年寄り髄脳の背景
それでは、古典講義を始めてまいります。
今回は、大学入試共通テストから2023年度本試験の国語から第3問の古文を扱っていきたいと思います。
今回の出展は、源の年寄りによる年寄り髄脳という作品でございます。
年寄り髄脳という作品ですけれども、こちらは家論書ですね。
なんとか髄脳ってつくと、この髄脳っていうのは家論書につける名前なんですね。
髄脳っていうくらいですから、
神髄とか奥義とか、そういうような感じで和歌についての何かしら神髄奥義のようなものを示したものというニュアンスなんだと思います。
この源の年寄りさんという方なんですけれども、
この方、有名なところで言うと、もちろんこの年寄り髄脳という家論書で有名ですし、
あとは今回の出展でも、この問題の方ではなくて、
本文じゃなくて、説問の方で三木貴歌集という詩歌集がありますね。
こちらが源の年寄りの和歌集だということですね。詩歌集ということになっております。
この家論書というものがありまして、これは何かというと和歌について解説している本なんですね。
そういうもの、家論とか家論書ということがあります。
いろんなものがありますけれどね。
その中でも特に有名なものの一つがこの年寄り髄脳でして、
この源の年寄りさんという人。
今回の文章の中でも、年寄りさんの子供として、
源の年寄さんという方が出てきますね。
この三木貴歌集のところですね。そこで年寄さんが出てくるんですけれども、
それ以外にも有名な子供として、春江という方がいらっしゃいます。
出勤したときの名前で春江と読ませてますけれどね。
この春江さん、なぜ有名なのかというと、この方は鴨の町名の先生なんですね。和歌の先生なんです。
鴨の町名、ほうじょうきで有名な方ですね。
そのほうじょうきで有名な鴨の町名の先生が春江。
その春江のお父さんが源の年寄りなんですね。
鴨の町名というのは非常に和歌もよくしました。
歌論書として無名称というものも書いております。
その鴨の町名の和歌の先生が春江。
そのお父様が源の年寄りだということです。
つまり非常に和歌について優れている方なのだ。
そもそもだからこそ年寄り随能という歌論書を書くわけですよね。
そのようなことがございます。
船遊びの準備
その年寄り随能の中からのお話です。
今回読んでいただくと、歌論書とあるんですがお話になっているんですね。
一つの物語のようになっております。
これは何かというといわゆる節話なんですね。
和歌に関係のある節話なんです。
節話というのは何か物語、特に昔話とか神話のようなもの。
あとは噂話のようなものとか、そういったものを節話と言っていますが、
今回の場合は源の年寄りがおそらく実際に経験したであろうエピソードが節話として載っているわけなんですね。
つまり和歌に関わる何かエピソードがあって、それを紹介している部分だということなんです。
リード文にあるところを少しお読みしましょう。
次の文章は源の年寄りがあらわした年寄り随能の一節で、
天上人たちが皇后寛氏のために、ひろこさんですね。寛氏のために寛氏の父、
藤原より道の邸内で船遊びをしようとするところから始まるとあります。
当時、皇后宮、皇后様として寛氏さんという方がいらっしゃいました。
その寛氏、ひろこ様、皇后の寛氏様のために船遊びを開こうということになったようなんですね。
船遊びというのは何かというと、宮中だとか貴族の屋敷には小さい川やり水といったりもしますけれども、川のようなものがあるんですね。
それで川が邸内を流れていて、その先に小さな池があって、そこに小さな島が浮かんでいるというような庭の作りになっているのが、
この高貴な方々のお屋敷だったんですね。
なので、この邸内に川があるんです。
その川のところで船遊び、船を浮かべて、それに人々を乗せて、そこで何か和歌を詠んだりとか、景色を眺めたりとか、
何か官弦の遊び、つまり楽器です。楽器を演奏したり、なんていうことをしていたというんです。
それをしようと、この寛氏様を、ちょっといろいろなことがあったみたいで励まそうとするとか、元気づけようという意図で、どうやら船遊びをしようとすることになったようなんですね。
なので、今回の場面は船遊びの場面です。
何か船で、みんなで何かをしよう。
じゃあ、船を使って何をするのかっていうところも、ちょっと考えながら見ていきましょう。
段落ごとに読んでまいります。
まず一段落目のところを一通りお読みしましょう。
宮塚さども集まりて、船を売買がすべき。
もみじを多く取りにやりて、船の館にして。
船さしは侍の和歌唱をさしたりければ、にわかに刈羽かまそめなどしてきらめきけり。
その日になりて、人々みな参り集まりぬ。
おん船は儲けたりやと尋ねられければ、みな儲けてはべりと申して。
