1. 内向ゲイと左右と上下(#ヨコタテラジオ)
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2024-04-21 29:50

#089 大先輩たちの生きざま×「ゲイのロールモデル」について×…

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94歳のゲイ」を観て

・まずタイトルに思ったこと ・可視化されているゲイの構造について ・「孤独という言葉」について ・そして自分はどう生きるのか

とかとかそんな話。


#ヨコタテラジオ 089

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00:05
前回、歌のヒカルの新しいトラベリングのレコーディングで 今何してるっていうフレーズが入るようになったって話をして
それが昔のツイッターのツイートするとこの欄に 書いてある文言だったよねって話をしたんですけど
今見てみたら、今どうしてるに変わってて フレーズが変わったんだなっていうのを改めて確認しました。
調べたら10年以上前に変わったみたいで 英語だと、What are you doing? から
What's happening? に変わったらしいんですね。 それだけ受け取ると、確かに今何してるかどうしてるか ちょっと違って
何してるに関しては、What がある前提? だから、何かをしてないとつぶやけないみたいなんだけど
どうしてるだったら、How だから、単純に何をしている状態であっても 何にもしてなくても、どうしてるっていうことは語れるなと思って
そう考えると手軽につぶやけるようになったのかな みたいなことを思いましたね。
たぶん、もともとの理由はいろいろあるかもしれないんですけど、 ちょっと、What? How? みたいなところの違いがあるなと思いました。
ということで、この番組は、いろんな意味でマイノリティ、 30代内向人間の仕事や研究の感動、親々を共感できるようでしきれない そんな思考を発信していきます。
横軸、縦軸、さまざまな広がりから、聞いてくださった方々の生活に 奥行きを開放させていただけたら嬉しい。
そんなゆるラウナーコンテンツです。
ということで、結構、今回はね、 語りたいことがビシッと決まっているというか、
特定のね、映画を見たんで、 それについて思ったこととかを語れればと思っています。
それは何かというと、僕が以前にね、 20歳の息子っていう映画を見た、ぽれぽれ東中野さんで
94歳のゲイっていう映画が、昨日からですね、 4月20日から公開されたので、そちらを見てきました。
昨日からで、昨日はね、なんか2回あったのかな? でもなんかもう、チケットが売り切れてたらしくて、 早く撮っててよかったっていう感じなんですけど、
えーとね、ちょっとまずどんな映画かっていうところを 紹介したいと思います。
まあ94歳のゲイっていう、もうそれ以上でも それかでもないという感じではあるんですが、
公式のホームページにイントロダクションがあるので、 そちらを読みますと、
かつて同性愛は異常性欲、変態性欲だと口善と語られ、 治療が可能な精神疾患とされてきた。
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1929年生まれの長谷忠さんは、 誰かと交際したことも性交渉の経験もない。
ゲイであることを誰にも打ち明けることなく、 好きな男性ができても告白することもできない時を過ごしてきた。
詩作の詩を作ることを心の拠り所にしながら、 孤独の中で生きてきた長谷さんに訪れた大きな変化。
90歳を超えて初めて経験する出会いと別れ。 多くの悲しみを見つけてきたその心に拠来する思いは、
2022年MBS毎日放送にて放映された93歳のゲイ。 厳しい時代を生き抜いてに追加撮影再編集を加えて劇場公開。
英語のタイトルは94歳なんですけども、 テレビでドキュメンタリーとして放映された時は93歳ですね。
2022年に公開されたようです。 昨日は初日だったこともあってか、舞台で監督と
あと出演者のご本人の長谷忠史さん。 大阪から初めて人間性で東京にいらしてたってことなんですけど、長谷忠史さん出演者の方と
あとボーン・クロイドさんという別の出演者の方と、 あと雑誌のバラ族の編集室長を務めていた
伊藤文学さんも出演されてるんですけども、現場に来ていただいてて、皆さんのディスカッションというか
生の声を聞けました。ちなみに伊藤文学さんって名前は知ってたんですけども、ずっとこういう雑誌を作るからゲイの人なんだろうと思ってたらゲイじゃない方らしいですね。
それを初めて聞きました。びっくりしました。 昨日の様子はニュースにもなってて
