1. 伊藤由美子のCozy Space
  2. 第93回「”新しい価値観を知る”..

▶︎2022年7月のマンスリーゲスト

(第93回〜第96回までの全4回)

音楽空間ond°(オンド)のオーナー

甲斐明俊さん

▶︎今回の内容(目次)

音楽空間 ond°(オンド)のオーナー

   甲斐明俊さん

大学卒業後に専門学校に行った理由

神戸から愛知への転機

【分水嶺】会社に残るか独立するか

退職後に2ヶ月滞在したロサンゼルス

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◉音楽空間ond°ホームページ

http://ond-o.com/

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Instagram『建築士 伊藤由美子のCozy Space』

https://www.instagram.com/yumiko.ito_cozyspace/

▶今回のちょっとだけ詳しい内容はこちら

◉伊藤由美子ホームページ『Yumiko’Room』

https://yumiko0321.com/2814/

00:11
こんにちは、番組ナビゲーターの伊藤由美子です。
建築士、伊藤由美子のCozy Spaceへようこそ。
Cozy Spaceとは、日本語に訳すと、居心地の良い空間という意味になります。
この番組では、居心地の良い場、空間とは何かということをテーマに、
あなたらしくいられる、ちょうどいい場所を見つけるためのラジオ番組です。
毎回素敵な方々にインタビューさせていただき、
ついつい夢中になってしまうことや、個性を活かして自由に生きること、
そして日々気持ちよくいられるヒントなどをお伝えしていけたらと思っています。
建築士、伊藤由美子のCozy Space第93回、2022年7月のゲストは、
音楽空間温度のオーナー、貝昭俊さんです。
音楽空間温度は、さまざまな楽器を習える音楽教室や、
楽器販売、レンタルスペース、カフェ、音楽企画イベントなども行っています。
そしてオーナーの貝さんもギターの先生でもあります。
今回は、学生時代から社会人となり、会社を辞めた頃までのお話をしていただいています。
では早速、貝昭俊さんのお話をお聞きください。
今日は音楽空間温度のオーナーの貝昭俊さんにインタビューに答えていただきます。
ありがとうございます。よろしくお願いします。
今日は音楽空間温度さんの中でインタビューさせていただきます。
貝さんといえば、私のいきなりですけど、ギターの先生ということで。
そうですね。いつもこの場所でレッスンしていますので。
そうですね。いきなり。
スパルタでギシギシ。
スパルタですよね。
ではないですね。
ギター教室、私ここの温度さんで、本当にまだ4月に始めたばっかりで、
本当に初心者の初心者なんですけど、貝さん本当に優しく褒めてくれるので。
褒め上手。
褒め上手。本当にやる気になります。
ありがとうございます。
急遽、いろんなことがあってインタビュー受けていただくということで、
03:00
その時に貝さんがやってらっしゃる温度のホームページの中に貝さんのプロフィールが載っていたので、
ずっと読んだら聞きたいこといっぱい。
本当ですか。
興味津々と思って、実は今回依頼させていただきました。
ありがとうございます。興味持っていただいてありがとうございます。
めちゃくちゃ興味持ちましたけど。
今ここは愛知県なんですけど、貝さん自身が神戸で生まれて、
ずっと学生時代まで神戸にいらっしゃったんですよ。
そうなんです。
関西弁出ます?
分かんないですけどね。出てるとは思いますけど。
イントネーションはそうかもしれないですね。
イントネーションはそんな感じだと思います。
そうですね。考えてみたら。
結構映ってるというか、客障害してるんで丁寧に喋ろうと思うと、
ひどいかもしれないけど、関西弁よりは優しいニュアンスにはなるかもしれない。
向こう行ったら映ったねって言われるから。
じゃあこちらの愛知に染まってきて。
結構終わり弁もだいぶ染まってる感じですけどね。
終わり弁?
早く寝やとか。
寝やとかね。
じゃあもう染まってますね。かなりね。
相方がずっと生まれも育ちもかすがいなんで。
奥さんがいいんですね。
相方って言うと、あんまり相方って言わないんですよ。
大阪の方ね、結構客観差に沿って相方って言ったりしますよね。
向こうはね。
でも僕どうだろう、こっちでそう言ってる人がいて、いい言い方が。
そうなんです?関西の人じゃなくても言われる方いらっしゃるんですね。
なんて言い方がいいんだろうと思って。
なんか相方が今しっくりきてる。
