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一過性の経験で漢にも父親にもなれるわけないだろ ザック・クレッガー版「バイオハザード」を観て
2026-10-11 24:14

一過性の経験で漢にも父親にもなれるわけないだろ ザック・クレッガー版「バイオハザード」を観て

ザック・クレッガー版の「バイオハザード」を見た感想です。ゲームの忠実な映画化ではなく、ゲーム性の忠実な映画化になっているところが面白かった、という話から、一過性の経験と日常の積み重ねの違い、父親や夫を続けることまで、日記のように話しています。映画のネタバレを含みます。

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サマリー

ザック・クレッガー版『バイオハザード』を、原作ゲームの忠実な映画化ではなく、ゲーム性を映画に移した作品として語る。主人公ブライアンが武器や弾、鍵を探し、視線誘導されながら進む展開や、失敗続きのゲームプレイ配信のような面白さを評価する一方、プレイヤー自身への批評も読み取る。妊娠を知らされたブライアンが父親になる問題を最後まで解決できない構成から、一度の経験だけでは父親や夫にはなれず、日常の習慣と積み重ねが必要だと考える。話者自身の夫・父親としての生活や、必要な時に必要な行動をする難しさにも話は広がる。

ザック・クレッガー版『バイオハザード』の感想
ザック・クレッガー版のバイオハザードというふうな映画を観ました。 面白かったので、面白かったなと思いました。
これだけだと話がすぐ終わってしまいますので、今回はこの映画がどういうふうに面白かったのかというふうなことを、ネタバレを含みつついろいろと話をしていこうかと思います。
といっても、大体この映画はネタバレをくらったところでというふうな部分もあるんだけれども、そういうふうなものを受けない方が面白いっちゃ面白いと思いますので、
よろしかったらちょっと見に行ってもらえると嬉しいかなと思っております。
ホラー映画だし、バイオハザードってほら、ミラージョボビッチがサイコロステーキになるビームを避けたりなんだりするようなアレでしょっていうふうに思っているような方は、
付き合っていただけるとそれなりに面白いこともあるよというふうな部分はちょっと話をしていこうかなと思っております。
ちなみに私はこちらの映画はですね、とても大好物というか、いいゲームの映画家だったなって思っております。
なのでそういうふうなことを踏まえて、後は父親になるってどういうふうなことなのかねっていうふうな部分をですね、この映画の中のとある展開に合わせてちょっとお話をしていければなぁと思っております。
こちらのポッドキャスト番組は続起。
普段夫と父親を本業としております私が普段思ってはいるんだけれども、人に話したところで家族や友人が別段聞いてくれないような話を一人でするためのポッドキャスト番組だったりしております。
今回話をしますのはザック・クレガー版のバイオハザードとなっております。
バイオハザードの映画自体はですね、そもそもミラージョボビッチ主演で5まで作られている、面白いんだか面白くないんだかよくわかんない映画シリーズというふうになっておりまして、
それが長らくあってバイオハザードというふうに検索するとわーっといろいろと出てくるのがこれになってたりします。
今回の映画はザック・クレガーさんというタイトルをど忘れした、なんかあの居屋敷を借りたら、バーバリアンだ、レンタルお家みたいなものを借りてそこに住んでみたらその近くになんか化け物が住んでたよみたいな感じになるような映画ですとか、
あとはなんかウェポンズっていう変な映画とかそういう風なホラー映画をよく撮られている方が今回も撮っているようなそんなような映画だったりしております。
原作になっておりますのはゲームのバイオハザードとなっておりまして、ゲームの忠実な映画家かという風に言われると結構違うなっていう風な感じがするようなそんなような映画だったりしております。
一応バイオハザードという風なゲームがどういう風なゲームなのか一応親切設計で説明をしますけれども、要はバイオテロを起こすアンブレラ社という風な会社がワンからずっといろんなとこで暗躍をし続けるっていう風なそんなようなゲームだったりするんですけども、
基本的にはこの会社が作ったなんとかウイルスとか色々と作中によって呼び名がどんどん変わるんだけども、要はかかるとゾンビになっちゃう薬みたいというかウイルスみたいなものを開発してそれを生物兵器として売ったり、うっかり漏洩させちゃって街が大惨事になったりっていう風なことがあって、
ゾンビとかそういう風なものに襲われるような主人公たちが何とか色々と動いていってアンブレラ社の陰謀とかそういう風なものを解決していくよとかっていう。