その後になりて、島がくれより漕ぎ入れたるを見れば、
何となく、ひたてになる船を二つ創造き入れたる景色いとおかしかりけり。
船遊びをすることになりましたので、宮塚さども。
宮塚さというのは、この官司、皇后宮ですね。皇后様。皇后様のお世話をする役職です。
その役職の人たちが集まって、船を売買がすべき、船をどうしようかということになったんですね。
船をどうしたかというと、もみじを多く取りにやりて、もみじをたくさん取りにやって、
取りに差し向けて、船の館にして、それを船の形にしたって言うんですね。
それで船を作ったって言うんですよ。
おそらくなので、もみじの木なんでしょうかね。木とか枝なんでしょうか。
そういったものを使って、船を作らせたって言うんですね。
それで船さしは、侍の若からんを指したいければ、船さし、船を漕ぐ人です。
船を漕ぐ人は、侍、勤めている、何でしょうね。
侍というくらいですから、少し敬語係のような、そういう人の中で若いもの、若い侍を船を漕ぐ人に命じて、
急なことなので、にわかにカリバカマ染めなどして、きらめき蹴り。急いでカリバカマを染めたと。
正式な服装を染めたりして、色を染めたりして、当日にふさわしいような衣装を用意した。
それが非常にきらめき蹴りですから、非常によくできているというか、よく彩られたものになっていた。
その日になりて、人々皆、参り集まりぬ。とうとう当日になりまして、人々が集まってきました。
おん船はもうけたりや、船は用意できたのかと尋ねられければ、お尋ねになったので、
皆もうけて準備できておりますと申し上げて、そういう確認をして、その後になりて、その時になりまして、
島隠れより漕ぎ入れたりを見れば、島によって隠れているところから船が出てくるというのです。
結構島って大きかったんでしょうね。その船が全部隠れるくらい大きな島なんでしょう。
この池のようなところの真ん中に島があって、その島の向こう側が船が隠れるくらい島が大きかったんでしょう。
そこの島の陰から船が出てくるのを見ていると、
何となくひたてになる船を二つ相続き、いでたる景色、いとおかしかりけり。
非常にこの船が2艘、ここでは船が2艘出てくるんですね。
船が2艘出てきて、その2艘それぞれにいろんな貴族、いろんな方々がおそらく乗っていたんでしょうね。
それぞれ船に乗っていて、その様子がひたてになるですから、非常に綺麗に輝いて見えるって言うんですね。
それが非常にいとおかしかりけり、素晴らしかった、素敵だったって言うんですね。
ということでここの場面、一段落目っていうのは船遊びをすることになったので、船を急遽用意することになった。
それはもみじを使って作った。
いざ用意ができて、船を動かす人は若い侍。
そして集まった人たちは船に乗り込んで、その船が島の陰から出てくるのが非常に美しかったというところでございます。
船遊びのクライマックス
それでは二段落目に移りましょう。
まずは通して読みますね。
人々皆乗り分かれて、歓迎の愚ども。
午前より申し出して、そのことする人々、前に起きて。
洋々さしまわすほどに、南の福厳堂に宇治の僧侶、僧侶の君と申しける時。
みずほうしておわしっけるに、かかることありとて、もろもろの僧たち、大人、若き集まりて庭にいなみたり。
わらわべ、ともほうしに至るまで、衆か少女きて、さしのきつつ群がれいたり。
人々は皆乗り分かれて、二つの船に分かれて乗ったっていうんですね。
そう考えると、結構な大きな船なんでしょうかね。
となると、ますます島っていうのが、ものすごく大きかったのかなんて、考えてしまいますね。
歓迎の愚ども。愚っていうのは、道具のことですね。
用具とか、道具のことです。
なので、歓迎の愚ですから、楽器のことでしょうね。
楽器なども、午前お前より申し出して。
ということは、これは監視様のところから楽器を貸し出して、そのことをする人々。
その楽器をする人々ってことですから、楽器を演奏する人々を船の前に置いた。
つまり、大きい船があって、その前のほうに楽器隊がいて、その後ろのほうに他の貴族が乗っていたってことなんでしょうね。
それで、ようよう差し回すほどに。
少しずつ差し回す。ようよう、少しずつ、ちょっとずつとかね。
差し回すですから、乗っている、乗せているってことですね。
回すっていうのは、要するに、乗り回すっていうのにニュアンスが近いですかね。乗り回していた。
つまり、ここでは、前のほうに歓迎楽器隊がいて、後ろのほうにいろんな人々がいて、
ようやく船が動き始めました。
そうしたときに、南側の建物にある福厳堂に、宇治の僧上、僧侶の君と申し上げるとき。
宇治の僧上様、後の宇治の僧上様が、その頃は僧侶の君と申したとき。
この僧侶の君という方は、どなたかというと、官司様の、皇后官司様のお兄様ということですね。
