YCAM ぐるぐるラジオの公開収録
YCAM ぐるぐるラジオ Season2 12月10日日曜日、山口情報芸術センター YCAMからお届けしております。
現場にいるのは、YCAM教育普及担当の近野圭奈と、山岡大地です。よろしくお願いします。
このラジオでは、YCAMのスタッフがナビゲーターとなり、YCAMに訪れる様々なクリエイターをゲストに迎えて、一緒にテクノロジーのこととか、アートのこととか、生活のこととか、様々な問いを立てたり、悩みを相談したり、そんな頭をぐるぐる動かしている様子を発信しております。
今回の公開収録も、YCAMで10月から始まった展覧会、あそべる図書館スペキュラティブライブラリーのあそべるラジオ局というブースで行っております。ちょっと賑やかな声がね。
すごいですね。
キッズが今さ、目の前をさ、縄跳びしながら通り過ぎていったんだけど。
普通のラジオの公開収録ではありえないぐらい、かぶりつきでキッズが見てくれたりしてるんですけれども、そんな賑やかなところからお届けしております。
賑やかといえば、YCAMあそべる図書館以外にも、アフターノート、山口市映画館の歴史っていう展覧会もオープンしたりで、結構展示もたくさん。
そうだね。今YCAMに来たら色んな展示が見てもらえますね。
冬のYCAM。すごい、目の前で。
すごい。
目の前で。
上手じゃん。
縄跳びが始まっています。
縄跳びが始まった。
よろしくお願いします。シーズン2からはYouTubeで公開収録の様子を配信しています。YouTubeの配信はYCAMのWebサイトからアクセスしてもご覧いただけますので、よろしくお願いします。
もしYouTube上のコメントなどいただけましたら、気づき次第なるべく拾っていきますので、よろしくお願いします。
本日収録される内容は、デジタル配信サービスSpotifyにて。
ポッドキャストの形式でも順次公開予定です。
これまでのすべての回と、Spotifyのみのオリジナルコンテンツ、放課後ぐるぐるラジオっていうのもありまして、こちらもSpotifyで無料で聞いていただくことができます。
詳しくはお使いのWebブラウザで、YCAMぐるぐるラジオって検索してみてください。
はい。
それでは本日のお品書きからいきたいと思います。
いきましょう。
まずはゲストインタビュー。
うん。
YCAMや山口にまつわるさまざまな方をゲストにお招きして、普段の活動とその裏側を教えてもらうコーナーです。
はい。
今回は、YCAMで来年の1月14日、日曜日に行うイベント、私もアートがわからないVol.4。
知らないうちに始まっていて、いつ終わるのかわからない。
これすごく長いんですけど、イベントタイトルとなってます。
うん。
こちらのイベントで講師を務められる写真家の神奈川慎吾さんに、
神奈川さんご自身のこれまでの活動のことだったりとか、今取り組んでいること、今考えていることだったりとかをお話いただいたので、
はい。
その事前収録を皆さんと一緒に聞いていきたいと思います。
で、その後なんですが、もう一つが、ぐるぐる相談室。
ぐるぐる相談室。
YCAMぐるぐるラジオ宛に届いた疑問・質問・お悩みをみんなでシェアして一緒に考えてみるコーナーです。
はい。
これはゲストの神奈川さんと、過去にいただいたぐるぐるしたお悩みについて話したりとか、神奈川さんご自身のお悩み、考えていることも共有いただいたので、それについてもうーんと頭を悩ませてきましたので、
楽しみだね。
それを皆さんも一緒に聞きながらぐるぐるしていければなと思います。
はい。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まずもう早速最初のコーナー行っちゃいますか。
行っちゃいましょうかね。
うん。
では最初のコーナーです。
神奈川慎吾さんのプロフィールと活動
はい。
ゲストインタビュー。
ゲストインタビュー。
まだね、このエコーごときで笑ってしまうんですけど。
そうだね。
全然慣れないね、これ。
全然慣れることができない。
最初に簡単に神奈川さんのプロフィールをご紹介させていただきます。
神奈川慎吾さん。写真家。1981年、京都府生まれ。神戸大学発達科学部卒業。東京藝術大学大学院。美術研究科。博士。後期課程終了。
ファーザー。いなくなっていない父などを刊行。長崎のカトリック文化や平和記念像。自身の信仰をテーマにした祈りと長崎。仮のタイトルです。こちらを2024年4月に発行予定です。
近年の主な展覧会に、2022年六本木クロッシング、2022年展、往来往来などがございます。
神奈川さんのプロフィールご紹介させていただきました。
はい。
今回は私、こんのと山岡さんの2人で神奈川さんとお話ししてきました。
そうだね。
その様子を聞いていただきたいと思います。
約1ヶ月前?
