老いと早作の考察
次のコーナーが、ぐるぐる相談室、YCAMぐるぐるラジオ宛に届いた、疑問・質問・お悩みを一緒に考えてみるコーナーです。
橋本さん、引き続きよろしくお願いします。
今日いただいている他の方からの疑問・質問・お悩みは、先日YCAMぐるぐるラジオを収録させていただいた
長嶋理香子さんからいただいた質問かな?です。
これは、老いと早作という言葉について、聞いたときに考えること、これを教えてほしいというふうな、そういうご質問でした。
老いと早作って聞いて、考えることってあったりしますか?
私が、そもそも自分が、そんなに長く生きると思ってないタイプなんですよね。
だから、作品も毎回これが最後の作品になるって、本当に思って作っているので、そもそも老いっていうことを考える。
自分にとっては、自分ごととして老いっていうことを、考えられなかったっていうのがあるから、どう答えようかなと思うんですけど。
でも、老いっていうことを考えられること自体が、すごく贅沢なことだと思うんですよ。
何十年後も生きている、自分が生きている前提だと思うから。
だから、まず老いっていうことを考えられる自分っていうのが、一種の贅沢さがあるなとは思うのと、
どうなんだろう、パフォーミングアーツって身体を使うから、老いとかっていうものと繋げて考えられやすいとは思うんですけど、
私は結構、パフォーマーの年齢とかに関しても、あんまり若い、もちろんジェネレーションによってはコンテクストっていうものは重視しますけど、
でも、肉体的な若いとか老いているっていうことは、あくまで状態の一つであって、そこに良し悪しはないというか、
やっぱりその時の肉体にしかできないことっていうのはあるし、そこに優劣はないから、
そういう意味ではあまり老いというものを特別視したことがないかな。
ちょっと戻っちゃうんですけど、長生きしたいって思ったりしたこと、僕もあんまりなくて、
長生きめっちゃ良いものみたいなのが当たり前のようになってるんだけど、
別にタバコとかも吸うし、今やっている仕事とか、次にやる仕事とか、次の次にやる仕事のことは結構考えられるんだけど、
10年後に自分がどうなってとかって、僕も割と考えるの苦手な方だったりする。
これこそ一番最初に話したマイノリティポリティクスとすごくつながっている問題で、
私はこの社会の中でどこまで生きてられるんだろうってすごい思うんですよ。
いないことにされることがすごく多いし、マイノリティ属性を持っている人たちって生きるのがすごく大変だから、
生きている時点で、この中で本当にどこまで生き延びられるかなっていうのが本当に毎日わからない状態。
だからその中で自分が何十年後老いる姿とか考えられないというか、そもそもそんな余裕ない。
だしそれをそうさせている社会があるっていうのはまさにマイノリティポリティクスの問題だなと思うし、
そういうある属性の人たちが死のことについても考えざるを得ないとかそういう状況に置かれていることでネクロポリティクスとかそういう言葉もあるんですけど。
人々と触れ合う創作活動
ネクロポリティクスっていう言葉があるんですか?
そうですね。ネクロ、死の政治学とかネクロエコノミクスとかそういう経済学に関しても、
まだ日本にあまり入ってきていない言葉かもしれないけど、
こういうこともじゃあ置いとはみたいなこともやっぱすごい私には政治的なトピック。
やっぱすごい肉体的なとか健康的な、健康ももちろん政治にすごく関連しているけど、
すごい戻ってきたな最初の話にって思います。
当たり前に人が置いていくということが前提になっているっていうのもやっぱ全然人によって違う。
何を置いとするのかでもだいぶ違ってくると思うんですけど。
今ある状態が自分にとってベストではあるっていうことを考えながら生きている。
その場その場を生きているってことも大事だと思うし、
ちょっと話戻っちゃうんですけど、私の祖母とかは戦前生まれだったりするので、
戦後生き延びた祖母とかは今98歳なんですけど、
生きることにすごく執着しているというか、
自分でその、やっぱそこの時代を生きたからこそ生きることが一番だ、
長生きすることがみたいなところを持っている世代ではあるなと思うので、
それはやっぱその、世代によって何がこう大事かっていうのは結構違ってくるので、
今私たちがこう話しているのは結構今の時代に反映している多いっていう考え方かなというふうに思ったりもしますね。
なんかちょっとポジティブな話をすると、
私が最近中国武術を習っていて、結構あの真剣にやってるんですけど、
