人間の手を使わずにランダムに生成したものをパッと貼り付けたものっていうのを用意して、それを解説機で見てもらうってことをしました。
こんなに解説することになるとは思わなかったから、だいぶ久しぶりだったんですけど。
そういうのを作る経験を通じて、アートに対する感覚とかっていうのが自分がその一部というか作り手になることで変わるところがあるのかなっていうふうに思ってちょっと聞いてみたんですけど。
なるほど。結構そのメディアとそのものは好きで、かつ自分がね、そういうプログラミングとか学ぶ上で、作ろうと思えばというか、アイディアともちろん経験とがあれば作れるんだろうなというのはあったんですけど、やっぱり実際に作ってみると、なんかいろいろ要素盛り込みすぎてしまったりとか、それをなんかね、実際解説とか文脈とかなしで楽しめるようにするっていうのはすごい大変だなっていうのは思いました。
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確かに。
ちなみにさっきの解説、作品の解説はまだ終わりじゃなくて、実は音声ガイドを聞きながら作品を見るんですけど、その音声も最初は人間がリアルタイムで別部屋からですね、それを見ながら喋ってるんです。
すごい。
すごいリアルな音声だなって思ってもらえたみたいなんですけど、だんだんそれと録音された音声をフェードで繋ぎ替えて。
いつの間にか僕の声に似てる機械の音声に合成して、だから最後は全然機械合成だなって明らかにわかるような声にだんだんなっていくと。
で、どこが切り目だったんだろうっていう。
っていうのがわかんない。
わかんないっていうふうな仕掛けにはなっています。
まあでも今説明しただけでも結構要素多いみたいな感じだったと思うんですけど。
だからそれはやっぱり視覚と聴覚をリンクさせたいみたいなそういうモチベーションもあったし。
やっぱなんかそういうなんか人か機械かわからないみたいな。
例えばなんか電話の応対とかでも結構だんだんありつつありますよね。
そうですよね、最近はね。
かなりリアルな音声なので、そういうのを体験すると人、でもロボットっぽい人っているじゃないですか。
なんかすごい機械的な関与されると、あれこの人機械なんだろうなと思って話してると、あ、人だったわみたいな。
だからちょっとすごいゾワッとするような体験が、なんかそれに似たようなことを思ったんですね、そういう体験をして。
で、なんかこれを体験に落とし込む、インスタレーションみたいな落とし込みでどうすればいいんだろうってことをその当時は考えて。
なるほど。
だいぶ懐かしいですね。
なるほどですね。
まあでもなんかそういうパッケージというか、一つの作品ですっていう形にする大変さっていうのは結構思いましたね。
だからやっぱそういう現代アートとかインスタレーションを見て思うのは、作者が横について解説とかしなくても鑑賞してもらえるってそういうことなんだって。
うん、確かにそうですよね。
まあそれこそそういう、なんだろう、美術館とかに飾ってあるものっていうのは基本的には作者はいないわけですね。
だからそういう意味ではなんか、美術館にポッておいて最低限の説明を読むか読まないかもわかんないぐらいの説明だけでもわかってもらうっていうのは結構ね、難しいことなんだなっていうのを当時に感じましたね。
あとなんかさらに思うのは、やっぱそういう時代の感覚みたいなのに影響する作品でも僕のやってたことはあったなと振り返って思っていて、
やっぱなんかその当時のその感覚っていうのがわかってる人にはなんか理解してもらいやすいけれども、
でも美術館に残るような作品って30年と50年後でもおおって思わせる力があったりするから残ってるっていうのはあるじゃないですか。
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それもそれですごいことだよなっていうね。
確かに。そのやっぱ時々感というか、例えばそういうAIとの融合みたいな話って多分ここ数年ですごくたくさん作品が出てきたんですけど、
完全に溶け込んだ世界ではどう感じられて、数百年後にどう感じられているのかとか、なんかね、その辺やっぱ気になりますよね。
数百年にどころじゃないか多分10年で変わりますよ、その辺の感覚ってね。
確かに。なんか私はどっちかというとそのなんだろう、私は野口さんの作品とかを写真とかを見て、
なんか自分がその映画とか研究のなんかそもそも根底にあったものみたいなのを結構思い出したというか。
映画って言ってるのは映画館とか映画サークルをしてた時の話ですよね。
そうそうそう、私は大学1年生の時に映画撮ったりしてて、なんかなんでやってたんだろうなっていうのを今全然撮ってないし、なんか思い返した時に、
