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1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、また各協会のプロフェッショナルな方々へ、対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、そこに燃える情熱に迫ります。
こんにちは。こんにちは。
1%の情熱物語236回です。皆さんお元気ですか?
元気ですか?ってこれ今撮りながら気づいたけど、これ最後だ。今年最後のエピソードだ。
締めくくりですね。
はい。
そうか、私ね。
例によって年末感、全く。
ないですけど。
まだ11月なんだけど、実はね。
11月までそうなんですよ。
はいはいはい。
小話ありますか?
小話はですね、うちの旦那が家を改装するのがすごい好きなんですよ。
はいはいはい、なんか家の物色したり、いろいろしてますよね。
本当は家を何個かあと他にも買って貸し出したいという希望があるんですが、
彼自身自分の家を持っていて、2世帯住宅の1個を貸してて、
はい。
その2世帯住宅のもう1個側を普通にね、普通に貸すんだったら、2世帯住宅で1ファミリー、1ファミリー、2ファミリーに貸す。以上。
それは何?1階と2階で分かれてんの?
えっとね、うん。1階建てなんですよ。
だから右と左みたいな感じ。
玄関が2つあるってこと?
玄関が2つあるっていう感じなんですね。
なんだけど、その1世帯の住宅を、まずそこの中を2つに分けて、3世帯みたいにしていて、
その3世帯みたいにしている方の、また1個のところにもう1個また別の部屋を作って、
え、そんなでかい、いっぱい部屋があるの?
ベッドルームが2個。そうそうそうそう。なんか、わからない、気がついたら壁ができてたり、気がついたらドアができてたり、
できてたと思ったら今度は壊されてたり、いろんなことをやってるんですけど、
やっとちょうどね、先週ぐらいに落ち着いて、
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Airbnbで貸し出しを始めたんです。
はいはい。
その2か所かな、1個の1部屋ともう1個の2部屋。
2部屋なんていうのかな、2つのお部屋として貸し出してるんですけど、
Airbnbで貸すっていうのが1個の選択肢でアメリカでは多いと思うんですが、
あともう1個は知らなかったんですけど、私も彼が貸そうとしてる候補としては、
トラベルナース用。
トラベルナース。
そう、トラベルナースっていう人たちがいて、いろんな場所に行って、そこで数ヶ月間ナースのお仕事をするっていう、
トラベルナースっていう方々がいるんですよ。
面白いね。
そう。で、そのトラベルナース用のサービス、ページとかトラベルナース用のお家紹介サイトとかがあって、
そこに貸そうかなっていうのも1個の案みたいですよ。
いいじゃん、なんか安定してそうじゃん。
そうそうそう、そうすると数ヶ月で回ってくけど、でも長期間はいなくてっていうのがあるんですって。
えー、トラベリングナースって、だからナースの仕事は世界共通で旅をしながら、
多分ね。
っていうこのナース側の願望なのか、もしくは病院がこっちに来てよっていうので、誰か応戦する人がいたりするのかね。
ね、人が足りないとか。
ね、どういうことなんだ。
そうそうそういうのがあるんですって、面白いのがあるなと思って。
面白いね。
今の話を聞いてて、食べをしながら仕事ができるっていいなって思ったね。
確かに。
俺らもできるっちゃできるか。
今できる人はね、多くなりましたからね。
まあまあそうだね。
分かりやすく手に職があるとね。
あー間違いない。
スペックが分かってるとさ。
世界共通ですし。
シェフとかもそうだけどね。
あー確かに確かに。
素晴らしいお仕事ですね。
これどこの話だったっけ、導入話か。
うん、これそうそう小話で最初。
さあ本編に入りますね。
毎回一人の方のインタビューを4回に分けてお届けしているこの1%の情熱物語ですが、今回は高野さん、米国別院ロサンゼルスで第7大主管を務められていらっしゃいます、宮田大仙さんのお話の最終回です。
はい、先週までが苦行の話だったりね、悟りとは何ぞやみたいな話がありましたけど、最終回は僕が毎回皆さんに聞いている幸せって何ですかっていう質問だったり、思い出の曲とかね、聞いちゃったりしております。
