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人生ついでにゆるっと覚醒してみちゃう?
こんにちは、こんばんは。 霊性開花の専門家、リアルスピリチュアリスト橋本ゆみです。
この番組は、ビジネスや人生を変えていきたい方に向けて、 エンタメでもファンタジーでもないリアルなスピリチュアルで人生を切り開いた
ゆるっと覚醒マインドをお届けします。
今回のテーマは、お盆の時期に次元上昇のサインがあるかもよ、ということで。
お盆入りますね、そろそろね。
弊社はお盆というお盆のお休みは、今回宣伝というかしていなくて、
毎回お盆、お盆、お盆、盆、盆になっちゃったけど、
お盆の時に休む時もあれば、ちょっと時期をずらす時なんかもありますが、
お盆は普通に私は仕事をしている予定でございます。
今回というか、2025年この時期、この間から話してはいるのですが、
やっぱり人間関係というか、意識のシフト、そういうものが起きやすい時期ですので、
何かでもお盆というのは向こうの世界ともつながるところで、
ここでね、次元上昇のサインというのがね、ちらほら見受けられるなというので、
ちょっとそこ絡めて今回お話ししようかなと。
でも次元上昇って何なんていうと、
何だかね、昨今その単語結構目にしたり耳にするなというのもあって採用したのですが、
これ周波数が変わるって思ったらいいと思います。
いいと思います。
自分の走る周波数が変わっていくし、
地球とかその天体とか宇宙もぐるぐる回って動いているので、
その波動ですけどね、数値が変わっている。
これ地球の、何だったっけな、ちょっと忘れちゃったな。
地球が発している周波数というのが変化をしているという記事を何かで見たんですよ。
すごいおぼろげですいません。
何かでね、見たんだよね。
いろんな軸とかが変わっているっていうのは物理的に起きている現象で、
それは不思議なことでも何でもないんですけど、
やっぱりちょっとでも変化が起きると大きいんでね、地球の上に住んでいる私たちとしては。
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そういうことも相まって意識の周波数というのは変わりやすくなっています。
そういう意味で上昇というのは周波数帯が数字で言えば高くなるということなので、
繊細に受け取ることが多くなる。このように捉えると分かりやすいんじゃないかなと思います。
自分の世界の感じ方とかを猫さんが、すいません猫さんが落ちてしまいました。
落ちたと言っても大丈夫なんですけど。
猫さんが大好きな米袋の上に乗ってケージから滑ってしまったというので、
猫さんの存在を皆さんも感じてもらえればとこのまま収録します。
自分の世界の感じ方、現実の意味付けが変わっていくということでもあるので、
それを霊的成長と言ってもいいし、霊性開花と言ってもいいし、魂の目覚めと言ってもいいし、
成熟度とはちょっと違うところかな。
視点が変わったことによって現実の生き方がコントロールできるとか、調和できるとか、
自分らしくいながらも世界と調和できる、こういうのが成熟度というところになってくるので、
意識が変わるというのが一番シンプルかな。
意識の周波数帯が変わる。
つまり意識の捉え方が変わる。
さっき言った世界の感じ方、現実の意味付けが変わる。捉え方が変わる。
こういうことなんですね。
普通にスピリチュアルな不思議なことを思わずに、これまでの人生でもいろんな天気で意識が変わったことはあると思います。
そのタイミングが集団で起きるという時期だよという話なんですね。
このお盆の時期、お盆もそうだし、悲願とかもそうだし、
どうしても日本人というか、集合意識の影響というのは結構大きくてですね、
個人個人ではなく、集団としての意識の変化は個人の意識の変化にも影響するので、
いくつかね、次元上昇サイン、シフトするサインというのがあるのですが、
代表的なものを5つ言うと、まず1つ目は身体的な違和感。
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なんかやっぱり眠気とか耳鳴りとか、いろんな身体的な不具合を感じたり、違和感を感じたり、こういうことが起きます。
起きやすいです。