ただ最近の方になってはアンブレラ社が解体されたり企業としてなくなったりして、色んな別のものとか悪い奴らが出てきてるよっていう風なお話になっていて、そっちの方はもう全然追ってないのでよくわからんっていう風な状態になっているような、そんなような世界観のやつだったりしております。
なんだけど今回の映画はですね、そこからアンブレラ社、ラクーンシティという街と企業の名前だけを引っ張ってきて、それ以外の部分については全く引っ張ってこないという風な英談をしております。
これは英談だなという風に思っております。という風なのも、バイオハザードに出てくる名前付きの登場人物っていう風なのは、シリーズを重ねるごとにバカほど強くなっちゃってるんで、出てくるともうほとんどゾンビを流れ作業で処するようなことができちゃってるっていう。
だから、2の頃は森林警官だったレオンくんもですね、最新作の方では斧とでっかいハンドガンみたいなもので、簡単にゾンビを殺して回れるような、全然ゾンビに広まらないようなタフガイに成長してしまってたりしますからね。
それで、バイオハザードの映画化っていう風になったりすると、だいたいこのCGアニメで、こういう各キャラクターのカッコイイという風な動きをですね、すっごくフィーチャーすることでおなじみのシリーズだったりしております。
それもあって、ミラ・ジョブ・ビッチ主演の方の映画もですね、ミラ・ジョブ・ビッチ主演のアリスはですね、映画シリーズにしか出てこないようなキャラクターなんですけども。
あっちの方でカッコイイアクションでゾンビとかそういう風なものを薙ぎ倒して回るとかっていう。そんなようなことをやるような、そんなような作品群だったりしてたはずなんですけども。
ゲーム性を映画化した仕掛け
本作はですね、ゲームの忠実な映画家ではなくて、ゲーム性の忠実な映画家っていう風なのをやってるかなというのが、私はすごく良いところというか、良い改編をしたなという風に思っております。
ゲームの中には、当然のことながらゾンビみたいなものは出てくるんですけども、どうもゾンビとは違ったような、というか、今までのバイオハザードの中では見たことないようなモンスターの造形っていう風なのをしてるんですね。
感覚的にはですね、あれに近い。私はニール・ブムロム・カンプ監督が短編シリーズで撮っていた、ザイゴーテっていう風に人間がいっぱいくっついた怪物みたいなのが出てくるんですけども。
ああいうような感じが出てきたりですとか、あとは、幽静からの物体Xみたいな、触手がウネウネしてるやつが何か人間を操ってるみたいな、そんなような感じがするような描かれ方をしているモンスターが出てきて。
結構、原作で見慣れたっていうふうなものはですね、なかったりするんですけども。でも、ないんだけれども、これは絶対にバイオハザードだっていうふうに思われるような防御者がすっげえいっぱいあるようなゲームだったりするんですね。
例えばどういうふうなことなのかというと、この主人公になりますのですね、医療配達人のお名前はなんだったっけな。
医療配達人のブライアンというふうな若い男の子だったりしております。
彼は冒頭の段階で別の病院に臓器やら何やら、医療品として必要なものを病院から病院に運ぶというふうなお仕事をしているので、別の病院でいろいろと配達を終え、
それでその配達を終えた後で、ちょっとラクーンシティのとある病院の方までこれ運んでいくんだい大支給っていうふうなことを頼まれて、
えーって思うんだけれども、とりあえず金額がいいからというふうな理由で、それを受けてラクーンシティの方までこれを配達に行くというふうなミッションを重ねるところからスタートするんですね。
同時にこの映画の中では冒頭の方でどうもブライアン君は彼女がいて、この彼女の方と電話をしていると彼女が妊娠したかもしれないというふうなお電話をしてくるというふうな。
それでブライアンさんの方はですね、いやちょっと待ってちょっと待って一旦考えようというふうなことをずっと電話口でグチグチグチグチ言っているという。
この辺の部分でですね、ここ最近のゲームの映画化でおなじみの第8番出口と話の展開としては似ている部分もあるかなというふうに感じさせるような作りではあるんですけども、だいぶ違った持ち味になっているなと思っております。
どういうふうなところがゲーム的なのかをもう一回説明戻るんですけども、こんな感じで巻き込まれ方の主人公がこのゲームの展開の中に入っていくんですけども、この人、こうやって巻き込まれるごとに何か追い立てられるように視線誘導でステージ誘導をされていくっていうふうなことがこの映画を通してずっとやられ続けていくんですよね。
