写真集と大学生活
雑踏一人会です。今回は、20代の10年を振り返る、というタイトルにしてみました。
で、前回一人会、前々回一人会のコメントを読み上げていきます。
まず冒頭に、2月14日、写真集を買う、という回で、
どちらも、その次もそうなんですけど、ひろひろしさんからコメントいただいてます。
私は写真家だとロベルドアノが好きです、というコメントでした。
どんな写真集を買うとか、そういう話をしてたっけな。
ちょっと内容があまり覚えてないですけど、写真集、写真家の写真集の話をしてました。
で、ロベルドアノが好きということらしいです。
ひろひろしさんはね、確か空の写真しか撮らないって言ってた気が…
そんなことないんか。空の写真を撮るのが好きって言ってたのかな。
から、意外いいでしたね。
あのロベルドアノは、僕あんまり知らなかったですけど、結構その、スナップ的なやつが多いんかな。
幸せそうな人の写真が多いから。
ちょっと意外でしたね。
もうちょっとこう、なんか抽象的なやつが好きなのかなと思ってたんで。
で、2月22日、2月21日ですね。
旅行のいいところっていうのが、前回の一人会です。
これは僕が旅行好きっていう話をしてるだけなんですけど。
そこでいただいたひろひろしさんのコメントは、
前回コメント読み上げがなかったので、ひろひろししかコメントしてないしええわって勝手に思っちゃいました。
あと、和社分離されてたんですね。王さんですね。把握しました。
文化の違いをほどで感じるか。なるほど。
というコメントでした。
ちょっとわかんないですけど、なかなかコメントに命懸けてるっていう感じのひろひろしさんらしい。
はい、頑張ってください。命懸けのコメント。
ということで、今日は20代の10年間を振り返ってみたいと思います。
簡単にいいですけど、もう短くかな。
就職活動の苦労
僕が今40歳なんで、20歳が20年前となります。
ということで、かなり忘れてます。
20歳の頃というと、僕は大学生でした。
僕は大学受験に失敗して、全然勉強しないまま一浪したんですけど、一浪の間も全然勉強しないまま、
美工には入ってたんですけど、全然勉強しないまま万全と日々を過ごして、
実家の近くの大学に入りました。
だから19歳から大学生でした。
大学の最初の1年は10代なんですけど、まとめて大学生枠として20歳から22歳までかな。
20、21、22、23、22か。
まだまだ大学生だから。
僕は経済学部に入ってました。
ほどほどに勉強してたと思いますけど、今となっては全然思い出せないですね。
本当に気の遠くなるような、大学のときの勉強、高校のときもそうだけど、
今もっかいやれって言われてちょっとやる気しないような、
単純に僕が勉強が好きじゃないっていうだけなんでしょうけど、
そういうのよくやったなと思って、子供だったから騙されてというか、何も考えずにやってたんでしょうね。
だから今は何も覚えてないです。
中学、高校で習ったこともあんまり覚えてないかな。
そういうのは使わないと忘れると思うんで、
小学校ぐらいの頃の勉強したことはまだ流石に覚えてない。
長期記憶っていうんですかね。長期記憶じゃないかもしれない。
脳がまだ柔らかかったというか。
学部のゼミには通ってましたね。
2年間通って卒論も書いて。
この卒論っていうのも、大学の卒論、僕はすごい適当でよかったんで、
なんとなくのテーマで考えて、本を1冊か2冊ぐらい読んで、
あとは全部ネットで調べて、2週間で書いた気がします。
1ヶ月ぐらいかかったかな。2週間は言い過ぎかな。
でもすごい簡単な卒論だった。
何でも20ページぐらいは書いたんじゃないかな。
当時はまだそういう、ソースの記載とかはしてましたけど、URLで。
でも当時はネットを調べるっていうのはすごい緩かった時代なんで、
そういう卒論も。
おまけみたいな卒論。一応学士になるよぐらいのおまけみたいな卒論だったんで。
そういうのもやりました。
僕が卒論のテーマはちょうど雇用の話だったんで、
その時期的に僕らの1校へ2校へぐらいが就職氷河期だったかな。