そうだね。神奈川さんが1月のイベントに向けて、ちょっとワイカムに来て打ち合わせをしてっていうタイミングだったので、これからお聞きいただく音源は全て11月2日に収録したものになります。本当1ヶ月以上前だね。
そうか。
うん。
神奈川さんがそもそも写真に興味を持ったきっかけ、で、これまで行ってきた写真とか、あと一緒に執筆の活動、本を書いたりする活動もされているんだけど、そのことについて。
うん。
で、そこから見えてくるメディアの違いと表現の違いみたいな話など、いろいろグルグルしておりますので、そちらを皆さんと一緒に聞いていきたいと思います。
はい。
それでは、どうぞー。
どうぞー。
ワイカム、ワイカム、ワイカム、ワイカム。
ワイカム、ワイカム、ワイカム。
写真家の神奈川慎吾さんに来ていただいています。よろしくお願いしまーす。
よろしくお願いしまーす。
よろしくお願いしまーす。
写真に対する興味と表現の違いについて
子供の頃から写真に興味があったんでしょうか?
高校生ぐらいの時に、なんかこう、雑誌とか見てて、なんかこう、雑誌にこう、写真家の写真とかが載ってて、まあそれがなんかこう、面白いなーと思ったりして、一応高校生の時に一回自分で一眼レフを買ったっていうことは。
おー。
ありましたねー、それは。
でもそれはね、なんか写真家っていうよりも、やれる、なんかもう音楽とかすごい好きやったけど、音楽とかなんかまあ練習が必要とか、大変自分がそこからなんかやれるっていう感じがしなかったので。
実は僕は小学校からサッカー部やってて、高1で辞めたんですけど、まあ中学生ぐらいからまあ自分は、あ、そういう音楽とか映画とか好きだなーみたいな、そういうもの、表現とかそういうちょっとカルチャーとか。
うん。
だからちょっと、へ、妙なものがいろいろ面白いなーと思って、高校1年生の時、サッカー部辞める時には、トランペットをやるって言って辞めたんです。
え、そうなんすか。
そう。で、それは本当にトランペットも買って。
え、うわ、ここ来た。
買ったんですけど、トランペットってまあまず音出すまで練習必要じゃないですか。まあそういうなんがちょっと向いてなくて、早々に挫折し、みたいなことがありましたね。
なるほど。
そういえば。うんうん。中学校の頃からこう音楽とか聴くのも、それまあ主にレゲエを聴いてたんですけど。
えぇー。
あの、そうなんです。なんとなくかっこいいなーっていうところですね。本当に。うん、恐ろしいですね、本当に。
思い切りましたね、でもね、トランペットなんて。
そうね。
いや、高いでしょ、結構なんてね。
そうそう、そう。
いや、うん。
ちなみに雑誌で写真が気になってっていうのは、どんな感じの写真見てたんですか。
あの、その頃はね、雑誌カルチャーがまだまだあって。
はいはいはい。
前世紀ですよね、それこそ雑誌の。
そうだと思います。なんかスタジオボイスとか、リラックスとか。
はいはいはい。
なんかそういうのを見て。
リラックス読んでた。
うん、そう。広告批評とかでもなんか写真の特集とかあったりとかして、電話ボックス撮ってるだけの写真やけど、なんかすごい良いと思うみたいな。これが良いって感じるって、どういうことなのみたいな。
うん。
写真にあるものが写ってるだけやのに、なんかそれが写真として見たら、なんかすごく良いと感じたり、かっこいいと思ったりするっていうことが、なんか面白いし、なんかすごいなと思った。
うん。
確かに楽器の演奏って、ギター弾けるようになるとかってさ、なんかCコード、Fコードみたいな、Dコードみたいな、それでようやくギターが弾けるって感じがするけど。
写真ってね。
ね。
そうなんですよ。
基本的に電源を入れて、シャッターボタンを押すっていう。
で、それでね、その時フィルムでカメラ屋さん持っていけば、もうなんか写真が出てくるので、こんな楽ちんなメディアはないですよね。本当に。
言わなかったのに。
いやいや、それは本当に写真の特性なので。
なるほど。
本当に。
そっかそっか。すごく入りやすいっていうのも特徴なんですね。
そうですね。
なるほど。
僕の父は、僕が中学生、高校生ぐらいの時に、なんかこう、仕事行くって言って、まあ仕事行くんですけど、なんか夜になって、なんかあれ帰ってこないなみたいなことがあり、そのままちょっとしばらく帰ってこない。でもしばらくしたらちゃんと帰ってくるっていうことを、なんかこう繰り返してた人で。
うん。
で、まあそれが、まあ僕が大学入ったぐらいで、まあ両親は別々、まあ別れて、別れてからは一人になって、こう平穏に暮らしてると思ったら、2008年に、また父がちょっといなくなって、
はいはい。
まあまた戻ってきたんですけど、戻ってきたら今度は、なんかもう仕事にも行かなくなって、今までそんなことはなくて、
うんうん。
で、ちょっとこう、かといってこう、分かりやすく打つみたいな。
うん。
病的な状態にあるっていう雰囲気じゃないんですけど、でもまあなんか何もしない。この人、ほっといたらマジでこのまま何もしないかもしれないみたいな状態になり、
はいはい。
父がそういう状態になったときに、よしじゃあちょっとこの人を取ってみようって思ったっていうことがあってですね。
で、まあここら辺の経緯についてはですね、
はい。
実は今年の4月に、
あ?
