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2024-06-23 25:22

第195回「”二度と名古屋に来ることは無いな”と思ったオーディション日のこと」オーボエ奏者:山本直人さん(中編2)

▶️2024年6月マンスリーゲスト

『オーボエ奏者』山本直人さん

▶️今回の内容(目次)

オープニング

コンサートMCのこと

オーケストラの1年間の活動について

  山本さんのルーツについて

15: 10  オーケストラ奏者の狭き門

  オーボエに向いてる人は?

  初めての名古屋とオーディション

  エンディング

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✅ 山本直人(やまもと・なおと)さん

プロフィール

85年武蔵野音楽大学を首席で卒業。同大学卒業演奏会、第55回読売新人演奏会などに出演。陶山勝、吉成行蔵、北島章、インゴ・ゴリツキの各氏に師事。'86年名古屋フィルハーモニー交響楽団に入団。'19年9月まで首席奏者を務める。'88年「CBCサロンコンサート」にてソロリサイタルを開催。'92年2月より一年間ベルリンに留学し、アンドレアス・ヴィットマン氏に師事。帰国後リサイタルを開催。'97年「第9回アフィニス夏の音楽祭」に参加し、ワシントン・バレーラ氏に師事。'99年「山本直人と仲間たち」と題した現代音楽のリサイタルを開催。'00年「ザ・コンサートホール・アンコール2000」にてソロリサイタルを開催。'02年NHK-FM「名曲リサイタル」に出演。また、'04年に開催したソロリサイタルに於いて、名古屋市民芸術祭2004審査員特別賞を受賞。'10年名古屋ダブルリードアンサンブルCD全国発売記念ソロリサイタルを開催。これまでに、名フィル、広島交響楽団、名古屋パストラーレ合奏団、ザ・ストリングス名古屋、クリンゲンフィルハーモニカー、室内管弦楽団「辯天」、北名古屋シティ管弦楽団、デイ・ムジカンテン室内管弦楽団とモーツァルト、チマローザ、マルチェロ、アルビノーニ、バッハ、尹伊桑、R・シュトラウスの協奏曲を共演。また、「名古屋ヴィルトゥオーゼン」「名古屋ダブルリードアンサンブル」「トリオdeブランチ」等の主要メンバーとして室内楽活動も盛んに行っている。'21年からは、作曲家・ピアニストの岩瀬貴浩氏との2人のユニット『GARDEN WINDS』を結成し、'22年4月に1st アルバム、’24年3月22日に2ndアルバム「Ever Green」を発表。現在、名古屋音楽大学および大垣女子短期大学音楽総合科非常勤講師、愛知室内オーケストラ客演首席奏者。

山本直人さんInstagram

GARDEN WINDSオフィシャルサイト

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◉愛知北FMにて

第1・第3月曜日13:00~13:30(生放送)

『伊藤由美子のCozy Space』

https://842fm.jp/?page_id=4566

番組YouTubeチャンネル (山本直人さんゲスト回)

サマリー

伊藤由美子のCozy Spaceには、第195回でオーボエ奏者の山本直人さんがゲストとして登場しています。山本直人さんのインタビューは第193回から第196回までの4回にわたってお届けされます。山本直人さんは島根県で育ち、幼少期から音楽に触れる機会はありませんでした。しかし、高校進学時にオーケストラに興味を持ち、大学で本格的にクラシック音楽に触れるようになりました。彼は目立ちたがりではなく、人見知りな性格ですが、その性格にも関わらず大声奏者としての道を進んできました。名古屋でのオーディションに失敗した山本直人さんは、二度と名古屋に来ることはないと考えました。しかし、オーディション後に合格の通知が届き、名古屋での生活が始まることになりました。