そうなんですか。いい相棒な感じなんですね、きっとね。
そうですね。音楽も一緒にやったりもしてるし。
そうなんですね。
じゃあ今パートナーに恵まれ。
そう、おかげさまで。
20年以上は経つかな、こっち来て。
ほぼ第二のふるさとな感じ。
そうですよね。神戸の方で大学行かれて、
それが心理学専攻って書いてあって、
卒論が音楽療法の効果って書いてあったんですよね。
そうそうそうってホームページに書いてありましたね。
え、と思って心理学専攻なんだと思ったんですよ。
うちのおんこが今心理学学んでるの、大学で。
そうなんですか。
そういうところで、あ、と思って、そこもちょっと興味深かったんですよね。
心理学を学んでることによって、今の音道のこの活動にやっぱりつながってるんだろうなーっていうふうにちょっと思われたり。
その当時学んだことがどうだったのかちょっと分かんないんですけど、
まだそういう心理学科というか、そういう学科ではなくて、
自本学部っていう中の心理学ゼミみたいな感じだったんですね。
心理学には興味はあったんで、
当時というか、高校生が大学に入るときに、心理学好きですって言って、
06:06
心理テスト的なイメージじゃないですか。
結構統計の勉強だったりとか、
最後卒業論文、発達心理学とか社会心理学とか、
そういうのは割と今考えるとさわりな感じだったと思うんですけど、
それはそれで面白かったんですよね。
やっぱり臨床心理学とか、いわゆるカウンセリングとかという話になると、
ちょっとまた大学院まで行って修士とって、
そこからまた社会経験2年くらい積んで、
それでやっと受験資格ができるみたいな、
割と狭き門みたいなところがあったんですけど、
それで、卒業の時に卒業論文として、
音楽もその時もやってたんで、
何か書こうと思って、
音楽やってたの?ギターやってたの?
ギター、バンドはやってたんですよ。
バンドやってたんです?
え、ボーカルも?
ボーカルは、その時は別のバイト先で、
ちょっと俺歌詞書くんだっていうやつがいて、
ギター書くんだみたいな、
そこからいきなり何の下図面とかもなく、
オリジナルソングになって、
カバーとかじゃなくて、
その方が書いた曲を演奏してたんですよ。
曲を作って、メロディーとコードと、
バンドメンバー集めて、
でもほぼ初心者みたいなメンバーだったんですけどね、
1年半くらいやったのかな、
大学卒業になって、卒業論文だから、
音楽に関わることがあるかなと思ってたら、
図書館で学校の音楽療法という言葉を見つけて、
え、何だろうと思ってみたら、
その時に見つけた本で、
なんか面白そうだなと思って、
卒業論文は音楽療法というか、
今考えたらBGMとか、
音楽が作業効率にどんな影響をもたらすかみたいなことで、
実際学生にいろんな友達とか呼んで実験して、
BGMを流して、
BGMを流しているときと無音のときと、
あとノイズみたいな雑音とか、
クラシック音楽がいいとか、
ポピュラーがいいとか、
それで何か書いて、
でもそれっきりだったんですね、
音楽療法というか、
別にその道に進もうかというと、
そうでもなかったんですけど、
でも当時就職をするときに、
就職もやっぱり、
僕らは氷河期の割と初期の頃で、
その前と違って就職全然ないという、
そうですね、生まれ年からです。
これからやりたいことをお仕事にした方がいいというようなことに
09:05
ちょっと気づいたんですね。
就職を考えた時。
そのときに楽器屋さんとかを受けたんですよ。
そうなんです。
でもそのときはダメですよ。
親に泣きついてもう一回専門学校に行きたいと言って、
それで行ったのが大阪のスクールオブミュージックという、
ギタークラフトの専門学校ですね。
そうなんですね。大学行かれても、
専門学校って書いてあったんで、プロフィール。
どういう戦つかなと思ったら今のような戦だったんですね。
楽器屋になりたいと思ってなれなかったんだけど、
そこにギターマガジンという雑誌があって、
そこにちょうど専門学校の入学案内とか、
オープンスクールとか見学会に行くことにして、
こんな世界があるんだと思って、
それからもう本当に泣きついてというか、
やっぱりこういう仕事をしたいみたいな。
もう本当にその仕事をしたいから、
専門学校に行くという信念のことを。
作るって面白いのがあって、
このクラフトっていうのを作る方なんですか?
そうそう、エレキギターを作ってたんです。
エレキギターを作るコースだったんですね。
そうそう、コースだったんです。
作れるってこと?
機材があれば、でも僕もそっちの方の腕は全然磨いてないので、
でも知識はある。
知識はあるので、
それは販売とかディペアとかそういうのには役立つので。