あの、いなくなっていない父っていう本を出して、
うん。
まあ、あの、そこに結構こういろいろ書いてあるんですけど、
うん。
これは、あの、これまあ自分が書いた本ですけど、
はい。
写真の魅力に惹かれる
いい本だと僕も思っているので、
いや、いや。
あ、同感です。
同感です。
同感です。
ぜひちょっとそれを読んでいただけると、いろいろまあ、そうですね、それぜひ読んでいただきたい本なんですけど、
うん。
しかもね、それはね、言うと、僕自身の状況としても、その写真を、えっと、まあ続けてたけど、何撮ればいいかよく分かんないってなってたんですよね。
ああ。
その、なんかこう、スナップで何でもいいから撮るみたいな。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
で、ちょっとこう、写真が、そうですね、なんかこう、無意味みたいなものを、こう写真でなんかできたら面白いかなとか思ってたけど、なんか全然それがちょっとこう行き詰まってて、
ああ。
何撮ればいいかよく分かんないってなってた時に、そういうことがあって、
なるほど。
で、まあちょっと今まで、そういう父親を撮るとか、全然したくなかったんですけど、
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
なので日記っていう形式で書いてたし
その時記録したいっていう
父親とやりとりしたり
父親が言ってることとか
自分が感じたことを
これはちょっと書いときたいなっていう気持ちになったんですね
あんまそういうことってそれまでなかったんですけど
なんで私テキストのこと聞いたかっていうと
すごく本のテキストが印象的で
素直だし
この人本当にこう思ってるんだろうなっていう風に
すごく強く感じたんです
リアリティというか
セキララとかとも言えるかもしれないんですけど
セキララっていうよりもうちょっと爽やかな
本当にこの人が今思っていることが
本になってるんだろうなっていう
不思議な信頼感みたいなものがある文章で
すごい面白いなと思って
ありがとうございます
自分が感じてることを書くしかないと思うので
それをできるだけそのまま書きたいっていうのがあるんですよね
決めてるものを出さねばみたいな気持ちではなくて
そこにあるものを大事にするような
そうですね
こうなってるっていうことを
そのまま書くような
できるだけ書きたいとか
それが面白いと思うので
そうですね
隠さないというよりは
大事にするみたいなニュアンスが
すごい近い気が
読み手としてはしますね
なるほど
はい
お聞きいただきました
主にカルチャーとの出会い
そしてこれまでの活動について
っていう感じだったと思うんですけれども
山岡さんめちゃくちゃメモを取ってたね
そうだね
神奈川さんの声いいね
ずっと聞けちゃうなって思いながら
穏やかな声だよね
トランペットから始めてたのすごい意外だったな
あれだよね
このラジオの収録の時話してて
私がちょっと編集でカットしちゃったけど
山岡さんもそのぐらいの年にサッカーをやめ
始めたり
ギターを始めたりやめたり
っていうことをしてたけど
トランペットだったんですよ
そうだね
いきなり写真じゃなかったんだなとかは
結構印象的だったな
なんかまずとりあえず
カルチャーに
手をつけてみたい
何か始めてみたいっていうことで
いろいろ
なんだろう
ゴロゴロしてるうちにたどり着いたのが写真
っていう感じだったのかなお話を改めて聞くと
写真撮る?
キミナちゃんって
撮らない
普通に人並みには
撮ったりする
けど例えばじゃあ一眼レフを持ってますみたいなことでは全然ない
本当に一回も?
