00:01
スピーカー 2
ジャックインレーベル
音楽とポッドキャストの融合イベント
しゃべ音
エフェランチーノウォーバードライ
トゥートゥー
だいだいだげなじかん
クー
とくますたけし
1022年11月5日、土曜日、京都トガトガ
スピーカー 1
お問い合わせは、スマージャックインレーベルまで
スピーカー 2
はい、BaseBallCafe【CanYouSay・・・】でございます。
本日はですね、タイガースキャストから
美子柴さんをゲストにお招きいたしまして
2人でトークしてみたいという風に思っております。
美子柴さん、自己紹介をお願いします。
スピーカー 1
はい、こんにちは。美子柴と申します。よろしくお願いします。
スピーカー 2
よろしくお願いします。
スピーカー 1
はい、ポッドキャストではタイガースキャストのMCを
今年の1月からやらせていただいてます。よろしくお願いします。
スピーカー 2
よろしくお願いします。
だから、一番浅いキャリアのMCさんだけど
年長、一番年長さんなんですね。
スピーカー 1
そうそう、そうですそうです。
厳密に言ったら、金玉王子さんが一番年長なんですけどね。
スピーカー 2
あー、そうかそうか。
スピーカー 1
でも、MCは僕が一番年長ですね。
スピーカー 2
そうですよね。
はい。
なるほど、なるほど。
どうですか。そろそろ、どれくらい経つ?半年くらい経ちますか?
スピーカー 1
そうですね。1月からやからちょうど半年くらいですね。
半年も過ぎましたね。もうすぐ7月ですからね。
スピーカー 2
早いですよね、時が経つのはね。
収録前にも言ってましたけど
とりあえず美子柴さんが初めて音声アプリに出演したのが
このベースボールカフェキャンディングセリア。
スピーカー 1
そうです、そうです。
スピーカー 2
で、それからおよそ1年くらい経ってるっていう話ですもんね。
スピーカー 1
ちょうど去年の7月の4日に撮ってたみたいなので。
スピーカー 2
ね。
スピーカー 1
アップするのは同じ日じゃないからそれくらいですよね。
7月くらいに撮ったやつですね。
スピーカー 2
そうですよね。
アップはなるべく早めにしようと心がけておりますので、
なんとか6月中にアップしようと思ってますよ。
はい。
今日は現在タイガースで非常に活躍しております
エース、青柳紅葉選手。
スピーカー 1
はいはい、青柳くん。
スピーカー 2
青柳紅葉といえばサイドハンド、アンダー気味のサイドハンドの
エースピッチャー。
スピーカー 1
今やエースね。
スピーカー 2
沢村翔も取るんじゃなかろうかと噂されるピッチャーです。
同じそういう変則系のピッチャーで沢村翔といえばですよ。
03:02
スピーカー 2
僕は小林茂がポンと頭に浮かんだんですよ。
スピーカー 1
はいはいはい。
スピーカー 2
小林茂選手は巨人、そして半身共にエースで活躍された方なんですけれども、
それちょっと比較してみるのもちょっと面白いのかしらと思って。
スピーカー 1
はいはいはい。
スピーカー 2
今日は三島さんをお招きしてるんですけれども。
スピーカー 1
はい、ありがとうございます。
スピーカー 2
よろしくお願いしますね。
はい、お願いします。
三島さんは45の僕よりも年長さんでいらっしゃって。
スピーカー 1
ちょっと上なんで、実際小林茂さんの現役も見てる感じですね。
スピーカー 2
ぜひ小林茂の印象を教えていただけませんか。
スピーカー 1
僕は小林さんって、この話するかどうかわからないですけど、
江川さんとトレードで来た人じゃないですか。
スピーカー 2
そうなんです、はい。
スピーカー 1
そのトレードの時は多分、僕まだあんまり物心ついてなかったような気がするので、
あんまりわかってないですね。
はいはいはい。
でも来た時はある程度エースになってて、
自分が野球が興味を持ち出したらエースになってて、
昔のプロ野球選手ってパンチパーマかけてたりだとか、金のネックレスしてたりだとか、
スピーカー 1
人気の世界の風を感じる。
僕系の人が多かったじゃないですか。
その中でモデルみたいなスラッとした形で、
今見ても男前だと思うんですけど、すごく男前のイッチャーっていうところで、
ちょっと違う、本当に巨人から来た、東京から来た人みたいな感じのイメージがありました。
都会から来た人みたいな。
スピーカー 2
そうなんですね。