なんか自分がこの美しいと思った景色とか、こういう角度とか、こういう物語もそうかもしれないけど、こういう瞬間を残したいみたいな、なんか瞬間を残したいっていう気持ちだと思うんですよ。
写真ってそういう芸術だと思うし、ある瞬間を残すとか、ある見え方を残すみたいな、その見え方を強調するためにいろんな技術があるみたいな感じだと思うんですけど、
なんかまあその見え方を作るっていう意味で映画とか映像作品っていうのは結局一応世の中にあるものを撮ってるわけじゃないですか。
絵画みたいに自分で描いたり、メディアアートみたいに自分でその新しい視覚刺激を作ったりするわけではなくて、あるものを撮っている。あるものを撮ってるんだけど、視点を提供するっていうことですよね。
だからなんか、そういうことにすごく興味があったんだなみたいな、こういう視点を共有したいとか表現したいみたいな、そういうある種の、自分の内側にあるものっていうよりは自分を通した外側の世界を表現したいみたいな、そういう自己実現の欲求、自己表現の欲求。
自分を見てくれとか、自分のこんなことを考えてるのを見てくれっていうよりは、その自分の視点を通して、見た外の世界について伝えたいってのがあった。
なんか割とそれは研究にも通ずるところがあるなと思って、なんかその対象というか発見を通じて視点をシェアするみたいな感じじゃないですか。なんか本当に自分の中だけでできたものをシェアするっていうのはどっちかというと小説とかそういう世界観構築、小説とか漫画とかにおける世界観構築とはまた別の方向の芸術ですね、写真とか映画とかって。
まあ映画はストーリーっていうのもあるし結構フィクションもあると思うんですけど、そうですね、まあそんな感じのことを思い出したというか、なんかそういうなんだろう、自分のアイディアだとか視点を表現したいみたいな感覚を、こんな風に視点が美しく表現できたら絶対気持ちいいだろうなみたいなことを思いながら見てました。
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まあじゃあ今振り返ってみると結構その似てたのかなみたいな、経験モチベーションとかと。
まあ別に経験が似てるかって言うとそんなに似てないんだけど、モチベーションとか背後にあったものっていうのを、純粋な気持ちを思い出したって言ったらなんか変な話なんだけど、その研究に関しても、こんな気持ちを私昔は思っていたかもしれないみたいな、今はそんな風に思ってないけど、今はそんな風に思ってないけどって言ったらだけど、なんかそういう純粋な視点で楽しめているかなっていうことについて思い直した。
というか、そうね、なんかこういうアイディアとかを表現したいっていう感覚が自分の中にちゃんとあるかって、やっぱ論文実際書いてると、なんだろうこうレビュアに叩かれないようにとか、なんかその評価される、する側の視点をかなり意識しながらやっぱり書くし、その批判を受けないようにみたいな感じで、
なんかロジックを詰めるところのほうが精一杯で、メッセージとか自分の視点みたいなところってなかなか入れづらいよね。それを入れすぎるとなんかやりすぎになっちゃうし、なんか塩梅が難しいんだけど、だからやっぱり写真もでもそうだと思うんだけど、確かにそのストーリーが伝わる技術とか、なんかこういうそぎ落とされた要素を入れる、それに自分のメッセージとか視点が少し入ってるぐらいの、
そういう多分バランスじゃないと、なんか一人よがりの写真は多分ああいう形で残っていかないと思うね。ある種自分を、自己表現なのに自分を消す、けどその人らしい視点があるみたいな、なんかそこが一番なんかこううまいクリエーションの具合なのかなっていうことをなんか考えていて、
ちょうど私その写真美術館に行ったときは、若干研究に対してなんかモチベーションが下がったっていうよりはなんかちょっともういろいろあってなんか疲れたみたいな感じだったんだけど、それを見てなんかすごい元々の純粋なモチベーションというか、こういうふうになりたいみたいなことを思い出して、
なんか研究なんか嫌になったはずだったのに、てかなんかこう気分でかいに来たはずだったんだけど、なんかその思いも得られるところからそうやってなんだろう、インスピレーションというかを得られるっていう意味で、なんかこうアートの力っていうのはやっぱすごいなってその時思ったかな。
ね、まあこういいインスピレーションもらったけど、なんかそれがもらえるとは思っていったわけじゃない。
そうそうそう、そうなの、全然そういうふうに、まあ気分転換ぐらいのつもりで行ったんだけど、なんかでもこういう景色とか感動とかそのなんだろう、こういう視点をシェアしたいみたいな、それ多分一番最初になんかデータ見たときの感動みたいなものだったり、なんかもう正直書くときになるとだいぶ薄れてんだよね。