06:18
興味深いですね。
ではでは聞いていただきましょう。
ありがとうございます。じゃあちょっと質問を変えて、これまたね変な質問かもしれないんですけど、あなたにとっての幸せとは何ですか。
幸せというのはやっぱりピース・オブ・マインド。
心の安らぎという。
リビング・ピース・フリーというやつですね。
これです、ピース・オブ・マインド。
平穏という。
平和な心というか、そういうことですね。
どういう時にその平穏というものを感じたりしますか。
やっぱりピース・オブ・マインドというものは、自分が病気をしたり、痛い目にあったりした時に、それを乗り越えるための時の一つの目標としてピース・オブ・マインドというものを持つということですね。
やっぱり人間ですからね。
怒ったり尺に触ったり、病気になったりした時には、懇熟症というような気持ちもなりますけれども、
そこでやっぱりピース・オブ・マインドというものを保持するためには、
国道武蔵の神言、あるいは不動明王の神言、あるいは孔孟大師の神言を唱えるということによってピース・オブ・マインドを得るということですよね。
ああ、そこでもやはりマンダラというか、繋えることによって平穏が訪れるという。
そうか、そういうもう体になっているというか。
そういうことでしょうな。ピース・オブ・マインドというものをキープするためには、やはり神言を唱えて、苦痛なり痛みを乗り越えるということでしょうな。
お話を聞いていて、祖母のことをずっと私は思い出しております。
祖母ちゃんのことを。
よく唱えておりました。
そうですよね、やっぱりでも本当に病気した時なんかに、こそ不痛がありがたいというか、やっとそこでありがたみを感じられるというかね。
09:07
ここでね、去年お通しくらい、このバックペインという、アズマというんですけど、ペインがあった時などは、やっぱりしゃくに触れて気持ちがイライラした時などは、不動明王の神言を唱えて、
21遍くらい唱えて、治らないなら治らないでいいわというような気持ちで、いつの間にか1年くらいかかったですかね。
そうですか。
今は平穏な。
今は平穏になりました。
なるほど。ありがとうございます。
これも皆さんに聞いていることなんですけれども、毎日続けていることだったり、継続していること、意識していることって、もちろんお経となるということもあるかと思うんですが、何かありますか。
毎朝、だいたい8時前後でしょうな、自分の亡くなった両親、兄弟、並びには知人、そういった人のためにお勤めを、
公教員だらにという神言を唱えて、10分間ほど。それと別のところでは、別の部屋では、この別院で私に大変親切にくれた人たちのためのサービス、これも10分間ほどすると。
これは欠かさずやっております。
なるほど。
それが私の義務であり、レスポンスであり、一つは神言を忘れないためのリピートですから。
なるほど。
神言とか陰芸とか、それから心の持ち方とか、そういったものが毎朝行うということになります。
ありがたいですね。
ところが時々、もう年ですから、あ、今朝レッスンを忘れたという時もあります。
それはそれだけでいいと思っています。
いやいや、まあ、実駐白宮、お勤めのない限りは自分のところで、朝8時前後にお勤めをして、亡くなった人たちのイメージを思い出しながら、神言を送って供養させていただいております。
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そうか、亡くなった方たちをイメージするというのは、思うという、想像するという。
やっぱりその人のイメージというものがあります。
自分の父親、母親、それから特に死者くなった葬式などに依頼してくれた人の顔などを、なるべく思い出して、頭を思い出してやるんですな。
そういう時間があるからこそ、思い出せる、思い出せるというか、時間が取れるということですよね。
そういうことです。
私はそれをやるのは、お線香をあげている1分ぐらいの時間なんですけど。
それはいいです。
そうか、それはお経を覚えるあれがありますね。
イメージはやっぱりね、大事なことだと思いますからね。
今日は例えば、あの人の49日やったら、おばさんの49日、そのおばさんの生きたときの顔をちょっとイメージを見ながら、信仰を送るということですね。
ありがとうございます。
じゃあちょっとそろそろ、もう少しで終わると思うんですけど、