中国武術の世界だと、やっぱりすごい何歳になってもやっぱすごいんですよ。
むしろ歳を重ねていくほどすごい人とかいたりして、
やっぱもうそこはこの若者ではなんかもう到底到達できないようなものだったりとか、
それはもう肉体的にもそうだし、精神的にもそうだし、
なんかあれはなんかもうすごいものを感じますね。
だから多いっていうものが、なんだろう、
例えば本当にその肉体的にとか成熟していくっていう例を見た気はしますね。
なるほどなるほど。
何かこう時間によって重ねるからこそできることっていうのも増えていきそうな気もするし、
そうだな、でも僕なんかそんな長生きしたいってあんま思ったことないって言ったけど、
でもなんか一方で、そのかっこいいおじいちゃんおばあちゃんとか見ると、
あ、イケてるなとか、あんな風になりたいなって思う瞬間とかはあったりして、
なんかこれ不思議だなって思いました。
あとそうですね、創作ってもの多いと創作っていうこの2つを並べたときには、
やっぱり自分が精神的にとか情報を常にアップデートし続けないと、
なんかもうそれは、私まだ20代ですけど、
それでもやっぱり10代の子たちから見たらすごくジェネレーションのギャップがあるだろうし、
やっぱその時点で、なんだろう、やっぱ危険性があるというか、
自分がまだ20代だから若いつもりでいてはいけないというか、
やっぱその創作においてはいかに情報だったりとか、
あとはいろんな前提だったりっていうものをアップデートし続けられるかっていうことの方が、
肉体のことよりは重要かなって思います。
なるほどなるほど。
それってちなみにどんな風に情報をアップデートしたりしてますか?
めちゃめちゃ素朴な。
やっぱ一番は人と話すことだと思います。
もちろん本だったりとか、
本当に文字情報としてアップデートできることもたくさんあるんですけど、
結構いろんな考え方とかってやっぱ周りにいる人たちから入ってきたり固められてしまうものが多いと思うから、
積極的に自分とは違う世代の子たちと話したりとか、
そうする自分の囲ってくれてる人たちから出ていく。
自分のバブルになっていってしまうと思うので、
自分が年齢が上がったりとか、持ってる役職が増えたりとか、
権力がついていけばいくほど周りはバブル化していくと思うから、
やっぱりそのバブルが出るっていうことはすごく大切だと思います。
その機会のひとつが橋本さんにとって作品制作の場もそうなってたりするんですか?
それはすごくありますね。
さっき水戸さんが言ってくださった、夏にやった共演っていう作品では、
一番若い子で20歳なりたての現役の大学生の子が入ってくれてたんですけど、
やっぱり私、舞台芸術界にいるとすごく若手なんですね。
しかも演出家、振付家で20代の人って本当にいないので、
特にああいう劇場の主催事業とかをやってる人になると、
たぶん本当に誰もいないぐらいな感じなので、
結構現場において最年少になることが多いんですね。
だから私すごい若い気になっちゃってて、
でももう20代後半だから全然一般的には若くないというか、
それが自分ではすごく危険だなと思って、
若者代表みたいな扱いにされてしまうのは、
いや私若くないよって思うから、
だからもっと若い、つい最近まで10代でしたっていう子が入ってくれたのはすごく救いだったというか、
やっぱりそこでも同じイシューに対しての見方とか理解の仕方とか、
やっぱり全然違うものがある。
下敷きにしてるカルチャーが違ったりするので、
作品は私にとって窓のようなものになったりする時もすごくあります。
それってその話って、また多分老いと創作の話に戻ってきてる気もしてて、
自分自身が気づかないうちに置いているからこそ、
創作の場を絶やさないことで、また次、明日また入れるみたいな、
そういう風にもちょっと僕は聞こえたりもしました。
そうですね、でも私はあんまり創作を美化する気はなくて、
芸術市場主義みたいになりたくないっていうのもすごくある。
日常に潜む非日常
だから正直創作現場よりも、例えばデモとかに行くと、
高校生の子がスピーチしたりとかするんですよ。
デモで自分はこういう風に思ってるとか、こういうことを調べたとか、
そういう姿の方がリアルだなと思ったりもするし、
そういうデモとかって別に行っても出演料とかもらえるわけじゃないし、
パフォーミュランスと違って、みんな自分の時間を割いてきて、
しかも普段人前で喋ってるような人じゃない人が半分緊張しながら出て、
それでも何か伝えたいことがあって、声を出してみんなで何か訴えて、