それこそ一番最初はうっかりゾンビになってしまったおばあさんを引き殺してしまうところから話がスタートしていくんですけども、それが最初のバイオハザード1作目のゾンビがぬらーって動いてくるような感じっていうふうなのを思わせるような、けどだいぶ違うようなカットっていうふうなのが出てきたりですとか。
あとは、この展開をしていくごとに、ブライアン君は途中途中で拾っていく武器をパワーアップさせていくんです。だから最初は警官に呼び止められて、警官と一緒になって車を運転して、このおばあさんをとりあえず病院まで、ついでにこの薬も病院までっていうふうな形で運ぼうとするんだけども。
その最中にパトカーに乗ってたおばあさんが暴れて、パトカーが偉いことになって、パトカーの中に乗ってたお巡りさんが持っているベレッタなんですよね。だから、それを拾うところからスタートしていって、ちょっとずつ武器がパワーアップしていくっていうふうなのが映画の中でも描かれてきます。
この辺の部分というふうなのは、バイオハザード、1作目もそうだし、2作目以降も多分そうだと思うんですけども、このあるあるの部分だなっていうふうな感じになってたりします。そんな感じで武器とかを取っていくんですけども、武器は取れても弾は別の場所に隠されていてないっていうふうなパターン。これもすっごくあるあるだなっていうふうなのを思いながら見ておりました。
ちょっと進んだところで、家の中にショットガンがあって、「ショットガン本体見に行け!」ってなるんだけど、弾がないっていうふうなことが始まって、矢探しをして弾を拾って、そして弾を拾った後で使えるようになるまでもちょっと時間がかかってっていうふうなこともあったりして。そんな感じで、ゲーム的なあるあるをすごく入れ込んでいるような作りになっているかなと思っております。
極めつけはカギですね。バイオハザードあるあるではあるんだけれども、どこもかしこも軟禁状というかバカみたいな謎解きをした上で手に入るカギがおなじみなんですけどね。これ、鉄砲で壊せばいいんじゃねえのっていうふうなことをですね、ブライアックやるんですけども、一向に壊せず、そして無理して通ろうとすると、世界の仕組みによってそこの道を通せんぼされるっていうふうなことがゲームとしてというか映画としてもなってたりするんですね。
そんな感じで、なんかいろいろと自由度があるようでないような感じで、ブライアン君というふうなのは、ゲームのように視線誘導をされながら、ずっと同じミッションとかその辺の部分をクリアしながら進んでいくという。ただ、ゲームと大きく違うのは、やっぱりブライアン君はそこの世界で生きている人間でどうにかしようとするだけでして、ズルとかをしようとするんだけども、ズルをしてもそのまま話が進んでしまうっていうふうなところがゲームと大きく違うところだなと思っております。
この辺の部分というふうなのが、この映画について考える上でとっても重要な部分なので、私はちょっとこの辺の部分を踏まえながら見ておくといいかなと思っております。
だから、一応この映画というふうなのは、とてもゲーム的なルールの下、映画もステージクリアとかそういうふうな形で進行していくような形なんだけども、そのゲームをやっているプレイヤーであるところ、というか登場人物であるところのブライアン君というふうなのは、この辺の部分を平気で逸脱することがあるっていう。
だから、ズルをして鍵を壊そうとするし、鍵を壊さないでその鍵を通り抜けようとするし、実際にそれをやってしまって先に進むことができてしまうっていうふうなことをやっていくっていう。
だから、最近流行りのオープンワールド的なっていうふうに言ってしまってもいいかもしれないですけど、私はどちらかというと、これはゲームの中のキャラクターというよりはゲーマー自身みたいな、そういうふうなアバターとして私自身は捉えてるかなと思っております。
なので、このバイオハザードの映画というふうなのは、見ていると、このブライアン君が行く先々で、とにかく何か大変なことになっていくんです。
もう毎回毎回、なんでそんなとこ通らなくちゃいけないんだろうねっていうふうなところを通らないといけないような状況になっていくんですよね。
それもこれも、だいたいブライアン君が楽をしようとしたり適当をやったりとか、そういうふうなことをやった結果招いているっていうふうな部分がですね、
なんか、下手くそなゲームプレイヤーの配信を見ているような感じになってきて、劇場内で結構笑いが起きるような状態になっていくんです。
実際、私は映画館で見ながら、結構ニヤニヤ爆笑というか、笑いながらちょっと見ていたんですよね。
結構劇場の中でも笑い声が上がるような瞬間も多いような、ホラー映画ではあるんだけども、なんかすごく大変そうな目になっているっていうふうな。
そういうふうなところで、こちらに実害がないので、その辺の部分も楽しんで見れてしまうような感じになるかなと思っています。