お兄様がいらっしゃったと。水法師と和宿に、何かお祈りをしていたというんですね。
その前に、官司様がいろいろあったので、お祈りを捧げていた。
和宿に、かかることありとて、このような船遊びがあるということがあったので、
もろもろの僧達、それ以外のいろんな僧達。
これもちろん、僧侶の君。僧侶の君って、そもそもこれはお坊さんということですよね。
ですから、このお兄様は出家されているんですね。
その出家されたお兄様と、それ以外のいろんな僧達。
一人でいるわけじゃなくて、いっぱいいろんなお坊さんがいるわけですね。
その人たちとか、大人、若き。大人っていうのは年配の方。
若きっていうのは年少の方ですね。
が、集まって庭に居なみたり、居なむ。
居るっていうのは、そこに座っているっていうことですね。
なむっていうのは、並んでいる。
だから、庭に座って並んでいるわけですね。
そこには、わらわべ、ともほうし、それ以外の小さな子供に至るまで、関係者がみんないたと。
みんな、しゅうか、しょうぞ、きてとあります。
花の刺繍と貴族の控えめな姿
しゅうかっていうのは、花の刺繍。
だから、美しく彩られた花の刺繍の服装を着て、さしのきつつ群がれいたり。
さしのきつつですか、なんかちょっと遠慮した感じっていうか。
出家されている皆さんというか、仏に使えぬ身の皆さんですので、
堂々とずっといるっていうよりは、ちょっと控えている感じ。
他の貴族の皆さんと比べると、ちょっと遠慮した感じで控えて、
皆さん、こう、群れになっていた。
皆さん、集まっていらっしゃったっていうことですね。
なので、二段落目っていうのは、前半では、船が出てきましたよっていうところ。
後半では、ソウズの君の御様子が描かれております。
それでは、三段落目に参ります。
三段落目、まずは通して読みしましょう。
その中に、りょうぜんと言える歌読みなりけるを、天上人見知りてあれば。
りょうぜんがさぶろうか、と問いければ。
りょうぜん、目もなくえみて。
ひらがりてさぶらいければ。
かたわらに若きそうのはべりけるが、知り。
さにはべり、と申しければ。
あれ、船にめして、のせてれんがなどせさせんは、いかがあるべき。
と、いまひとつの船の人々に申しあわせければ。
いかが、あるべからず。
むちのひとや、さらでもありぬべかりけることかなと、とや申さん。
などありければ、さもあることとて。
のせずして、たださながら、れんがなどはせさせてん。
などをさだめて、ちこをこぎよせて。
りょうぜん、さりぬべからんれんがなどしてまいだせよ。
と、ひとびと申されければ。
さるものにて、もしさようのこともやある。
とて、もうけたりけるにや。
ききけるままに、ほどもなく。
かたわらのそうにものをいいければ。
そのそう、ことごとしくあいみよりて。
もみじばのこがれてみゆるみふねかな。
と、申しはべるだり。
と、申しかけてかえりね。
さあ、そこで、そのなかに。
そのなかというのは、このお兄さん。
かんしさまのお兄さんである、そうずのきみがいらっしゃる。
いろんなお坊さんがいらっしゃるなかに、
りょうぜんという名前のうたよみなりける。
うたをよくするひと。
非常にうたがとくいな人がいたんですね。
それをてんじょうびと見知りてあれば。
てんじょうびと。
てんじょうびとというのは、きぞくのかたがたですね。
そのきぞくのかたがたが、それをみつけて、
あ、あれはりょうぜんじゃないか。
ゆうめいなうたよみじゃないか。
ということをみつけたんですね。
で、みつけたので、
りょうぜんがさぶろうか。
廊前が居るのかっていう風に 天上人が聞いたんでしょうね
廊前がもしかして来てるんじゃないか
だいたい顔を見てば分かるんですけれども
居るのか確かめたわけですね
そうしたら 廊前 目もなく笑みて
目もなくって面白いですね
目がない 目がないように笑ってって言うんですね
ですからにっこり笑って
ひらがりさぶらいければ
ひらがるっていうのは平らになるってことだから
恐れ多く うやうやしく
お辞儀をしている様子ですね
平らになって 身を横たえている様子です
平らになっていた
ですから答えなかったんですね
廊前は はい 僕います っていうんじゃなくって
ただ 控えているっていうことです
そうしたら 片腹に若きそうな羽びりけるが死に
その片腹 その隣に若いそう この廊前ではない
その近くに若いそうが控えていたって言うんですね
そのそうがそのことを分かって
さに羽びり と申し訳では
はい おります っていう風に
代わりにそばの若いお坊さんが答えたわけですね
そうした時に
あれ 船に召して乗せてレンガなどさせんは
いかがあれべき っていう風に言い出すんですね
これは船に2層ありますが
その片方のお坊さんたち
