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1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、
また各協会のプロフェッショナルな方々へ、対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、
そこに燃える情熱に迫ります。
はいはい。
で、帰ってきたらまたなんか鼻炎になっているっていう状況でですね。
ちょっと鼻が詰まっている。鼻声かもしれないんですけど。
昨年もね、日本に2,3週間帰った後になっちゃって、
今年も鼻炎になってるっていうのが嫌だなっていうとこなんですが。
嫌ですよね。
またですね、出張は結構楽しかったです。
初めてのフロリダ。
いいなあ、行ってみたいなあ。
でしょ?行ってみたいよね。
どうでした?
前半フロリダ、後半ラスベガスだったんですけど、
フロリダね、やっぱなんかビーチに行きたくてさ、
あんまり仕事ですからそんな時間を取れなかったんですけど、
半日、丸一日まではいかないけど半日ちょいぐらい時間取れて、
日本からのお客さんと一緒にビーチに行って、
ビーチがね、やっぱカリフォルニアのビーチとは違うやっぱ青海の青さと、
砂浜の白さと、
なるほどね。
あとビキニの姉ちゃんの多さ。
雰囲気違うのね。
すごい、なんかこれは老後のやっぱ楽園っていうかなんていうんだっけ、
結構定年退職した後にフロリダに引っ越して、
ボート買って、ボートっていうかヨット、
別荘持ってみたいな人の話を聞くんですけど、
03:00
これは住みたくなるわっていう、そうそう。
日本の方ってロサンゼルスもといえばビーチっていう感じがあるから、
多分そのイメージを持たれてる方もいらっしゃると思うんですけど、
これがね、西海岸の海は違うんですよね。
東と西とね。
だいぶ違うんですよ。
青い海とかじゃないからね、ロサンゼルスの海。
そうね、たまに青いんだけどね。日によってね。
まあまあ黒っぽい青ですよね。黒までいかないけどね、日本ほど黒ではないし。
ハワイみたいなイメージされてる方がいるかもしれないけど、そういう感じじゃない?
そうかそうか、ハワイとフロリダはまあ近いか。
あとキューバだよね、さわやちゃんキューバに行ったことあるよね、確か。
海に行ったかわかんないけど。
行きました行きました。同じね、カリブ海だから。
そう、だから本当にスカッと空が青いし良かったですけど、
あとキューバ料理もね食べてね、美味しかったですね。
そうですね、なんか忘れちゃったけど。
全然雰囲気違うんですね。
あと100年以上前に建てられた別荘、誰かの超金持ちだった人の邸宅が博物館みたいになってて、
でっけえ庭と、しかもそれも海の前に建てられてるでかいお城みたいなやつです。
それもね、めちゃくちゃ美術品とか音楽の部屋とか、お客さん用ゲストルームとかめっちゃいっぱいあってさ、すっげえ良かったんですけどそれも。
まあフロリダで遊べたのはそれぐらいで、
あとラスベガスでさわやちゃんも言ってたスフィアを見ました。
巨大球体画面。
良かったです。
中行きました?
中行きました。
確かに急だった。
急でしょ。
座る場所がね。
鬼恐ろしい私は怖かったですけど。
鬼までは行かないですけど。
場所によるのかな。
まあ結構でもね、怖い感じのとこだったよ。
これは怖い人は怖いだろうなっていう。
まあだから良かったですけど、高ええなと思ったなチケットが。
まあそうね。
200度近くして1人ね。
したした。
そんで7時開演って7時に行ったらめっちゃ待たされてさ。
あ、そうそうそうそう。
1時間後だよ始まったの。
そう、そうなの。
アホかと思ったけど。
待ってる時間が長かったよね。
そうなんですよ。
まああんまりそういうこと言わないほうがいいのかな。
でもリアルに。
いやでも、そう、みんなだらだらだらだらだらさ、
ゾロゾロだらだら誰も慌ててないっていうのがなんかアメリカやなと思いましたけど。
06:06
あんまみんな怒んないですよね遅くて。
喋り続けて。
あれもう1時間経ってんじゃんみたいな。
っていう感じで。
楽しそうな出張でしたね。
まあ疲れましたが楽しかったですね。
なるほどなるほど。
帰ってきたら鼻炎になってちょっと。
辛いという感じですけど。
では本編入っていきましょうかね。
一人の方のインタビューを4回に分けてお届けしているこの1%の情熱物語ですが、
今回はですね、スカイクリエーションのチーフインストラクター兼代表取締役社長でいらっしゃいます、
中村はじめさんのインタビューの2回目です。
はい、勉強も運動もできてイケメンっていうね、この中村さんがどうやって育ってきて、
まあ就職はね一旦されるんですけどね、そこからパイロットになり、
そして会社経営まで至るというこの道筋経緯を伺っております。
では聞いていただきましょう。
ご出身が名古屋?