これも一応皆さん聞いているので、
今後のビジョンですね。
もう91年もね、この世でね、お活躍されていらっしゃるんですけど。
もう亡くなったら、もう神理想でも結構です。
ただ、お経だけはここの海峡市に行って、灰は自分の里、愛媛県の大洲市の墓もできてるんですから。
そこに行くということで、まあピースフォーパッシングということですから。
それだけが目元です。
ありがとうございます。
自分の地報のところに帰って、話はできませんけれども、両親の前で横にお墓もできており、
まあそこに、自分の寺の土地に帰るということですから。
土地に帰るということですかね。
ありがとうございます。
最後の質問の前に、ちょっとトーンが変わりますけど、
大前先生の思い出の曲とエピソードみたいな、何か好きな。
何か好きな歌ですか。
歌とかあったりしたら、みたいな。
それはもう、あのなんですよ、三橋道也とかですな。
三橋道也、ちょっとわからないですね。
石井雄二ね、こうした人の歌だったら、今でももう、くつくつ。
ごめんなさい、ちょっとわからないですけど、その方たちは日本にいらっしゃる頃によく聴かれてたんですか。
よく聴かれてたんです。
こっちで聴いて、こっちの新しい歌でやったというのは、ほとんどないですね。
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もう一回お名前ですか、その小関雄二さん。
去年のイエルという時の主人公になった、NHKでやった、小関雄二。
戦中戦後の歌のほとんどはこの人がやって、5000曲ぐらい作ってます。
石井雄二。
それから、僕が教員時代に流行った歌としては、三橋道也とかですな。
そういう人は、勝田八郎とか、そういった人の歌は、いまだに時々口ずさんだりすることがありました。
そうですか。すごいですね、それも残ってるっていうのは。
今も聴く術はないですよね、その方たちの。
CDでポッと回してます。
聴けるのは聴けるんですね。
そうですか、そうですか。ちょっと僕も調べて聴いてみよう。
なるほど。
それは何か思い出があるんですか、そういった。
その時のミュージック劇場は、その時にああだった、こうだったということがあります。
そういう内容の歌なんですかね。
例えば、「赤月に祈る」でしたら、戦時中に苦労した人を、自分たちまだ未来見に追ったんですけど。
そういうような場面が、ここにずっと浮かんでくるって、懐かしいということでしょうかな。
じゃあその教員時代というのもやっぱりその。
三橋道也さんの歌が流行ってね。
子供も生徒も、また同僚の教師も歌ったりして。
結構みんなで歌ってたよね。
ああそうですか、いいですね。歌っていうのはそうやって、時を越えて残っていくなと思いますね。
いやーすいません、ありがとうございます。
最後の質問というか、27歳で訪米された大正さんの若い頃を思い出しつつ、
今の日本の若い世代に対してのメッセージというか、お言葉をいただけたら嬉しいなと、最後に。
まあ、
The way of finding peace of mind というか、心の平和を求める仕方がですね、
僕らがやった時と、今の若い世代の人がやる時の工夫というものが違うような気がするんですが。
時代が変わって、
いわゆる心の平和を求める仕方というか、
The way of finding peace of mind というか、そのやり方がやっぱり、
似たようであるけれど、また違った形のパターンになったのではないですかね。
18:02
なるほど、なるほど。
今の日本の若い人の考え方というものと、
ご存知の通り、ここの小屋さん別人と関係があります、
有名なヤング人たちが歌う歌があるでしょう。
名前は、
アメリカの方たちの?
日本で今有名なグループがあるでしょう、ヤンググループが。
ジャニーズ?
ジャニーズさんはここでですから、ここでおったんです。
これ、おったというか。
おったというか、ジャニーズさんはここで生まれて、
ここで生まれて、ここで、
お父さんがここの別院の第三大士官ですから。
そうなんですか。すみません、全然知らなかった。
ジャニーズのパパ。
ジャニーズさんのお父さん。
お父さんはここの別院の第三大士官です。
そうですか。
そうでしたか。
お父さんは、
ジャニーズさんのお父さん。
ジャニーズさんのお父さん。
そうですか。
そうでしたか。なるほど。
で、そのジャニーズの若い?
