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詩吟の魅力を発信する、詩吟チャンネル
おはようございます。こんばんは。詩吟チャンネルのheyheyです。
このチャンネルは、詩吟歴20年以上の私、heyheyによる、詩吟というとてもマイナーな日本の伝統芸能の魅力や吟じ方について、分かりやすくザクバラにお話ししていくチャンネルです。
みなさん、いかがお過ごしでしょうか?
関東は、だいぶ天気がいいんですけれど、本当に日本海側がだいぶふぶいているみたいですね。
僕の両親も北陸なんで、心配だなという気もありつつ、まあでも有節装置とかあるんですね。あんまり両親も心配しないというか、なんと心配したらいいかわからない。
そんな感じになっています。
僕の娘はもう5ヶ月が過ぎまして、たぶんもうほぼほぼ首が座った状態かなというところですね。
首が座ると抱っこの仕方がですね、だいぶ楽になるというか、脇を抱えて抱っこすることもできるし、片手だけでも抱っこできるようになるし、
そうするとですね、ぬいぐるみを抱くような感じでですね、抱っこできるんですよ。
これがもう可愛くて仕方がないと。背中を自分の胸に当てて、後ろからぎゅーっと抱きしめるような感じで抱っこができるんですけど、いや本当に可愛いですね。
すいません、朝からくだらん話をやってしまいましたけども。
はい、今日本題の方に移りたいと思います。
死銀に感情を表現するための5つの方法、今日はそういうお話にしたいと思います。
具体的なコツというよりは網羅的な内容になっていきますね。
死銀は労働と銀字でいくわけなんですけれども、死銀をですね、よりよく銀字るためには大きく分けて2段階あります。
1つ目は骨組みをしっかりと作り込む段階、そして2つ目が肉付けを行うという段階になります。
これまでよく話してきた発音、発声、アクセント、音程、こういったものは全部骨組みに入ります。
ここをちゃんとやらないと銀そのものがガタガタになってしまって良くないですよと。
まずはここからという話なんですけれども、そればっかり話していてもですね、やはり飽きてしまいます。
それにいかに自分の感情を乗せるのか、そこの技術について今日はちょっとお話ししたいなと思います。
それが肉付けと呼ばれる領域になっていきます。
じゃあこの肉付け、つまり史上表現するための段階を肉付けというわけなんですけれども、具体的にどんなことをやるのかということですね。
それを改めてお話ししていきます。
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1つ目、全部で5つあるんですけれど、1つ目が間合いですね。
2つ目が言葉運び。
3つ目が強弱。
4つ目が緩急ですね。
そして最後は感情ということになります。
体系的にまとめているところはどこまであるかわからないんですけれども、自分の中ではこういう認識が一番わかりやすいかなということでお話しさせていただきます。
なんとなくわかるかなとは思うんですけれども、1つ目は間合いです。
この行き次ぎをするところ、行き次ぎをしなかったとしても言葉と言葉の区切れのところ。
ここをどれだけ長く間を取るのか、もしくは短く取るのか、それによって全然伝わり方が変わってくるということですね。
弁性、粛々。
ここの粛々の弁性と粛々をつなげていってもいいですし、弁性、粛々。
こういうふうに間を持たせるだけで、この粛々をどういうふうにより強調して伝えたいのかとかですね。
その間の取り方が変わってくると。
あとその後行き次ぎの段階もですね。
粛々。夜川尾。
この夜川尾の間に入る前のこの行き次ぎですね。
ここもたっぷり取るのか、すぐ入るのか、勢いを残したいのか、それともやっぱり場面の切り替え。
もしくは大揺れに入るための、大揺れをよりよく見せるための準備段階としてたっぷり設けるのかですね。
それで意味合いが変わってくると。
粛々。夜川尾。
こういうふうにたっぷりやると、この夜川尾がすごい鮮やかに出てくると。
そんな感じに変わってきます。
そして2つ目が言葉運びですね。
言葉運びとは、この弁制粛々。
この一音一音をですね。
どういうテンポで言っていくのか、話していくのかということです。
そのテンポ感によりますね。
基本的には均一にやる方が良いです。
そこが骨組みが定まっていない人が、感情のままに不均一にしようとすると、違和感の方が強くなってしまいますので。
基本的には均一に。
弁制粛々というふうにやった方がいいんですけれども。
