00:05
人生ついでにゆるっと覚醒してみちゃう?
こんにちは、こんばんは。 霊性開花の専門家、リアルスピリチュアリスト、橋本ゆみです。
この番組は、ビジネスや人生を変えていきたい方に向けて、エンタメでもファンタジーでもない、リアルなスピリチュアルで人生を切り開いた、ゆるっと覚醒マインドをお届けします。
ですが、今回のテーマは、めちゃくちゃつれずれなる話。
睡眠に寄与するかもしれないということで、本当にくだらない話をちょっとしてみようかなと。
くだらないかどうかわかりませんが。
まあまあ、ポッドキャストでもたまに出てくる。
カフェで隣の女の子たちが話しているのを横で聞いている番組みたいな、そんな感じで。
適当に話している橋本のあれこれを、こっそり盗み聞きするような、今日はそんな時間でお届けしたいなと思います。
昨日もね、いろいろ話が広がりすぎたんですけど。
11月に制限解放ワークショップ、リトリートをするというところで、いよいよ東北に行くんですが、
あんまり東北出身でない限り、東北に行くってあんまりないですよね。
あんまりないんじゃないかな。みんな好きとか好きな人でも、
東北と言っても、東と西でかなり違うんでね。かなり違うんでね。
青森とかに行っちゃうと、青森には4つの国があるっていうくらい違うんでね。
青森を東北と言っていいんだか悪いんだか、東北なんですけどね。
そういう東北の話を知り合いに、今度リトリートで東北にやっと行くんだよね、みたいな話をして。
東北って言われて、東北ではなんと岩手って言ったら、岩手だとパワースポット的な意味でね。
平泉と洞窟、流線とかぐらいじゃないの、みたいに言われて。
そこはいい、どっちもめちゃくちゃいいとこなんですけど、違うんだよって話をして。
何もないよね、東北って言われて。東北にはね、みたいな話をしてたんですよ。
先行で案内しているので、本当にごくごく一部の方にしかお申し込みとか情報のシェアしてないんですけど、
03:11
そのうちなされるんで、ぜひ来てもらいたいんですが、
遠方の、九州だったかな、飛行機とかの都合もあるから、詳細がまだ出てない、まだこれからなのはわかるけど、ちょっと知りたいですっていうお問い合わせもいただいて、
その方にはね、受講生に渡している先行の案内と申し込みをお送りしたりして。
そのお問い合わせの時に、おそらく自分で行こうとすら思わない、みたいなことが書いてあって。
こんな機会なかったら行かないな、みたいな。
そういう場所かもしれないなと思いましてね。
それこそ伊勢とか京都とか奈良とか、九州あたりもすごい好きで、九州も行くんですけど、
その辺はやっぱり、行きたいって人はやっぱり多いからね、行く人も多いわけなんですが、
東北はね、本当に独特なんですけど、前回ちょっとだけ話してた、アミニズム的な部分が非常に生きている。
東北でも、左側は秋田になっていくわけです。山形、秋田。秋田は縄文の遺跡が有名なんですけど、
やっぱりその縄文時代の人たちっていうのが北の方なんですよね。
下の方はね、日本になる前の和の国のね、その辺の弥生と縄文の定義が、生息地っていうのかな。
まあまあ、知りたい人は調べてもらうと、私のね、この庭科の話よりもちゃんと調べると楽しいと思うんでね。
調べてみたらいいと思います。
まあまあやっぱりね、その縄文人と弥生人っていうのが出会っていく中で、
一世のあの辺りとか、もうちょっと下か、どんどんやっぱりね、下から北上していくわけなんですよね。
太陽に向かってね、東へ東へ、そうすると上へ上へってなっていくわけなんだけどね。
その辺の歴史的なものっていうのも結構面白いなって、個人的には思っています。
06:06
まあそんなわけでね、本当に東北独特の文化と気質っていうのがあって、
あんまり私沖縄はピンとこないんだけれど、南が好きな人って南が好きなんだよね。
あったかいとこ好きな人って、なんかもうDNAなのかね、共通してるよね。
あったかいとこ好きよね。
悪い意味でも何でもなくて。
やっぱその天見とか、沖縄あたりで活動、沖縄あたりでじゃないんだけど、
浸透系の活動されてる方だったかな。
なんかね、その天見の歌があるわけね。
何年か前にアイヌと天見のコラボみたいなのがイベントであったんだけど、
そこにも携わってたのかな、ちょっと忘れちゃったんだけど、