でも病気が絡んでいるケースがあるので、スピリチュアルなことで終わらせず、
しっかりなんでそうなっているかは検証してくださいね。ここめちゃくちゃ大事ですからね。
ちょっと現実チェックしつつのスピリチュアルな部分も大事ってことなんで。
もう一つ、二つ目はやっぱり人間関係の変化です。
付き合う人が変わるし、いる場所が変わるっていうことが起きるし、
自分は変わらなくても周りが変わっていく。これもめちゃくちゃ起こります。
そして三つ目はね、時間の間隔が非常に変わっていきますね。
もう時間の間隔のずれは非常に、今だけじゃなく個人的にすごいずれまくっているので、早かったり遅かったり、いろいろなんですけど。
それがね、ルーティンで普段過ごしてて、突然いつもと違うみたいな体験をするっていうことが起きるんじゃないかなと。
四つ目、感情の起伏というか、自分がコントロールできない感情っていうのが出てきやすくなる。
脈絡は自分の中であったとしても、もう解消している。
例えば、恋愛ですでに終わっていて、もう喪失、統合までいっている状態なのに、
もう関わらず何かの表紙で思い出して涙するとか、例えばそういうことですね。
あとは今まですごく熱中してたものがあるのに急に冷めちゃうとか。
人間関係でもね、すごい仲良しだったのにお互い急に冷めちゃうとか。
こういうことは起きる一つサインだよと。
五つ目は、自分の中で疑問とか問いが湧いてくる。
これで本当にいいの?っていう自分への疑惑ですね。
これはね、結構大事にしたらいいと思いますね。
これはすごく大事です。
やっぱりね、自分の意識が変わるっていうのは、本当に世界ががらっと変わるんですよ。
世界を変えたかったり、世界ってその世界の仕組みや営みを変えるっていう、
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世界征服的なそういう意味じゃなくて、支配とかコントロールの意味じゃなくて、
自分の世界観を変えるっていう意味ね。
これは本当に意識一つで変わっていくんですけど、
その意識を変えるっていうのが結局、体もコミットしないと、
頭だけではね、要するに3%の力では全然変えられないんですね。
97%の力を使った方が当たり前だけど、変えやすいということです。
だからもうね、本当、私自身も様々な変化が、
去年ぐらいから、去年より前からあると思うんだけど、
いつの頃の何だったかだんだん分かんなくなっていくんですよね。
全部今ここに繋がるっていう感覚になっていくんですけど、
それが良いんだか悪いんだか分かりませんが、
良い悪いもラベルをつけてないんですけどね、私自身はね。
それでね、やっぱりこのボンの時期っていうのは、
結構帰省して実家に帰る人とかもいるだろうし、
個人を忍ぶというかね、私も親戚がこの間亡くなったので、
ちょうどボン前におつやじゃないや、国別式に行ってくるんですけど、
やっぱりなんかね、いろいろその、ここ最近死っていうことについて、
なんだか結構ね、いろんな情報とか、
自分の中でも何かそういう問いみたいなのが出てきている時期で、
まあ誰か行くんだろうなと思いながらですね。
なんかうーんと思いながら、なんか死について、
なんかね、考えてたんですよね。
まあそれがね、何?って話ではないんですけれど、
やっぱりなんていうのかな、この時期って、
どうしても現代人って死っていうものが隣にない世代。
私とか昭和の世代は何かね、昭和の世代でも薄くなってきてるのかな。
祖母はね、やっぱ戦争とかの時代を体験してる人で、
まあでもやっぱりジェラ世代ぐらいまでなんでしょうかね。
もっと若い人になると非常に遠い歴史みたいな感じになってくると思うのでね。
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あと各家族、要するにおじいちゃんおばあちゃんと住んでないと、
そうやっぱ目の前で人が死んでいくっていう体験をしていない人の方が多いんじゃないかな。
っていうのは思いますね。
なんかそれは昔誰かとお話ししていて、通列に感じたとこなんですよね。
なんかイメージでしかない。
実際やっぱ目の前でペットね、この間うさぎのペットロスの話ちょっとしたけど、
やっぱり目の前にそれを身近な人として体験するっていうのは、