だから三越は少年が野球を始めた頃の阪神には既に定着していらっしゃったということですね。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
なるほどね。
冒頭にもおしゃべりいただいたようにですね、
江川問題、空白の一日なんていうのがプロ野球界にとっては大きな事件でした。
そうですね。
で、これを語る時はほとんどのケースで江川が主役ですよ、このお話はね。
スピーカー 1
確かにね。
スピーカー 2
で、小林は悲劇のヒーローみたいな形の扱われ方をするんですけども、
彼が残した成績っていうのは非常に素晴らしい成績を残していらっしゃるんですよね。
ちなみにですよ、今東京から東京の人やって思ったって言ってらっしゃったじゃないですか、
ご出身鳥取県なんですよ。
スピーカー 1
そうそう、後で知ってますけどね。
スピーカー 2
ああ、そうですか。
今小戸浦と呼ばれるところでしてね、国道沿いのね、漁村の街の印象が僕はあります。
スピーカー 1
あと雪が深い印象がありますね。
スピーカー 2
何度か通ったことがあります。
はい、ということでですよ、まずは比較対象、青柳紅葉選手。
06:02
スピーカー 2
今シーズン2022年6月26日の現在収録してますけども、
大げさ1.46、インデックス1.49ですね。
8勝1敗、それから76-3死と非常に立派な数字が残っています。
スピーカー 1
そうですね。
最近までは0点台だったんですけどね。
最近ね、やっぱりちょっと夏場にかかるにつれてちょっと疲れたのか、少し打たれだしてますね、最近。
スピーカー 2
にしたって1.49。
そうなんですよね。
クローザーであっても素晴らしい数字なのに、先発でこの数字ですよ。
かつては入団当初ですよ、すごいコントロールで。
そうなんですよ。
背中の後ろ通すでおなじみの青柳選手だったんですよね。
スピーカー 1
そこが難でしたからね、ほんと。
スピーカー 2
で、変速のピッチャーの割には速球もスピード出ますし。
スピーカー 1
割と早いですね。
スピーカー 2
で、美子島さんご存知でしょうかね、僕がラジオトークをメインでやった企画で二世紀有事演というのがあって。
スピーカー 1
うん、分かりましたよ。
スピーカー 2
分かりご存知ですか。
で、第一回のテーマが、打たせて取るピッチャーの定義とそのモデルプレイヤーというのが課題だったんですけども。
一番多く票を集めたのがこの青柳選手でした。
なるほど。
ということで、去年も最大初を取ってますもんね。
そうですね。
昨年のオフぐらいの企画だったんですけども、すでにその変りを見せてたと言えると思います。
ということで、小林茂。
だからまだ幼い美子島少年は、この小林はもう晩年だったですかね、見られて初めて。
スピーカー 1
そうですね。小林さんって79年からタイガースですよね。
確かそうですね、はい。
僕71年生まれだから、ちょうど8歳ぐらいかな。
小2とか小3でしょうね。
それからなんとなく興味を持ち出したから。
映画の問題っていうのが、たぶん小学校1年とかじゃわからなかったのかもしれないですね、今から考えたら。
スピーカー 2
そうかもしれないですね。
スピーカー 1
でもすでに完成されたエースだったじゃないですか。
スピーカー 2
巨人からそのままチームが変わって、そこでも結果出してたっていう選手だったんで、もうすでにエースっていう感じのイメージですね。
なるほどね。この小林選手が、先ほど言われた1979年に阪神に移籍してきたんですけども、
大体同じ頃に、やっとこそプロ野球界にスピードガンが導入されたそうなんですよ。
小林繁の速球は大体130キロ後半ぐらいだというふうなイメージです。
だから青柳選手はちょっと違うタイプのピッチャーですね。
09:05
スピーカー 2
もうちょっと早いですね、青柳さんって。
そうですよね。
ウィキペディアを見ていろいろ調べてみたんですよね。
巨人の大定原の一本足の方を意識して作られた小林のための作れる投球フォームだったそうなんです。
これを携帯模写したのが赤嶋三馬さんですよね。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
若手時代のね。
そうですね。
この頃っていうのは、僕は赤嶋三馬さんの携帯模写の時期はあんまり知らないんですけど、
スピーカー 1
三島さんはご存知ですか?