若い世代の人たちの歌とかね、
私も会ったことあるんですけれども、
ジャニーズにも1回だけしか会ってないですけれども、
どうも僕らには、
あの人たちにはあれでいいんじゃろうと思うんですけれども、
彼らなりの、
ピースオブマインド。
やっぱり、
形として出てるんじゃないですかな。
バンバとか踊りとか、
ダンスとかっていうのは、
力強い役者が出てる。
我々の場合はどちらかというと静かにして、
聞くというか。
どちらかというと歌詞をしみじみ感じるみたいな。
感じるみたいな。スローというかね。
そうですね。
なるほどなるほど。
やはり、
人間は死というものをどう考えていくか。
これはもう個人個人に言うと違いますからな。
一般論としては言えんと思いますけれども、
やはり誰人にとっても、
ピースオブマインド。
ピースオブリビングというのが目的じゃないかと思います。
そうですよね。
まあ、そうですよね。時代が変わって、
心の平穏の在り方も変わっているだろうけども、
やっぱりでもこの死に、死を意識するというのはなんか、
仏教的だな、
と思ったりするんですが。
そうでしょう。
そこにやっぱり平穏というものは何かヒントがあるんですか。
でしょうね。
病気とか、生老病死ですが、
それの、
誰だって、
21:00
誰々だって生老病死ということは、
避けられぬわけですから。
人の中で心の平穏を求めていくということ。
それは若い世代なりに、
やっていくし、我々の場合は、
土地に帰るというか、
土地に帰るというような心情でいく。
ものの考え方はそれぞれ違うと思います。
時代も変われば、土地も変われば、
変わるけども。
けれども、心の平穏を保っていくということについては、
これはもう若い人も、
我々年寄りも同じことだと思います。
ありがとうございます。
ちょっとなんかもう本当にね、
私今ここの別院小屋さん、
米国別院のお部屋の中でね、
お話を伺ったんですけれども、
いろんなあれは何と言うんですかね。
マンダラじゃないな。
これは88か所ですよ。
88か所ですよ。
88の、
88個並んだ仏像の絵が描いてあるんだ。
ああ、なるほど。
はるかに我が身、
行動のところ、
天下経史、
おつ、
トントンという、
これは小屋さん大学の学長の死で、
有名な長安の、
慈安ですな、今で言われる、
長安の都に行って、
長安の都に行って、
工房大使が研究した、
研鑽したところに行って、
自分も、
そこに今立っておって、
感激深かったということを、
はるかに我が身、
行動のところ、
天下経史、おつ、
シネマンの木があって、
そこから実が落ちて、
ぷんぷんとしておるということを、
僕にくれたんですよ、これ。
それはじゃあ、
とりあえず、
遠くロサンゼルスに来た大先生に、
送ってきて、
同じように、
思いを伝えたかった、
ということでしょうかね。
空海さんが、
ここで立ってたんだな、
というのを。
空海さんが、
もう死、修行したところ、
もうね、
あの時分には、
敵死だけがあって、
建物はなかったんじゃ、そうです。
自分が歓迎した、
この死を帰って、
遠くに行った、
大先生のために、
送ってくれたんだよな。
その時に、
10ドルか15ドルくらいな、
銭別を送ったから、
送ってくれたんだろうと思うんですけど、
忘れました。
いやでもね、
ここに今掛け軸がかかってて、
これは八百箇所の本園さんの、
この辺は、
王者陣にとって、
24:01
おかしいんですよ。
じゃあちょっと皆さんもね、
見れると思うんでね。
ありがとうございます。
他にも、
いろいろうかがいたいんですけど、
ここで録音しないで、
お話をできたらなと思うんですけど。
何でもいい。
じゃあ、
他に、大先生の方から何か、
お伝えしたいようなこととか、
あれば最後に。
別にこれというものはないですが、
心の平穏を保ちなさいということですかね。
一番のメッセージですね。
ピースオブマインドです。
ありがとうございます。
これも、八百箇所もピースオブマインド。
書いてありますけれども。
そうですか。
暇があるときに、
読んでください。
ありがとうございます。
今日は、
高野山米国別院、
ロサンゼルスの、
元主管という。
元主管の第7世です。
第7代です。
いらっしゃる、
宮田大正さんにお話を伺いました。
ありがとうございました。
どういたしまして。
いろいろ遠いところありがとうございました。
ありがとうございます。
ちょっとまさかの、
ジャニーさんの話は、
びっくり業点になったんですけど。
ここで生まれたって言って、
俺も全然知らなくて、
びっくりしたけどね。
しかも、ジャニーさんのパパ。
そうそう、
ジャニー北川さんであってる?
