メディアの信頼度と幸福度
マスコミ信頼度が高い国ほど不幸というのをしたんですけど、これ普通にそういうデータがあるよねって話で、世界各国における組織とか制度への信頼度みたいなのを調べた調査があって、アメリカだと軍隊とかの信頼度高いよね、軍隊は高いんだけど警察は低いよねとかあるんですけど、日本の場合って割とメディアに対する信頼度結構高かったりするんですよね。
そういう人たちが、アメリカとかメディアの信頼度低いんですけど、でも個人の幸福度でいくと結構高いよね、みたいなことがあったりして、多分どういうことかというと、メディアを信頼してないっていうのは、何が正しいかというのを自分自身で決めるという習慣を持ってるかどうかだと思うんですよね。
要は、例えばシャネルのバッグを持ってる方が幸せになれますよというのをテレビというのは流し続けるわけですよ。
これシャネルじゃなくてミニスケット、別にサマーズアタックスだってもう学んでるんだけど、要はメディアというのを多くの人はテレビを見てるんですけど、テレビって広告宣伝をするために存在する事業なんですよ、NHKからね。
なのでそうすると、これ買った方が幸せになれますよ、これ買うと美味しいですよ、言われた通りお金使った方がいいですよっていうのが、
メディアからずっと流れてくるんですよ。
で、それを信じてお金を払い続ける人と、いやいやメディアなんかどうせ嘘でしょみたいな、こんな服買ったって幸せになれるわけないでしょって思ってて、
幸せとは何かというのを自分自身で考えて決めてる人の方が、結果として幸福度が高いんだと思うんですよね。
例えば、シャネルを買うとオシャレですみたいなことを言って、シャネル買って、いやいや今はもうルイ・ビトンの時代だよとか言われて、
じゃあルイ・ビトン買わなきゃみたいになって。
で、お金が足りないようになると、じゃあパチンコ行きましょうとか風俗で働きましょうみたいになって、
どんどん一生懸命疲弊して、言われた通りのものを買って、でも手元に残るのは流行遅れの、
なんかもうLVMHとか今時流行らないよねみたいに言われるみたいなので、
全然幸せになれないわっていうのは、メディアを信じてる限りそうなっちゃうと思うんですよね。
だってメディアは別に、あなたの幸せを増やそうと思っている事業体ではなく、
スポンサーの商品を売るために情報を流しているものなのですよ。
メディアの影響と消費行動
なので、スポンサーがいなくなったら、テレビ番組では存在しないし、
スポンサーの商品が売れなくなったら、そのテレビ番組というのはなくなるので、
なので、仮面ライダーとか男性向けの特撮ものっていうのがあるんですけど、
女子アニメだったり、女子向けのものって、セーラームーンぐらいしかないんですよね。
で、じゃあなんで女子向け、女子アニメ向けのものがないかっていうと、
おもちゃ作れないからなんですよ。
仮面ライダーとか、男子少年向けの番組って、必ずおもちゃのCM流れるんですよね。
変身するベルトだったりとか、カードを入れてそれに変わるとか、今度電車のやつとか。
プリキュアとかセーラームーンとかって、一応アイテムが存在するんですよ。
なので、そのアイテム。
買ってもらえるよねっていうのがあるので、成立するんですけど、
でも、女子物って、なんだかんだ言って、そんなにアイテム買われないんですよね。
なので、なかなか増えなくて、男性物というのはアイテム作りやすいので、
割と男性物というのも、かかりがアニメとかでも作られやすいっていう。
例えば、ワンピースとかのワンピースのゲームとかあるじゃないですか。
そのような、ゲーム化したりで収益作りやすいんですよね。
でも、少女アニメとかの、誰ちゃんが誰ちゃんと好きみたいな、
とかって、別に商品売れようがないじゃないですか。
なので、CM出しようがないんですよね。
っていうのがあって、なので、少女漫画とかですげえ単行本は売れるんだけど、
アニメ化しないっていうのは商売にならんっていうのもあったりするんですけど、
まあ、置いといて。
なので、その商品が売れるかというのが結構大事なんですよね。
で、ポケモンが何で続くかというと、ポケモンというゲーム自体が売れるから。
だから、ポケモンのアニメがずっとやると、ポケモンのゲームが売れるから良いよねっていうので、
なので、アメリカでポケモンが何で人気になったかというと、
あの、放映量ゼロでポケモンのアニメ流したんですよね。
本来であればアニメってお金を払って配信するものなんですけど、
ポケモンのゲームが売れるから良いじゃんっていうのは、
ただでアニメ流しまくって、結果としてアメリカでポケモンおはやりみたいなのがあったりするんですけど、
っていう感じで、要は何かの商品を売るというためにメディアは存在するので、
なので、メディアを見て、メディアに売ってることを信じてると、
じゃあ、この商品を買った方が良いよねにならざるを得ないんですよ。
だって、そういう風に番組作ってるんだもん。
要は、この商品買わなくて良いですよ、みたいなCM、
絶対流れないし、そんな番組ないじゃないですか。
なんだっけ、岩本強生さんだっけな。
なんか、テレビ番組の時に、
トイレはCMのうちに、かなんか言ったんですよね。
要は、CMの後も番組はまだまだ続きます、みたいなことを普通は言うんですけど、
その、トイレはCMのうちに、かなんか言って、完全に干されたんですよね。
いや、僕が言ってることは、
正しいと思うんだけど、
でも、CMのために番組が存在するので、
CM見るなんて、いかがなものかっていうので、いなくなる。
そういうものなんです。
教育の重要性と違い
最近、欧米の方が子どもの教育に熱心だと感じ、
日本は手抜きで変化はないと思います。
この格差は広がりますか?