いや家庭の事情
親父にハワイでみたいな言い方しようけど
家庭の事情で写真は教えてもらったりはしたんだけど
そこまで写真にすごく興味を持つことは今のところなかった
見るのは好きだったりするけど
見るの好きだったな
自分結構写真は撮るの好きだったの
そうだよね
写真部だったりとかして
そうだそうだ
山岡さんの写真部だったりとかして
大学時代かな
そうだね
YCAMで働いてても
たまに写真の撮影とかしたりもするし
それこそさ昔ガラケーとかでさ
今見たらガビガビの解像度だけど
めっちゃ写真撮ってて
容量パンパンにすぐしちゃった気がする
ガラケーで撮ってましたね
我々は未だに写メって勢い余って言っちゃう世代だから
もうだいぶ若い人に
送んないのに写メって
別に送らないのに言ってしまう世代だったりするんで
そういう意味ではカルチャーとの出会いは
山岡さんはもしかしたら結構
写真も一個大きい要素だったのかも
そうかもね
このインタビューの中でもね
読んでた雑誌聞いて
それ読んでたみたいなリラックス
リラックスね
読んでた読んでた
なんかねそうだよね
さっき神奈川さんもさ
ただの電話ボックスなのに
なんかここに載ってるとかっこいいとか
なんかそういう風にこう
媒体によって
なんかこうパワー持つみたいな
そう
ありそうだなって思ったりとか
もしこれが日常で同じ空間にいたら
全然こう横目で流して
あああるなぐらいのものが
何か力を持って見える
なんかその辺がこうね
神奈川さんの心をギュッと掴んだって感じ
あったもんね
そうだね
でも自分もなんか思ったことありそうだな
なんか雑誌でさ
カラーでさ
丸々1ページドンと
なんか知らない人が
なんかこう真顔で立ってるとか
はいはいはい
あるいはなんか落とし物みたいに
なんか
軍手落ちてるみたいな写真が
なんか大盤のページに
1ページドンってやった時に
なんか普通にありそうなものなのに
こうやって切り取られてみると
なんかそれって
価値があることなのかなとかって
思ったりしたことがあったの
でもそれがなんかいいなって思うのは
どこからなんだろうっていうのは
自分も
それぞれなんかそのどの写真がいいかとかは
感じ方違いそうだけど
なんかそれぞれ思ったことはありそうだよね
そうなの
写真の奥深さとメディアの特性
ちょっとさ
加えてこう写真方面の質問なんだけどさ
なんか写真って楽みたいな話をしてさ
すごい神奈川さんと山岡さんが共感してたじゃない
うんうん
僕言わなかったのにみたいな
実際楽なんですか
まあちょっとこれ楽っていうのを
どこに基準を持って楽っていうかっていうのもあると思うんだけど
そうね
例えばそのギターで音楽を弾く
要はその完成するまで
音楽を一曲弾くってするとしたら
そう
今外でねすごいジェスチャーでいろんなこと伝えてくださってる
いつもワイカムでギターを弾いてくださっている方が
そういるけど
なんか一曲変装するようになれるまでには
それなりのこう過程が長かったりするんだけど
そうね
写真って確かにそのシャッターを押したら
そこで撮れちゃうっていう
一応成果物としてできちゃうっていうのは
あるんだろうなと思う
楽ちんちゃう楽ちんな気がする
で始めやすさみたいなものにもつながってると
なるほどね
確かにこう一回形になるまでの速度がめちゃくちゃ早いのか
うーんと思うな
写真撮れませんって言ってる人ってあんま見たことないかもしれない
まあなんかそれは逆に写真すごいプロなんだなって思うしね
撮れませんって言ってる人って
あーそうだねむしろそこに引っかかりを感じないね
シャッター切るのに緊張しますみたいなことを
なんか小さい子が言ってたらこの子ってなるもんね
そうねそれこそ神奈川さんがさ
何撮ればいいかわからないって言ってたじゃん
うんうん
なんかそういう風な
その戸惑いとか
難しさみたいなのを感じるっていうのは
なんかそのやろうと思ったら
簡単に撮ろうと思ったら撮れちゃう写真なんだけど
さらにそれをこう突き詰めていい写真って何なんだろうなを
やろうとすると結構奥が深いのかなって思ったりするな
楽っていうのはあくまで始めの一つの形を撮るまでがっていうことであって
じゃあそこからどう突き詰めるかっていう時の話が
メディアの特性だったりってことがまた出てくる部分なのかな
何を撮ればいいかわからない
うーん
なるほど
,なるほど,ちょっとこのあたりね山岡さんに聞いてみたかったのよ
あーほんと
私がそこまでさっきも言ったようにすごく写真を撮る人ではないので
あーでも写真とか撮ってたりすると確かに
何撮ればいいかわからないは
例えばその仕事で撮るときにどういう写真が必要なんだろうとかで悩むときはもちろんあったりする
うーん
でもなんかいい写真何なんだろうなは結構自分もわからないときある
なんか自分が撮るときとかってさワークショップとかイベントの記録撮影とか
そうだね
撮ったりするの
でなんかみんな笑顔の写真とか俺は撮りがちなんだけど
本当に笑顔の写真がいい写真なんだろうかとかは思っちゃったりする
あー深い話になってきましたね
なんかそれはこう撮影することでそのイベントの意味とかを
うーんなんか嘘で上書きしちゃうことにもなりうるなとも思ったりするし
あと固定しちゃうとかもあるかもね
あーそうかもね
もっと本当はいろんな幅があったものを一瞬が切り取れるからこそ
うん