みんなでジャンプしたりする、
この身体を見ずして私は何が作れただろうかって思うことはあります。
これこそが本当に何かを伝えようとしてる人の姿だなって思うから、
そう思うとやっぱりパフォーミングアーツのリハーサルの現場で起こってることって、
何かどこまで何だろうな、
だからそれを信じられるものにすることが私の仕事だけど、
でもやっぱりこの本当に路上に出て訴えてる人の姿とか声とかっていうものが、
私は一番何だろうな、
やっぱりこの人たちの存在を見ないで私はやっぱりものを作れないなって思うし、
やっぱり捜索の現場だけが出会いの場じゃないというか、
本気上からですね。
やっぱり本当に活動でそういう市民の報道の中とか活動の中で出会う若い人たちっていうのには
ものすごく私は動かされてますね。
でもって僕の言ったことって一回しかなくって、
なんかその結構楽しいなって思う反面、
なんかこれいつまで歩き続けるんだろうとか、
なんかそういうことを思いながら、
なんかそれがこう日常に変えて、
全然うまく言えない気がする、うまく言えない気がするけど、
僕はなんか言ってみてすごく良かったなっていう経験の一つでもあったりして、
でもなんか気づけばそれすごいもうだいぶ前で、
13年前とか2011年とかに行ったっきりで、
なんかそれすごい自分の中で終わってしまってるなって思いました。
なんかそれが本当に終わっちゃって良かったのかなとか、
すごく印象に残っていることがあって、
でもに行った帰り道で、一緒にさっきまで歩いてた方が、
コソコソって電話を取り出して、
すごい小声で、地下鉄に乗るところで、
ちょっとまだ雑踏の音が聞こえるところで、
お母さんちょっと今外にいるから、
お母さんにただのパン食べておいてって言って、すぐ電話を切ったのがすごい覚えてて、
なんかすごくあれが非日常になっていることとかっていうのが、
ちょっとなんかすごく恥ずかしそうに電話してたこととか、
それが思い出されました。
デモの多様性
何にもつながらないかもしれないんですけど。
やっぱデモもどんなデモかで、結構掛け声とかも違ってきたりするし、
誰か違う人がいたとき、すごい異様に盛り上がるときもあったり、
なんかちょっとヒップホップみたいなところに似ているところ、
ラップのように似ている表現にも感じる瞬間があったりするなというふうに思ったりします。
なんか3.11のシールズとかのデモとかに行ったときも、
思っていることをちゃんとインフォフォンで言うとか、
すごいかっこよかったんですよね。
それを今思い出しながら、あれは一種のパフォーマンスだと思ったりします。
デモも本当にいろんな形があるので、
東京とかだとプロテストレイブっていって、レイブを模したデモとかを。
レイブってこと?
そう、なんかDJをセットを組んで、
実際にDJたちが交代で回して、
でも本当レイブしてるんですよ、8個前とかで。
でもパッと見レイブなんだけど、よく見るとみんなプラカードとか持ってるみたいな。
っていう、そういうのをやったりとか、レイブ形式でそれをトラックに積んで、
マーチングして更新したりとかしてて、
本当にいろんな、特にこの日本だと、
デモっていうものに対してアレルギー反応というか、
怖いものとか、難しいものっていうイメージがすごく強いから、
若い世代が今そのイメージをどう変えていけるか、
っていうふうなことをいろいろ試してたりとかして、
実際日本、これちょっと脱線するんですけど、
Aじゃないかとかを調べてた時があって、
Aじゃないか、はいはいはい。
一揆。
そう、一揆の。
はいはいはい。
明治維新前、直前のAじゃないかっていう運動が起こった。
とかも、あれも結構調べていくと、ちょっとレイブっぽいんですよ。
あくまでもちょっと祭りっぽい見え方だから、
警察とか介入できないみたいな。
なるほど。
そうそう、一揆なんだけど、でもなんかよく分かんないって。
まだ名前が名付けられてない。
そうそう、暴動とかでもないし、
でもなんかすごい市民が集まって練り歩いてるのってでも脅威だから、
でもなんか理由がつけられないみたいな、それを取り締まる。
っていうのとかって結構昔から実はやられてる方法というか、
そうそう、祭りとかそういうライブ、レイブみたいなのに模してプロテストする。
橋本ロマンの活動
なんかそれ聞くと、ちょっとダンスフロアアズスタディールームって展覧会の中に、
タイトルの中にダンスフロアあることとかちょっと思い出したりしますね。
なんか自分だけど、ちょっと少しいつもの自分と変われるかもしれないし、