そんなような形で、一応プレイヤーとしてその中にも存在しているし、実際に酷い目にもあっているんだけども、
でも、映画を見ている感覚としては、すごくゲームプレイ配信を見ているような感じにもなっているかなと思っております。
実際にゲームの画面とかその辺の部分も意識しているようなカットも結構あったりするんですよね。
それこそ、このゲームの作中のブライアン君はですね、スマートフォンのカメラのライトとかをかなり駆使して、いろいろと戦っていたりするわけなんですけども、
このカメラとかを銃の前に持つような、ジョン・ウィッグがやるようなスタイルとかで戦ったりするんですけども、
あれはね、あくまで真似でしかなくて全然強くはないっていうふうなところがいいところだなと思うんですけども、
そういうふうなことをやった際に、一人称視点といっても、FPSの一人称視点になってたりするんですね。
たぶんスマホの画角で撮るとあんな感じになるんだろうなっていうふうな感じの画面になってきたりして。
そういうふうなところで、意図してこれはやっぱりゲームを忠実に再現したゲームの映画化なんだよっていうふうなところを見せつつ、
でも見せようとしているのはゲーマー自身っていうふうな感じが、私は見ながらしていたかなと思っております。
そういうふうな形になっていって、この映画の中っていうふうなのは、大変なことをやりながらお話自体は進んでいくんです。
でもあくまでゲームなので、一般人のブライアン君であったとしても、たまたま運が良くて、たまたま適当にやってた結果、判定がうまくいった結果、
進むことができてっていうふうなことができていくような、結構シンセス系のステージ構成をしているようなゲームだったりするんです。
だからブライアン君自身の努力とか、ブライアン君自身の頑張り、確かに頑張ってはいるんだけれども、でも世界の方がそういうふうにできているから、そのレールに乗ってそういうふうになっていく。
なんだけれども最後の最後では、結局のところそういうふうなレールの上に乗ってやってるだけであって、
お前は別にすごくないよねっていうふうなのが、後半の方にかけて如実に叩きつけられるという、そういうふうな作りになっているかなと思ってしまいます。
プレイヤーへの批評と妊娠の展開
言ってしまうと、この映画はこのゲーム、バイオハザードというふうなゲームを中立に映画化をしつつ、
批評性の部分に関してはプレイヤーの方に批評性を向けている作りになっているというふうなところがですね、
私は痺れるし、そういうふうなことを言ってくるのは俺に聞くからやめてくれっていうふうな、そんなような部分でもあるかなと思っております。
でも、私はこの辺のバランス感覚というふうなのがいいなというふうに実はちょっと思っていたりはするんです。
ちょっと嫌なこと言われちゃったなというふうな気分にもなってくるんですね。
具体的にどういうふうなことになるかというと、冒頭でもちょっと話した通り、この映画の中の主人公のブライアン君はですね、
彼女が妊娠しちゃったよっていうふうなところからお話がスタートしていって、
一応小遣い稼ぎにさらになるかもっていうふうなところで、このラクーンシティへの地獄の配達を始めることになるんですけども、
この転活とか展開っていうふうなのが、映画の中には当然のことながら入ってきていたりします。
それこそ、映画の8番出口っていうふうな方も、彼女が妊娠しちゃったかもしれない。
それもよりによって、つい最近別れたばっかりの彼女が産婦人科から電話をしてきて、
そしてそのショックのあまり、8番出口の方では二の演じる男の方が過呼吸になって前足をはずらってウロウロしている間に8番出口の方に入り込んでいくっていうふうな話になったりしておりました。
あっちの方は、これについて考えるのをゲームとしての主題としても使っているような映画だったので、
この辺の部分の解決っていうふうなのは、ハッピーな方に行くかなと思うんだけども、
このザック・クレガー版のバイオハザードの方では、全然そんなことにはならないっていう。
お前はゲームのラインの中に沿って活躍とかはできたかもしれないけども、
実際の部分では大して何もできていないからなっていうふうなことを見せつけてくるような、そういうようなことが多々あるような部分のあった映画だったなと思っております。
だから、この映画の中でこれからネタバレをしますけれども、
このブライアン君はですね、基本的にこの彼女とこういうふうに妊娠した云々の話っていうふうなことが話ができるのは、冒頭の電話のシーンだけだったりしております。
だから冒頭で電話をいろいろとあって切ることになってしまった結果、ブライアン君は彼女と話をすることができないっていう。