00:10
こんにちは。番組ナビゲーターの伊藤由美子です。
伊藤由美子のCozy Spaceへようこそ。
Cozy Spaceとは、日本語に訳すと、居心地の良い場という意味になります。
この番組では、居心地の良い場とは何かということをテーマに、あなたらしくいられるちょうど良い場所を見つけるためのラジオ番組です。
毎回素敵な方々にインタビューさせていただき、ついつい夢中になってしまうことや、個性を生かして自由に生きること、そして日々気持ちよくいられるヒントなどをお伝えしていけたらと思っています。
山本直人さんのオーケストラとの出会い
伊藤由美子のCozy Space第195回「‵2024年6月のゲストは、オーボエ奏者の山本直人さんです。
山本直人さんのインタビューは、第193回から第196回までの4回に分けてお届けします。
3回目のインタビューは、山本さんのルーツやオーケストラとの出会いなどについてお話をしていただいています。
では早速、山本直人さんのお話をお聞きください。
もちろん意味のある演奏の上の緊張感はあるでしょうけど、こっちにガチガチの緊張感は伝わってこなかったので、こちらもね。
ガーデンウィーズではMC担当ですか、山本さんが。
そうですね。割と他のトーリーアンサンブルとかでも、ダブルアンサンブルとかでもだいたいMCやるんですけど。
そうなんですね。それもオーボエとともに担当なんですね。
お客さんもいろんな方いらして、演奏だけ聴きたいっていう方もいらっしゃるんですけど、いらないおしゃべりはそんなにいらなくて、
演奏だけ聴きに来たんだっていうお客さんもいらっしゃるんですけど。
でも逆の方も結構いらして、ずっと緊張したのもガシックで身動きも取れないで、チープして聴いただけないみたいなのもあるんですけど、
そうじゃなくて、やっぱり演奏会に行ったらリラックスして楽しく聴きたい。
その曲の合間に一言二言お話があって、それで逆にお客さんの方の緊張もほぐれるみたいなことも言われたことがあって、
コンサートの内容によってはやはりお話ししながら、お客さんとある程度一体感を持って楽しく聴いていただいた方がいいのかなっていうのがあって、
割とお話をさせていただくコンサートは結構やってまいりました。
そうなんですね。声がいいんで、本当に。とってもいいなと思って。
だからやっぱりお話も上手なんですよね。
この前もラチョ来ても全然緊張されてませんでしたもんね。
でもこれもね、慣れですね。
だからやっぱりステージでいくつも経験されてるんだなって。
最初はね、本当に曲紹介するだけでもメモを。
そうなんですか。
見て、ちゃんと書いて、喋る内容全部書いて、ほぼほぼそれを読んでたようなところから始まったんですよ。
でもそうすると、結局原稿をただ読んでるだけみたいになると、
別に自分でMCしなくても裏で誰かの人が喋ってもいいじゃないかって思うので、
それをやってると、やっぱりなかなかお客さんに伝わらないんですよね。
喋ってることが、原稿をただ喋って目の前で喋ってるだけなので、
結局、お話ししてもお客さんには全然伝わらないっていうのが分かってきて、
そうなると、本当に原稿なしでも自分の言葉で喋って伝わった方が、
何か多少喋るの失敗しても、そこはね、逆に喋りプロじゃないので、
お客さんもいろいろ言われる方いらっしゃらないので、
本当に自分の言葉で喋るようにしていくって、
それからですかね、何らかお話することも何らかになれてきて、
ただ、逆に原稿がないと再現なく喋っちゃうんですよ。
再現なく喋っちゃう。
原稿があると、原稿の内容だけ喋った方がいいじゃないですか。
そうじゃないと、逆にその中で思っていたことをどんどんどんどん喋っちゃうので、
さすがにちょっと長くて。
もしかしたら、コンサートという名の山本さんのトークショーみたいになったりどうですか?
すごいはいいませんか?
一時期、原稿なしで喋り始めた頃は、
気がついたらすごく長くなっていて、
だいたいコンサートの時間って決まっているんですけど、
前半終わって休憩の時に、コーナーの時にもう何十分も過ぎていて、
予定を、これヤバいみたいな。
MCですごい何十分も喋っちゃったって。
そういうことがあって、さすがにまずいなって。
でもそれで喋る時間も、不思議なんですけど、
期待感というか、だいたいこれぐらい喋ったら時間的にちょうどいいかなっていうのが、
分かってくるようになってきて、