知ってるか知らないかちょっとわからん程度ですけど、三馬さんがまだ全然売れてない頃だと思うんですけど、
三馬さんって落語家なんですよね、もともとに赤嶋やからね。
スピーカー 2
昭福亭の文化だったって聞いてますけどね。
スピーカー 1
そうそうそうそう。
で、諸覚書だったかな。
スピーカー 2
はいはいはい。
スピーカー 1
で、テレビでサイドスローみたいな真似をする兄ちゃんがおるなっていうのは何となく頭に残ってるんで、あれが多分三馬さんやったと思うんですけど。
スピーカー 2
そうですか。
スピーカー 1
で、その真似が何が面白いのかわからないですけど、それが結構ブレイクしてたような記憶がありますね。
スピーカー 2
なるほどなるほど。
今でこそですよ。細かすぎて伝わらないものの真似とかが結構知ってるじゃないですか。
それの走りだったかもしれませんね。
スピーカー 1
そうかもしれないですね。
で、そんな真似する人がいなかったかもしれないですね。
なるほど。
そんな風に真似ができる変わった投げ方をするピッチャーっていうのも有名な人も少なかったかもしれないですね。
スピーカー 2
そうかもしれませんね。
だからひどいとタメを作ったアンダースロー。
これの形態を模写したのが赤塩三馬さん。
スピーカー 1
これを題材に取り上げた赤塩三馬、ミスターアンダースローというレコードも発売されてますね。
ちなみにアンダースローって多分ブキベビアにも書いてるかもしれないですけど、
自分は小林さんの間近で生で見てるんで、投げ方も知ってるんですけど、細かく言ったらアンダースローじゃないんですよ。
スピーカー 2
そうなんですね。細かく言えばね。
スピーカー 1
だけどその曲名がアンダースローかなんかで発売したからアンダースローって言うようにしてるらしいですけどね。
スピーカー 2
メディア操作ですね。
そうそうそう。
なるほどなるほど。
ちなみに130キロぐらいのストレートと、あとは持ち玉で言うとシンカーとかスライダーとかなんですかね。
スピーカー 1
今で言ったらシンカーとかの走りみたいなやつだと思いますけどね。
なるほどね。
でも昔のピッチャーって多分そんなに速くなくないですか。
今みたいにあんな佐々木隆起みたいな人いないでしょ。
12:02
スピーカー 2
いないですよ。今はほとんどの選手のストレートが150キロオーバーみたいに多いんですけど、
当時だって12球弾見渡しても1人か2人いないかでしょ。
スピーカー 1
150なんてあんまり聞いたことなかったし、145ぐらいでめちゃくちゃ速かったんちゃうかな昔は。
スピーカー 2
そうですよ。
だからトレーニング方法ですとか医学とか食事もそうですか。
いろんなものがぐっと変わったんでしょうね。
変わったのかもしれないですね。
そうですね。1970年代の話をしてますからね。50年経ってますからね。
そうですね。
自分が生まれる前から人ですからねこれ。
そうですよね。
だからあれですよ。張本勲とかが一番速かったピッチャーは金田雅一だと。
あれは170キロ出てたんだって言うのもまゆすばですよ。
そうですね。分かんないですね。
今となっては分かりませんがね。
スピーカー 1
この小林茂選手は大曽我春の一本足打法を真似てためを作った投球フォームを作ったそうですけどその大さんもカモにしてたそうなんですよね。
スピーカー 2
大さんは小林選手を苦手にしてて一本足でおなじみですけど二本足で対応したこともあったという。でおなじみなんですって。
スピーカー 1
二本足ってことはどういうことですか。
スピーカー 2
すり足ということでしょうね。
スピーカー 1
すり足か。
スピーカー 2
じゃないかな。あまり詳しく分からないですけどね。
スピーカー 1
そろそろ二本足を上げるって言うなら一平に上げられへんからそういうことでしょうね。
スピーカー 2
でしょうね。
でも世界のホームラン王と言われてるぐらいスーパースターのバッティングフォームを根本から小林茂に変えさせるというのもすごい偽りじゃないですか。
確かにね。
みこしわさんのお年が同じぐらいのかつてフォークスキャストのパーソナリティーやってた高野爪さんという方がいらっしゃってて。
女性なんですけども。
スピーカー 1
女性なんですか杉田さんじゃない。
スピーカー 2
杉田さんと同じ番組でいらっしゃった方がいらっしゃってて。
今どうしてるんだろう何も連絡もつかなくなっちゃったんですけど。
スピーカー 1
だから僕知らないですね。
スピーカー 2
でね、王さんがスーパースターでいらっしゃったんですって。
王選手、王監督、王会長と出世法よのようにどんどん肩書きが変わっていった方ではあるんですけども。
そもそもスーパースターで何をやってもスーパーアイドルだったとおっしゃってたことは非常に印象に残ってるんですよね。
スピーカー 1
僕話それますけど王さんと長嶋さんに会ったことあるんですよ幼稚園ぐらいの時に。
スピーカー 2
なんで。
スピーカー 1
で、王さんに抱っこしてもらって、その写真まだ多分実家にありますよ。
15:01
スピーカー 2
王さんに抱っこしてもらった写真があるんですか。