国によるんですけども、
教育って大事だよねっていうのと、
教育が何のためにあるのかっていうところを、
割とちゃんと考えてる人と、
ちゃんと考えないところ、
の差があると思っていて。
例えば、フィンランドとかは有名ですけど、
学校の先生って、基本的にもうみんな大学院を卒業した、
修士だったり、博士だったりするんですよ。
小学生に教えるっていうのであれば、
別に高校生でもできるよねっていう風な考え方を、
割と日本はしちゃうので、
なので、受験を全くしなくても入学できるような、
ノーボーダー的なエフラン大学卒業した人が、
学校の教員になれちゃったりするんですよ。
でも、高校、確かに学ぶ内容、
小学生が学ぶ内容っていうのは、
別に中学生でも教えと思ったら教えられますよと。
でも、教育ってそこじゃないよねっていうのが、
割と他の国が考えてることで、
要は子どもの知的好奇心をどうやって満たすかとか、
何か問題があったときに、
どう解決するべきかというのと、
将来的にどうやって稼げるような子どもにすべきかっていうところを、
ちゃんと意識して、
物事を教えなきゃいけないんですよ。
その算数の2×2は4だよねっていうのを教えるだけだったら、
別に中学生でもできるんですよ、小学生に対してね。
でも、そうじゃなくて、
2×2は4っていうのを覚えることで、
デザイナーになるための数学の必要性
その先にその子の人生に何があるのか。
じゃあ、なぜ2×2は4を覚えなければいけないのか。
じゃあ、こういう仕事をしたいんだったら、
こういうのが必要だよねとか、
例えば、デザイナーになりたいですって言ったときに、
数学がなぜ必要なのかっていうのを説明できるかどうかなんですよ。
デザイナーって言われたら、服のデザイナーになりたいですって言ったら、
ふわっとした中学生だったら、
じゃあ、なんかおしゃれな服作ればいいんでしょう?
ハサミとかで切って縫うんじゃない?
そしたら算数とかいらないよねっていうふうに考えてしまうんですよ。
でも、じゃあ大学院出てますっていう割とちゃんとした人だと、
服を作るためには、まず単物を買ってきますと。
で、単物に対して、
で、そのパターンを引くんですよね。
要はTシャツだったりTシャツの形に引くんですけど、
で、その単物の中でTシャツの形が何個取れるか。
で、形の、要は使えない部分の剥ぎれっていうのを
なるべく減らした方がいいので、
じゃあ、この形を半分に切ってつなげると、
剥ぎれがそんなにできないよねってなるので、
じゃあ、この形でパターン作った方がいいよねってなると、
もうそっからは数学なんですよ。
何センチの範囲内で何個服が作れるから、
そうするとこれを何十個作るためには、
単物が何メートル必要だよねと。
で、じゃあ、袖を何センチ短くしたんだったら、
こっちは2センチ短くしなきゃいけないよねとか、
全体の、じゃあL、M、Sがあるんだったら、
全体を1.5倍にしようんだったら、
1.5倍で全部計算しなきゃいけないし、
でも、胴の長さはそんな伸びないよねだったら、
じゃあ胴は変えないよねみたいな、
やっぱり数学はいるんですよっていう話ができるかどうかなんですよ。
教育についての考え方と国の影響
じゃあ、デザイナーになるんだ。
だから僕、国語とか関係ないんですよ。
関係ないと思うんだよねって言って、
でも、じゃあ外国で服を売るんだったら英語必要だよね。
で、英語を勉強するには、
英語をいきなり勉強するのではなく、
まず言語とは何か、コミュニケーションとは何か、
で、本を読むっていうのもやらなきゃいけないから、
じゃあ国語からやったほうがいいんじゃないっていうのを
教えられるかどうかっていうので、
子どもたちのモチベーションをどう育てるかっていうのを
やらなきゃいけないんですけど、
じゃあ、僕が今話した話を、
学校の先生がやってました。
日本のね。
僕が知る限り、日本の学校の先生で
そういうのやってる人、見たことないんですよ。
なんか教科書読んで、教科書の問題解かせて、
できたできないとかで点数つけて、
点数が悪かったら、はい、悪かったね、で終わりで、
その個々人の子どもが何を間違ったのか、
で、なぜ間違えたのか、
間違えた部分はこうやって覚えるんだよ、
じゃあ次回は間違えないよね、しようね、
みたいなことはやらないんですよ、日本は。
っていうのがあるので、
じゃあそれはやっぱりちゃんと、
教育についてきちんと考えてる国の方が、
子どもが伸びる可能性あるんじゃないの?
って思っちゃうんじゃないかな、と思うんですけど。
まあでも、落ちこぼれはほっとくっていう学校もいっぱいあるんで、
国によりますけど、はい。
大人の対応って具体的にどのようなことを指しますか?
またそれを他人に押し付けてくる人は大人と呼べますか?
まあ大人の対応っていうのは、
その周りの人たちにとって一番効率的で得をする対応を
大人の対応と言ったりするので、
あなたにとっての大人の対応はそれなんですね、
という話なので、別にあんまり真に受けても
しょうがないんじゃないかなと思いますけども。
私、自民党員だけど、老害マジ排除したいです。
地元議員や推し議員といろいろやってますが、
非力的に何か良い考えがありますか?
ありません。
自民党は基本的には高齢者の支持、
都会ではない地域の高齢者の支持を受けることで、
日本全体で議員を作るというのが
ミッションとしてやっている場所なので、
なので老害を排除したいのであれば、
自民党から排除するのではなく、
老害がいない党に入った方が早いんじゃないかなと思います。