やっぱり全然違うんですよね。
違うんですよね。
まあ本当ね、私の場合は同級生が小学校とかからね、旅立ってしまったり、
すごい身近なところに死がたくさんあったのでね。
自分自身も死にそうな体験したことがあるんでね。
なんか身近なんですよね。
そういうのをね、体験してなくてもやっぱりお盆っていうのは、
やっぱ個人を振り返ったり、振り返っているその両親、家族、親戚を見ることでね、
子どもたちっていうのは何かを感じ取ったりするのでね。
やっぱ意識の変化っていうのが起きる。
やっぱり祈っている姿を見るとか、先祖を大事にしている、神社を大事にしている、
見えない存在を大切にしている姿勢っていうのが、
その有意識の姿勢、まあそれが周波数っていうのは、
やっぱね、子ども心に受け取ってきますよね。
子どもじゃなくても、やっぱりその感性がある人は大人でもやっぱり受け取っていく。
だから講座とかワークショップとかでね、やっぱりちょっと踏み込んだ話をしたりする時に、
今までそんなことを考えてなかったっていう人が、そのお話に触れて、
ああそうかと気づく瞬間っていうのがあってね。
それでああこういう時にはこういうものだっていうのが、
悔屈を超えて、本当にこれやっちゃいけないんだっていうのが、
本当にね、腹に落ちると、なんか震える感じになるわけですね。
やっぱりその体験があると考えられるし、間違ったことしなくなるし、
整うというか調和した働き動きってやっぱりできるようになるなと思います。
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自分自身もね、完璧ではないし、これでいいのかなって思う時もいろんな場面であります。
いろんな場面でありますよ、そりゃ。
人間の都合ルールだと本当に迷う。
人間の都合で作られたルールほどどうしていいかわかんないことの方が多いんですけど、
本当にね、どこかで話したかもしれないけど、
すごく高級な料理屋さんとかだと、皿を下げてもらった方がいいんですよね。
簡単に言うとね。
ちょっと片付けやすいように重ねたりとかしがちじゃないですか。
なんとなく良かれと思って。
だけど高級店であればあるほど、皿重ねるということが非常に、
そのお皿自体が高級だったりするから、重ねちゃいけないというかね、あるわけなんです。
そういうのがあるわけですよね。
そこら辺がね、日本にはあんまないけど、
海外とか、特にイギリスとかだと、メイドさんとか、
そういう職業としてやってる人の仕事を奪っちゃいけないっていうので、
ちょっとした掃除とかね、やっちゃいけないとか、やってもらうことの方が正しかったりとか、
そういうね、人間の都合。
簡単にその単語に収めてしまうんですけど。
人間都合のやつは、文化とか背景とか、
それを人は教養というのでしょうが、
やっぱり分かんない時ってあって、
それが文化とか教養の範囲だったら、
それは学べば、学んで、
次やらないってことができるんだけど、
これがもっとね、家庭レベルとかになってくると、
まあほんとね、しんどい。
もうほんとね、社会人になった時に、それが一番しんどかったですね。
マジで分かんなすぎて。
なんかね、やらなかったら、
よく嫁シュート目問題とかでもあるけど、
何か嫁さんが動かなかったら、
シュート目とかシュートが、うちの嫁は動かないって言って、
変に動こうもんなら、なんか手出すなって言われるみたいな。
笑ってしまうんだけど、
ほんとね、そういうのが一番苦手なんですね、私自身ね。
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やっぱそれが上手い人は、夜当たり上手ですごいなっていつも思います。
コミュニケーションを超えたところにある気がします。
人柄とかね、
なんかね、そういうのができる女性が昭和の時代は求められたんだろうなとか思いながら、
それがやっぱりね、分かんなかったな。
分かんなかったなとか言って、
あんまりそれで苦労することもなかったんだけど、
学生の時とか、社会人ちょっとまだポッとでぐらいの時はやっぱりその辺ってどうしても、
目上の方に対して失礼がないようにということで、
まあまあ知らないこともたくさんあったし、
まあ生きにくかったなという感想を持っております。