それだけが残るとそれだけになっちゃうみたいなことの責任とかもあるし
そうねすっげーつまんないイベントだったのにめっちゃ良かったみたいな風に残すことだってできるし
むちゃくちゃ笑顔の人だけ寄りで撮ってね
そうそうでもなんかその撮り方によってはなんかすごく良かったものも
なんかそうでもないようにも残せちゃうみたいな
なんかそういうところには難しさあるんだろうなって思うね
ありがとうございます
あとなんか最後の方のさ
なんか神奈川さんとけいなちゃんが言ってたそのテキストを残すときに
大事っていうキーワードになってたけど
なんかそのあたりがちょっと
大事っていうキーワードどういう文脈で使ってたっけ
なんかねえっとね目の前のものを
あー目の前のものを大事にしている感じ
そう素直に残すこと
そう文章これはいなくなっていない父を読んでどう思ったかみたいな話のときに出てて
なるほど
なんかねそれこそ山岡さんがこう写真を撮るように
私はどっちかっていうとそれが文章だったり
例えばちっちゃい頃からさ
うん
小説もどきみたいなものを書いてさ
すげー
あれもどきね
もどき
もどきみたいなのを書いて読んでもらったりとか
今でもたまにこう論評ってほどじゃないけど
なんかちょっと記事を書いたりとか
はいはい
仕事がたまにあったりする
でなんかそのときに
なんだろうねどんどんカビにもできるんだよね
うん
その文章だけでなんかドライブしていくというか
はいはいはい
なんかこう読み心地のいい文章とか
なんか読んだときになんかちょっとかっこいいなみたいな文章とかっていうのはできるんだけど
うん
この人頭いいなみたいな
みたいなね
でもなんかそうじゃなくてもうちょっと素直に
なんか素直な文章じゃなくて嫌だなって思うことがあるの
自分で文章を書いてて
なんか妙に
さっきのそれこそ一緒かもしれない
そのワークショップの
うん
なんかもっと向かい合ったらいろんな幅があったかもしれないけど
笑顔の写真に最終的にアーカイブがなってるじゃないけど
なんかこう本当に書こうとしてることが見えないぐらい
なんか装飾が多くなっちゃってるみたいな感じに感じるときがあったり
なるほど
あって
でそうじゃなくて神奈川さんの文章って本当にその
なんかカビな飾り付けとかが極限まで結構少なく
少なく見えて
でなんかそれがすごくそのものを見てる目線が
まっすぐシャキッとしていることと
なんか文章の形がすごくこう繋がって見えるなと思って
あー面白いねなるほど
なんかそれが大事っていう風に言ったのかな
けなちゃんさっきカビって言ってくれてたけど
なんかその写真で言うと多分それ俺だとフィルターで
フィルターとかになる気がするの
で神奈川さんの写真ってなんかあんまフィルター使ってる感じないなっていうか
あーそうだね
フィルター
まあなんかいわゆる結構色をガンと変えるとか
そうだねすごい異常にビビッドにしたりとかすることはなくて
そうねなんかこうそのいなくなっていない父でもさ
写真にはその人のありようが写るっていう風なテキスト書いていて
そのありようをそのままできるだけ文章でも残そうとしてるのかなとかは
今聞いて思ってますね
思ったな
だから確かに写真とテキスト神奈川さんかなり共通してる部分もあるんだね
だからこういう写真を撮る人が書くこういう文章っていうのすごくなんか納得感がある
っていう風に思ったりしていましたね
あの時話している時も今もだけど
じゃあ次の方のインタビューにそろそろ行きましょうか
わかりました
はいえっと次は神奈川さんが今まさに考えてることだったりとか
あと直近の活動のことについて
はい
話してくださっていますので聞いていきたいと思います
それではどうぞ
今僕は3人で生活をしていて
そうですねその自分の暮らしの写真を撮ってて
その暮らしについての作品
暮らしというか関係性というかの作品を作ろうと
それを本にまとめるというかしようとしてますね
一緒に住んでるのが桃瀬彩さんっていう現代美術の作家で
斉藤玲司君という
玲司君も映像作家現代美術のフィールドでも発表してて
今はねその関係性はもう変化してますし
なんかこうそれをどう説明するのかっていうところもあるんですけど
ただ多分僕はこれをねこうやってこのことを語ったり
作品にしたいっていうのが多分あって
それは多分やっぱりある自分の中で何か言いたい
何か提示したいっていうものが多分あって
僕はその3人の関係っていうのが
自分自身を語るためのためらい
住み始めた時とかは
玲司君と桃瀬さんはもともとパートナーだって
僕と桃瀬さんも一応性愛関係はあったみたいな
一応パートナーですよねパートナーだって
3人で住み始めたみたいな
ことがあって
そこからその関係性は今も結構変化してるんですけど
僕自身の中でやっぱすごい変化がずっとあることで
何か結論が出てるものじゃないですよ生活だしね
僕自身も本当にこういうことについては
ちょろちょろ文章を書いたりとかしてて
4月ぐらいに日本財団のホームページで
ダイバーシティについてのホームページを書いてて
ホームページみたいなページがあって
ダイバーシティインジアーツみたいな企画で
結構そこで僕は自分の恋愛に対する
自分なりの感じてることみたいな
ざっくりと恋愛に対する違和感みたいなことを
結構頑張って書いたんですけど
またその時からもなんならちょっと変化してるな
みたいなところもあったりして