スピーカー 1
それは何故かというと、僕西宮出身なんで西宮球場も近かったんですよ。
当時体操を習ってて幼稚園の時。
スピーカー 2
あ、そう。
スピーカー 1
で、阪急強かったから日本シリーズよくやってたでしょ。
スピーカー 2
はいはい。
スピーカー 1
で、たまたま体操スクールに通う時に、体操のトレーニングウェアを着て母親と一緒に通うところに行ってた西宮球場の駐車場を通って行ってたんですよ。
そのスクールまで。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
で、そこで全然ブワーって人が集まってるのを見たら王さんと長嶋さんやって、僕は全然どんな人か分からないんですけど。
はい。
で、一人だけトレーニングウェアとか着てるから、頑張れよみたいな感じで、なんか抱っこしてくれたみたいで。
わー、少年に夢を与えたやつ。
そうそうそう。
スピーカー 2
じゃあそれ…
スピーカー 1
スーパースター、スーパースターですよ、その時多分。
スピーカー 2
誰にも目に触れられないようにですよ。スタイフ野球に出しましょうよ、それ。
スピーカー 1
自家で探さないといけないですよ。
スピーカー 2
締め切りなんかないからいつまでも待ってますよ。楽しみだな。
へー、そうなんですね。
いい。本当に美子柴さんはエピソードに困りませんよね。
スピーカー 1
まあ確かにね。たまたまですけどね、それは。
スピーカー 2
結構ポンポンポンポンと何でも出てくるようなシーンがある。
スピーカー 1
もっと言うと、体操スクールはオリンピックの池谷と西川さんですか。
スピーカー 2
はい。西州…
スピーカー 1
そうです。西川大輔くんが一緒のスクールでやってました。全然話違うんですけど。
スピーカー 2
そうなんですか。
スピーカー 1
いや、僕はもうお遊びやけど、彼はもうその頃から一流選手を目指すコースでやってました。
スピーカー 2
ああ、コースがあるんですね。
そうそうそう。
スピーカー 1
でね、その西川選手と同時期に、やっぱり体操スクールに岡村隆がいたそうですよ。
スピーカー 2
ああ、なんかそれ聞いたことあるかも。
スピーカー 1
僕は99のオールド日本で行きました。
スピーカー 2
それって時期一緒なのかな。
スピーカー 1
西川選手と岡村が同い年じゃなかったかな。
同い年なんですけど、岡村さん多分1個上なんですよね。
1個上?はいはいはい。
上ったと思います確か。
たぶん幼稚園の時なのかな。
スピーカー 2
分かんない。幼稚園だったか小学校だったか。
スピーカー 1
今日はそんな話じゃないからもういいんですけど。
そんなこともあったようなことですね。
スピーカー 2
そうなんだ。
脱線ついでに、スポティファイで99のオールド日本を聞くようになりまして。
スピーカー 1
はいはい、99の話。
スピーカー 2
後でまたラジオの話をするんですけど、やっぱり年取りましたな。
18:00
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
だってあの人ら20代の前半からやってましたもんね。
スピーカー 1
昔、もっと若い時にずっと聞いてましたけど、だんだん有名になっていく過程が面白かったですけどね。
スピーカー 2
そうですね。
さあ、脱線しましたね。
はい。
さっきもこの番組の冒頭にも言いましたけれども、小林茂選手は巨人でも阪神でも活躍した感じじゃないですか。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
巨人在籍期間は小林は6年間いました。
206当番しまして、62章39回、13制御、534脱三振という記録を残しております。
これ僕はウィキペディオのやつをたし算、電卓で押しました。
1977年には18章で埼玉省、同年沢村省の最優秀投手賞を受賞しております。
スピーカー 1
かたや阪神では所属期間は5年間でした。
スピーカー 2
164試合に当番いたしまして、77章56回。
だから阪神のほうが勝っているわけですね。
ですね。
スピーカー 1
脱三振は739。
阪神が5年でしたっけ。
5年。
スピーカー 2
巨人のほうはルイキーアも含まれていますからね。完成品として阪神に入ったわけだからそうかもしれませんね。
スピーカー 1
昔から言われているのが、巨人を見返すじゃないけど、それ以上の成績を上げたれという思いでやっていたみたいです。
反骨精神。
スピーカー 2
1979年に埼玉省、これ22章で埼玉省です。
沢村省とベスト9最優秀投手賞などを獲得しておりました。
そして若くしてすでにお亡くなりになったという悲しい事実ですね。
というような小林茂選手をみんなに知ってほしくて。
スピーカー 1
小林さんを生で見た試合が何試合かあるんですけど、一番印象に残っているのが、多分ウィキペディアとかで出てくると思うんですけど、
1982年のカンプペースでやっていたのに、最後に軽円のボールを冒頭してしまって、
ランナーが全部変えてしまって逆転されたという試合を見に行ったことがある。
太陽だったんですよ、当時。
それ見たですか?