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最初に現象とか見つけたとき、これすごいかも、面白いかもって思った瞬間ってなんか確かにあったんだけど、なんかそれを書く段階になると、まあでもこれってもしかしたらなんとかって現象と似てるかもとか、なんか自分は二番煎じなんじゃないかみたいな感覚って、それは多分アーティストの人にもかなりある、そういう自問自答ってのはあると思うんだけど、やっぱりそういうね、なんかアーティストの人もやっぱ新しいさとかその人らしさっていうのは求められると思うから、
なんかそういうところ、なんかそれがなんだろう、こうそういう葛藤の中にこうなんか混じり気のない、こうなんだろう、アウトプットを出すっていうか、なんかそういうところがすごいすごいなあ、プロもあって思った。
まあわかんないけどね、外から言えてるだけでは。
まあ想像してるだけだけど、でもまあ確かになんかそういう感じの人には思いましたね。まあ写真家がみんなそうなのかっていうのはわかんないけれども、まあ少なくともその古典に行った野口裕香さんの展示は結構そういうちょっと素朴だけど、こうシーンのあるアイディアみたいなものをこう形にしていってっていうスタイルの方に見えたので、まあそういうのは面白かったですね、確かにインスピレーションもらえたっていうのはあると思います。
まあでもなんかこういうの、でも狙っていくことはできないっていうのはなんか難しいですね。
そうですね。
やっぱこうアートを取り入れてとかインスピレーションをもらいに行こうって逆に行こうとすると、なんかなんだろう、そういう気分じゃない作品当たっちゃったりとか。
うんうん、確かに。いやー本当になんか、まあなんかなんだろう、まあどっちかというとただただ疲れていたみたいなタイミングだったから、なんか逆に、なんかなんだろう、まあたったにリフレッシュっていうつもりだったのが、なんか思った以上になんだろう、原動力的なところをこう刺激されたかな、意外とみたいなことがありました。
よしさんはどうですか。
なんかそれ話で思い出すのは過去にカルチャー回、人生にカルチャー必要かっていう回を撮ったと思うんですけど、なんかまあその時にもやっぱりこうなんだろう、何かを求めて映画を見たときにはなんかちょっとなんだろう裏切られるけど、でもなんかそうじゃないタイミングですげえいいなんか人生を変えるみたいな、まあ人生が実際に変わるかっていうよりは見方がどっちかというとさっき言ったみたいな見方が変わるみたいな話ですけど、
それはもらえる瞬間ってのがあるんだなみたいなのがあって、でもなんかまあ難しい、そういう付き合い方って難しいなとは思いましたね。
まあだからやっぱり、なんか定期的に触れていく必要はあるのかなっていう感じはした。
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し、まあなんかこう何も、まあ何もなかったなみたいなすごい綺麗な写真だったなっていうきっと回もあるんだな。
そうだよね。
し、なんかでもまあそれでもこう別に何かをもらいに来たわけじゃないしって思って、またなんか見たくなったタイミングで見るっていうのが大事なんだろうなとは思います。
確かに。
それはなんかあらゆるカルチャーに共通していることなのかもしれないなとは思いました。
そうだね、確かに。
カルチャーかあまりアートの話はしなかったよね、どっちかというとコンテンツ。
まあ映画とかコンテンツとか。
映画、音楽とかそういう感じが多かった。だから家で消費できるというか、タイプのもの。
展覧会はそれで言うと、より行くハードルっていうのは高いけれども、なんか逆に言えばしみきりがあるじゃないですか、展覧会はいつもあるっていうのがあって、
逆に行ってしまうと結構すごいその写真に囲まれて、その写真のことしか考えない瞬間とかは得られるわけで、
まあそういうのも結構小説とかよりは逆に忙しくても行ってしまえばそこに集中できるっていうのがいいのかなと思いました。
確かにね、確かにそうかも。
なんか小説を一本読み通す体力がなくても、なんかそのね、帰りにちょっと寄るくらいだったらできるかもしれないし、
まあ人によってちょっとね、そのハードルは変わると思いますけどね。
確かにね、いややっぱりそういうなんだろう、なんかカルチャー人生に必要がかいのことを私は全然思い出してなかったんだけど、
思い返してみると、確かにそうやって、何だろう、定期的に自分の原始的なモチベーションを思い起こさせるみたいなタイミングって多分なんか必要で、
なんか何かしらのこうクリエイターとしてやっていけてる人、なんかやっぱプロの話を聞くってやっぱいいよね。
話を直接聞くじゃなくても、その何だろう、説明文を読むとかでもいいんだけど、
なんか本当に、なんか前別の回でも言った気がするんだけど、年々年々何かのプロであることに対するなんか尊敬がね、すごい湧いてきて、