その話をしてた時に一番興味深かったのが、
やっぱり民謡の中で非常に似ていると、節とかリズム、音楽がね。
民謡の全然土地離れてるんだけど、非常に似ている。
歌詞の中でね、東北の北の方が恨み節が入るっていうのが非常に面白くて、
そのね、やっぱり気質がそこに出てるなっていうのがね、
本当にあったかいところと寒いところだとね、やっぱりね、気持ちが違いますんでね。
言葉も違うしね。
東北はやっぱり独特ですね。東北の地が混ざってるから、
祖母はね、やっぱり東北だから。
私の中では全てはしっくりしてしまうんですけど、
やっぱりね、独特なんだなっていうのがわかってきますよね。
非常にね、我慢強さというか、力強さというか、
あと自然に対する異風というかね、語る自然との共存っていうことのやっぱり強さっていうのが非常にあって。
まあでもウェットなんだよね、あっちのほうがねっていう。
だから割と、なんだ、キラキラスピリッツのような、
フォーカスされにくいですね。
なんかね、山節とか好きな人はね、立山とかではさんざんとかね、あっちのほうになっていくんですけど。
山節、修玄道系も経済的にね、
09:02
山節というか修玄というかとかね、
山節がいい、
木がいいとか言って、
木がいいの。
だからやっぱりね、
木がいなくなっちゃったり、
木が吹かれない時とか、
木が悪い時とか、
ユウカとかね
そしたらヤマブシガイ
ユウシガイとか言ってる
あの人に犬って書くところがね
最高、最高ですね
狼も生息地って上の方なのかな
そういえば
もともとやっぱりなんか狼っていうのは
昭和、昭和でアニメにもなってたしね
狼題材のね
なんか狼とかっていうのはやっぱり
なぜか昔から神話性があって
親しいの方ね
なんとな、なんだろうね
もうやっぱり
刻まれてる記憶なんでしょうね
北、北の
北に行けばいくほど
そういう動物とかとの繋がりっていうのとか
あと山との
山岩とかとのね
繋がりっていうのが
他もあるけど
他もあるけどすごく密着していくっていうのかな
そういうのがね
ありましたね、ありましたねとか言って
閉鎖的っちゃ閉鎖的だしね
寒いからね
寒い中生きるの大変なんでね
必死にね
私は別に東京生まれ東京育ちなので
その寒さを
寒さの中を生きたことはないんだけれど
まあやっぱ厳しいよ
厳しいよ行くと
寒い時にね
なぜか寒い時に北に行くのが
多いんですけど
元旦正月青森に行って
その年
歴代でもすごい
記録的な豪雪みたいなところで
2メートルぐらい積もったとかだったかな
忘れちゃったけどね
なんかえらい積もった中を行って
まあ大変だったんですけど
とはいえね
青森の
青森じゃない
広崎か行ったな
町なんでね
まだまだいいんですけど
本当にそっからね
ちょっと車に乗って
タクシーかな
もう行けないよみたいな
12:01
雪かき分けて行った時があったりしますね
まあ大変
今日つれずれなる話なんでね
東北の
でも東北の人と会うこともあって
やっぱりなんか話すとね
いろいろ懐かしいななんて思いながら
お話しするわけです
不思議と全国各地に
クライアントさんがいるのもあるし
なんか私自身が一時その
ほういとり神社が
現実に及ぼす影響が
どれぐらい本当にあるのかっていう
検証をしたのもあって
まああちこち行ってるんですよね
あちこち行ってる
今ね神社何千とかも回って
神社なんだ
マイスターみたいな人もね
いらっしゃって
そこまで行っちゃいないんだけど
そこまでは行ってないけど
割とでもね行ってる方ですよ
今もっと行ってる人の方が
多いのかもしれないけどね
まだ行ってない土地もあって
いつか行こうかなと思ってますけどね
去年東北は
毎年じゃないけど
ほういを見て去年も行ってて
去年はやっぱりね
蛇の神社さん行ってきたんですよね
たつの年に蛇の神社
今回のツアーでも
蛇さんと竜のね
おあすところに行くわけなんですけど
蛇っていうのもねまた面白いもんで
竜も面白いけど
元をたどると蛇に行くんですかね
東洋の占いとかだとね
たつの年っていうのは夢見がちというかね
非現実の生物なんでね
そういう生物の年を
現実に実らせる
身年みたいなところで言われたりもします
去年いろいろ思い描いてたものが
今年ね身をもって体験したり
身年だけに