じゃなくて天上人ですね 貴族たち
片方の貴族がですね
あれ 船に召して
船にこのままその廊前を乗せて
レンガなどさせたらどうだ
っていう風に言ったんですよ
せっかく廊前という有名な歌読みがいるから
そいつにこの船に乗せて
レンガをさせたらいいんじゃないか
って言ったんですね
このレンガというのは何かというと
これは歌の遊び方の一つです
歌の読み方の一つ 種類の一つなんですね
これはどうやるかっていうと
575と先にある人が読んだ
それに加えて今度は別の人が
別の人が77を加えます
そしてさらにそれに対して
別の人が575をつなげて
そしてさらにその次を
別の人が77とつなげる
これを続けていくことを
レンガと言ったりします
一種の遊び方ですね
一人でずっと歌を読んでいくんじゃなくって
歌をつなげていく遊びなんです
そのレンガを
何かをさせたらいいんじゃないか
っていうんですね
と今一つの船の人々に申し合わせければ
今二つの船がありますから
片方の船に乗っている人たちが
せっかく寮前いるから
あいつを船に乗せて
レンガ遊びとかしたらいいんじゃない
って言ったんですよ
そして行ってみたら
じゃあ反対側のもう一層に乗って
人たちは何て言うかっていうと
いかがあるべからず
後の人やさらでもありぬべかりけることかな
寮前の詩の披露
とやもうさんなどありつれば
いかがそれはいかがかな
つまりどうだろうなちょっとなって
少し否定的です
あるべからず
それはちょっと良くないんじゃないか
って言うんですね
後の人や後の人が
さらでもありぬべかりけることかな
そんなことはちょっと
しない方が良かったんじゃないかな
そこまでしない方が良かったんじゃないかな
と言うんじゃないかって言ったんです
これはいろんな理由があるんでしょうが
一つには寮前というこのお坊さんを乗せて
この晴れの席でわざわざ電話をさせる
しかも船にまで乗せるっていうのは
ちょっとねっていう風に言ったんでしょう
なんかそういうふうに否定的だったわけですね
なのでさもあることとて乗せずして
まあそれもそうだ
さもあることそれもそうだと思って
この寮前を乗せないで
乗せずして乗せないで
たださながらレンガなどはせさせてんなどを定めて
でもただそのレンガだけは
させようってことになった
レンガっていうのは一人じゃできませんから
じゃあこの寮前も交えて
レンガはしようということになった
つまり船には乗せないんだけれども
せっかくだからレンガはみんなでしたら
いいんじゃないってことになったんですね
そこでちこをぼぎ寄せて
今寮前は陸にいるんです
他のこの天上人貴族たちは
それぞれ船2艘の船にそれぞれ乗っています
なのでその船を寮前の近くに寄せたんでしょうね
こぎ寄せて寮前に言うんです
寮前さりぬべからんレンガなどして参らせよ
って言うんですね
寮前よさりぬべからん
そうであるようなっていうレンガ
そうであるようなレンガ
つまりこの場にふさわしいようなレンガなどを
こうしてレンガなどを読んで参らせよ
献上しなさい
差し上げなさいっていう風に言うんですね
ですから寮前に
まずは最初の5・7号を読んでくれ
っていう風に言ったわけです
これ最初の5・7号大事なんですよね
それでテーマが決まるし
その後の展開っていうのは決まっていきますからね
ですからせっかくの歌読みの名人である寮前がいるので
その一番最初のところを頼むっていう風に
言ったわけなんです
と人々申されければ
という風に人々が申し上げたので
去るものにてもし作用のこともやあるとて
もうけたりけるにや聞きけるままに
ほどもなく傍らの層にものを言われければ
そうであるものだったので
もちろん和歌の名人だっていうことはあったので
もし作用のこともやある
つまりこのようなことがあるんじゃないか
もしかしたらこういうことがあるんじゃないか
こういう風に和歌を読めと言われるんじゃないかと思ったんだろう
もうけたりけるにや
もうくっていうのは準備するっていう意味です
これはもうくだけで
例えばあるじもうけすって言った時には
宴会の用意をしておく
宴会のもてなしをすることを言ったりしますが
ですからもうけたりけるにやで
準備をしておいたんじゃないか
あらかじめ何かした和歌を用意しておいたんじゃないか
とは思われるんだけども
なぜかというと聞きけるままにほどもなくってあります
聞きけるままにっていうのは聞くとすぐにって意味です
もうそれをちょっと歌読んでくれよって言われたら
すぐにほどもなくほどもなく
かたばなの層に隣にいる層
さっきの和歌い層のことですね
さっきの和歌い層に対して
ものを言いければ
ものをボソボソって言った
つまりすぐに和歌を作って
それを直接自分で読むんじゃないんですね
それを隣にいる和歌い層に告げて
