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おはようございます。この放送は、想いのままに生きてみようラジオということで、小学生の年号男女を育てながら、出社ベースのフルタイム会社員をしている私、つるが、日々の想いや気づきを語る番組です。少しのお時間お付き合いいただけるとありがたいです。
毎日、朝、まともに喋り始めるのが、この放送の収録からという、おはようと、パン食べて、歯磨いてという単語しか、ほぼ、朝、子どもたちとは話をしていない。
その後の、声出しをしているのか、していないのか、寝起きの一発目にほぼ近い状態で、毎日、この放送を撮り始めると、舌が回らないというところです。
今日も、朝から、ちょっと喋ってから、出勤したいと思います。
今日のテーマは、小学生の時に自分が宿題していなかったのに、子どもに宿題をうながし続ける自分に違和感しかない話です。
皆さん、ご自身の心に聞いてみてください。
小学生の時、宿題していました?
普通の時もそうです。長期休みの時も。
どうでした?
やっていた人は、やっていた人はやるのが当たり前だと思って、大人になってからも、自分がやっていたように、課題は期限までに、ちゃんと提出するのが当たり前と思えると思うんですけど、
私、宿題ってあんまりした記憶がないんですよ。ほとんどしていなかったと思います。
特に、平日、ウィークデーなんていうのは、運行を全然していないです。
家に帰ってきてから、かすかに小学校1年生ぐらいの時に、音読の宿題をしたような気がするんですけど、それも小学校1年生の最初の時ぐらいしかした記憶がないです。
そんなに長いこと音読って、もしかしてずっとずっと出てたの?その宿題っていう、あのようなところなんですけれども、
小学校低学年1年生の時の音読の宿題をやってた後、夏休みは、いわゆるこの問題集的なものをやった記憶がほとんどなくて、
読書感想文だとか、貯金箱作るだとか、工作するか絵描くかみたいなのと、あとは小学校の高学年。
4年生だか5年生ぐらいになると、自由研究をしましょうみたいな形で、の中から1個2個やったかな、ぐらいなような記憶しかないんですね。
読書感想文に関しては、全員出しなさいっていう風になっていて、それを出さずにいかに先生が諦めるまでずっとやらないかっていうところをやっていたら、
先生も10月ぐらいになるともう言わないっていうところを学習した小学校高学年の時だったような気がします。
そんな状態の私がですね、子供が小学生になったからといってね、子供はムカつい懐かしい状態とあんまり変わらない感じでね、出てくるわけですよ。
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宿題が音読をしましょうとか、今は計算カードね、簡単な足し算引き算みたいなカードがね、単語帳みたいなカードがいっぱいある中で、
それを一冊やってそれのタイムアタックをしてその記録を取ってきましょうみたいな宿題がウィークデイも出てるわけですよ、休みじゃないとき。
夏休みもそれを毎日やりましょうっていうのが2年生だし、2日に1回ぐらいまとめてやっても別にいいかなっていうところのが1年生で、
ちょっと2年生より回数が少ないというようなのが出てるんですけど、学童に行ってるんでね、冊子のこのドリル的なところは、
もうやっといでっていうふうに学童のほうでね、お勉強の時間を1日30分から1時間ぐらい設けますので、
学習教材持ってきてくださいよっていう話があったので、夏休みの宿題は持ってきますよね。
一応それは一通り埋めましたというようなところを学童でやってもらっているので、1個は終わったと。
それ以外のところ、あとは絵日記を数日分書くっていうところと、あとは計算カードをやるっていうのとか、読書をした記録をつけましょうとかっていうふうになってるんですけど、
まあまあ言うわけですよ、私。これの宿題はいつ頃する?みたいな。
絵日記に関しては、2人とも一応なんか書きました。
これ次男が面白いところが、お祭り花火大会に行ったところじゃなくてね、プールに行ったとかね、
