1. 絶望カフカの何者かになりたいラジオ
  2. #161 『国宝』を読んだ感想。..
2025-08-17 17:11

#161 『国宝』を読んだ感想。芸事を極める孤独感と狂気。

国宝/吉田修一
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/5fc03020c646546590d81677

サマリー

吉田秀一の小説『国宝』では、歌舞伎役者として生きる二人の青年の孤独感と狂気が描かれています。物語の中で彼らは友情とライバル関係を築き、それぞれの境遇を抱えながら歌舞伎の世界に引き寄せられる姿が印象的です。ポッドキャスト第161回では、国宝についての感想が語られ、歌舞伎の世界における孤独感と狂気が取り上げられています。作品を通じて、主役のキクオの成長過程と彼が抱える葛藤が深く探求されています。

休暇の思い出
絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組は元アスリートのカフカが日々の絶望と些細なヒントをお送りするラジオです。
さて、お盆休み、皆さんいかがお過ごしだったでしょうか。
今日8月17日日曜日がお盆休み最終日という方も多いのではないでしょうか。
僕も今日が最終日でして、明日から出勤です。若干憂鬱です。
非常に充実したお盆休みを過ごすことができて、実家に帰って犬をめでて、ゆっくり過ごすことができたし、
半年分ぐらいの疲れがどっと出ていたのか、ずっと頭が痛かったんですよね。
でもそれは治って、ずっと眠かったですね。
夜中にエアコンが故障するという事件が起きまして、暑くて起きるという、そこも寝不足の原因になってますね。
まだエアコンは治ってません。
というわけで、今回は吉田秀一さんが書かれた国報についてお話をしていきたいと思います。
映画が話題になっていますよね。吉澤亮さんと横浜流星さんが主演されていて、非常に話題になっています。
実は僕まだ映画は見えてませんで、ただ原作は上下間、このお盆休み期間に読みました。
めちゃくちゃ面白かったですね。
息つく暇もなく展開されていて、それが本当に面白かった。
僕、吉田秀一さんが元々好きだったんですよね。
皆さん、航空機のアナの機内誌、翼の王国っていう雑誌があったのってご存知ですか?
今はweb媒体になっていて、雑誌ではなくなっているんですけど、今もあります。
その雑誌の中に吉田秀一さんがエッセイを書かれていたという雑誌がありました。
僕、そのエッセイがめちゃくちゃ好きで、吉田秀一さんが旅をして、エッセイに4ページくらいあるかな。
日常の些細なエッセイもあるんですけど、そのユーモアが大好きで、
実はもう4年くらい前に吉田秀一さんのエッセイはなくなってしまったんですけど、
そんなこんなで、彼の小説もいくつか読んでいます。
今回、ここを読みました。
この小説を読むと、僕の思い出になります。
はい、ではこの国宝ですね。そもそもどういう物語かっていうと、
さっき言っていた吉沢亮さんと横浜大学の小学生で、
この小学生の中で一番好きな小説を読んでいます。
この小学生の中で一番好きな小説を読んでいます。
この小学生の中で一番好きな小説を読んでいます。
さっき言っていた吉沢亮さんと横浜流星さんのお二人が演じる、
二人の青年が歌舞伎役者として生きぬく、生きざまを描いている作品になります。
彼らが少年期から晩年までを描いていますね。
おおよそ四五十年を描いているんじゃないかなと思います。
その歌舞伎役者吉沢良さんが菊尾という役で、横浜流星さんが春介という役を演じています。
簡単にあらすじ説明するとですね、菊尾はヤクザの息子として生まれるんですね。
昔はヤクザの世界と歌舞伎の世界というのが非常に近しいものであったというふうに描かれてますね。
実は高校もとある理由で途中で辞めて、あるきっかけから歌舞伎の世界に入っていきます。
一方の春介というのが歌舞伎の名門に生まれたサラブレットでして、親がめちゃくちゃ有名な歌舞伎役者なんですね。
だから周りからも一目置かれる存在として描かれています。
そんな2人が出会って、友情ともライバルとも言えない関係の中で歌舞伎の世界で生き抜いていく。
一見すると真逆の境遇なんですけど、彼らの人生というのがいい時もあれば悪い時もあるみたいな形で、
でもどこかお互いを意識しているような形で絡み合いながら歌舞伎という世界に引き寄せられていく。そんな物語になっています。
孤独感の描写
ここから先は僕の感想というか印象に残ったところをお伝えしていきたいなと思っています。
一番印象に残ったのはキクオ、主人公ですね。吉沢亮さんが演じるキクオの孤独感みたいなところが非常に印象に残りました。
というのも彼は常に周りに人がいるんですよね。
元々かなり容姿が丹麗で、少年時代から一目置かれていた。
そしてそれがいろんなところがあって歌舞伎の世界に入って、師匠にも認められて、ライバルにも恵まれて、
もちろんサポートしてくれる人もいて、マッサージをしてくれる人もいて、という形で常に人に恵まれている。
だけれども何かどこか孤独感を感じている、みたいな感覚を僕の中には思わされたんですよね。
特にそこが彼の晩年に向けてものすごくリアルに描かれているのが印象的でした。
冒頭にお伝えした通り、このお話はキクオの少年時代から描かれています。
およそ4,50年のキクオの繁盛を描いているんですが、特に晩年、老衰までいかないんですけど、老いていく姿を描かれている中で、
でもかつては青年期、少年期のキクオもあったはずで、
ただ今までずっと読んできた中には、どこか寂しさ、孤独感みたいなものをずっと抱え続けていて、今なお孤独なんだっていう形。
それが晩年にも感じ取れて、そこが感慨深かったなぁと個人的には思いますね。
このキクオの孤独感みたいなものをより印象付ける理由というのが、今お話した少年期からのキクオの繁盛を描いていたっていうところ。