そうです、愛知県上市です。
フェイスブックでチラ見したんですけど、実は私豊田市出身でございましてですね。
僕大学取りたいです。
そうですか。
中京大学という体育学部にいましたので。
いやいや、やってました。
僕も一応野球部だったんですけど、ここは豊田南というしょぼいここで。
いやいやいや、豊田南。
そうっすか、えーすごい、中京高校野球部。
でしたね、はい。
いやもうほんとね、メンバーみんなアホばっかでしたよ。
いやでもガチですよね、甲子園ガチ出身組ですもんね。
部員の3分の1は甲子園児でしたね。
私は全然普通の高校だったので、新学校だったので、甲子園には程遠い学校でしたけど。
なるほど、名古屋でお生まれになられて、どんな幼少期だったかというのはちょっと。
幼少期ですか、幼少期はまあまあ勉強ができて、スポーツがバリバリできてっていう。
弱みがないな、先週から弱みをちょっと。
はい。
そうですね、まあこれから弱みいろいろ。
安心してください。
そうですね、小中高といって新学校で、でも大学受験は失敗し、それで中京大学の体育学部っていうのに行きましたっていう中で、
09:11
僕の中ではいやこんな大学って思ってたわけですよね。
地元で中京って言うとあんまり僕の世代はね、今すごくネームバリューはありますけど、
中京って言うとあんまりいい時期じゃなかった時期なので。
なるほど。
と思いながら大学に行きました、体育学部に行きました。
1年で辞めてやるって思ってたんですよ。
東京大学に行こう。
行きながらもまた指揮を受けてやろうと思ってたんですよね。
行きながらもまた指揮を受けてやろうと思ってたんですけど、中に入るとみんないいやつなんですよ。
体育学部ってほんとにみんなアホばっかなんですけど、ほんとに音がいいやつらで、
いやもうこいつらといえ4年間過ごしたいと思って僕は中京大学に卒業しました。
ちょっとどこまでアホかっていうのはご披露していいですか?
どうぞ。
大学1年生の時に英語の授業を学んだんですけど、僕も今でこそアメリカにいますけど英語全然できなくて、
でもそれでも新学校だからある程度グラマーとか言うのもあるってわかるんですけど、
大学で初めて習った英語の授業がウェンズデイだったんですよ。
単語が?
単語。ウェンズデイって何?
え?水曜日ですか?みたいな。
小学生?
そうそう。
でも知ってそうだけどね。
ただスペルでD。
書けるか書けないかって言ったら。
Dが無発音っていうことを先生が教えたかったんですけど、
そんな無発音ってあるんだってみんなドヨメてたっていうそのぐらいのレベルの大学の英語の授業だったんですけど、
要するに未来系とか過去系とかないんですよ。
でも体育学部のやつだって本当にすごい突飛でとんでもない考えをするやつが集まってるんですよね。
面白いやつらばっかりで。
大学生の時の英語の授業の終わりがけですよね。
過去系に進んでるわけですよ。授業が進んで。
I live in Tokyo.
これを過去系に直せなさいっていうのが出たんですね。
でもその時に当てられた人が天道部のやつだったんですけど、
満場一致でそんな。
リブを過去にするのはこいつにできねえよって僕としては男の子だったんですけど、
どう?って当てられた時に、えーーーとか言いながら席を立って。
でも答えられないよっていう空気だったんですけど、
I lived…とか言ってEDつけたんですよ。
で、教室中、うおーーーってEDつけたよっていう話になって、
でもその話はそこで終わらずに、
I lived in Edo…
東京まで過去にしちゃったという。
東京まで過去にしちゃったという。
面白いですね。
12:00
体育学本当にみんないいやつばっかり。
なかなかそれでもビヨンドじゃないですか、それこそ。
ちょっと超えてますよね、発想を。
ビヨンドいうエクスペクテーション。
発想1個超えてますね、それ。
で、そこの体育大学を卒業して、就職は製薬会社に行きました。
で、今でこそ皆さんご存知のファイザー製薬というところに行きまして。
そうなんですか。
で、営業で東京に行きましたということなんですけど。
で、そこで営業をしてました。
で、実は製薬会社、ファイザーってすごくいい会社なんですけども、
実は僕の中では負けでして、本当は体育の教師になりたかったんですよね。
ちょっと待って、一旦話を戻すと、大学で一旦挫折的なことを味わわれたわけですけど、
それまでは夢みたいなのがあったんですかね。
プロ野球の選手になりたかったです。
まあじゃあ校舎目指してガチでやってたけど。
で、大学入る時にはもう、でもまだプロに。
プロ野球の選手になりたいなと思いました。
大学でも野球やってました?