ジャニー北川さん。
お父さんが、
第3代主管というね。
わお。
大正さんの先輩だったっていうことですよね。
わお。
それで、だから、だからか。
ジャニーズの、
記事で読んだんですけど、
美少年っていうグループが、
俺は全然知らなかったですけど、
LAのこのホール、
ミソラヒバリさんがやったとか、
なんだっけ、
谷村真嗣の初舞台とか言ってたところね、
ちょっと、
コンサートやったみたいですよ。
うん。
へえ。
知らない。
なんかすごいね。
なんですね。
そうなんですね。
って時代を感じますけども。
そしてね、
思い出の曲と、
エピソードもあの、
うんうん。
聞いたはいいけど、
全然知らなくてさ、
小関雄二さんという人と、
三橋道也さんという方の名前が出たんですけど、
27:02
はいはい。
この小関雄二さんをね、
調べてみるとね、
えらい、
まあ言ってましたけど、
5000曲以上作曲されてて、
生涯ね。
すごいなあ。
戦前、戦時中、戦後もですよ。
で、
見てみるとね、
早稲田大学の応援歌とか、
慶應義塾大学応援歌、
中央大学応援歌、
東京大学応援歌とか、
その他、
全国高校野球選手権の大会歌、
三振タイガースの球団歌、
読売ジャイアンツの球団歌、
中日ドラゴンズの球団歌、
東京五輪の選手団入場行進曲とか、
すごい。
やばいよね。
やばっ。
どんな仕事しそうに、
って感じですけど。
はい、じゃあもう知らない間に、
私たちはたくさん聞いていたわけですね。
絶対に聞いているはずです、そう。
忙しいときは、楽器を一切使わずに、
頭の中だけで作曲をしたらしいですよ。
忙しいときは。
嘘でしょ。
アンモーキーには同時に3つの曲を作っていたという、
って書いてある。
頭の中で。
すごいなー。
すごいなー。
聴得大使みたいになっちゃった。
そうそうそう。
すごいなー。
同時に3曲作るってすごくない?
はー。
まあ、そのね、
ここ関ゆうじさんの話はいいんですけど、
まあその、だから、
僕が言いたかったのは、
若い頃に聴いた、
で、その教員時代とかに一緒に歌ってた歌を、
いまだに口ずさむっていうのがさ、
歌の歌っていいなーっていう。
歌。
いや、ほんとそうですよ。
60年以上前の歌ですよ。
確かに確かに。
そうなの。
いやー。
やっぱりね、俺らも多分さむちゃんもそうだと思うけど、
やっぱり昔に聴いて、
思い出に残ってる曲っていうのは、
やっぱりその時のね、ことを思い出してさ。
うん。
たぶんじんちゃんばあちゃんになってもさ、
覚えてるんだろうなーって思うとさ。
そうそう。
歌っていいよねーって思うよね。
ってなるの。
歌の力はすごいですね。
いやー、こういうふうに年齢、年代が違う方にお話を聞くと、
そこから出てくるエピソードも全然発想が違ったり、
人が違ったりするからね、面白いですね。
そうだね。
そう、それとあのー、
だから、ピースオブマインドっていうのをね、
キーワードとして残していただきましたけど、
心の平穏ですよね。
はい。
時代が違うから、
その捉え方も違うんだっていうふうにね、
30:01
たいせんさんがおっしゃってて、
たぶん今の若い子にとっての心の平穏と、
昔の人にとっての心の平穏はたぶん、
違う、変わっとるんだろうねーって言ってましたけど、
それを捉えているというのもね、
若いっていうか、何て言うんだろうね、
奥の方から見守ってもらっているような感じというかね、
何と言うんでしょうか、伝わりますかね。
そうですね。
いやー、ありがたいなーと思いましたよ、いろいろ。
これまでの話を聞いてて。
とにかく、
91歳っていうのがいまだにすごいなって思います。
改めてだけど。
で、これだけね、
覚えてて、いろいろなことを喋れるっていうのもね。
そう。すごいですよ。
ねー。
ほんとね。
いやー、だから僕はまあちょっと、
おじいちゃん、ばあちゃんがもう、
おじいちゃん、ばあちゃんがもう、
一緒に暮らしてたおじいちゃん、ばあちゃんがもうなくなってるんですけど、
やっぱりね、もっと話聞いとけばよかったなーって思うもんなー。
うんうん。
だから、そういうね、まだおじいちゃん、ばあちゃんいらっしゃる方はね、
たぶん話聞くと、
面白いんじゃないかなーってね。
うんうん。ほんとほんと。そう思います。
たくさんの人に。
これからもずっとお元気に。
ね、ほんとそうです。
いろんな方にね、いろんなことを。
本当にこうやって、だからお話聞いてるだけでやっぱりなんかね、
面白いし、
学びもあるし、
家にいないで、
お寺に行ってみんなにいろんな人に話をしてほしいなーって思ってますよね。
ほんとですねー。
元気でね。
確かに確かに。
ありがとうございます。本当にありがたい貴重なお時間をいただきました。
うん。
貴重なインタビューでしたね。ありがとうございました。
はい。
ちなみにですね、
あのー、
このインタビューをセットアップというかね、ご紹介いただいた方がおりまして、
それがパトロンさんというか、スタッフさんというか、
お手伝いしていただいてるっていうのもあるんですけど、
番組を好きでいてくれている、
名前出してもいいのかな?