それは気に入ったらその後持ち帰って普段の自分になんかこう続けていけることかもしれないし。
本当に抵抗の場としてのダンスフロアっていう意味で、行ったら結構デモとかはまさにそれっていうか。
バラバラ話しておきたい。話していきたいんですけど、大変残念ながら時間がそろそろ来てしまいまして、
ちょっと夜にね、お願いしてる研修とかもすごく楽しみですし、
この後展覧会のオーディオガイドも録音させていただくので、
今ラジオを聴いている皆さんもしよければ、
ぜひブルームバーグコネクツというアプリでマイカム検索していただいて、
ちょっと期間限定になってしまうかもしれないんですけども、
そちらで橋本ロマンスさんと梨央さんのオーディオガイドも配信しておりますので、
ぜひ聴いてみていただければと思います。
あ、そうだ。ちょっと待って。
これさ、橋本さんから疑問・質問・お悩みを聞かなきゃいけないんだ。
私それちょっと用意しそびれておりまして、
時間もあれなので、無しでも大丈夫。
分かりました。了解です。
もし思いついたらそれを引き継いでいる感じ。
また何か思いついたら教えてください。
はい。
すみません。ありがとうございます。
で、マイカムぐるぐるラジオを聴いていただきありがとうございます。
疑問・質問・お悩み、皆さんからも報酬しております。
お招きするゲストやマイカムにまつわる疑問・質問はもちろん、
日々どうしてなんだろうとか、他の人はどうしているんだろうという素朴なお悩みも大歓迎です。
また、ラジオの中で出てきた疑問・質問・お悩みに対する
こうしたらとか、こう考えたらというアドバイスも大歓迎です。
ぜひ一緒にぐるぐる考えてみましょう。
で、ぐるぐる相談室へのメッセージの送り先は、
メールアドレス、information at mark ycam.jp
メールの件名は、ycamぐるぐるラジオでお願いします。
たくさんのメールお待ちしております。
というわけで、本当にあっという間の1時間だったんですけども、
いかがだったでしょうか。
すごい良かったですよね。私たちの実生活でもすぐ実践できるし、
今回展覧会を組み立てて、ペンデリンさんの展覧会がきっかけではあったけれども、
そこから橋本さんに出会うこともできたし、
それがストップ、今回展覧会だから勉強するのではなくて、
それがずっと続いていくような仕組みっていうのを、
私たちは作り続けていかなきゃいけないなと思うし、
それは自分にとってはすごく豊かなことになるということを感じた1時間でしたね。
本当にそうですね。すごく大事な1時間でした。
自分の人生の中のプロセスにおいて、たぶんたびたび思い出す1時間になりそうな気がします。
いかがでした?ラジオ。ラジオ初めてなんですか?
はい、ほぼ初めてですね。
私は自分の作品自体よりもむしろこういうプロセスでも作品って作ることができる
っていうようなことを知ってもらうことがすごく大切だと思っているので、
文章だったりこういうふうに話したりとか、
そういうアイディアを共有する場があることが私はすごくありがたいので、
安心して話せる時間でした。
よかったです。また今後ともよろしくお願いしますという気持ちと、
あとラジオを聴いている皆さんにもぜひ橋本ロマンさんの書かれているものとかも
ぜひ読んでもらってもらいました。
セゾンのニュースレターの話とか聞いても大丈夫ですか?
もちろん。
じゃあ私が。
セゾン文化財団というところで配信しているニュースレターがあるんですけども、
そのニュースレターの今配信されている号の特集が
マジョリティ・マイノリティ構造を見つめ直す実践。
マジョリティ・マイノリティ構造をテーマにしている号が配信されておりまして、
その中で私が夏にやった共演という作品のセーファースペースとして
いかに創作環境だったり、労働環境を作っていけるかという取り組みについて
詳しく寄稿しておりますので、
ウェブサイトでPDFで読むことができるので、もしご興味があれば読んでいただけると嬉しいです。
読みました。めちゃめちゃ読んでよかったです。超勉強になりました。
ここまで聞いてくださった皆さんも是非作品をご覧いただければと思いますし、
橋本さんの活動も是非続けて聞いたり見たりしていただければなと思います。
本日はありがとうございました。
ラジオの振り返り
ありがとうございました。
聞いていただいた皆さんもまた次回の夜ラジオでお会いしましょう。ありがとうございました。
ありがとうございました。
もっといっぱい話したいことがあった。