どういう職業だったり、どういうアウトプットであっても、一つのことを突き詰めてとか、
まあそのアウトプットが自分の作品だって言える人すげーみたいな。
そうだよね、本当にそういうのに対するなんか感覚とかが、なんか今で言うと私ね、サッカー選手とか、
ワールドカップ今やってるんですけど、ちょうど。
サッカー選手の遺跡の話とか読んでると、なんかこう結構来るものがある。
母祖族とかそういう研究でもそういうのあるなーみたいな。
そうそうそうそう、やっぱ遺跡してチーム移ってとか海外挑戦したりとか、なんかやっぱそういう、なんだろう、こうキャリアをどうやって進めていくかみたいなところ。
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なるほどね。
で、なんかこう、なんだろうね、インスピレーション受けるとか言ったら変だけど、でもなんか今すっごく活躍してる人でも、
例えば高校サッカーやってる時には、そんないろんなところからめっちゃ声かかったわけじゃなかったりとかするし、
なんかどこで才能を開花するかっていうのはやっぱ人によって結構違ったりするから、
もちろん今日本代表になってるような人たちって間違いなく全員めちゃくちゃ才能はあるんだけど、
なんかでもそれが人の目に止まるタイミングっていうのは結構人それぞれで。
なるほどね。
まあ確かにでもなんか自分もこうね、将来的な例えば転職とか社内の中でも、
どう自分を確立していくかみたいな考えた時に、実はサッカー選手のキャリアとかと近いところはあるのかもしれない。
研究者はより多分それが近いっていう。
だからこそこういろんな刺激というか、共感とかもあったってことですよね。
それでも結構面白いサッカーの見方ですね。
サッカー選手側に重ねてる人そんな多くないんじゃないですか。
いやいや別に自分が重ねられるとは思ってないよ、だってね、向こうはなんか10億円プレーヤーとかってさ。
なんかじゃないけど、でもなんか今日本代表になってる人たちも結構なんだろう、輝いてる時期そうじゃない時期とかいろいろあるんだなみたいな。
もちろんずっとね、ずっとなんかもう日本のユースのベストとかに選ばれ続けてる人もいるけど、そういう人ばっかりじゃないし。
あとあれですよね、ポジションって言うと分かりやすいので、例えば聞いたことあるのはゴールキーパーとかはやっぱチームに1人しかいないので、
そこを勝ち取るのは運とかも必要だというのは、見ててもそうなんだろうなって当然思うわけじゃないですか。
出場しないと結果は出せないけど、結果を出すためには出場して経験を積むことも必要だったりするし、
なんかああ、でも仕事もそういうとこあるよなみたいなのはありますよね。
そうですね、私は自身ちょっと留学してたこととか、これからちょっと留学を考えていたりもするので、
その辺を考えてなんだろう、海外挑戦みたいなところもなんか自分の中ではこう、
割と今回の日本代表ってJリーグからの人もいますけど、結構外からっていう人も多いですよね。
そうだね、結構ね、全然サッカー素人だから、なんかその所属が本当にいろいろでびっくりしたよね。
やっぱそうやってなんかみんないろいろ挑戦しているんだなっていうのがわかって、それもなんかすごいなって思いました。
あとサッカーって本当にインターナショナルスポーツなんだなっていうのは思いますよね。
なんか他の代表のチームの所属とか見ても、全然その出身の出場してる国の名前と違う名前があるってことは、
別の海外のリーグで挑戦しているっていうことだし、なんかそういう意味ではエンジニアとか研究者と近いですね。
そうかもしれないですね。
野球とか相撲みたいなのはどっちかと言うとね、数カ国の中でご史上があって、特に野球は例えばアメリカが頂点で、
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あんまその国外リーグとかでプレーしてるっていうのはアメリカ以外ではあんまり聞かないですよね。
メジャーか日本かって感じですよね、基本的にはね。
野球もそんな知らないんで実はってあるかもしれないけど、
まあでもなんかそのグラデーションの中では多分サッカーかなりインターナショナルな方なのかなって見てて思いましたね。
まあね、だからサッカーもさ別に全然そういうところにインスピレーションを受けようなんて1ミリも持ってなかったわけだよね。
最初はなんか勝ってるらしい、しかもなんかめちゃめちゃその適当に見てますよね。
最初のドイツ戦とかまあ勝てると思ってなかったからね、まず。
だからなんか全然ただ私めちゃくちゃなんか運が良くて、見てる時にだけ全部点が動いたみたいな感じだった。
ドイツ戦はなんか最初はどっちが点入れたのかな。
最初ドイツが点入れて、でその瞬間からちょうどなんかテレビをつけたみたいなタイミングで。