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そこからさらに一歩踏み込んでですね。
弁制の場合、弁。
弁というのはやはり一息で弁制。
弁制というふうにちょっと分けた方が、より言葉の味が付くかなと。
粛々はですね。
粛々で分けたい気持ちもあるんですけれども。
そうなると結構この粛っていう音がですね、消えやすくなるので。
粛々はやはりあのどっしりした、しっかりした音として伝えたいので。
粛々、一音一音を丁寧に置いていくように。
そういうリズムでやった方がより伝わるのかなということになります。
なので、ただ均等にやると。
弁制粛々となるんですけれども。
ここに言葉運びを気をつけると。
弁制粛々
こういう細かい違い伝わりますでしょうか。
この感じで言葉がより伝わるようになると。
3つ目4つ目はですね、これちょっとまとめていきます。
緩急と強弱ですね。緩急強弱。
これはどんな歌にでもあると思うんですけれども。
強く大きく声量を上げて吟じるところもありますし、弱く吟じるところもあります。
声量の話もありますし、音圧的な意味もありますね。
声量よりもガツンと相手に伝わる力が強いのかどうか。
もしくは、これは言葉運びにも通じてくるんですけれども。
ギュッと縮めて、勢いよくギュワンといってその後緩やかに落ちていくとか。
そういう感じです。
説明がだんだん雑になってきたんですけど。
ここ大揺りで行きましょうか。
夜川
ここの大揺りなんですけれども。
これをですね、ただ淡々と丁寧に。
この緩急強弱を意識せずに真っ平らにやろうとするとこんな感じになります。
夜川
こんな感じですね。声量も同じような感じ。
急いでいるところもゆったりしているところも特にないということなんですけれども。
これをですね、ギュッと縮めたり強くしたり弱くしたりということをやると。
夜川
ちょっとあのクリーを入れちゃったんですけれど。
上がるところはギュワンと上がって、上がりきったらちょっとゆったりと聞かせて。
そこから降りる時にですね、タンタンタンと降りていく感じですね。
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夜川を渡る
こんな感じになっていきます。
本当に今日話しているのはですね。
全部の要素がそれぞれ1回か2回ずつぐらい話さないとさすがに話しきれない内容ではあるんですけれども。
こういう風に緩急強弱
これが一番自分の雰囲気、いやでもダメだな。
前とか言葉運びの方が大事だという先生の方が多い気もするんで何とも言えないんですけれども。
詩吟がですね、ただペラーとしているとやはり聞いていて飽きてしまうのでその飽きが来ないようにとか。
聞いていてその刺激を持たせるとか、あと伝えたいところですね。
もっと表現するために緩急と強弱。
これ基本的にセットで盛り込んでいくということがあります。
あとはこれで3つ目4つ目いったんで最後5つ目ですね。
5つ目がようやく感情になります。
今まで感情を表現するためだったんじゃねえのかよという気持ちはわかるんですけれども。
何と言いますか。
詩上表現するための手段としてですね。
この今まで4つ言ってきたんですけれども。
必ずしもですね、感情があって表現したい感情があってそのために緩急強弱とか前とか言葉運びとかをやっていくのはそれはそれでいいんですけれども。
ついついですね感情だけが先走りしてしまってその緩急強弱とかの表現がまだ自分でも具体的に動けていないのに気持ちだけが先走る場合があるんですけれども。
僕としてはですねこの感情っていうのは最後にちょっと添えるだけぐらいの方がいいと思っているんですよ。
できるだけ論理的に組み立てていった方が安定したパフォーマンスになるんですね。
この詩文はここで見せようこの言葉を強く見せようっていうのをある程度組み立ててそれに緩急強弱前言葉運びを割り当てていく。
ただその時にですね自分の感情はほとばしって言ってやりたいんだというよりはですねそれをやるとだんだんの銀自体が崩れて不安定になりがちになってしまいます。
なのでこういう今まで言ってきたこの緩急強弱前言葉運びをやった後にですねさらにさらにプラスアルファの味付けとしてこの自分の中から込み上げる感情をちょっと乗せてあげるという方がいいのかなと思います。
ここの詩が本当にいいんだよなというところはですね一通りやりきった後にさらにさらに上乗せして例えば僕の場合9月13日の閲山合わせえたりとかですね。