大学の4年間は僕は免許取ったりとか、バイトしたりとか、
あとはバイク乗ったりとか、それぐらいしか覚えてないんですけど。
運転が僕はすごい下手で、一つのことしか集中できないんですよね。
いろんなとこを同時に見るみたいなのがすごい下手くそなんで、
車の免許取るのに1年かかりました。
でも免許取ったけど全然乗らなくて、
結局僕はもう今免許ないんですけど、海外に行った時に失効してしまって、
その話は後日することになるかどうかわかんないですけど。
車は持ってなかったんですけど、バイク中型二輪は結構乗って、
結構でもないんかな、移動手段として乗ってました。
モータースポーツとかツーリングとかもたまにしかしてなくて、
ほぼ足として乗ってました。
250ccのバイクですね。
大学生の時にこけて手首折ったりとかもしてました。
バイクに乗っててこけて。
骨折が僕はその生涯にその1回だけなんですけど、この先まであるかもしれないけど。
21歳くらいの時に買ったのかな。
30歳くらいまでは時々乗ってました。
一番乗ってたのが大学生の時。
日常の足として。
大学まで行くのもバイクで行ってて、近かったのでバイクだったら5分で行けたんですよね。
実家から。
でもバイクの免許も今は執行したんで。
車と一緒に執行して今は免許持ってないです。
ノー免許ですね。
でも乗れなくなったんでバイクもジモティで売ってしまいました。
安い。もともと安いかったし、こけてるし、いろいろ傷んでるし。
3万円とかでしたけど。
買ったのが25万円とかあったんで。
10年ものなんで。
大学生の時っていうのはとにかく僕は全然お金がなくて。
今月あといくら使えるかみたいなのをずっと計算してた。
バイクのローンとかがあって、毎月2年ローンとかくるんですよね。
大学卒業する前ギリギリまでずっとローン払い続けてたりとか。
あとは当時は携帯電話とかはみんな払ってて。
僕は高校ぐらいからお小遣いみたいなのがなかったんで。
バイトして払うっていうのをやってたんですけど。
実家やから生活に困るっていうことではなかったんですけど。
手残り2万円くらいで毎月何かに買うとかやってたんかな。
僕はバイトやってたんですけど、そんなに一生懸命働くのが嫌だったんで。
楽なバイトを選んで、それであまり稼いでなかったっていう。
そういう大学生活でした。
大学生の4年間で一人だけ彼女がいましたね。
引っ越しと終わりの20代
3年生の終わり頃ぐらいのときかな。
1年ちょっとぐらいは続いたのかな。
就活ぐらいのときだったかな。
3年の終わりぐらいから就活が始まったんで。
就活のお守りとか作ってもらった気がします。
僕はすごい就職活動は嫌だったんで。
6月ぐらいまで続けたんですけど。
目の下が痙攣してたりとか。
挙句の果てに面接官に文句言ったり。
なんでこんなことせなあかんのみたいな。
それで受かるわけないように。
通うのも大変だったし。
大阪で大体就活、京都の人間とか大阪で就活することが多いんですけど。
交通費とかすごい大変だったんで。
ただでさえお金がないのに。
毎朝早く起きて。
嫌でしたね。
それだけは覚えてます。内容は覚えてないけど。
今の就職活動は全然知らないんで。
当時はリクナビとかマイナビとか登録して。
説明会行って。
エントリーシート送って。
今も一緒かな。
僕は20社くらい面接まで行ったかな。
エントリーシートはとりあえずいろいろ送るみたいなのが当時のやり方だったんで。
100社くらいはとりあえず送るみたいなのやって。
ペーパー試験とかも結構受けたりとかして。
面接まで行ったのが20社くらいだったかな。
内定が2社とか。
だいたい7社か内定が出ると辞める。
そこで就職活動辞めるっていうのがあったんですけど。
なかなか就職活動を本命のところを最初に選ぶと失敗するっていうのは僕は分かってなくて。
自分が一番興味あったところとかを一番最初に受けてしまって。
全然まだ就職活動に慣れてない時期にそこに行ってあたふたして。
だんだん慣れてきたところで、別に元々興味なかったというか。