そういうのが面白いですし
本当はすごい多分
語れば
いいし
語りたいし
だと思うんですけど
すごいあれですね
やっぱこうやって
マイクを前にした時に
なんか自分は何をしてるんだみたいな
でもね本当のところは
こういう時に生じるこのためらい
これ自体についてちょっと
もうちょい考えたいというか
その自分のことを語ることへのためらい
本当は語りたいって気持ちとためらいとの
写真と視線の関心
なんか両方ある感じ
そここそ作品で扱いたい部分だったりするんですか
そうかもしれないですね
私もラジオで行ってこなかったけど
2019年とかぐらいから
アセクシュアルとアロマンティックを辞任し始めて
ただもっと前から知ってたんですよね
言葉自体は
でもなんかその自分の中でもこうっていう
新しいカテゴリーにハマりきらない自分みたいなものもいて
こうゆらーというか
そうかなそうかもみたいなのがあって
なんかすごく人前に出て堂々とこう
言うことがためらわれること
まあそれは何だろう
単純にそういうこう
セクシャルマイノリティだから言い出しづらいってことも
もちろんねまだあると思うんですけど
それ以前になんか
そこに定住できてない感覚があるから
ちょっと
人に言いづらいみたいな感覚があって
ありがとうございます
いやすごいそう
で今そう
本野さんが言っていただいたのを聞いて
名付けであったり説明するっていうことの
でその言葉がやっぱあると
自分なりにもしっくりくる部分もあるけど
その枠に自分が本当に収まるのか
不安だったり心地の悪さもあるっていうことと
一方で
やっぱそういうことを言うこと自体の効果
っていうのも多分僕は感じていて
だから本当は言いたい
でみんながもっと多分言えた方が楽しいよね
と思ってる部分と
やっぱそうやって言っちゃうってことの
怖がってるんかな
なんですよね
なんか責任が取れない感じというか
そうですね
でも責任なんてね
本当に取らなくてもね
そういうことでやっていいし
それこそ僕はこんなことをこうやって
作品作ったりこういうことをやってるっていうことで
生きているわけなので
そう言っちゃって
後から変わったら変わりましたっていう感じでいいから
言っちゃっていくみたいなことの方が
いいような気がしてますね
うん
最近パフォーマンスをされたっていう風に聞いたんですけど
青キッド君っていうダンサーの人が新人となって
ある都市の交流イベントみたいなんで
パフォーマンスをするみたいなんに僕も混ぜてもらって
はじめは一応カメラマンとして呼ばれたけども
カメラマンっていうよりも舞台に立ち
舞台上でカメラ写真撮ったりもしてたけど
そんな途中からカメラも置いて
カメラ置いてたの?
置いて
踊るっていうことをしたんですけど
僕が写真で興味あるのは多分見ること見られることみたいな
視線のやりとりみたいな視線っていうものに多分結構興味があって
あと撮影者っていう存在について
多分まあまあ
こう関心があって
なんか撮影者っていわゆる多分見る側ですね
見られる側というよりかは
撮っている人ってことですよね
そうですね
パフォーマンスへの参加欲望
で僕は撮影を主にねずっとやってきて
撮影することで作品を作ってきたんですけど
なんかそのパフォーマンスの稽古みたいなの参加させてもらう時に
ダンスしてる人たちはこう踊ってて
なんかやってるって感じだったんですけど
やっぱカメラマンってただ見てて
うん
やってないんですよ
やってないなあと思った時に
自分はなんかこうやらずにこう引いて見てるみたいな感じがあって
なんかその感じやだなあみたいな
自分もやりたいぞみたいな
へえ
なんかただこう見る側で
見るっていう安全な位置に立つみたいなことではない
やる側で見られる側になんか回りたいみたいな
多分欲望もあったりしてですね
本当ごめんタイミングで
なんかそういうことをやれる場を与えられたので
ずっとやらしてもらったみたいな感じです
なるほど
その神奈川さん自身が先に
なんかそのメディアの特性みたいなことが
先に頭の中で思い浮かんだ上でやるじゃなくって
とにかくまずは実践をしてみながら
それってどういうことなんだろうなっていうのを
後から振り返るっていうのと
多分今まさに今ちょうど振り返っているタイミングなのかな
って思いながら話も聞いていて
すごい臨場感だなと思って
自分がここで何者として
じゃあその舞台に立つのかっていうのは
結構すごいなんかこう考えざるを得なくて
そのこと自体がこのダンス
このパフォーマンスによって
自分にとってのテーマなんだなと思ったんですよね
なんぼさんでもやっぱ自分をダンサーと
アイデンティファイして立つこと
は無理だと思って
でもカメラマンとしてやっぱ立つしか
最初入るしかないかもみたいな
でも踊りたいっていう欲望はあるみたいな
感じだったんですよねそれは
映像見たいんですよね
僕も見てないので
見れないやっぱりダンスやってる時って
やっぱわからない自分が
見られる側ですもんね
そうですよね 僕も見てないので見れないやっぱりダンスやってる時ってわからない自分が本当に 見られる側ですもんね
そうですよね 僕も見てないやっぱりダンスやってる時ってわからない自分が本当に 見られる側ですもんね
できるだけやる側に
もうカメラマンとかを
なくしていくみたいなことが
できたらいいなと思ってやってたんですけど
やってたのかな?