Sさんにしとこうかな?
という方のご紹介をいただいて、
大仙さんにインタビューすることができたので、
Sさんの方にもここでちょっとお礼を言っておきたいなと思いました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
リアルアメリカ情報!
よっ!
33:00
このコーナーでは、最新のビジネス生活情報を
アメリカ・ロサンゼルスよりお届けしてまいります。
はーい。
今日は僕がこのおしゃべる回になっておりますが、
えー、
今年最後の、ん?
今年最後の、
エピソードになるというのに、
そうですね。
ここにふさわしい話題かどうかわからないんですが、
はい。
タイトルを一応決めました。
テック業界にレイオフの嵐
不況をどう乗り切る?
ハセナ・マーク
というタイトルですね。
ゲイ!
ゲイって書いてある。
ゲイって書いてある。
ゲイって書いてある。
ゲイなのか。
えー、今これを話しているのはですね、
11月の18日なんですが、
まあ、ここ最近ですね、
レイオフの話が多いと、
えー、
そんな話をしたいんですけど、
うんうんうん。
んーとですね、
不況が懸念されていると、
まあ、金利の上昇、
まあ、インフレとかね、
この間も沢ちゃんからも話があったけど、
まあ、エネルギーショックですね。
まあ、戦争もありますし、
うんうんうん。
じゃがんじゃとあって先行きが危ういぞと。
で、ここまでバカバカ低投資をして
作業を増やしていたハイテク企業、
株も下がっております。
えー、
確かに。
で、大規模なレイオフが続いていると、
うん。
で、えー、
まあイーロン・マスクがね、
ツイッターを買収して、
速攻で首を切りまくって、
これもニュースになっておりましたが、
間違いない。
えー、半分ですね、
およそ半分はレイオフしたと言われてます。
すごい話。
ん?
すごい話ですよね。
そう、すごい話ですよ。
半分なんかも全員速攻で即日首ですからね。
えらいこっちゃなんですけど。
すごいですよ。
まあ一応ね、ちょっとここ数字をね、見ながら、
記事に書いてあったんで、話してみたい、
紹介してみたいと思ったのが、
えー、2022年10月と11月中に行われたレイオフで、
代表的なというか、まあでかい企業の数字ですね。
うんうんうん。
まあちょっとこれ一応流れるのがもう12月で、
もうちょっと遅いニュースかもしれないんですけど、
36:01
まあ一応大きな流れで見てみたら、
面白いかなと思って話をしますけど、
はい。
まず10月、11月中に行われたレイオフの数、
Amazonが1万人くらい。
うん。
メタ、まあFacebook、Instagramですね、
1万1000人。
Twitter3700人。
うん。
Stripe1100人。
お。
Coinbase1100人。
うん。はいはい。
Robinhood23%。
うん。
Microsoft1000人。
Lyft700人。
Opendoor550人。
Zendesk350人。
Zero300人。
Salesforce100人。
その他、Oracle、Intel、Spotify、
Peloton、DocuSign、Apple等々、
めちゃめちゃ続きます。
すごい、そんなにあったんだ、知らなかった。
そう、でもほとんどだからテック系ですよ。
まあ不動産とか業態は違えど、
テクノロジーを駆使して活躍してきている企業ですよね。
そうですね。
実際ね、僕のFacebookにつながってる人とかもやっぱりね、
レイオフされちゃって、
ビザだからさ、
日本に帰らなきゃいけないとかさ、
いきなりスポンサーしてくれる企業をまた探せなかったりさ、
えらいこっちゃですよ、ほんとに。
ていう。
ほんとですね。
これが全部10月、11月だからね、これ。
この2022年。
やっぱIT企業とかってね、
そういうスタートアップの企業も多いから、
雇うときの雇い方が半端ないんですよね。
そうだね、もうごそっとね。
ごそっと雇うけど、ほんとに何の容赦もなく切るから。
うん。
いやー、もうこのホリデーシーズンのね、
このタイミングかよってのはあるけどさ、
まあ、時代の流れっていうか、
経済的な大きななんかあるんでしょうね。
こんだけいろんな企業が切ってるってことか。
そうですね。
うんうんうんうん。
確かに確かに。
そう。
ということでね、このシーズンに仕事があって
ありがたいなーっていう。
ありがたいですね。
ことと、
まあそんな暗い話をしてもね、あれなので、
ちょっとだけ話を裏返すと、
不況に強い業態はさて、どんな業界でしょう。
39:03
うん。
なるほど。
でも食品系?