多分僕はもうちょっと前から見てて、でなんかテレビつけたらやってて、
なんかてか入りそうで役さん呼んできたら入ったってなって、
じゃあ負けちゃうのかなって言って、その後お風呂に入って、
で出てきた、で髪乾かしてる時に僕は結構チャンスになったんで、
呼んできたらその瞬間になんか同点、逆転みたいな。
一番美味しいとこだけ見て。
一番美味しいとこだけ見て。
やったーっつってすごい急にファンになって。
ミーハー、ミーハー。
いやでも全然私は本当に何だろう、見てなかったんですけどサッカー。
普段から見てるとかでは全然なかったんですけど、
なんか多分F1にハマったことで。
そうだね、確実にそれはあると思う。
スポーツ選手とか全体に対する、
スポーツについてどう調べればいいかみたいな感覚がちょっとわかってきていて、
なんかこう、調べると楽しいみたいなのを学習してしまっているので、
それもあって選手のことを調べ始めたりとか。
そういうことか、そういうことか、確かに。
F1の選手について経歴を調べたら結構面白いみたいなのは確かにあるけど、
それをサッカー選手に適応した結果、そういう楽しみ方を見出している。
そうそう、そうかもしれない。
それもう無限のスポーツで無限にできるじゃん。
まあそうだね。
よかったね、それは。
確かに、そういう意味ではかなり私はF1に感謝してるんだよね。
なるほどね、楽しみ方というか、お学んだし。
一回ハマり方を学ぶと、
あ、これこの要領でハマれるなみたいな。
はいはいはい、応用が効くハマり方っていう。
なんか多分、なんだろうな、結構F1もルール複雑じゃないですか。
で、サッカーもどうやったら点取れるかっていうのはすごいシンプルだけど、
戦略とかって結構複雑だし、
その辺調べ始めると結構沼じゃないですか。
確かにね。
まだ全然私も詳しくないんですけど、
でもなんかこれ、ハマれる何かがあるみたいな。
超ミーハーだけど、このタイミングでサッカーにハマるっていうのは。
まあそれでもね、例えばF1で、
じゃあスウェルス・アッペンとハミルトンが競ってますみたいな瞬間から見始めた人のことを、
多分ベテランのF1見てる人とかは別にどうとも追わないっていう。
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まあね、別にミーハーだけどさ、別にいいじゃん。
言うことはあるかもしれないけど、
いや、見てくれてありがとうって言うんじゃないかというのは、
もうなんか分かったので、
じゃあもう僕らも全然ミーハーでいいと。
全然それはダッサイことで何でもなくて、
まあ楽しければ見ればいいし、
別にそれはなんか普通に嬉しいと思ってくれてるんだってことを知った結果、
別になんかいいじゃんって感じで。
そう、ミーハー上等ですよ。
ミーハー上等ですね。
まあ新しい世界というかね、
こう知るのはいずれにしては面白いし。
あとなんかやっぱ究極は人生が面白いみたいなのはあって、
その一つのことを突き詰めてやってる人特有の、
なんかすごいドラマだったりはあるわけじゃないですか。
で、それは別にやってることが何であろうが、
なんか、いやでもそれにかけて頑張れるのってすごいわって、
自分がそういうことをしようとして、
難しくてでも頑張ってるっていう経験があると、
なんか何にせよ尊いみたいな。
そうそう、それは一番最初にあらゆるプロに対して、
なんかもうすごいみたいな。
で、なんかそれを知ると、
別になんかどんなスポーツだろうが、
まあ一般化しつつかもしれないけど、
でもやっぱそういうのは少なかれあるわけですね。
まあだから最初今回、アートの話から入ったわけですけど、
なんかアーティストとして、
ずっと例えば写真家としてやっていくみたいなのも、
キャリアを知ることによって、
やっぱりなんかその人、
作品単体で見るよりも、
なんか良さを感じたりとか、
あるいはなんかなんだろう、
その人自身に対するなんか尊敬が湧いてくるというか、
なんかそういう意味で、
まあスポーツ選手とかもそうだし、
そういうアーティストとかもそうだと思うし、
なんかこう極めているプロについて知ることっていうのが、
やっぱりそれだけで、
あらゆる分野に関してインスピレーショナルだなっていうのを、
なんか年々本当に感じるようになりますね。
そうね。確かに。
なんかあの、イメージキャストさんの公開収録で、
AIの話になったじゃないですか、
なんかそこで自分が言ったことを思い出したんですけど、
なんか、なんでも絵が、
綺麗な絵がすぐに出せるようになった後に、
何がすごいと思うようになるのか、
みたいなそのテーマで、
なんか僕はその時、
まあちょっとあまり準備ができてなかった中で言ったのが、
確かなんか、
例えばなんか継続とか、
イメージキャストさん100回やったって、
