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こんにちは、禅ねこです。今日もよろしくお願いいたします。今日は個人的に前回のポッドキャストの収録のリベンジをしたいと思っています。
前回、堂々と禅ねこの教養ラボ開講しますというふうに宣言したんですけれども、
その時の収録を自分で後で振り返って聞いてみて、なかなかぼんやりしているなという部分がありまして、
その部分というのが、僕自身教養が好きなので、教養を身につけることを自分自身目指しますと、それを一緒にシェアしたいということを話して、
教養を身につけることというのは、本質を見抜く目を養うことというふうに話したんですけど、その時に自分の説明としては、
僕自身教養も好きだし、本質も好きだしというふうに、好きという一点張りで説明してたんですけど、
ちょっとそれじゃあまりにも言葉足らずだなと思ったので、自分なりに考え直してみましたので、今日もよろしくお願いいたします。
教養を身につけることがどうして本質を見抜く力につながるのかというのを考えた時に、
教養を身につける、教養というのは僕のイメージだと、何かを学問的に突き詰めるっていう専門性を磨いて突き詰めるっていうものと逆の立場で幅広く学ぶというのが僕のスタンスなんですけれども、
僕自身はそっちの方が向いているので、それしかできないのでそれをやっているという面もあるんですけど、
幅広いものを学ぶことによって、物事を俯瞰的に見ることができるというふうに考えました。
一つ例えとしてあげさせてもらうと、僕自身は社会全体であったり資本主義経済というのを考えることに最近はまっているんですけど、
社会全体を教養というものに身につけて、俯瞰的に見ることができると考えました。
イメージとしては、街全体を鳥のように、もしくは飛行機の窓から見るように、上から全体的に眺めてみるということをすれば、
俯瞰的に見ることができれば、本質をより見やすくなるんじゃないかなというふうに気づきました。
近すぎると見えないけれども、ちょっと距離を置いて俯瞰的に全体的に見ることができれば、それは本質を見やすくなるのではないかなと考えました。
それが教養を身につけることが本質を見る、目を養うことにつながると考えた理由です。
今は社会を例として挙げたんですけれども、社会だけではなくて歴史だったり、あと僕が好きな哲学とか思想とか宗教とか、
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これはそうですね、歴史も俯瞰的に全体的に見るっていう、あとは思想、考え方というのも何か一つにこだわるのではなく全体的に見るっていうのを教養を身につけることで、
それができれば歴史というものだったり思想というものもより本質を見ることができるのではないかなと考えています。
それを自分自身が証明していきたいなと今思っています。
専門性を身につけることを否定するわけではなくて、僕自身は何かの専門性を持っていないことが逆にコンプレックスなんですけれども、
何かを突き詰めるっていうのも一つ本質に近づく方法なのかなというのも思っています。
例えば僕が好きなテレビ番組、クレイジージャーニーだと何かを突き詰めた人たちを取材している番組、テレビ番組なんですけれども、
それはそれで一つ憧れではありますし、僕自身の高校生の時の夢というのは研究者になることだったので、
研究者というのも何かを極める、突き詰めるということを仕事に、職業にしている方々なんですけれども、
それも何かを突き詰めるというのも一つ本質に近づく手段だと思っているので、ちょっとここで補足させていただきます。
ただ僕自身は自分の向き不向きを考えて教養を身につけることという方向性でこれからポテキャストを続けていきたいと思っております。
今日も聞いていただきありがとうございました。