僕、パンフレット買った時にサインもいただいたんですね。皆さんのので、後ほどツイートできればと思います。
これ以降は本当に思ったことっていう感じなんですけど、長谷忠史さん94歳で、もともと93歳のゲイというドキュメンタリーから始まってて
その時のインタビューがあって、僕の中で色々インタビューとか動画とかもあるんですね。
それに興味があって、過去のやつも見直してたんですけど、監督の発言の中で
93歳のゲイの方がいらっしゃるのが驚き、その自分の考えが間違っていて、昔から存在していたのに存在がなかったかのようにされてきた人なんだなと実感しました。
というふうに、ここまでが監督の発言なんですけども、確かに率直に驚きっていうのもわかるし、昔から存在していた、そもそもどのくらいいるのかわかんないっていうところが
監督の方は結婚されてて、おそらくゲイではないと思うんですけども、だからどれくらいいるのかわかんない状態が入ると、そういう考えになるのも仕方ないのかなと思いましたね。
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ちなみに監督の木川さん、木川玄貴さんという方は、僕とほぼ同い年なので、35歳くらいですね。
なので、それでもどれくらいいるかわかんないし、同い年のゲイの人と会っても多少驚くんだろうなっていうのもあるけど、そこからさらに93歳ってなると、驚きっていうふうになるのかなっていうのも仕方ないとは思うと、同時に
たぶん、統計的に考えて、各年齢のゲイっていうのは事実としているはずで、93歳の方も92歳の方も1歳の方も、80歳の方も70歳の方も、それ以下の方も統計的には一定数存在してるでしょう、確実に。
だけど、ことはしさんに関しては、ゲイとしてってことが明るみに出せたのに、93年かかっているっていうところがとても重要というか、タイトルがすべて語っているというか、年齢ってやっぱり数字なんで定量的に表せるんですけど、
それを改めて考えると、実際はたぶん90歳になる少し前に、劇団というか芝居劇団みたいなところでカミングアウトされて、そこに入団されたようなんですけど、でもやっぱそれぐらいかかっているっていうところは、
なんかそれだけで、自分はね、その3分の1までいかないんですけど、でもちょうど僕とはせさん60歳離れていることになるんですけど、そこまで隠さなきゃいけないって考えると、それだけで語れてしまうものがたくさんありますよねっていう。
で、僕ちょっとこれに関してさらに派生で考えたのが、去年秋田川賞を受賞された市川沙夫さんもハンチバックを抱えてるんですね。受賞式で、結構その充度障害者の試験が初だみたいなことを言われていたけど、なんでそれが2013年にもなって初なのかっていうことを考えてみてほしいですみたいなことをおっしゃってて、
なんかそれにも通じるところがあるんじゃないかなっていうのを思いましたね。
説明にもあったんですけど、映画の中でも出てくるんですけど、その辞書で同性愛っていうふうに引くと異常性欲っていうふうに載ってた時代があって、
てかむしろ最近、1991年まで載ってたらしいんですね。平成ですよ、91年って。
派生さんの年齢変わると多分60歳ぐらい。で、やっとそれが何ていうか辞書から消えるみたいなところ。で、なんかもうそれって何だろう、もう辞書ってある意味もうその時の多分メディアの序列の中では多分すごい権威のあるものっていうか
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だったんじゃないかと推察するんですけど、そこでもう何かそういうふうに示されちゃってるって、今も差別とか偏見とかあるんですけど、結構今って何か書材がその差別の書材とか偏見の書材が明らかで、
で、なんか風向きとしてそれがおかしいっていうふうに言えるっていう流れもある程度あると思うんですけど、多分辞書とかに載ってるみたいな時代ってさらにそこからもう何が敵なのかも分かんないというか、ちょっと対立構造にするとしたらですけど、
なんかどうしたらそれがなくせるかとかも多分何か分かんない状態で、お話の中で行きづらかったっていうようなことを橋さんおっしゃってるのがあったんですけど、何か多分その言葉では語れないようなことも多分あったはずで、正直何か自分にはそこは想像できないなっていう、だからこそ何かそこを生き抜いて
あの、こういう形で生き様を見せていただいてありがとうございますっていう気持ちが改めて浮かんでくるなと思います。そうですね、ちょっとだからタイトルの重みみたいなところが一つあるなと思って、で、どうしてもその芸を語るとマイノリティ性みたいなところもついて終わってしまうと思うんですけど、
