中身はこれ基本的に古いものを収めてるんですが、この箱自体は現代の主の方、去年震災で大変な場所でしたけれども、
野党の赤木昭人さんという塗り物の方にお願いして作っていただいて、あと細かい部品も現代の作家さんのものなんですけど、
メインのお茶碗と夏目は古い時代のものを合わせて、この茶碗が自分がすごく気に入ってる茶碗で、小瓦の塩気の茶碗でして、これはもう20年以上私持ってるものなんですけど、
これを手に入れてこれで茶箱を組みたいなと。
そこから始まったのね。
普通こういう古いものを手に入れると、箱もカゴも全部古いものでお茶の世界って大体合わせていく場合が多いんですけど、
あえて中身は古いものにしたんですけど、箱とこの切れ類はもう今の作家さんに、むしろこれの箱として1個作ろうかなと思って。
普通だと茶箱ってもう1碗お茶碗が入ってたりするんですけど、なるべくこう旅で持っていくときにコンパクトな方がいいので、
箱型じゃなくてこの円筒にして、とにかくこれ1個が収まる。
それに合わせて少しこう、だからこの茶線なんか入れちゃうと箱がまた大きくなっちゃうんで、これはもう別付けにして、これでも紐付けて持ってこうという形にして、
これを入れる箱として作って、でもカバンの隅にポンと放り込んでどこにでも持っていける。
自分1人で飲むときでもね、これ1碗しか入ってないんで、自分1人やせいぜいもう1人誰か相方がいて一緒にお茶飲んだりとか。
これにもう1個オプションで別になんか茶碗くっつけていけば、数人のお茶も楽しめるしということで。
この袋とかは全部洋服のデザイナーさんでもうなくなった溶岩レールさんっていうデザイナーさんにお願いして私服は全部これ作っていただいて。
で、その人は私服の作り方を知ってたんですか。
多分ね、着れは選んで私服はさらに名古屋かなんかのそのおはりこさんにお願いして作ってもらってるんだと思います。
だからこれ普通の私服と違って裏がこういうちょっとこうベッチみたいなやわらかくて器入れても全然。
なるほど。
普通のあんまりお茶の私服じゃ使わない。この辺はちょっと洋服屋さんやっぱり洋服の感覚なんだなと思う。
でもかえって柔らかくてクッションにもなるので持ち運びができる。
あんまもうパッキング入れない。ちょっとこうガタガタしたりすると。
これはもう完全にピタッと止まってるんでもうこれだけで、でも洋服かなんかの間にボンと入れていけば。
このカラスのちゃん自体も厚手で丈夫なので、前に言ったらトランクに入れていっても平気だろうなと。
世界中を旅してきた茶箱ですので、今日はこれでお茶を差し上げたいなと。
特にアメリカにも結構長いこといた。
すごいですね。
かわいい茶筋。
茶筋ばさみと懸垂は名古屋の近藤の作家さんの長谷川一望さんに頼んで作ってもらったので。
これ茶箱の時はもう濡らさないで茶筋そのまま使って。
実はもう家でちょっと濡らして。
これは今そこの台所を借りしてちょっと先に茶せんも汚めておきました。
茶筋濡らさないともう跳ねますからね。
突如始まった曹奥さんによるサプライズ。
ジョイさんが少し戸惑っているのわかりますか?
でも曹奥さんの立てたお茶が飲めるなんて羨ましい。
ジョイさん、お味はいかがですか?
どうぞ。
すみません。
これ一人で飲んじゃっていいですか?
一人です。
では、いただきます。
いかがでしょうか?
質問していいですか?
どうぞどうぞ。
ここで大変結構でございますと言っているじゃないですか。
どっかでおいしいって言っていいんじゃないのって言われて。
でもこの間おいしいですねって言ったらみんなクスクスって言われちゃって。
ひどいなとか思って。
だからやっぱり空気読んでやらなきゃいけない。
そうですね。そういうのが好きな人もいますからね。
でも茶事で本当に親しい人だけで囲んでていかがでしょうかって言われて大変結構ですってなんかね。
もう切り方の挨拶されてもよりおいしいですっていうね。
その方が。
でも相手を見てやれっていうことなのかな。
私が忘れられないのだとうちの父の就命の茶事の時に。
それから父の就命茶事は1992年だったかな。
最初の席の招客に来られたのがこれまたお茶の世界の名物じいさんだった橘大輝という大徳寺の老子で。
それこそ福田武雄さんとかの至難役だった人なんですよ。
大徳寺の橘大輝という老子がいてその方がもう106歳で亡くなった方なんですけど。
その人がもうその時で90回ってたかなもう90いくつだったんですけど。
が招客で最初の茶事の初回の招客に来られたんですね。
まあでうちとはもう本当にアイスキャーでうちの父のせいこそ赤ちゃんのとこからもちろん知ってられるような方で。
で父がその就命でお紅茶を出すじゃないですか。
その時にスッて言ったセリフがずっと飲んでいかがでしょうとか。
ありがとうっておっしゃる。
あれなんかやっぱりもう万感こもってて。
やっぱりねずっと見てきてその人が家元就命したっていう時に一番最初の回に自分飲んでくれたと思うんです。
それでそれこそうちの非おじいさんのお弟子さんだった方でもあるので。
まあそのね自分の師匠さんだった先々代の家元の孫が大きくなって。
それが就命して自分に紅茶をたてて自分も90いくつで亡いながらえて。