その継続はやっぱりその凄さとか面白さは残っていくはずだと、
そのエピソード1個が本当に自動生成できて、
もうやっぱその2年続けるっていうことから出てくる、
なんかおもろさみたいのは絶対に大体できない、
みたいなことを言ったんですけど、
それは結構その、
なんか結局人生が面白いと、
結構面白いみたいなと、
なんかつながってくる話なのかなと思いました。
そのやっぱ、
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その見た、今回見た写真店の写真が生成できたからといって、
AIで生成できるようになったからといって、
なんかそこの面白さとか、
その尊さみたいのは残るかなと思いますね。
たしかにね。
単体としてそういう写真ができたっていうことと、
なんかある一連の作品を撮ってきたっていうことっていうのは、
なんか全然価値が違うものだし、
そういう、でもなんか、
AIがプロの人生みたいなのを歩み始めたらどうなるんだろうね。
なんか応援してるAIが、
いい、例えば将棋のAIが、
最初は下手くそだったものを探すってなると、
なんか味が出てくるかもしれないですけどね。
それはあるかもしれないよね。
例えば、AIが吐くみたいなものがある程度できたとして、
なんかもう画風がさ、定まってきて、
で、それが、
例えば最新のデータセットを組み入れたことで、
こう変わったとかなると、
やっぱ批判を受けたりすることもあると思うし、
前の画風が良かったとかさ、
そうなってくると、もうある種の人格を帯びてくるよね。
まあね、やっぱそこで、
割と表現としては月並みだけど、
人間とAIを分けるのは、
僕は死ぬことだと思っていて、いつか。
だから人間は限られた手数しか打てないし、
一個何かをやるってことは、
何かをやらないってことでもある。
っていうのは定義上でもそうだし、
実際実感もあるというか、
何か進路を選ぶってことは、
こっちを選ばないっていうことで、
AIみたいにこっちもやってみた、
こっちもやってみた結果、
こっちが良かったんで、
こっちにしますみたいなことではないわけですね。
だからこそ、
何かその写真を撮って、
それは自分の作品ですっていうように出すことが、
すごいなって思うような気はします。
何かそれは別に、
何かこの写真も撮れましたし、
この写真も撮れましたし、
何か、で、評価関数に従うと、
これが人間に受けると思いましたみたいな感じと、
結果が同じでも、
何か、いや、お前無限の何か寿命あるんやろみたいな。
だから、こう、
その中で一番いいやつ選んだんやろみたいな。
っていうのと、
何か、いや、もう一生一度きりなんでみたいな。
中で出てきた、何か、
これが私の作品ですけん。
まあ、確かにね。
のと、結構違ういますよね。
確かにね。少なくとも、
現代に生きる我々の感覚からすると、
やはりその限られた人生の中で、
そのアウトプットが出せた。
そのヒストリーがあったから、
そのアウトプットが出せたっていう、
その、何だろう、
尊さっていうのは、
まあ、機械には大体不可能であるという感覚が、
今はあるよね、少なくとも。
最後残るのはそれなのかなというふうには、
確かにな。
思いました。
何か、それをさ、
何か、こう聞いて、
私は何かあるツイート思い出したんだけど、
何か、
その、ある、
まあ、多分もう40くらい、
40歳ぐらいの人が、
これから博士勝手に行こうとしていて、
39:00
で、それに対して、
それを、こう、何か幼稚園のパパともみたいな人が、
何かこう、勉強すごい、
あの、博士勝手ですか、すごいですね、みたいな。
でも、どうせ死ぬのに、
何でそんなに勉強するんですか、みたいなことを言われて、
おお!みたいな思ったらしいんですよ。
でも、何か、やっぱりそれでいくつか出てきたのは、
何か、どうせ死ぬからこそ、
何か、こう、研究したいみたいな意見とかも出てきてて、
私も、何か死ぬの怖いから研究してるとこあると思うんですよね、多分。
だから、何か、自分でも恥ずかしくて、
これ、私、誰にも多分言ったことなかったんですよ。
死ぬの怖いから研究してるって話。
死ぬの怖いからっていうか、何だろう、
何か、究極的には、やっぱり、
何か、自分が死んでも残るものが、何か欲しいみたいな気持ちがあったから、
その研究をしているっていうところは、多分、少なからずあって、
本当に、何だろう、こう、何十年前の人の、何だろう、
論文とかって、いまだに引いたりするわけだし、
何か、そういうものに対する憧れであったり、
何か、そういうのがあったからやってるんですけど、
それを、あんまり私は人に言ったことがなかったんですよ。
でも、何か、結構何人か言ってる人がいて、それに対する反応で、
あ、私だけじゃなかったんだと思って、結構嬉しかったです、それが。
僕も何か、その話をパッと聞いて、こう思うのは、