この映画の中には94歳で、この映画の撮影後に95歳になられたようなんですけど、95歳の長谷さんと、あと撮影時点の年齢ですけど、56歳の梅田さんという方と、あと63歳のボーンさん、ボーンさんが出てくるんですけど、
ボーンさんがその中で、高齢者の芸を見たことなくて、ロールモデルを知らない、みたいなことを語るシーンがあるんですね。結構僕はそれ何かすごくこの、何だろう、映画の意義というか、みたいなところのコアだなと思って、
僕からしたらボーンさんとか、あと梅田さんとか、もう2人とも大先輩ですよ、自分の前年齢からしたらね。けど、確かにロールモデルとして参考にできるところもあれど、とはいえやっぱりやってる仕事とか違うし、何だろうなぁ。
2人ともケアマネージャーとか、あとは就労支援とか、そういう人をサポートするような、社会的に示せるようなものがある方っていうのもあるなと思ったんですけど、自分はそういうわけではないし、だから参考にできるところもあれば、そうじゃないよなって思うところもありましたね。
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で、それは別にストレートの方でも同じだと思うんですけど。で、さらにゲイってやっぱりマイノリティだからってところがあると思うんですけど、そこからさらに上の世代ってことがやっぱりぱったり目にすることなくなってしまうなっていうのが一つ。
で、あとはメディアとしてネットが先行する時代になったんで、そこにいるユーザーもそうっていうのも人口の中では特定のこのゾーンっていうのが限られてしまうと思うんですね。
だから、自分でもSNSとかやってると、50代60代の方がいらっしゃるし、けど高くてもそのぐらいかなっていう感じ。40代30代とかの方が、とか20代ぐらいがボリュームゾーンなのかなっていうのは思いますね。
で、そのSNSの特性的なところでも、やっぱ承認欲求とかが絡むから、やっぱり非日常というか、フラットなアベレージのところからはちょっと外れ値の人とかそういう人の現実が結局見えやすくなるから、そういう意味でも
でも、結局参考に、ロールモデルっていう意味だとちょっと色が違うかなっていう感じですかね。だし、ストレートの方だとある意味結婚とかがある分、
まあ、そうね、耳に刺されるわけじゃないけど、結婚があるかないか、選択肢に入るか入らないかっていうところも結構、生き方みたいなところを考えていく上でも重要なものだと思うんですけど、そこである意味、自由があり、責任もあるんですけど、分、どういう方向にも行けるとか、あと区切りみたいなものが
まあ、働いてる間ってそんなに目に見えてないのかな、みたいな。ストレートで結婚されてる方に比べると少ない方がいるから、そういうライフステージの変化みたいなところが見えにくいみたいなところもあって
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まあ、そういうところが全体的にロールモデルっていうものの確率が、自分が参考にする意味、ロールモデルっていう意味だと見えづらい構造になってるんじゃないかなっていうところを改めて感じました。
そう、だから、普通に同じような生活を続けていて、急に出会うみたいなことって多分あんまないし、探しに行こうとしてやっと、自分にとってのロールモデルになりそうだなっていう人が見つかればいい方ぐらいなんじゃないかなっていうところで、
そういう意味だと、やっぱりちょっとロールモデル問題みたいなものに対しては、すごく資料としてすごく貴重な映画だなっていうふうにも思ったんですよね。
うん、途中で長谷さんが今までの人生とかも多分振り返ってたと思うんですけど、その中でクロードさんとか梅田さんとかと出会えたことが本当にすごく奇跡的だみたいな話をされることがあるんですけど、
多分長谷さんからしたらそうだけど、出会えればそれは出会った側の梅田さんとかクロードさん側にとっても奇跡で、要するに僕とか見ている人にとってもそうかもしれないなっていうものを思ったんですよね。
そういう意味で、生き様みたいなのを見せていただいたことへの感謝みたいなのがやっぱりあります。
あと、僕やっぱり最近孤独とか孤立みたいなものを去年もちょっとポッドキャスターで取り上げた回があったんですけど、孤独に生きてきたみたいなことが紹介文に出てくるんですね、この文章というか映画の紹介文みたいなところで。
で、実際、長谷さんの言葉を引用すると、長谷さんは詩人として章を捉えたこととかもあったりとかして、今も俳句とか短歌とかを確か書かれてるって話なんですけど、フレーズとして死がなかったらここまで生きられへんかったみたいな話をしていて、ちょっと関西弁のイントネーションすいませんけど。
長谷さんのイントネーションとしては、この文章を書くことによって生きてきたんですよね。