野球やってました。で、大学のチームメイトたちの凄さに打ち引かれて、
プロ野球の選手とか投げるわけないなと。そこで現実を知ったと。
一旦じゃあそこで。で、ファイザーに入社した。
その時は何かなりたい像みたいなのは?
そうですね。ファイザーっていうのは私の中では滑り止めだったんですね。
本当は保健体育の教師の教員免許を取ったので。
じゃあそれも大学中に取られてたってことですね。
で、体育の教師になって、叶わなかった講師への夢を自分が監督としていきたいと思ったんですけども、
挫折2?3?なんかないですかね。
教育採用試験か。愛知県高校保健体育っていう採用試験を受けた時に、
僕寝坊しまして。で、不合格通知すら届かなかったということで、
僕は教師にはなれなかったんですよね。
そういうことか。
教師には本当に憧れがあって、教育というものにすごくね、
携わりたいという気持ちがあって、ファイザー製薬に行ったんですけども。
そこから、もう話しちゃっていいですか。
製薬会社は素晴らしい仕事だったんですよね。
ドクターに薬の使い方をお伝えして、患者さんがお役立てになると。
じゃあ、売ってたものを薬で、各クリニック、どれくらいの規模のクライアント周りに。
そうですね。私は東京都の中の中央区分局の会計医さんを担当してて、
顧客数としては多分600件くらいあったじゃないですかね。
その中で分局が最初に赴任したところなんですけども、
そこで先生方に薬をご紹介していましたということです。
ただその中で、いくつかの得意先とすごく好意にしていただいて仲良くしていただいたんですけども、
15:02
そのうちの一つが分局のクリニックの事務長さん。
はい。
その方とはすごく仲良くなって、私よりも17歳上の女性だったんですけども、
その女性は若い子を育てるのが趣味みたいな感じで、私にもいろんな経験をさせて。
かわいがってくれた。
かわいがってくれたんですよね。その中で、パイロットの夢を見つけるという話につながっていてもよろしいですか。
なぜ製薬会社がパイロットにという話なんですけども、製薬会社は5年間働きました。
営業として。
そのうちに、いろんな経験をするうちに、この仕事は私じゃなくてもできるなと思ったんですよね。
なるほど。
私じゃなければできない仕事って何だろう。社会のためになることって何だろう。自分の夢は何だろう。
って思い始めたのが、私の大きな転換期。
それが20?
いや、24歳かな。就職して2年、3年たとえるときです。
そのときに、カナダに旅行に行ったんですよ。
そのときに、広大な土地と、バンクーバにも行ったんですけども、そこにUBCという大学があります。
University of British Columbiaという有名な大学があるんですけども、そこのキャンパスに行った時はあまりにも素晴らしい環境で、
高学生がニョキニョキニョキと生まれてたんですね。
大学って勉強してないじゃないですか。スポーツしてたら卒業してたとか。
高校のときはある程度、新学校だったので、そのときに英語を勉強したいって心が動いたんですよね。
その気持ちを持って、日本に帰ったときに、その病院の事務長さんが、「どうだった?」って。
すごく良かったです。僕ちょっと英語を勉強しますよって話をして、頑張れなっていう話。
英語を勉強し始めて、海外志向になったんですけど、
ただ僕は大学のときにみんなパーティーボーイだから、仲間が。
大学っちゃそういうとこですよね。
ですよね。ということで、ただ単に語学留学したら僕はダメだなと。
英語は何かを習得するための手段にしなきゃダメだと思って、何かを探してたんですよ。
それを模索していたその時期、約1年間。これが僕の人生の中で一番底辺でしたね。
底辺?落ちてた?
落ちてましたね。何かしたいのに見つからない。
モラトリアムですね。
モラトリアムですね。
仕事はしなきゃいけない。毎月のノルマもある。もちろん仕事はしますよ。
ある一定のことはするけど、そこにパッションはない。
自分は何をしたいんだっていうのが全然見えなかったんですね。
ずっと混沌とした日々を送りながら。
こんなんでいいのか?
18:00
この人生どうしたいんだっていう自分がわからない。自分探しですよね。
本当に自分探しをしているときに、とある日、その事務所さんですよ。
僕ははじめと言いますけども、
はじめちゃん、あんたパイロットになったら?ってとある新聞の切り抜きをピョンと僕に見せたんですよね。
その新聞広告にあなたもアメリカでパイロットっていう風に書いてあって、
そこにヘリコプターのパイロットを要請する学校への代理店だったんですけども、
その代理店の広告だったんですね。
その時にピコンとリング・ザ・ベロ。
で、アメリカでパイロットいいじゃんって思って留学することになったと。
今までの話にかかってると一個も出てきてないですもんね、空飛びたいって。
そこでいきなりピコンと来ちゃったんですよね。
そうなんですよ。で、パイロットいいなと思ってアメリカに行くことになったんですけど、
実はライセンスを取ってもすぐにパイロットになれるわけじゃないっていうのを全然知らなくて、
あんまりネット検索してもスタンダードじゃなかったので。
その代理店に入ったら初めて、メルトってそんなにすぐにパイロットなんかになれない?