原稿なしでもうまく時間通りに進められるようになってきています。
何事にも経験ということなんですか。
経験って大事なんだなって。
そうなんですね。
オーケストラの活動スケジュール
さっきのメイフィルダワーのオーケストラの一操舎なので、
喋ることはないと思うんですけど、
例えば定期演奏会でも、月に2日ぐらいは必ずあるとかっていう感じじゃないですか。
メイフィルダワーの定期演奏会は、8月以外は毎月あるんですけど、
それを同じ内容で2日間ってあるんですね。
1年のうちに100増加ぐらいの演奏する日があるようなことなんか書いたと思うんですけど。
年によっても違うんですけど、120回ぐらい本番を出た年もありましたね。
帰った頃は結構忙しくて、本当に140とか150とか年間で本番の回数だけで。
だって、365日のうちの120とか140とかになってくると、
3日に1回は本番やってるってことですよね。
本番がそれで、あとリハーサルとかそういったのがあったら。
本番のためのリハーサルは必ずあるので、
本番の内容によってはリハーサルが1日だけとかっていうのもあるんですけど、
定期演奏会場はやっぱり内容が多いので、3日間リハーサルやるんですね。
3日間リハーサルやって本番は2日なので、5日間は取られるんですけど、
それが毎月あったりとか、他にも結構大きい奏会があったりとか、
あとは実際に奏会は、企業さんから依頼のコンサートとか、
学校で音楽教室っていうんですけど、小学校とか中学校とか、
そういう学生さん向けの、それを全部合わせて、
大体年間で120日前後っていうのがある。
そうなんですね。
それだけ会社員も同じかもしれないですけど、
いる時間が長いじゃないですか、団員の方と一緒に。
でもね、会社って立ち時間ぐらい。
そうですね。夕方で拘束される時間がありますよね。
オーケストラはそこまで長くないんですよ。
そうなんですね。
拘束時間が。
そういう場合ですけど、他のオーケストラはいろいろ微妙に違うんですけど、
リハーサルの日っていうのは1コマが1時間なんですけど、
それが4コマあるんです。
実質音出してるのは4時間だけなんですよ。
なので1日にメンバーと一緒に音出すのは4時間です。最大で。
本番の日は大体コンサートって2時間くらいなんですけど、
あと会場リハーサルの日があるので、
会場リハーサルも大体2時間か2時間半くらい取ってあるので、
本番の日も4時間半くらいですかね。
そんなに長い時間ずっと一緒にいたりはしないです。
そうなんですね。
でもその空いた時間とかでどっか行くとかってことはあるんですか?
全員で行くとはないですけど。
全員は難しいと思いますよ。
もちろん仲がいいメンバーはいるので、
仲がいいメンバーとコンサートでカラオケ行ったりとか、
リハーサルの後でご飯行ったりとか飲みに行ったりとか、
本番の後でお仕上げとかっていうのはもちろんあります。
それも本当に仲のいいメンバー同士でしか行かないので。
そうですね。70人くらいにいたらいいからね。
そんな団体行動できないですので。
全員で動くことはまずないですね。
そうなんですね。
意外と音楽家って、オーケストラってもちろん全員で音を出すので、
もちろん仲は悪くはないんですけど、
でも音楽家って結構特殊で、
個人事業主的なところもあって、
一人で音を出すので、
自分の世界にいる人も結構多くて、
仕事終わったらもうすぐ帰っちゃう人もいるし。
それはもう自由ですね。
ここからちょっとお話が変わりまして、
この前ですね、私初めて、
夢本さんの故郷である島根県に上陸したんですよ。
本当ですか?
出雲大社に行ったんですけど、
島根県の増田市というところ出身で、地図で確認しました。
鳥取川じゃなくて、山口、広島に接している町ってことですよね。
本当に島根が東西に長い県なんですけど、
東と西で部下県も実は違っていて、
きっと違うでしょうね。
出雲大社とかがある出雲地方と、
西の島根地方に分かれていて、
増田っていうのは一番西ですね。
西端っていう。
山口県と接している。
海も山もあるっていうことですよね。
山口はどちら側に住んでらっしゃる?
どちら側ってか、海の方に近いのか、山が多いところに住んでらっしゃる?
一応町内というか、町の中でもないですね。
町の中でもないですね。
家があったのはちょっと小高いところですね。山側ですかね。
でも海もすぐに近く。