閲山合わせえたりとこういう風に感情を思いっきし込めたいんですけどその前にすでにですね骨組みもあって肉付けの要素もあってそれをやりきって上でプラスアルファで乗っけていく。
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すみませんちょっと同じことを繰り返し言ってるような感じになってしまって申し訳ないんですけれども本当に最後の最後にちょっと振りかける程度そういう風に詩上を込めるとですね全体的にバランスがいい感じになるんじゃないかなというのが僕の教わったやり方でもありますし経験的にもその方がいいのかなと思っております。
なので感情表現をするために感情を先走るんだというよりはですね、間合いをどうするのか、言葉運びをどうしようか、緩急強弱をどこに設けようかとかそういったことをですね考えながら組み立てていって美しい銀をより安定したパフォーマンスとしてやっていた方が銀のスキルとしてレベルアップするんじゃないかなと思います。
参考になりましたならば幸いです。
よし、では後半の一つ吟じていきたいと思います。
今日吟じるのはですね杉浦十五作自称ですね。
ではまず詩文から。
楽に昇りて天下を翔とし、自ら誇る意気の豪なるを。
それ山上の山をいかんせん、これを仰げば一層高し。
高い山に昇ると一望の下に見渡せる下界に、天下など誠に小さいものだと自ら意気の盛んなることを誇るものである。
しかしさらに上を見れば一層高い山が立ち塞がるようにそびえている。
一体これをどうしたらよいのであろうか。
仰げば仰ぐほど一際高くそびえているのである。
世の中にこれで良いということはない。
満足してしまってはそれで終わりなのである。
という内容ですね。
だいたいこういう詩文幕末系だなっていうのはなんとなくわかるんですけど。
なんとなくそうわかるんですよね。
意気健康としていると。
ただですね、これの良いなというところは気持ちがグングングン上がっていてやるぞやるぞと言いながら、
ただ天下を背負うとし、なんぞこんなもんは自分に比べれば大したことじゃないと、
自分はもっと崇高なことをやってるんだっていう風になりがちなんですけれども、
山上の山をいかんせん。
これを仰げば一層高し。
いや上には上がもっといる。
こんなことで満足しちゃいけないんだという、
自分の謙虚さと傲慢さとのバランスが楽しいなというところであります。
よし、ではこちらの方もですね。
ちゃんとお腹が痛くなるようにしっかり集中して、声に芯を持たせるように頑張りたいと思います。
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辞書杉浦十郎
悟空に昇りて
天下を背負うとし
自ら誇れ
息の傲慢なるよ
そり
山上の山をいかんせん
これを仰げば
一層高し
いかがでしたでしょうか。
いかがでしたでしょうか。
自分としては、いやーこれ難しかったな、ちょっとうまくいかなかったな。
強い銀だという気持ちが入るとですね、
その気持ちが先行してしまって、
強くやるぞという気持ちが先行するとですね、
基本ろくなことがないんですよ。
喉だけで強くやろうとかですね、
あと不必要に力んでしまう感じがあってですね。
そうだいぶ燃費の悪いような吟じ方。
お腹が痛いにもかかわらず、それが声としてあまり反映されていない、むしろ集中できていない、
なんか一本の芯を通せていないような感じがする。
なんかバフって感じ。
キーンとした一本の筋の声を出したいんですけど、
ボヘーって感じになってしまっている。
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そうなると声がですね、歯状の表現ももっともっと雑になってしまって、
ああーというところ。
でも途中でもあまり修正も聞けなかったなというところです。
いやーこれは難しかったなー悔しいなー悔しいなー。
ということで今日はこんな感じになりますかね。
奥さんが今ちょっと病院で娘のやってるんで、
ちょっと終わったみたいなんでこの辺にしたいと思います。
ではでは引き続きですね、コメントリクエスト。
試験始めたばかりでこんなこと質問していいのかしらみたいなそんなことも全然問題ないです。
もし過去に回答したことがあれば僕もコメントでこちらを見ていただければいいですよという話もしますし。
改めてですね、すぐ僕が配信で回答するということもさせていただきますんで、
本当にお気軽に初めてのコメントでももうぜひぜひいただければ嬉しいので、
引き続きよろしくお願いします。
ではではシギンのミルクを発信するシギンチャンネルどうもありがとうございました。
バイバイ。