今度はその和歌い層が
その層ことごとしく歩み寄りて
その層がことごとしく
おごそかにもったいぶって
というか慎重にね
低調な重々しいような様子で
船の方に歩み寄って
そして和歌を紹介します
もみじばの焦がれてみゆる見ふけかな
これ575最初の
伝歌の一番最初の575をそこで作ったわけですね
もみじばのこれはもちろんもみじのことです
もみじが焦がれてみゆる
焦がれるっていうのはこれはなんでしょう
こげるですからなんかこう
もみじの色が焦げちゃう
焦げちゃうってことはこれだ
まあ要するに赤くなるってことでしょうね
赤く染まって色づいてってことでしょう
っていうのと漕ぐっていうのは
船を漕ぐっていうのは
これかけ言葉になっているんでしょうね
船が漕がれてみゆる見ふけかな
そうやって見える船ですねっていうような
テーマとしたもみじと船っていうのが
一つのテーマになっている
ですからこれつなげるとしたら
漁船の物語
例えばもみじっていうのもみじば
っていうのを生かしたり
あとは漕ぐっていうこの言葉を生かしたり
これは焦げるっていう風にとってもいいし
船を漕ぐっていう風にとってもいい
あとはそれに類した言葉関係する言葉なんか
うまいこと使って
この後の七七を読んでいくわけです
それがレンガっていう遊びですね
と申し喋るなりと申しております
っていう風に若い層が言うわけですね
と申しかけて帰るという風に
他の船に乗って人たちに申し上げて
そのまま戻っていった
この漁船のところにこの若い層が戻っていった
ということです
ということでこの三段落目というのは
この漁船に対して漁船っていうものが
歌読みがいたのでその漁船に対して
じゃあもうちょっと船に乗せて
レンガでもさせるかと思ったんだけど
ちょっと船に乗せるのはちょっとってことになったので
じゃあレンガだけでもみんなでしようぜ
っていうことになって
そのレンガの一番最初の五七五を読んでもらう
ということで漁船にお願いして
漁船が五七五を読んだ
というところまででございます
七七の創作
それでは今度は四段落目に参りましょう
ではまず通してみます
人々これを聞きて船船に聞かせて
つけんとしけれが
おそかりければ船を漕ぐともなくて
ようよう津久島をめぐりて
ひとめぐりのほどに
つけていわんとしけれに
えつけざりければ
むなしくすぎにけり
いかにおそしと
たがいにふねぶねあらそいて
ふためぐりにないにけり
なおえつけざりければ
ふねをこがで
しまのかくれにて
かえすがえすもわろきことなり
これをいままでつけねば
つけぬは
ひはみなくれぬ
いかがはせんずると
いまはつけんの心はなくて
つけれやみなんことを
なげくほどに
なにごともおぼえずなりな
人々はこれを聞きて
この良禅の和歌を聞いて
船船に聞かせて
船のそれぞれの船に聞かせて
たぶん何人か乗っているから
それぞれに伝え合ったんでしょうね
それに七七をつけんとしけれが
おそかりければ
その七七をつけようと思っているんだけれども
おそかりければ
おそかったので
もたもたしているもんだから
船をこぐともなくて
ようよう津久島をめぐりてと
船をこいでいるうちに
もうだんだんともうすぐに
すぐにというか
だんだんとゆっくりなんです
ゆっくりなんだけれども
もうもたもたしているもんだから
津久島津久島
津久島ともいいますけれども
これがこの川
池の真ん中にある島のことなんですが
その島をぐるっと回っちゃった
人めぐりしちゃった
人めぐりのほどにつけて
いわんとしけれに
一周する間に
何とか七七を読もうとするんですね
これ二つの船がそれぞれ
一周で何とかつけよう
っていう風にするんだけれども
つけざりければ
つけざりでつけられない
って意味になります
つけられなかったので
むなしくすぎにけ
むなしく取りすぎてしまった
って言うんですね
取りすぎちゃった
一周あっという間になっちゃって
本当は一周目でさっと読んでね
だからこうまず歌
五七五音お題が分かりました
分かったからそこから一周ぐるっと回って
もう一度戻ってくる頃には
七七を読んで
それからぐるっと回って
うちに五一五なんてできたら
ちょうどよかったんだけれども
一周するうちに
全然この次の七七が
思いつかなかったんですね
一周終わっちゃった
そうしたらいかにわさしと
互いに船舟争いて
二めぐりにないにけり
一周して両者とも
一切七七を読めなかったんですね
和歌の難しさ
でそれぞれお互いに言うわけです
いかにいかにっていうのはどうしてとかね
いかにしてって言うと
どうやってとかになりますか
いかにってのはどうしたってことですね
どうしたの
お前のところ全然読めないじゃないか
どうしたんだとかね
お前のところ遅いなとか
お互いに言うわけですね
互いに船舟が争うわけです