で、なんとなくそれについて語ったりすることも、ブライアン君自身が語るシーンとかっていうふうなのもあるんだけれども、
でもそこの部分は結局映画の中では解決しないっていうふうな形だったりするんですね。
せいぜいね、子供が生まれるかもしれないから頑張るぞみたいな、そういうような初心表明的なシーンっていうふうなのもあるんだけども、
でもそれをやらない、解決させないっていうふうなことを選んでるあたりが、私はすごくいいところだなというふうに思うんですよ。
というふうなのも、過去を連綿といろんな映画とかドラマとかいろいろゲームとかありますけれども、
ああいうふうなのっていうふうなのに描かれる物語っていうふうなのは、大体が一家制の経験とかそういうふうなもので、
父親になったり夫になったり恋人になったりっていうふうなことばかりが続いていくようなものが多かったなと思っております。
我々ゲーマーはというか、大冗談で言っていいかな、これはね、我々ゲーマーはですね、そういうふうなものを経た結果ですね、
結局のところこういったような一家制の経験が自分にさえあれば、そういったようなものに何でもかんでも慣れてしまうというふうな
勘違いをしていることが多いか、多いにしてあるかなと思っております。
まあ私も初めそうだったんですけどね、いろいろとやっていて思うんですけども、全然そんなことはないなっていうふうに思っております。
あれなんですよ、我々はこういうふうな人生においての大事な選択肢みたいなものをQTE、
あれですね、ゲームの中に入っているといろいろとだれることでおなじみの、
途中途中でこのボタンを押せ、このボタンを連打しろっていうふうなことがある奴はQTEって言うんですけども、
ああいうふうなものを人生においてやらなければならないというふうに、私自身は思っているくしもあります。
それが途中に挟まる、リソース管理のシミュレーションゲームっていうふうに思ったほうが私はいいかなと思っております。
だからシミュレーションゲームみたいな感じでリソース管理をいろいろと頑張ってるんだけど、突然QTEが差し挟まってそれを失敗すると大惨事になるというふうなのが我々がやっている人生というふうなゲームだったりするかなと思っております。
今までやってきたゲームとかそういうふうなものっていうふうなのは、ラインコンベア型というか、一直線に一つのステージが進んでいって、それを解決するごとに勝手に話が進んでいくっていうふうな形だと思うんだけども、
でも実際のところ選択肢も見えないわ、見えない選択肢っていうふうなのはQTEが始まっていて、それを押さないと何も解決できないわ、そしてリトライができないわっていうふうなところで、
まあ新設設計のクソみたいなゲームだなっていうふうなことがやりながら思うような部分だったりするんですね。
父親・夫を続ける日常の積み重ね
ちょっと話がごちゃごちゃっとなってしまっているんですけども、まああれなんですよ、この一家制の経験みたいなものを経て人間は何かになれるんだっていうふうなところを、
映画とかゲームとかをやっているとつい勘違いしちゃうんですけども、別にそんなことねえからねっていうふうなのが、この批評制として立ち上がってくるのがこの映画だなって私自身はちょっと見ながら思っていたところなんですよ。
だから我々は英雄でもないしヒーローでもないし、あとはかっこよくもなければ普通の大人にすらまともになれてないような人間だったりするんでね、それもあるんで、
だいたいこういうふうな必要な時に必要な行動ができず、だいたいいろんな人の失望を買ってその後も老いて死ぬだけのような人生になっていくんだなって思いながら私自身は日々生きてるんですけども、いかがでしょうかね、いかがでしょうかねって言われても困りますよね。
私自身もどう話していいかわからないなというふうに思ってはいるんですけども、ここでちょっとまた別の漫画挟むより普通に自分の話をした方がいいなとね、思うことがあるんですけども、
だいたい父親とお父さんをやったり夫をやってたりしていて思うことなんですよね、なんか大事な時に大事なことをそのまま言えるっていうふうなのが一番必要なことだったりするかなと思っております。
それ以外に大事なことっていうふうなのは日常を回すこと、だから常に父親であること夫であることっていうふうなのを演じ続けるというか役割として全うするっていうふうなことがとても大事なことだなと思ってたりするんです。
これはほとんどゲーマーとかが忌避するような何かの一家制の経験ではなくて、毎日の筋トレ、毎日同じところに通勤する、毎日散歩するみたいな毎日の習慣の積み重ねみたいなものだったりするんですね。
それこそドーパミンとかその辺も関係なく動けるようにできるようになってしまうものっていう。