いや、それは、何か、どうせ死ぬから研究したいんだろう、勉強したいんだろう、ってのはわかります。
何か、でも勉強の先に、こう、研究があって、爪痕を残すというか、
こう、世界にへこみをつける、みたいなことは、また、さらに大変なことですよね。
そうですね。
まあ、てか何か、その人が言ってたのは、
やっぱり何か、こう、誰かからが頑張った後を引き継いでいくじゃないけど、
その、今まで、多分、研究の歴史があった上に、それを自分の、
こう、自分なりの貢献として何かを受け継いで、それを次の世代に繋いでいくみたいな、
そういう、何か、あれですよ、相方ですよ、繋ぐバトン的なやつですよ。
バトン的なやつね。
そうそう、何か、やっぱりそういう感覚があるからやってる、みたいなことを言っていて、
それは、ある種、自分っていう短い、その、生きてる間を、
その、大きな歴史の中にある意味、埋めることの一つでも、一つのやり方でもあって、
何か、そういう意味で何か、どうせ死ぬからこそ、そこの一部になるとか、
入りたいみたいな気持ちがあるっていうのは、何か、すごく理解ができました、私はね。
なるほど。
うん。だから何か、結構、死ぬことが大事。
だから、その、別の人が、その、コメントで言ってたのは、
何か、一瞬命があったら、研究してないかもしれないって。
うん、なるほどね。
うんうんうん。
確かに。
うん。
何か、やっぱ、こう、自分の、まあ、仕事とは関係なくとか、何かでも作りたいっていう気持ち、
何か残したいって気持ちは、何か、僕も結構、あの、あって、
42:02
でも、それは何か、仕事と、何か、生きる、仕事に生きるかとか、
そういう感じとはまた別の、何か、モチベーションでやってるんですけど、
何か、それは、何か、最終的には何だろうな。
何か、世界に、こう、うん、そういうさざ波を立てたいじゃないけど、
うん。
うん、何か、自分の作ったものが、他にの人のインスピレーションになったら、
うん。
面白いなっていうのと、
まあ、何か、それが、最終的には何か、こう、何だ、意味を残したことになるのかなっていうのは、ちょっとは思います。
まあ、何か、研究に限らず、まあ、いろいろ、りょうえさんが作っているプロダクトとかもそうですけど、
何か、こう、名前が直接見えなくても、何か、そうやって作ったものが、こう、誰かの新しい、こう、人生の1ページを開いたりとか、
そういうのだけで、何か、全然、こう、違うなっていう感じがしますよね。
まあ、でも、何か、僕は同時に、こう、何だろうな、まあ、勉強するにも近いけど、
何か、そういう、こう、気概を持って、こう、残された痕跡みたいのを見るのもすごい尊いというか、
何か、それもすごい意味のあることだし、何か、その、それが残してないから、こう、あんまり何もない人生だったわいと、
自分は思わないような気はするのかな。
そうですね。それは私もそう思います。
何か、でも、何か、そういう、こう、意図なしに、こう、世にあるコンテンツとか、分かんないけど、
まあ、コンテンツのことを悪く言いたいわけじゃないんだけど、何か、ものよりは、何か、そういう、何だろう、痕跡、
何か、これは私の作品だわいって言って出された作品を見る時の方が、何か、結構得るものとか、動かされるものが多い。
何か、それは、何だろう、それに心を動かされている部分ってのは、多分、何か、例えば、
AIが無限の命を持って、こう、何か、作り出した同じように綺麗な作品で得られないようなものなのかなとは。
そうね、確かにね。まあ、やっぱり、それは、その、アーティストが限られた人生の中で生み出した作品だからこそ、得思えるし、
例えば、サッカー選手とか、プロスポーツ選手が、何か、限られた時間の中で、こう、極めに極めた技を見るから、面白いみたいなところもあるし、感動するっていうのがあったりして、
何か、まあ、あらゆる、こう、何かを極めるってなった時に、何か、あることだと思いますよね。
それで、もちろん、やっぱりその、何だろう、結局、何かの歴史に名前を残せる人ってのは本当に一部で、
だけど、その、文化を支えてきた人っていうのもたくさんもっといて、それを受け継いできた人っていうのは、あの、もっと何か、たくさんいるわけですよね。
確かにね。まあ、何か、それを受け継いでいるとも言えるわけだ。その、美術館に見に行って、そういうものが大切だと思っている方に一票を投じる行動なわけですね、それは。
まあ、何か、そういう入館者とか、収入が支えていくっていうことに繋がるわけだし、何か、そういうのも同時に大切にしていきたいなと。
45:07
そうですよね。だから、多分、受け手として、そういうプロの作品を見に行くとか、そういうものからインスピレーションを受けるっていう、何か、あらゆる、そういう推し活ですよね。