今すごく咀嚼して
でもなんかこう
これを外から言うのもあれですけど
続いていきそうですねなんかね
続いていったらいいですね
いろんな意味で
視線を考える人として
そうですね
視線のことは重要ですね
なんか自分がこういうことがしたいみたいなことがありきというか
欲望みたいなものに多分関心が結構あって
視線ってそういうものがどうしても関わってくると思っていて
じゃあ今後ももしかしたら
今まで全然写真家と繋がらなかったら
なかったようなことが
視線という視線とか欲望というキーワードを介して繋がり
来年には神奈川さん
それをやってるの?みたいなことがありえるかもっていう感じがしますね
まあね
あのそうですね
そんなことがあれば
楽しみですよ
ありがとうございます
Waikam
はいお聞きいただきました
3人での暮らし結論が出ない自分と生活の話と
最新の取り組みパフォーマンスのお話など伺っていきました
いやどうでしたっけ
ちなみにねこのラジオ
とりあえず基本的にいつも私が収録したものを編集して
その後山岡さんが聞いてもらうみたいな形なんだけど
私としては結構こうなんだろう
名付けや前半の方の話に触れると
名付けや説明カテゴリーみたいなものがあると
楽とか不安みたいな話は
なんだろう今回のこれだと特にジェンダー周りの話をしてるけど
別にジェンダーに限らずいろんなところで
いろんな形でそれこそ男女みたいな話か
そうだね
それもジェンダーか
でももう少しいろんなところで話せる話なのかなと思って
すごく印象的だったね
なんかすごくさっきのパートは
確かに名付けがあると楽かもしれないけど
なんかそこから変化するかもしれないってことに対して
受け入れられないんじゃないかというか
なんかそのあたりの話をずっとしてたかもな
ジェンダーの話もそうだし
カメラマンって立場についても
なんかそこは共通した話だったかなと思って聞いていたな
なんかさ僕らもさエデュケーターとかさ
名札?名刺?
そうだね
にさ書いたりしてるじゃない
下げたりしますね
最近ねなんか
吉田松陰がこんなことを言ってたっていうのを知ったことがあって
すごい山口らしいトピックですね
吉田松陰は教えることはできませんが一緒に学びましょうって言ってたので
吉田松陰の長い人生の中でそんなことも一度ぐらいは言うだろうって気もするんだが
でもなんか面白いのは吉田松陰って
偉人に懐疑的だな
カメラマンとしての立場
おはようございますもんやろみたいな
吉田松陰面白いなって思ったのは
なんか自分が教えてる人のことを
モントとかデシットは呼ばなかったら
ああそうなんだ
そう所有って言ってたらしいよ
なんか友達みたいな感じ
そうそう
所有ってそう
持ち物を持つとかじゃなくて
なんかの友
書の友かな
読んでたのって
なんかエデュケーターもさ
教える側でいるみたいな
気持ちにずっとなり続けると
なんか関わりながら
自分が変化していくことに対して
気づけなくなったりすることがある
そう思われるなって
そうだね
それでこう
ちょっと業界単位でっていうとあれだけど
エデュケーションっていう言葉じゃなくて
今ラーニングの方が結構一般的になってきて
それはこう
エデュケーションがどちらかというと
教えるみたいな感じがあるのに対して
ラーニングがそれこそ一緒に学ぶみたいな
意味に訳される
ちょっとこれもね
諸説あると思うんだけど
なのでいろんな現場で
ラーニングの方を優先的に
使っていったりっていうのもあるよね
そうね
なんかYコムってサポートスタッフの人たちが
たくさんいるじゃない
彼らにいろんな検証をしていく中で
僕らが教えること以上に
なんかすげえ教わることめっちゃあって
それでね
やっぱ自分が変わることめっちゃあるなって
思うんだよね
考え方が
なんかそれ大事だなって思ったんだよな
それそうだね
神奈川さんってさ
カメラマンとは言ってなくて
写真家って言ってるじゃん
確かに
写真家って言ってるじゃん
っていうのはさ
写真を見る人でも
よく見る人でもあり
写真をよく撮る人でも
どちらでも写真家って言えそうな気がして
へー面白い
それはでも山岡さんが
写真と近いからこその感想かもね
カメラマンって言うと
より
めっちゃカメラ担いでる
撮り手みたいなイメージがあるんだ
イメージがあるけど
そうそう
なんかそういう
教える教えられるもそうかもしれない
なんかそこは
やっぱり誰かに教える教えられるもあるし
写真だと誰かを撮るっていうことも
見るっていうこともあるんだけど
同時に見られることでもあるじゃない
そうだね
なんかそこで聞きたかったのがさ
その撮影者
撮り手のやってない感
例えばさっきのイベント
あの神奈川さんが話してくれてた中では
パフォーマンスを自分がこう
最初は写真を撮る人として入って
なんかそれでこう
なんか自分はやってない感がして
ムズムズしてみたいな話してたじゃないか
なんかそれって感じたことあったりする?