えーって、たいまい旗入って高校生に来たのにって思って。
その時にフライトインストラクターっていう職があることを知ったんですね。
アメリカでフライトインストラクターになって、フライト時間を稼いで、
それでエアラインパイロットとかヘリコプターパイロットとかになっていくというのがアメリカではスタンダードだった。
フライト時間が何千時間とか何万時間がないと、
そうですね、1000時間、2000時間、3000時間とかそういう話なんですけど。
ということで、ただフライトインストラクターってすごくおいしい仕事。
で、フライトタイムが、
あ、そうか、稼げるってことですか。
稼げるということですよね。で、しかもお金をもらいながら稼げる。
で、訓練生の時にお金を払いながら時間を貯めるわけですよね。
で、フライトインストラクターの免許を取ると、そろそろ板倉さんが今日フライトすると。
1時間板倉さん払いますよね。
でもその1時間は僕の1時間で。
クレジットを使うわけですもんね。
ということで、お金をもらいながら1000時間、2000時間。
もし自分自身で1000時間、2000時間払ったら、これ家1軒建てちゃう。
なるほど。
そう、というのがフライトインストラクター。
ただ、アメリカのフライトインストラクターって、だから時間稼ぎのためになる人、
エアラインパイロットになる人がもうほとんどなんですよ。
そうじゃないインストラクターって、本当に一握りなんですね。
前田さんはその1人で、多分僕もその1人なんですね。
なぜかというと、僕は、話が戻りますけども、教師になりたかった。
で、フライトインストラクターという教官っていうのは、教えることもできて、
パイロットでもあり、アメリカでも暮らすことができるという、一石三鳥の仕事なんですよ。
21:01
なるほど。
ちなみに、教師になりたいっていうモチベーションって何なんですかね。
モチベーションというか何ですかね。
教師は。
素敵な仕事ですよね。
素敵な仕事だと思います。
いや、これはですね、僕が中学校の時の先生が言った一言に対応するんですけども、
命って限りがあるじゃないですか。
で、自分の残す功績っていうのも限りがあると思うんですけども、
それを教育で、皆さんに教育理念を伝えることによって、
自分の考えの分身ができるわけですよね。
その分身の子供たち、もしくは教え子たちにも生活があって、
そこからまたさらに発生する。
中学校の時に古典を教えているおばさん先生がいたんですけども、
その先生がその言葉を言っていただいて、確かになと思ったんですよね。
ということで、教師って素晴らしいなってその時思いました。
野球を教えたい、そしてスポーツを教えたいっていう夢が僕は叶わなかったので。
じゃあ違う形で教えるっていうところに携わってらっしゃるってことですね。
でもパイロットになるって本当にハードルが高いんですよ。
誰でもなれます、実は。
誰でもなれると思うんだけども、でもいいパイロットになっていくってちょっと違うなと。
やっぱりね、でも空飛ぶわけですからね。
落ちたらまあまあの確率で命なくなっちゃうわけで。
まあでもね、エンジン止まっても安全に着陸ができることは本当に訓練でたくさん学びますけどね。
だからそういう意味でも人間性っていうかなんていうのかな、さっきもお話ししてましたけど、
危険からなるべく遠い、安全な方にあらゆることに気を配っていかないといけないってことですね。
日々の生活からですよね、おそらく。
なるほど。
じゃあその17歳年上の女性の方がペロッて見せてくれた。
チラシが人生を変えたと。
それがアメリカまで持ってきたと。
そうです。
そのインストラクターをやりながら、このスクールを開いたきっかけだけ聞いてこのセクションを終わりにしたいんですけど。
分かりました。フライトスクールはですね、私が一インストラクターとして、
こちらのアメリカのフライトスクールといっても日本人経営のフライトスクールなんですけども、
募集させていただいてましたと、そのチャンスをいただいてたんですけども、
24:00
その学校はですね、やっぱりこのフライトスクールって大きなお金が動くので、
粗悪な学校もぶっちゃけあるんですよ。今でもあるし昔はたくさんあったし。
そこの学校っていうのは粗悪な学校かって言ったらそうではないんですけども、
でも極端な営利主義。
それは中野さんが習ってた、インストラクターを雇われていたと。
勤めていた会社の学校ですね。
そこで、そこの学校、営利主義だったんですけども、