身になっていく
そんな年なんですよね
上から下に降りていく流れなので
そうすると下から上にっていう流れも
等しく作っていくと
真ん中通っていく
これはヨガ的な話でもあり
後代の話でもあり
あとなんだっけな
15:00
そんぐらいかな私が知っているのは
物事の説理になっていきますんでね
面白いですよ
いろんなことが隠されていて
東北のゲートっていうのは
本当に独特なものがあるので
これは体験しないとわからないよね
っていうところですね
そういうところがあります
いろんな場所でゲートはあって
質が違くって
その都度エネルギーの流れと
時代の流れと
行く人々の調整みたいな部分とあるんでね
非常に原始的で
東北のリトリートっていうのは
非常に原始的でもあり
生物的でもあり
生と生っていうところにも結びつくような
深い動物としての人間と
冷静としての人間っていうのが
融合統合しやすい場所になっています
非常にシャーマニック的な取り組みになるのではないかと
一人ワクワクしてます
一人ワクワクしてます
明るい未来が用意されているけれど
明るい未来がうまく見えない人は
何かもやもや生きづらさを感じてしまう時代でも
あるんじゃないかなと
前回の話にもちょっと通じるんですけどね
何だかわからなくても
光が差す方が見えるっていうのでもいいし
あるいはなんかね
のろしが上がるじゃないけど
なんか自分の中で
あっちに行けばいいんだなっていう
フラグでもいいんだけど
なんかそのやっぱりね
方向性っていうのは
体験を通じてでしか得られないんですね
どんなに考えても難しいんです
なぜなら考えるって
過去のリソースから
引っ張ることしかできないから
ひらめくは別次元から来たりするんだけど
考えるはやっぱりね
非常に制限がかかった状態で
こねるっていうことなので
18:00
つべこべ言ってる人は
べこべにしかならないと
つべこべ言うよりやっちまいなってやつですね
これはもうずっと言ってることなんですけどね
なんだかんだ言って動かない人は
そういう人生を体験するっていう
選択をされたということで
あまんじてあべこべしたらいいと思います
これは別に嫌味を言ってるわけではなく
それをね
自覚するってすごく大事だと思うんですよね
自覚した上で変えたいのか
それでも変えることが怖いから
やっぱり続けますなのか
それは自覚して選択していれば
私はどっちを選んでも
自分で決めたことになるから
自分を生きることには
繋がるんじゃないかなと
このように考えるわけです
なのでね
ただ私自身は
変わりたいという人しか
お手伝いできないから
そこは明確なんですよね
変わりたくない
嫌だなっていう方は
それを選択されるんですね
どうぞ自分の道を続けてくださいませ
っていう話でしか
そこまで言う権利も何もなくて
あえて言うなら
そういうふうに考えるっていうだけなんですね
なのでね
やっぱり自分が前回の話と繋がりますけど
何を選択するか
何をしたいかっていうより
何を選択していくか
選択の連続なんでね
選択の先に得られるものが分かってくる
選択しない限り分かんないわけなんです
選んで一歩進んで
体験しない限り分かんないんです
私の猫さんを飼うっていうのは
猫の前にうさぎを
12年前亡くなって
うさぎが
だから20年前ぐらいにうさぎを飼っていて
10年ぐらい
10年半生きたんですけど
大王女です
うさぎさんにしてはね
そのうさぎさんを飼った体験があって
獣はね獣と生きたいっていうのがあるわけなんです
あったわけです
ちっちゃい時なんかは前足があったので
21:02
絶対ペット飼えなかったんですね
祖母が亡くなって
うさぎさんを迎えて
またやっぱり
ペットロスっていうのを人生で初
自分がまさかペットロスになるとは思っても見なかった
本当に思っても見なかった
私がこんな
私がって
そういう言い方しかできないんだけど
自分自身が本当にびっくりしましたね
なんか私こんな感情あんのみたいな
すごい嫌な奴みたいだけど
でもそういう奴だと思ってたんですよ
自分自身をどういう奴かって
あまり情が薄い人なんだな
情は厚いんですけど
なんて言ったらいいのかな
ペットを飼っている人みたいな
なんだろうその
ハートあふれちゃってるみたいな
印象だったんです昔