私はこれを一生懸命やっていて、これを継続することだけはできてるんですけども、その継続の質が悪いことによって妻から日常的に家事の質の低さについてなじられることが多々あったりするんですけども、
この辺の部分を耐えて受け流すっていうふうなのも日常に含まれておりますんでね。まあまあきつかったりする部分もあるんですけどね。
そんな感じで、日常をまず回すっていうふうなことが必要にもなってくるし、そしてさっき話したQTEのように一番必要とされている時に必要なタイミングで必要なことをするっていうふうなのって結構体力がいるし、その時に向けられる余裕が必要だったりする。
そういうふうな体力も余裕もないような状態でそういうふうなものが発生してしまって、それに失敗して、その失敗についてずっと考え続けるっていうふうなことが人生の中において多々あるのかなーなってことを、この年齢になって思っているとこです。
特にね、年齢が上がれば上がるほど自身のステータスっていうふうなのは衰え続けていくだけですからね。だからね、本当だったら前だったらできたのになっていうふうなことが全然できなくなってきたりするようなことがあったりするんです。
具体例を出し始めると泣いちゃうような気がするんでね、この辺のぐらいにたたえておこうとは思うんですけども、やっぱり言いたいこととかその辺の部分は多々あったりして、それが言えなかったりすることもあるし、
あとは言ってあげるべき時に言ってあげられなかったりとか、やってあげられるべき時にやってあげられなかったっていうふうなことが効果として多々つきまとっていったりする。
それがゲームの中の一家制の行動とかだったりすると、だいたい簡単なQTEで成功するし、あとはリトライができるようにもなってたりするんですけども、人生においてはそれができないしっていうふうなところもあるので、
ゲーマー的な解釈をして、こういうような習慣をすること、リソースを管理すること、そして必要なリソースをそこのためのために用意しておくっていうふうなことを日常的に繰り返すことっていうふうなのは、
なかなかゲームをするだけでは手に入らないような部分だったりするので、それが一家制の経験でどうにかするっていうふうなところとは、ひも付きがないよなっていうふうなところを言ってるところが、私はすごくいいところだなと思うんですよ。
でも、これが無駄だっていうふうに私自身は思ってはいなかったりはするんですよね。何せそういうふうなきっかけでもなければやらないことっていうふうなのは多々ありますからね。
それこそ結婚とか出産とか、この辺の部分というふうなのは、なったからしょうがなくやるっていうふうなのが大抵の部分かなとは思っております。
まあ、選んでやることっていうふうなのもありますけどね。ちなみに私は選んだ方です。
父親になることと夫になることっていうふうなのが、私の人生の中で唯一選べたことの二つだけですからね。
それ以外のことはですね、何一つ選べておりません。仕事に関してもね、人生とか生き方に関しても選べたものは何にもないなと思ってはいるんでね。
映画の魅力と観客へのすすめ
で、そういうようなおっさんの人生みたいなものを話したくなるような部分ではあったりするんですけども、でも映画としては全然そんなことも考えられないような内容のすごく楽しいような映画にもなっておりますし。
この辺の部分がぶん投げられるっていうふうなところがですね、私は多分いろんな映画を見てきてあんまり見たことないパターンだなっていうふうに思ったと思ったので、とてもいいような映画家だったかなというふうに思っております。
で、あと、話はしなかったけども、この映画とってもいいなというふうに思っているのは、最初から最後までずっとこのブライアン君を追っかけてくるやつがいるっていうふうなのが、その辺がすごくバイオハザードっぺーなというふうに思っております。
特に2のスターズって言ってくるあいつね、あいつみたいな感じのやつがずっと追っかけてくるよっていうふうなのが、どうなんだろうな、他のシリーズも出てたんでしょうかね。
私、考えてみたらバイオハザードはですね、4以降触ってません。なんで全然知らないことになってるなっていうふうに思っておりまして。
あと、一人称のバイオハザードとかね、なんかわざわざなんでそんな怖い思いをしてこのゲームやらなくちゃいけないんだろうなっていうふうな気分になってて、触ってはいないんですけど。
そういうふうなバイオハザード弱者というか、昔やってて今触ってないなっていうふうな人ほど、たぶん楽しいんじゃないかなというふうに思いますんで、
よろしかったらぜひ見ていただけるといいんじゃないでしょうかね。
てなところで、話したいことも話せたので、今回のお話はこれにて終了とさせていただきます。
では、また次回。
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