そうなるとやっぱり訓練生にそこの仕事をさせていくわけですよね。
飛ぶ必要のないフライトをしたりとか、いわゆる無いような高額な請求が来たりとか、
ということで訓練生がやっぱり泣きを見ちゃう。
私はもちろん雇っていただいてたんですけども、
気持ちが訓練生の方向を向いていたので、そういう訓練生の方がつらかったんですね。
その訓練生から、本当に友達みたいになってた訓練生の一人から、
はじめちゃーんと言って、はじめちゃんフライトスクール作りなよ。
理想の学校を作ってみなよという一言で、
確かになって、自分自身だけだと、一インストラクターと変えられないから、
もう自分で作っちゃおうということで、スカイクリエーションというのが立ち上がった。
なるほどね。
私もそのように似たような思いをしたことはあるのでよくわかりますが、
やっぱり会社って社長のものですからね。
どこまで変えようと思ってもね。
それはお互い、市長の考え方の違いもあれば、
どっちが正しいとかじゃないかもしれないんですけど、
自分が正しいと思うことをやろうと思ったら、自分で始めるしかないってことですかね。
そうですね。
その会社の社長さん、実はすごい社長さんもいい人だし、スタッフもいい人だったんですよ。
会社形態となった時に、大きな組織としてはちょっと大きさが変わるってことはよくある話ですよね。
もちろんいろんな、稼がないといいものが提供できないっていうのは当たり前のことなんでね。
利益追求しないといけないわけですけど。
今そこのところの狭間で出ますよね。
インストラクションする学校にしたいなっていう理念で、
それはもうとことん追求してますけど、
でもやはり会社は1年、2年、5年、10年と存続していかないといいサービスを提供できない。
そのバランスは大事ですよね。
ちなみにおいくつぐらいの時に独立されたんですかね。
27歳です。
そう、27歳でライセンスを取って。
35歳ですね。
早っと思ったんですよ。
35歳で独立。
今何年目に。
今18年になりますね。
18年。
すごい。
素晴らしいですね。
今まで皆さん聞いてきて、
中村さんの人柄がある程度伝わっているかなと思うんですけども、
27:02
気真面目というか、
なんて言うんですかね。
すみません、見た目は実はチャレチャレしてるんですけど。
イケメンでございますが。
すごい本当に真っ直ぐっていうかね、
曲がったこと大嫌いな感じですかね。
言っておりますね。
そんな中村さんがどうやって作られてきたのかっていうのをね、
過去の話も聞いてきたんですけど、
仕事の姿勢ですね。
ちょっと今から入っていきます。
よろしくお願いします。
いやーでもやっぱり小さい頃から何でもできた方なんですね。
ねー。
欠点が今のところ見つかってないんですけども。
みつさんが必死に探してる。
インタビュー中に。
そう、でもすごいよね。
きっとさ、モテたとかそういうのもあるけど、
製薬会社に就職して、
まあ営業5年。
まあ安泰なわけじゃない、このなんていうの。
ファイザーですからね、大手ですよもう。
ですね。
それを蹴ったじゃないですけど、
それをやめて、
アメリカ、パイロットいいじゃんって。
どういうことだと思うけど、すごいですね、その辺の。
何がしたいかわからない時期がすごい苦しかったみたいなことをお話しされてましたけど、
やっぱそういう時って結構誰にでもありますよね。
そうね。
そういう時って本当に何が正解なのか、どうしたらいいのかわかんなくて、
ね、苦しいけど、
それがあったから何かが見つかった時にその時間って無駄じゃないですか。
そうだね。
でもさ、その時に感じているその違和感というか、
これはちょっと、これじゃないみたいな。
それをちゃんと大事に保てるかどうかだよね。
ああ、なるほどね。
まあこんなもんかってなっちゃったらさ、諦める、
それでそんなもんで終わるわけなわけでさ。
確かに確かに。
何か違うんだよなとか、何かもうちょっとね、
違う世界があるんじゃねえかって思ってずっと迷ってると思うんですけど、
まああとその大人になる前っていうか間って、
いろんな人のいろんなこと言われるんだよね。
うんうん。
30:00
なんだよね。
本当なんか正解かのようにさ、
いやこの道が正解だからとかって言われちゃうんだけどさ、
きっと違うんだよね。
そうですね。
いやあ、
勇気がすごい素晴らしいですよね。
うん。
あと、
あの、いいなと思ったのがその英語は、
目的ではなかったっていうのを、
最初から言ってる、最初から思ってって言ってるっていうのはすごいよね、と思うけど。