スピーカー 2
それ見ました。
スピーカー 1
82年でしたね、確か。
スピーカー 2
なるほど。確かにウィキペディアも書いてありました。
健成は上手いのに、スナップする方が苦手だったんですか?
スピーカー 1
そうなんですよ。たまに冒頭するんですよ。今でいう藤並くんみたいな。
21:01
スピーカー 2
もうキャッチャーが絶対取れないような球をたまに投げていましたね。
そのような。だから変則ピッチャーになるにはそういう理由もあるんですよね。
スピーカー 1
かもしれないですね。
スピーカー 2
青柳もそもそもそういうイメージだったのか?
スピーカー 1
もともとそうですよね。コントロールが良くなって、今は逆にコントロールが良いですもんね。
自分でバッターをコントロールするみたいな感じになってますもんね。
ゴロータスという形でね。ゲッツーも多いし。
スピーカー 2
進化したわけですね。
そうですね。
ということで、小林茂は1973年から78年まで巨人にいまして、阪神には79年から83年までいました。
スピーカー 1
あと、コーチとして1997年から2001年。
スピーカー 2
梨田監督と真由美さんとイケメンランディー3人で優勝しましたね。
SKYバーンズというチームでもコーチしたり、ニボハムでも2軍のピッチングコーチなんかもしてみたりといったようなキャリアがありまして。
といったような形でしたね。
高校卒業してから大丸という百貨店のね。
全大丸ね。
スピーカー 1
野球部。社会人野球ですわ。
スピーカー 2
そこの恩義もあって入団はちょっと遅れたと。
スピーカー 1
すぐ入らなかったってことですね。
五福売り場でしょ。
スピーカー 2
当時はそういう選手も多かったみたいですよね。
ドラフト、それでも春にキャンプ前から入団とかいう選手がほとんどじゃないですか。
珍しくなかった。
そんな年だった。
年というか時代だったそうですね。
スピーカー 1
昔は百貨店の大丸出身じゃないですか。
多分これもウィキペディアに書いてると思うんですけど。
僕はウィキペディアじゃなくて昔から聞いてたんですけど。
店頭に出てたみたいでたまに。
それが今調べた五福売り場なんですけど。
お客さんとか女子社員の注目の的だったみたいですね。
スピーカー 2
そうなんだ。
スピーカー 1
そういうのがプロ野球の中にはいろいろ逸話があって。
ヤグ投手ってわかりますかね。
スピーカー 2
わかりますよ。
スピーカー 1
あの方は朝日生命が出身なんですけど。
その人も店頭に出てたみたい。
ヤグって昔めちゃくちゃ男前なんですよ。
今すごい太っちゃったんですけど。
スピーカー 2
10回の小田裕司と言われてた時期。
スピーカー 1
そうそう。
当時も小田裕司と言われてたみたいで。
そうなんだ。
窓口にたまに立ってたみたいで。
女性客がどんどん来るみたいな話を聞いたことがありますね。
小林さんもそういうのが走りだったなと思うんですけど。
なるほどね。
スピーカー 2
シュッとした見た目プラスですよ。
スポーツマンが持つような爽やかさですね。
24:02
スピーカー 2
そうですよね。
肉ましさですとかそういったものを感じることができたんでしょうね。
スピーカー 1
そういう部分は体も心も男性の僕や美子柴さんは上手に理解できないかもしれませんね。
スピーカー 2
そうですね。
こんな話がしたくて今日は美子柴さんをお招きいたしました。
ベースボールカフェキャンディー中性撮ってみました。
じゃあ続きまして第2部。
ラジオの歴史を。
お願いしたいというふうに思います。
第2部はこの7つでやりたいと思っております。
美子柴さんの役目としてはゲストMCという形で僕が話を引き出してほしいんです。
スピーカー 1
はいわかりました。
スピーカー 2
よろしくお願いします。
スピーカー 1
じゃあベースボールカフェの方は一旦閉めましょう。
スピーカー 2
本日ゲストタイガースキャストから美子柴さんをお招きいたしまして
青柳小林茂比較論でございました。
ありがとうございました。
スピーカー 1
ありがとうございました。