そういうペットをかわいがっている人たちが
かわいがっているんだけど
私から見ると過剰な感じに見えてしまっていたわけですね
私からするとね
それぐらいちょっとドライというか
そんな私がですね
もう死に目を見送るときに
もうボロボロ泣いてですね
大変なペットロスっていうのを味わって
こんなに大切な存在になってたのか
初めて気づくわけです
途中でも気づいてるんだけど
やっぱり失った時の喪失感たるや
もう言葉にできないレベルですわ
やっぱそれを体験してね
その前に祖母のね
喪失っていうのは人生で一番の
一番つらい
何よりもつらい出来事だったわけですけど
やっぱりそこにもつながるような体験をして
だからそれこそね
ペットを飼うっていうのも躊躇してたし
猫さんっていう
動物をあんまよく知らなかったから
基本毛のものが好きっていう
やっぱ触り心地とかすごく大事で
犬さんも好きなんですけど
飼いたいと思ってるんですけど
やっぱ触った時にフワフワが
フワフワだからね猫の方がね
それ言うと犬もフワフワよって
絶対犬好きには言われるんですけど
何が言いたかったかって
ペットロスもそうだし
猫を迎えるもそうだし
うさぎと違って猫は
本当に人間の子育てと同じぐらい
大変でしたって言おうとして
24:00
嫌ですかってなって
今は弟子弟子ってなったんだけど
ピークまたあるのかもしれないけど
やっぱ迎えてすぐ下痢して
10日以上ってもうね
相当心配して大変だったんですけど
まさかそんなに心配するとも
思ってないっていうかね
予想すらしてないんですよね
予想すらしてない
使ってない感覚感情っていうのが
やっぱあったんだなと思って
予想もできないし
それがあるっていう認識もないから
出てきた時に
わあ興奮なんだ私と思って
びっくりするっていう
これだからこそ体験しなきゃ
分かんないってことです
だからこそ体験しなきゃ分かんない
猫を飼ったらオキシトシンが出て
なんかいい感じになる
これぐらいの知識とかね
猫はいろいろ守ってくれるよとかね
守り神なんですけど
猫さんはねお家のね
そういうのとか頭では分かってるんだけど
実際一緒に住んだり飼ったり
世話したりっていうことをしていくと
まあ大きな意識改革
もうパラダイムシフトですよ
マジで
あんまり横文字
たまに言うけど
あんまり使わないように
意識してるんだけど
ここは使いたい
ここは使いたいって思って
今言っちゃいました
パラダイムシフト
意識が変わったよっていうことですね
ほんとね
このシフト感はね
体験しないと分かんない
なので
スピリチュアル
本当嘘とか怪しいとか
そういうふうに考える前に
実践したら
やっぱりいいと思っちゃうんですね
私は
実践するにしても
学ぶって確かに大事だなっていうのを
昨今
強烈に感じています
別にだからうちに来いとか
そういう話をしたいわけでは
一切ありません
そんなことはどうでもいい
どうでもいいとか言っちゃいけないね
言っちゃいけないね
一応ね
仕事にしているという
ことなので
それを選択しているので
やっぱりね
そこからぶれちゃいけないなって
私自身は思うんですね
なのでなんだろう
スピリチュアルで
お金を取る取らないみたいな話が
出たりするんですけど
これも私の中では
自分の中ではね
明確な線引きがあるんです
私の
考えであり
27:03
そしてこれまでの体験から
ここがちょうどいいっていうのを
見つけてきた流れなので
これが正しいとか
そういうことを言うつもりは
さらさらないんですね
ただ自分の中で
本当に明確にあるので
ビジネスとしての
ありようと
もう本当になんだろう
スピリチュアル
スピリチュアリティ
精神世界
っていう一つの
物体として生きている
ところでの
霊的な
存在
なんて表現したいんだ
霊的な
成長のほうか
進化
どっちでもいいんだけど
そうね
霊性と
なんて言ったらいいのかな
神性と
なんて言ったらいいんだろうね
もう一つ単語が浮かばないな
現実的なこの肉体も含め
全部が何かで繋がっていて
やっぱりその何かの
営み
流れ
それは
光だったり振動だったりで
この世界では感知される
ものなので
そこにやっぱりね
行き着いていく
ありようと
二つ自分の中にあるわけですね
二つあるわけです
どっちかに行き過ぎると