うんうんうん、そうですね。
本当におっしゃる通りなんですよね。
うん。
割と、
英語は、
何かを習得するための手段と位置づけたというふうにおっしゃってましたが、
目的ではなかったっていうのを、
うん。
割と、
英語が喋れるようになるっていうのは目的にしちゃうとね、
なんか、
じゃあ何?ってそっか仕事がないみたいなね。
英語喋れる。
サブちゃんもそういう話もしたけど、
こっちアメリカに来て英語喋れるなんて当たり前だから、
だから何?っていう話になっちゃうから。
まあね、最初はね、それでもいいかもしれないけど、
ある程度したらね、それを使って何をするかですね。
そうですよね。
逆にだから英語は別にできなくても何かスキルがあれば仕事は見つかるんだけど。
あーそうそうそうそう。
だから英語は、
どうぞ。
なんかね、なかったら自分で作っちゃえみたいな先進みたいなのも素晴らしいと思った。
理想のものを。
あーそういうことね。
フライトスクールね、開業したっていう話ですね。
そうそうそう。
そうなんですよね。
まあでもこれはね、僕もちょっと喋ってたけど、
やっぱり最終的に起業しようっていうふうに決断するときはやっぱりそういう心境になりましたよね。
そっかそっか。
イキさんもわかる感じか。
だって自分が信じるものを最後まで貫き通すんだと、
やっぱり自分で会社やらないとさ、社長のものですからね、会社は。
そうですね。
もしくは被るしかわからないけど。
確かに確かに。
最終決断はそこなんで、最終決定権を持たないと、
なんかどうしようもないなって思っちゃったもんね、最終的には。
そっかそっか、確かに。
なるほど。
あと35歳っていう年はなんかすごく、
こないだ僕他の経営者の方と話してて、やっぱり40越えてくると守りに入りたくなるっていうか、
よくある話だけどよく聞く話っていうかさ、別に何歳でも遅くはないんだが、
やっぱりなんか勢いが減ってくるなっていう話をしてて、
33:01
40前ぐらいに起業するのがやっぱりいいんじゃないかなと思いましたけど、
そいつさんが起業したのは何歳の時ですか?
そう、俺が38なんですよね。結構ギリだったなーって自分でも思いますけど。
なるほどなるほど。
今だったらどうかなーって考えるとやっぱり怖いし。
僕はね、でも27,8はね、ふらふらしてましたから、
バイトとサービスとバンドしてる生活だったから、社会に入ってないっていうかなんていうの?
結構スタート地点遅れてると自分では思っているんで、
それもその分遅くても、人より頑張らないと落ち着かないだろうなとは思ってるんですけど。
なるほどね。
全然落ち着かないですけどね。
なるほど、30代で。35って結局若いなーとかちょっと思ったんですけど、でも逆にちょうどいい年齢なのかな?
まおりちゃん今どれ、何歳だっけ?
今34で、
そうだよね、ちょうどそんなもんだよね。
今年か35だからもうすぐ起業をする。
宣言したね、宣言しましたね今。
そうそうそう。
楽しみーそれ。
誰もやっといたくないけど、自分だけで。
いいじゃんいいじゃんいいじゃん。
ということで、次回はどんなお話になりますか?
はい、ということでそんな中村さんの欠点探しをですね、引き続き行っているんですけど。
いや、もう見つかんでないです。最終的にもう欠点はないです、この人は。
残念。
残念。で、来週は仕事の姿勢とかね、
あと会社名に込めた思いとかもね、もういい話あったりするんですけど、
あとね石山さんという聴覚障害者の方が、
まあパイロットを目指して日本から来て、
飛ぶっていう話とかね、
めっさ感動です。
すごいことですよね。
ちょっと考えただけでもすごいことですよね。
はい。そんなエピソードになっております。
楽しみにしております。
はい。
リアルアメリカ情報。
よっ。
このコーナーでは最新のビジネス生活情報をアメリカロサンゼルスよりお届けしてまいります。
はい。
この前ね、センチュリーシティモールにちょっとフラフラーっと遊びに行きまして、
36:05
ああ。
センチュリーシティモールというとビバリーヒルズにあるショッピングモールなんですけど、
あれ、いわゆるあれだね、ビバセンだね。
違う?
あ、ビバセンって言うんですか。
あの日本の観光ガイドにはビバセンって書いてあったような気がするけど。
あ、そうなんだ。
ビバリーセンターではなくて、
え、センチュリーシティモールってビバセンと一緒なの?
あ、ごめん、じゃあ俺違うかもしれない。
センチュリーシティモール。
それがビバリーヒルズにあるの?