海ももちろん、そんなに大きい町じゃないので。
大学が東京の方の音題に進まれているので、
幼少期から高校進学
それまでは島根県にいらっしゃったってことなんですね。
お父さんとかお母さんは音楽関係ではなかった?
全然、全くただのサラリーマンですね。
音楽に関係してはいなかった?
全然関係はないです。
ただ、お袋は音楽が好きだったので、
それこそカラオケ的な感じで、
昔もね、歌を歌ったりとか。
そうですか?
好きでしたよ。趣味ですよ、もちろん。
もしかして、歌詞だったのかと思ったんですか?
全然全然。全く趣味で。
あとは、当時はレコードですけれども、
レコードを結構聴いたりとかっていうのはあったので、
別にクラシックを聴き込んでみたいなことは全然なかったですよね。
クラシック音楽を聴き出したっていうのは、
いつぐらいなんですか?山本さん自身が。
聴き出した?聴いてないですね。
まさかの答えで。
どんな音楽を島根にいた頃は聴いてたんですか?
実際に頃は歌謡曲だったんですよね。
洋楽とかもあんまり興味がなかったので、
洋楽の元歌謡曲とか、フォークソングも聴いてたんですよね。
ギターとかも持ってましたよ。フォークギター。
ギター弾かれるの?もしかして。
いや、弾かれるってことじゃないですよ。
その頃だって吉田太郎さんとかそういう感じですか?
そうですよね。サダマさんとか。
そういうフォークグループみたいなのが結構ありましたよね。
大体みんな見てたと思うんですけど、当時。
そうですか。みんな真似して弾いて歌うみたいな感じだったんですか?
まだそこの島根ではそんなにクラシックが入ってきてないですね。ご自身の中で。
大声を始めて、大声というか、吹奏楽に携わるようになってからは、勉強のためみたいなところがありますよね。
大声を弾くために聴くっていう。
大声のレコードを買ったりとか、オーケストラのレコードを買ったりとかして聴いてはいましたけど。
聴くのと演奏するのと面白さが違う気がするんですか?
それは違いますね。でもやっぱり最初はもちろん上手には吹けないので、
例えばその大声のソロのCD、レコードですね。
レコードを何枚か色々買って聴くんですけど、
レコードのように何とか吹けないかなっていう感じで練習したりしましたけどね。
どっちかというと教材的な位置づけなんですね。
大学行かれて、おそらくクラシックを聴く機会が増えたんじゃないかなと思うんですが。
大声を始めてオーケストラに興味を持ち始めたので、せっかくならオーケストラに入りたいなって思うようになって、
それが中学で始めて、高校進学の時に一つ悩むじゃないですか。
そうですね。どういう方向にね。
将来どうしようかってその道を決めるのに、高校進学する時に大学のことも考えて、
その時にオーケストラに入りたいなってちょっと漠然と思ったので、
じゃあ音題に進もうか。音題に行くためには高校はどこに行こうかみたいな感じで考えて、
田舎だったので音楽高校みたいなのがなかったので、
とりあえず吹奏楽をやりながら町のいろいろな進学校に進んで、
そこから吹奏楽をやったりオーバーレッスンを受けたりしながら音楽に進めばいいやっていう形でやっていたので、
大学でのオーケストラ授業
高校の時は吹奏楽をやったりだったので部活練習でやったので、
それと大学入試の練習を始めてっていうことをずっとやっていたので、
オーケストラにもちろん興味はあったんですけど、
オーケストラの曲っていうかクラシックの曲をそれでだからといってずっと聴こうっていう感じではなく、
吹奏楽の曲を聴くことが多かったので、
大学に入ってから本題に進んで、そこで初めて大学のオーケストラの授業があったので、
そこでやっぱりオーケストラに触れる機会があって、
オーケストラをやるにはオーケストラの曲をチョピーとしたくて、
ということでオーケストラの曲を聴き始めた、20年大学になったからですね。
そういうことなんですね。もともとオーケストラに興味が出てっていうところがどっちかっていうと出発点とかですかね。
大声は例えばピアノとかヴァイオリンとかだと一人でソリストで世界中活躍できるじゃないですか。
そういう人たくさんいるんですけど、
でも管楽器でソリストで世界をまたにかけてやってる人ってほとんどいないんですよ。
そういうことみたいな、やっぱりそこに伴奏する人がいたりとかっていう。
伴奏はまた別なんですけど、
本当にソロだけでどこにも所属しないで、