あるあるある
見る側と見られる側
あるけど
あるね
あるね
なんかやっぱ
それが外から観察している人っていう風に
割り切って写真を撮ることもあるし
でもなんかやっぱり
レースに振り返るとさ
そのやっぱカメラで
写すことができるのってさ
写真ってこう相手が
本当にピュアに
相手が写ってるように見えるけど
カメラを向けられた時の相手が写ってるわけで
おーそうだね
ってことは
相手が写ってるようで
そのカメラを持ってる人の前で
見せる表情が写ってるんだなっていう風に
思うことがある
だから撮影者がありきの姿が写ってるってことだよね
そうそうそうそう
だからそこはなんか見る見られるに
単純に
あの本当は
何だろう
切り替えられないっていうか
うんなんかそんな
世界がバーンと分かれてるみたいな
バーンと分かれてるっていうよりは
本当はそこでかなり有機的にこう
反応しあってできているものが写真であって
だから多分関係が写ってるような気がするんだよね
あー
でなんかその
だから
神奈川さんが
カメラマンという入り口で入りながら
でもそこで
自分も見られる存在でもあるっていう
それでも踊りたくなっちゃうっていうのは
なんかすごくいいなーって思ったんだよな
そこに壁を
自分の役割をここまで
ここまでですっていう風に
決めて相手に踏み込まないようにするんじゃなくって
それを見ている側にも
もっと知って欲しいとか
関係を持ちたいと思ってるからこそ
見られることにも
なんかもうちょっと
なんだろう
一歩踏み出してみようっていうか
そうだね
なんか神奈川さんってさ
多分皆さんも声とか聞いていただいてさ
すごいこう優しい人柄とか伝わってると思うんだけど
神奈川さんの活動
すごく穏やかで優しいけど
やっぱりでもチャレンジしてるんですよね
チャレンジャーだよね
そうだね
別にそれって普通に兼ね合うことなのに
なんかちょっとこう
ギャップみたいなものを感じてしまうんだけど
なんか本当にこう
そういう印象を受けるからこそ
来年の神奈川さんがやってることが
マジで想像つかないって思うのは
あの時も思ったし
やっぱり今も改めて思う
なんか圭乃ちゃんにさ
これ
ちょい長くなっちゃった
あんまり長くならないですけど
なんでしょうなんでしょう
なんかさ
この神奈川さんとの事前収録を
編集した時に
なんか圭乃ちゃんが
その
ちょっといつもに比べて
少し難しかったところがあるって話をして
あ編集するのがね
そうそう
なんかそれは
えっと
なんだろうな
話がこうちょっとゆり子のように
まずは一歩こう進んで
そっからちょっと確認するように
少し戻ってまた少し進んでみたいな
なんかそういう
往来があるところが多分編集してて
そういう話があったみたいな話をしたんだけど
そうね
なんか神奈川さんもその
責任なんて取り切れないけど
でも言っちゃうみたいな
先言葉もあったが
なんかそういう
まずは一歩踏み出してみる
チャレンジをして
でそれについて
確かに
ちょっとさらにこう
深めてみたり
逆にそこの立場から
さっきまで自分がいたところを
振り返ってみたりみたいなことを
なんか繰り返してる人なのかなって
そうだね
だから本当にまさに話し方に
そのチャレンジ精神と
うん
丁寧に視線を向ける姿
みたいなものがこう
現れてるとも言えるかもね
そうね
なるほどな
めっちゃそしてお茶目で
とっても素敵な人だよね本当にね
なんかそうっていう意味では
やっぱり今回の音源っていうのは
ある程度私が
はいはい
このちょっと短めの時間の中で
聞いていただくように
編集しちゃってるから
やっぱり生の神奈川さんをさ
いや見てほしいね
見てもらいたいよね本当に
本当にそう
そう
でちょっとそんなこんなでイベントの
ワイカム山口情報芸術センターのイベント
え?そんな生で聞いてるの?
聞ける機会があるんですか?
生で神奈川さんに会える
はい
聞ける機会がございます
はい
えっと先ほどもね
ちょっとお話ししたんですけれども
2024年来年の1月14日日曜日2時からですね
神奈川さんがこの
ワイカム山口情報芸術センターに来られて
イベントを行います
タイトルが
私もアートがわからない vol.4
知らないうちに始まっていて
いつ終わるのかわからない
わからないという感覚から
アートの奥深さに迫る
芸術作品をより楽しみ
鑑賞を深めるためのレクチャーを行います
会場はワイカムのスタジオAで
参加費は無料なんですが
ちょっと申し込みをしていただくような
そうなんです
イベントとなっておりまして
で大人気なんですよね
そうなのよ
そうなんですよ
ご好評で
定員も増やしたんですけれども
ご好評で
はい
もうあと席わずか
そうなんです
あと席わずかとなっておりまして
ただやっぱりまだ少しだけ席がございますので
このラジオを聞いたりとか
フライヤーなどを見たりして気になったことは
なるべく急いで
ワイカムのウェブサイトをご確認いただければと思います
ぜひお申し込みください
お申し込みください