ビバセン。
多分センチュリーシティモールもビバリーヒルズだった気がする。
ビバセン。
センチュリーショッピングモール。
あ、違うな、ごめんごめん、間違えました。
ビバセンってのは逆にどこなんだろう。
ビバリーヒルズです。
あの、だから、
あの、
ダウンタウンからサンタモニカまでバスでハリウッド寄ってビバセン寄ってサンタモニカまで行くみたいなツアーがよくあったんだよね、昔。
へー、あ、本当だ、ビバリーヒルズセンターっていうのも出てくる。
ごめん、間違えました、全然。
いや違うと思う。
あ、違うか、8階建てのショッピングモールって書いてあるから。
うん。
なるほどね。
はい。
まあそのセンチュリシティモールに行ってフラフラしてご飯食べたり、あの、フラフラしたりしてたんですけど、見つけちゃったんですよ。
何を。
サイバートラックが。
おー、あ、泊まってた?
エスタの展示会場に泊まってて。
あ、そこの中にあんのか。
そうそうそう。
俺ロングビーチとかだと思ってた、そこなんだね。
そっちにもあんの?
そこなんだね。
そっちにもあんのかな、もしかしたら。
あ、わかんないけど。
しかも中に入って、中見たり写真撮ったりできるみたいな感じだったから。
マジ?
そう、乗り込んできちゃいました。
サイバートラックね、知らない人はちょっとググってもらえば、この、なんていうの、この奇抜なデザイン。
あのね、見たことないほど、でかくて長いシルバー色の戦闘機みたいなトラック。
戦車みたいなね。
戦車か、戦車が正しいかも。
直線だけでデザインされたような感じだね。
あ、そうそうそうそう、丸いとこが一個もなくて、防弾になってて、
ドア?
取って、ドア、取っても防弾のために取って部分を作ると弱くなっちゃうからっていうので、あそこも全部取ってもない、ただの一枚の。
あ、そうなんだ。
スティールみたいな感じ。
どうやって開けんの?
39:00
あのね、窓ガラスのすぐ横にちっちゃいボタンみたいなのがあって、それをピューって押すと開くんですよ。
最近ボタンで開くのはあるよね、なんか。
他にもあるんだ。
EVとか。
だからね、ピューって押すんだけど、すんごい重たいの。
多分防弾だから、ドアが。
それをヨイショってまず開けて乗り降りするから、毎日エクササイズみたいな。
筋トレみたいになるの。
まじで。
腕が太くなる。
そうそうそう、結構車高も高いからヨイショって上り降りもできるし。
しかもテスラってあれついてないくない?あの天井にさ。
俺のはついてないんだわ。
え、じゃあないのかな?
この手つかむやつ。
手摺みたいなやつ。
あの皮、釣り革みたいなやつ。
そうそうそう。
え、ないんだ。
モデル3はないですよ。
サイモトラックはあるかもしれないけど。
でも本当なんかもうやっぱりテスラだなってぐらいシンプルで、
大きい画面が一個あって、ハンドルが小っちゃい四角いハンドルで、おもちゃみたいなハンドルがついてただけで。
で、中はすごいシンプルで広くて車高も高くて運転はしやすそうだなって感じだったんですけど、
何が一番気になったかというと、指紋がめっちゃつくっていう。
どこに?スクリーン?
外側にめっちゃ指紋がついて、いわゆるあれなんですよ、冷蔵庫なんですよ。
素材が。
あの、なめらかなやつのほうの冷蔵庫ね。
あの、銀色のレストランとか業者が使ってそうなやつね。
あ、そうそうそう。めっちゃでっかいシルバーの。
家のだって、うちのやつは白色でガサガサしてる手触りのやつだから、指紋つかないんだよね。
うちの銀色なんですけど、指紋がつきにくいやつを選んでるんで、ちょっとつきにくくはあるんですけど、
あの、超でっかい業務用冷蔵庫にタイヤがついたみたいな。
まあそうか。確かにそう言われるとそうだな。
まじでそんな感じ。
あまりない。指紋つきまくってんの?みんなの指紋が。
めっちゃ指紋ついてる。めっちゃ指紋ついてる。
やだね、それなんか。
綺麗に拭いてピカピカにして乗らなきゃいけないんですけど、
最近結構道でも見かけるように私もなってきました。
あー。
そうだよね。しかも俺この間売りに出されてるのも見たけどね。
うそ?
あの、個人売買みたいなやつで。
え?
あれ、売っちゃいけないわけにそんなに。
そうそう。リセルしちゃいけないみたいな。
うん。だけど売ってたよ。
売れないとか。
どういう風にやってるのかわかんないけど。
で、価格としては6万ドル、だからもう900万とか1000万ぐらいの金額からスタートなので、
42:06
今出てるモデルもうちょっとハイレベル、アイラインなのでもう少し高いと思うんですけど、
多分来年、再来年ぐらいにはその一番下のレベル、ベーシックモデルも出てくるんじゃないかなってところで、
今だと1年待ちだそうです。
誰が傍談必要なのかね。
傍談必要なやつって、どういう人?