大阪の専門学校行きながら、
初めてその専門学校の先輩が勤めていたというバイト先が
神戸の楽器屋さんだったんだけど、
そこでアルバイトもさせてもらって、週末だね。
それで初めて学校で5日間音楽をやった。
音楽のことを学んで、
楽器屋さんに週末という、
一週間丸々音楽付けという日々になったんですね。
それまでは趣味の延長みたいな感じだった。
一週間ずっと音楽、楽器付けっていうのって、
自分の中ではすごい楽しかった?
初めての時はわーと思いました。
こんなに幸せなんだと思って。
その選択間違ってなさそうだったんですね。
でもそれから苦労したというか、
全然問題に出たわけでもないし、
音楽を学んだわけでもないから、
知らないことばっかりで、
最初本当に楽器屋さんに立っても、
結構マニアックなお店だったんですよ。
ギターの細かいパーツとかあるじゃないですか。
パーツが並んでるんだけど、
お客さんがこれ何?って聞かれて、
え?え?って答えられない。
結構お客さんがマニアックだったし、
12:00
逆に教えてもらったりもしたんですけど、
そういうのが最初だったんで、
もうドキドキだし、いろんな失敗もしたし、
学校だったら結構作りながら失敗してもOKなんだけど、
アルバイトとはいえ仕事なんで、
それは厳しくね、その時は。
教えてもらったこともあって、
2年その選択を受けて、
アルバイトも2年させてもらったんですけど、
それから家を出たいというのがずっと思っていた。
そうなんですね。
で、専門学校に求人が出てたんですね。
求人が出てたのが三重県の学期っていうのだったんですよ。
受けたら受かって、松坂で。
そこで受かったんですけど、
僕は松坂に行くつもりで準備していたら、
社長から電話があって、
愛知県の小牧市にしてかって、
そこの社員がちょっと一人辞めたから、
そこに行ってくれて大人になって。
本社は松坂?
本社は松坂。
お店が小牧の味ができたから。
小牧って愛知県の小牧です。
小牧のイオンがありますよね。
そこに楽器店があるんですけど。
あそこですか。
あそこです。
あそこが小牧の園の始まりだったんですよね。
そうなんですか。
そこで小牧にいらっしゃるんですね。
何の縁もなかったんです。
なかったってことですよね。
しかもアルバイトなんてできない。
社員としてやったんで。
初愛知県の。
初愛知県です。
それで愛知県に就職するってことになるんですね。
そうなんです。
でも2年間神戸の楽器店でアルバイトしたことによって、
知識はそこでは。
知識はあって、
またあっちのイオンのお店というのは、
ちょっとどっちかというとファミリー層向けのお店になって、
もちろんスーパーマーケットなんですけど、
またちょっと違うんですね。
でもそこではやっぱり、
やっぱりそこで音楽教室をすごくしっかりやってたりと、
販売としても大きかったんですけど、
社員だからもうちょっとマネジメント的な視点をだいぶ、
現場で叩き込まれたりとか、
やっぱりあんまりマニアックな、
どっちかというとマニアックな方に行ってしまうので。
そうですね。
そんなこんなで、5年弱ぐらいして、
それでちょっと辞めることになったんですよ。
何かきっかけあったんですか?
辞めることになったっていうのは。
今度は三重県に転勤してくれっていう事例というかね、
向こうで社員さんが辞める。
何なんか大変で。
で、どうしようかな。
三重県に行って会社に身を埋めるのかって思った時に、
せっかくこっちで人間関係ができたし、
15:00
ここを離れたくないなっていうのもあって。
なんだかんだやってるんで、
お店ってやらないのとか、
そういう話も言われてたんですけど、
自分はお店やるなんて全然。
思ってもやらない。
うち商売かけるのもないし。
サラリーマンかな?
そうそう。
そんなことも思ってなかったんですけど、
なんとなく、
その時に今の奥さんになる人も出会っておいたんですけど、
プリナンスで絵描いて生きてたっていうか、
そういう人もいるんだと思って。
音楽やってたらプリナンスで音楽やってる人もいるし、
そんなこんなで辞めることになって、
今ここをオープンするまで1年くらいだったかな。
1年はかかったんですけど。
もう辞める時には、
この音楽空間をやろうと思って辞めてる状態なんですか?
なんとなく。
でもまだ全然モヤモヤしてて、
でもなんとなく自分のお店をやりたいみたいな。
もうちょっと自分の中のイメージとしては出てきて。
でもじゃあどんだけ具体的に規模がどんなものか、
そういうのも何の想像もしないままに、
結構勢いで辞めたというのが勢いですね。
当時は見栄にあんまり行きたくないというか。
そこですか。