お前どうしたの
まだかよっていう風に
お互い言い合っているんですね
一周目でお互いどっちも
読めなかったんだけれども
そのうち一周した後に
どうしたんだよって
お互いに言い合っている
で言い争っているうちに
二めぐりにないにけり
もう二周終わっちゃったって言うんですよ
お互いにどうしたんだよ
遅いじゃないかとか言ったら
二周しちゃった
二周しちゃってなお絵付けられければ
それでもなお付けられないので
七七がまだ出来上がらないので
船を漕がれ島の隠れに出て
船も漕がなくなっちゃった
船を漕ぐのやめちゃったんですね
船を漕がないで
島の隠れっていうことは
監視様ですね
監視様とか
あとギャラリーのいろんな人たちがいるところ
陸の方の反対側でしょうね
それを島の隠れって言ってるんでしょうね
島の隠れているところ
島に隠れているところですね
島によって隠れているところで
船を止めちゃったって言うんですよ
だってそのまま戻っちゃうと
また三周目だけど
まだ七七出来てないのって言われちゃうじゃないですか
だからぐるーっと回って
二周して二周して
三周目に回る時に
これはまずいと思ったのか
もう島の陰に隠れちゃったんですね
そこで動かなくなっちゃった
ですから見ている人たちにとって
あれ?船出てこなくなっちゃったよ
ってことになったんでしょう
そして船に乗っている人たちは
こんなことを言い始めます
返す返すも悪きことなり
いや返す返すも悪いことだ
って言うんですね
ですから船に隠れちゃって
こっそりみんなで言い合うわけですね
ちょっとこれまずいよな
ってことを言うわけです
どう考えてもこれは
返す返すも
どんなことを考えてみても
ってことですね
いろんなあれこれと考えてみても
良くない良くないことだなと
要するにぐるぐる回って
全然答えが出せない
っていうのは良くないよな
これまずいよなってことですね
まずいなと思って
言うとこれを今までつけぬわ
この77をまだつけられていないのは
って言うんですね
日は見なくれぬ
日はもう暮れたって言うんですよ
日はもう暮れてしまった
いかがせんずる
どうしようかって言うんですね
いやどうしよう
もう77つけらんないよと
お互いにののしであったり
してるのも悪いんでしょうが
要するにこれはですね
もちろん単にこの人たちが悪い
っていうところはないこともないんですが
特にこのりょうぜんの作った歌が
良すぎたのかもしれませんね
テーマ515が甘えにも良すぎたから
これにちょっと77はつけられないな
と思ったのかもしれませんね
そう考えていると
どう思うかって言うと
皆さん気持ちがですね
変わってくるんですよ
今はつけんの心はなくて
つけでやみなんことを
嘆くって言うんですよ
今となってはつけんってのは
つけようって意味です
よし77をつけようっていう心
気持ちはなくなっちゃって
つけでやみなんつけないで
終えたい終えたらいいな
と思ってるって言うんですよ
もう77をつけてやろうって言うんじゃなくて
もう77つけずに終わってしまいたい
っていうことを
つけでやみなんだから
つけないで終えてしまうと
つけられないで終わってしまう
っていうことを嘆いたって言うんですね
ですからここではもう
つけようって気持ちがなくなっちゃって
どうしようもつけなきゃな
たぶん最初はね
77つけなきゃなと思ってたんです
77つけなきゃなと思ってたんだけど
だんだんと
これ無理だねってことになってくる
無理だねってことになってくると
これもう無理じゃんつけらんないじゃん
どうしようつけないで終わっちゃうの
いやーまずいねこれはね
っていうような気持ちになってきちゃった
っていうことで
何事も覚えずなりな
何も考えられなくなっちゃったって言うんですね
訳わかんなくなっちゃったって言うんですよ
訳わかんなくなっちゃった
5段目行きましょう最後です
ことごとしく歓迎のものの具
申し下ろして船に乗せたりけれも
いささか掻き鳴らす人もなくて
闇にけり
各言い沙汰するほどに
不言動の前に底爆をお借りする人
皆立ちにけり
人々船より降りて
午前にて遊ばんなど思いけれど
このことにたがいて
皆逃げておのうのうせにけり
宮塚さ儲けしたりけれど
いたずらにて闇にけり
ことごとしく歓迎のものの具
申し下ろして船に乗せたりけれもと
わざわざ大それた歓迎の
いろんな楽器なんかも
わざわざ用意して船に乗せたんだけれども
いささか全く掻き鳴らす人もなくて
闇にけり
掻き鳴らす楽器を鳴らす人もなくて
闇にけり終わってしまったと
だからせっかくの楽器もすごく
わざわざ借りて用意までしたのに
全く使う機会がなかった
各言い沙汰するほどに
そういうことを言っているうちに
不言動の前に
そこばくをお借りする人
そこばくって何?