ヤクザとかマフィアの人たち。
ただに言ったら、そうメキシコ、あ、メキシコめっちゃ必要なんじゃないかと思って。
まあそういうとこは役立つ。
まあ確かにメキシコの砂漠とかは走るには最適だろうね。
まあガチなね。
ガチね。
ガチのね。
麻薬の密売する人とか。
日本であれはどうやって走らせるのかなってちょっと思いますけど。
場所がね、遠い中じゃないと無理だよね、あれは。
そうね。曲がれないでしょって感じですけども。
そうですか。いいですね。
いよいよ世の中にも出回ってきましたので、アメリカに来る際はちょっとこう、
そういえばあれちょっと話し忘れたけど、ベガスの出張であれ乗りましたよ。
テスラループってトンネル走るやつ。
はいはい、コンベンションとコンベンションを繋ぐトンネル。
あれもなんかゲームみたいでね、面白かった。
うんうん。
さおちゃんも乗った?
乗った乗った。あれ普通に運転してません?
うんうんうん。
普通に運転してます。
普通に運転してます。
普通に運転してます。
普通に運転してます。
普通に運転してます。
うんうんうん。
さおちゃんも乗った?
乗った乗った。あれ普通に運転してません?
運転してるんだけど、自動じゃないんだけど、なんか本当に車1個だけ走れる穴空いててね。
そうね。
なんかカラフルな紫とか赤とか青とかの光が点滅していて。
はいはいはい。
なんか楽しい感じだよねあれ。
なかなか見たことない。しかも無料で乗れるから楽しいですよね。
なかなか変態イーロンマスク進出してきてますね。
確かに両方ともイーロンマスクそうだわ。
やだやだ。
やだやだ。
いいですね。ということでイーロンマスク情報をお届けしました。
はい。
締めのコーナーです。
はい。
質問。
うん。
特殊能力で持てるとしたら、普通に空を飛べる特殊能力。
もしくは海の中で息ができる特殊能力。普通に泳げるね、海の生物みたいな感じで。
45:04
どっちを取りますか?
一見空だけど、海だね。
おー、それはなぜ?
これはもう明確な理由がありますね。
はい。
空はだいぶ人間の進化が追いついてきてる気がしていて。
なるほどね。
いろんな面でね。
確かに。
もうなんかちょっとしたらもう飛べそうな気がするけど。
確かに確かに。あーそうかも。うんうんうん。
だけど海の深海は何%だっつったっけな。
ものすごい確率の70%とか80%からは分かってないって言うからね。
へー。
知らないんだよ人類はその世界を。
もちろん潜水艦でちょっとだけ見入れた魚とかいると思うけど、でも全然見入れてない部分もいっぱいあるみたいなんで。
はいはいはい。
とか。
確かにその視点は非常に面白いし正しいですね。
正しいとかあんの?
さぼりちゃんは?
私も同じく海なんですけど。
へーそうなんだ。
理由は違って食材が豊富。
食材?魚とかわかめとか?
空で食べ物を取ろうとすると結構大変じゃないですか。
確かに。鳥だね。鳥あんま美味そうじゃねーしな。
そうそうそうそう。
チキンは美味いけど。
きのみとかかな。
空じゃねーよそれ。
空か。
海の中はね色々あるから。
確かにな。
まあでも日本人はシーフード好きだからとかもあるかもしれないよね。
まあね。
確かにな。空何もないもんね。
そうね。まあ気持ちいいでしょうけどね。普通に飛べたら。
まあ宇宙も空に入るんだったらまた違ってくるかもしれない。
それはちょっと違うかな話は。確かに。
そうね。
面白いですね。
まああと地中っていう話もあるよ。地面の中。
あー家をもぐる。もぐりたいっすか?
わかんないけどなんかいっぱいありそうじゃん。
マントル行きたい?みたいな。
わかんないけど。もぐりたい人もいるかもよ。
はい、確かに。
ということで今回お届けした本編とリアルアメリカ情報のインフォメーションはブログに掲載しております。
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48:03
なかなか面白い質問でしたね。
そういう思いを巡らしてみるっていうのはいいですよね。
確かにちょっとファンタジーのね。
ということで1%の情熱物語は日本を飛び出し世界で挑戦していく人を応援します。
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そうです。
ということで今週も聞いてくださってありがとうございました。
ありがとうございます。
また来週お会いしましょう。
じゃあね。