それもあるんですけど、そこに付随する3つの理由があったなぁと個人的には思っています。
それを3つ紹介していきたいなと思うんですけど、
1つ目がこの小説の作りですね。作りとして3人称で描かれているんですが、
かつナレーションみたいな形で、客観的に何々が起きました、この時キクオはこういう気持ちだったのですっていう形で流れるんです。
そういうふうに第三者の目線からキクオの心情だったり出来事が描かれることによって、
キクオが本当にどう思っていたのかっていうのがあまり語られないような仕組みになっているんですね。
これはあえてそうなっていると思います。
2つ目が、キクオっていうのは冒頭話した通りヤクザの息子なんですよね。
実は幼い時に背中に入れ墨が入っていると。
入れ墨が入っていることだけが原因ではないんですけど、
そのヤクザの世界とつながっているからこそ、
一般の世界とは違うということを拒絶されるような形で描かれる場面というのが
いくつかあるんですよね。
例えば高校退学する場面とか、スキャンダルがあるとか、
そういう形で描かれていますね。
あとは3つ目で、これ非常に印象的な言葉として描かれるんですけど、
キクオがある人物にこんなふうに言われる言葉があるんです。
歌舞伎なんてただの摂取だろ。今は一緒に並べてもらってても、
最後に悔しい思いをして人生終わるのはあんただぞ。
って言われるんです。
キクオはこの言葉に激行して相手の胸ぐらをつかむみたいなシーンが描かれるんですけど、
珍しく感情爆発して相手に怒る。
それってきっと自分自身が侮辱されたみたいな思いもそうなんですけど、
身近に俊介という人物がいたからこそ、
自分がやっていることを怪我されたみたいな気持ちがあったんでしょうね。
かつそれは多分自分自身もよく分かっていたことなんだろうなという風に想像がつくんですよね。
キクオの孤独
だからこそ歌舞伎の世界は親の七光りでなっているっていうのは何となく理解はできるけど、
それを自分はその世界にいながら変えたいというか、
自分がそれを証明してやるんだっていうことを自分の中で約束として思っている。
そんな風な心情も、書かれてはいないけど思い揉んぱかることができて、
なんかそれがとても良かったなぁと思います。
良かったなぁと思いながら、
でもずっとこの人はそんな思いを自分の中に留めておく孤独な人なんだろうなっていう想像もついたんですよね。
以上3つ挙げたことから、彼自身が少年時代からずっと成し上がって有名になっておいていく過程も含めて、
ずっと孤独だったんだなーっていうのは何となくこの文章を読んでいて感じ取りましたね。
まあこれは完全にネタバレになるので言えないですが、
実際のエピソードとして、
キクオが慕っている人たちがキクオのそばから離れていく、
そんなエピソードも描かれていて、
キクオがそういう風になっていったのは必然だったんだなーっていう風にも思ったりするんですよね。
つまり、自分が本当に欲しいもの、それが歌舞伎役者として体制をしていくこと、
そのトレードオフとして彼自身が捨てていく、やめていくものが彼が誰かと繋がること、
それを捨ててまで歌舞伎役者として成功していくんだっていうことをずっと思っていたからこそ、
彼自身の孤独感っていうのはより強まっていったんだろうし、
そうすることで歌舞伎役者として体制ができた部分もあったのかなっていうふうに思います。
狂気の世界
まあ今までキクオの話をしていったんですけど、
ライバル関係である俊介もキクオを投影する役割みたいな部分を果たしていて、
彼自身も親の七光っていう重圧を背負いながらずっと孤独を抱えていたんですよね。
だからこの二人の関係というのが物語に厚みを作っているのかなっていうふうにも思いました。
あとはここを読んでいて強く感じたのは没入の先にある狂気ですね。
キクオは自分の気持ちというのは誰にも理解されなくてもいい、
でも自分が演じる役の凄みというのはいろんな人に理解してもらいたい。
だから自分だけの領域で突き抜けていく、歌舞伎の世界で生きていくっていう覚悟。
これが凄まじいなって思っていて、もうそれは狂気の世界だなって思ったんですよね。
何となく僕はそれはスポーツにも共通している部分はあるなぁと思っていて、
ただスポーツに関して言うとアスレートには引退というものがあって、
でも歌舞伎役者には引退というのがほぼないというか、
引退イコール死みたいなところがあるのかなと思っているので、
より狂ってる。
良い意味で狂ってるんじゃないかなって思いました。
そしてその狂気っていうのは、スポーツの世界に僕はいたから何となく理解できるんですけど、
自分が思い描くところに行こうとする時に、
どうしたって、例えば試合の直前になった時に不安になって、
これはどう自分の気持ちと折り合いをつけて、どうパフォーマンスを出していいのかって、
思い悩む瞬間っていうのがある中で、
でも自分がやってきたことを信じて、自分の気持ちだけを信じて、
それはロンリーではなくて、自分のパッションとして、
自分だけを信じるっていう気持ちになる瞬間というのがあるんですよね。
もちろんロジックも才能も必要だとは思いますが、
何かを極めようとするっていうことは、きっとその思い込みの力みたいなものが大事なんだろうなっていうのを、
僕自身のアスリート時代を思い起こしながら思ったりしたんですよね。
それは他の人から見ると、きっと狂気に移ったりするんだろうなというふうに思ったりしました。
とはいえ、繰り返しになりますが、一生をかけてそれをやっていくっていうのは凄まじいことだなというふうに改めて思いましたね。
国宝、非常に面白い作品になったので、もしよかったら読んでみてください。
というわけで今回は以上になります。最後までお聞きくださりありがとうございました。
それではまた。
17:11

コメント

スクロール