長谷さんのイントネーションとしては、この文章を書くことによって生きてきたんですよね。
長谷さんのイントネーションとしては、この文章を書くことによって生きてきたんですよね。
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長谷さんのイントネーションとしては、この文章を書くことによって生きてきたんですよね。
で そこに痕跡をやっぱり残していきたい っていうような気持ちがあってやられていて
まあ 創作活動っていうか 創作活動ですよね
というか もうなんか広く言うと 人じゃない打ち込めるものがあったっていうのが
なんか大切だったんじゃないかっていうところが 改めて学びです
で 長谷さんの場合は特に言葉だったから もともと多分書かれたのって
今から60年前とかの詩なんですね なんだけど 今の僕が読んでも理解できるんですよ 言葉だから
日本語で そういう意味であっても やっぱり知り合ってくれてよかったなっていうところは すごく思いますね
うーん この映画を買ったときに 紹介文に孤独って出てくるんですけど
僕の記憶にある限りでは長谷さん自身が 孤独っていう単語を多分一度も使っていないけど
詩の中では
まあ っていうか 境遇を考えたら絶対に 孤独を感じなかったはずないんですけど
それを表現されていたのがやっぱり詩 打ち切る先は詩だったんだろうなっていうところですね
これ ちょっと僕 宇多田ヒカル信者なんで 宇多田ヒカルさんが前インスタライブで
宇多田さんにとって言葉って何ですか みたいな 歌詞って何ですかみたいな 言葉って何ですかって言われたときに
言葉では表現できないもの 表現する道具である言葉は みたいなことを言ってて
もう そうっすねっていうか 僕はそのとき聞いて やっぱさすがだなって 今度はついていきたいなと思ったんですけど
だから 孤独って言葉を使ってないんだけど それがもう表現されているというか
そうですね 孤独っていうのは やっぱりこの映画のキーワードだと思ったんですけど
ちょっと一歩振り返ると お自身の中では使われていなかったんじゃないかなっていうところが
ちょっともう一回見てもいいかもしれないですけど
っていうところが 自分の中である意味引っかかりだったんで そこも出てみました
ですね で パンフレットにも当時書かれたものとか 章を捉えたものが書かれてるんですけど
詩人の方が書かれた言葉を僕が説明するのも野暮なので ぜひ読んでみてほしいなと思います
それを受けて 自分はどう生きるかみたいなところまで 押し込みたいなと思うんですけど
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やっぱりさっきもちょっと触れたけど 去年のクリスマス頃かな
80何回とかで 孤独と寂しさについてみたいな話をして
クリスマスにとことん孤独になってみようと思ったけど みたいな話をしたんですけど
そのとき読んだ本には 孤独と寂しさは別物だみたいな 別物だっていうか それを読んで
孤独って別にイコール寂しいことじゃないよな っていうことを思ってて
今も変わらないし この映画を見ても思ったんですよね
孤独って ソロとロンリーっていう話があって
ソロであるっていうのは単純に一人でいる状態
それをどう評価するとかじゃなくて 単純に二人ではない 三人ではない 四人ではない 一人であるっていう状態で
ロンリーは逆に多分一人でいるときの方が多いけど
二人でいようが三人でいようが 多分寂しいときは寂しいですよね
だから 一般的に孤独って言われたときに ソロかつロンリーな状態が想定されるなと思ったんですけど
この映画で言うと橋さんは
ソロではあったけど ソロではあったし 多分ロンリーもあったと思うんですけど やっぱりそこの中で
生き抜いてからこそ あった出会いとかも多分あったし
自分の感覚で生きたいと思って 飛び込んだコミュニティとかもあったって話なんですね
だから もちろん望む孤独もあると思うんですけど
そこに自由にそれが発言できるようになったってところが 時代が経ったっていうこと
その中でもいろんな戦いがあったって話もあって ちょっとそこまで触れちゃうと 本当にまた一歩二歩取れてしまうので
だと今回触れられないんですけど 結局自分がどうするかっていうところだと
今の時代は本当にありがたいことに 自分が思ったことができるから それは別に望んで一人になることもそうだし
僕はよく言ってるのは 一人であるっていうのは 自分と一緒にいることなんで
自分の好きなことをしている間は 自分は自分の味方でいてあげる みたいなことは言い続けたいなと思いますね
ただ その上で関わりを持つってことの大切さっていうのも やっぱり学びというか