いっぱいってことです
不言動の前にいっぱい人だかりが
皆立ちにけり
皆立ち去ってしまった
それはそうですね
船出てこないんですからね
皆見物にいなくなっちゃった
ですからたぶん
お坊さんたちもいなくなっちゃったんでしょうね
人々これは船に乗った人たちのことです
船に乗った人々は
船からの逃避
船より降りて午前に出遊ばん
など思いけれど
船から降りて午前
午前っていうのは
この皇后監視様のことですね
皇后監視様のところで
歓迎を鳴らそうと
楽器を演奏しよう
なんてことを思っていたけれども
このことにたがいて
その思惑に合わないで
皆逃げておのおのうせにけり
なんと皆逃げていなくなっちゃった
って言うんですね
要するに船から降りて
逃げてしまった
宮塚さん
そもそも最初に
この企画をした人たちですね
人たちは儲けしたらいければ
準備をしたんだけれども
悪戯にてやみにけり
悪戯はない
これは無駄だってことです
無駄になってやみにけり
終わってしまった
というお話でございます
こういうある種の滑稽話
おかしな面白い話なんですね
こういう節はあった
こういうユーモアの話
って結構多いんですよね
さあ
一回これ通して
読んでおきましょうかね
少しさらっと読みますので
だいたいどんな内容だったかな
ということを
思い返してみてください
宮塚さんども集まりて
船を買いかがすべき
お水を多く取りにやりて
船の館にして
船さしは
侍の若柄をさしたりければ
にわかに
かりばかま染めなどして
きらめきけり
その日になりて
人々みな参り集まりぐ
おん船は儲けたりや
と尋ねられければ
みな儲けてはべり
と申して
その後になりて
島がくでより
こぎいでたるを見れば
なにとなく
ひたてになる船を二つ
しょうそおき
いでたるけしき
いとおかしかりけり
人々みな乗りわかれて
かんげんのぐども
おんまえより
申し出して
そのことする人々
まえにおきて
ようようさしまわすほどに
みなみの
ふげんどうに
うじのそうじを
そうずのきみと申しけるとき
みずほうしておわしけるに
かかることありとて
もろもろのそうたち
おとなわかき
あつまりてにわにいなみたり
わらばべ
ともほうしに至るまで
しゅうか
しょうぞきて
つきつつむだがれいたり
そのなかにりょうぜんといえる
うたよみのありけるを
てんじょうびとみしりてあれば
りょうぜんが
さぶろうかとといければ
りょうぜん
めもなくえみて
ひだがいてさぶらいければ
かたわらに
わがきそうのはべりけるがしり
さにはべり
と申しければ
あれ
ふねにめしてのせて
れんがなどせさせんはいかがあるべき
といまひとつの
ふねのひとびとに申しあわせければ
いかが
あるべからず
のちのひとや
さらでもあいぬべかりけることかな
とやおもうさん
などありければ
さもあることとて
のせずして
たださながられんがなどは
せさせてんなどさだめて
ちこをこぎよせて
りょうぜん
さいむべからんれんがなどして
まいだせよと
ひとびと申されければ
さるものにて
もしさようのこともやある
とてもうけたりけるにや
ききけるままに
ほどもなく
かたわらのそうにものをいいければ
そのそう
ことごとしくあいみよりで
もみじばの
こがれてみゆるみふねかな
と申しはべるなり
と申しかけてかえるな
ひとびとこれをききて
ふねぶねにきかせて
つけん
としけるがおそかりければ
ふねをこぐともなくて
ようようつくじまをめぐりて
ひとめぐりのほどに
つけていわん
としけるに
えつけざりければ
むなしくすぎにけりん
いかにおそし
とたがいにふねぶね
あらそいって
ふためぐりにないにけりん
なお
えつけざりければ
ふねをこがれ
しまのかくれにて
かえすがえすも
わろきことなり
これをいままでつけんは
ひはみなくれぬ
いかがせんずる
といまは
つけんのこころはなくて
つけでやみなんことを
なげくほどに
なにごとも
おぼえずないな
ことごとしくかんげんのもののぐ
もうしおろして
ふねにのせたりけれも
いささかかきならず
ひともなくてやみにけりん
かくいいさたするほどに
ふげんどうのまえに
そこばくおおかりつるひと
みなたちにけりん
ひとびとふねよりおりて
ごぜんにてあそばんなど
もいけれど
このことにたがいて
みなにげて
おのおのうせにけりん
みやずかさ
もうけしたりけれど
いたずらにてやみにけりん
さあ
和歌の流れ
いちようですけれども
これで本文は終わりなんですけれども
さらに
さんぼくきかしゅうのほうからの
引用もございます
短いところですけれども
さらっと紹介しておきたいと思います
まず
本文はこのようなほうになっています
ひとびとあまた
やはたのみかぐらに
まいりたりけるに
いとことはてて
またのひ
べっとうほういんこうせいが
どうのいけのつきどろに
ひとびといなみてあそびけるに
こうせい
こうせいれんがつくること
なんえたることとおぼえる
ただいまれんがつけばや
など申したりけるに
かたのごとくとて
申したりける
すりどろの
したにはいおやすまざらん
とししげ
こうせいしきりにあんじけれども
えつけでやみに
しことなど
かいてかたりしかば
こころみにとて
うつばりのかげ
そこにみえつつ
さあここでは
これは三目鬼歌集という
先ほどのこの
先ほどは説話というか
まあ過論書だったんですけれども
こちらは和歌集ですね
四歌集といって
この年寄りの和歌が
いっぱいのっているんですが
その和歌がどんなエピソードで
読まれているのか
どういう話の流れで読まれているのか
ってことがお話のようになっているんですね
どんな
話かというと
ひとびとあまたやはた
やわたやはた
のみかぐだにまいた
ひとびとが
おうせい
やはたというのはこれは
いわしみずはちまんぐうのことです
