色欲の影響
吉村ジョナサンの高校古典講義、今回は、徒然草からご紹介いたしましょう。
今回は、第8弾からお送りいたします。
まずは、本文をお読みいたしましょう。
世の人の心惑わすこと)
色欲にはしかず)
人の心は愚かなるものから)
臭いなどは仮のものなるに)
しばらく衣裳に炊き物すと知りながら)
得ならぬ臭いには)
必ず心ときめきするものなり)
久米の仙人の)
物あろう女の萩の白きを見て)
痛を失いけんは)
誠に手足)
肌柄などの清らに濃え)
油づきたらんは)
他の色ならねば)
さもあらんかし)
今回は、色というものが出てまいりますね。
まず最初に、世の人の心を惑わすこと)
世の中の人の心を惑わせるものは何かというと、
色欲にはしかず)
色欲にはしかずというのは及ばないという意味です。
色欲には及ばないというんですね。
色欲という言葉は、
現代でもかろうじて通じるところはあるかもしれませんが、
性欲とか何かそういうエロティックなものに対して、
人の心を動かしてしまうようなことを、
だいたい全般を色欲と表すことが多いですかね。
そういった色欲というものが、
最も世の中の人の心を惑わせるんだというんですね。
人の心は愚かなるものかな。
人の心は愚かなものだなというんですよ。
色欲に惑わされるものなんだということなんですね。
匂いなどは仮のものなのになるに。
この匂いって出てきますが、
ここでの匂いっていうのは、いわゆる香りのことなんだと思うんですね。
香り、匂いなんかは仮のものである。
仮のものっていうのはどういうことかっていうと、
いわゆる香水のようなものを思い浮かべていただくといいと思うんですね。
体の体臭のようなものとか、
あとは食べ物の匂いとか、いろんな匂いというものがありますけれども、
ここではおそらく香水、
当時の香水に当たるようなものというのが、
おそらく着物にお香の煙を当てるんですね。
そうすると煙で匂いがつきますよね。
それで着物から非常にかぐわしい匂いがすると。
こういうふうにして香りをつけるというのが、
平安時代くらいの貴族からあるわけなんですね。
おそらくそれを指しているんでしょう。
その匂いっていうのは仮のものである。
まあそうですよね、一時的なものですよね。
ずっとその匂いが続くものではないわけです。
着物に焚きしめた香りとは知りながら、
着物に焚きしめた、
焚きしめるっていう言い方を言いますね。
一緒に焚き戻す、
焚き戻すっていうのが要するに、
煙を着物につけることを言うわけですね。
ですから、
本当に一時だけ、
一時的に着ている服に煙で香りをつけているんだと
分かっていながら、
得ならぬ匂いには、
得ならぬ匂いっていうのは、
もうこの世のものならぬとか、
たまらないような匂いっていうものには、
必ず心をときめきするものになりたいんですね。
必ず心をときめかせるって言うんですよ。
ですから、もう一時的なもの、
要するに仮染めのですね、
言ってしまえば、
嘘だと分かっている、
嘘の匂いだと分かっていても、
どうしてもその香りにはグッときてしまうと。
現代のいわゆる、
アロマ的なものっていうのも、
当然ね、それが自然の香りだって、
普通は思わないわけですね。
だけれども、
それにドキドキしてしまうことはあるわけですね。
それに続いてある部分は、
久米の仙人のエピソード
具体例が今度出てきます。
ちょっと読みますね。
くめの仙人の、
こちらでくめの仙人という方が出てくるんですね。
くめの仙人という方が、
物洗う女の萩の白きを見て、とあります。
物を洗う、だから洗濯をする女の、
萩っていうのはすねのことです。
すねの白いのを見て、
痛を失いけん。
痛というのは腎痛力のことですね。
不思議な力、仙人が持っている不思議な力を、
失いけんは、
失ってしまったのは、
これはエピソードとして、
どうやらあるくめの仙人という仙人が、
不思議な力を持って、
非常にたぶん、
純粋な心持ちで、
穢れなき心を持っているからこそ、
使えるような不思議な力を、
洗濯をしている女性の、
すねの白い様子を見てしまった。
足ですね。
色っぽい足の様子を見てしまったことによって、
おそらく不純な気持ちが湧き出てしまって、
腎痛力を失ってしまった、
というエピソードがあるようなんですね。
洗濯というのも、もちろん当時のイメージとしては、
革で洗濯をするわけですね。
ですから、革で洗濯をするときに、
どうしてもこの足元というものを、
まくり上げたりすると、
そうすると、色の白い足なんかが出てしまって、
それが色気を誘うということなんでしょうね。
さらに足の様子が具体的に描かれます。
まことに手足、肌へなどの、
手足や肌へというのは肌ですね。肌などの、
清らにこえ、脂づきたらんは、
清らかにこえて、
程よく肉づきが良くて、脂づきたらん。
非常にふっくらしている様子なんでしょうかね。
艶のある様子と言ってもいいかもしれません。
その様子が、他の色ならねば。
色っていうのは基本的に、
こういう色欲のようなもののことを言いますけれども、
色んな色欲のものの中でも、
非常にこの女性の姿というのは、
色っぽいものに感じられたと。
その時の手足や肌の様子っていうのが、
非常に色っぽく感じられたので、
さもあらんかし。
さもあらんかしというのは、さもあらん。
そうであったのでしょうよと言うんですね。
当然ですよね。
そりゃあ、どうしてもいくら千人といえども、
色欲をかきたてられてしまいますよね。
それで人通力を失ってしまいますよね。
という内容になっております。
まあそういった、いわゆる色欲というものっていうのが、
人をまどわしてしまう。
ましてや、その純粋な気持ちを保とうとも、
千人の心すらまどわせてしまうものだ。
ということを書いているようでございます。
では最後にもう一度本文をご紹介しましょう。
世の人の心をまどわすこと。
色欲にはしかず。
人の心は愚かなるものかな。
匂いなどは仮のものなるに、
しばらく衣装に炊き戻すと知りながら、
得ならぬ匂いには必ず心ときめきするものなり。
久米の千人の物洗う女の萩の白きを見て痛を失いけんは、
誠に手足肌絵などの清らに濃え油漬たらんは、
他の色ならねば差もあらんかし。
今回はつれずれ草からお送りしました。
出展は門川ソフィア文庫ビギナーズグラフィックス日本の古典からお送りいたしました。
お聞きいただいてありがとうございました。