人って面白いよね。
私も人だからあれですけど。
全然違う話をちょっとしたくなってしまったんですけど、
次元上昇の話から。
ある種のパラダイムシフトではあったんだ。
意識のシフトではあったんですが、
私のね、昔あったエピソードで今ふと思い出したので、
何の脈絡もなくちょっと話すんですけど、
虚言癖がある人っていうのが世の中にいるんですよ。
虚言癖がある人。
これはもう病気と言っていいのではないかと思うぐらいの虚言癖の話を聞いて、
本で読んだこととか、
友達が体験した話を、
まさに自分が体験したかのように話す人っていう人がいるんだよっていうのを知り合いから言われて、
そんな人本当にいるのって思ってて、
まあでもまあいろんな人がいるからいるんだろうなぁと、
それこそね、どっかで話したけど、
ブログとかメルマガを全パクリして自分のことのように発信できる人がいるぐらいですか、
それは多いんでね、意外と見てたら。
だから私の中ではそれが大きなシフトというか、
自分の世界にない動きすぎて、
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ファンタジーにしか聞こえなかったんですけど、
聞こえなかったんですけど、
とうとう出会う。
多分そうなんだなっていう感じではある。
もう検証すらしたくないんだけど、
でもおそらくそうであろうっていう体験を前にしたんですよね。
どういうことかっていうと、
虚言かどうかが非常に微妙なラインなんですが、
非常にね、頭がいいというか知識が豊富な方がいて、
すごく話も面白いし、
それについていろいろ質問などをしていて、
すごく楽しかったわけです。
少し親しくなって話をいろいろしていくと、
途中でうん?っていうことが起き始めたわけです。
それやったことだよねみたいな、
それ体験してるって本人が言ってて、
おそらく体験はしてるんであろう、
それは嘘ではないであろうけれども、
例えば1,2回体験したら体験したって言えますよね。
でもそれを10年やってる人と1,2回の人だと、
運命の差が出るわけですよ。
運命の差が出るわけです。
ここがすごくやってきたんだろうなという、
勝手な私の解釈、話してる、
自信を持って話してたり、
いろんな話をされてる中でやってきたっていうから、
鵜呑みにするわけですね。
基本的に正直者なので、
人が話したものをですね、
正直に受け取ってしまいやすいという性格なんですね、私の。
そうなんだ、すごいなと思って話を聞いたりしたりしていくと、
何か違和感が出てきたわけです。
あれ?と思って。
嘘は完全に嘘じゃないっていうのはわかるんだけど、
でもどうやら質がおかしいぞってことに気づき始めたっていう体験がありまして、
だんだんときどき言ってることが本当にずれていくのでね、
本当のことが何なのかがわかんなくなってきたんですね、逆に。
嘘だとまでははっきり言えないんですよ。
でも本当のことがわからなくなってきて、
多少わかるところとかは、
逆にこっちも知識があるから突っ込むと、
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失礼な言い方するけれど、レベルが違ったりするんですね。
やっている人とやっていない人の違いに近いんですけど、
例えばデザインだったら、
デザイン、昔ね、デザイナーさんって、
本当の昔ね、車植とかそういう時代、車植までかな、車植の時代ぐらいまでは、
デザイナーってすごく高い地位にあったわけですね、業界の中で。
その時っていうのはレイアウトとかを組んで、
それを作業する人に投げるっていうことが行われるんですね。
なのでデザインをしているイコールを自分が作ったっていう風になるんですけど、
例えば料理研究家とかの人でレシピは作っているけど、
実際手を動かして作っている人、
要するに三ッ星シェフ監修とかで、
メニューと材料とかレシピはその人が確かに作っているんだけれども、
実際料理をしている人は違う人だったりすると。
そうすると出された料理誰が作ったんですかって話の時に、
その監修とかデザイナーさんが作ったんですって言えるか否かみたいな、
そういうちょっと話って、
ヘリクツに聞こえるかもしれないんだけど、
わかりやすく言うと、