いわしみずはちまんぐうに
さんぱいしたところ
さんぱいしたときに
ことはてでまたのひ
いろんなさんぱいの
手続きとかいろんなことが
終わってその次のひ
べっとうほういん
こうせいということですね
べっとうほういん
これは注釈にもございますけれども
このいわしみずはちまんぐう
やはたのみかぐだ
こちらの一番えらい方です
こちらの一番えらい方が
どうのいけのつりどのに
どうのいけ
これ先ほど
出てきた場面でも
かわがあっていけがあって
いいましたけれども
もうひとつつくりの中で
とくちょう的なのが
いけの中に
たてものやしきの
いちぶがすりだして
いけのうえにたてものが
ういているようになっている
そういうたてものの
ぶぶんがあるんですね
これをつりどのっていっています
そのつりどのだいたい
つりどのをひらいたりするんです
そのつりどのにひとびとが
すわってならんでいる
いならんでいて
あそびける
かんげんなあそびをしていた
そういうなにかみやみなあそびをしてたんですね
そうしたときに
そのこうせいさん
たぶんおそらくこのやわたのみかぐだに
つまりはちまんぐうに
さんぱいした
さんぱいしたので
おれいなのか
としよりのていたくに
よんだんでしょうね
そこでなにか
かんげんなあそびをして
ていちょにもてなしたんでしょう
そのときにもてなされている
こうせいさん
いわしみずはちまんぐうの
いちばんえらいかた
こうせいさんが
れんがをつくることをえたることとおぼえる
こうせいって自分のことです
わたしはれんがをつくることを
えたようにおもわれる
えたってことはもうかくとくした
こつをつかんだってことでしょう
れんがはもう
マスターしたことをつかんだように
おもえるんだ
ただいまれんがつけばや
れんがしましょう
いまからちょっとれんがしましょう
れんがつけましょう
つけばやつけたいって意味ですね
れんがをつけましょう
れんがをしましょう
ていうふうに申したんですね
そこで
れんがをすることになったわけです
そこでこのまずは
先ほどと同じように
575を読むわけです
ここで読んでいるのは
とししげさんという方
この方はとしよりのこどもです
魚と釣り池のテーマ
とししょいのこどもです
とししげさん
この方がこう読みます
つりどどのしたにはいようや
すまざらんって読んだんですね
つりどどのした
つりどどのしたには魚
魚がすまないだろうか
っていうことでしょうね
そういうふうにして
和歌を読んでみたんでしょうね
どうなんでしょうね
つりどどっていまいる場所ですね
これはつりどどっていうのは
当然池の上に立ってますので
その下は水なんです
池のようになっているところなんですね
その池に
魚は住んでないのかな
っていうような
導入です
テーマとしてはつりどどとか
あとはお魚
というやつがあるわけなので
それをどう読むかということで
あとは住むっていうのが
これはいろんな掛け言葉ができますので
これを使って七々を読みたい
ところですね
和歌の解釈とユーモア
さあそこでこうせいさんどうするのか
こうせいしきにあんじけれども
えつけでやみにし
って言います
すごく考えるんだけれども
つけないで終わってしまった
ってことなんですね
つけられなかったつけられないで終わってしまった
ひとひとつけられなかったんですね
でそれで
そのことを
かえりって
からりしかばとししげさんがですね
とししげさんが
かえって
この年寄りに
かえって語ったっていうんですね
いやこんなことがあったんですよと語った
そしたら
こころみにとって
おそらく年寄りはこの場にはいなかったってことなんでしょうね
いなかったってことなんでしょう
で
とししげが年寄りに
家にかえって
年寄りに話したんでしょうね
こんなことがあったよ
そしたら年寄りはこころみにとって
あじゃあ
自分だったらこういうふうに読むかもなぁと
ためしに読んだのが次の七々です
うつばりのかげ
そこに見えつつと
うつばり
これは注釈にもありますね
はりのことですね
はりのかげだけがそこに見えているっていうことですね
つまり魚はいないってことですね
魚はいないで
そこに見えるのは
はりだけだっていうような和歌になるわけです
っていうように
要するにここでは
ちょっと調子にのった
ベッドホーイン高生
偉い方なんですよ
偉い方が読めなかったってこと
多少ひにくった感じも
言うつつ
でも自分だったら読めちゃうもんね
なんていうことを書いている
そういうところですよね
漆化集なので自分に都合のいいように
書くわけですよね
そういう場面でございます
どこか先ほどの話にも通じるところですよね
なんか貴族が
ちょっとこう
レンガを仕掛けるんだけれども
結果的にレンガ読めないっていうような
交通しているところでございます
今のところ
もう一度だけさらっと読みますね
少々お待ちくださいね
読みます
人々
あなたやはたの三日暮に
参りたりけるに
ことはててまたの日
ベッドホーイン高生が
堂の池のすり殿に
人々いなみて遊びけるに
高生レンガ作ること
なん得たることと覚える
あなたやはたの三日暮など
申したりけるに
かたのごとくとて申したりける
すり殿の下には
いよいよすまざらん
ポジシェン
高生しきりに案じけれども
月でやみにしことなど
帰りて語りしがば
心身にとて
うつばりの影
そこに見えつつ
という内容でございました
非常にユーモアのある内容でしたね
ということで
今回は
出展としては
2023年の
共通試験
国語の第3問から
ご紹介しました
年寄り随能と
その年寄りの書いた
和歌集
三国旗歌集ですね
三国旗歌集から
お送りいたしました
またお聞きいただければ
幸いです
ありがとうございました