食品系?
うん。
とか、コロナの時もそうだったんですけど、
いわゆるエッセンシャルビジネス?
その通りです。
ですか?
はい。まさにさおいちゃんが言ったように、
こういうメモに書いてある、そのまんまですけど、
まあ食品系エッセンシャル。
あとインフラ系、通信系。
なるほどなるほど。
家で携帯作ってる人がね、増えてると思いますし。
そうですね。
まあ僕もそうですけど。
ITかなと思うけどね。
まあそう、だからITが別にダメなわけではなくて、
ただ雇いすぎてたっていうか、
無駄な採用しすぎてたんだと思うよね。
そうそうそうそう。
それそれ。
ずっと株も上がってたしね、去年の半ばぐらいまでは。
上がりまくってたしね。
そこね、ちょっとおいおいこのままじゃいかんぞっていうのがね、
みんなが思い出しているという。
そうそうそうそう。
あとインフラ通信はそうだし、
あと医療系とかね、防衛とか警備系。
その辺もやっぱり。
まあだいたい全体的にエッセンシャルと言われればそうなんですけど。
そうですね。
生活になくてはならないものっていうのは。
うん。
で、やっぱりその中でITを使われる、テクノロジーを使ってっていうのはもちろんあるよね。
そうそう。
そうそうそうそう。
本当にテック系は私も仕事がテクノロジーなので、
よくそういう話になるんですけど、
やっぱり大きい企業であればあるほど、
全ての仕事が細分化されるじゃないですか。
うんうんうん。
そうすると、やっぱりその1個の企業の中、
いくらIT企業って言っても、
その1個の中でもエッセンシャルとそうじゃないのに分かれるから、
ああ。
仕事を選ぶ際にはそのIT企業の中でも何をしてるかですよね。
ああ、なるほどね。
そうそうそうそう。
その部署によってもね、そうだよね、
特にGoogleとかも割と新しいサービス出してももう速攻で辞めたりするし、
すぐ、うん。
ね。
そうそう。
チームに入っちゃったとかって思ったりするのかね、中の人が。
そう、うん。チームで1個切る、チームごとに切るから。
ああ。
そうだね。
まあ確かにあとでかくなる、
なればなるほどやっぱり無駄が増えるというか、この、
余計なことも増えるしね、
部署をまたいでの、
政治的な動きとかをしなきゃいけなかったりとかさ。
うん。
42:01
なんかあるんでしょうね。
いろいろあるんだと思うけどね。
それが、だんだんだんだん重たくなってくるっていうね。
きっと。
これでもそういう話を聞くと、
すごいな。
2023年の先吹き、大丈夫かよとか思っちゃったりもするけども。
ね。
確かに。
なんやかんや言っても、心の平穏ですよね。
っていう。
戻りますね。
いいね、いいまとめですね。
どういうふうに落ちればいいんだと思ったんだけども、そこですね。
その通り、ピースオブマインドに戻ります。
そうですね、どんな状況で仕事がなくなったとしても、
いつかは、
死なせんと思うしかないんですね、これは。
どうやって締めたらいいですか、沢根ちゃん、これ。
はい。ということで、リアルアメリカ情報でした。
はい。
締めのコーナーです。
質問。
どうぞ。
昔の歌の話がインタビュー中に出ましたが、
みつさんは、
効果を覚えていますか?
全く覚えてません。
小学校でもいいし、中学校でもいいし、高校でもいいし。
かけらも出てこないですね。
うっそ。
だから、効果は嫌いだったしね。
うっそ。
効果を歌う時間。
歌わされている時間。
あんなに何回も歌ったのにね。
確かに。
好きだった人とかおんのかいな。
好きだった。
マジか。
中学校覚えてる。
ずっと覚えてる。歌える。
うちの妻もね、全部歌えますよ。
うっそ。
何回も何回も、そっちの方が覚えてるよ、俺は。
全然知らん学校だけど。
ウケる。
あと応援歌も歌ってたな。
応援歌第一ってね、うちの妻がね。
妻の方の応援歌ですよ。
応援歌?