そういう夏のビッグイベント的なことじゃなくて、本当にパパと一緒にハードオフに行って、
スーパーファミコンの中古のものを探して買ってきたとかね、ソフト買ってきたとかね、ドライブ楽しかったとか書いてて、
この子の夏のハイライトはハードオフなんだっていうね、いうようなところにちょっと面白いなというふうに思ったわけでございます。
長男は普通にね、お祭りに行った花火大会に行った話を書いてました。
で、いうところでね、宿題あるんだったらね、やるのどうするの?ってね、いつ頃する?みたいな、やろうねみたいな話をしているにもかかわらず、
小学校時代は自分は全然宿題しなかったし、親もね、あんまり厳しく言わないようなところでした。
言っても聞かないって思ったのか、どうなのかよくわからないんですけど、
どんな宿題が出てて、どこまで子供が進捗している、進んでいるかなんていうチェックはしないで、たまに宿題しなさいよというところで、
一応最後の最後に何も持っていかないっていうのはちょっと罰が悪いなっていうふうに思って、
夏休み最後の1日2日で1個絵を描いてみたり、1個工作してみたりっていうようなことで、
いやいやとりあえずやっつけで、読んだような読んでないような本の読書感想を書いたこともありました。
そんな状態の自分が子供に宿題をしなさいって言っていると、本当に毎日自分の中で違和感しかないんですよ。
宿題なんかやらなくても、自分がやらなくてとりあえず大人になって、一応社会生活を営めているので、
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今この子供たちにこんなに宿題を促す必要っていうのはあるのかと。
その宿題をする意味は何なのか。
確かに自分の記憶の中の1年生の時、2年生の時の算数も足し算引き算とかはそんなに苦がなくできたというか、
できるようになったという中で、次男とかは、次男も長男もできないわけじゃないんですけども、
なかなかこなしている数が少ないのか何なのか、ちょっと時間かかったりするので途中で飽きちゃうっていうのもあるんですけど、
そういったところはやっぱり慣れさせるために数を出すっていうのは必要になってくるのかどうかと思いながら、
自分よりも当時の自分の記憶より、いや、持ってるかもしれないですよ。
自分の記憶なんで、自分もそれくらいできなかったかもしれないんですけど、
その時の自分の感覚的なところよりも、この子たちこれすぐに理解できるのは何でなんだっていうような感覚の中だから、
やっぱり宿題っていうのはした方がいいのか、いやでも宿題は別にしなくったって、
他にやりたいことがあってやってるんだったらいいじゃないかと。
次男なんかだと本当に毎日大好きな信号機の工作作ったり、信号機の絵描いたりするのに忙しいわけですよ。
あとは上の子とかパパと一緒になってスーパーマーケットしちゃったりしますけれども、
その中で計算カード、計算カードするぐらいだったら多分タブレットでどんどん一問一問出てきて、
当たればピンポンピンポンみたいな、間違えればブンブーンみたいな感じでどんどんサクサク進んでいくような教材の方が多分楽しんだろうなとか思いながらも、
この計算カードっていうシステムは記録を取って提出させた方がいいのか、無理でもやらせた方がいいのか、
ちょっとやっただけの記録で出したっていうのもありなのかどうかということを日々自分の中で葛藤しながら子供たちに一応宿題というふうに声をかけているという、
毎日自分の中の矛盾が止まらないというお話でした。
皆さんどうですか。
お子さんが自分から宿題やるような形で上手いこと習慣づけできた方はそんなに苦労してないのかなというふうに思うんですけれども、
あんまりこの宿題に興味を示さないお子さんで、自分がなおかつあまり宿題してなかったタイプの方、そこに関してはどういうふうにお考えになります。
私はもう自分の中の矛盾が止まらないのが本当に毎日思っている次第でございます。
それでは今日も真面目に出勤したいと思いますので、そろそろ出勤の準備します。
ここまで聞いていただいた方ありがとうございます。
それではまた。