私の場合は
何か片手落ち感が出てしまって
例えば霊性というと
方法での意識を
フォーカスしすぎてしまったら
この肉体である必要性というのが
あるんだけど
なんかあんまりなーってなっちゃうわけです
それは高音声でやりたいこと
でもないっていうのもあってですね
そっちに行ってしまう時があるんですが
行き過ぎないというか
そこに手を伸ばした時には必ず
肉体から手を伸ばすというか
なんだろうな
そっちにただ行くんじゃなくて
こっちあっちだ
こっちに行くとしたら
こっちとあっちだとしたら
30:00
こっちにいながらあっちにも行くみたいな
あっちにだけ行っちゃわないということですね
それは逆に
こっちにだけい続けるということも
私の中では片手落ちなので
あっちとこっちはずっと
い続けながらもバランスを
その都度取りながら
世界と調和して
それをダンスという人もいれば
私の中では音楽という感覚なんですね
だから目で見るか耳で聞くか
体で感じるかの違いなだけですね
ダンスという人は体で感じている人だし
音という人は耳がね感じる
耳が発達しているとも言えるし
なくなっても耳だけは残っているんでね
意識がなくなって心臓が止まっても
耳の機能は最後まで
誰が言っていたか忘れちゃったけど
誰かが2時間ぐらいは耳は聞こえていると言いますね
確かにやっぱりそうなんだよね
聞こえてるんだよね
聞こえてるんだよねっていうのは
死んだときの一個記憶があってですね
確かに体から抜けても
耳も聞いてたなっていう記憶が
なんかあるんですよね
この辺はね体感でしかないんですけど
そういうのがありますと
なのでね今日つれずれなんで何の答えもない
私のもじょもじょ話してる話を
聞くっていう
聞くっていうか
聞かせようとも思っていないというか
ただもにゃもにゃ話しているけど
じゃあそれをなぜネットに上げてるのか
っていう話になってくると
ただの自己満足とかそういう話になってきますね
それでいいんじゃないかなって
本当に思うのでね
この時代そういう人がね増えている中で
やっぱ自分がどうあるかを見つめていく
何かヒントになったらね
嬉しいなあというところでございます
一応先ほど言ったように
スピリチュアリティの部分の要素と
リアリティなリアリズムの要素が
私の中では2つ融合じゃない
統合して存在していますんでね
ぜひうちのワークショップに来ていただければと思います
本当にこの制限解放ワークショップは
33:02
もう年一開催するぞと
昔から本当にね企画というか
腰淡々と時期を待っていて
いよいよ去年から始まって
年にぐらいできたらいいなと思いつつ
どうしてもね養成講座もあるから
年一合宿形式できたらいいなというので
養成講座がお金がちょっと区面できなかった人はですね
この制限解放に毎年参加してもらえればと思います
本当にね1年持つからね
ここ出ておくと1年持ちますんで
いろんなことが
持たない人は早めに養成講座来てもらえれば
もっとスピーディーになってきます
自分が楽になっていくってことですね
生きやすくなっていく
自分自身としてこの世界に存在することが
意味がつかめるし
どうしたらいいかも分かりやすくなるし
非常にシンプルになって
存在生きてるだけで人に貢献するっていう
フェーズに入っていけるように
誰もがもうそういう存在なんだけど
やっぱり認識できるかどうかって結構大事だと思うんで
それが意識に挙げられる
認識して生きられるっていうのは
生活の充実、生きがいなんかにもつながってきますんでね
そこを育てる、教育していくっていうのが
私の会社のフィロソフィーなわけです
子の自由と大人の教育っていうフィロソフィーがあるわけですが
まさにそこにつながっていきます
ということで
本当つれずれなる話で
どこからか眠たくなっている人もいるかもしれません
もうすでにお休みの方もいるかもしれません
だいぶ長く話しましたので
今日のお話が何か
何か人生の扉を開くヒントになったら嬉しいです
またポッドキャストのラジオ番組
魂に目覚める魔法の知恵袋もぜひ合わせて聞いてください
ぜひぜひ
そしてぜひシェアなどしていただけると
それはインスタ記事とかでも嬉しいです
ぜひぜひシェアお願いします
というわけで
今日もありがとうございました
またお会いしましょう