もう一人だけで活動できるっていうのはピアノかヴァイオリンかぐらいの人なんですね。
他の楽器の人っていうのは大体オーケストラに所属して、
で時々ソロでコンセルトを吹いたりとかっていうことが、
もともと人はそうなんで、
そうするとやっぱり就職っていうのはオーケストラに入ることっていうのが、
やっぱり楽器をやってる人にとっては最終的な目標になるかなっていうところだから。
でもそれもそんなに広いもんじゃないですか、狭きもんじゃないですかね。
狭きもんですね。
今では本当に大声のオーディションがいろいろオーケストラにあるんですけど、
でも本当に50人くたらないかな、
いたしたら100人近く応募してきて、
その中でオーディション一つしかない。
一つしかないんですよね。
でもそこの席が空いてのオーディションですもんね。
その会社みたいに、私春だったら何してるんですか?みたいなところが空いて、
ポジションが空かない限りはオーディションがあるので、
ただオーケストラは結構たくさんあるので、
どこかのオーケストラのポジションは意外とちょこちょこ空いたりするんです。
そうですか。
ただ本当にそこが空くとみんな集中してオーディションを受けるっていう。
それも一つの枠に100人が来たらすごいバリスですよね。
そういったいろんな審査とかそういったこともされるんですか?
コンクールがやっぱり世界中いろんなコンクールがあるんですけど、
日本の国内でもコンクールがたくさんあって、
大声のコンクールっていうのももちろんあるの。
昔はあまりなかったんですけど、
最近僕は年に1回くらい何かの主催者が違って、
いろんなコンクールがあって、
そのコンクールの審査員を時々お願いされたりとかっていうのがあるんですけど、
そんな頻繁ではないですけど。
そうなんですね。
応援を向いてる人ってこういう姿っていうのはあるんですか?
楽器によって向き不向きがあるっていうことがよく言われるんですけど。
ちなみに向いてる人ってどういう人だと思いますか?
どうなんでしょうね。
リードをまず作らなきゃいけないので、
ある程度手先が披露じゃないとダメなのかなっていうのはあるんですけど、
根気強い人じゃないとなかなか難しいのかなと思うんですよ。
楽器自体難しいんですけど、
リードを作るところからやっぱり、
同じように作っても同じ理論って日本とできないんですよ。
材質が自然のものじゃなくて一枚一枚違うので、
本番で使えるような良いリードができるまで作り続けていかないといけないので、
そういう意味では根気も要りますし、
それを吹き込ませる体力も要りますし。
ただ大声ってやっぱりオーケストラの中でも真ん中に座っていて結構ソロがたくさんあって、
結構音的にも目立つんで、
華やかな楽器ではあるので、
多少目立ちたがりというか、
そんな性格の人が向いてるのかもしれないですけど、
大声の道へ
山本さんじゃあ向いてる?
僕は全然目立ちたがりじゃないので、
あれ?そうですか。
どっちかって言うとひっこみ次第なものなので、
そうですか?
そうなんです。結構人見知りなので。
人見知りだったんですか、山本さん。
特に人前で全然喋れないので、
結構喋ってますけど。
慣れての今ですか?
そうなんですよ。
最近会った人はあまり知らせてくださらないんですけど、
本当に今回これは全然こんな感じの性格じゃなかったです。
そうですか。
どっちかって言うとちょっとひっこみ次第なものだったんですか。
そうなんです。一人で。
こもってるような感じで。
そうなんですか。
そんなにめちゃめちゃ社交的でもないし、
自分でもちょっとそういうところがあるので。
だから大声には本当は向いてないのかなっていうところが
ずっと思ってはいるんですよ。
そうなんですか。
そうなんですよ。
昔から知ってる人は、
やっぱり大声吹きらしくないねっていうのは
よく言われるんですけど、
本当にそうなんですよ。
それこそ宮本隆一さんとかも
すごく社交的で華やかな方で、
お喋りもすごく楽しさで。
なので、ああいう方がやっぱり大声には向いてると思うので、
自分はやっぱりちょっと。
そうなんですか。
向いてないと思いながらも、
もうずっとね、大声とともに生きてきてるじゃないですか。
オーディション日の出来事
そこはどうしてですか。
他やることがなかったというか。
そんなことないです。
他できないのがやるかどうか。
そうですか。