推し活をすることが、そもそも、そうやって、何だろう、大きな流れというか、限られた人生の中で何かを極めていく人に対する応援行動になると思うし、何か、そういうことをやっていきたい気持ちは、何か、すごく高まりました。
自分自身がそれを目指したいっていう気持ちもあるし、そういうことを目指している人を、どんどん応援したいなっていう気持ちかな。
確かに。
なかなか、結構深い話。
ね、何か、厚い話。深いのか、厚いのか分かんないけど。
でも、初めて聞きました。死にたくないから研究してるって。
死にたくない、どうせ死ぬから研究してるのほうが近いかな。
分かんない。ちょっと普通に恥ずかしいかな、これって。
いや、でも本当にそうだろうなと思います。何か見ててというか。
何かこう、すごく大変でも別に何か辞めようとは思ってなさそうな感じは。
どうなんだろうね。いつか辞める日が来るのかもしれないけど、研究自体。
まあ、でもその、やっぱり何かいろんな人とか、いろんなその論文とか、何かこう、
昔書いたものがこんなに今の自分の考えとかをこう形作ってるんだなっていうプロセスを知ること自体、やっぱ面白いなって思うんですよね。
何か、その前回のエピソードでちょっと最近白論テストしました。
あの、みたいな話したと思うんですけど。
それで、白論書いてる時すごいやっぱ印象的だったのが、何かその、私はドーパミンに関連するのを書いたんですけど、
その、ドーパミンに関連する、こう、割とその、それが脳内で伝達物質として働きますみたいなことを最初に言った人って、めっちゃ最近まで生きてたんですよね。
1950年代の論文だったんですけど、95歳ぐらいまで生きていて、カールソンっていう人なんですけど、
カールソンそんな最近まで生きてたんやってなって、
で、何か70年代ぐらいの結構何か、こうインフルエンシャルな学習に関する理論の論文とかも、何か割と最近までその人とかも80近くまで生きてたりとかして、
そういうのを見ると、すげーみたいな、何か同時代を感じるというか、めっちゃ自分のおじいちゃんぐらいの年の人がやった研究が、今自分の研究のすごい基礎になってるし、それはもう何万っていう研究を生んでるわけですよ、一つの研究がね。
確かに。
そう考えると本当に、何だろう、自分が本当にそんなにインフルエンシャルな研究ができるかって言ったら、それとは別として、何かやっぱり何か、とうとうみたいな、推し勝つを感じるんだよね。
48:01
推し研究は。
私はそうやって何かね、推すのが好きなのかもしれないという気がしてきた、やや。
それは何かいわゆる推し勝つって言われてる、市場に乗っているようなことではないってことですね。
そうね、市場に乗るのとは違うんだけど、その人の人生を追いかけることで、何かこう、尊いって気持ちになるみたいな。
なるほどね。
それ個人的な推し勝つだよね。
そういう意味での推し研究を聞いてみたいな。何か面白い研究とは何か別に、いや、これがこう繋がって、ここで生きてくるんですよ、尊くないですか、みたいな。
確かに確かに。
そういうの何かまあ、いくつかあるかもしれないけど、今パッて思い浮かばないけど。
いや、それはちょっと時間かけてぜひ、また別の機会に。
まあ、そういう感じで、いつになく熱い回になりましたね。
そうですね、うん、確かに。
やっぱりね、いろんなプロを応援したいという気持ちを今なんか新たにしましたね。
アーティストの人もそうだし、スポーツ選手もそうだし、研究者ももちろんそうだと思うんですけど、
なんか何かに自分の人生を懸けてる人のことを知るだけでもなんかね、惜しいって気持ちになりますよね。
あとはあれですね、なんか一つのことにずっとやってるっていうことも尊いと思うけども、やっぱ自分の仕事で言えるものがあるような人っていうのがすごいなって思いますね。
それなんか長い人生を頑張ってかけたからっていうことももちろんあるけれども、なんかなんだろうな、自分の仕事ですって言えるような瞬間のために頑張ってる人みたいなことも、なんか期間とか長さとか関係なくすごいなっていう気持ちもありますね。
それで言うと、結構なんか料理人の人とかさ、そういうなんかサービス業系の人にもそういうことを思ったりするかな。
なんかすごくいろんな、たとえばめっちゃ運転上手いタクシー運転手の人とかさ、なんかそういうこうなんだろうな、何かものを、たとえばアーティストの人みたいに展示したりとか名前がなんか残るって感じじゃないけど、
でもなんかその人が蓄積したからこそ、一つのことをなんか続けてきたからこそ、なんかこう提供できる何かがある人ってなんかすごいなって思う。
いや、なんかそういうことは言えるように頑張ろうかなって気持ちになりますし。
はい、そんな感じですかね。
じゃあ締め方があまりにも深いというか、なんか熱い話すぎて分かんなくなっちゃいました。
こんなところにしましょうか。
じゃあまた次回も聞いてください。さよなら。
さよなら。