作ったの領域、作ったの範囲っていうのが、
人それぞれ感覚値が違うわけですね。
デザインをして、
全部自分でイラレとかでレイアウトしている人と、
昔のデザイン、
車植時代のデザイナーさんで、
俺がデザインしたんだみたいな感じで出されたものと、
やっぱりちょっと質が違うんです。
これはやってる人じゃないとわかんない話なんですよ。
ここマニアックになるんですけど、
本当にマニアックになるんですけど、
そこはね、やっぱりどこまで手を動かしているかっていうので、
質が変わるんですよね。
そういう意味のレベルの違いっていう話であって、
そういう人がレベルが低いとかそういうことじゃないんですね。
なのでね、その質の違いっていうのがすごくたくさん出てきたときに、
あれあれってなって、
あれあれってなったときに、
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嘘とまでは言えないけど、
なんか違うなみたいなことが体験があって、
でも一部そのなんか違うなが、
要するに本で読んで自分のものにしている感じっていうのが出てきたりしてて、
あなたの言葉なんですかっていうのが疑問が湧くのは何かっていうと、
質問したときに答えられないとか、
自分の定義が話せないとか、
そうなってくると、
別に絶対話せなきゃいけないというわけじゃないんだけど、
いろんな話の中で、
そのあれあれが積もっていったときにですね、
この人は本当に知識だけだなーって思った瞬間があってですね、
そのとき私の中では、
結構、
なんていうのかな、
差異が大きかったからびっくりしたっていう話なんですね。
差異っていうのは、
表現している自慢?違うな、
共鋭心みたいなのがやっぱり大きすぎて、
そこが最初はわからなくて、
この人共鋭心とか権威欲でこういうふうに見せてる人なんだーってわかって、
なんかね、
ずれが自分の中にあったときに大きくね、
なんか視点が変わってびっくりしたっていうことを思い出したんだよっていう、
ただの世間話なんですけど。
でもこのトラップっていう言い方、あえてしますけどね、
もちろん私自身がね、
最初からそれ見抜けないのかって言ったら、
やっぱりそこはね、
お巧みっていうかね、
人は巧みだし、
そもそもそんな疑って人のことを見てるわけじゃなくて、
その人がそう言うならそうなんだって思っちゃう、
性質いいも悪いもそういう性質っていうのがかみ合ってですね、
やっぱり分かるのが後々?
話したり深く付き合ったりすると人って見えてくるじゃないですか。
やっぱりそういうのでね、
結局今何が言いたかったかっていうと、
相手が悪いとか自分が能力が低いとか、
そういうことじゃなくて、
やっぱり人っていうのは、
踏み込むとずれとか差っていうのは大きく出てきて、
それはこっち側の期待や想像っていうのがフィルターがかかってるのもあるし、
向こう側の何か自信のなさからの虚栄心とか、
そういうフィルターがね、
お互いにかかってると、
やっぱりかみ合わないっていうことが起きるわけですよ。
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まあそういうところに今回というか、
このお盆は築きやすいと思います。
特になんか自分が本当に、
前も言ったけど我慢してきたこととか、
なんかこれは嫌いだなみたいなのが明確になってくるが故に、
ここにいられないっていう人もいると思います。
例えば働き方、会社の在り方、
自分の中でもう我慢しすぎて、
もう自分は許容できない、
もうちょっときつく言えば許せないみたいなことが起きたとき、
生理的に合わないもそうなんだけど、
そういうのがね出やすくなってくるんですね。
これはね、非常に歓迎する出来事であって、
とっとと次行こうねっていう夏です。
はい、というわけで、
今日のお話があなたの人生の扉を開くヒントになりましたら嬉しいです。
ポッドキャストのラジオ番組、
魂に目覚める魔法の知恵袋も合わせて聞いてみてください。
こっちの方がね、分かりやすいと思います。
よかったらシェアとかね、是非していただけると本当に本当に本当に応援になって嬉しいです。
是非よろしくお願いします。
というわけでまた皆さんお会いしましょう。
ありがとうございました。
ではでは。