へー。
それは高校だったから。
応援歌第一から第四ぐらいまで全部、酔っ払うと全部聞かされてたけどね。
まあ、なかなか笑えるんだけどね。
ウケる、かわいい。
笑えるんだけどね、それが。
45:01
でもそれはなんか聞いてても楽しそうだから。
でも俺が言ってた学校の効果はもうクソつまらん、何のくらい感じの印象しかないんですけど。
だからかな。
えー、すごいな、さほいちゃん覚えてるんだね。
全部歌えるの?最後まで。
うん、歌える歌える。
マジ?高校、ん?高校って言った?中学?
中学でした。
多分それやっぱ、その時に楽しかったかどうかっていう記憶はすごい大きいと思う。
ねつさんが言った通り。
学校は好きだったよ、ずっと。
俺、会見ショーがなかったね。
そうじゃね。
でも効果はもう、何この時間と思ったの。
ウケる。
そうなんだ、どうなんだろうね。
覚えてる人もいるんだ。
皆どういう比率なんでしょうね。
そうなんですかね。
後、ラジオ体操とか。
一律なんでしょうね。
そうなんですかね。
あとラジオ体操とか。
それはまあ覚えてるけどね。
1、2、3、みたいなやつね。
それは懐かしいなと思うね。
懐かしい。
今でも俺多分こうか聞いても、何のあれもないと思うよ、感情って思い出さないと。
気づかない。
あー、確かに確かに。そうかも。
えー、どういう、あれなのかな。
今は読み返してみると、あれなのかな、面白かったりするのかな。
分からないですけど。
そう、あの、そうでもない。どうなんだろう。
こうか作った人にすいませんっていうとこ。
すいません。
すいません。
ということで、今回お届けしたインタビューとリアルアメリカ情報のインフォメーションはブログに掲載しております。
忘れちゃった。
はい、ポッドキャスト。
そうか、みつさんのはいをなぜか待っていたという、なんでだろう。
最後の方はね、ちょっとおかしくなってくるんでね、すいませんね、皆さん。
そうなんですよ。
ポッドキャスト.086.com、ポッドキャスト.086.com、または1%の情熱物語で検索してみてください。
はい、えー、ちょっと今日はまたあのいつものじゃなくてね、今年最後ということなので、えー、2022年もね、聞いてくれた方、えー、サポートしてくれた方、さおいちゃんのお母さん、ありがとうございます。
そう、いつも聞いてるんで、はい。
あ、そう、それとあれよ、あの、ジャパンポッドキャストアワードのリスナー投票もお願いしますねということで、来年は良い年になる、今年はどうでしたか、さおいちゃん。
48:06
私は今年はすごい忙しかったですね。
あー、なんかやっぱりね、こう、コロナ明けというかね、そういうのもあんのかな。
私結婚したし。
あー、それもそうだ。
結婚式とか。
そりゃそうだ。
そうそう。結婚式とかね、あのね、いろいろね、あの、なんだ、弁護士と話したりとかね、あとなんか家探したりとか。
おー。
指揮したりとかなんか、なんかいろんなもう書類書類書類書類書類書類書類書類みたいなの全部。
ほんとだ。これはもうじゃあ2022年は忘れない年ですね。
非常に勉強になったし、節目でした。みつさんは?
いやー、なんかした、なんか思い出せないですけど、まぁ良い年だったと思いますよ。
良い波にたくさん。
テスラ買ったし。
あー、それはそうですね。
なんでしょうかね。
ごめんなさい、特にないです、特にないですけど、来年も引き続き。
良い波に。
変わらずに、そうですね。
健康でいれるから乗れるわけですし。
そうですね。最近なんかね、台湾にね、サーフトリップに行きたいなっていう。
マジで?
台湾、なんか台湾ね、わりと穴場らしくてさ。
えー、そうなんですか?初めて聞いた。
そう、俺もあんまりよく知らなかったんですけど、サーフィンできるところいっぱいあるみたいだし、飯はうまいし。
へー。
で、人はそんなにサーファーがまだ来ないから。
なるほど。
で、中国に取られちゃいそうだしさ、早めに来てなっていう。来年は台湾に行きたいなっていう。
それいいじゃないですか。面白い。
これどうしよう、なんか。
じゃあ、そうね、来年も良い年で。
今年もね、そうですね、本当にありがとうございました。
ありがとうございます。
皆さま、良いお年をお迎えください。
良いお年を。
ということで、今週も今年も聞いてくださってありがとうございました。
ありがとうございます。
また来年お会いしましょう。
良いお年を。