あとあれじゃないですか、奥さんになる人出会ってるのも大きかったんじゃないですか。
彼女はそんなに行きたかったら行けばみたいな感じだったんですね。
精神的にも自立されてるからね。
そうそう。年上なんで。
それで僕もまだ20代だったし、そんな深くは考えなかったけど、
直感というか、ここで何かやったほうがいいような気がするなと思って、
それで辞めて。
辞めてまずどうしようかなと思って、
2ヶ月だけロサンゼルスに一人で行ったんですよ。
向こうにいたら何か面白い形の商売とか、文化の根付き方の。
見れるかな、感じれるかなと思って。
専門学校の時もロサンゼルスに行かせてもらったんですね、旅行というか。
研修旅行みたいなね。
一回も行ってらっしゃるんですよね。
一回行ってて、自分の足で行きたいというのもあったし、
生活を体験してみたいみたいな。
向こうでちょっと大きな楽器のショーみたいなのがある。
そうなんですか。
毎年2回はあるんですよ。
新商品発表会的な感じのものすごいでかいのがあるんですよ。
それを学生の時も見たんですけど、
自分で行ってみたいなと思って。
それで向こうの、だからいつも1月なんですけど、
その年末から1月、2月ぐらいにかけて行ったんですね。
年越しの向こうでしたりとか、コンサートを見たり。
その時に向こう行って、
18:00
ライブバーみたいなところに楽器が売っているのを見て、
ほんの一緒にしたらいいんだみたいな。
そこもヒントですね。
そうか、面白いなと思って。
ライブバーで楽器売っている。
意外にないですね、日本。
あんまりないと思う。
そういうところで、タバコ吸うからみたいな。
楽器とかがヤニヤニになるから、普通は嫌がるとかね。
そういうのもアリなんだ。
アリなんだ、ロサンゼルスではアリなんだ。
そうそう。
2ヶ月いらっしゃったの?
そう、2ヶ月ですね。
生活された。
もっとユースホステルにずっと泊まって、
毎日の日が浴びのように、いろんな国からいろんな人が来るし、
日本人も来るし、
本当に偶然小牧から来たみたいで。
ロサンゼルスもそこに来て。
ピンポイントすぎません?
ピンポイントなんですよ。
小牧に2人あったんですよ。
1人は、僕が来て勤めた時のお客さんだった人が、
向こうの専門学校に留学するっていう。
行ってたのは知ってたんだけど、
本当に行った次の日ぐらいに。
あったんですか?
僕が泊まっていたユースホステルの下にピザ屋があったんですよ。
そこに並んでて、
すごい出会いですね。
彼先に住んで1年ぐらいでたから、
彼からこういうとこあるよって教えてもらったり。
すごいラッキーですね。
カイさんって英語って結構できる人なの?
会話はできる。会話は別にしてましたけど。
でも、全部わかっとるわけじゃなくて。
フィーリングでこんな感じかなみたいな。
当時は電子辞書は持って行っていて、
伝えたいことがある時に単語がわからず。
それがあると、目の前で調べようとしたら、
それだけでコミュニケーション取ろうとしてくれるなっていうのが
認識してもらえるので、
やっぱり何を伝えたいかという気持ちだと思うんですけど。
そういう感じで行ってましたね。
そういうインターナショナルな感じに憧れてた時もあるんですよね。
だからこっちに来た時もすぐに英語喋れる友達を作ったりとか。
そうなんですか。楽器店に勤め出した頃から。
そうそう。お客さんに来たら積極的に英語で喋りかけようとしたりとか。
それで友達になったり飲みに行ったりとか。
そういうことはやってたんですよね。
会社って社交的なのかな?人に対しての壁がないし。
21:03
わかんないですよ。それは感じる人に。
日本人ってどっちかっていうと英語とか苦手じゃないですか。英会話とか。
そうするとわざわざ自分から行くってことはどっちかとしないタイプの人が多いと思うんですけど。
新しい価値観を知るのは好きで。
そこなんですね。それが一個は英語だったり。
僕どっちかというと日本人的なかっちりした感じは個人的に合わないというか。
そんな感じが見抜けられる。
今はこれで全開で言ってるけど。
学生のときはそうしたいけどなかなかできなかったっていうのはあるかも。
その返りは絶対あったはずなんですけど。
今はだからこんな感じなんですけど。
学生のときはそれがうまくできなかったっていうのは自分で見ればあったと思うんですけど。
LAとかに行ったら伸び伸びしてたじゃないですか。
伸び伸びしましたね。
毎週日曜日に配信されたものがスムーズに聞けますので、番組登録をよろしくお願いします。
それでは次回もお楽しみに。伊藤衣子でした。
22:56

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