私たちにとっての詩とか そういうものを持っておくっていうことの大切さも思うんですけど
でもやっぱり関わりがないと まさにロンリーな状態みたいなとこって 遅から早から読まれてしまうかなっていうのがあって
24:03
別にそれって家族にならなきゃとか パートナーじゃなきゃとかっていうよりかは
繋がっているっていうところが 大事なんじゃないかなと思いますね
社会学で弱い渋滞 渋滞って難しい 紐に帯って書いて
繋がりっていう意味ですね 弱い渋滞って言葉があるんですけど 家族とかは強い渋滞なんですけど
っていうよりも 強い繋がりじゃないとダメっていうようなことっていうよりかは 弱い渋滞からでも繋がっていくこと
SNSとかもそうかもしれないし 例えばお店とかもそうかもしれないし
そういう渋滞を持とうという意識みたいなところは 大事なのかなと思いましたね
僕もお店とか行ったりするけど 正直 ゲイであるっていうこと以外 共感できるとこない人もいる気もするんだけど
でもそれだけで繋がれるところがあるっていうのは ある意味 ゲイであることの特点っていうとあれですけど
実際 この映画にも3人のゲイが出てきて 恐怖問題でも違うんだけど
でも繋がってるし ゲイ同士じゃないですか みたいなやりとりもあるんですね
で これはある意味 自分の今の立ち位置だからこそ切れるカードというか
そんなに戦略性を持ってやってるかどうか あれなんですけど それはそれで利用できるものなんだから
していきたいなっていうところがありますね
あと他にも この映画面白いっていうか 橋田はやっぱり基本的にひょうひょうとしてる
本当にひょうひょうって言葉が合うなっていう感じの方で 僕はやっぱりひょうひょうとした人になりたいなっていうか
ひょうひょうとしてる人ってやっぱかっこいいよなっていうのがあるのと
あとはその中でもゲイ友達との交流のシーンとか あとは1人で部屋で過ごして
こういうこだわりがあるんだよねみたいな話をしてるシーンとか こう楽しんでるんだよねって話があって
すごいほっこりするっていうのがあって
でも一つ一つだけ言うと こういうことをしてるシーンっていう感じなんですけど
どう生きてるかっていうのなんですね 全体としては その点と点をつないでいくと
どう生きてるかって話なんで 僕もSNSとかだとやっぱりどうしてもその時その時は
こういう 何しましたしましたってなっちゃうけど こういうポッドキャストとかも含めて
どう生きているかみたいなことを残していきたいなって ちょっと漠然と思いましたっていうところで
はい 以上が34歳のゲイのやるような発信でしたということで
27:01
ここまで聞いていただいた方がいらっしゃれば ぜひ見てくださいと言いたいので
ちょっと宣伝をすると 東京だと東中野で見れます 多分結構長くやるんじゃないかな
次は福岡 大阪 京都が来月やることが決まってるようですね
5月17日が福岡で 18日が大阪で 24日京都
その後もまだ未定ですけど 札幌 名古屋 神戸 大分 宮崎でやることが決まってるようなので
お近くに行ける方で興味ある方
なんか結構他にも語りたいような要素とかね
なんか手紙の筆跡の話とか あとは住んでるところが西成っていう大阪のところなんですけど
なんか別のドキュメンタリーでも西成のもの最近見て
なんかエネルギーみたいなの感じるなっていうか 西成への興味とか
あとは芸とメディアとか そこから出てくる芸っぽさとか
あと マイノリティとかダイバーシティについて研究している教授の方とかも出てきて
そういう社会学とか文化事務学みたいな切り口もできるもんだなと思って
やっぱりアカデミックな視点でもすごく貴重な資料だなって思いましたので
またどこかの切り口で別の取れればと思いますですね
結構将来の話 いずれ来る将来の話なんで
けど全然暗い話じゃ全然ないから ぜひ見てみてほしいっていう感じですね 興味ある方は
一緒にちょっとまた語れればと思います
あと最後に告知をさせてくださいということで あんまり今までなかったんですけど
来月のですね グリーンルームダイアログさんっていう
テツさんっていうやり方がやられているグリーンルームダイアログさん この番組にはね
時々便りとか投稿とかを頂いてる 反応頂いてるんですけど
そこにゲスターとして僕が 出演させて頂くことになりましたので
そちらについての質問を募集させて頂ければと思いますので
そちらも改めてツイートいたしますので
普段聞けないことがあったりしても テツさんを通して聞きたいってことがあれば
ぜひ頂ければと思います
ちょっと今回長くなってしまいましたが 以上になります ありがとうございました
バイバイ
29:50

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