残ってる会社の店員がどんどん終わっていくんで。
残ってるところである程度面接にも慣れて受かるっていうのがあったんで。
なるべく本命は後に残してた方がいいですね。
ただ店員とかで終わってしまうこともあるんで難しいんですけど。
そういうのは当時の就職活動として、今はちょっと分からないです。
で、23、22ぐらいで就職して、23から20代の全部残り7年ぐらいを会社員として過ごしました。
新卒で就職して7年経って退職しました。
10年に満たない社会人生活で。
僕個人的にはたくさん働いたなと思ってるんですけど。
もういいかなっていうぐらいに。
もともと向いてない向いてないって誰からも言われてたけど、
別に引いでるものがあるわけじゃないんで、さらにやるしかないっていう意識しかなくて。
とりあえず就職してっていうので、6年ちょっと働いて7年目で辞めたっていう感じだったんですけど。
結局大学とサラリーマンでこの20代っていうのは終わりました。
就職してから僕は最初の半年間、京都に住んでるんですけど、京都から大阪の会社まで大体1時間半かけて電車とバス、バスから電車に乗り継いで通ってました。
最初半年がそうだったんですけど、半年も経つと普通に仕事の量が増えて、終電とかまで働かないといけなくなって。
終電まで働くと、乗り継ぎのバスがもうないんですよね。
12時とかまで走ってるバスは京都にはないんで。
それでちょっと帰れへんなってなって、大阪に引っ越しました。
就職して半年で引っ越して。
ただ、そもそも僕は通勤時間がすごく苦手だったんで、通勤電車とか通勤1時間半っていうのは苦痛だったんで。
それも引っ越した理由の一つでした。
会社から自転車で5分くらいのところに引っ越しました。
京都から離れたタイミングぐらいで彼女とは自然消滅してましたね。
大阪での一人暮らし
どっちも忙しかったっていう感じだったんで。
そこから僕は1年間大阪で一人暮らし、初めての一人暮らしでしたね。
大人になってというか、学生の頃はしたことなかったんで、社会人になってから初めての一人暮らし。
一人暮らしは僕はすごい向いてたっていうか、楽でしたね、何もかもが。
一人暮らしがしんどいとかつらいとか思ったことないですね。
何もかもが楽。
自分のペースで何もかもが決められるっていうのは楽で。
一人暮らしは別にシェアハウスでもいいんですけど、シェアハウスは僕はトータルで3年ぐらいしてるんで。
シェアハウスはシェアハウスで良かったんですけど、一人は一人で全然気軽で。
多分引き込み体質の人は一人暮らし得意ですよね。
ということで大阪で一年過ごしてました。
この大阪で過ごした一年ぐらいが社会人生活で一番楽しかった時期かな。
仕事もそんなにプレッシャーもないし。
24歳ぐらいの時、僕は天間橋の近くに住んでて。
休みの日とか、休みの前の日とか、自転車とかで震災橋とかまで行けるんですよね。
ナンバーとかも行けるし、歩いて梅田まで行けるしみたいなそういう場所だったんで。
夜遅くても一人だし、夜中に出入りするとかも、出入りというか帰ってくるとかも全然自由だし。
夜中にラーメン屋に食べに行くとか、学生の時に一人暮らししてる人は全然やってると思うけど。
家族がいるといちいちうるさいんで、そういうのはやってたかな。
僕は1年しか大阪で暮らしてなかったんですけど。
それは移動があって、その1年の後、僕は名古屋に転勤になりました。
名古屋でそこから3年暮らしました。
それで28歳ぐらいかな。
28歳ぐらいまで。
名古屋での転勤と辛い仕事環境
この3年が僕はなんか知らんけど、すごいきつかったですね。
結構大きい会社というか、会社の規模っていうよりは、
ワンフロアに大体150人ぐらいいる会社で働いてたんですけど、
その転勤先の名古屋が、当時まだ6人とかしかいなくて、
出張所ではないけど、最先端の場所みたいな、開拓していく場所みたいなところで、
この狭い空間で関わる人もすごい少なくて、
毎日仕事で関わる人っていうのがほんまに限られてるし、行く場所も限られてるし、
お客さんとかはいろんな人がいるけど、仕事やしそれは。