そこでお紅茶一口飲んでいかがでしょうって言った時のありがとうっていうのはもうなんかもう万感こもってますよね。
そこでなんか結構ですなんて言ったって何も面白くないですね。
そうですよね。
まあそこが本当に相手だよね。
別にそのお茶の味を尋ねてるっていうよりもなんかもうお茶のすべてがそこに集約されてるし。
もっと言うとその人とその人の人間関係がそこに集約されてるんじゃないかなと思うんですよね。
だからもうある場合はもう無言でね。
お互いアイコンタクトでもう深く一両するだけでも通じるものもありますし。
ある方は一口飲んで至極っておっしゃった方。
極めて至るっていうまあその美味しい無情にいいっていうことで至極っておっしゃった人もいたり。
まあその一言まあ言わば言い合いの真剣勝負みたいなもんで。
そこでお互いねこうどう一言何を交わすかみたいなところになんかこうすべてがこもってるんじゃないかなと思いますね。
そうくんさんの本で最初入ってきて座ったところの僧侶ってあるじゃないですか。
であそこもすごく重要な。
そうですね最初にだからそこまで言葉でしゃべんないじゃない。
茶事だと最初庭で迎えつけ合ってで席切りしてで拝見して座って邸主が入ってくるの待ちますよね。
で邸主会えてきてまあお客さんからどうぞお入りよって言ってからすっと入って挨拶するわけですけど。
なんかそこまで言葉でお互い喋ってないからなんかもうお互いやっぱ溜めてるわけですよね。
そこで最初に出る一言ってやっぱりなんかその日の晩館そこに向けてこうグッとなんかお互いの思いをそこにこう溜めた上でパッと出てくる一言だろうから。
やっぱりそこも結構大事かなと思いますね。
なんか多分お稽古してるとここでこの文言言わないと怒られるっていうそのこう言われたことをきちんとやるっていうところからそれをちゃんと理解してそこが今度表現にならなきゃいけないんですよね。
そうなんですそうなんです。だからもうそれが表現にならない方を踏襲することがもう目的化してあってそこで止まってて。
だから私はいつも言うのは本来ベストだったものがいつの間にかマストになっちゃってるんですよね。
お茶ってよろず全部そうだと思うんですよ。
そこが本来これが一番いいですよこうするのが一番いいんですよっていう一つのいろんな経験値に基づいた末に出てきた一つの答えがあってでもそのもやっぱ時代によって人によって変わってくるわけですから。
一つの標準としてねそういう何も言葉が出ずに困ったときはとりあえず結構ですって言いましょうっていうことだったと思うんですよね。
この間の去年の5月に草草があってもらった外国人を伊勢にその前に連れて行って伊勢のぐうじさんがいて外国人たちがこのいつ霊をすればいいんだってみんななんかこう鳥居通るとき霊しててそのぐうじさん素敵で
いや神道ってもう宗教がないとこから出て山の中に住んでる自然の中の人たちがそこで霊をしたいっていう気持ちになったときに霊しただけで
たまたま鳥居の下だったらでもそれ感じなかったりしない方がいいって感じたらそこでやればいいので神道それだけだとか言ってすごいかっこいいなと思ってそれに近いよね。
神社でもね愛称って言いますよねなんか自分が行っていい神社と悪い神社とか愛称の悪いとかあんまり行かない方がいいなっていうのもなんか極めて自然なそういう感覚ですよね。
これ聞いていいですか。
桃山時代の唐津ですね九州のあのいわゆる佐賀県の唐津焼きの唐津なんですけど唐津の中でも非常に古いもの特に絵唐津の中でも古いまあ桃山って言ってもちろんいいものなんですけど
非常にこう絵がまずなんていうかな間合いがいいというか乾乳の入ったそのたっぷりした釉薬のところにその鉄絵がポテッと乗っかっててなんともその間合いがいい茶碗で
かつ大きさもまあ大きからずちっちゃからずでちょっと下に膨れてて安定感があってなんか棚心に持ったときの持ち重りとか落ち着きがすごく良くて
これ私普段はもう茶箱に入れずにもう台所出しっぱなしにしててまあお抹茶も飲めば晩茶も飲めばお財布も飲めばコーヒーも飲むみたいな万能の茶碗なんですけど
特に気に入っててまあこれ一番あればどこでも行けるかなみたいなかと言ってこれからつ絵柄つって数あるんですけどなかなかこの間合いのものでガラツとしても古い
特に古いもの初期のものだと思うんですなんかやっぱり存在感がすごい強くて私は特にこれ気に入って20年以上持ってそしたらこれやっぱりからつってもちろん大きな釜で大量生産で焼かれてて
これ一番だけが作られたわけはないんですねやっぱ同じ童貞のものが何枚か作られたらしくてで実はこれと同じタイプのものが世の中に私が知ってる限り3つあって
多分同じ釜で同時に焼かれたんだろうなとでその1個の茶碗をある私の京都の知り合いのお道具屋さんが大事に持ってて
彼はその私のがこれを大事にしてるの知ってるから仮想象と同じの買いましたって言ってすごい嬉しそうに見せてくれた
そういう意味でお茶よりもあの解析の方が数集めなきゃいけないからこの似たもの同士が出会う可能性が高いですよね
でもそうくさんってどこに何があるかっていう記憶ってすごいですよね
結構ねそこは昔から記憶力はなんかそこに多分能力が特化されたんじゃないかと思うんですけど
でもお茶にはすごく向いてる
すごく召し上がります