なんとなく続けてきちゃったので、
オーケストラも本当にたまたまオーディション受けたらよかったので。
たまたまですよ、それも。
それまで大学出て、
当時は本当にそんなにオーディションなかったので、
1年間ずつオーディションがなくて、
オーケストラも。
なので、本当に1年間、
それこそフリーで、東京で。
そうなんですね。
ブラブラしてて。
大学卒業して1年間。
大学卒業して1年間。
本当にそのプロ受けのオーディションが
初めてあったのがね、昼なんですよ。
そうなんですね。
うちでもせっかくなんで、
とりあえずオーディションがあれば受けようと思って、
オーディションがあったので。
名古屋も、
名古屋の駅を降り立ったのは、
オーディションの日が初めてだった。
そういうことですね。
そうなんです。
それまで名古屋にゆっかりが全然なかったってことですか。
名古屋は通過するだけの駅だったんですよ。
通過するだけの駅だったんです。
初めてから東京に行く時に、
通過する駅ですよね。
ただの通過駅だったので、
名古屋のこと何にも知らないんですけど、
オーディションがあるっていうので、
初めて名古屋にオーディションの日に、
東京から新幹線で初めて降り立って、
オーディションを受けて、
自分の中でちょっと失敗したと思ったんですよ。
実際に失敗したんですけど、
オーディションの時に。
1時は通って、
同じ時に2次試験もあって、
その2次試験を受けて、
1次試験っていうのは、
まずは競争曲を吹くので、
大学の時に、
みんな女子優先生さんが練習しているので、
そこは何とか1次は通って、
その2次試験がオーケストラスタディって言って、
オーケストラの難しいソロの部分を、
オーケストラのメンバーの前で、
一人で演奏しなきゃいけないんですよ。
それを演奏している時に、
本当にすごく上手すぎて難しい曲があって、
もちろんオーケストラの経験は、
大学生の時にはそんなにないので、
もちろん曲はGDとかを聞いて勉強したんですけど、
実際に現場で吹いたことがなくて、
本当に難しい曲になっちゃって、
上手く吹けなかったんです。
それが失敗したので落ちたなって思って、
ダメだったなって思って、
だから名古屋は、
もう二度と来ることもないなと思って、
その日にだったら、
名古屋での生活の始まり
せっかく記念に名古屋城でも行って、
勉強して帰ろうかなと思って、
名古屋城に行って、
結構遅い新幹線で名古屋を堪能して、
東京に帰ったんですけど、
そしたら、もちろん今みたいな経験はないので、
留守番電話がまだある時期で、
いいものもありますけど、
それしかないので、
帰ったら留守電話が入ってて、
そしたらレビューの準備曲がある時点で、
合格しましたから、
面接企画としてあるみたいな流れが突然入ってて、
まさかのとか思って、
それがきっかけで、
本当にたまたま入れていただけたので、
そこからずっと名古屋生活が始まりました。
まさかここまで長く名古屋に住むとは思わなかったですよね。
本当に名古屋で就職するとは思ってなかったので、
それも必然というか、
どうなんでしょうかね。
偶然ですね。
まさか40年近く住んでらっしゃるんですかね。
23歳の時に名古屋に来たので、
40年近くですね。
まだ40年経ってないですね。
まだ経ってないですね。
そうなんですね。
そこに入ったからこそ、
ごめんなさい。
私とお話ししていただいていると思いますので。
そうですね。
こういう恋愛の練習を。
ありがとうございます。
全く違う話をしていいですか。
いけないんですけど。
今ちょっとSNS、
FacebookとかInstagramとかで
いろいろ発信されていると思うんですけど。
山本尚人さんにご登場していただきました。
次回は今後の展望や、
山本尚人さんにとっての
居心地の良い場についてお話ししていただきます。
番組をまた聞きたいなと思っていただいた方は、
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新しく配信されたものがスムーズに聞けますので、
番組登録をよろしくお願いします。
この番組は音楽事務所ロイスタープロダクションの提供でお送りしました。
それでは次回もお楽しみに。
伊藤恵美子でした。
25:22

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