知り合う人とか全然、見知らぬ土地で平日ずっと働いて、
どの日だけで誰かと知り合うってこともないし、
この3年はほんまに辛かったです。
生活が窮屈だったっていう感じかな。
あんまりやることもなかったんで、仕事しかやってなかったって感じですね。
休みの日、長期休館とかゴールデンウィークとか応募休みとか年末年始とかに、
もうやることがなくて、名古屋に来てから海外旅行をするようになりました。
一人とか、会社の同期で大阪に残ってる人とかと一緒に行ったりとか、
してましたね。
同年代の人は名古屋にもちょっと上の人が何人かいるくらいで、
同い年とか下はいなかったんですよね。
後輩とかもいなかったし、僕が一番下で行ってたんで、
一緒に旅行しようみたいな人全然いなかったし、
結婚してる人とかばっかりだったんでね。
それが28歳くらいかな。
転勤が終わって、また大阪に帰ってきました。
大阪の南場の近くなんですけど、桜川っていうところで1年くらい住んでて、
大阪勤務の日々がまた始まりましたね。
その時になると僕もベテランじゃないですけど、全然。
でも30手前の仕事量がすごい多い時期で、すごい苦痛でしたね。
これは個人の考え方というか働き方というか、
人によってそれがしんどいと思うか平気と思うかっていうのは色々だと思うんですけど、
終電とかも全然普通だったし、タクシーで帰ったり、
タクシーのお金でいるからまあいいんですけどね。
家帰っても飯を食う時間もないとか、帰って寝るだけの生活とかをしてて、
それがすごいしんどかった。しんどかったばっかりなんですけど。
その時また大阪帰ってきてからも長期休暇になると海外に行って1週間とか過ごして、
帰ってきたらまた仕事やと思いながら帰ってくるのが憂鬱な旅行。
旅行中はいいんですけどね。そういうのを繰り返してましたね。
大阪の桜川っていうとこ住んでて、その1年後ぐらいに、
名前が、いくの区のどっかに住んでました。
正寺だったかな。そこでまた1年ぐらい住んでた。
その時はシェアハウスで住んでましたけど、
もうちょっと体が限界だなと思って仕事を辞めたのが29歳、30歳になってたのかな、その前後ですね。
この前だったら愚痴病になると思って、その手前で僕は辞めましたね。
いろいろ会社の方向性とかも、ちょっと自分は入った時とは全然変わってたんで、
あんまり楽しくないなと思ってて。
僕が辞める時に、大阪で2年目、1年目ぐらいの時に、
一番楽しかった時期の上司が、その時は福岡の支店長っていうのをやってたんですけど、
その人から電話があってきて、お前辞めんのかみたいな感じで言われて、
お世話になりました、みたいな。
僕はそのお世話になった2年ぐらいなんですけど、
でもこの会社いても思わないしなって言われて。
やっぱりそういう認識は僕以外にも当時はやっぱりあったと思うんで。
そんな中で脱落っていう感じでしたね。
その人は今、大阪の支社長をやってるみたいなんですけど、
ちょっと前に1回検索したことがあって。
トータルで言えば、別に社会人生活が悪かったとかそういうことはないし、
このサラリーマンの6年足らず、7年足らずのサラリーマン生活も今となってはいい思い出なんですけど、
当時は本当に、電車のJRの陸橋から落ちようかなと思ったそういうことが何度かありましたね。
これ思い出してもちょっと嫌になる。
当時のことをね、いいこともあれば悪いこともあればっていう感じでしたね。
もうすさみきってたんで、これはやばいと思って辞めました。
30歳、30代を迎えるという感じの、この20代の10年間を振り返る回でした。
この暗い感じになりましたけど、振り返ってみてください、皆さん。
皆さんというか、あんまり誰かの参考にはならないと思います。
そういう20代を私は過ごしましたということで。
面白いかもしれないですね。
自分の20代どんなやったかな。10代とかでもいいですけど。
次回は僕は30代を振り返ってみようかなと思って。
僕今40歳なんで。思ってます。
では、誰かの20代をお待ちしてます。聞きに行くんで。